2016年11月30日水曜日

言論の府なのにプラカードで反対とは

以前にそういうことはなかったが時々、国会中継を見るようになった。

対案を提示することもなく、いつでもけんか腰で反対のみを叫び、審議に参加して修正案を導きだすこともしないでいるにも拘わらず、民主主義の手続きに従って採決する場面になると、事前に用意したのかプラカードを手に手に議長席に迫り、強行採決だといって批判ばかりするのでは、ウンザリすることを通り過ぎて匙を投げたくなる。

中には得意顔で、クイズ番組のような質問をして憚らない議員も見るし、他の議員がすでに何回もした質問を繰り返すというのもある。時間の無駄だし論外だとしか思えないが、どうして一様に喧嘩腰なのだろう?
議論というのは、お互いに穏やかに進めて意を尽くすものなのではないのか?
国をよくするための政策は、パフォーマンスにはなじまない。

2016年11月29日火曜日

外国籍の人が多数押しかけているらしいが

米軍基地の4000ヘクタールにも及ぶ広大な面積の返還の代替として、ヘリパッドを移転するのだと思っていた。
基地全廃を望む人たちは、それをも反対するというのは理解できなくもないが、現実的ではないように思う。

地政学上の要衝であることから、沖縄に多大な負担をお願いしていることに心を痛め、歴史上のいきさつもあってよりそれを重く受け止めている人は多い。
なんとか良い方向で先を考えたいとしている人達の気持ちを削ぐのが、先鋭化した反対運動のようにも思えてしまう。

沖縄県民の反対は理解できるが、プロ市民や外国人或いは外国籍の人たちが大勢加わって騒ぐのでは、穏やかな落としどころを導き出すのが難しくなる。
外国人の政治活動は、逮捕して強制送還するということではなかっただろうか?
善因が賛成するものでないものをまとめていくのは、それでなくても難しいのである。

2016年11月28日月曜日

漢字圏で使われている和製熟語は多い

思考は言語によってなされる。疑いようのない事実である。

明治維新以来、先進文化を取り入れるために、西欧の言葉を日本語に翻訳し、それによりできた熟語の数は相当数にのぼる。
翻訳できたということは、そういう概念が存在していたということにもなる。
日本製の熟語は漢字圏でつかわれるようにもなり、中国ではそれなしに日常の会話は成り立たないと認めている。
日本憎しの教育をし過ぎて、日本由来の言葉を排除し、中国由来の漢字すらも使わなくなってしまったK国の文化が、どのように発展させられるというのだろうか?

日本は、漢字であれ英語であれ、優れたものは有り難く受け入れ、より馴染むものに改革してきたことで得られたものは大きい。
ただパクルだけで、基礎研究に重きを置かなかったら、常に人後を拝するのみに終わる。
漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字を駆使し、思考を重ねて鉱工業、機械、薬学その他、近代文明を発展させることができたのだと思う。

日本語は、習得することが難しい言語だと言われるが、それならばなおのこと大事にしていかなくてはならないのだと思う。

2016年11月27日日曜日

アジア諸国は独立戦争を経験しているが

自国民或いは自国に関連する人を大量に殺したのは、誰がどう言おうと、毛沢東とスターリンとヒットラーの3人ではないだろうか。
理由はそれぞれあるだろうが、日本と比べられても困る。内容が違い過ぎる。

白人同士の主導権争いの側面もある第一次世界大戦の結果、ドイツを追い詰め過ぎた結果が招いた第二次世界大戦という見方もできそうに見える。

いずれにせよ、植民地政策をとっていた当時の列強国は、人種差別撤廃を唱える日本は目障りであったに違いない。
それでも触発されて植民地支配を受けていた国々は、自ら立ち上げって白人と戦い、独立を勝ち取った。
それらの諸国は、何もないところからの再出発を図らねばならなかったけれど、潔かったと感じる。いつまでも恨み言をいっていないで、時に援助を仰ぐことはあったにしても、自力で努力しようとしてきた。

歴史をみていて気付いたことがある。
特亜3国だけは、白人世界と独立戦争をしたこともないし、戦って勝ったことがない。
ことにC国は、第二次大戦をアジア諸国の中で唯一白人側として戦い、その後も戦う相手は周辺の有色人種のみである。
人種差別をあげつらうつもりは全くないが、差別されることが全くなくなるのは、まだまだ先のことに思える。
本音の部分だは根深い問題なのだと折節に感じてしまうのです。


2016年11月26日土曜日

自国の思惑通りにはいかない

他国のことに自国の尺度でとやかく言っても仕方がない。
米国の大東慮選挙しかり、韓国の平時的混迷またしかりである。
グローバルスタンダードを押し付けがちであった米国も、自国の実情を照らし合わせてみたら、アメリカンファーストを言わざるを得なくなったのだろうし、韓国も実情はまだ成熟していないということに思える。
あくまで、そとからの野次馬的な感想ではあります。

基本的に、自国の国益を優先させるのは自然なことであり、それをどのようにしてWINWINの状態にもっていくかということであろうが、得てして自分たちの価値観、自分たちのルールを押し付けることが多いから軋轢は生じる。
経済的にも社会的にも、国々によって状態はちがうのだから、まず相手を認めるところから始めないと、強者が弱者を屈服させるという構図になる。
その自国内においてさえ、貧富の差が異常な様相をみせたのでは、幸せには程遠い。

世界の共通ルールが醸成されるには、ゆるやかな時間の経過がまだまだ必要なのだと思う。
発展途上の国も多いのに、よーいどんでは堪らない。

2016年11月25日金曜日

いずれはバレルことばかりやっていると

政治学者でもないし歴史家でもないから、あくまで素人として普段感じていることです。
終戦時に、日本が侵略国家だといって悪者にしなくてはならなかった事情は理解できる。
しかし、何百年にもわたって植民地を支配した国々は、「自らの国の方がもっと酷かったのではないか」との認識はあるから、何十年もそれを言い続けることには流石に忸怩たるものがある。
自由主義国であれば、自国民が自国の資料でそれに気づいてしまっていることを、いつまでも隠しおおせはしない。

それでも特亜2国は、国内をまとめる為には言い続けるしかない。
独立時の経緯から、政権の正統性を主張するには、苦しいけれどやむを得ない理由付けをしたことにも原因はある。
そんなところに、日本発で捏造小説として慰安婦の問題が出てきた。A新聞や反日的日本人が、それによって騒いだ。米・韓にとっては都合がよかったに違いない。
頭書は、ヤンコンシュと呼ばれる慰安婦を抱えていた韓国・米国は、様子見をしていたが、自虐的日本がそれらを理由にして抗弁しないでいるうちに、いつの間にか「性奴隷」などという言葉までつくりだし、ないことまで事実のように喧伝されてしまった。
日本は、慰安婦がいたことは、最初から否定していない。強制連行をした事実はないし、高給を支払っていたのだから奴隷ではない、と主張しただけである。

現代の人権意識からすれば、売春などもってのほかだということにすり替えられれば、黙らざるをえない。
自分たちのことは棚に上げ、一人日本のみの犯罪として責め立てる道具として、それが便利だということになった。

しかし、プロパガンダは、派手にやってくれた方がよい。そうすれば嘘は増々バレやすくなる。
それもあることないこと騒ぎたてれば、それは加速度的に真実に行きつくことになる。
どう言い立ててみても、事実が違うのだから、論点や証拠に齟齬を来し、これ以上やっても辻褄合わせもできないし収拾がつかなくなってきてしまった。

そうこうしているうちに、この上騒ぐと自分たちが触れられては困ることの方が多くでてきそうな雲行きになってきた。
そろそろ矛を収めなくてはならなくなって、昨年末の日韓合意ができた。どこかからの圧力はあったに違いないと思えるような決まり方だった。

そういう結果にせざるを得なかったとはいえ、今まで証拠もなしに感情的になって煽り立てた側にしてみれば、飛び散った火の粉が大きくなりすぎてしまっていて引っ込みはつかないし、この先どうしようと頭を抱える段階になったように見える。
弱り目に祟り目。それどころではない自分たちのスキャンダルも露呈した。
世界は「さもありなん」というふうに理解する。

嘘で固めてもいずれはばれる。そんなあたりのことなのではなかろうか。
李王朝の成立経緯から両班同士の民を顧みない政争。
そんなことからも目を逸らされて、自国の正しい歴史を知ることすらしない。
諺文(おんもん)と呼んで自国でさえ蔑み廃れていたハングル文字を、日本が発掘して使うようにしたのに、日本が文字を奪ったなどと教育していたから、根は深い。

2016年11月24日木曜日

何事にも手を抜かないからプロと言えるのかも

ピアニストである倅は、演奏のためのレッスンは当然のことながら真摯に励むが、コンサート時にお話をする機会が多いことから、ボイストレーニングにも通った。
音楽の周辺にあるものであれば、バレエのような舞踊や宗教絵画、歴史や歌舞伎に至るまで、何にでも興味を広げて身に着けようと努力を欠かさない。
音楽に関連する地を訪ね、お祭りに参加もして地元の人たちと交流することで得られる感覚も大事だとしている。
ピアノの演奏のために役立つということになれば、筋肉トレーニングやストレッチもする。
プロというものは、そういうものなのかも知れない。

求める音楽を究めるのに気を抜かない姿勢には、我が子ながら頭が下がる。
面と向かって褒めたことは一度もないが・・・

2016年11月23日水曜日

日本の潜水艦は凄い

トランプさんが大統領になることで、日本の防衛に危惧を抱いている方が多いようですが、専守防衛ということであれば、かなりできるのではないかと思える。
その第一として、日本に陸兵を送り込むということになれば、艦船を使う以外にないが、日本の潜水艦の性能が凄い。
他国の潜水艦の潜水能力は300メートルから500メートル、頑張っても600メートルは潜れない。しかも音が大きいからすぐに探知できる。
日本の潜水艦の潜水能力は900メートル。日本のカタログスペックは、発表されているよりも上だというのが世界の常識だから、もっと深海に潜むことができよう。
そこから撃つ魚雷は長距離からでも可能で、敵艦船の真下から垂直に攻撃されたら防御の方法がない。
海上からのフリゲート艦からのミサイル攻撃も考えたら、敵艦は近海に近づく前に全滅できる。

海洋国家でもないのに空母などを作ってみたところで、俄かに運用できることにはならない。
空母というのは、戦闘機を発艦させることはできても、着艦させる技術がなければ何ともならない。空から見るときの空母は、針のような細さであり、そこに無事着艦させることの練度は高度なものを要求されるのだという。

そうなると、ミサイルによる攻撃だけということになるだろうが、よっぽどでなければ最初から核は使えまい。
日本側としては万一の時の報復手段として、アルプス山脈の岩盤の下にミサイル基地を整備しておけば、簡単に手出しはされまい。
それなら国力が削がれるほどの費用はかからないように思う。

2016年11月22日火曜日

笑いものになっているのは気の毒だが

どういうわけか、かの国は任期が終わり間近になると必ずといっていいほどに揉める。
連日、TVの番組で韓国の朴大統領のことを根掘り葉掘り取り上げ笑いものにしているが、余り快くはない。つい最近まで持ち上げまくっていたのではないのか?
武士の情けというのが出てしまうのか、追い詰める姿勢というのには与したくない。
自分はどちらかというと、朴大統領の反日的言動に対して批判的に思っていたが、TVのように首尾一貫せず、落ち目になったとみるや手のひら返しするような連中もまた信頼できない。

事実を事実として認めて来なかったツケというのは、双方の責任なのではないのか?
捏造の上に立つ考え方というのは、歪みが出てきて当然なのだと思うが、「水に落ちた犬には石を投げろ!」という彼の国のやることを真似ることもあるまい。

ただ、困ったときに助けて貰えないことを今までしてきたのでは、やむを得ない仕儀に立ち至ったのだと思うだけに留まって、どうでもよいと思ってしまってはいる。

Youtubeを見ていて、割と解りやすい歴史関係が整理されているものがあった。
GHQメンバーが記した朝鮮の真実
韓国の崔基鎬教授


2016年11月21日月曜日

想像を超える努力なしでは

人は何をやっても、生きていくだけのことならできる。
しかし、それで満足することは滅多になくて、望ましい姿の自分を目指す。
富であったり、名誉であったり、技術であったり、芸能であったり、武道やスポーツであったりと多岐にわたるが、いずれにせよ高みを目指す。
悪い事ではない。
もともと才能があったり運がよかったりで、大した努力もなしに達成できる人がいるが、それは数が少なくて、成功するのに大抵は努力を重ねている。

努力はしたが自分の能力に自ら見極めをつけて、適当なところで折り合いをつけ、平凡に暮らしていければよいとする人が大半なのであろうが、大した努力もしていないのに世間から認められないといって、自分のせいではないことにして悶々としている人もまた多い。

人の3倍も、とまでは言わないが、人の倍の努力をしても達成できないとしたら、それは自分のやり方が悪いということになる。
信頼できる師匠を真剣に探し、その師匠の言う通りやってみるしかない。師匠の言うことに逆らってみても、今までの自分のやり方が違っていたのだと素直な反省に立って、改めて努力しなおすより他ない。
今までと同じことをやっていたのでは変わりようがないことは実証されている。
正しい鍛錬を地道に繰り返した多寡が結果的にはものをいう。

不思議なもので、その努力を重ねていると、周りが放っておけなくなるほどの実力が身についていて、自分が主張しなくても周りが認めてくれるようになり道が開ける。
そこから先に現れてくるのが個性であって、それ以前にあるのは、いうなれば身勝手な癖とも呼ばれるべきものということになる。変な学校教育で惑わされているが、隠そうとしても隠しおおすことができなくなるのが個性である。マイナスイメージになるものを個性とは呼ばない。
「素直になれ」といわれるとしたら、そういうことなのだと思った方が良い。

2016年11月19日土曜日

当落が拮抗した選挙だったとはいえ

どうにも報道というのに全面的信頼をおくことができなくなってしまっている。
どこまでが本当で、どこからが思惑に添って流されているものなのか?ということです。

CNNのニュースは、クリントン ネットワーク ニュースなどと一部から揶揄されているようだが、バイアスがかかったものだったのではないのだろうか?
そうでないと、圧倒的に不利だとされていたトランプ氏が大統領選で勝利を収めたことが理解しにくい。
事前にいろいろコメントしていた人たちは、どこまで実情を知っていたのか?ただ単に思惑含みで他国のことを論じていたということなのか?
巷間かなり知られている、赤くて黒い金というのも、大きく影響したのではないのだろうか。

ニュースソースは一紙一局だけで良いとは言えまい。独自の裏付けだって必要な筈である。
メディアは、基本的には事実のみを報道し、コメントや主張はいろんな観点を持つ人たちのものを併記したほうが良いように思う。一般紙は機関誌ではないのである。
それでなくても偏向報道だと思えるものが多いのであるから、余計にそう思う。
フェアかアンフェアかは読者が判断する。見くびっているほど国民は愚かではない。

反トランプ氏デモも、あることは間違いなくあるに違いないだろうが、選挙結果を覆すほど勢いのあるものなのだろうか?民主主義国で一旦決まったものに異を唱える真意は何なのだろう?

希望的観測で物事を進めるわけにはいかないのだから、大変換機には正確な情報が必要だと思う。
腰を据えて対処が必要だとなれば、力を合わせなくてはならない時である。

2016年11月18日金曜日

七大文明?

サミエル・ハンティントンの著書に「文明の衝突」というのがある。

ハンチントンは、トインビーを参照しながら文明を以下のように分けたという。
① 西洋文明(アメリカ+西洋+オーストラリア)
② イスラム文明(中東+北アフリカ)
③ 中国文明
④ 日本文明
⑤ インド文明⑥ ラテンアメリカ文明(西洋文明と近い)
⑦ アフリカ文明

まだ読んではいないから何のコメントもできないが、
上記のように、主に[人種と宗教]で文明を別けていて、日本は独自の文明としているというから、いずれは読んでみたいと思っています。
日本は、1万6千年前の世界最古級の土器があり、しかも[煮炊きの跡]があるので、[世界で一番最初に調理した民族]と言われています。

2016年11月17日木曜日

自分たちの肌で感じてもらうのがよい

行く先々で、団体が道をふさぎ、大声で喋りまくるC国人やK国人に辟易していたが、考えてみれば、数十年前には程度の違いはあっても、日本人がやっていた姿のようにも思える。

最近は、見方や思い方が少し違ってきました。どんどん来てもらえばいい。
何故かというと、彼らが自分の国で教わっていたことと、実際に自分が肌で感じたことが全く違うと認識するようになったと聞いたからです。
百聞は一見に如かずとはよくいいますが、事実を知って国に帰り、話をしてもらうことで変わってくるものは多いように思うからです。
理解しあえる種は、教え込まれるものや、人から聞いて生まれるものではなさそうです。

2016年11月16日水曜日

適当なところで修正を図っておけばよかったのに

今、いわゆる老年と呼ばれる人たちの韓国に対する態度というのは、大変失礼な言い方になるかも知れないが「可哀想な国なんだから」ということで、大目に見るというのが大半の人たちの感情だったように思う。

戦後暴れまわった第三国人たちに対しても、「仕方ないね」ということで我慢して見過ごしにしていたキライはあるように思う。
余りに行き過ぎた行動をとるために、一般人とは違って対抗手段をとるヤクザと呼ばれる人たちが身を挺して立ち上がったと記憶している。

反日を掲げるしか政権への求心力を得られないとした韓国が、反日政策を実施せざるを得なかったのだろうが、真実を知っている人たちがまだまだ多かったということもあり、何か騒いでいても大して相手にもしなかったということが実情であろう。

韓国の今の発展があるのは、日本の教育と資金援助や技術提供があってのことだというのは、韓国以外の諸外国が見るときの国際常識であるが、「そんな筈はない。」と感情が先走ってしまって彼らは冷静に判断できなくなってしまっているのではなかろうか。
漢字を捨て、自分で歴史を調べることもできない環境下では、哀れだが、政府の言うことや教科書、マスコミの言うことを信じるしかないのだということか。
事実に基づかない反日的歴史教育をどこかで見直して、修正を図ってこなかったことで、今となっては収拾がつかない状態に陥ってしまったのではないだろうかとも感じる。

世界の各国は、歴史上の軋轢や耐え難く見える経緯が過去にあったとしても、「お蔭」になったことは正当に評価し、感謝し、恨みを忘れて先の友好的発展に努力するが、恨みが先に立ってしまいそれができない国民性ということなのかも知れない。

政治も経済も混沌を究め、異常事態に立ち至っているように見えるが、援助の手を素直に差し伸べることに躊躇してしまうのは、彼らが今まで選択してきたことの結果だと思えてしまう。
特に若い人たちの国民感情を、そこまで悪化させてしまったということである。

隣国にいる日本人は、ある意味お人好しだし、かなり忘れっぽいから、今からでも本気で仲良くしようとする姿勢を見せれば、すぐに「昔のことは水に流して」ということになりそうでもある。
捉われているものが、人を幸せに導かないことだけは確かである。

2016年11月15日火曜日

聖書に次ぐベストセラーは英訳された教育勅語なのだとか

ある記事で読んだのであるが、戦後の日本では禁止されてしまった「教育勅語」が英訳されていて、米国では聖書に次いでうれているのだという。

小学校に上がった頃にはもう学校では教わらなかったが、何故か最初のチンオモウニ ワガコウソコウソウという部分だけ呪文のように覚えている。

一体どんなことが書かれているのかに興味を覚え、調べてみました。
以下は教育勅語の読みである。(出展は明治神宮のサイト)

朕(ちん)惟(おも)()ニ 我()()皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 國(くに)ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ 德(とく)ヲ樹()ツルコト深厚(しんこう)ナリ
()()臣民(しんみん) 克()ク忠(ちゅう)ニ 克()ク孝(こう)ニ 億兆(おくちょう)(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ 世()()()ノ美()ヲ濟()セルハ 此()レ我()()國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ 教育(きょういく)ノ淵源(えんげん)(また)(じつ)ニ此(ここ)ニ存(そん)
(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)ニ孝(こう)ニ 兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ 夫婦(ふうふ)(あい)()シ 朋友(ほうゆう)(あい)(しん)() 恭儉(きょうけん)(おの)レヲ持()シ 博愛(はくあい)(しゅう)ニ及(およ)()シ 學(がく)ヲ修(おさ)メ 業(ぎょう)ヲ習(なら)() 以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ 德噐(とくき)ヲ成就(じょうじゅ)シ 進(すすん)()公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ 世務(せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こくけん)ヲ重(おもん)() 國法(こくほう)ニ遵(したが)() 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ() 義勇(ぎゆう)(こう)ニ奉(ほう)() 以(もっ)テ天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘ()シ 是(かく)ノ如(ごと)キハ 獨(ひと)リ朕(ちん)()忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス() 又(また)(もっ)テ爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足()ラン
()ノ道(みち)ハ 實(じつ)ニ我()()皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)ノ遺訓(いくん)ニシテ 子孫(しそん)臣民(しんみん)ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スヘ()キ所(ところ) 之(これ)ヲ古今(ここん)ニ通(つう)()テ謬(あやま)ラス() 之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラス() 朕(ちん)(なんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ 拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)シテ 咸(みな)(その)(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶(こい)(ねが)()

明治二十三年十月三十日

2016年11月14日月曜日

そもそもがシラス国だったことはただ知れば良い

自分は右翼でも左翼でもなくて、極めて中道的な人間であるとおもっている。
だから、生まれ育った日本の国を愛しているし、よりよい国になって欲しいと願っている。
ところで「愛国心」というのは禁句なのだそうである。
どこの国であっても、その国の国民は愛国心を持っていることが前提で、いろんな意見を戦わせているのだと思うが、ひとり日本国のみは日本人でありながら日本のことが嫌いで、反日的なことを主張して憚らない人たちが多いのが不思議でならない。

イデオロギー的に偏っていないとは言っても、民主主義国家に在っては暴力革命による以外に政権をとれない共産主義は、ちょっと違うんじゃないかとは思っている。

反日的な日本人が多いことは、ちょっとものを調べてみればわからないことでもない。
戦後7年間のGHQ政策が大成功した例なのだと理解している。
日本が侵略戦争をした悪い国だとしなければ収まりがつかなかったのだということは想像に難くない。
西欧諸国がアジア諸国になした侵略は、日本の比ではなかろう。それを棚上げにして歴史を語るのはアンフェアだと思うが、負けた以上従わざるを得なかったということになる。
表面上は負けたが、掲げた理想である植民地の排除という目的からみれば、どちらが勝ったのかわからないが、そんなことを言い立てても始まらない。
マッカーサー元帥が、日本の戦争は安全保障上の問題であったと米議会で証言したというが、我々はいろんな事実を、ただ知ればよいだけのことであり、それによって取り戻せる誇りというのは大きい。
困難を乗り越え、戦後の復興を黙々と成し遂げたのは、大和魂を教育された先人たちであることは紛れもあるまい。
わが国はそもそも「シラス国」ということで成り立っていた。
目に見えないことでも畏まるということができていた国である。
「お蔭様」「お互い様」「お天道様に恥じない」ということが徳目としてきょうつうしていた。
性善説に立つということだと思うが「罰が当たる」ということで、自らをりっすることができていたことだけをもってしても、凄いくになのだと思う。
昔のことを蒸し返してどうこうしようというのではない。
知らせない自由どころか故意に伏せられてきた歴史というのも沢山ありそうだが、今は知りたいと思えば、大抵のことはネット上にある。
仮令、良い悪いの判断はしなくても、「ただ知れば良い」ということは、キーワード足り得ると思っている。

2016年11月13日日曜日

そうならないと駄目なものなのだろうか

グローバリズム。別の言葉でいえば「地球主義」
よく聞く言葉ではあるが、いまいちよく解らない。
地球上の人たち全てを一つの共同体として見做し、世界の一体化を進める思想のことを言のだという。大雑把に言えば、一つの国内のみで定められた枠組みから外れて、世界進出していくことをグローバル化と言うが、それを世界中全ての人たちの生活に適用しようとことは一見よいようにも思えるが、そんなに良いものなのだろうか。
誰が何の目的をもって始めたのか知れないが、これが流行るようになってから、富の一極化が進み、国際的な軋轢も生じたように思えてならない。
各国固有の文化も国ごとの徳質も失われていくように感じさせられて仕方がない。
大きな流れとなってしまっているから如何とも為しがたいが、これが進んでいくことには何故か不安を覚えてしまう。


2016年11月12日土曜日

他国のことは解らなくて普通

日本人は、海外旅行はともかく、自分の在住する県から他の県に一度も行ったことがないという人は殆どいないのではないかと思う。
しかし、むかし倅がザルツブルグに住んでいたときの知人で、郊外にあるお宅を訪ね、そこに泊めてもらって近辺の城めぐりや観光名所を巡ったことがあるが、その時のけいけんでいうと、国による意識の違いはあるように感じます。
滞在中は、夜ともなれば彼が行きつけの飲み屋さんで、地元の人たちと仲良く騒ぎ語り合った。
彼らの中の何人かは、住んでいる村からさえ出たことがないという。
「こんないいところに住んでいるのに、何でそんな必要があるのだ?」と真顔で答えた。
はっきり言わせてもらえば、不便な田舎町というに近いところである。
ちょっと出れば有名な都市に行けるし、オーストリアと言えばユーロ圏に属しているから隣の国々までなら簡単に行くことができるのにである。
価値観の相違といえばそれまでだが、満足しているのならとやかくいうこともない。
飲んで歌って仲良く明るくしているので、すぐに親しくなれた。

米国の大統領選挙の報道を見ていて思い出したことがあります。
ユナイテッド・ステイツと言う通り、ステイツと言えば国である。州から一度もでたことがないという人もいるのだときいたことがある。

合衆国という括りでエスタブリッシュに支配されてきたことに不満を持っていた人が多くても不思議はない。
不満はあっても、今まで一度も選挙に行ったことがないという人も沢山いるのだという。
日本のように、そこに住んでいれば投票用紙が届くというシステムではなく、申請しなければ投票権を行使できないのだと聞いたが、今回の選挙ではそういう人たちが投票に出かけたというから、選挙結果が予想とはずれた原因のようにも思える。

外国から見ているだけでは、数少ないニュースに頼るしかなく、生身の感覚は判断できないし、読み取れない。
よその国のことに口出ししても始まらないが、大国の選挙結果は世界に重大な影響を及ぼすことは確かであろうが致し方ない。
そうであれば我が国も対応には力を合わせて知恵を絞らねばならないが、どこの国の人かわからないようなことをいっている人が多い状況下では、気がかりでならない。

2016年11月11日金曜日

米軍が撤退できるとも思えないが

アメリカの第45代大統領がトランプ氏ということになりました。
この先がどう変わるのかまだ判りませんが、American  firstを唱えているとは言っても、まさかモンロー主義の昔に立ち返るということでもあるまい。
第一次世界大戦の反省に立って国際連盟の設立を提唱したアメリカであったが、言い出しっぺでありながら加入しなかった。
第二次世界大戦後、国際連合ができて以来、世界の警察をもって任じていたが、力による支配というものにそろそろ限界を感じてきたということなのだろうか?

日本が米軍の駐留経費を全額負担しなければ撤退すると言っていたが、日本が負担している額は70パーセントを越えているといわれ、世界各国の米軍駐留国に比べたら圧倒的な額なのだといわれている。
米軍は、日本のためというより世界戦略上の必要があって、日本に駐留しているのかと思っていた。
だから、いうなれば日本は占領政策の延長線上にあるということで、だからこそ不平等といわれる日米地位協定がある。

浅学にして詳しいわけではないから、単なる疑問であるが、日本の基地の能力は圧倒的であり、消耗が激しい戦闘機の稼働率を決める整備能力は、日本が最高水準にあるのだという。それを軽くみることはできまい。基地に勤める日本人従業員の品性は他国ではできない域だという。

米軍の庇護がなくなれば、同様の国防能力を維持するには20兆円とも24兆円とも言われているが、頑張れば何とかならないというほどでもあるまい。
自国でやれば頼ることがなくなるのだから、頭の重しがとれることになる。

なんだかんだ言っても、貿易というのは、どうしても軍事力のバックがものをいうから、なくすわけにはいくまい。
考えてみれば、日本は唯一アメリカには戦争で負けたが、その他のいかなる国、イギリス・ロシア・中国などには負けていない。ましてや戦ってもいない韓国に負けたことはない。
右翼のようなことを言いたいのではない。
冷静に考えると、日本は強いのである。

わざわざ出かけて行って戦争をすることはもう決してないだろうが、自衛はできそうに思う。
資源も、既得権益にとらわれず海洋を開発すれば、エネルギーも鉱物も豊富にあるみたいだし、そろそろ自前で調達することを考えるチャンスなのかも知れない。


2016年11月10日木曜日

自分の国が好きだと思っている人の方が多いと思うが

別段、国粋主義者だというわけではないが、日本のことは何でもかんでもということではなくとも、好きだと思っている。

で、不思議に思うのだけれど、日本人であり日本に住んでいて、それもかなり恵まれているように思える人たちが、日本のことを悪くいうのは何故なのだろう。
自らの国を貶めることに、なにか理由でもあるのだろうか?
知識人の類に入るというのか、リベラルを気取っているのかわからないが、そういう人たちが日本のことを悪くいうことが何故か多い。
得てして、日本より韓国や中国の方が良いようなことをいうが、本気なのだろうか。

信条は本人の勝手だし、言論の自由は保障されているから言いたい放題でいられるが、その言論が自由でない国だったらどうするのだろう?
前二国に限らず、アメリカでは~・イタリアでは~・ギリシャでは~のように、他国と比べるのが好きな人も多い。「~では」という人を揶揄して、「出羽守」という。

一事を捉えてものを言ってみたところで、物事は全体のバランスの上に成り立つのではないのか。
自国のことは、多少贔屓目にしてものを言った方が和やかにいくのではなかろうか。

なにゆえか捏造や変更報道を繰り返したA新聞は、極端に発行部数が落ちたというし、選挙で党首が落選した政党もある。
思惑含みの言葉だけでリードしようとしても、もう無理な時代なのではなかろうか。
自分の国が好きだと思っている人の方が圧倒的に多い。

2016年11月9日水曜日

土俵はフェアかアンフェアかが出発点でないと

いろいろ読んだり調べたりしていると、暗澹たる気持ちに陥りそうになる。
紛争を解決できるような確立したシステムが、世界にないからだと感じます。

圧倒的な強国を無視することは現実的にできないし、声を大きくして叫ぶ国に対しては、問題が多少あっても、とりあえず譲歩して聞くという姿勢になりがちである。

しかし、自分が同じことをやっているのに他を責めるというのはフェアではない。
しかもそれが捏造に基づくものであったり、根拠もなく自分側にのみ都合の良い主張であれば尚更のことであろう。譲ったことで解決には結びつかないし、問題が余計ややこしくなる。

少なくともフェアかアンフェアかが議論の出発点になるべきだと思うが、これがまた難しい。
世界は、法治国家ばかりではないし、建前上は法治国家を名乗っていても独裁主義国であったり、法はあってもないと同然な国もある。

国際法は批准していても守られるとは限らないし、それを強制的に守らせることは不可能に近い。
そんな構造はない。

絶対公正の神様でも降臨して、誰もがそれに従わなければならないようになれば別であろうが、目先にとらわれて、イデオロギー論争に近いことをやっていれば、そんな世界の現出はまず無理だろうと思う。宗教とイデオロギーは、決して主張を譲らないから、のっけから噛み合わないに決まっている。