2014年1月31日金曜日

名言「手柄は人にあげましょう」


自分が自分がという気持ちが強いと、時に苦しいものです。

 

自分が認められたいという思いは、誰にも共通してあることですが、同じように誰にでもあるのが「言い分」というものです。

全部が全部、その主張を聞き入れてしまうわけにはいきませんが、「なるほど、そういうことか。」と理解できることはあるものです。

100パーセント良い物も、100パーセント悪いものもないのですから、どこかで折り合いをつけることができるようになれば、世の中もっとスムーズにいきそうです。

 

「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう。」というのは、第74代総理大臣の竹下登氏の口癖だったそうですが、そうできたら素晴らしい。

 

2014年1月30日木曜日

勝手な注文です


テレビで、海外に出て素晴らしい働きをされている方の紹介番組がありました。

志が高く、立派な功績をあげている方だということは紛れもないことでありますし、番組中で質問等に受け答えされているときのコメントにも、感じ入ることは多々ありましたが、縁あってその方の極一部ではありましょうが、献身的に蔭で協力している方々を知っていることもあり、その他にも興味をもったことで漏れ伝わってきたこともあったりして、別の感慨があったことも事実です。

その方が決意して立ち上がることなくして現在の状況を現出させることは叶わなかったことは確かです。

それだけに感じてしまったということでありましょうか。

その方の意気に感じて、見返りを求めることなく献身的な協力をされた方々が、周りに沢山いたのだということも又事実でしょう。

「お陰様で、蔭に日向にいろんなご協力をいただきまして・・・。」とのひと言が、番組中のどこかにあったら、と思えたのです。

 

こう言っている私が何かやったのかと言えば、そうではありませんし、注文をつける立場ではもとよりありませんから、勝手な感慨です。

浮かんだのは「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という言葉でありました。

その方は、高潔な人格者であるのかもしれませんから、これは失礼かも知れません。

 

 『人々が懸命になればなるほど、ますます彼らは腰を低くし、他人から学ぼうとする』

人を人生の師と考えれば、
 自ずと周りに謙虚に接することができるのかもしれません。

2014年1月29日水曜日

ヴィトンを見かけなくなった


電車に乗っているとき、ふと気づいたのですが、前はそれこそ猫も杓子もというくらい抱えていたヴィトンのハンドバックを、殆ど目にすることがなくなった。

カラーコーディネイトのことを言う人は、持つ人の肌の色と合わなくて似合わないこともあるから、流行で持つのだったら考えたほうがいいとの意見も述べていた。

ブランドだけに釣られない、目を養った人が増えたということなのだろうか?

自分に合った良い物を見極められるというのは、望ましいことではあります。

 

古今東西、良い職人が心を込めて作ったものは、どんなものでも長く使って馴染むと、得も言われぬ風合いがでるものです。

 

 

2014年1月28日火曜日

草枕 旅ゆく君と知らまさば


 唱歌にある「埴生の宿」というのは、粗末な家というくらいに思っていました。

埴生というのは、まあせいぜいが埴輪をつくる土というのが、私の想像の限度でございました。
 ところが、埴生というのは黄土と書いてハニュウと読んでいたらしい。

草枕 旅行く君と知らまさば 岸の黄土(はにゅう)に にほはさましを
白波の 千重に来寄する住吉の 岸の埴生(黄土)に にほひ行きかな

 しかも、そのにほひというのが意味するものは、もちっと生臭そうございまして、やることをやるという意味だったというのですから、オドロキいぬるなのです。
 黄土というのは、染まるとか色に出すとかの心情表現なのだとか。


 なんですと?和歌の男女が「やること」ってなにかですって?

そんなことは口が裂けたって、この場ではいえません。

 

 

2014年1月27日月曜日

折角、伊勢神宮に参拝されるなら


朝熊山と書いて「あさまやま」。関東の人は、多分読めないのではないでしょうか。浅間山の方を頭に浮かべてしまいます。

 

標高450メートルの朝熊山は、備長炭の原料となるウバメガシに覆われた大きな山ですが、

山頂にある金剛證寺は、伊勢神宮の鬼門を護る寺として、神宮の奥ノ院ともいわれます。

「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と、伊勢音頭にも唄われています。

 

式年遷宮を機会に伊勢神宮に参拝される方は多いと思いますが、ぜひお訪ねになると宜しいかと思います。

ご本尊は「福威智萬虚空蔵大菩薩」で、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として、広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様なのだそうです。
 
 
 
 

 

2014年1月26日日曜日

神様はお見通し?


「神様はお見通しだ」「先生のお気に入り」など、自分より目上の人の行為に「お」をつけるのなら解るけれど、「これが私のおきにいりです」と、人様に自分の好物を指し示している姿を見ると、どうしても違和感を覚えてしまいます。
自分が他人の言動から推定できたことくらいで「お見通しだ!」とはね。

いつから偉くなったんだか?

 

そんな教養の程度を、神様はお見通しだとは思うのだが・・・

言葉の使われ方は、多少変でも一般的に使われるようになれば、変って行ってしまう。

「なにげに」などのように「なにげなく」ネ。

 

2014年1月23日木曜日

テレビが詰まらないと言う人がいうのに


テレビが詰まらないという人が増えた。

 

わけを聞いてみると、たいして面白くもない話ししかしない出演者を沢山連れてきて、自分たちの仲間内でだけ楽しむように、わ~わ~大声で勝手に話しているのは、うるさいだけだというのである。

そんなのばっかりだとも思わないが、番組によっては、訪問するのに相応しくない人がレポートしていて、見当はずれなコメントでお笑いに結び付けようとすることも多々見かける。

真面目な場面にしなくてはならないとき等には、後味が悪く感じさせられることがなくもない。

 

まあ、大勢が自分自分で大声でしゃべりまくり、人がなにを言ってるのかわからなくするような番組作りは、できれば避けてくれるとありがたい。仲良しクラブを見たいわけではない。

 

付け加えれば、コメンテーターが、なんでそんなに大勢出ているのか解らないのも、人が喋っているうちにかぶせるのか解らないのも、恒常的になっていないだろうか。

 

 

折角お金をかけても見て貰えないCMになったのでは


最近、テレビは録画して見るという人が増えたようです。

何故かと聞くと「コマーシャルがうるさい。番組の途中のいいところでCMを入れ、前後に同じところを何回も繰り返すから見ても時間の無駄だし、その部分は録画なら早送りで飛ばすことができるからすっきり見られる。」からだという。

 

折角スポンサー様が多額のお金をかけても、番組の構成に視聴者サイドのことを考えないでいてソッポを向かれたということなのでしょうか。

 

そういえば、どの番組でもコマーシャル付のものは同じような作りになっているから、制作会社は考えたほうがいい。

「ちょっと待った~。」どこも同じお馴染みの、聞き飽きたコマーシャルの台詞です。

 

 

2014年1月22日水曜日

西に黄色?福寿草と節分草


 お正月の縁起物であった福寿草の鉢物の花が終わり、草だけになって隅に寄せられたものが目に付きます。
 鉢植えもいいけれど、平場に咲いていたら、見に行くのにも楽でいい。

何年か前で、それがどこだったのか忘れてしまったけれど、山の麓に節分草の自生地、山の斜面には沢山の福寿草が黄色というより金色に咲いていたのを見たことがあります。





 福寿草は、見た目よりかなり広範囲に根が張る植物なので、土地の広さが大事なのです。

ですから、鉢植えにしたものは根を切り詰めているから弱い。


 一般的にいって植物は、木も草も枝や葉の広がる広さの分だけ根が張るといい、桜などは1本につき300坪の土地が必要だと聞き及びます。

 

 

2014年1月21日火曜日

気に入りのコーヒー


そもそもが日本人だから、お茶の方がよいのだけれど、午後はコーヒーを飲むことが多い。

気に入りのコーヒーは、ハワイコナコーヒーです。

それも、下北沢の南口を少し下ったところにあるコーヒー豆店「モルディブ」のが口にあっています。

長く下北沢に住んだから、それが馴染んでしまったらしい。

引っ越してから何年かは、近所で豆をかっていたのだけれど、何かの都合で下北沢に行った時は必ず買って帰るようにしていました。

あるとき、何年かぶりに店主に会ったのでそんな話をしたところ、「ネットでも買えるようになりました。」と聞いて以来、わざわざ出かけなくてもよくなりました。

 

今日も、家で焼いたマジパンを添えて、コーヒーを楽しみました。

 

種子島でネジを諦めなかったお蔭


「ねじ込む」というと強引な感じがするし、「ネジを巻く」というのも強制するように感じて、

ネジというのは、持っている意味が強い。

「螺子(ネジ)」というのは、「捩じる」からきているらしいが、ネジはそもそも強くなくては始まらない。

 

種子島へ鉄砲が伝来したのは、天文12825日 (1543923日)といわれ、種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」という明の儒生が西村織部と筆談で通訳をして、。同乗していたポルトガル人フランシスコ、キリシタダモッタ)の2人が所持していた鉄砲を、発射実演の結果、島主である種子島恵時・時尭親子が2挺を購入したのが最初だといわれます。

ベラボウに高かったらしい。

そこで、コピーして自前で造ろうとしたのだけれど、火縄銃の後ろは火薬の爆発力を受け止めなければならないのに、その強度を持たす技術がなかった。

「筒底をネジで塞ぐ」ことが必要なのだが、当時の日本にはネジがなかった。「くさび」や不十分な溶接によるのでは、暴発の危険があった。

 

このネジの技術をクリヤーできたことで、鉄砲生産は爆発的に増え、世界の総鉄砲所有量の大半を占めるようになり、結果として西欧列強からの侵略をされずにすんだ。

 

ネジ・カシメ・シボリ・・・日本の技術は凄い。

 

2014年1月20日月曜日

無駄話のようでいて落ちる鱗があるから


 集まって話をしていると「へ~~そうなんだ。」なんて、目から鱗・コンタクトレンズが落ちるように腑におちることを聞くことが多いから、世に埋もれているフリをしているが、なかなかどうして・・・という友人に多く恵まれていることは有難い。

 

 こないだも或る友人がいうのに、「中世の宗教画はコマーシャルの側面をもつんじゃないだろうか。」と、若いときのイタリア旅行の際気づいたんだと話題に出しました。

 

 芸術は、愛と情熱と技術だけではなく、そこに知性が必要なのだとついさきごろ他から話しを聞いたばかりだったが、そうか、プラス「おまんま」のこともあって然るべしなんだ、と変に納得しました。

 

 ほかにも、胸におちたのが、「それはエネルギーの物質化現象うんぬん・・・。」の説明。宗教で言う色即是空の「空」と「色」を、現代風に一番わかりやすく言うとそうなるのかも知れません。

 

 なんか適当にでも、話題を提供していると、いろいろ教えてもらえるからありがたい。

 

 

2014年1月19日日曜日

手を付けてみるとでき始める


 欲しいもの必要なものを手に入れるためには、もしそれが本気であるのなら、手をこまねいていないで、できるところから少しずつでも手をつけるというのが普通のことです。

 

 手早く簡単にできるなら、それににこしたことはないけれど、なかなかそういかないとなると、えてしてできないのを他人の所為にしがちであります。

悪いのは、いつだって自分ではないらしい。

 

 手間隙かけてなにかを成し遂げたときの喜びは大きいが、そういう喜びを知ることよりも安直に結果が出ることを望むむきが多くて、手を焼くことがあります。

 

 楽にできる方法を探すのは、効率を考えればよいことだと思いますが、それを探すための努力すらもしないで、ちょっとの困難にでもすぐに音をあげて、「それ聞いてない。」だの「教わっていない。」だの「マニュアルに書いてない。」だの言って済ませているのでは将来問題だろうからと、親でもないのにまるで幼児に対するように順々に教えていかなくてはならないのは面倒ですが、若い人のためには一肌脱がねば・・・

 

 手を出しすぎても出さなすぎても育たないから、本人たちが我が事と思えるようにするのには、手間がかかるのです。(手前味噌)

 

親は無くても子は育つ、なんてことは殆どの場合ありません。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

身近にある最大のパワーストーンで、気づきの体質になる。

「頭で解った」或いは「解ったつもりでいる」のと、どんなに小さくとも実際に体感して得ることとには、大きな差があるものです。

 

できることは有ります。何でもそうですが、やってみると今まで見えなかったものが見え、解らなかったことが解ってくるものです。早くやれば良かったと、やった人は言います。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをすると良いのか


 

一人でも多くの方が実施されるといいなと願ってやみません。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むシリーズ。

 

第一部・外伝・第二部

2014年1月18日土曜日

休日に、猫の童話を書いてみました

「恩返しができなくなった猫」 


 
あたりの木々の葉っぱが、赤や黄色に染まって、もうすぐ寒い冬がやったきそうな秋が深

まった午後のことでした。日陰に入るととても寒い風が吹いていました。

やせ細って歩くのがやっとの子猫が、少しでも温かい陽射しをと、日当たりの良い場所を

探してよろよろ彷徨っておりました。

おなかはもうペコペコでした。

お母さん猫とはぐれてしまったのか、心無い人間に無理やり遠くに引き離されてしまった

のかわかりませんが、もう何日も食べ物にありつけていない様子でした。

 

それを可愛そうに思った人間のお母さんが、台所からお魚を持ってきてあげようとしたの

ですが、用心深く後ずさりするばかりで、食べようと近づいてはきませんでした。

 

きっと、同じようにしてくれた人は、それまでにも沢山いたのでしょうが、親切に応えよ

うとしないその態度に、どこでも憎まれて、ますますひどい目に遭うことになったに違い

ありません。可愛がられる方法を知らなかったのです。

猫は、生まれて何日かの間、人に可愛がられることなく過ぎてしまうと、一生人に慣れる

ことがないと言われています。

今日一日何も食べなければ、もう危ないぎりぎりのところに来ているようにみえました。

 

お魚を持ってきた人間のお母さんは、近寄ってこない子猫に向かって、そのお魚を投げて

あげました。

人間は、時に猫にとっての神様であることがあります。

でも子猫は、また石か何かを投げつけられて苛められたのかと思い、必死で逃げました。

しかし空きっ腹にはこたえれれない美味しそうなお魚の匂いには勝てなくて、振り返ると、

そのお魚が落ちているところまで走りかえり、口に咥えて物陰まで走って行って隠れると、

夢中で貪りました。そうして、その日を生き延びることができました。

 

次の日も、子猫はお腹が空くと、今日も運がよければ餌にありつけるかも知れないという

かすかな望みに縋って、同じ場所に餌を求めてやってきました。

人間のお母さんは、今日も根気よく子猫が来るのを待っていてくれて、遠くから腹いっぱ

いの餌をくれました。

そうして何日か過ぎると、子猫は、どの家から出てくるお母さんが餌をくれるのかを覚え

ました。

それからは、その家の玄関先に行って餌を待つようになったのですが、餌をくれる人の影

が少しでも動いただけでも一目散に逃げ去り、人に慣れるそぶりは一向にみせませんでし

た。

 

毎日の餌に有りつけるようになると、子猫は見る見るうちに丸々と太っていきました。

それとともに、餌の選り好みをするようになり、嫌いな餌は一口も食べず残すようになり

ました。大好きなミルクは、一滴も残さず舐めるので、いつからかミルクが沢山入る器が、

餌場に備えられるようになりました。

その器は、子猫を見ない日であっても、いつの間にか空になるのでした。

 

お母さんの家族は、子猫を大事にしているお母さんにつきあって、猫が餌を食べていると

きは遠慮して、玄関から出入りしないようにしていました。

「なんで面倒を見ている方の側が、見られている方に気を使わなくっちゃならないんだ。」

なんてことを言うことはありませんでした。

恩を着せようとか、何かの見返りを期待してのことではなかったのです。

でも、もし猫語が話せたら「他人に好かれるようにするには、もっと心を開いたほうがよ

いし、そうした方がもっと伸び伸びとした気持ちで楽々暮らせるよ。」と、教えたに違いあ

りません。

世界を狭めているのは、子猫自身だったのですから。

 

段々慣れてきといっても、子猫から5メートル以内には、世話をしているお母さんでも近

寄ることはできませんでした。

そうこうしているうちに子猫は成長して、誰の助けも借りず自分で餌をとることができる

ようになりました。

猫は、自分一人で大きくなったのだと思うようになり、好きな場所を探して生きようと旅

立ちました。

 

猫を見かけなくなって1年程過ぎたころ、線路を越えた向こうの草原に、白かった毛が真

っ黒に汚れたその猫が、走り回っているのを人間のお父さんが見つけました。

お母さんにその話をすると「そう、元気で生きていたのね。」と言って喜びました。

 

逞しく育った猫は、その後は猫社会の中で生きるための戦いに明け暮れました。誰も頼り

にできなかったのです。

気が付くと、生まれ育った場所からは遠く離れてしまっていて、帰り道はもうわからなく

なってしまっていました。

戦いに次ぐ戦いで、ある日猫は大怪我をしてしまい、自分で餌を獲ることができなくなり

ました。何日もそんな日が続いて、空腹に耐えられなくなりました。

「まてよ、この感じ、ずっと前に同じようなことがあった。」

今日何も食べることができなければ、明日を迎えることはできそうもないと覚ったのです。

その時になって、子猫の時に餌をくれた人間のお母さんのことを思い出したのです。

甘えてじゃれついたことは一度もなく、お礼もひとことも言わないで出てきてしまったけ

れど、今だって帰れば黙って餌を出してくれるということは解っていました。

でも、帰り道はわかりません。「顔を見せるだけで恩返しになるのだから。」という言葉が
どこからか聞こえてきたのですが、それもだんだん聞こえなくなっていきました。