2013年4月30日火曜日

板を削ってお盆を作ってみました


家内が趣味でケーキをよく焼きます。

焼き上がりを乗せたり、切ったりするのには、お盆が有った方がよいのではと思い立ち、20センチ×30センチほどの板があったので、作り始めました。

道具が揃っているわけではなく、手許にあった丸鑿1本で彫りすすめ、サンドペーパーで凹凸を均したのですが、なかなか商売人のようにはいきません。

適当なところで打ち切りにし、仕上げに柿渋を10枚くらい塗り重ねて終わりにしました。

初めて作ったにしてはまあまあだと、自画自賛しています。
 
 

テンナンショウのトウモロコシのような実


茎や葉がコンニャクによく似た形の植物であるテンナンショウは、山野でよく見かけるが、トウモロコシのようになる実は有毒なのだという。

 

テンナンショウ属は、被子植物単子葉類サトイモ科に属する植物。

2013年4月29日月曜日

ヨモギを摘んで草餅をつくりました


土手に自生しているヨモギを摘んできて、草餅を作りました。

餅つき機は、安価なものなら1万円くらいで買えますから、1台持っていると便利です。

ヨモギは茹でて刻み、もち米を炊いたものと合わせて搗くのですが、そこらの菓子屋で売られているものとは桁違いに香りも味も美味い草餅ができます。

 

当家では、お正月の鏡餅も、この餅つき機で搗いた餅をつかって自分で作って飾ります。

タケノコが美味しい季節


筍は、孟宗竹・真竹・破竹等々、次々に出てきてお煮しめや味噌汁にして食べると美味しい。




タケノコは、土からわずかに頭を出した位のところで堀上るのが柔らかくて美味しい。
掘ったらすぐに、時間を置かずたべるのがよいので、朝どりというのが好まれます。古くなると、エグミが出ます。

更紗満天星躑躅(サラサドウダンツツジ)


サラサドウダン(更紗満天星)

ドウダンツツジの仲間で、花の縦縞が更紗模様のようだというところから付いた名前のようです。

ドウダンは満天の星のように花がいっぱいつく。

 

サラサドウダンは、庭木や盆栽などによく植えられていて、56月頃つりがね形をした淡紅色の花が下向きに多数咲く。

 


普通に見られる白い花のドウダンツツジは、垣根などになっている所が多い。

 

2013年4月28日日曜日

ケーキが美味しく焼けた午後は


家内は、ケーキを焼くのが好きだから、何種類も自分で工夫したレシピを持っている。といっても、材料のグラム数は頭の中にあるらしく、作りたくなるとすぐ台所に行ってしまう。

 

今日は、シフォンケーキを焼いたからというので、午後のお茶は紅茶になりました。
 
 

ムシカリ(オオカメノキ)


ムシカリは、葉を虫が好むためについた名だという。

別名であるオオカメノキは、葉が亀の甲羅のようにも見えるため。


 
山地、標高およそ1200m以上に自然に生えています。
枝は横に長く張り長枝と短枝が組み合わさる形状で、各短枝の先に白い花を咲かせる。目にするのは、登山中の楽しみでもあります。

2013年4月27日土曜日

シャッポをぬぐ


 けふは、ひさびさに天気がよいから、わたくしも爽やかな風が渡る中、会社への道をひろっていたのですが、目の前をコ汚い腹をはみ出させたネーチャンが歩いてきたんで閉口しました。

 その格好をして似合うのは、全体の2割もいません。どうして清潔で小ざっぱりした服装をしないのだろうか。外見を整えた方が、他人からの好感度や信用が増すのに・・・

 

身の程を弁えるというのは、誰にとっても難しいが、人真似だけでない何か自分本来のものを持つようにしないとね。

底が浅くちゃ入ってくるものも少ないということになるんです。

 

猫も杓子もってのがどうしてなのかがわからない。シャッポを脱ぐんで誰か教えて下さい。

 

シャッポついで。

ヤマボウシが山裾に白い花を乗せて、目にも鮮やかに見られる季節はもうすぐです。

ヤマボウシは、ミズキの仲間です。

 




ミズキ科の落葉高木で高さ10メートルにも達する。

花は6~7月に開き、淡黄色で小さく、白色の片が4枚ある。同属のミズキより進化した植物と考えられている。果実は球形で赤く熟し、食べられます。

山地に普通に生え、ヤマボウシの名は、頭状花序を僧兵の頭に見立てたとき、白い総包片が頭巾(ずきん)に見えるからだといいます。

果実は、食べられます。

ミズキが花盛り


 高木が白く覆われたように咲くから、かなり遠くからでも目立つ。

 ハナミズキやその仲間のヤマボウシのように、一つ一つの花が大きくはありませんが、小さな花が集まった状態で大きく見えます。今が盛りです。

 


 ミズキは日本各地に分布する落葉高木です。

ミズキの名前は、樹液が多く、早春に木を切ると水が滴り落ちるからであるという。そのような性質であることからもわかるように燃えにくいので、昔の屋敷では防火のための庭木として植えたようですが、最近はそんな家は見かけなくなりました。
 よく似てはいるが、少し違うクマノミズキというのもあります。

2013年4月25日木曜日

いざこと問わん


ぎょうへい橋?

そうアナウンスされて、業平橋(なりひらばし)だと理解するのに一呼吸いりました。

在原ぎょうへい、なんては読まないであろうに・・・

天下のNHKアナウンサーだって、知らないか間違えることはあります。

武蔵の国と下総の国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし川のほとりに下りゐて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかな、と思ひわびてながめをるに、渡守、「はや舟にのれ、日くれぬ」と言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、渡守に、「これは何鳥ぞ」と問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひけるを聞きてよめる

名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと  (在原業平)

2013年4月24日水曜日

ことば


 たいして信心深いわけではないけれど、そうかといって粗末にするなんてことも決してなくて、神社であれ仏閣であれ教会であれ社、祠、石像に会えば、恐れ畏まって拍手をうったり手をあわせたり礼拝したり恭しく頭をたれたりするのが常です。

 手水の作法は、村の鎮守、麻積神社の氏子総代にそのむかし教わった。自然に躾られたといえる。

 寺院などでは仏像なども拝観するけれど、名前が書いてないと、それがなに如来なんだか何菩薩なんだかわからない。仏師はどのように彫りわけ内面まで浮かび上がらせたのだろうか。

 仏像の形は経典で決められていて、そのフォーマットともいうべきものを「儀軌(ぎき)」というのだそうです。

 この儀軌に則って仏像の大枠がつくられ、表情・印相・持ち物・衣などによって仏の個性は表現され、時代を超えて共通項をもつのだという。これらのことは作る側にも見る側にも共通の認識というか素養があったのだと思われるが、私にないのは残念なこと。

 同じく西洋では、ゼウスだアポロだガイアだダビデだと像を見ただけで、わかる人にはわかるってことだと思う。

 神話なり民話なりが語りつがれて内面に残り、精神面を支えているのに違いない。

 音の世界でもそれはあって、たとえば鐘のネを表す音があって、「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る」なんてのもそれで組み立てられていると、昨年末初めて目の前で弾いて聞かされた。

 言葉は、乱すことなく使うことが大切なのは、共通認識の根幹をなすものとしてのことだと思うけれど、ほかの表現方法もたくさんあるのかも・・・

 

 TVでやっていたけど「黙って抱きしめてあげてください。」なんて・・・。

2013年4月23日火曜日

涙なくして読めなかった記事


メールを整理していたら、友人から送られてきた記事を別枠にファイルしていた文書が出てきました。
あの時のことを思い出します。

 

 友人が、仙台の知人に安否の確認メールをしたところ、謝辞とともに添付されてきたという内容が余りに感動的であったので、そのまま転載させて頂きます。

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ちょっと長くなるんですが、今朝、ネットのニュース読んでウルウルした記事を転送いたします。

「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ/定年前に自ら志願

2011316 0455分】
 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。
 地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。

 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。
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 思わず、小さいころにテレビにかじりついて観ていた「宇宙戦艦ヤマト」の2番の歌詞が脳裏を駆け巡りました。
 ところで
 歌はすっごい覚えていて今も歌えるんですが
 ストーリーが全然思い出せなくて、ネットで調べたら
 まさしく、放射線で汚染された地球を救うために、イスカンダルに放射能除去装置を 受け取りにいく
 という話だったことを知り、びっくりしました。

 ちなみに、2番はこんな歌詞です↓

 さらば地球よ 愛する人よ
 宇宙戦艦ヤマト
 地球を救う 使命を帯びて
 戦う男 もえるロマン
 誰かがこれを やらねばならぬ
 期待の人が 俺たちならば
 銀河をはなれ イスカンダルへ
 はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

 ではでは・・・

エビネと言う名の和蘭


エビネは、日本の各地に少数にはなりましたが自生している蘭の仲間で、その上品で優雅な花が、人々の心をとらえていて、庭や鉢植えにして育てている人が多い。

(花の上に見える葉は、ツツジです。)
 

エビネという名は、この形をエビに見立てたことに由来するのだとか。

直径2-3ミリの根を多数生じ、秋には翌年の新芽を出して、冬までに少し生長してから越冬する。

花は春咲きで、高さ30-40cmの花茎を伸ばし、花序の半分ほど上に多数の花をつけます。花期は4-5月頃です。
花型や花色の変化が大きいことが特徴です。
昔は、自然のものが、ほとんどでしたが、近年は人工交配が盛んになり、自然界では見られないような花もあります。

2013年4月22日月曜日

ブルーベリーの花


今年も沢山の花が咲きました。

夏、紫色の実が沢山なるのが、今から楽しみです。

 


暑い盛りに、蚊に刺されながら、大汗をかき掻き実を摘み取り、ジャムを作る熱さも、楽しい作業です。

何が楽しいかというと、出来上がった添加物なしのジャムを友人知人に贈ると、皆が皆喜んでくれるからです。

そんなわけで、沢山つくっても自分たちの口に入る分としては殆ど残らないのですが、時季である1ヵ月ほどの間は、毎日陽射しの中に出ます。

風流なフウチソウ


鉢植えにしたフウチソが、今年も葉を伸ばし始めました。
 
 

フウチソウは、日本特産の多年草です。

学名である「ハコネクロア」とは「箱根産の」という意味で、箱根近辺に多く見られることに由来します。

風知草の名の如く、細い葉が風にさらさらとなびく姿は非常に美しく、風情があります。

普通はあまり気付きませんが表に見せている部分が本来は葉裏に当たります。そこから「ウラハグサ(裏葉草)」の別名があります。

イネ科の植物らしく、小さなススキ様の地味な花を咲かせ、実もなります。

マロニエの若葉が


マロニエの若葉が開きました。硬い蕾の時期が長かったのですが、それが緩むとそれからは早く、1週間ほどで葉を開きました。

 


種を一粒、鉢に播いたところ芽を出して2年。50センチほどの高さに育ったところです。

毎日眺めて楽しんでいます。

 

マロニエは、トチノキ科の落葉高木。

バルカン半島原産であるといわれるが、現在は世界中で植栽されています。高さは約25メートルにも及びますから、そろそろ芯を止めて、高さの調整をしなくてはと思っています。

日本のトチノキに似ているが、果実の表面に刺(とげ)があるので区別され、セイヨウトチノキともよばれます。
葉は大形の掌状葉で対生する。5月ころ、枝先に円錐(えんすい)花序をつけ、トチノキより大形で白地に赤みを帯びた花を多数開く。花を観賞する街路樹としてよく用いられる。

2013年4月21日日曜日

高い山でご飯を炊く


水は、100度Cで沸騰してお湯になるということになっているのを知らない人はいないが、気圧が1である場所ではということが前提条件です。

高山などで1気圧ないところでは、100度以下で沸騰してしまいます。

だから飯盒などでご飯を炊こうとすると、芯メシになってしまいます。

山で食べれば、それはそれで旨いけれど、蓋の上に石などを置いて重しをかけて、中の圧力を上げる工夫をします。

 

紙の袋でお湯を沸かすことができるか?というのも、紙の発火点は100度C以上だから、当然可能ということになります。

スズランの花が咲きました


花芽を持って10日、スズランの花が咲きました。例年だと5月に入ってからだから、今年は少し早いようです。
 
 

スズランは、花が咲いていない時の葉っぱが、ギョウジャニンニクとよく似ています。

食用になるギョウジャニンニクと違い、スズランは猛毒です。

これから山菜狩りのシーズンになりますが、間違って採取しないようにお気を付け下さい。

見分け方として簡単なのは、行者ニンニクは葉っぱを揉むとニンニクの香りがします。

スズランにはそれがありませんので、すぐ判ります。

殆ど見られなくなった円形の郵便ポストが


昔懐かしい円形の郵便ポストは、殆ど見かけることがなくなってしまいました。

投函された郵便物を回収するのには、現在のような角形の方が便利なのだといいます。

日本全国でも残り僅かだと聞く円形のポストが、西駒ケ岳登山の拠点となる駒ケ根市の早太郎温泉郷にありました。
「高原の風のポスト」と名付けられていました。
 
 

2013年4月20日土曜日

黄色い花のカタクリ


カタクリの花といえば、薄紫色だと思っていました。

時に白いのを見たことがあるようにも記憶しますが、高校時代の友人が黄色い花のカタクリの写真を撮りました。

黄色いニセジャスミン


道路脇のツツジの垣根の間から、黄色いニセジャスミンの花が顔を出していました。
 
 

しばらくすると、白いニセジャスミンが満開になりそうです。

小さく可憐で綺麗な花なのに、ニセという名前は可哀そうに思えます。

 

花には、ニセジャスミン、ニセアカシア、或いは~モドキというものが数々ありますが・・・

気づきのきっかけ 3


 幹事会の後、先輩が「酔い覚ましに歌を歌っていこう。」と言って、馴染みだというカラオケスナックに連れていってくれました。

 席に着くと「アイコです。水割りでいいですか?」と聞いてきたので、すでにシコタマ飲んでいることだし「水の水割りね。」と頼んだ。

 で、彼女が言うことには「アイはアイでも相のアイなんです。」であったから、「そうか、じゃんけんぽんあいこでしょう、のアイなの。」と聞くと、「そうなんです。余り好きな名前じゃないんです。母が、相模原で生まれたから相子ってつけたって言うんです。ひどいと思いません?」と答えた。

 「何を言ってるの。相子っていい名前じゃないの。お母さんに感謝しなさい。相思相愛の相子ってことでしょう。」というと、

 「わーホントだ。いい名前だったんだ。」と大喜びした。

 

 名前は親が付けたものと誰もが思っているが、そもそもは生まれてくる前に自分がつけたものだということを本人は忘れてしまっている。

 転生して今生に来るのはタマシイの学びの為であるから、名前は音の波動か意味の波動か、自分の目的の為にあったものをつけて出てくるものなのであると言われる。

 だから、それに気づくまでは、嫌なことであっても何度でもやらされる。

 そんな話をして、「そろそろお彼岸だから、亡くなったというお母さんの墓参りに行きなさいよ。」というと、「必ず行きます。」と応えた。

 帰りまでには「師匠、師匠」と、取りもしてないのに押しかけ弟子になっていた。

2013年4月19日金曜日

現存する江戸時代の堤防


長野県飯田市の「座光寺の石川除(いしかわよけ)」が、飯田市文化財に指定されました。
 
 

石川除は、天保2年(1831)に暴れ川で有名な天竜川と支流の南大島川との合流点に、地元住民の手で築かれた川除(堤防)です。

花崗岩を2段に積んだ構造で、確認されている部分は高さ3メートル余、全長約215メートルに及び、水門や水見台などもあります。

江戸時代の堤防は修復などで改変されたものが多いなか、石川除は当時の姿と特徴をよく残す貴重な文化遺産です。

消える筈のものを掴み直してはならない


さまざまな体験によって自分を成長させたい人で、「困難だと思えるような修行が大好きな向上心の強い挑戦者」であれば別ですが、大抵の人は次々に起こる問題に対し、「どうして自分にはこんなことばっかり起こるのだろう。」と嘆くことの方が普通です。

それらを解決したり乗り越えたりする前に、諦めたり打ち負けてしまう人のほうが圧倒的に多い。

 

現象として現れれば、それで消えていくものなのだというのが真理らしいのですが、なかなかそうは思えなくて、折角消せるチャンスなのに、それを嫌なこととしてまた掴み直してしまう。

すなわち業としてしまう。消せないから業になるということです。

「現れたのだから、これで消えていくんだ。」と軽く放念すれば楽になるというのにです。


いくら辛いことが起きても、どんなにひどい状況になっても、それは自分が今生で消すために、自分で体験したい人生を選んできているということがわかれば、乗り越えられないことは何もないということがわかります。

神様は、乗り越えられないような試練は決してお与えにならない。

「大丈夫、大丈夫。」と、自分自身を励ますことです。

そして、それらを乗り越えれば、さらに人間としての厚みが増し、より強く、よりたくましく、人の気持ちがわかる優しい人間になれるのです。

人生に起こることはすべて意味があるといいますが、すべて乗り越えられるから起こるのです。
それでなくては、生まれてきた甲斐がない。「大丈夫」なのです。

2013年4月18日木曜日

幸せへの一歩に


この秋は 雨か嵐かしらねども 今日のつとめに 田の草をとる

(今日のつとめに田草とるなり)・・・二宮尊徳

まだ春なのに、秋のことを思うのは早いかも知れないが、実りというのは春に種を播かなくては得られない。

 

これからも、可能な限り毎日、ブログの更新をしていこうとおもっています。

気づきというのは日々あり、それを素直にこなしていくのが、この世に生れ出た大きな目的である魂の磨きだと思うからです。

 

ひとは、この世に幸せになるために生まれてくる。

魂を磨くということは、そういうことなのだと思うので、私が感じたことをもっと上手に感じ取って役立ててくれる人がいたら、とても嬉しいことになります。

2013年4月17日水曜日

大音量で傷つくアストラル体


人間の人生も旅と同じようなものだと考えたとき、この世の中に生まれ出るとき「今生はこのような人生を送るためにこの地上に誕生する」という、その人なりの志を必ず持ってこの地上に生まれてくるのが真理らしいのであるが、いざ生まれてみると、「何をするために・・・」などという目的は全く忘れてしまっているのが普通です。

人生をどのように生きるのか、意志がはっきりしている人はアストラル体(精神体)がしっかりとしているのだという。

 

人間には、肉体の外を囲う「アストラル体」という微弱な電子エネルギーが備わっていて、精神活動を司っているらしい。

この精神体の領域にまでなると、それは体というイメージからは離れているように思えるが、人間を構成している大事な要素であることは間違いない。

 

このアストラル体は、微弱なエネルギーであるから、大音量の雑音によりいとも簡単に毀損される。

ある意味、肉体自体が損傷されるより影響力が大きいといわれるから、大音量のものは避けたほうがよい。

本物から学ぶ


大きな成功を考える時には、必ず"本物"から学ぶようにしなくてはならないと言います。

何が本物かということは難しいですが、少なくとも自分で本物だと信じられるものであることが必要です。
そうしないと「ああ、気になっていた通り矢張り駄目か。」ということになって、軸が簡単にブレてしまい、小手先だけの手直しだけではどうしようもなく行き詰まってしまうということは、誰もが経験した通りです。
本物は、どこにも緩みがない。

世の中には多くのノウハウがありますが、ノウハウはノウハウ。自分が考えたものではなければ、諦めることを簡単にしてしまいます。

すなわち、他人の所為にしてしまうということです。


本物から学び、自分が"本質"さえ体得すれば、確実な結果に結び付けることが可能となることは、容易に想像できることではあります。

2013年4月16日火曜日

馬酔木(アセビ)の花が咲いていました


アセビ、ツツジ科アセビ属の馬酔木の花言葉は、清純な愛・献身。

日本語名は馬が食すと酔ったように苦しむことに由来します。茎葉に有毒物質のアセボトキシンが含まれていて、人間が誤って口にすると腹痛、嘔吐などの症状を起こすことがあります。

山野にあっても草食動物が口にすることはなく、春にスズランのような甘い香りのする白い花を楽しむことができます。




本来は白い花を咲かせますが、変種のアケボノアセビは淡紅色の花を咲かせます。有毒部分の茎葉は細かく刻み、水で薄めることで殺虫剤などとして利用されるともいいます。

1200年前の役所遺跡群


長野県飯田市座光寺に、恒川清水(ごんがしみず)という清水の出るところがあります。

前方後円墳である高丘古墳の歩いてすぐ近くにあります。

 

この地に恒川遺跡群があります。

奈良・平安朝の役所であった伊那郡衙(いなぐんが)で、1982年からの発掘調査で、その姿がだんだん明らかになってきています。

郡衙は、政治の中心であるとともに、都の最先端の文化が真っ先に入ってくる所でもありました。

近くには、善光寺の元になる元善光寺があり、村の名前である座光寺の由来となった寂光寺も作られました。

古墳群が多いことでもわかる通り、豪族たちがなった郡司という役人を先頭に、東国の表玄関になこの地は、交通の要衝としての役目も果たした。

 

発掘により、税である稲などを納めた倉庫(正倉)や、役人や行き来する使者が泊まった建物(館)跡などが沢山見つかっているほか、県宝である「和同開珎銀銭」も出ている。

2013年4月15日月曜日

額とは、どこまでを指すか


年をとってくると頭髪が薄くなり、段々禿げ上がってきます。

 

禿のひとが強がって、そこは禿げているんじゃなくて額だなどと冗談をいいますが、どこまでが額でどこからが頭なのかということです。

解剖学的に言うと、頭は眉から上のことをさすようです。

つまり、われわれが「おでこ」と呼んでいるところも頭ということになるわけです。

 薄毛や禿が気になったら、勇気を出してカツラを使うようにすればよい。

 気になって、引っ込み思案になってしまったり、心を痛めたりしているよりずっと健康的だと思うのですが・・・

 

因みに、私はお陰様で頭髪はまだ沢山あるのですが白くなってきたので、染めています。気持ちが若々しく保てます。