2013年5月31日金曜日

柏葉アジサイの大きな花が咲きました


紫陽花の花の種類は多いが、私の知る限りにおいて、カシワバアジサイの花が一番大きい。

房状に咲くのだけれど、大きいものでは花の大きさが50センチ程にも及びます。

雨に濡れると、花の重さに耐えかねて、枝が撓みます。

 




この青色のアジサイの花も大きい。

花の直径が30センチ程にもなります。

 


機会があったら、アジサイのいろんな花の写真をアップしたいと思っています。

ヤマイモの葉が日差しを浴びて


ヤマイモの葉が、繁ってきました。


庭に落ちたムカゴが芽を出したものです。

秋になって葉が落ちる頃に根元を深く掘れば、勿論ヤマイモはできていますが、作物として育てているわけではありませんので、掘り上げたりはしません。

芋は掘りませんが、ムカゴはいっぱい付くので、これは秋にムカゴご飯にして美味しくいただいております。
 

ムカゴ(零余子)
葉の付け根にできる、多肉で球状の芽のこと。地上に落ちると根を出して、新しい個体となります。ヤマノイモでは茎、オニユリでは鱗片葉が変化してできる。

2013年5月30日木曜日

庭に来る雀と道端の雀


都会では、雀を見ることが少なくなりました。

それでも、庭に餌を撒いておくと、どこで見ているのかどうたって見つけるのか判りませんが、チュンチュン囀りながら結構たくさんな数が集まってきます。

餌が無いと、窓に体当たりして催促してきます。

 

ところでこの雀たちを不思議に思ってしまうことがあります。

一度だって危害を加えるようなことをしたことはなく、餌が無くなるころに次の餌を撒くということしかしていないのにも拘わらず、こちらが窓の内側で少し動いただけで慌てて飛び去ってしまいます。用心深過ぎて可愛げがありません。

 

道端で、こぼれている僅かな餌を啄んでいる雀たちだって、かなり近づいても逃げないというのに。

 

それで思うのですが、我々だって蔭から援助や庇護をしてくれる好意に対して、感謝どころか避けるような行いをしていないだろうか?

折角の親切を否定するようなことばかりしていたら、いずれは見放されることだってあるのだと気づくことも大事なのだと思う。

2013年5月29日水曜日

キツネツツジ


老人閑居して不善を為す。

なんてことではいけないからと、意を決して?赤城山の火起山・竈山を登って来ました。後30分も歩けば鍋割山まで行ける所から引き返したのだけれど、正解だったようです。

もう今日は足が大層いとうおじゃります。

赤城の山頂あたりの牧場には、キツネツツジが満開でした。

 
 

 

どこでわかるのか、牛もこの花は食べない。なんらかの毒性があるらしい。

ほかの種類のツツジは、子供の頃学校の行きかえりに道草として食べたものでしたが・・・

花にもいろいろある


ももももも すももももも もももいろいろある

(桃も桃 李も桃 桃も色々ある)

 

花は咲けども山吹の、実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき・・・

とは詠われているが、実際には実がなります。

 

花の価値って何なのだろう。美しさだけではないようです。

 

あっそうそう。

ももももも に似たのに、

にわにはには うらにわにはにはにはとりがいる というのがあります。

(庭には二羽 裏庭には二羽 には鳥がいる)

2013年5月28日火曜日

花筏(ハナイカダ)という名のついた木


 葉っぱの上に小さな花をつけることから、花を乗せた筏に模したシャレタ名前がついているハナイカダ。
 

 花が終わるとやがて、葉っぱの上に、黒い実を成らせる山ではよくみかける低潅木です。

 


 深くて大き目の鉢に植えて、ときどき剪定を施して大きくなりすぎないように育てていたハナイカダが、昨年末「もう帰りたい。」というので、鉢から出して地植えにしてやりました。

 

 普通ならこの時季、写真のような姿を見せている筈なのに、今年は芽を吹いてもいません。

 根と茎のままでこの一年を過すつもりなのか、本当に帰りたかったのか、どうなんだろうか?

 
 葉っぱに薄く衣をつけて、天麩羅にする風情を楽しむのは、スミレの花を天ぷらにして色を楽しんで食べるのと並ぶ季節の粋。

気づくということは


気づくということは、「在る」ということの形をかえた意味を知ること。

そんな馬鹿な、と一笑に付して見過ごしてしまっていることに意味があるとしたら、それによって失ってしまっている機会が有りうる。

気づきというのは、ちょっとした取るに足りないと思えることであったり、やってみるのに意味が見いだせないと思えることであることが多い。

多分神様?は、ちっちゃなことでも素直にやるかどうかを最初に試してみて、次の段階に進めていいかどうかを判断しているように思えてならない。

神様に信じて貰えれば、次からは飛躍的になる。

自分が知り得ている表層的な知識が全てだと思はないで、その奥に存在する大いなる意味に意識を向けてみることが大切なのではなかろうか。

2013年5月27日月曜日

運を良くしようと思ったら


何となくツキが無いなと思ったとき、一番最初にすると良いのが整理整頓と「掃除」です。
そんなとき、誰もが気づいていると思うのですが、なかなかお掃除をしてないことによる汚れが周りに溜まっていることが多い。

億劫がらずにやってみると、気分がすっきりします。
ほこりを取り払うことは、健康的であるばかりでなく、良いエネルギーを呼び寄せるようです。

ハウスダストアレルギーのある方は勿論ですが、疲れて抵抗力が落ちている時もも、ほこりを吸い込むことが健康に良いはずがありません。

風水においても、トイレを掃除することで金運が上がると言う話はよく聞くことであります。
成功している大会社の社長が、自ら率先して会社のトイレ掃除をするという話も本で目にしたり、時々耳にしたりします。

荒廃していた学校で、先生が生徒たちと一緒に学校のトイレ掃除をしたら非行がなくなったと言う話もあります。

また、ニューヨークの地下鉄では、落書きを消したら、それだけで犯罪が減った
と言う話もあります。

小さな汚れや、小さな破損個所を放置しておくと、大きな犯罪にエスカレートしていくことが心理学者によって言われてもいます。
外観が汚れていると、人の心も汚れ、すさんでしまうようなのです。

2013年5月26日日曜日

ピンク色の酢漿草(カタバミ)が咲いていました

前に、カタバミのことを書きましたが、今日はピンクの花が咲いているのを見ました。
草むらにありましたが、多分園芸種だと思います。

運の女神を呼び寄せる


「私はツイてる!運がいい!」と思い続けることで、仕事が大成功した人がいるのだと聞いたことがあります。

嫌なことがあっても、辛いことがあっても、悪いことがおきても、何が起きても、「ツイテル」と口に出して言い続け、思い続けたそうです。
思うだけでなく、やはり言葉に出して「言魂」を信じることが大切です。

仕事やお金だけでなくて、恋愛や結婚や人間関係など、人生のすべてのことにおいて、この法則は当て嵌まるようです。

努力することに加えて、「ツイてる!運がいい!」と思うことでチャンネルが合い、それがプラスの波動を引き寄せ、運命の女神を呼び寄せるのだそうです。

少しでも今より良くなると、「類は友を呼ぶ」の法則で次々と良いことが運ばれてきて、相乗効果が生まれてくるらしいのです。

2013年5月25日土曜日

揚羽蝶の幼虫


 フェンネルはアゲハチョウの幼虫に、見る影もないほど丸坊主にたべられて、芯のところがわずかに緑色を残すのみ、あとは枯れるのを待つばかりの状態まで追い込まれたのですが、植物の生きようとする力は、凄まじいものがあります。

 刈り取るに忍びないとして残しておいた、そのフェンネルの勇姿です。

 この茎をホワイトクリームシチューかなんかに入れて食べると、これがまた、滅法美味いのです。

なによりも、めげないで成長したそのエネルギーを有り難く頂戴して、それに肖る(あやかる)ことができたら嬉しいことであります。

 

 (アゲハチョウは、ミカンやカラタチなどの柑橘類とか山椒などの匂いの強い葉を好むのですが、外来の植物のフェンネルに卵を産み付けるようになって何年にもなります。)

 食べ尽くしたフェンネルの後の食料として次に選んだのがイタリアンパセリの葉っぱ。 

 これも食べ尽くすと、アシタバに移ります。生存し続けるのは厳しい。
 
フェンネルに
 
キンカンに
 
 

ホタルブクロの咲く頃


言いえて妙な名前だと感心します。親しまれている野草で山野、野原、道ばたなどで見かけます。冬は茎葉が枯れて根の状態で越す宿根草です。

地中を横に走る枝を出し、そこから茎を直立させて株が広がって増えます。

草丈は、大きいものでは80cm程になり、葉っぱは三角形に近いタマゴ型です。

開花期は初夏で、先端が開いた釣り鐘状の花を咲かせます。

多くの変種や園芸品種があります。
 
これは園芸種

 

 
これは山に咲いていたもの

 


名前の由来は、この花でホタルを包んだからだとか、提灯の古名「火垂る袋」が転じた名前だとか、諸説があります。

別名も多くて、トーローバナ、チョウチンバナ、チョウチン、フクロバナ、ツリガネソウなどとも呼ばれます。

2013年5月24日金曜日

鳥足菫(トリアシスミレ)


日本のスミレではなく、北米原産の形が面白いスミレです。
葉が鳥の足のような形をしていることから和名は「トリアシスミレ(鳥足菫)」と名付けられています。

英名では「bird-foot violet」と呼ばれますから、名前の由来は同じようなものです。
 

2013年5月23日木曜日

ハーブであるウイキョウ(フェンネル)


若い人には、フェンネルと言った方が解りやすいかも知れません。

地中海沿岸が原産地であるといわれる、草丈80cm2mになる多年草です。

茎葉やタネに芳香があって、ハーブやスパイスとして利用されます。

我が国には平安時代にすでに入ってきていて、江戸時代には薬用として栽培されていたと言われています。

完熟寸前の種を収穫して天日干ししたたものを茴香(ういきょう)と呼び、痰切りや胃の薬としました。さわやかな芳香は料理にも利用され、魚や肉料理の臭み消しやお菓子・お酒の香り付けに利用されます。

葉は細かく枝分かれして、糸のように細い。
 


 

夏に花茎を長く伸ばして、小さな黄色い花が傘を広げたように沢山咲きます。
 
 
フェンネルの葉は、黄揚羽蝶の好物らしく、ときに丸坊主になるほど食べつくします。
 
 

 

フェンネルの葉は、黄揚羽蝶の幼虫が好きで、幼虫が集ると丸坊主になるまで食べ尽くします。

2013年5月22日水曜日

蟻の穴


日中は沢山の蟻が忙しそうに出入りするのですが、早朝は静まり返って1匹も姿を見せません。

庭の中央あたりの50センチ四方位にできている蟻の穴です。
 
 

可哀そうだから、駆除薬などは撒かないで放置しているのですが、ベランダの壁に登ってくるから困るといえば困ることではあります。

 

田舎で育った子供の頃、誰が始めたのかわかりませんが、蟻のお尻を舐めるのがはやりました。
ギ酸をだすからか、酸っぱかった記憶がありますが、今だったらとてもできない遊びでした。

2013年5月21日火曜日

有難うございますと言えれば変わる


望まない不愉快なことというのは、誰にでも次々に起こります。

「何で自分にはこんな厭なことばかり起こるのだ。」と、周りの人に愚痴や不満を並べ立てて、他人にまで迷惑をかけているのに気付かない人が多い。

誰だって口に出さないだけで、それらの困難を乗り越えています。

 

前にも書いたと思いますが、「現れれば、それは消えて行く姿」なのですから、「嫌なことが表れて消えて行ってくれる。気づかせてくれて有難う。」と自分のところから手放すようにするのです。

掴み直せばそれはまた因縁となって、カルマとして何時までも解決されず残るものになってしまうのだといいます。

難しいことですが、起こったできごとに「有難う」と言ってみましょう。

2013年5月20日月曜日

プロというのは


20年以上止めていたタバコを、はたち過ぎたからいいか、ということでよせばいいのに又始めました。

で、近所のコンビニに買いにいくのですが、そこの店長は、領収証は要らないと毎回告げているにも拘わらず、相変わらず差し出してくる。

バイトらしき店員でさえ覚えていて、そんなことはしない。

マニュアルで決められているのかも知れないが、客の望みに合わせるというのだって、売り上げの為には必要だと思うのだけれど・・・

 

昨日、あるコンサートに出かけました。

ゲスト出演したどこかの楽団のコンマスをしていたという弾き手のバイオリンを聞いたが、余りに酷い演奏だったので拍手する気にもなれなかった。

そのバイオリニストは後で主催者に、突き指をしていたので次にはこんなことのないようにすると言い訳したそうだが、プロとして如何かと思ってしまいました。

身近に厳しく身を律してるピアニストを見ているだけに、心がけを比べ尚更でした。

ステージに上がったら、それでは通るまい。

 

グルベローバは、喉に悪影響を及ぼすような環境は避けると聞くし、プロ野球のピッチャーは利き腕で重いものは絶対持たないと聞く。

 

以前に書いたことのあるドイツ在住のオペラ歌手は、郷里北海道での公演時に寒さで喉をやられ、東京公演で歌ったとき少し声が掠れたのを恥じて、翌年わざわざドイツから再来日し、そのときの来客全員を無料招待して雪いだ。今もつきあいがある。

2013年5月19日日曜日

仕事の仕上げにひと手間かける


ひと手間かける

 息子のプラハでの知人に、これはもう半端ではない日本通がいます。

彼は刀の鍔の蒐集でも日本人ですら驚いてしまうほどの域に達していて、本を出版しているほどです。

その彼に、息子が気に入っていた和食器をプレゼントしたところ大層喜んで、手に包みこんで矯めつ眇めつしばらく見入ったあと、糸尻にある銘のところに微かに色が挿してあるのに気付いて、「これはどうしてなのか?」と尋ねたのだそうです。

 

こういうのを、日本人は「ひと手間かける」っていうんだよね。と答えると、「ひと手間って何か?」と更に聞かれたという。

 

日本人は、工芸品でも料理でも、作るときに何もそこまでやらなくてもいいだろうという仕上げの部分に拘りを持つ。「あなたが知っているオタクという言葉の良い意味での突き詰め方といえば解りやすいかも・・・。さりげないところに趣を込める。」

 
彼は、今後の講演などで「ひと手間かける」という日本の文化を広めたいと、嬉しそうに帰っていったのだとか。

チロルの山にて


 インスブルックからバスを使ってノイシュテフトに入りました。

 ホテルの部屋のベランダから、遠くに槍ヶ岳に似た山を従えた大氷河が望見される。

「そうだ、手始めにあそこに登ろう。」というので、翌朝早くに出発しました。

 

ムッターベルクのトップ3210メートルからの眺めは、岩山の規模と迫力は凄まじい。空気も薄い。

大雪渓を踏んで南斜面に出ると、そこは高山植物の咲き乱れる別天地でした。

岩に腰を下ろしてふと足元を見ると、慣れ親しんだ登山靴の底と甲のつなぎ目に剥がれたところがある。

このままでは明日からの登山に支障がでかねないので、下山するや早々に靴を買い換えた。

 昔、ザルツブルグで購入して長くお世話になった靴ではあるが、やむをえない。

 店員さんは、商品知識も豊富で、親切に選ぶのを手伝ってくれた。

2013年5月18日土曜日

運の神様の持つ特性


運を味方につけるには、考え方をちょっと変えなければならないようです。

 

ライバルと競争しているときなどがそうなのです。

前にも同様のことを書いたように思いますが、大事なことなので・・・

例えば、ゴルフなどで相手がパットするとき、「はずせ!」と思うか「入れ!」と思うか、どちらが良いかということです。

 

運命の神様でもある自分の潜在意識も、自分と他人の区別がつかないのだといいます。

他人に良いことを願うことは、自分によいことを願うことと一緒なのだとか。

「情けは他人の為ならず」と、昔の人は経験から言っていたようです。

情けは他人の為にならないということではなく、情けは他人じゃなくて自分の為になるということです。

 

逆は「他人を呪わば穴二つ」です。自分に返ってきてしまうということでしょうか。

 

どうしても自分が先に、というのが人情ですが、自分が良くなったら、自分だけではなく他人にもお裾分けをするのだと考えればよいのだと思います。

 

トリカブト注意


トリカブトは、キンポウゲ科の多年草で、山野に自然に生えており、名前の通り、鳥の兜のような形をした青や紫の美しい花を咲かせます。

致死性の猛毒を持つことで知られていて、他の野草と間違えて食べた人が、ときおり中毒を起こして死ぬ事故があるようです。

 

トリカブトは、大まかに二つの種類へ分かれます。山に自生するヤマトリカブトと、花の美しさから園芸用に使われるハナトリカブトです。
中毒を起こすのはほとんどがヤマトリカブトです。

無毒で、同じキンポウゲ科の食べられるニリンソウによく似ているため、間違えて食べる人が多いのだそうです。

 

ニリンソウ


 

トリカブト

 


トリカブトは、ヨーロッパ(チロル)の山でもよく見かけました。
 
 

2013年5月17日金曜日

カルミアの花が咲いていました


 ツツジ科のこの花は、別名をアメリカシャクナゲという。西洋シャクナゲとは違います。

 
 

 

 石神井の造園業を営む家の庭先に咲いていました。この庭には、大震災のときに倒れてしまった大きな石灯籠が、今もそのままになっている。

 

 面して走る千川通りの両側は、ニセジャスミンの植え込みが続いていて、白い花を咲かせています。歩くだけで、ジャスミンのむせ返るような香りが押し寄せてきます。

儒者の実の花(エゴノキの花)


 儒者の実といって、これをお手玉の中に縫いこむのだと、幼い頃母に教えられました。

本当に手玉の中にはいっているのかどうかを確かめたことはありません。

 

 ジュシャノミというのもちゃんと誰もが知っている名前があるのだけれど、それをどうしても思い出せない。

こういうことがあるから、どっか欠陥が詰まっちまってるんじゃないかと心配になるのであります。

 

 お手玉の中には小豆を縫いこんで、いざと言う時の非常食にしたと聞いたことがあるが、俄かには信じがたい。

 

 お手玉は、“おしなご”とも呼び、妹なんぞはそれでよく遊んでいたように思います。

 

 いしなごの 玉の落ちくるほどなさに 過ぐる月日は かはりやはする (西行法師)

 

 この「いしなご」というのが、おしなごとなったのだとも聞きます。

 

 しばらくすると、ジュシャノ実というんはエゴノキの実なのだと思い出す。

 エゴノキの白い花が咲いていました。
 
 

2013年5月16日木曜日

気づき(なにかをやりながら)


 なにかをやりながら別のことをやる、ということがあります。

 効率的であり、能力があることの証明のような捉え方もできますし、時間が限られていて忙しい現代ではやむをえないことかも知れません。

 でも注意力が散漫になってしまうなら、求められていることに深さが必要なときは、望ましくないかも知れません。

 

 食事をしていてわかったのですが、泣きながらとか怒りながらとかであれば、ものを食べるということはできます。

 しかし、笑いながらということになると、それはできません。

笑うということは、それだけに集中するようになっているのかも知れません。

2013年5月15日水曜日

気持ちの良い郵便局


 上井草駅近くにある郵便局の窓口係りは、いつもニコヤカで、いつ行っても対応が親切丁寧で快い。自然に幸せな気持ちにさせてくれるのです。

一人だけ良いというのではなくて、粒が揃っているというか全員がそうなのです。

 住んでいる区が違うのですが、住まいから殆ど同じ距離にある居住区を管轄する郵便局と比べ、余りに気持ち良さが違うので、線路を越えてでもそこにいくことにしています。

 いい仕事をするのはお互いが幸せを感じられることでもあります。