2013年2月28日木曜日

脂肪分の摂りすぎは


最近、食事の欧米化により、脂肪をとりすぎる傾向にあるといわれます。
脂肪が含まれた食べ物は美味しいから、ついつい食べ過ぎてしまいます。

だが、脂肪分の過剰な摂取は肥満だけでなく、高脂血症や糖尿病、高血圧や心臓病、糖尿病の危険性もあるのだと言われますから、注意が必要です。

動物性の脂肪だけでなく、植物性のものであっても、油脂の一種である「オメガ6」の摂りすぎは、リュウマチや関節炎、喘息やアトピーの原因になるとも言われるから安心できない。

体の病気ばかりではなく、根気までがなくなるというから、三大栄養素の一つではありますが、摂取はほどほどを心がけねばならないと言うことになります。

燃焼して酸性になるものを酸性食品といいますが、加熱された油は酸化して、体内に活性酸素を増やしてしまうのです。活性酸素というのは健康の大敵です。

血圧の降下によいといわれる植物


 赤ビーツは、植物分類上アカザ科に属し、カブの形をしているがカブの近縁種ではありません。

この赤ビーツは名のごとく極端な赤色の色素を含有している。この赤色は、アントシアニンではなくベータシアニンである。

 日本ではなじみの少ない野菜であり栽培面積が少なく、店頭にはほとんど出回らないが、瓶詰などの加工されたものが見られることはあります。
糖分が17%前後含まれているシュガービートに比べると、糖分はずっと少ないが、甘さは幾分かは感じられ、食べたときには若干の土臭さがあります。


 食べ方としては、皮ごと茹でてから調理する場合が多いが、ピクルスにしたりサラダに入れたりして食べられる。

また、世界的に有名なのはロシア料理の「ボルシチ」であり、ヨーロッパではスープとしても利用されています。

ジューサーで牛乳と一緒に飲むのもよいが、かなり濃いので多少飲み難い。
赤色の色素は細胞から出やすく、料理の色づけには良いが、逆に付きすぎるくらいで、生のビーツを切るとまな板や包丁が真っ赤になるので注意が必要です。


このビーツというのが、キクイモと並び血圧降下に効くのだという。

2013年2月27日水曜日

ペットボトルの形状の違いは


ペットボトルには、丸いのもあれば四角なのがあります。(3角形は見たことがない)

口も透明なものと、白いものがあります。

 

これらの別は、用途によって分けられているからです。

円筒形で口が透明なものは耐圧用で、炭酸飲料などガス圧がかかる内容物の商品に使われる。

同じ円筒形でも口が白いものは、耐熱圧用。

 

四角形のものは、口が白いのは耐熱用で、透明なものは非耐熱用。

熱処理をしてから詰めるお茶などは耐熱用を使います。
普段気にもしないでいますが、気を付けて見れば、そのように分けられているのが解ります。

2013年2月26日火曜日

どうしてなのかは解らなくても


 なにかちゃんとしたことをしようと思ったとき、無意識のうちに整理整頓やお掃除をしている自分に気づくということはありませんか?

 大きな願い事があったり、決意も新たにというようなときは尚更です。

 別に誰かに強制されたということでもないし、そうすると良いのだと誰かに教わったということでもないのに、そうしています。

 

 お墓参りをして、墓石を綺麗にすると良いという人もいます。静かに澄んだ心になれるからだと。

 いずれにしても何かを聞き届けて貰うためには、頼む方も頼まれる方もクリアーな状態になっていると伝わりやすいからかも知れません。

 墓石クリーニングを、それも自分で心をこめてやると、どうすれば運がむいてくるのかということを自然に気づかせてもらえるといわれます。

なぜなのかは、実際にやってみるまでわからないと、やったことのある人は言います。

 無心になってやっていたときにハッと気がついたんだと・・・
 
もうすぐ、お彼岸です。
 
 

ものを習う姿勢・聴くマナー


ある研修会に参加してみました。

講師が一所懸命に講義をしているのですが、その声が聞こえないくらいの声で私語を交わしている人たちがいかに多かったことか。

研修に参加しているくらいなのだから、何か身に着けたいものがある筈なのに、聞く姿勢すらなく周りに迷惑をかけているとの認識もないのが不思議でした。

話がしたいんだったら、外で思いっきりすればいいのに。

こんな輩に限って、それ知らない、聞いていない、教わっていないなどという。

 

いい大人なのに、義務教育の時期に学校でも家庭でも、物を教わるときのマナーを身に着けられなかった可哀そうな人たちなのだと思いつつも、それですまされていて良い筈がないのだと思えてならず、静かにして下さいと注意しました。

ただ、これをすると逆恨みされて何をされるかわからないリスクがあるのが困ったことです。

 

ホールで催されるコンサートなどでも、このての輩はいる。

ヒゾヒソ話をする、咳やクシャミをかまわずする、鈴をつけた携帯電話を取り出す等々。

基本的なマナーが皆無では、一生のうちにどれ位のマイナスを蒙るかということを考えたら、疎かにはできないのだと思うのだが・・・

基本を身に着けるのは子供のうちであろうから、親や先生が教えておくことが大事だと思うのです。

 

ものを習うには、昔はお師匠さんに弟子入りできなくては叶わなかった。

自ずから、習う姿勢ができていたのだと思います。その姿勢すらできていなければ、仮に入門できたとしても破門されるという認識があった。

近年の学校教育も、教育を受ける権利というものが表面にあって、義務の部分がないがしろにされているから、体罰だなんだということが起こる一因に思えてならない。

挨拶をしあわなくなった


挨拶を辞書で引くと、

挨拶の「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと。と出ています。

「あい」には、心を開く、「さつ」には、その心に近づくという意味もあるのだとか。

 

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」

こんな基本的で簡単な挨拶をすることは、人間関係では当たり前のことだと思うのですが、それがそうでもないらしいのです。

 

会社や近所や知り合いなど、基盤を同じにしているところはまだしも、面識があっても生活に関わりがないとなると、すれ違っても知らん顔で通り過ぎるということが珍しくもなくなりました。

「知らない人から声をかけられても、相手をしては駄目よ。」と言って育てられた、安心できない社会が現実としてあるから仕方ないのかもしれませんが、他人から信用される第一歩は、挨拶ができるかどうかだという現実も一方にあることを思うと、人としての広がりを安全に保てる社会をどうしたら良いものかと考えてしまうのです。

「あいつは、挨拶もできない奴だ。」というのは、人間性を信頼されない人の代名詞ですらあります。

 

私の住むマンションでは、エントランスや駐車場で顔を合わせても、殆どの人たちは挨拶を交わしません。私の方から挨拶しても、いやいや挨拶を返す何人かを除いて、不思議そうな顔をしてソッポを向く人さえいます。

人間関係が希薄で殺伐とした世の中は、こんなところから始まるのかも知れません。

2013年2月25日月曜日

守護霊・守護神がついている


誰にでも守護霊・守護神というのがついていて、誰もが守られているのだと聞きます。

一説では、10万回生まれ変わると守護霊や守護天使や守護神になるのだとと言います。

何回も生まれ変わって、もうすぐ守護霊や守護神になる魂というのは、自分自身に関して学ぶことはもうあまりないのだけれど、周りの人に愛やさまざまな気づきを与え、その人たちを守るために生まれ変わるのだそうです。

魂を磨くためには、意識体だけでは叶わないので、修行の為に肉体という入れ物に入って生まれ変わるのだとか。
人生に起こることにはすべて意味があり、そのすべてが必要なことであると言われますが、なかなかれを実感することは難しい。

 

でも、厳しい人生であればあるほど、きっと意味があるのだと思えば、勇気が湧いてきます。

神社固有の波動に


神社やお寺は、祀られている祭神が違うのだから、それぞれの固有のエネルギー(波動)というものがあり、神社や寺によってそれぞれ違います。

また、同じ神社やお寺でも、その場所によってエネルギー(波動)が違うことがあります。

例えば、奥の院と本殿とで波動が違うとか、本殿の前と本殿の横では違うとかがありますので、参拝に行かれる方や、神社仏閣などに行く機会がある方は、
意識すれば感じとれることが多いようです。

神社の鳥居の外と、くぐった中の境内とでは、波動の違いが有ることがわかるようになるのは、さして難しいことではないようです。


良くない波動がわかるようになると、自分に悪影響を及ぼすモノから避けることができます。
逆に、良い波動がわかれば、そこに行くことで自分を浄化したり、癒したり、エネルギー充電をしたりできます。

要は、誰にでも備わっている感じ取るという感性に、気づくかどうかということでありましょう。

作り笑いでもいいから


作り笑いというのは、悪いことのように言われることが多い。

 

でも、作り笑顔でもいいので、笑顔で明るく振舞うことが有効ではないかと思います。笑う門には福来るといいます。


水は、方円の器(四角や丸の器)に従うといいますが、魂だってそうなのかも知れないのです。
美しい形のものには、美しいものが入る。
笑顔は、心と体の健康に良い影響を及ぼし、幸福を呼び寄せる。

嬉しいとき、楽しいとき、幸せなときに笑顔なのは当たり前ですが、辛い時、
悲しいときこそ、笑えるような自分になれたら素晴らしいことです。

誰だって暗い人には近づきたくないのと同じで、幸運の神様だってきっとそうにちがいありません。

陰陽 プラスマイナス


陰陽(月と太陽)
陰陽学説と言うのは、中国の万物全ての事物を陰と陽に分けることができるという説です。

これに五行という概念が加わって陰陽五行説というのもあります。


全ての物事は陰と陽の両方で成り立ち、陰陽の対立又は統一によるとする。
その陰陽のバランスが崩れると、人は病気になり、陰陽のバランスを調整することで治すことができると言う。

中国医学というのは、西洋医学とは違って、目には見えない「陰陽」や「経絡」
「経穴(ツボ)」などを、長年の臨床結果から医学として統計的に確立しているので、スピリチュアルな医学とも言えるかと思います。

目に見えない物は信じられないような唯物主義の方には、理解できにくい世界のことにになりますが、それによって病気などが治っていることもあると、否定はしきれないと思います。
信じる信じないは別にして、解らないことは無いと同義ではないのだから、研究する価値はありそうです。

2013年2月24日日曜日

寒さの比較


今朝も寒かった。

2月も下旬になるというのに、梅の盆栽は花芽も膨らんできません。

 

暖かい年であれば、正月には満開になる木です。

因みに、昨年の正月はこんな具合でした。
 

2013年2月23日土曜日

光のシャワーを浴びると


出かけると、光を浴びて幸福に感じるときがあります。

光のシャワーを浴びると、気分が洗われてスッキリします。

朝日であったり夕日であったりげっこうであったりしますが、自分のそのときの気分が快いと感じるかどうかで決めればよいと思います。

 
頭上にシャワーがあるとイメージして、そのシャワーが頭の上から足のつま先まで、体の内側も外側も流れて、エネルギーが体中に満たされるのを感じるようにします。

その金色のシャワーが体中を流れていく時に、悪いものが全て解け出して一緒に流れていくイメージを同時にするとなおよい。
これを、もうこれで良いなと感じるまでやります。

ミズバショウとザゼンソウの花は


夏が来れば思い出す・・・水芭蕉の花が咲いてる・・・と歌われるから、尾瀬に水芭蕉の花が咲くのは夏だと思っている人が多いけれど、この花が咲くのは春先、雪が融けて水が温んでくる頃です。

 
 

尾瀬まで行かなくても、大清水までは車で行けますので、水芭蕉と座禅草の花が見られます。

関越自動車道の沼田インターを出て片品村を抜け、さほど遠くないところにあります。

 

大清水は、尾瀬沼経由、尾瀬ヶ原の登山道への入口。尾瀬まで行きたければ、ここから頑張って歩けばよい。
大変なのは、尾瀬沼の手前にある三平峠で、ここは、かなりキツイ急坂です。

標高の変化は、大清水1190m→三平峠1750m→尾瀬沼1670m→尾瀬ヶ原1400m、距離は約13kmと長い。時間にして4時間ほどかかると思いますが、日帰りは可能です。
帰りには、沼田インターまでの途中に日帰り温泉がいくつもあるので、疲れを流し、温まって・・・というのもお奨めです。

2013年2月22日金曜日

蓼科のパワースポット


 長野県の蓼科に横谷渓谷というのがあります。

 蓼(たで)というのは、龍の意味を持つのだとのこと。渓谷を吹き渡る風に、龍の気脈を感じ取れるように心気を澄ませて歩くのがよいのだという。

 この渓谷には、滝が多い。乙女の滝・霧降の滝・王滝・・・等など。

 乙女の滝は、マイナスイオン指数が20000個/ccとの表示があります。爽やかな木陰の道を散策することで、気が満たされる。

 

 冬、佐久インターを出て雪道をひた走ったことがあります。

 雪景色は見事でしたが、滝は氷っていました。



 


夏は、滔々と流れ落ちる水量の飛沫を浴びると、現世の穢れが吹き飛ばされるように感じます。

金のなる木の花


 金のなる木は、枝先に新芽が出てまだ小さいうちに、5円玉の穴に通しておき、そのまま成長させて、5円玉が抜けない状態なることで枝にお金がなったように仕立てたものです。
 

一時期流行しましたが、最近は見かけなくなりました。

その姿から成金草とも呼ばれます。

乾燥や低温などの環境に適応するベンケイソウ科に属する丈夫な植物で、和名はフチベニベンケイですが、「金のなる木」という名前の方がよく知られています。

 

小さな株にでもよく花をつける種類と、大株にならないと咲きにくい種類があります。

多肉質の葉や茎に水分を蓄えることができるので、乾燥に強い反面、過湿にさせると根腐れしやすい。
水はけのよい土で、日なたに置いて乾かし気味に育てます。

優雅な歌合戦を思い出しました


サラリーマン川柳が面白い。

当意即妙、日本人の感性は素晴らしい。

 

それで思い出したのですが、和歌での歌合戦。

前九年の役の時、源義家の活躍は目覚ましかった。この時期における辺境の砦は「柵」と呼ばれたが、義家は次々と破り続けていました。。

そのころ「衣川柵」(岩手県・平泉町附近)も攻め落しました。その衣川の陣に安倍貞任はいました。

敗走する貞任を、義家が馬をあおって追いながら  「衣のたて(館)はほころびにけり」 と、歌の下の句を貞任に投げかけたところ、貞任はにっこり打ち笑って振り返り、「年を経し糸の乱れの苦しさに」と上の句をすかさず返したのだという。

義家は感動した。無知で卑しいとされていた辺境の武人が、都の人以上に「雅心」をもっていたとは・・・

義家は、それでこの追跡をやめたといいます。

 

子供の頃父からの寝物語に聞いた、いわゆる「名場面」は、義家と貞任の歌問答として知られるが、今の時代そんなことを知っている人は少ない。

命のやりとりをしている合戦のさなかにあって、この優雅さ。心打たれたのを記憶している。

2013年2月21日木曜日

呼吸を意識する


普段の生活の中でも呼吸が浅くなっていて、深く息をしなくなっているのは、大気汚染のせいばかりではないようです。

殊に、怒った時やあがった時などのように興奮状態の時は、呼吸が速くて浅くなっていることに気づくかと思います。

平常時の呼吸も、肺にしっかりと酸素が行き届いてないことが多いので、時には意識して深く呼吸することをお勧めします。

 空気中の酸素を吸って二酸化炭素を吐きだすということは、誰もが教わらなくてもしている自然の行為ですが、息をするということの順番はどちらが先なのでしょう?

呼吸の「呼」は吐き出すことであり、「吸」は文字通り吸うことであるから、

言葉の成り立ちの中に、先人の知恵が含まれているのかも知れません。

呼吸法と言いうと、インドのヨガの呼吸法や中国気功の呼吸法などが有名ですが、本来自然に行っている「鼻から吸って鼻から吐く」ということを、なるべく深くするのが一番良いのではないかと思います。

そのときに宇宙の良いエネルギーを吸い込み、体中の悪いものを吐き出すということをイメージしながらするとなお良いと思います。

 山や海に行った時はことにです。

ヨガ


ヨガというと、「ヨガ体操」のことばかりになってしまいますが、ヨガは「瞑想」「呼吸法」「ヨガ体操」の3つから構成されていて、瞑想というのがヨガの中の3本柱の一つとして重要なのだという。

瞑想は、座禅を組むことなども含め、世界中に古くからあるということでも、その効果のほどが伺われます。

ただ、瞑想状態になれるのは、個人差もありますが、なかなか難しい。雑念ばかりが起こって、「無心」状態に入ることができるようになるには時間がかかるし、やりかたもこれでいいのかと迷うから、指導者に習ったほうがいいかも知れません。
慣れれば、座るとすぐに瞑想状態に入れるようになるといいます。

ただし、瞑想に入ってしまうと違う世界に行ったみたいであまりに心地よくて、
現実社会に戻りたくなくなってしまったり、誤って魔の世界に入り込んでしまうこともあるというから、霊感体質の方は注意が必要です。
安易には、取り組めないことかも知れません。

2013年2月20日水曜日

福寿草


名前が縁起がよいというので、お正月の飾りの鉢植えとされているのを目にすることが多いと思いますが、それらは温室育ちのものです。

実際には、3月4月頃が花の盛りとなります。

 

花は日に当たると開き、夜間や曇りの日は開きません。よく日の当たる場所で育てるようにします。

室内に置いている場合、日の射し込まない場所だと、きれいに花が開きませんので開花期には窓辺など日のよく当たる場所に移動させます。
花後からは、明るい日陰で育てます。
 梅雨時期になると地上部が枯れますが、それ以降は日陰で育てます。
 庭に植える場合は、夏は日陰になる落葉樹の下などが適しています。
 フクジュソウは開花時期のこぢんまりとした地上部を見ると小型の植物のように誤解してしまいますが、根は非常に長くて太いのが特徴です。
フクジュソウの根は水を吸う力が弱くて乾燥を嫌います。割合広い場所が必要です。
土の表面が乾いてきたらたっぷりと水を与え、生育期はもちろん地上部の枯れた休眠期であっても土の湿りけが必要です。

こんな願望


・安定した収入を得ながら、家族(恋人)との時間を増やしたい。
・いろんな所を自由に余裕をもって旅行したい。
・欲しいものは欲しいときに手に入れたい。
・人から感謝されながら、お金を稼ぎ続けたい。
・自分が本当にやりたい仕事だけをしたい。
・自分が好きな人とだけ交流していきたい。

時間の自由、場所の自由、お金の自由、仕事の自由、人間関係の自由
おおまかに詰めてみれば、こんな5つの自由を手に入れることが大抵の人の望みではないだろうか。

その先に何をやるのかということがないと、望みは叶わないらしい。

憲法を守るのは誰なのかというと


改憲論の話ではありません。

 家内が、朝のラジオ番組のファンで、よく聞いています。

 もう古い話になりますが、その番組でメインキャスターが、聞き違いかもしれないが、「憲法第99条の条文によれば、国民は憲法を守らなくてよい」というようなことを言っていたのだけれど、どうなんだろうと家内から尋ねられました。

 

 余計なことかも知れませんが、老爺心までに・・・ということで番組にメールをしましたが、返事は返ってきませんでしたし、番組での補完説明もありませんでした。もう、過去の話です。

 

憲法の適用対象(名宛人=守らねばならない人)

 憲法の下位法である法律や条令などのいわゆる法令は、民法や刑法を読めば解る通り、国民の行為を規律するものであって、国民を適用の対象(名宛人)として定められています。

 

 翻って憲法はどうなのかというと、国民から国家にむけてその適用対象(名宛人)がなっている法です。

ですから憲法を守らねばならないのは国及び行政ということなので、第99条の条文に国民が書かれないことになります。

守らなければならないのは誰なのか、ということを混同すると、わけがわからないことになりかねないが、意外に多くの人がこれを知りません。

少なくとも公共の電波を扱う人は、理解できないことで軽々しくものを言ってはならないでしょう。

 

 憲法に書いてあるからということで解決するなら、刑法に書いてあるから泥棒も詐欺も起こらない、などとということ同様、論外といえましょう。

 憲法に、大地震も津波も来てはならない、と書いたところで仕方が無いということと同じで、守り果たさねばならないことは、現実にあわせて生きたものであることが求められます。

 憲法の改正は、どこをどのようにするのかが大事なことになると思います。

 

 国民の生命財産を守ることのできる国とは、いかなるものなのでしょう。

2013年2月19日火曜日

今日だけは、今だけは



仏語。むさぼりと怒りと無知。貪欲と瞋恚(しんい)と愚痴。三毒。

 

仏教での大事な三つの要素は、「ねたまない、怒らない、愚痴らない」事なのだだそうですが、誰もがこの3つ「ねたむ、怒る、愚痴る」は結構やってしまっている。

しかし、良い人生を送りたいのであれば、幸運をひきつけたいのであれば、まず、努めて自分を良いエネルギーで満たさないとならない。
 
そうは言っても、「ねたみ、怒り、愚痴」がでてきてしまうから難しい。

だから、「ねたみ」の気持ちが出た場合には、人を嫉妬しなくても自分には能力があると信じきることで躱す。

「怒り」の場合には、「皆それぞれ考え方が違うんだからしょうがない」などと、思うようにして、一呼吸おく。

「愚痴」の場合は、心を許せる人の前だけにするが、相手に与えるマイナスエネルギーが巨大だから、迷惑をかけているんだという認識が必要だし、それを詫びることも必要になります。

今日だけは、今だけは、そう思わないようにしようとするだけで、気持ちはずっと楽になります。

悪いもので満たされていると、良いものが入ってこない。