2013年7月31日水曜日

サルスベリは百日白と書いてもよさそう


夏の陽射しの中に、これほど似合う花は少ないように思います。

さるすべり ラジオのほかに 声も無し

夏の昼下がりの気怠い光景が浮かんでくるような句で、私は好きです。

中学校の国語の時間に学んで半世紀、忘れないでいます。

 

百日紅。中国が原産だという夏を代表する花木の一つで、冬は落葉して幹と枝だけになります。日本にやってきた時代は不明ですが、大和本草(1708)に載っているということですから、かなり昔だと考えられます。

春に伸びた枝の先端に夏から秋にかけて花を咲かせますが、花色は白、ピンク、紅、紅紫などの種類があります。

花後に球形や楕円形の果実をつけ、熟すとはじけてタネが散ります。

樹皮は、滑らかな褐色で所々はがれて白い肌があらわれ、縞模様になりますが、樹皮のはがれた部分がつるつるしているところから、「猿も滑って落ちる→猿滑り」というのが、名前の由来とされています。
「百日紅」という漢字が当てられている通り、とにかく開花期間が長い。

白い花のサルスベリ


紅い花のサルスベリ

2013年7月30日火曜日

顰に倣う


美人というのは、どんな格好をしていても美しい。きちんとした服装をすれば尚更です。

体を整え、肌も美しく保ち、衣類の色やデザインにも配慮しているから、たとえ一見ラフな装いをしても、中から滲み出るものがカバーしきってしまうからだと思います。

 

普通の人ではそうはいきません。身綺麗にする努力を蔑にして、わざわざ小汚い格好をすれば顰蹙を買いかねません。

人は、外見で判断されていることに気づく必要があります。

 

憧れのあまり、無暗に真似をするのは考え物です。顰に倣うには下地がいります。

顰みに倣う(習うは間違い)とは、善し悪しを考えず、むやみに人の真似をすることの喩えがそもそもの意味です。(優れた人の言動を見習うことを謙遜して言うときにも使われますけれど・・・)

 

春秋時代、越に西施という絶世の美女がいました。美人ではあるけれど胸を病んでいて、苦痛で顔をしかめているのがなお美しさを増していました。

眉をしかめるのが美しいのだと思った醜女が、それを真似てみたが、より一層醜さを増しただけで、それを見た人が避けるようになった。
醜女は、西施が眉をひそめていてもなぜ美しく見えるのかということには思いが及ばなかったという故事に基づく諺です。
「顰み」とは、眉間にしわを寄せること。

2013年7月29日月曜日

しんしゅ信濃の新そばよりも


 赤花蕎麦というのがあります。これも古代米のように赤い実をつけるのだとしたら、赤飯ならぬ赤蕎麦なんてことになって大層目出度いんだけど、そうでもないみたいです。

 


 ソバを見ると思い出すのが、中学のときの理科の先生。

担任ではなかったけれど、移動教室というので教わった。私は、授業中の叱られ頭でもありました。

 この先生がその授業中に教えてくれたのが、"しんしゅしなのの しんそばよりも あたしゃあんたの そばがいい" だとか、あたしゃあんたに ほうれんそう" だとか、そのほか他聞を憚るようなこと多数。

私は、けっこうこの先生が好きだった。

 退任されてから、そのころの話をすると、「どうかご内聞に。」なんてことを言ってたらしいけれど、父兄も含め誰も教師らしからぬなどと言って怒った人はいません。

 

 なんでソバの話しになったかっていうと、先日の蕎麦通の続きということもありますが、友人の親しくしている方がソバを育てているということで、新蕎麦がとれたら私に蕎麦を打てということになっているからです。

 

 その昔は10割蕎麦なんてのを打ったりしましたので、大見得をきって「まかしとけ。」なんて言ってしまいましたが、どうなることやら。いまじゃ二八そばだって怪しいもんかも。

 

 いっそ蕎麦掻きってことにしちまったらいいかも。それも、茶碗を炙って温めたところにそば粉をいれ、熱湯を注いでかきまわしただけのものに生醤油をつけて食べるっていうだけの・・・

 蕎麦好きだって自慢してても、これを旨いといって食べられる人は少ない。
 子供のころ、ときどき食したが、これが旨かったという記憶はあまりありません。

2013年7月28日日曜日

フルボ酸というのを知りました


地球環境は、フルボ酸で進化したのだといいます。

原始地球は、ガスや放射線が多量に存在し、生物が生存できる環境ではなかったが、その過激な環境にフルボ酸が加わった途端に、様々な強烈な成分が中和され、生命を育む環境へと変化していったのだというのです。

 フルボ酸は、生命そのものの鍵となる物質であるともいわれ、フルボ酸を大量に生産できるようになれば、医者や医薬品が必要なくなるとさえもいわれます。

その効果効能やメリットについても、色んなことが言われています。

 

疲労回復
快眠
美肌
育毛

デトックス

 

毎日、フルボ酸を水に数滴垂らして飲むことで、効果を体感できる人がいるという。

風呂に混ぜて入浴する効果もあるのだとか。

至って素直なたちなので、肖ってみようと実践し始めましたが、気のせいだけではなく、湯上りが気持ちよく感じられています。

塩釜神社で見た珊瑚樹(サンゴジュ)


 サンゴジュは関東地方南部以西の温暖な地方に自生する常緑の小高木で、葉は厚くて大きく、長さ20cmほどになり、乾燥にも強い。
 庭木というよりも、生け垣とされていることが多いので、目にしたことがあると思います。

葉が厚いこともあって火事に強く、材も水分を多量にふくんで燃えにくい。

切り口から泡が出るのでアワブキとの別名があります。

 サンゴジュという名は、赤い果実が珊瑚の加工品に似ていることからきている。

 

塩釜神社の参道下の広場の生け垣に、名札つきで植えられていました。
 

座布団なし


 笑点の山田くんが吹っ飛んできて、座布団を全部持ってっちゃいそうなことを言ったアホを売りにしているネーチャンは(本当は違って頭はいいに違いない?)、ポカンと口が半開き状態でした。

 

 かわいい子や孫を育ててる皆様におかれましては、子や孫のオシャブリを早く取り上げないほうがいいらしいです。

 それを早く取り上げてしまった子は、ポカン口になりやすく、そうなると鼻呼吸ができるようになりにくいのだという説があります。口呼吸は免疫力が低下するんだとか。

 

 こえがきこえ~るっていうからよく読んでみたら、演奏会などでブラボウってことでした。ちなみに女性に言う場合は、ブラバーっていうらしい。

 そりゃそうかも。ブラは婆が使うもんね。なに、若いのが使うんだって?

 

 言わない方がいいことを言っちゃったようだから、写真はイワナシの花。
 

2013年7月27日土曜日

松島の瑞巌寺で見たキササゲ


松島の瑞巌寺を訪ねました。

長い参道の左側の杉木立は、押し寄せたツナミによる塩害で枯れたということで、切り倒されていました。

寺社は改修工事中でありましたが、境内で見慣れない漢字を見つけました。

「楸」には、キササゲというフリ仮名がついていました。

 


キササゲ(木大角豆)はノウゼンカズラ科の落葉高木。

キササゲは利尿薬として、腎臓炎、脚気などの浮腫に応用するのだそうです。

生薬名で梓実(しじつ)と呼ばれる。「梓(し)」の字は、訓読みすればアズサ。

一般にカバノキ科のアズサを指すが、マメに似た実をどうしてアズサと呼ぶのでしょうか。

持っていないものは与えられないから


今を去ること50数年前、中学校を卒業する時、担任の先生が最後のホームルームの時間に言った言葉を、今も覚えています。

「君たちは、人の為になろうと思っているかも知れないが、その前に自分が満たされるように努力しなさい。自分に力がなかったら、人の為に何かすることなどできないのだから、まず自分のことを考えなさい。」

まだみんな純粋だったし理想に燃えている頃だったから、随分ひどい餞の言葉だと思ったものでした。

 

長じてから、自己研鑽のために読んだ成功法則の本にも、「まずは与えなさい」
「自分が欲しいと思うことを先に与えなさい」と書かれているのを読んだものです。

これは素敵な考え方ですし、非常に尊いことだと思います。
確かに、与えた後の隙間には、与えた以上のものが流れ込んできて、それに伴い器も大きくなるというのが真理ではありましょう。
しかし、ここで一つ注意しなければいけないことがあります。
多くの方が陥る「罠」があるのです。
それは、自分が持ってもいないのに、周りの人に与えることは出来ないということです。それを無理すれば、自己も破滅することにもなりかねません。

何でもかんでも自分だけで抱え込むばかりでは器は大きくならないにしても、自分の持っている器が空っぽでは、どうにもなりません。

どうしたって自分のことで精一杯になりますから、周りの人に与えるどころではないのです。

それでも、善なる日本人の多くは、自分をどこか犠牲にして、「与えよう、与えよう」と頑張ってしまいがちになります。

そうなると、頑張っても頑張っても「満たされない虚しさ」を、心のどこかで感じてしまいます。
頑張るほどに満たされない」「与えるほどに満たされない」という状態は、善なる心を苦しめます。

自分の器がいっぱいの状態だと、周りの人に「与えたい!」という気持ちが自然に湧いてくるのが人というものです。
情けは他人の為ならず。周りの人に与えたものは、巡り巡って自分のところにも返ってきます。
そのようにしてプラスの循環が生まれてくるのですから、先ず、与えられるものを作るということが必要だということになってきます。そこから始まります。

2013年7月26日金曜日

可能性を狭める失敗への恐れ


もう記憶にも残っていないことでしょうが、誰であっても、小さな頃は失敗を失敗だと思うこともなく、何に対しても恐れずに立ち向かっていた時期があった筈です。

そもそもが、なにを失敗とするのかの意識もなかったのだと思います。

赤ちゃんは、どうして立ち上がることができるようになったのでしょう?

何度転んでも、何度痛い思いをしても、物に掴まりながらでも、それが無様だと思うこともなく、立って歩くことができ、やがて走ることができるようになるまで続けることで、いつの間にかいろんなことを可能にする結果を得ました。

そう思っていたかどうかは別にして、周りの思惑などに捉われることなく、できる 可能性だけを信じて行動していたのだと思うのです。
なぜできると信じたのかは判りませんが、信じた通りのものになりました。

段々経験を積むことに伴い、知恵がついてきて要領よくやる方法を覚えると共に、常識という枠をいつの間にか纏うようになり、結果的に自らの頭の中で制約を創り出してしまいました。
少ない情報量の中で、頭で考えるようになり、他の可能性を考えることなく「そんな馬鹿な」ということにして、自分の可能性を大きく狭めてしまうことが多くなりました。

失敗を重ねるほど、新たな可能性を探ることから遠ざかり、行動しないで済む理由を探すようになりました。やらなければ失敗はないからです。

探さねばならないのは別の物であり、時には非科学的とされるものであることさえあります。
まだまだ理解が及ばない世界があるのだと謙虚になれば、できることが沢山ありそうです。要は、小さい成功の積み重ねということになります。

「何かがおかしい」という違和感があったら、それは無限の可能性を秘める「自分の内なる神」からの声かもしれないのです。
自分の持っている無限大の可能性を信じきることが大事だと思うのです。

宮城県閖上(ゆりあげ)も、被災復興は、まだ遠い


東日本大震災の被害地のその後はどうなっているのだろう?

今回、老人6人が集まって仙台辺りを訪ねることに決まりました。2日間かけて目の当たりにしたのは、復興されるのはまだまだ先になるのではないのかという重い現実の光景でした。

 

閖上(ゆりあげ)、読めない漢字でした。

仙台藩四代藩主伊達綱村が、領内の村を訪れ、地名を聞いたところ「ゆりあげ」との言葉 を得た。「文字はどのように書くのか」と重ねて尋ねると、「文字はありません」との答えであったので、 門から海が見えたところから、「門」に「水」の文字を用い「閖上と記するようにせよということになったのだという。

案内の運転手さんは、海に浮かぶ船が揺れるところから「ゆり」の音があったのかも知れないとも話してくれました。

 

名取市閖上中学校は、大震災の津波に襲われ、14人の生徒が犠牲となったことから、14人の生徒一人ひとりの名前が刻まれた慰霊碑が建てられて いた。お線香を手向け手を合わせ見上げると、2階の上あたりにあたる外壁に懸けられた2時46分で止まった時計が痛々しかった。

海から2キロメートル離れているここに襲いかかった津波の高さは8メートル。

学校の周りには、コンクリートの基礎だけ残った住居跡が見渡す限りの広さで続いて、そこに雑草が茂り始めているのが尚更に焦りを誘います。

とにかく広すぎる。中途半端な寄付や義捐金で何とかなるとはとても思えません。

復興予算を扱う人は全員、実際に被災地を視るべきだと思います。目の当たりにしてなお、税金の流用をする気になれる人がいるとは思えないからです。

行く先々に慰霊の碑があるので、見た限りの碑にはお線香を焚き手を合わせたが、それ以上に何かをできないもどかしさが感じられてなりませんでした。

2013年7月25日木曜日

トウモロコシに似ていますが毒です


テンナンショウは、サトイモ科だと聞いたように思うが、この実のアルカロイドは毒。

春先に、コンニャクによく似た茎と葉を伸ばし、ちょっと毒々しい花を咲かせているのを、山道脇の湿地で目にすることがあるかと思います。
 
 

夏になって実をつけると、この写真のようになります。
 
 

2013年7月22日月曜日

山吹にも実はつきます


七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)一つだになきぞ悲しき

 

太田道灌が雨に降られて立ち寄った杣谷で蓑を借りようと頼んだところ、和歌と一緒に山吹の花の一枝を出されて怒ったのだが、後に「蓑」と「実の」掛詞なのだと知ったという故事。

 

しかしながら、山吹には実がなります。

写真はまだ緑色の実ですが、黒くて固い実に変じます。
 
 

日光白根山のシラネアオイの花


日光白根山(にっこうしらねさん)は、栃木県日光市と群馬県片品村の境界にある標高2,578mの山です。

ですから東北自動車道を走って日光の側から行ったり、関越自動車道の沼田から金精峠に向かったりして、何回か登ったことがあります。

最高峰の奥白根は安山岩から成る溶岩円頂丘である、関東地方の最高峰で、国内ではこれより北や東にこれより高い山はない。

日本百名山のひとつに数えられているので登山者が多い山でもあります。

 

頂上付近には、高山植物が育てられています。その、シラネアオイは、鹿に食べられるなどして殆ど無くなってしまったこともあるらしい。

登山中に、後ろから鹿が逃げずにずっとついてきたことがありました。

後ろで何か物音がするので、スワまた熊かと振り返ったところ、鹿だったのでやれやれと思ったのでした。

 

というのも、それ以前に妻と山梨県の山に登ったときのことですが、下山中に右手前方の斜面の上からガサッと音がしたので見上げると、大きな熊と目が合ってしまったのです。その距離およそ20メートル弱。

斜面を下ってこちらに向かってきたので、思わず「ウォー」と大声で叫んだところ、熊も驚いたのか目の前2~3メートルのところを駆けすぎて行ったことがありました。ほんの一呼吸か二呼吸のことです。

 

熊が通り過ぎた後、妻と顔を見合わせて思わずお互いが言ったことは、

「怖かったねー。」でも「危なかったねー。」でもありませんでした。

「毛並みが綺麗だったねー。」でした。本当に黒々とした艶のある毛並みが綺麗だったのです。

 

よく、熊に遭ったらこうしろああしろという意見をききますが、そんなことをする時間的余裕は全くないというのが実感です。

 

写真は、シラネアオイ2種とコマクサ2種。ついてきた鹿。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

キヌアという植物を食べてみました


アカザはその昔、日本でも食用・薬用として使われたというが、今は雑草としての扱いになっています、

芽が出てしばらくの新芽の内に摘んで、お浸しにして食べるというのは、子供の頃に経験がありますが、さして美味しいものではありませんでした。

アカザは、伸びると2メートル程に育ち、茎が太くて丈夫なので、根から掘り上げて乾燥させ、杖にすると軽くて丈夫なので、「仙人の杖」として売られているのを、道の駅などで見かけることがあります。

 

そのアカザ科のキヌア(キノア)は、健康的なダイエットや体調管理に適する栄養バランスに優れた南米産の植物で、その種子は、食用として必須アミノ酸をすべて含み完全食品のひとつとされて、近年話題にされています。

 

キヌアは精白米と比べると、低い炭水化物(糖質)で、2倍のタンパク質、5倍の良質な脂質、8倍の食物繊維、6倍のカリウム、10倍のカルシウム、7倍のマグネシウム、7倍のリン、8倍の鉄、を含んでいるのだそうです。

キヌアは、体内で合成できない栄養分で体外から摂取しなければならない必須アミノ酸(アミノ酸スコア85)のバランスも、牛乳に匹敵するほど良質です。

キヌアはエクアドル、ボリビア、コロンビア、ペルーといったアンデス地域を発祥とするもので、それらの地域では人間の消費用に3,000年から4,000年前に栽培に成功し、食用されていました。

地元南米ではスープにいれたり粉に挽いてパンのようにして食します。
キヌアを水に浸して発芽玄米のようにすると、胚芽の部分が開き、見た目のかわいらしいキヌアの芽が出てきます。これをほかの食材と混ぜて煮れば、簡単に食べられます。

2013年7月21日日曜日

光合成菌というのが有るのだそうです


 植物は太陽のエネルギーを利用して、葉緑素の中で水を水素と酸素に分離するとともに澱粉を作るのだと習ったことを思い出します。

水素は、炭酸ガスを還元して糖の合成に使われ、酸素は空中に放出されるという(完全光合成)いわゆる炭酸どうか作用といわれるものです。

光合成によって生成される有機物は、生物のエネルギー源として使われて循環しています。


 それとは別に、光合成細菌というものがあって、それは太陽のエネルギーを利用して、光合成を行う際に必要な水素を、硫化水素、メタン、アンモニアなどの還元物質から切り離して利用しているのだといいます。

その生成物の一部を自分たちが動くためのエネルギー源にすると同時に、炭水化物、アミノ酸、タンパク質、抗酸化物質などの多様な物質も作り出しているのだと。

 

 効率面からいうと、植物の光合成は、太陽の全体のエネルギーから換算して10%以下しか利用できませんが、光合成細菌は植物が利用できない紫外線やマイクロ波など、あらゆるエネルギーを利用する事ができるというから驚きです(太陽エネルギー全体の90%以上)。

放射線などのエネルギーも利用する事ができるため、様々な用途で使用されているのだと聞き及びます。

光合成菌によってセシウムの放射能が減ったという話です。

 研究が進み、放射線物質の除去ができるようになれば良いと期待してやみません。

2013年7月20日土曜日

猛毒と言われるフグの卵巣を食べました


能登か佐渡に旅行したときに、土産として買ってきたのだけれど、食べるのを躊躇ったのか、冷蔵庫にいれたまま長い間忘れていたものが出てきました。

賞味期限はとっくにきれてはいるだろうけれど、食べてみたところ実に美味い。

食べた後もまだ生きているから、人間というのは、こと美味しい食べ物のこととなると、いろんな工夫をするものだと感心します。

 

「ふぐの卵巣の糠漬け」は、文字どおりふぐの卵巣を塩と糠に漬けて、3年以上熟成させた食品です。

ふぐの種類によっても異なりますが、ふぐの卵巣にはテトラドトキシンという青酸カリの100倍、23mgで人の致死量に達するほどの猛毒が含まれています。その卵巣の毒が塩と糠に漬けることによって、無毒化され、食べても安全、そのうえ深い旨みを持った食品になるというのだから驚きです。
石川県では、ふぐの身の部分の糠漬けも勿論のこと製造されていまが、江戸時代にはすでに卵巣の糠漬けがつくられていたようです。


なぜ卵巣の毒が消えるのか、解毒の過程は現在も謎のままなのだそうです。

ですから、製造方法を変えることができず、ずっと変わらぬ方法で、今も「ふぐの卵巣の糠漬け」はつくり続けられているのだといいます。

自分で簡単に作れるスプラウト


このところ、いろんな野菜のスプラウト作りに嵌っています。

スプラウト(sprout)とは、新芽という意味です。

スプラウト野菜 に含まれる栄養素は、育った野菜以上のものがあるのだと言われています。
発芽に必要な条件(発芽の3原則:水分・酸素・温度)が揃うと、種の内部では生長に必要なホルモンや酵素が生成されますが、それ以外に発芽に伴う代謝で、種自体に存在しなかった栄養分も作り出されるから、スプラウトは栄養素が凝縮されて「天然のサプリメント」とも呼ばれます。

ブロッコリー:スルフォラファン、カロテン、ビタミンC、ビタミンA
そば:カロテン(カロチン)、ビタミンB、ルチン
かいわれ大根:スルフォラファン、ビタミンB12、葉酸
もやし:ビタミンB、ビタミンC、カリウム

キャベツ:カロテン、ビタミンC、ビタミンE、ビタミンU、葉酸

それら栄養素の働き
スルフォラファン:抗ガン作用、抗酸化作用、有害物質の解毒作用。
カロテン:血液をサラサラにし腸の働きを良くする。新陳代謝を良くし美肌効

   果もあり。
カリウム:細胞の機能を高め、取りすぎた塩分の排除を助けることから、高血圧の

抑制作用。
ルチン:そばに多く含まれ、 毛細血管を丈夫にして、高血圧や動脈硬化の予防。葉酸:皮膚や口内の粘膜を強化する作用。
ビタミンB:ビタミンB1は糖質を分解しエネルギーに変換する助け。

ビタミンB2は細胞の再生・促進。

ビタミンB12は赤血球を生成、促進の作用。
ビタミンC:抗酸化作用があり免疫力を高めると共に、しみ予防・美白効果。

ビタミンE:老化予防、心臓や脳の健康を維持する作用。
ビタミンU:胃液の分泌を抑制し、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の予防。

スプラウトの作り方は簡単です。

少し深めの容器(私は、豆腐の空き容器を使っています。)に、スポンジを敷き

(無ければ、ティッシュペイパーやタオルペーパーでも可。)、ひたひたになるくらいの水で湿らせて、種をばらまきします。

芽が出て、2~3センチになるまで、覆いをして日光を避けます。

乾いていたら、スプレーで霧吹きをします。

茎が伸びてきたら、覆いをとって日光にあてます。2~3日で食べ頃。

蝉の鳴き声を聞いて


朝、窓を開けてベランダに出て見るたら、今日も暑さが厳しくなりそうな陽射しの中、アブラゼミとボンゼミの鳴き声が聞こえてきました。

そういえば、山道を歩いたときにヤマゼミの鳴き声は聞いたけれど、里で蝉の鳴き声を聞くのは今年初めてでした。

急に暑くなったから、セミが鳴く時季なのだということを忘れていました。

都会のセミも、まだまだ頑張っているようです。

セミの鳴き声にも順番があって、ニイニイゼミ・アブラゼミ・ボンゼミ・ヒグラシ・ツクツクホウシというような具合だったと思うのですが、近頃はそんな順番お構いなしに一斉に鳴くから、これからしばらくは賑やかなことになりそうです。

静けさや 岩にしみいる蝉の声  などという風情とは程遠く暑さをいやますことになります。

2013年7月19日金曜日

復活したカンボジャの絹織物「クメール紬」


 山繭からとった絹糸の織物は、知る人ぞ知る絹布の極上品です。

 

 カンボジアのクメール絹織物も、その山繭と同じくらい小さなマユから細い糸を取り出し、すべて手でつむいで織り上げるのだとか。

 

 織物については、使う物になかなかこだわりがあって、やれ海島綿だのオーガニックコットンだのリネンがどうだのと言っている倅が、クメール紬はいたく気に入っている様子で、飯田文化会館での「カンボジアに学校を建てよう」支援に縁あって、ピアノコンサートを催した折、展示販売会場で手に入れたクメールとクメール語で手刺繍されたハンカチを自分でプレスして今も大事に使っているようです。

 

 幼い時から、自由になるお小遣いが1000円であれば1000円、500円なら500円で買える品物の中で最高と思えるものを選ぶ子だったが、クメール織物は、高級店でも目にしたことのない素晴らしい品質だと喜んでいます。

 

 これは、このページをご覧の皆様にもお勧めですが、海外旅行などで見つけたら、愛する奥様やお嬢さんへのプレゼント、お知り合いへのお使い物としてシャレていて、贈ったら喜ばれること必定かと思います。

 ハンカチ位の大きさの物なら、さして高額ではありません。

 

 クメール織物は、カンボジャの内戦のとき、織物の技術どころか蚕の餌になる桑まで絶えてしまったのを、京都の友禅染色家である森本喜久男氏が現地に住みこんで、一人一人技術者を探し出して復活させました。
 
 

 
(写真は、飯田紬で作られた敷物の上に乗せたバナナの茎による草木染めのハンカチです。)