2013年8月31日土曜日

獅子岩のある平沢峠から飯盛山に登りました


JR駅最高地点がある野辺山駅あるいは清里から登る飯盛山。

こころ旅で、火野正平さんが自転車で野辺山駅から獅子岩を目指す番組がありましたが、その獅子岩があるのは平沢峠で、そこには分水嶺があります。

 


八ヶ岳を望む最高の展望地の一つである平沢峠に登山口があります。

ここを出発点とする飯盛山からは もっと素晴らしい景色が見えます。平沢峠には駐車場があるので、車でお手軽に行けるのはここでしょう。

飯盛山山頂までは、往復3時間ほどの行程です。

 

標高1,643m、ご飯を盛ったような美しい山容からこの名 めしもりやま」]があります。

山頂 からは八ヶ岳はもちろん富士山、秩父連峰、浅間山まで360度の大パノラマを満喫 できます。

ニッコウキスゲやマツムシソウなどの高原の花が豊富です。

 

帰りには、野辺山近辺のソフトアイスクリームがお奨め。もっと時間があれば、

この地で見る星空は、天文台があるくらいですから綺麗です。

2013年8月30日金曜日

花の百名山 入笠山に登りました


『花の百名山』と呼ばれる入笠山(ニュウカサヤマ)は、四季折々の花々や、標高2000メートル(1955)の割には手軽に登れて自然を満喫できるため、年配者や子供の登山者が多い。

ゴンドラを使い山上駅まで行き、入笠湿原の花々を見て回るお手軽トレッキングも良いし、そこから往復3時間の山頂を目指すのも良い。

入笠山山頂からは、富士山をはじめ南・中央・北アルプスまでを見渡すことができ、数えると深田久弥の「日本百名山」のうち22山を見ることができます。
360
度の大パノラマが楽しめます。

 

もう5年ほど前になりますが、冬の2月にこの山に登ろうと出かけたのですが、坂道で車がスリップして登山口までたどり着けず引き返したことがありました。

今回は夏、8月26日に訪れてみました。

そこは、花に溢れていました。

 

アキノキリンソウ・サワキキョウ・カワラナデシコ・コオニユリ・クルマユリ・

マツムシソウ・ヤナギラン・ワレモコウ・リンドウ・ヤマユリ・・・

 

ヤマユリ

 


リンドウ(こんなに綺麗な状態で見られたのは珍しい)
 
 

2013年8月29日木曜日

飼い犬の合唱


 「狩人の合唱」じゃなくって「飼い犬の合唱」。

 先ごろ信州の実家に立ち寄ったとき、有線放送から正午を知らせる音楽が流れてくるのにあわせ、庭からウォ~~ンと長くのばした犬の鳴き声がしてきました。

「犬が鳴いてるの?」と尋ねると、「そうでありますのな。犬が合唱するんでありますに。」と嫂が笑う。

「それでもなぁ、前は音楽が終わっても少時鳴いておいでたんだに。それでなぁ、いつまでも鳴いとっちゃぁいかんに!って犬に言ったんな。それからは、音楽が終わると泣きやむようにおなりたんな。犬でも言葉がわかるんらかなぁ。」

 

 お犬さまに対してこの丁寧さ。イヤ参り申した。私なんぞは、ときにイヌチクショウなんて言いかねないっていうのに・・・。

 なに、「言葉遣いに気をつけましょうね。」だって?

 

犬に限らずペットを飼うと、家族同然になるといいますが、家族に対してぞんざいな物言いをしている人というのは多い。

夫婦仲を長く良好に保っている家庭というのは、お互いが敬語とまではいかなくても、丁寧語で喋っているところが多いのだと聞いたことがあります。

親しきなかにも礼儀あり、ということでありましょうか。

2013年8月28日水曜日

鯨を食べるのは


 日本人は鯨を食べるから野蛮だというが、他国では鯨はかわいそうで牛はかわいそうではないらしい。

 食文化というのは、お互いが認め合わないと難しい。

 

もともと人間は、動物であれ植物であれ他の命を取り入れることなくしては生きられない。

だから我が国では「頂きます。(貴女様の命を私の中で生かさせていただきます。)」と挨拶して、食べ物は無駄なくつかわせてもらうことに意をそそぐ。

 鯨でいえば、肉も皮も骨も髭も、捨てるところがなく使う。

 ご飯のときは、米粒一つだって残さず頂く。それが生き物に対する礼だと教えられた。

 

 話は変わりますが、クジラっていうのを尻上がりに発音するか尻下がりに発音するかで当家はもめる。

 だいたいの場合、私の方が折れることにしています。そうしないと後がオッカナイ。カミさまは、大事にしないといけませぬ。

 

 近頃トント目にしなくなったものに、鯨尺というのがあります。(物指しのことです)

着物を縫うのには必需と聞き及んでいますが、着物を着熟しているおねーちゃんは殆ど居なくなってしまいました。

外出着にはできないとされていた浴衣も、近頃は着て出かける人が珍しくなくなりました。

 

 ところで、目クジラってのは、それも立てるってのは、どっからきた表現なんでしょうね。

 目・鼻・口には、おもしろいのが沢山ある。

 遠くて近きは男女の仲。近くて近いは目鼻口。

2013年8月24日土曜日

祇園と擬音


 京都の祇園のことではなくて擬音。

 友人が、旅行中にビデオカメラを「バッタ」と取り落としたという話にでてきた"バッタ"のこと。

 

 こどもの頃、講談を聞いていると、「獲物を ばったと 取り落とし。」というのがよく出てきました。

 子供心に「獲物は飛蝗(バッタ)と、鳥落とし。」だと思い込んで、変なの!と思っていました。

 「得物を"バッタ"と取り落とし。」というのが擬音語だと知ったのは、後のことです。

 

 これとは違うが、「"コットン"水車も回ってる。」のコットンは、木綿のことだと思っていた時期がありました。

だって、糸繰り車はおばあさん~~の後に続いてたんだもんね。

糸繰り車で紡ぐのは、木綿糸。(羊の毛もあるのだけれど)

 

 祇園精舎の鐘の声・・・琵琶ではありませんが枇杷の葉茶を飲むことに凝っています。

2013年8月23日金曜日

慨嘆する


 以前、新聞の談話室に載っていた「車内で見かけた傲慢な若者」という記事の抜粋です。

電車内の優先席の前で携帯電話を使っていた若者に老人が声をかけた。

「ここに携帯の電源をお切りくださいって書いてあるだろう。」と注意したことから始まってのやり取りが書いてありました。

 

読んでやりきれなかったのは、以下のくだり。

 

揚句に、こう言い放った。「書いてあるのはわかるよ。でも俺は守ろうとは思はない。だからおっちゃんのいうことも聞かない。」

 

この傲岸不遜な反社会性。こんなのを育てたり、のさばらせてしまった我々大人の責任って大きいと思うのです。

ルールというのは、お互いにとって最小限の不自由さの共有。

人の言うことは聞かないが、自分の言うことは聞けというのではね~。

 

それでも私は思うのです。本音では、結構イイヤツが多い。

そのいいところが素直に出せなくなっている原因って一体なんなのでしょう?

2013年8月22日木曜日

ノギとは何か


 ノギとは禾のことなんだけれど、これがなんだか知っている人っていうのは、案外少ない。

 カホンカ植物の「カ」すなわち禾は、稲や麦の種子の頭についている肌に触れるとハシカッぽい(チクチクする)、ちょんと出ているトゲみたいなのをさして言います。

 で、それのなにが大事かっていうと、「和」とはなにかということ。

 ノギは穀物のとくにイネ。それを一緒に口にする、別の言い方をすれば「同じ釜の飯をくう」っていうのが和のはじまりということになる。(ゆめゆめうたごうことなかれ)

 なぜ、同じ釜の飯を食うと親しくなるのかというと、同じものをたべるということは、同じ血ができるということ。

なんですと?食ったんじゃなくて液体にしたのを飲んだんだろうって?

 

双子葉植物に対する禾本科植物。

禾編のついている漢字は、ここからできています。

 

 米も麦も良いが、小判ということになればそれはまた楽しいから、小判草の写真。

 猫に小判などということになりませんように。
 
 

2013年8月21日水曜日

イントネーションによって意味が違うのに


TVなどを見ていると、読み分けられないアナウンサーが多いように思えます。

何日か気にして聞いてみただけで、かなりの数になりました。

イントネーションによって意味が全く違ってしまうのです。

 

軌跡・奇跡・貴石・輝石・奇石・鬼籍・帰責

陰陽師・陰陽寺 

熱い・厚い・暑い

付ける・漬ける

織物・下り物・織る・折る

橋・箸・端

艶・通夜 これは間違えるとシャレにもなりません

胎児・退治

機械・機会

蔓・弦・鶴

面積・免責

食物・植物

下手・蔕(へた)

再現・際限

2013年8月20日火曜日

簡単にできる枇杷茶を飲む


枇杷を庭木にするのは湿気を呼んでよくないと言われていたが、それでもそこらじゅうで目に付くほど育てられていた。

枇杷の幹を使って作る木刀は、折れないということで知られています。

 

バラ科の植物である枇杷は、黄色い実を食べることは誰もが知っているが、その葉に薬効があることはインドで古くから知られていて、昔から夏バテや食あたりの予防として、愛飲されていたといわれます。

そんなビワの葉に含まれる成分には、アミグダリン、タンニン、サポニン、クエン酸、ブドウ糖などの有効成分があり、これらが相乗効果を発揮して疲労回復、利尿作用、糖尿病予防、アレルギーの改善など、さまざまな症状に効果を表わすと言われています。
特にビワの種子と葉に含まれるアミグダリンは、「ビタミンB17」とも呼ばれ、、ガン予防の効果も期待できるとして話題になっています。

 

アミグダリンはアメリカをはじめ20カ国以上でガン治療薬として使われている(レートリル療法)といいます。
アミグダリンは、ガン細胞に出会うと活発に分解して、青酸とベンツアルデヒドになる。

青酸だけではガン細胞を1%しか殺せないし、ベンツアルデヒドだけでは20%しか殺せない。

ところが、この2つの物質が組み合わさると、ガン細胞を全滅させることが確認されているのだそうです。

一方、ガン細胞以外の正常な細胞に対しては、コーダネーゼという保護酵素が両物質を中和して、人体に無害で有益な物質に変えてしまうというからすごい。

 

それはともかくとして、枇杷茶は癖がなく美味しいので、よく飲みます。

作り方はいたって簡単です。

1.新芽ではない古いしっかりした葉を取り込む

2.葉の裏に細かい毛が生えていて汚れがついているので、水で綺麗に洗う

3.水を切って乾かしたら、1センチ角に切り、薬缶で煎じる
4.しばらくすると、紅茶色になるので、これを飲む。(この液体は肌荒れにつけてもよい。)

2013年8月19日月曜日

コミニュケーションの力


「自分のことは、解ってもらえている。」とか「あの人はこう思っているに違いない。」とか、こういうのを独りよがりといいます。

自分が何も言わなければ、相手に真意は伝わらないし、聞かなければ、相手が何を考えているのか判らない。

極めて当然のことにも拘わらず、人は自分のことをはなさないし、相手のことも聞こうとしない。

 

なぜでしょう?

 

これはコミュニケーション力とも通じますが、自分のことを理解してもらうための言葉を出すのに、思惑やごまかしがあると必ず見抜かれてしまうとから、それが心配で話すことができない。

 

相手のことについても、「相手をよく知るための、的確な質問をする」ことなしに、相手の心の有りようは到底知ることはできない。

そんなことは解っているのに、なぜかそうできない。

 

「敬意」をもって、ただ素直に丁寧に話せば、相手はまず怒ることはないし、気持ちは通じ合う。心からそう思っていることは、伝わるものです。

仮に、誤解されることがあったとしても、いずれ解ってもらえる。

 

自分が思いこんでいるだけの自分、相手のことを~~という人だと思い込んでいるだけで本音はどうなのか聞くこともしないのでは、先の進展はありえない。

 

そうだとすれば、後は自分に合った言葉の使い方を作り上げれば良いということになります。

 

まさに日常の付き合いのなかで信頼しあえている人たちとの「コミュニケーション力」と全く同じなのです。

身構えているよりは、素直が一番ということになります。

2013年8月18日日曜日

もう遅すぎるのだと諦めなければ


「人生、遅すぎるということはない」よく聞く言葉ですが、頭で理解できるのとそうできるのとは大きく違います。

「もう遅い。年だからもうやり直しはきかない。」としてしまう人の方が多い。

何故なのでしょう。

長生きすることにすれば、時間はまだたっぷりあります。

「人は、自分が思った通りのものになる。」というのが真理ですから、「自分は長生きする。」と決めればいいのです。
「あの頃は良かった。」など、昔の自分を嘆いても未来は変わらないものです。

「今すぐ行動しない人に、チャンスが訪れることはない」というのもまた真理です。
どんな大きな結果を齎す行動でも、最初の一歩は小さいけれど、「強い想い」があれば、世の中に出来ないことの方が少ない。途中までしかできなかったとしても、やらないよりやったほうが良いに決まっています。

やりたいことが何もない人というのはいないと思います。

それでいて1歩も踏み出さないことの理由に、もう遅いと言って何もしないのでは、

何も変わらないということになるのだと思うのです。

私は70歳を過ぎましたが、まだ世の中の役に立つことがなにかできると思っています。

どこまでできるかは分かりませんが、100歳まで生きることにすれば、かなりのところまではできるのだと信じています。

小さくても、最初の1歩を踏み出す勇気を失わずにいようと思っているところです。

2013年8月17日土曜日

ヤマイモを育てて葉の緑を楽しむ


 ヤマノイモ属で食用となるのは、世界に50種以上あるという。
 日本の自生ヤマノイモ(ジネンジョ)を改良したものが、普段たべられているのではなく、種類がそもそも違う。

非食用種のヤマノイモはいろいろと利用されていて、アフリカ、東南アジア、中国では、薬用、とくに生薬原料として使われ、ある種に含まれるディオスゲニンという成分が経口避妊薬の原料として、注目されている。
 

食べる為にヤマイモを作るということになると、根が地中深く伸びるから、畑がないとできないけれど、緑を楽しむということならば、プランター等で簡単にできます。

ヤマイモの切れ端を土に埋めて、ときどき水をやっていると、ほどなく芽が出て、茎がどんどん伸びます。近くに支柱を立てておけばそれに巻き付いて、2メートル位の高さになるのはすぐです。

しばらくすると、茎から葉が沢山出てきて茂ってくるので、豊かな緑を楽しめます。種類によっては、ムカゴも沢山つきますので、これを集めて炊き込むと、美味しいムカゴご飯ができます。
 
 
写真は、雨樋に巻き付いて育った今の姿です。

2013年8月16日金曜日

自分で墓石をクリーニングすると


竿頭

 竿の頭だからといって、あらぬことを想像いたしませぬように。いささか高尚なる境地なのでござりまする。

 百尺竿頭 如何進歩(いかがほをすすめん)・・・。

 百尺もの高さの竿の先に立ったら、どのように動いたらよいのだろうか。

これはなまじっかの修行じゃわかりません。

 

 精力剤の話になって、なにかの酢漬けが効くということになった。

 丸焼きのほうがうまいって言う説もあるが・・・

 

 聞くとことによると、夫精や兎裸のを粉末にして淫(飲)すると、滅法効くと閨妍者が騙ってたというが、ほ~んとかしら?

(オットセイやトラのナニを粉末にして飲むと、たいそう効くと経験者が語って・・・)

 

 花は半開、酒はほろよいが良いなんてことが書かれていましたが、やっぱり行くところまで行って、そこから更に歩を進めるっていうんじゃなくては進歩がないのかも知れません。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、な~んてことも言われますから。

 

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「自分でもできる墓石クリーニング」

 

墓石クリーニングは、開運の一つの方法として良いと言われます。

ご先祖様を大事にしない人が、自分や周りの人を大事にできるわけがありませんし、

人を大事にしない人が、周りや運の神様から大事にされるわけがないのも同様です。

実際の行動があるかないかは、隠しようもなく大切な人に伝わります。

 

墓石クリーニングは、墓石が綺麗になるばかりでなく、良い運を引き寄せるのだとも・・・

やったら、どんなに幸せな気持ちに浸れるかは、やらなければ解らないことです。

 

限られた人が、自分の内なる世界、潜在意識の偉大な存在に気づくといわれます。

成功する人は、たくまずして成功の自動制御装置となる潜在意識の力に気づくのであり、その使い方がわかるようになるのだとか。

 

潜在意識は、素直と感謝とはどういうことなのか解るのが入り口だそうです。

自分で墓石クリーニングを夢中になってやっていたときに、その世界に繋がったように感じた、という経験者が多いのです。

 

人間は、自分が選んだ通りのものになるのですから、良くなるための手立ては何であれ全て尽そうとするが普通の考え方でしょう。

ツキがあるのも、ツキガナイのも、自分が選んだ結果だということになります。

 

お盆に、お彼岸に、命日に、お墓参りをしてみて如何だったでしょう。

しなかった人は論外として、墓石の汚れに気づいた方はチャンスです。

 

自分で墓石を綺麗にしたという満足感は、得がたいものになるでしょう。

 限られ選ばれた人とは、縁に気づき素直に実行する人なのではないでしょうか。

 

 神様はできもしないような努力をしろとは決して言わないし、沢山のお金をかけなくてはならないことも決して要求しません。

 やろうと思えばできることは、やった方がいいに決まっているのに、しないで変わるわけがないと思うのです。

2013年8月15日木曜日

神社詣でのお作法の基本


神社に詣でるのは、大抵の場合お願いのスジがあってということでしょう。

 お願い事をするのであれば、無作法であってよい筈がありません。

 人に頼みごとをするときだって、礼儀正しく丁寧にしなければ聞いてはもらえません。神様にであれば尚更です。

 

1.まず一の鳥居をくぐる前に軽く一礼します。

2.参道を通るときは、道の端を歩きます。真ん中は、神様の通り道です。

3.参拝の前に手水をつかいますが、

  右手で柄杓をとって水を汲み、まず左手を洗い清め、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を洗い清め、更に右手に持ち替えて左手のひらに水を注ぎ、その水で口を濯ぎます。

  その後、左手に水をかけ、残った水は柄杓を立てて柄杓の柄を洗い流します。

  柄杓を元の場所に静かに戻します。

4.神殿前では軽く一礼して鈴を鳴らし、何処そこの誰がお参りに来ましたと告げます。(自分の住所と名前のことです)

  (神様なんだから、そんなことは先刻ご承知だろうなどというのは、心得違いです。)

5.二礼二拍手してから願い事を心に響くように唱えます。音に観応するのです。

  このとき、自分の内なる神と合体するようにイメージすることも大事です。

  その後一拝して、神前を下がります。

6.参道から鳥居を出たら、振り返って一礼します。

 

これは、子供の頃、村の鎮守の神様の神職から教わった作法です。 

  参拝は、できれば午前中に、遅くとも2時までに済ますようにします。
  大勢の参拝者が落としていった罪穢れが払いきれず淀むからだといいます。

2013年8月14日水曜日

ご来光とご来迎


修行のため山に登っていて不思議な現象だったのだと思います。

前方の雲海というか霧のなかに動く影は、極楽浄土に導く諸菩薩が紫雲に乗ってやってきたのだと思っても不思議がないほど、悟りを求めての修行は厳しかったのだと思います。

 「ご来迎」、いまではそれをブロッケン現象とわかっているから、(それでもたまにしか遭わない珍しい現象ではありますが)、そこそこの話題にしかしないけれど、このゴライゴウという言葉がいつしかゴライコウ(ご来光)のほうへ移ってしまったようです。

 

 確かに山の端をアケに染めて差し昇る太陽は、思わず拍手を打って拝みたくなるほど荘厳であります。日いずる国に生まれた果報でありましょう。

 富士山に登るのは、登山そのものを目的とするのもありますが、多くの人は頂上で迎える日の出の荘厳さを見るため、一度は登りたいと思うようです。

 これは、実際に経験した人だけが味わう結構ということでありますが、初日の出を拝むのと同じような感動を齎します。

 

 最近の富士登山は、ルートも整備され登山客も多いから、足ごしらえと装備をきちんとすれば、割と楽に登れるようです。

 登山は、人が滅多に登らない山に行くときに、引き返す勇気があるかどうかということです。

 登山中に人と1回も会わなかったというような昔と違って、最近の山は、どこに行っても賑わっているように思います。
 
 

 
 写真はブロッケン現象とは違いますが、ダイヤモンド富士と呼ばれる美しい現象です。冬の富士山に沈み行く夕日を高尾山から(今ほど沢山の人が登らなかった頃の雪を踏んでの登山でした)

2013年8月13日火曜日

タカサゴユリが咲きました


 車で走っていると、道路脇の土手やノリメン、空き地の草むらなどで、白い大型の花を付けるユリを見ることが多くなりました。

見るからに綺麗な花なので、草刈りの際にも雑草として刈られずに残ったものが、球根や種子から増えて群生するようになったらしい。

園芸種のテッポユリに似た見応えのある壮大な花です。

台湾からの帰化植物の「タカサゴユリ」は、草丈も高く、2メートルほどにも育ちます。

私の庭に咲いているタカサゴユリは、兵庫県の加古川に住む高校時代の友人から頒けてもらったものです。

「タカサゴユリがあるのだけれど欲しいか?」と聞かれたので「欲しい。」と答えたところ、封筒に種を入れて送ってきてくれました。

球根からでなく種を播いて育てたので、最初の年はひょろりとした草だけでしたが、

年々春になって芽を出す茎も逞しくなって、数年後からは花を咲かすようになりました。
 
 

このタカサゴユリは、10年ほど経過したものですが、年々蕾の数が多くなってきています。

歩く姿に喩えられる百合は、白い花の百合。

タカサゴユリは、山百合やテッポウユリに似ていますが、どことなくほっそり見えて好きです。