2013年11月30日土曜日

人を惑わす冗談は


 さる山登りの集まりから帰ってきた家内が、「ねー、モグラってどうやって増えるか知ってる?」って聞くから、「モグラって、土竜って書くモグラのこと?」「そう、そのモグラ。」

 

「ありゃあ多少下等動物なのかも知れないが、一応は哺乳類なんだから子を産むんでしょう?」「そうよねー。」といいながら浮かぬ顔をする。

 

 集まりに参加していたリーダー格の人が、まことしやかに言ったんだそうです。

「モグラは、関東のモグラと、関西のモグラは種類が違う。昔は、箱根の山を越えられないので、関西のモグラが関東に移ってくることはなかったのだが、ゴルフ場の開発で大量の土を運ぶようになって、その時に、土の中のモグラの卵がトラックで関西から関東に移動して来たのです。」と、真面目な顔で説明したんだとか。

 

 ばかいっちゃ~いけません。おんなこどもを誑かすんじゃない!ってんだ。

 でも、あんまり真に迫ったような言い方をされると、冗談でも騙されちゃうことってあるよね。

 

ひびわれた ひびにひびくは ひひのこえ ひひかかえらぶ ひびくったちえ

 

罅われた 日々に響くは狒々(トシヨリ)の声 否々可々選ぶ ひび(オカイコサマノサナギ)食った知恵  (自作)

 

 

並列の「も」で怒っているんでは


 久しぶりに会った人から、「君も太ったね。」と言われて傷ついた、などと怒ってる人の記事を読みました。

 君「は」じゃなくって、君「も」と言ってるのに、なんで怒るんだろね。

 

 「も」と言ってるからには並立なんだから、僕も太ったけれど君も太ったねっていう意味であって、僕は違うけど君「は」太ったね、ってことじゃないんだから何を怒ることがあるんだってんだ。

 そんなんで怒るくらいなら太るな!「おかげさまで幸せ太りよ。」くらい言ってみるくらいの余裕がほしいものです。

 

 だ~いたいやね~、少しばかりのことに「傷ついた」っていう言い草がなじまない。腹がたったとか面白くないとかいうんならわかるけどね。

最近、「傷ついた」という表現が多すぎるように思う。ヤワになったものです。

 

 同じように、よくつかわれる「いやされる」ってのも変じゃないか?

癒すっていうのは、元の状態に戻るって意味なのだから、もっと先の楽しい領域まで行くことを望んだらいいのに・・・。

 

 今年花落顔色改 明年花開復誰在 寄言全盛紅顔子 伊昔紅顔美少女 ?

 

 

2013年11月29日金曜日

男の顔は自分でつくる


 男の顔は自分でつくるものだといわれるが、友人の記事が出ているというページをクリックしたところ、普段見たこともないようないい顔で写ってました。よそゆきの顔。

 いよっ!イイオトコ!(なんか出るかな~?)

 

 なんか出るって言えば、オンミョウ(陰陽)を別ける丑三つ時っていうのは聞くけれど、建礼門院 平徳子さまのミヤビタ文にある丑二つというのは、知りませんでした。

 

 むかしのひとは、ふだんからこのように教養あふれる文を書いていたんですから、和歌を詠むのがうまいのは、蓋し当然というわけでおじゃりまするなぁ。

 それとも和歌を詠むのに長じていたから、文もうまいのかしら。

いずれにしても、普段から言葉づかいに気を配ることは大事なことです。

 

日本通のガイドに恵まれて


何年かぶりで行ったマレーシアの現地ガイドは、日本語が達者で、よく勉強していると感心しました。

先日書いたマラッカの名前の由来や、寺院の故事来歴、建材の説明、描かれている絵や模様の説明などなど・・聞けばたちどころに答えてくれるから、こちらサイドの教養も必要でした。

 

仏教・ヒンズー教・イスラム教・キリスト教などなど宗教は入り組んでいるのだと説明しながら、本人はJAなのだと言う。

なんだと聞いたら、JAは農協だからNO教なのだと、かなりの日本通でありました。

 

 

2013年11月28日木曜日

長かれと思う命の短くて


千年も万年も生きたいと思っているわけではないにしても、まだすぐに命が尽きると思ってはいない人が殆どである。

いずれはその日がくるにしても、それを意識することは少ないようです。

それはそれでいいことなのではないかと思います。

 

「長かれと思う命の短くて 伸びてせんなき髪の長さよ」

或いは「長かれと思う命は短くて いらぬ私の髪の長さよ」

などと嘆くことはあいのです。人は、生きているそのことだけで意味があるようですから・・・

 

落語の世界なら

長かれと思う布団は短くて いらぬ親父の脛の長さよ、などと笑い飛ばしてしまいます。

 

気を付けた方が良い言葉 「生きざま」


自らを遜って(へりくだって)表現するならよいが、他人が言うのには違和感のある言葉というのがあります。

「いきざま」と「みぼうじん」が代表的な例です。

 

日本語では、生き様(いきよう)死に様(しにざま)というのが対句です。

「ざま」というのは、「ざまあみろ」という使われ方がされる通り、品があしゅうございます。

自分の生き方を自嘲して「生きざま」というなら許されても、他人がそう言ったら失礼です。

 

「未亡人」というのは、読んで字の如く「いまだほろびざるひと」という意味です。

本来なら夫と一緒に死ぬべきところ、いまだ死なずに残っていますという表現ですから、本人がそう言うならまだしも、赤の他人が言うのは無遠慮すぎます。

 

これに類する言葉というのはありますから、要注意です。

 

2013年11月27日水曜日

角を矯めているつもりが


 遅い時間に昼食を摂りに出かけました。

 おなじみの帷子川を渡るところに横断歩道があって、前方から来る車は近所に数少ない駐車場に入るために左折するのですが、歩行者が多くて混雑する所です。

 

 少し待ってあげれば人並みが途切れて、何台かの車が捌けそうだったので、おなかは空いていたのですが横断歩道で立ち止まりました。

 運転手は軽く礼をして交差点上を曲がり始めたのですが、その鼻先を足取りも覚束ないお婆さんが急に渡りはじめたのです。

 車は急停止して危うく難を逃れることができたのですが・・・

 

確かに歩行者優先かもしれませんが、23秒を争うようなことかね婆ちゃん。

怪我をすれば、自分が痛いだけでなく、多くの人に迷惑をかけます。

 

しょうがないっていえば、間違いなく今はそうしなくっちゃならないのかも知れませんが、人に道を聞かれたらすぐに逃げなさいって指導するんだって。

 

牛を殺すようなことを重ねてきた結果が、美徳も潤いもない殺伐とした世の中になってしまい、よりそれを推し進めてしまう教育をせざるを得ないっていうんじゃ、どっからかやりかたを間違えちゃったんじゃないかしら?

 

食事を終えての帰り道、高校生が23人ずつグループになって、道路のゴミ拾いをしていました。ちょ~ちょ~、格好よかったです。

 

 

 

2013年11月26日火曜日

マラッカという木の名前が地名に


何年振りかでマレーシアを訪れ、海賊で有名なマラッカへも行ってきました。

 

 パレンバンの王子パラメスワラは、マジャパイト王国に攻めこまれたため、マラッカ海峡を渡って現在のシンガポールに移りました。

しかし、パラメスワラはその後も各地を転々とした後、ようやく落ち着いた場所が、マラッカでした。

マラッカというのは、休んでいたところにあった木の名が「マラッカ」と呼ばれていたところから来ているのだといいます。

 

葉っぱは写真のように、一見ネムノキに似ています。
 

オランダ広場からセントポール教会に登る道の脇にありました。

 

茄子に無駄花なしというけれど


夏、繁っていた茄子が、秋茄子をならせていましたが、もう冬だというのにまだ、いくつか花を咲かせています。

 

 親の意見とナスビの花は、千に一つも無駄がない。そう昔の人ははいいましたが、今そんな覚悟があって子にものが言えている親がどのくらいいるだろう。

まさに為す(成す)というには覚悟がいるのです。

 

さくばんは、酔ったおじいさんが多少怪しげな呂律で面白い歌を口ずさんでおりました。聞いたこちらもかなりいい加減だから、あまり定かじゃないけど、こんな歌詞でした。

 

親が裁判官で子が泥棒   (おや~がさいばんかんで こがどろぼう~)

検事判事が叔父さんで   (けん~じはんじが おじさんで)

そこで弁護士が従兄弟なら (そこ~でべんごしが いとこなら)

何で裁きがつけられよう  (なんで さばきがつけられよー)

 

まさに「わや」、めちゃくちゃです。

自分だけ良ければというのは、なかなか通らないことなのですが、誰も見ていない誰も知らないということになると、気が緩むらしい。

でも、一番知られたくない人が知ってしまっている、ということが多いようです。

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2013年11月25日月曜日

孟母ではなくて毛母


 「もうぼ」っていったって、孟母三遷(孟子の母親が、孟子の教育環境の為に3回引越しをしたという故事)のことじゃなくって毛母細胞のことです。

 

 近所のひとじゃなくって、遠くのひとが言ってくる前に正直に言っとくネ。

 

 私は大分白いのが増えてきたので、時々染めています。

特に、海外に出るなどという時は、要注意です。パスポートの写真と実物に差が有りすぎると、パスポートコントロール時に変に時間がかかるような気がします。

 

それでも、段々薄くなってきてはいるけれど、カツラのお世話になるほどではないのは、有難いことです。

 ふさふさした黒い毛であったころは、白くなったり薄くなったりしても、自然のままに任せようと思っていましたが、いざそうなってくると考え方が少し変わってきました。

 

見栄とか格好付のためというのではなく、きちんと身綺麗にすることが気持ちも引き締めるし、周りの人の気分も良いのだと気がついたからです。

 

そういう意味で、服装も気を配らねばならないのだと思っています。

 

 

2013年11月20日水曜日

思い出す高尾山からのダイアモンド富士


ダイアモンド富士

 何年か前のある日のの午後、思い立って高尾山へダイアモンド富士を見に行ってきました。

 冬至前後の、それも天気に恵まれるという条件があって見られるということになるのですが、当日は富士山頂には竜のような形をした雲がかかっていたので、前年に見たほどにはダイアモンドは見られませんでした。

 しかし、その竜のような形の雲は金色に輝き、山の端がオーラに包まれたようになって、それはそれは美しゅうございました。
 

 

 もう、高尾山には何年も行っていません。リフトやケーブルカーで登れば楽なのに、この山は下から歩いて登ることにしているので、出かけるには勇気がいります。

600メートルそこそこの山なのにね。

 

 オーラといえば、前に意識レベルが上がるという話をしましたが、意識して見ればご自身のオーラも周りの人のも、見えるようになっているかと存じます。気づかないでいるだけです。

 

 併せて、自身の内なるパワーにも気づいてきているかと思います。

 

 

2013年11月19日火曜日

菊の花の漬物「もってのほか」


菊の花の漬物に、「もってのほか」というのがあります。

皇室ゆかりの花を食べるなどもってのほかだ、という説と、食べるともってのほか旨いからだという説が名前の由来としてあります。

 

高校時代からだから、もう50年来の友人が、コンサート会場まで遠路お土産だと言って重いのにわざわざ菊の花を沢山持ってきてくれました。有難いことです。

 


家内が腕によりをかけて、早速「もってのほか」を作りました。
 
 

 

 

2013年11月18日月曜日

むかしむかし


むかしむかし、ある山間に美しくて平和な町がありました。住人は、花火が大好きでした。

夏ともなると、町中にある幾つかの神社には、それぞれの氏子が集まって、花火大会の趣向を凝らし、近隣の村々にまで知らせ、夜空を競い合って彩ることを無上の喜びとしていました。

その夜は、商店も屋台も毎年遅くまで賑わいました。

花火職人も町の人も、花火は火薬を使うという危険性を十分知っていて、それでも町の発展の為に協力しあうのだから、住み分けはできていました。

町が発展するにつれ、人が集まるようになり、最初は承知して住んでいたのですが、段々に花火師の家は山裾に追いやられ、それでもたりずに隣村に移らざるを得なくなりました。

大勢の意見には敵いませんでした。

 

隣村には、町の人の食べ物を供給する為に、家畜の飼育が盛んになりました。中でも養豚は育ちが早いというので、それを専門に飼う家が増えました。

しかし、これにも問題がありました。豚はうるさいばかりでなく臭いのです。

人口が増えるにつれ、養豚業者も段々に追いやられていきました。

良い悪いのお話ではありません。こういうことは沢山ありそうです。

2013年11月7日木曜日

帽子のマナーは難しい


最近、TVなどを見ていて感じるのですが、室内で帽子をかぶったままでいる男性が増えたように思います。女性でそうしている人は、それに比べたら少ないようです。

自己主張のファッションなのかも知れませんが、違和感を覚えることも多々あります。

帽子のマナーはちょっと考えてみると、結構難しそうです。

 

帽子は、熱い陽射しを避けたり寒さを防いだり、危険な落下物を防御したりの目的で被られています。或いは、礼式を整える目的や、身分・階級の象徴として場所により被られるものでもあります。

日本には、明治時代に洋服とともに欧米から入ってきて、まずは男性がかぶるようになり、遅れて女性もかぶるようになったようです。
様々な場所と形で使われていますが、歴史や風俗が違うこともあって、きちんとしたマナーが分からず、迷われている方が多いようです。

上司・先輩・知人に会ったときは、帽子を脱いできちんと挨拶するのが普通ですし、紳士たるものは淑女に会った時にはいかなるときでも帽子をとって挨拶します。

基本的に男性は、屋内においては脱帽する方が良いようです。

西洋では女性の場合、帽子は靴と共に服装の一部と見なされ、外出には必ずかぶる習慣のため、どんな場所でも取らなくていいといわれます。

教会では必ずかぶり、また公式のランチョン(人を招待する食事)やレセプションには帽子のまま出席したのだといわれ、現在でも、皇族女性の昼間の公式行事では守られてます。

帽子をかぶってはいけないのが、ディナーのとき、イブニングドレスを着たときです。


日本では帽子のマナーをどう考えたらいいものでしょう。
靴を脱いで上がる日本家屋に帽子は似合いません。洋間でも目上の人と面談のときに帽子をかぶっていると失礼だと思われることが多く、まして食事中に被ったままでいるのは、なお不快に思われます。


日本では、男性は勿論、女性も「何かその場にそぐわないな」と自分が感じたときは、取った方が無難です。

映画・演劇を見たり講演を聴いたりするときは帽子を脱ぐのが原則だと思います。

  

しかし、本来なら帽子を脱ぐべき場面でも、カジュアルな帽子をかぶっている人に対し、

帽子を取るべきだ、と言う気はありません。

なぜなら、頭に怪我をしているかもしれないし、禿や薄毛を見られたくないのかもしれないし、

寝癖を隠すためかもしれないからです。

 

 

2013年11月6日水曜日

漠然とした不安の中に


それが何かは判然としないけれど、多くの人が不安の中にいる。

激動の状況が生み出した歪みと考えることもできよう。

時代の進展は暮らしを豊かにすると同時に価値観の変化をもたらし、それは次第に他者への思いやりを失わせ、翻っては自分に孤独感や疎外感、原因のわからないいらだちを常時抱えることにもつながった。それを補うには、沢山のお金が必要だと思い込むようにもなった。

周囲との関係もぎくしゃくし、何をやっても思い通りにいかないという思いもあって、互いを疑惑の目でみるようにもなり、更に居心地の悪さを増すから、頼るのは周りを屈服させる力なのだと方向づける歪んだ考えを持つに至った人も多い。

豊かさを求めることは悪いことではないが、何が大切なのかを見失うのであってはならない。

心を満たすのは、目を自分自身に向けてみることで、良いも悪いも含め自分を理解することから始まる。

「自分のことは自分が一番知っている。」と誰もがよく言うが、それほど不確かなものは少ない。自分が思っている自分と、周りが思っている自分には、愕然とするほどの隔たりがある。

心の知能テスト(IQテスト)というのがあるからやってみるとよくわかる。

自己や他者の感情を知覚し、自分の感情をコントロールする知能を知る手立てである。

2013年11月4日月曜日

君子危うきに近寄らず


 君子は、危ないことはしない。という意味ではない。

 君子たる者は、危ないとわかっているところに好んでわざわざ近寄るようなことをしない、という意味であります。

「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。

 

 刑場に曳かれて行く石田光成に、警護の武士が道端になっていた柿の実をとって差し出したところ、「柿は身体を冷やすからいらない。」と断った話しは有名であります。

 もうすぐ死ぬ身にしてこの覚悟。プロとしかいいようがない。

 

 野球のピッチャーは利き腕で重い物を決して持たないし、常に肩を冷やさない努力をしている。

 ピアニストは余り握手ということををしないし、かりに握手するとしても強く握り合うことはしない。指を痛めたら困るからです。

 人間楽器ともいうべき、ソプラノ歌手であり、前にこのページに書いたこともあるエディタ・グルベローバは、夏になってクーラーが要る季節になると避暑地に出かけるのだとか。

 クーラーが喉によくないからというのであるが、それでこそ高音であの余裕のあるピアニッシモの声が出せるのだと納得させられる。

 

 縁あって知り合いとなったドイツ在住のテノール歌手が、何年か前のことであるが、直前の北海道公演の折に風邪を引いてしまい、すぐ後の東京公演の時に本来の声がでなかったのがプロとして恥ずかしいといって翌年再来日し、前年の来場者全員を無料招待してくれた。自己責任だという。

 仕事に差し障りがあるとなれば、どんなにやりたいことであってもそれを避けるし、本業に影響がでないよう、健康でいるように気を配る。

 プロというのは、人に見えないところであっても身体を自己コントロールしたり、道具を整えたり、必要と思ったことを地道に鍛え上げたりしているのだとおもう。

2013年11月2日土曜日

小説「夏風越の」番外編 白魔


 伊那の谷は、深い雪に閉ざされた。その上に座光寺富士に積もった雪が風に

吹き飛ばされてなお降り注ぐ。
 目も開けられぬ吹雪の中を、白く大きな何者かがふわりと舞い降りたのであ

るが、夕暮れ時であったというばかりでなく、余りにあたりに溶け込んだよう

な顕れ方ということもあって、誰の目にも触れることはなかった。
気づかれることのない表れは、危険を伴うことが多い。時代が変わるときとい

うのは、どこかが緩む。小さくてもそれは徐々に進む。
 人は、芯に座るものに従っていれば、それが義であれ仁であれ徳であれ美で

あれ礼であれ筋は通っていくのであるが・・・
それがなかなかに難しいものであるらしい。

 雪闇を切り裂いて、白羽の矢文が飛んだ。
それは雪の積もった屋根ではなく、雪を避ける為に閉ざされた雨戸に深々と突

き刺さったのであった。降りしきる雪の中とはいえ、痕も残さずやってのけた

ことに手練を感じさせてあまりあった。
 白羽の矢が立つことの意味は、この地にあっては石見重太郎の故事に直結す

る。

 強風に吹き払われたのか嘘のように晴れ渡った天空が表れると、そこは満天

の星空であった。
 その昔、星は天空に開いた管であり、そこから異界の光が漏れ出ているのだ

と信じられていた。
 雪の上に星明りに照らされてぼうと浮かんだのは、全身を白い毛で覆われた

ように見える影であった。異界からの現出にも見えた。
影は即ち光。一体何を揺るがそうとするのだろうか。
 このところ、京への様々な扮装の旅人の往来が増えたかにみえる。

 河原一蔵は、代を継いで十二代となる。微禄な下級武士として目立たない勤

めを果たしてはいるが、武芸をもってしたら家臣中随一の腕であるとの自負は

ある。ただ目立つことがないように控えねばならぬ役目を負っているから、そ

れが自意識を苛む。誰からも軽んじられていることをもって隠しおおせている

との思いは強いが、時折すれ違う薄田隼人だけはどうも苦手で、平静を装いな

がらも背筋に緊張が走る。腕前を見破られているのではないかとの気がかりが

残るのである。表舞台に立てるのであれば、肝胆相照らすつきあいができるよ

うになるのにと思うのである。このままで持てる才能をあたら埋もれさせてし

まうのかと、鬱勃たる想いに悶々とする日を徒に過ごしていた。
 「草」としての役目はとうに忘れ去られているのか、一向に及びはかからな

い。天狗党が移動しているのに何らの手立ても講じられていないのに、「つなぎ」

の気配すらない。
単身で道中を襲い、闇中に首魁数人を斃す位のことなど雑作もないことと扼腕

するのみであった。
 働く場所があるのに放置され続けることにより、さしもの忍耐の緒が切れた。

魔に憑かれてしまったとしか言いようがない。
 白羽の矢が立ったのは、小雪の屋敷であった。懸想していたのである。小雪

に何事か起これば隼人が係ってくるであろうことは容易に想像できたが、その

行動はもう後先を考える正常さの埒外であった。
 知らせを聞くやすぐに、隼人は急ぎ小雪を飯田城に伴い堀公に預けた。後の

動きをとりやすくするためであった。解決の目途がないわけではなかった。
 城を下がる道で、何食わぬ顔で登城してくる河原一蔵と出会った。
「そこもとか?」「矢張り見破られていましたか。」いっそ潔くはあった。
「場所を改めよう。」「相わかり申した。」
歩を進めた先は、狒狒退治伝説の由緒を持つ
姫宮神社であった。
「そこもと、我慢がしきれなくなったか?」
芯からその力量を惜しむような隼人の声音であった。「そこもとなら、憑りつい

た魔などいかようにも取り払えよう。このまま何処なりと行かれよ。働く場は

いずれ出て参ろう。」
「去るにしても、ここでの試合を所望。」
おめおめとは負けぬ気概を示さずにはいられなかった。
「それよ。自らを誇示せずばおけぬところに
憑りつかれたのよ。世の為人のための力でなくてはならぬに・・・」
 抜き合わせて切り結び、すれ違いざま一蔵は絶対の自信をもって飛びくない

を投げた。躱しもできず横っ腹にそれは突き立っている筈であった。
 向き直って対峙したとき一蔵は愕然としたのである。隼人はなんの手傷も負

っていなかったのである。
 隼人は、弓の名手である福島に至近距離から矢を射て貰って、それを避ける

修練を積んでいたのである。
 一蔵は、これを境に人前から忽然と姿を消した。後に隼人たちが魔との戦い
に臨んだとき、強力な助太刀として現れることになる。