2015年12月31日木曜日

キューピーさんには羽がある

可愛らしい姿をした私のキューピーさんは、マスコットとしてPCの横に飾られています。
何年か前、家族で出かけた帰りに立ち寄ったお店に何種類も飾られていたのですが、神様がこれを買い求めるようにとおっしゃるので(本当です)、家族3人がそれぞれに告げられたものを手にいれました。
人形の背中には、小さな翼が生えています。(どのキューピーにも有るのですが、意外に気づかないでいる人が多い。)
そもそもキューピー人形は、キューピッドをモチーフにオニールにより作成発表されたものですが、いつのまにやら、お守りにも使われるようにもなってきています。
まあ、可愛らしいからいいか・・・

KEWPIE」のキャラクターの誕生の背景については、小さい頃から演技や絵の才能を注目されてきたオニールが、彼女自身の二度目の離婚直後の時期、子供がいなかったことから、幼児の姿を持ったキャラクターに投影したものであるという分析があるそうです。
キューピッドのスペルである「CUPID」との違いを明確にするために、スペルをKEWPIEとしたとも伝えられています


2015年12月30日水曜日

これが両国にとって禍根を残すことにならないだろうか?

慰安婦問題について日韓の合意があったということで、決着がついてまずは良かったと一旦は思ったが、本当にこれで良かったのだろうか?

青山繁治晴氏 youtube から聞くと、海外での報道はどうも全く違った捉え方になっているらしい。日本が性奴隷を軍の関与があったと認めて謝罪し、多額の賠償金を支払うということになったという内容で報道されていて、我々の受け止め方とは全く違う。

アメリカの圧力があったのか、外務省あるいは官邸に間違った情報を進言する人がいたのか、はたまた余りのしつっこさに根負けしたのか判らないが、これによって収まりはしないように思える。今まで事実と違うと頑張ってきただけに、残念である。
これまでの韓国のやり方から考えれば、この結果をもとに、かさにかかって更にいろいろ要求してくるに違いない。

我々が社会生活を営むとき、好き嫌いや意見の違いがあったとしても、まず仲良く付き合える方法を探す。
目先で得をしたように思えても、先々まで考えたら、決定的に嫌われるよりは、良いことを認め合ってそれを育てた方が共通の利益を長く享受できると理解しているからである。
国同士であっても、それは同様であろう。

日本は、アメリカがこんな酷いことをしたあんな酷いことをした等とあげつらい、いつまでも過去のことを言ったりしないでいるのもそういうことであろう。

日本がいかに韓国と仲良くしていこうと思っても、反日教という宗教に喩えられるほどに徹底されてしまった彼の国の教育で育った世代が、昔のことを知っている老人たちがいなくなったら尚のこと、この先に関係を修復する動きをするとは思えない。
そんなことをしたら、アイデンティティーの崩壊を起こしかねない域になっていると、彼らの言動から推定できるからである。
不幸なことに、嫌韓が一気に進む結果を招くかも知れない。


人と人の関係も難しいが、国と国との関係も難しい。惻隠の情などというのは通用しないのかも。

赤字だ赤字だと不安を煽る記事が多いけれど

日本国のGDPは、2015年(7~9月)529兆7000億円であるという。
一方、国の財政赤字は1000兆円を超え、すぐにでもギリシャのような危機を迎えるかのようなことをいう人がいるが、本当に本当なのだろうか?

財務省は、国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が201412月末時点で
10299205億円になったと発表している。
この数字だけを見れば、確かに日本の財政は危機的状況であると言えよう。
しかし、マスコミは国の借金という定義を完全にはき違えて報道してはいないだろうか?

そもそも、国の借金とは「政府部門+家計(+NPO)+法人企業+金融機関」の借金合計のことを言います。
マスコミが報道する国債累積額=借金とは日本経済を構成する一部である政府の借金のことを言っているに過ぎません。

確かに政府部門は多額の借金を抱えていますが、家計・企業部門は多額の黒字=貯蓄をもっているのであり、家計・企業部門の黒字は膨大で政府部門の赤字を吸収することができる。

2015年3月に日本銀行が公表した資金循環統計によると、日本国の資産は3265兆円(家計:1694兆円、民間非金融機関=企業:1019兆円、一般政府(地方自治体含む):552兆円)となります。

一方、負債は2979兆円(家計:366兆円、民間非金融機関:1420兆円、一般会計(地方自治体含む):1193兆円)となっている。
その差額=日本国の純資産は286兆円にもなるプラスということになる。
これが日本国のバランスシートとなる筈。(2014年資金循環統計:日本銀行)

一般の企業でも多額の借入金を計上しているが、その借金の大きさをもって、その企業が危ないなどといわれることはない。
その借金を越える資産があれば、安定した会社という評価を受ける。

日本国全体で見れば大幅な黒字超過となっており、その証拠に日本国は世界一の対外純資産を持っている大金持ちの国であるともいえる。

本邦対外純資産を見てみても、平成25年末で資産残高797兆円、負債残高472兆円となり、その差額は325兆円ともなる巨額なもの。(平成25年度末現在本邦対外資産負債残高の概要:財務省)
となれば、日本は財政危機ではなく、逆に世界一の債権国ということになる。
日本政府の借金が1000兆円あると言っても日本国全体で見れば大幅な黒字で、政府部門の赤字を問題なくファイナンスすることができるということでもある。

しかも、政府の発行する国債の9割以上が日本国内で消化する内債であり、その発行する国債はすべて日本国通貨(円)で発行されている。
日本国政府には円を発行する権利(通貨発行権)があるのであって、万が一、返済期限までに資金を準備できなかったとしたら、インフレになるかも知れないが、極端な話しその分の万札を刷ってしまえばいいということでもある。

日本政府が発行する国債は、今も極めて信頼度が高く、マスコミがいうように国債の累積残高がGDPの2倍となっているから、日本もギリシャのように財政破綻する懸念があると報道は、少し違うように思える。

ギリシャはEUの中にあって自国通貨を発行できないし、「外国通貨による外国からの借金」により危機的状況に陥っているのであって、自国での金融政策がとれないことからも、日本国とは根本的に異なる。

日本国の場合は、大半が自国通貨による国内からの借金であり、その国債を保有しているのは日本人である。国がデフォルト(債務不履行)に陥る場合は外貨建ての負債の場合であり、自国通貨建ての負債でデフォルトを起こすなどあり得ない。

確かに政府は1000兆円を超える借金を抱えているが、莫大な資産も保有していることも事実。
平成24年度時点の国のバランスシートでは、政府が保有する資産は約640兆円となります。
(その内訳は金融資産が約440兆円、固定資産等が約200兆円)

国の負債の大きさを見る時は、資産を引いたネット債務でみるのが世界的な常識であり、資産を無視して負債だけを見るのは適切ではあるまい。

日本政府のネット債務(負債ー債務)は約470兆円です。政府の借金について報道するなら、
1000兆円ではなく、ネット債務である470兆円と報道するのが筋なのではないだろうか?

日本は財政危機であるという間違った情報をまき散らすことでその結果、海外投資家や市場関係者が日本国債が危ないと考え、資金を引き揚げたりしたら本当に国債価格が暴落してしまいかねない。偽りの危機報道が本物の危機を引き起こしてしまうかも知れないのです。



そうはいっても、赤字国債の膨張が止まらない現状を看過してよいということではない。財政の健全化の為にも、赤字国債の発行を食い止める努力は欠かせないというのは確かなことです。

2015年12月29日火曜日

勿体ない

「勿体無い」というのは、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを 表している日本語の言葉であるが、 元来は仏教用語なのだという。

我が国の食料自給率は、カロリーベースで39%( 2012年)。さらにTPPに加入すれば13%にまで下がるという試算(農水省)も出ています。

足りない分は輸入によっているのであるが、無駄にして捨ててしまっている分だけで、世界の飢餓国の何百万もの人命が救えると聞くと、心が痛む。
米粒の一つも大事にした昔の家庭教育は、今その面影もない。
必要以上に作り、食べ残して捨てる。好き嫌いまで含めれば、その量は膨大であろう。

勿体ないのである。
せめて食べ残さないで済む量の料理にとどめる位のことは考えないと、昔風に言えば罰が当たる。
腹八分目などというのは死語に近く、食べ過ぎが原因の病気に罹っていたのでは何ともならない。

大抵の病気は、断食で治るという説さえある。
そうはいいつつ、今日も腹一杯美味しいものを食べられる幸せを感じている。
心がけているのは、食べ物に感謝して食べ残しをしない、というくらいのことです。

2015年12月28日月曜日

器を選んでティータイム

家内はケーキをよく焼く。出来上がりは、自画自賛ではなくプロ並みに美味しい。
ケーキが出来たらティータイム。その日の気分で器を選び、花を飾ってゆったりした気分に浸ります。
「友人たちがお店をやったら?」と奨められるが、本人にはそんな気はないようです。https://youtu.be/jDbQVahzs8A 


2015年12月27日日曜日

いつまでやっても決着はつかないのでは?

どうにも理解できない。条約で解決済みではなかったのか?
慰安婦問題の決着をはかるために岸田外務大臣が訪韓しているという。
「20億円出せ」だの「安倍首相が来て膝まづいてしゃざいしろ」だの言われているらしい。

日本での徹底調査や、アメリカでの徹底調査でも、強制性を証拠立てるものは一つも出てこなかったという。
韓国には沢山あるといっているが、その一つだに開示されない。即ち無いということなのでは?

彼らが根拠として頼りにしているのは、A新聞の捏造記事と、村山談話・河野談話ということだが、これは以降は問題にしないというかなり政治色の強いものだといわれてもいる。

単純に考えて、当時の韓国の人口は2000万人。そのうちの半分が女性であるとして、その何割が年齢的に対象となるかを考えると、20万人というのは驚くべき数字割合になる。

そんなに大勢の女性が連行されたら、大暴動が起こって不思議はない。
火病と国際的に名前がついているくらい激昂しやすい国民性の住人の中で、暴動があったという記事はひとつも聞かない。韓国の男性が腰抜け揃いだったわけがない。

もしも強制連行というそれが有ったとしたら、韓国よりも先にA新聞が書きたてているはず。
捏造記事問題で地にまみれた同社が、起死回生の論陣を張れるからである。
当時の資料を大量に抱えているはずの同社にして、それができないということは、そんなものは無いということだということにならないか?

我々が知らない事実というのがあるのだろうか?モヤモヤが収まらない。

高すぎて自分では飲めないコーヒー「コピ・ルアク」

街中で飲むと、1杯5000円~8000円もする高価なコーヒー「コピ・ルアク」。

コピ・ルアク(インドネシア語 Kopi Luwak)とはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことである。
「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ルアク」はマレージャコウネコの現地での呼び名。日本では, コピー・ルアークやコピ・ルアック、ルアック・コーヒーとの呼称も通用している。独特の香りを持つので、好き嫌いはあるが、産出量が少なくて高価であることで知られる。

知人から、この豆をワンパック頂いた。豆をひいて、シュトーレンを食べながら飲むのが楽しみです。

2015年12月26日土曜日

完全数496

完全数(かんぜんすう: perfect number)とは、その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数のことである。
例えば 6 (= 1 + 2 + 3)28 (= 1 + 2 + 4 + 7 + 14) が完全数である。
496 の約数は1 , 2 , 4 , 8 , 16 , 31 , 62 , 124 , 248 496 である。
 496 を除く約数の和は 496 であり完全数である。

完全数496の数字に出会うと、天使が貴方の聖なる使命を最優先するという。それがどのように実現するかについて、物質面での心配はいらないらしい。天使が全て手伝ってくれるのだとか。
496Hzの音源を作ってみました。https://youtu.be/6BEop6RaAco


2015年12月25日金曜日

異常な状態になれば人は恐ろしい

戦争などは割に合わないし、それが嫌だと思わない人は皆無だと思うが、過去には数多くの戦争があり、今もそれが絶えることなく続いている。
戦争による死者については、国際条約により禁じられていた一般市民への攻撃もあったから、その数を明確に補足する資料も少ないか隠されるかしていて、国ごとの主張は異なる。
戦争と言えるかどうかだが(相手国がなく自国内のことということで)、内戦による自国民の殺害という事ならば、死者の多さの一番はおそらくは中国でしょうし、戦争ではない粛清などによる自国民の殺害ならばソ連かもしれません。
また総人口に対する国民の殺害率ならばポルポト政権下のカンボジアは凄まじい。

そもそも敵対国家の一般市民を殺害するというのは非効率的だから、近代以降はそれほど大規模には行われなかったのではないだろうか?
戦勝後の税徴の基盤であり、国家に対して大した権利も持たない一般市民は殺すほうが損だと考えるのが普通のことだからである。

中国の共産革命の事実は、共産軍が占領した地域では地主・富農・国民党幹部に対する公開処刑が大々的に行われ、その数は1千万人以上にのぼったと推定される。

大戦終結後の中国では、「大躍進政策」「文化大革命」で3000万人~8000万の自国民を殺したといわれているが、秘密のベールに隠されている。 第2次大戦の犠牲者を大幅に超える可能性もある、世界最悪の虐殺といえるのだはなかろうか。
学生を扇動し軍隊を出して、教師などの知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチし、1000万人~3000万人を虐殺したとも言われる。
他に天安門事件というのもあるが、極秘扱いらしいから死者数は推測の域を出ない。

日本と韓国では知名度の低い「保導連盟事件」というのがある。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、李承晩大統領の命令によって、軍や警察、共産主義からの脱却を目指す人間、政治犯や民間人など、少なくとも120万人あまりを大量虐殺した。
朝鮮戦争の初期に、韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害、かれらは排水溝や炭鉱や海に遺棄されたという。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されている

総人口800万足らずのカンボジアでは、ポルポトにより200万から300万近くの人間が虐殺された。正確な死者数はわからないが、この前代未聞の大量虐殺は、わずか4年間で達成されたのであるから凄まじい。知識人と言われた人々にいたっては、実に6割以上が殺されたという。

ナチスのせいにされてしまっているが、ポーランドではユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされている。
「劣等民族」または「不穏分子」としてシンティ・ロマ人(約20万人)、ポーランド人、セルビア人(50万から120万人)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされる。
殺害されたこれらマイノリティーの合計は、900万人とも1100 万人とも言われる。

ソ連のスターリンは、反対派を皆殺しにした。
1000万人の強制集団農場化に反対した富農層(クラーク)を、銃殺、あるいはシベリア流刑で完全に撲滅した。

これらの歴史が白日の下に晒されることは無いのかもしれない。
人間は平和なときは良いが、戦争という異常事態に巻き込まれれば、常軌を逸して残虐なことをもしてしまう側面を持つ。
であるなら、戦争に至らないで済む抑止力というのは必要であるし、そうであってこそ話し合いの場が優先されるようになるのではなかろうか。


2015年12月24日木曜日

言論の自由と結果責任

何を根拠かしらないが、むかし北朝鮮が地上の楽園だと言って喧伝した作家がいた。
そこが地上の楽園だ等と思う人は、今や皆無に近いだろう。
しかし、そのことが判った今になるも、そのことについて弁明したことがあるとは聞いていない。

AIIBのバスに乗り遅れるな!と大声を上げていた人たちは、現状をどう判断しているのだろう?
最近、かなり怪しい雲行きになってきているように聞くことの方が多い。

「国際紛争を話し合いで解決しろ」と言っている人たちは、本気でそう思っているのだろうか?
話し合いで解決するならそれに越したことはないが、国際社会は日本人みたいにお互いが仲良くしようという「和」の精神など共有してはいまい。日本人とは違うのである。
現実問題として話し合いで決着しないから紛争になっているが、それでもいきなり戦争ではあるまい。
自分なら命がけで話し合いをもって解決してみせる、というのであれば説得力を持つが、自分は安全な所に居て、誰かがそれをやれ!といっているに過ぎないように見える。

言論の自由が保障されることに疑義を感じるわけではない。
しかし、自分が言ったことについて責任を持つという義務は果たさねばなるまい。
自分が言ったことに関連して不利益を蒙ったとしても、その不利益を排除しなければならない、ということまでもが言論の自由ではないのである。
何を言っても許されるが、言ったことには責任をもってね、ということ。

そもそも権利と義務は対のものであって、言いっぱなしで良い筈はないし、自分の思い通りにならないことをもって、差別だの圧力だのという主張はイタダケナイ。
自分の主張が大多数の意見なのだという勘違いも、振り返って検証してみて欲しい。
自分の周りに集まっている人はそうであっても、他にそれとは反対の意見を持つ人が大多数なのだということはある。

民主主義を叫ぶなら、大多数がどう考えているかを謙虚にみつめなおすべきで、この意見に従えない人は馬鹿なのだと言わんがばかりの論調は、反感を招く。
思いあがらないで欲しい。声の大きい人の意見が大多数のものではないのだから。

2015年12月23日水曜日

頂きがローバイで覆われる山

ロウバイ、漢字で書くと蠟梅。花びらが蝋細工のような趣があります。

長瀞にある宝登山(標高497m)のロウバイ園。麓の日本武尊ゆかりの宝登山神社から、歩いて4~50分で登れますから、ピクニックにも最適ですが、もっと気軽なコースとしてはロープウェイで山頂まで登ることもできます。
頂上一帯、約15,000平方メートルの敷地に3,000本の臘梅が咲き乱れます。辺り一面が甘い香りに満ちます。1月下旬から3月上旬が見頃ですが、今年は温かいから少し早まるかも知れません。
写真をyoutubeにしてみました。

その他ここでは、冬桜や梅、福寿草も同じ時季に沢山みられます。
黄色い花は縁起が良いといいますから、新年にお奨めの場所です。

2015年12月22日火曜日

日本国歌「君が代」はヘブライ語だっていわれても

大阪で、国歌斉唱の時に起立しなかったことを理由に減給処分を受けた教師が起こした処分取り消し訴訟が棄却されたというニュースが出ていました。

諸外国では、国民が自国の国歌を起立斉唱しないことが許容されるのだろうか?
歌詞の訳をみると、かなりおどろおどろしいのもあるように思うが・・・

ネットサーフィンをしていたら、「ひとりごと、ぶつぶつ」氏のサイトにこんな話が紹介されていました。
国歌の「君が代」の本当の意味ということについてです。

私はヘブライ語を知らないしするがら真偽のほどは判りませんが、以下のような内容でした。


日本語     ヘブライ語           ヘブライ語の意味

君が代は    クムガヨワ           立ち上がる
千代に     テヨニ             シオンの民
八千代に    ヤ・チヨニ            神・選民
細石の     サッ・サリード       喜べ・人類を救う、残りの民として
巌となりて   イワ・オト・ナリァタ      神・予言・成就する
苔の生すまで  コ(ル)カノ・ムーシュマッテ 全ての場所・語られる・鳴り響く  

したがってこれを歌らしくすれば

   立ち上がれ、神を讃えよ!
   神の選民 シオンの民!
   選民として 喜べ!
   人類に救いが訪れ!  
   神の予言が成就する!
   全地あまねく 宣べ伝えよ!   

かなりできすぎなような感がしなくもない。
私は、日本語で普通に理解されている意味の方が好きです。

2015年12月21日月曜日

神様同士は仲が悪いのだろうか?

神様はいると信じているが、宗教というものについて研究したことがないから、ただ単純に考えてのことです。

世界にはいろんな神様がいて、それぞれに信じられていることは十分わかる。
その神様たちが理想とし、信者が信じる人の幸せというものはどういうものなのか、ということに神様たちの共通項というのはないのだろうか?

もしそれがあるとしたら、それは山に喩えたら頂上ということになる。
頂きを極めるためには、たった一つのルートしか存在しないということはない。
他のルートで登ることは怪しからぬというのなら、根拠というものがあるのだろうか?
登る難しさに差はあるにしても、AルートでもBルートでもCルートでも、どの道を辿ってもよかろう。楽な道を選ばねばならぬということはない。

仮令頂上までいきつけなかったとしても、至ることのできた地点までにでも幸せはある。
他のルートを全否定するという一神教の考え方というのは、争いごとを引き起こし、新たな不幸を産むのではないのか?
素人だから、そう思うのだけれど・・・

幸せを求める筈のものが、神様が違うことで敵同士となるというのが理解しにくい。
同じ神様を信じるのにも、宗派が違えば同様に争いになるというのも変な話しである。

日本のように八百万の神様がいて、外国から伝来した神様も等しく取り入れて同化し、その良い所を認め合うというのが一番良いと思うのだが・・・


教条的になりすぎて殺し合うことを、神様はお望みではあるまい。

史実をどう使うかで歴史が国ごとに変わる?

歴史とは、良い悪いでなく事実関係がどうであったのか、ということが先ず最初に来ないと、冷静な判断ができなくなる。
国ごとの政治的な思惑や、都合の良い解釈にも結び付くから、公平な評価を史実に基づいて記述するのは難しいことかも知れないが、感情的に決めつけてはなるまい。
どうも日本のみが、他国に遠慮しているように見えてならない。漏れ伝わってくる他国の歴史教科書は、かなり史実と違っているように思えるのです。
近隣諸国が仲良くできるようになるための妨げとなりかねない。

近隣諸国条項(ウィキペディアより転載)
1982年(昭和57年)8月26日に、日本政府は、『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図り、その談話では、その後の教科書検定(教科用図書検定)に際して、文部省におかれている教科書用図書審査会の議を経て検定基準(教科用図書検定基準)を改めるとされていた。
文部省内においては、1982年(昭和57年)11月16日に教科用図書検定調査審議会から答申が出され、1982年(昭和57年)11月24日に文部大臣(現在の文部科学大臣)が、規定を新しく追加する教科用図書検定基準の改正を行った。
なお、発端となった報道は、対象の実教出版教科書の表記が元々「侵略」ではなく、誤っていた。中国部分について該当書き換えがあったのは東京書籍の「侵略」「侵入」書き換えや「侵略」「軍事行動」書き換えなどであった。「侵略」「進出」書き換えについても帝国書院のものにあったが、歴史分野における教科用図書検定では、個別の教科書ごとに全体的な記載の調和がとれることが期待されることから、教科書内の用語使用に言及する改善意見(現在の「検定意見」の1部分に相当)もあり、「侵略」を「進出」に統一するように改善意見がついたものであった。但し、当時の国会でも「それでは何でドイツや蒙古は『侵略』で改善意見もつけず、日本についてのみ『進出』と改める改善意見をつけたのか」と追及されている。
近隣諸国条項の追加により、歴史分野の教科用図書検定においては、日本の侵略・進出などの記載について、以前より綿密に審査を行うこととされた。また、日本国内における意見としては、この規定の存在が中国や韓国などからの激しい内政干渉を誘発しているというものと、この規定の活用が不十分であるのでもっと積極的に活用するべきであるというものが見られるようになった。
2013年4月24日、第二次安倍内閣において、自由民主党教育再生実行本部特別部会(部会主査・萩生田光一)は「改正教育基本法には『他国に敬意を払う』という趣旨の記述があり、本条項はその役割を終えた」として見直しを行なう事を決めた。

教科書の記載に関して国際的な客観性を担保できるような基準を設けることは、国家間の歴史認識の溝を埋める点で好ましいという意見もある。一方で、「近隣諸国との外交関係に配慮する」と言う政治的理由で、世界百数十ヶ国の中でたった3ヶ国でしかない、中国・韓国・北朝鮮の主観に基づく歴史観に迎合するような制度が、果たして国際的な客観性を担保できるような基準を設けることになるのか大いに疑問であるとする見解もある。また、近隣諸国である中国・韓国・北朝鮮の教科書作成に関し同様の規定がないことを問題とする見解もある。



2015年12月20日日曜日

度重なる侵略を受ければ仕方がない?

過去に、他国或いは他民族その他から何らかの侵略を960回もされた歴史があるのだといい、いずれも戦って勝ったことがない。
自国の為政者からすらも不当な扱いを受けていたとしたら、生き延びる為にどんなことでもするようになったとしても不思議ではない。

真に迫った嘘をつくくらいのことは序の口であり、自分は悪くなくて悪いのは全部他人だと言い逃れをしたりするのは当たり前になって、罪を擦り付ける為に贋の証拠を作ったりもする。
彼の国が制作した歴史ドラマを見ていると、そういうメンタリティーを隠そうともしていないから、コモンセンスとなっているのかもしれません。。

自分は優れた能力を持っていて他の人より上だとしない限り、無能だと判断されればそれは命に関わる事態を招きかねないから、上下関係を重視するようになったのも、極めて自然なことなのとも理解できる。

悲しいかな、そういうことなのだと思うと、少しは可哀そうにも思えるが・・・「自分がこうであったら良かった」というのが歴史ではない。
歴史と教育が作った信じあえない不幸というほかない。

余り知られていない親日国

我々日本人が知らない昔のことを多として、親日感情を抱いていてくれる人が多い国というのは世界に沢山ある。嬉しいことです。
何か国かを、その理由と共にリストしてみました。

台湾
日清戦争に勝利した日本は、日清講和条約により清王朝から台湾を割譲されたことから始まる。
初めは欧米諸国と同じく資源の一方的略奪と、安価な労働力の収奪による植民地支配を計画していたが、1898年児玉源太郎が第4代総督になってからはその方向性を次第に修正し、莫大な国家予算を費やし、土地改革、ライフラインの整備、アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業の育成を行うことにより台湾の近代化を推進した。烏山頭ダムが有名。
1919年からは台湾民衆を完全な日本国民として遇し、国家国民としての観念を植えつけた。
台湾元総統の李登輝は、21(1945)まで自分は日本人であったと表明している。

トルコ
エルトゥールル号遭難事件というのがあった。
1887年オスマントルコ帝国は、皇族・小松宮夫妻の訪土の返礼としてトルコ軍艦をわが国に派遣してきたが、その帰途、和歌山県串本市沖合で座礁、機関部が爆発して沈没した。生存者は67名、死者589名という大惨事であった。
このとき、地元串本の人たちはトルコ人乗組員に対し、必死の救助活動と食糧の炊き出しなど、貧しい暮らしの中、自分たちが食べないでも篤いもてなしをした。その後生存者は、日本軍艦で無事トルコに送り届けた。このことはトルコ人に大きな感動を与え、この遭難救助については現在のトルコの小学校の教科書にも取り上げられているのという。
そんな昔のことを恩義として、イラク戦争の時には日本が邦人の救出に行けなかった程の危険をおかして、救助機を飛ばしてくれたことは、もっと感謝すべきことだが、知る人が少ない。

ポーランド
第一次世界大戦後、ロシア革命の内戦中に多くのポーランド人はシベリアに抑留されていた。
極寒の地で次々と命を落とす中、ポーランドは両親を失った子どもたちだけでも救おうと、救命嘆願書をアメリカやイギリスに求めたが返事は来ず、唯一返事をしたのが日本だった。
1920年から22年にかけて計5回、765人の孤児たちが船で日本へ運ばれ、想像もつかないほどの温かいもてなしを受けたのだという。
日本に到着直後のポーランド孤児たちはチフスを患い、頭にはシラミがたかり、餓死寸前の子もいるという最悪の健康状態だったが、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護した。全国から寄付も集まり、子どもたちは元気を取り戻した。
2年後、1人も欠けることなくポーランドに戻った孤児たちは、終生その体験を語り継いだといわれている。

フィンランド
100年以上前に、フィンランドの歴史に名を刻む日本人がいた。新渡戸稲造、ご存知の通り五千円札の肖像に使われた人物です。当時、国際連盟の事務次長だった新渡戸は、フィンランドとスウェーデンの間で起こっていたオーランド諸島の領有権争いを、後々まで「新渡戸裁定」と呼ばれるようになった画期的な方法で解決したのだ。
その解決法とは、なんと「オーランド諸島は、フィンランドが統治するが、言葉や文化風習はスウェーデン式」という意外なものだった。
そのおかげでオーランド諸島はいまや平和モデルの島となり、領有権争いに悩む世界各国の視察団が来るまでになった。「新渡戸さんをとても尊敬している。だって、彼がこの島を平和にしてくれたんだから」

インド
英国からのインド独立運動で、日本は力を貸した。日本兵は、インドの独立運動において、共に戦ったのだという認識がある。チャンドラボースは有名である。

「極東軍事裁判」でのインドの判事、ラダ・ビノード・パールは、「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」として、被告人全員の無罪を主張した。

米国の原爆投下に対しても、ナチスのホロコーストに相当する残虐な行為である、と明言している。

2015年12月19日土曜日

怪我人は出なかったけれどテロ事件だと思える

国が、特定の国と親しくした人を罪に問うというのも、普通に考えると異様に思える。
反日無罪などということにもつながっているのではないか?
「親日罪」というのは過去のことについてということだが、現在でも親日的なことを言えば、よってたかって叩かれるという影響力をもっているようだから始末が悪い。

これで、将来仲良くできるようになるとは思えない。
日韓併合時代の良かったことを研究論文にした大学教授が職を失ったり、「日本統治の時代は良かった。」と口にした老人が、若者に殴り殺されたというニュースもあった。

この若者は、人を殺しても構わないというほどの一体何を知っているというのだろうか?
ハングル文字による歴史教育(自国に都合が良いことだけではないのか?)を受けた範囲でしか知ってはいまい。
漢字を捨てたことにより、自分で歴史を検証することは難しくなっているだろうし、世界の歴史資料を自由に調べて判断することにも限度がありそうに思える。
良かったことも悪かったこともあるのが歴史であり、全否定してみても始まらない。
冷静に考えてみたら、現在の発展は、その根幹に統治時代のおかげだと言えるものが沢山あるのではないのか?目を逸らすことなく調べてみれば、いくらでも出てくるはずである。

我が国では、他国が好きだと表明しても、それが罪になることはないし、それに反対意見を持っている人がいても非難されることはまずない。韓国が好きだといってでもである。

戦争をしてもいない相手国から靖国神社の爆破テロを受けたり、旭日旗が戦犯旗などと呼ばれても困る。
対戦国であった米国でさえ、旭日旗にそんなことは言っていない。
なんでもかんでも文句をつけたいというのでは、先が望めないではないか。
「国交断絶でいいのだ」という日本人が増えてきてしまったことを良しとしているのだろうか?
本当に困ることはないと思っているのだろうか?
伝わってくる経済情勢を考えてみても、わが国からの助力は必要なのだと思えるのだが・・・

親日罪(正式名称は『親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法』)とは、韓国で実際に定められている法律の日本での俗称であり、現代民主主義国家ではありえない遡及法と言われている。
また、反日国家等において親日を表明する事によりこうむる被害への蔑称としても使われる。


2015年12月18日金曜日

2島については知っておいた方がよいこと

領土問題があるかどうか?ということについて、竹島と尖閣諸島を同列に論じ、国際司法裁判所に提訴すべきだという人がいる。
認識に間違いがあるのではないだろうか?

竹島は、第二次大戦終了時のラスク書簡もそうだしダレス書簡においても明白な通り、日本の領土である。
韓国が不法に占拠しているのだから、速やかに返還すべきなのだが、なんだかんだ言って返す気配はないし、国際司法裁判所に行くことは逃げ回っていると言うのが事実。

尖閣は、敗戦時にアメリカが日本を占領していたが、沖縄とともに日本の領土であることは国際的に明白であったから、中国も「我が国の領土をアメリカが占領するとは何事だ」ということは一切なかった。
日本の領土であると、中国も認識していたからに他ならない。
すなわち、尖閣に領土問題は存在しないということに、2島についての大きな差があることを知っていた方が良い。

日本側で尖閣に領土問題があるかのようなことを言えば、漁民などを使って現実的な実効支配を狙い、侵略占拠されかねないということになる。
現状では、ちょっかいは出してきても、それ以上の行動に出られないというのが、彼の国の立場なのだということです。