2013年9月30日月曜日

赤い花なら曼珠沙華(ヒガンバナ)というけれど


曼珠沙華(ヒガンバナ)というと、赤いということになっているが、黄色のものもあるし、白い花のものもあります。






 

 ヒガンバナは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれる多年草です。

秋のお彼岸(秋分の日)頃に赤色の花を咲かせるのですが、花は咲かせても種子は稔らない。稔らないのは3倍体であるからだといいます。

 地中にチューリップに似た球根があり、球根を増やして増殖します。

洪水などによって球根が移動し、群生しているところが多い。
 ヒガンバナの花は花茎の上に通常6個の花が咲くのですが、花茎は葉よろも先に地面から伸びてきて、葉が出るのは花が終わってからになります。

花弁はリボン状で、雄しべや雌しべも長くて構造がわかりにくい。

2013年9月29日日曜日

ハーモニー


ハーモニー1

 

『成功する人』と『成功しない人』の差は、「考え方」にあるのだと思います。人は生まれ持った才能に、さほどの大きな開きはないと思います。
しかし、成功という結果が出る人と、それが出ない人の差は、厳然として分かれて現れます。
それは、一体何故なのでしょうか?

成功する人は『成功する考え方』を持っていますし、成功しない人は『成功しない考え方』を持つからだと思うのです。

根本的な違いは、これだけなのだと感じます。

 

ただ、何をもって成功と考えるかによっての違いはあります。

 

私の場合でいえば、会社を立ち上げ3社の社長をしました。ある意味での成功といえるのかも知れません。

目的は自分の財を築くことではなかったので、経済的に今が裕福かといえば少し違いますが、中高年の人の働く場所を作るということでは成功したのだと思っています。

今は、後継者に全て託したので、現業について一切口出しはしないようにして慎ましく暮らしている毎日です。

 

何十年も会社をやってくる間にはいろいろありました。

自分もいろんな困難を乗り越えてきましたが、誰もが感じるその時々の悩みというのを理解できますので、そんな苦しみから抜け出るヒントなどを話したり書いたりして、今までの経験が誰かの役に立ってくれたらいいなと思っています。

「乗り越えられないような困難を、神様はお与えにならない。」

ここでいう神様というのは、なにか目に見えない偉大な存在という意味です。


2 おもいぐせ

成功を願いながら成功していない人は、気づかなければならないことがありそうです。
それは、頑張っているのにそれがうまくいっていないとしたら、それは「うまくいかない方法なのではないか?」と思ってみることです。
自分の思い癖というのは誰にもありますが、それに拘りすぎて抜け出せない状況を作り出していないだろうか?と振り返ってみるということであります。

自分を信じないでは何事もできないのは真実であるにしても、うまくいっていないのだとしたら、ちょっと省みることも必要です。

自分を否定しなければならないことが出てくるかもしれないしして、自省するというのは難しいことではあります。

「成功しない考え方」を基に物を判断しているのだとしたら、「成功している人の考え方」というのを学ぶ良い機会になると思うのです。

信念は大事ですが、拘るほどの価値があるのかどうか冷静になって考えて、リセットするのに憚ることはないのだと思います。
目的は、成功するということなのですから・・・

2013年9月28日土曜日

アカイマンマにトトそえて


 アカイマンマ(イヌタデ)は、子供がママゴトのときに使いました。

 

 そもそもが夏の時期の雑草ですが、刈り取られた後、しぶとく息を吹き返し、小さいながら花をつけて咲いていました。

 

 あかいまんまにととそえて

 しろいまんまにしいかけて

 にんじくまんじくふくたまれ。

 

なんの呪文だったんでしょう?

百合の花弁を1枚はがし、両手のひらで上記の呪文を唱えながら、軟らかくなるまでそっと揉みます。

そうして息を吹き込むと、風船のように膨らみます。そんな他愛の無いものが玩具がわりであった時代に育ちました。

そういえば、ホウズキも赤い実を揉んで柔らかくし、中の種を抜き取ったものを風船のようにし、口の中で鳴らしたのも幼い頃の思い出です。

2013年9月27日金曜日

栴檀とナナカマド


「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、白檀のことだとも聞きますが、芽が出たときから良い香りがするらしい。

 

 花は、深大寺公園で初めてみました。日本の数少ない香木の一種です。

 はっぱがちょっとだけ、ナナカマドに似ていますが、巨木になります。

 
 
 


 

ナナカマドは、七たび竈で燃やしても燃え尽きない、というところから付いた名前だということですが、バラ科のこの木は、大きく茂ったのを山中で目にすることがあります。

秋長けて真っ赤に焼けた葉に霜があたると、もうそこは冬の領域にかわります。

気温が7度以下になると、紅葉が始まります。

2013年9月26日木曜日

思いがけないキノコ狩りができました


深田公園の駐車場のところから、茅ケ岳に登る登山口があります。

1704メートルの山頂までの高度差は、約700メートル。

標高2000メートル無い山とはいえ、以前登ったとき決して楽な山ではなかった記憶が残っているから、取り敢えず登れるところまで登ればよいことにして気楽に行くことにしました。

きついことはきつかったけれど、結局は登り切りました。

 

登り始めて30分ころ、左手の林の中からガサコソと音が聞こえてきました。

「熊か?」と一瞬ぎょっとしました。

以前、熊にそうぐうしたことがあります。30mほどの距離にある斜面から一気にこちらに駆け下りてきた熊の速さといったらなかった。

目の前数メートルのところを通り過ぎるまでほんの数秒。

よく熊にあったらどうするこうするという話を聞くが、そんな対抗手段なんてのは間に合わない。

通り抜けて走り去ったのは、運がよかったのだとしか思えませんでした。

 

運のよいことに、物音の主はキノコ狩りをしていた地元のおばちゃんでした。

足元一杯にぎっしりと生えているキノコ。

彼女曰く、こんなに生えているのは初めてだと興奮気味に話し、「一緒に少し採らせてもらってよいか?」と尋ねると、「もう持ちきれないほど採ったから、どうぞどうぞ。」と親切に採りかたまで教えてくれました。

イグチというキノコだそうで、食べ方まで教えてくれました。

キノコは好きだけれど、自分でキノコ狩りするのは、よほど解っているキノコ以外は恐ろしくてできません。毒キノコかどうか判らないからです。

安心して沢山採ることができ、おばちゃんに感謝でした。

2013年9月25日水曜日

深田久弥の終焉地である茅ケ岳に登って


茅ケ岳は『日本百名山』の深田久弥終焉の地である。

ニセ八ケ岳などと呼ばれることもあるが、多くの登山者で賑わう山である。

 韮崎市の深田記念公園から女岩を経て山頂へのルートで今回も登ったが、以前と比べ70歳を越えてからの身には少しきつかった。

どんな位きつかったかというと、前のときは金ケ岳までを縦走して平気だったが、標準時間を1時間余分に懸けても1704メートルの山頂付近では何回も休憩を取らねばならなかったし、下りでは足が痛くなってしまって、そろそろと一歩一歩歩くのに心が折れそうになりました。

 

女岩の辺りは崖崩れしたのか、直前50メートル位のところにロープが張ってあり、右の急斜面を巻いて迂回するようになっていた。

頂上に15分位のところに深田久弥氏終焉の地である碑がある。アンパンが好きであったというので、持参したのを1個供えた。

 


 

中央自動車道韮崎インターで下りて右折、茅ケ岳、昇仙峡方面に進むと、かなり広い目の登山口駐車場が左にある。

駐車場の西の高台に深田記念公園があって「百の頂きに百の喜びあり」の記念碑が立っている。

深田記念公園の手前を右折し、開拓地の廃屋を左右に見ながら、アカマツの交じった広葉樹林帯を過ぎて、ススキの目立つ広く緩やかな登山道を進む。

前山大明神林道を横切り、アカマツ、カラマツ、ヒノキの交じった中を登ると、やがて岩が目立つようになり、いつしか道も両側を尾根に挟まれた本格的な登山道に変わる。

駐車場から1時間30分ほどで女岩に着く。

ここから1時間が本格的な上り坂となります。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、山は登ったぶん降りなくてはなりません。

お陰様で今日はひどい筋肉痛で、立つも座るも歩くもままならず、ひいひい言ってます。

なんですと?それを冷や水というのだって?

2013年9月21日土曜日

漢方で使われるサンザシとサンシュユ


 信州飯田の大門原(元善光寺のある地域の、山裾に付けられた地名)の畑の午後。

 秋の陽射しを浴びて、赤く小さな実をせっせと小籠に摘み取っている人がいました。

 姫リンゴとはちょっと違うようなので尋ねてみると山査子(サンザシ)だとのこと。

漢方薬の原料で、乾燥して消化吸収のための薬となるらしい。

日本では、これだけ沢山栽培しているのは私くらいのものだといいながら一つ食べてみよと手渡してくれた。甘酸っぱいシャリシャリした実でありました。

 


 

 

 実家の庭にはサンシュユの木があって、春に黄金色の花が咲いている写真を前に掲載したことがあります。

 花が咲くということは、実が成るということでもあります。赤い実がなっておりました。

 これも漢方では補腎・強壮薬としてつかわれるらしい。あっちのほうにも効くらしい。
 
 

2013年9月15日日曜日

スパゲッティーを食べに行ったら


 たんたんって書くとすぐに、たぬきのキン○○は~

なんて方に意識が行く人は、品性に多少問題があるから、今後気をつけるように!

 

 たんたんたなばた たのし~な ささのまつりのささだけに おうたのたんざくかけましょうっていう童謡をうたったのは、はや遠いむかし。

 

 はやって言えばもう秋なんだっていうけど、おどろきいぬる風は、まだ吹きません。

 

TVのコマーシャルで火星人(見たことないけど)みたいなのが、異文化交流なんていってるのがありましたっけ。

でその、異文化なんだけど、今日は説を曲げてスパゲティーなるものを昼食としていただきました。

おGさんは私一人きりで、まわりは若いおネーチャンばかりでしたが、どういうわけか、皆一様にスプーンの上でフォークに巻き取って口にはこんでいる。

そんな食べ方、ちゃんとしたところで見たことないけど、その食べ方は品がいいと思ってるんだろうかね~。

勘違いでなきゃいいけど・・・。

 

貴族の後裔である方に伺ったところ、「ある地方では、そうした食し方をします。」との返事でありました。

うまい言い方をするもんです。井中門とは言わないもんね。

その方、ナイフとフォークを器用につかって、皿にあたる音一つ立てずにマスカットを食べてしまいます。

密かにそれを真似してみたけれど、とてもとてもできませんでした。

2013年9月14日土曜日

アッハーンではなくハーン


 アッハ~ンといろっぽい声をあげるほうの話しじゃなくて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のハーン。

 

 耳無芳一ってほど大袈裟な話ではないけれど、かなり前になるが、耳が痒かったので掻いていたところ、そこに傷がついたらしい。

 その場所がだんだん出っぱってきて、日を追うごとに大きくなる。

格闘家がよくなるカリフラワーなんとかの小さなものかと思って放っておいたのだが、見場がわるいから倅が帰国して来る前にナントカして頂戴、と内のカミ様からのキツイお達しがあった。

 

 やむなくシブシブ医者に行った。

 たいそう流行っている医者らしく順番待ちが沢山いたので、予約してから改めて出なおした。

 「どうしました?」って優しそうな先生が聞くからそこを見せると、嬉しそうに「ああ、これネ、電気メスで取っちゃいましょう。」とあっさり言い放たれた。

 ついでだから、顔にできたイボみたいなのも見せて「床屋かなんかで伝染ったらしいんですけど。」というと、「ああ、これは老化現象です。これは伝染りません。」いともあっさり老化だとのお告げが降されました。

 

「じゃあこれも一緒に取っちゃいましょう。」と爽やかな声でいうから、「宜しくお願いします。」と丁重に頼んだ。

少しだけ熱痛くて、少しだけ焦げ臭かった。

 素直なよい患者さんだったので、看護婦(いまは士っていわないといけないんだっけ)さんも皆親切でした。そんなわけで耳はとられないですみました。大袈裟なこと言うなって?

2013年9月13日金曜日

ネオトニー(幼形成熟)


 動物において、性的には完全に成熟した固体でありながら、非生殖器官に未成熟な部分が残る現象をネオトニー(幼形成熟)というのだそうです。昆虫や犬、人にも多いのだとか。

 外見上のことをいうらしいですが、精神面のことまでいうならば、遥かなる約束どころか単純な愛だ約束だなどのことも発達しないまま大きくなってしまったのは、そこらへんに溢れかえってている。

 

 雨月物語だとか葉隠れだとかをかじって、朧気ながら約束ということの意味することを感じたのは、われわれの年代だと中学校の高学年から高校にかけてくらいだったかのように思う。

 なにもかもをいちいち教わったわけではないが、下地となる教育や情操は、学校に上がる前の家庭や地域社会に有って、その類推で判断して自分で育ってきた部分が多かったのではなかろうか。

 

 「そういうことをすると恥ずかしいでしょう。」と言われると、なぜ恥ずかしいのかという説明なんかなくても以後気をつけるようになったし、それは人が見ている見ていないに拘わらず自らを律する基ともなった。

 

 今、1日に100通を越える迷惑メールが届きます。誰だか解らなければなにをやってもいいんだという卑しい行為に歯止めがかからないというのは、日常茶飯見かけることではありますが、どこに原因があるんでしょう。

「おてんとうさまはお見通しだ。」って教えておくことだけだって効果があると思うけど。

 

 私は、性善説を信ずる者です。皆が良いものをもっているのに覆いを被せてしまっては勿体無いと、つねずね思っています。

2013年9月12日木曜日

伯母・叔母・小母さん


 新聞の投書欄に72歳だという女性が投稿していました。いわく、「おばあちゃん」と呼ばれたのがケシカランというのである。

 72ならもう立派なおばあちゃんじゃないのかなあ。

 

 同様な主張に、身内でもない人からオバサンと呼ばれるのは我慢ならないというのが前にありました。

オバには叔母や伯母しかないと思ってるのかも知れないが、小母っていうのだってある。

 おばあちゃんやおばさんっていう言葉は、最近できたことばではないし、長い歴史のなかで尊敬や親しみをもってずっと使われ続けてきたのではなかったんでしょうか。

 

 怪しからんという人たちが、その"おばあちゃん"とか"おばさん"という言葉について持っているイメージとか、その年配の人たちにそういう意見を書いた自分がどんな態度で接してきたのか一度聞いてみたいものです。

 

 ゆえなく、なんとかかんとか言われて無くなってしまったり変えられてしまったりした言葉のなかには、もし言葉というものに意思や人格があったとしたら、「不本意だ。」と言ったに違いないものがかなりありそうです。

 

 イジメというのは、"苛め"または"虐め"ということであろうが、国会でだってイジメがいけないという主張をしているその本人たちが、衆目の中、失言をしたと謝っている人に対し、寄ってたかって何回でも繰り返し責めているのを見せつけたら、子供達にとっては、自分が傷つかない大勢の側にいるときにはそうするものだと刷り込まれているのと同じなのではなかろうか。

 

 謝ったら、寛容の精神でそれを許し、以後双方が仲良くするというのが、我が国の古来からの美徳であった筈。

 諸外国では、謝ったら最後「貴方は悪いと認めたんだから賠償せよ。」ということになるのが常らしいけどネ。そういうのって、なんかイヤだね。

 

 論点がずれてきちゃったから、今日はもうおしまいです。

2013年9月11日水曜日

ザルで水は掬えない


 ザルとか網は、使い方によるとゴミをすくうのに便利です。ですからお掃除のための有効な道具となります。

 しかし、ザルで水を掬うというのは、できぬ相談です。同様に網でメダカを掬うというのも叶わぬことがら。

 このことから、救いようのないバカを呼んでメダカばかということがあります。

 

 先日、朝のラッシュ時間を過ぎてかなり空いた山手線に乗ろうとしたとき、後ろから若い女性に突き飛ばされました。もっとも、若い女性だとわかったのは後のことです。

 その後っていうのは、一つだけ空いていた席に座らんがためであったということだし、なぜ座らねばならなかったかというと、座って眠るためだったのであります。

 座るやいなや、およそ人類の品性とは程遠い顔を人前に曝し、口も足も広げて寝てしまいました。おーおー。

 はじめはショジョのごとくって風情更になく、最初から最後までダットのごとしでした。

 

 ガッコも親も一体なに教えているのやら、それとも教わったけれど身につかなかったのか。

 我が身の目先だけを求めてなりふり構わず得たものなど知れたもので、心の平安や幸せな気持ちに至るには程遠いもの。

 

 なにごとをも可能にするといわれる潜在意識の世界では、自分と他人を区別できないのだといわれています。

 善人ぶる必要はないかとおもいますが、利己的なことばかりやっていると、自分がそれをわかっているだけにどっかでツケを払う選択をしてることに等しいのでは・・・

 ザルで水は掬えない。幸せも掬えないということになる。

 自分にも他人にも気持ちの良いことをしたらどうかと思うのだが・・・

2013年9月10日火曜日

作法というのは見た目が大事


上品で、感じの良い人というのがいます。

マナーというか作法というか、そういうものが身についていることが、自然に醸し出している雰囲気がそうさせているように思います。

 

作法というのは、見た目が大事だと言われます。姿形を整えるだけでなく、所作の美しさが求められるということです。

 

見た目が誠意を表す。

立ち振る舞いは、いつにあっても美しくあらねばならない。即ち、立っていても座っていても歩いていても、ということになります。

 

実質的な気持ちに敬意があれば、自然にそれが出るものだということに一理あるようにも思いますが、まずは形から入った方が早いように思えます。

 

形ができると、それに伴う意味も自然に理解できるようになる。

お稽古ごとの基本は、まず形から入るのも、そんなあたりから来ているように思います。

2013年9月9日月曜日

心が痛まないのだろうかと悲しかった去年と違い


心が傷まないのだろうか?

 無残やな フェンスの下の青苺

 写真にするのも悲しいから、あえて撮らなかった。

 

 地主さんが、毎年自由に採らせてくれているブルーベリーがあります。

 感謝の気持ちをこめて下草を刈り、肥料も撒いていたところ、今年は例年にもまして沢山の実をたわわにつけていました。

 地主さんも、ブルーベリーの上にかかる庭木の松やスオウやケヤキの枝を払って、日当たりがよくなるようにしてくれていました。

 ところがです。誰がやったのかわかりませんが、折角育ちつつある実がついた枝を、見るも無残にボキボキに折って投げ捨ててしまった人がいるのです。

 なぜにそうしたのかは解りませんが、命有るものをそのように粗末にして、後味が悪くないのだろうか?

 誰も見てなければ、よそのものでも平気で毀損して憚らないという行動は、どんな精神構造がなせるわざなのだろうか。

 

それが去年の出来事でした。

今年は枝も綺麗に伸び、実を沢山つけました。
お陰様で、毎日日課のように暑い陽射しの中で実を摘み取り、それをジャムにして友人知人に配ることができました。

2013年9月8日日曜日

なかなかやらないが、やると良いと言われること


 ツキを呼ぶ為にやると良いことの一つが、墓石クリーニングだと言われます。
 それをすると、自分にとって最強の味方であるご先祖様が、喜んで力をかしてくれ易くなるからだそうです。


 綺麗にすることは、大いなる守護の力と通じるのに一番すぐれた方法だと古来から言われているように、何事も人智を超えるものは清浄であることが入り口だからです。

 実際に運がつくことをやったことのある人は、皆そのように言います。

 

 そういう意味で言えば、トイレ掃除もそれに通じているかも知れません。

 自分が何をしたらいいのかということは、本当はずっと前から自身ではわかっていて、どうすれば解決するのかが、墓石をクリーニングをしている中に初めてハッキリ自覚できたのだと・・・


 潜在意識が伝えてくるものに素直に従うのが、結果としてよいようです。

 前に進むためには、何らかの強いキッカケが必要らしいのです。

 

 そんなこんなは抜きにしても、綺麗になると文句無く気持ちがよいです。

2013年9月7日土曜日

今はもう、どこへ行ってしまったやら


 今朝はもう、どこに行ってしまったのか、目にすることはできませんでした。

 

 不作為による遺棄にあたるのか悪意の遺棄になるのかと気が重かったが、不可抗力条項により免責になるとのことであれば、気持ちが和らぐ。

 

 なんの話しかというと、アゲハチョウの幼虫が、葉っぱを食べつくしてしまいそうになって、サナギになるまでをどうするかという段階に立ち至ったということです。

 山椒であれ柑橘類であれ付いた木から移ることはないようですから、余り沢山の卵を産み付けると、上記のような仕儀になります。

 当家の青虫は、「ここは西洋か?」と思うほどシャレていて、フェンネルやイタリアンパセリの葉っぱに付いているのです。

 

 必死になって葉をモリモリ食べてる姿をずっと見ていれば情も移るから、なんともならなくてもなんとかしなくっちゃなんて思ったりしてたけれど、引越し先の葉っぱはなさそうだし・・・

 

 なにせ私事だって、弱音は吐いてもへこたれない心算で頑張ってるんだから、縁あって当家の葉っぱを食んだ虫さんなら、なんとか生きながらえてくれっ!

 

 庭先の、限りある量の山椒やフェンネルやイタリアンパセリの葉っぱでは、揚羽蝶となって飛び立つことができる数は知れているのに、飛来する小鳥にまで啄ばまれてしまうこともあるのです。

2013年9月6日金曜日

「げっきょく」さんは苗字?


 名探偵ホームズ君ものけぞる推理。

 

 前にお得意さんと歩いているときのことなんですが、「AAさん、この間若いのと一緒にでかけたら、その若いのが『このあたりはゲッキョクさんという名前が多いんですね。』といったんですが、なんのことだかわかります?」と聞いてきた。

 ゲッキョクなんて結局わからないので「なんのことなんですか?」と尋ねると、「このあたりには月極駐車場が多いでしょ、その月極を田中駐車場とか山田駐車場と同じで苗字だと思ってるらしいんですよ。」という。そんなアホな!

 

 そういえば、恋人って書けないで変人とか書く変人が多くなったんだと。

 国語力の低下は目をおおうばかりです。脳ましいおっと悩ましいことでおじゃりまする。

 

 極め付けは、「神の味噌汁ってなんですか?」と聞かれたこと。

 神のみぞ知る。

2013年9月2日月曜日

イワナガヒメのお話


 神話に出てくるニニギノミコトさんは、大山積神から姉妹二人を嫁さんとして贈られたのに、浅間神社(せんげんじんじゃ)の祭神として祀られていることで知られる美人のコノハナサクヤヒメだけを妻にして、美人ではなかった姉のイワナガヒメを返してしまったので、以来、桜(コノハノサクヤ)のように短い命となり磐(イワナガ)のように長い命を授かることができなくなったのだとか。

 

友人が、「おじいちゃん長生きしてね。」と末頼もしくも賢いお孫さんにオッパイイッパイ一緒に飲もうと誘われたが、流石にそれはマズイから断ったのだとか。モッタゲナイ(信州弁)ことをしてしまいましたとの冗談があって、話しが長生きのことにすすみました。

 

このイワナガヒメノミコトを祭る神社は少ないのですが、健康を護る神様であります。

 

主祭神として祭られる神社がアマテラスオオミカミに較べ少ないと思うのが、スサノオノミコトで、もっと少ないのがツキヨムノミコト。三人兄弟なのにね。

 伊勢以外で月読命が祭られている神社は、私が知るところでは横浜の桐蔭学園の近くにあったように思います。

このご三柱は、世界を昼と夜と黄泉の世界に分けて統べるようになったのでしたっけ。(古事記を読み返してみたくなりました)