2016年12月31日土曜日

「清」から独立できたのは日本のお陰だったのに

韓国に独立門というのがあるという。自力で独立したから建てたわけではない。
ウィキペディアによると、日清戦争のおかげにより(韓国は1兵も出さなかった)清からの独立ができたことを記念したものであるが、韓国では独立門建設の歴史背景が正しく教えられておらず、そのために独立門はいまだに「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多いという。
骨の髄まで中国文化に染まって(その割には貧しかった)いた朝鮮人は、漢人の「明」が滅ぼされ、女真族が「清」を建国したとき、「野蛮人には従えない」と清への服属を拒否した。
そんなに偉そうにできる程の実力はなかった。
激怒した清は朝鮮に軍を派遣して壊滅的な打撃を与えたのであるが、朝鮮王「仁祖」に対し、清皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と三跪九叩頭の礼(頭を地面にこすりつけ三拝九拝する)を強制して服属させた。屈辱以外のなにものでもあるまい。
日本が日清戦争に勝利したことにより、下関条約で朝鮮の独立が認められ、屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって三跪九叩頭の礼をさせられていた漢城に独立門を建てたのであり、中国からの独立を記念して建てられたことを朝鮮人も意識していたことが分かる。
しかし、殆どが属国の歴史であったにも拘わらず、「有史以来、朝鮮の国は独立国家であった」とデタラメが学校で教えられている韓国の若い世代は、そんなことすら知らず、「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、韓国の若者は「日本からに決まっているだろう!」と答えるという。
しかし、「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1919年だし、光復は1945年であるから、それ以前の話なんだよ。」と言うと、韓国の若者は絶句して思考停止するという。
哀れというも愚かなり。
ちょっと説明書きを読めば判りそうなものなのに、それができない。
そもそもは「迎恩門」といって、清国から使わされる使者を出迎えて三跪九叩頭の礼をしていた場所を取り壊して建てたのではないのか。

もうひとつある。
韓国は韓国主導で南北の統一をはかるといっているが、いまの世界情勢を眺めると、北に統一される可能性だってありそうである。
中国・米国は、感情的にしか動かない韓国を見限っている様子があるから、ロシアが一枚噛めば、韓半島は北が統一することだってありそう。
そのとき多分、日本は援助しない。
情勢を冷静に判断しなくて、いつも最悪の選択をする国だと世界から言われていることに耳を傾けた方が良いように思う。
政治も経済も行き詰っているとニュースにもよく上るのに、一致できるのは大統領の弾劾と慰安婦問題というのでは、他人事ながら気になる。
日本と仲良くしていく道を選べないというのでは、仕方がないということか・・・


2016年12月30日金曜日

いつまで言うことを聞けということなのやら

防衛大臣が靖国神社に参拝したというので、またまたマスコミが大騒ぎしている。

かくいう私は、右翼でも何でもない普通の日本人だが、不思議でならないことである。
靖国を参拝すると、何故大騒ぎになるのだろう?
靖国はいつ通っても、静かな参拝客がいるだけで、戦争を煽るような雰囲気の場所ではない。
反対する国というのは、実際に神社の雰囲気を見たことがあるのだろうか。

「A級戦犯合祀の問題から首相や閣僚の公式参拝には問題があると一般的には言われているが、そうなのだろうか?
日本に沢山居る左巻きお花畑の批判に左右されているようにも感じる。
政府の要人が「靖国参拝する」と言えば、ここぞとばかり反日マスコミが叩きますが、何が問題なのか・・
何がそんなに悪いというのか、具体的に聞いたことは無いように思う。
マスコミに、日本の立場や主張に理解を求める論調があっても良さそうに思う。

参拝が悪いというなら、外国要人・外交官・駐在武官・軍隊関係者が靖国参拝してるのは、どう考えるのか?調べれば参拝者とその年度はすぐに出てくる。
S21年 1 満州国 王充郷駐日大使
S21
年 3 アメリカ ロバート・G・ガード(GHQ関係者)
S31
年 4 中華民国 張道藩立法院院長
S34
年 3 トルコ エデム・メンデレス国防大臣・副首相
S35
年 4 ビルマ ウ・ヌー前首相
S36
12 アルゼンチン フロンデシ大統領夫妻
S38
年 6 タイ プミポン国王夫妻
S40
年 3 西ドイツ ハーバード・デビットマン大使、練習艦隊仕官候補生
S40
年 9 ベトナム クエンドウイ・クワン大使
S41
年 2 ペルー ホセカルロス・フェイレイドス大使
S47
年 8 オーストラリア アルフ・サイモン第39大隊隊員一行
S48
9 トンガ ツポトア皇太子一行
S55
11 チベット ダライ・ラマ14世
S57
11 エジプト モハメッド・サミー・オーエイダ前世界イスラム審議会事務総長
S60
6 エジプト モハメッド・サミー・サーベット公子
S63
8 パキスタン ブリカディー・ムハマド.ネイブ・テナ大使館武官
H
元年6 アメリカ スティーブン・H・ハウエル横須賀基地司令官海軍大佐
H2
1 ソ連(ロシア) エリツィン人民代議員(社頭参拝)
H4
3 スリランカ C・マエンドラン大使
H4
7 フィンランド カリ・ベリホルム大使
H6
6 イギリス M・スミス大使館武官
H7
6 アメリカ ジェイムス・B・ケイン大東亜戦争参戦元パイロット
H8
8 イラン M・シャッケリ1等書記官
H8
8 スベロニア ダニ-ロ・チュルク国連大使
H8
11 旧朝鮮 李玖旧朝鮮王朝王子(朝鮮王朝李垠皇太子と李方子皇太子妃との第2王子)
H9
4 トルコ、ルーマニア、インド、マレーシア、イスラエル、ロシア、タイほかの駐在武官
H10
4 トルコ、ルーマニア、インド、イスラエル、ロシア、ブラジル、ポーランド、スイスほかの駐在武官
H11
4 トルコ、ルーマニア、インド、タイ、イラン、、ロシア、ブラジル、マレーシアほかの駐在武官
H12
4 台湾 高砂族元義勇兵・遺族
H14
3 大韓民国 大使館付武官 柳海軍大佐、除陸軍大佐
H14
4 ペルー アルベルト・フジモリ前ペルー大統領
H14
8 アメリカ キャサリン・ビリングス前アリゾナ記念館館長
H15
2 南アフリカ アッパ・オマール前広報庁次官
H15
4 スイス ハンズ・R・マイヤ大使館武官

リトアニア共和国首相、在日米軍横田基地将校会‥各国指導者の参拝は、スリランカ・タイ・インド・ドイツ・スイス・フィンランド・ポーランド・ルーマニア・スロベニア・ロシア・エジプト・イスラエル・トルコ・アメリカ・チリ・ブラジル・オーストラリア・パラオ・ソロモン諸島‥
「問題がある」としたら、誰か抗議したとでもいうのだろうか?
問題にしているのは特ア3国だけであり、韓国・北朝鮮は何をもって抗議するというのだろう?

それも、戦後しばらくは、総理大臣が参拝しても何とも言っていなかったのに・・・
左翼活動に行き詰った朝日新聞のK記者がわざわざ記事にして中国にチクリ、それが外交カードとして使えそうだということから、揉めるようになったのではないのか?
日本国内で騒ぐ人がいるのなら、「批判した方が得らしい」ということになったのだと思えてならない。

やたらA級戦犯って言う議員やマスコミ、自称評論家が沢山いる。
A級戦犯⇒戦争の原因を作った犯罪者 のつもりのようであり、甚だしきは永久戦犯などと、未来永劫許されない犯罪者なのだと、勘違いしている人たちを放置したりする。
国内的には、既に法的に解決しているのではなかったのか?
決まったことを無視したり蒸し返すのは、法治国家としては如何なものなのだろう。
いつまで、特定国の言うことを聞き続けなくてはならないというのだろうか?


独立回復後、日本は国会の決議により、
A級戦犯を含むすべての戦犯の死を 「法務死」とし、遺族への年金や恩給を支払うことにした。
遺族の救済や名誉の回復を行なうことを決めたのである。*昭和27年4月

まだ服役しなければならない1224名の「戦犯」に対して国民の同情が集まり日本じゅうで戦犯の早期釈放を求める署名運動が起こり、約4000万人の国民署名が集まった。
当時の日本人口は、約8581万人。単純計算で、国民の2人に1人が署名したことになる。
*昭和28年8月
「戦犯釈放を求める国会決議」が決議された。
国会決議は共産党も含め【全員一致】だったと記憶する。

国家指導者の政治的責任や道義的責任という問題と慰霊とは別の問題です。
昭和53年、靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀された。
昭和60年に中国が批判するまで、問題だなんて誰も言わなかった。
日本人は、戦争中でも敵国兵士の墓を作った。 これは武士道の伝統である。
敵国の兵士をも弔うんだから、 自国の指導者に対しては死者に鞭打つことをしないのが日本人の伝統的文化。殺した後で死体を食べる中国人とは根本的に違う。

そして合祀は、厚生省が提出した名簿に基づくものである。
名簿は国会の決議や、諸外国の承認を踏まえて作成されたものであったはず。
つまり靖国神社がA級戦犯を「戦争による公務死亡者」として合祀したことは、法律に基づき、行政の通知に従って実行したものということになる。

であるから、靖国神社が批判を受けるって意味わからない。
日本は法治国家であり、法に基づくのであれば、国内法への内政干渉ということになろう。

サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、
東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになってた。
日本はこれをまじめに取り組み、国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。
そして‥
*昭和31年3月 、「A級戦犯」全員赦免・釈放
*昭和33年5月、「BC級戦犯」全員赦免・釈放
これらを正式に勝ち取った。
すなわち、日本に「戦争犯罪人」はもはやいないということになる。

何国人だかわからない人が、何の目的か判らないことで騒ぐのは何故なのか?冷静になって判断しないとならないのだと思う。

2016年12月29日木曜日

ホウレンソウが美味しい季節になった

「栗の季節になったら、栗ご飯をたべさせてね。」というのが、家内と一緒になるときのただ一つの約束であった。多くを望まれてはいない。

昔は、何もなくて結婚するのが当たり前の時代があって、蜜柑箱(昔はダンボールではなく、木製の丈夫な箱だった。)と鍋一つだけで所帯を持つ人が多かった。
それらの誰もが、二人で協力して生活を整えていく喜びを共有できていた。

栗の時季に栗を食べる。旬を大切にしたということでもある。
今の時季、霜の当たったホウレンソウは柔らかくて美味しいし、葱は甘みを増している。
獲り入れて休ませた里芋は、皮を薄く剥いて煮て食べると旨い。
家庭料理として食べるときは皮を薄くむくが、客などが大勢集まるときは、思い切って厚く剥き、面取りを施して料理した。みんなの角が立たないようにするという配慮をしたのである。

そのころの主婦は、玄関先に突然の訪問者があると、エプロンをはずし髪を手でなでつけてから応対に出るという配慮をした。
人に対する気遣いを自然にしていた。

2016年12月28日水曜日

何で顔芸付きの音楽演奏をするのだろう?

実力のある役者さんが演技するときの顔芸というのは、役柄の心理状態を深く理解して表現するから、思わず惹き込まれてしまうほどの説得力がある。
顔に総人格を深く醸し出せるのは、理解力があるからにほかあるまい。

あるクラシック音楽番組をTVでみた。
演奏する楽器や指揮者の振るタクトに、どうしてその演者が気味の悪い表情や仕草を付けるのだろう?
美しさを感じられるほど昇華されているなら違和感を感じはしないだろうが、見る側がその表情に不快感を覚えるとしたら、曲への理解が浅いからなのだと思われても仕方ないように思う。

顔芸までして自分を見せたいという魂胆が透けて見えるようでは、感動できなくなってしまう。
芸術性というのは、無駄な動きがないところから生まれるのだと思えてならない。

2016年12月27日火曜日

ガン細胞を死滅させる野菜

癌細胞を短時間で98パーセント死滅させる驚異の野菜というのが youtube に出ていました。

野菜を食べることは大事です。

2016年12月26日月曜日

世界が認める武士道

「武士道とは死ぬこととみつけたり」50年以上前に読んだきり、その後は読み返していない。
行水して身を浄め、爪を綺麗に磨き、髪を整え衣紋を正し香を焚きこめて外出するのはオシャレのためではなく、いつ死んでも良いようにとの覚悟の現れであったと記憶する。
「死ぬこと」というのは「いかに生きるか」ということでもある。
人間の持つ闘争本能を、如何にコントロールするかということにもつながる。
名誉と責任その他、人間の善たるものを常に追求していた。

武士に限らず職人も、完全なるものを追求する求道者のような生き方をしたのが日本人である。
現在も、道を究めようと努めている人たちの言は、まるで哲学者のような趣を醸し出す。

野放図になっているかのように見えて、いざとなるとそれら血に浸みこんだ精神が現出することは、広く世界が認めるところである。
武士は、約束をするとき金打(きんちょう)といって、刀の鍔を鳴らしたというが、約束をした以上、決してそれを違えなかった。自分の命に代えてでもそうした。
最近は、約束を簡単に反故にする国があるようだが・・・

2016年12月25日日曜日

家には想像以上に物が詰まっている

家というものには思っている以上の大量の荷物が入っているものなのだと驚かされる。

義母が老人ホームに入ることになったので、そこに持参できるものを分けた後の整理が大変であった。
廃品業者に引き取って貰うとなれば、かなりの費用がかかる。
まだ勿体ないけれど、不要と思われるものは、大きなゴミ袋で何十袋も思い切って粗大ごみとして捨てた。
新しい下着類は、介護施設で使ってくれるというので、これは数個のダンボール箱に入れて寄付した。

残ったものの方が多い。
着物類は霧の箪笥ごと、知り合いが引き受けてくれた。買った時は一枚何十万円かしたものであろうが、ぎっしり詰まっていたから数十枚はあった。売ったところで、腹が立つほどの値段しかつくまいから、良かった。

ローズウッドの食器棚二つにぎっしり重ねられた陶器類やガラス製品は、今までに吟味して集めたものだからブランド物が多かったが、これも棚ごと喜んで使ってくれるという人がいた。
食器類は知り合いで分けてつかってくれるという。

お客様用の布団類、夏冬ものの衣類は、火災にあった人が困っているらしいので、仲介者が引き受けてくれた。
毛皮のコート数着は、時々見舞いに来てくれた親戚に上げた。今どき着るかどうかはわからない。

リサイクルショップなりオークションで捌けないわけではないけれど、そんなことをするより、お世話になった方々や、必要としてくれている人達で分けてくれた方が嬉しい。
何週間かかかったけれど、年末までには整理がつきそうでほっとしている。


2016年12月24日土曜日

「悪だくみ」「悪だくらみ」どちらが日本語?

「悪だくみ」という字を漢字で書くとどうなるか?という解説をしているのを見ました。
「悪巧み」と書くのが正解だという。
「巧み」というのは、上手にやるということのほかに、工夫するという意味があるからだという。

しかし、ちょっと待って欲しい。
そもそもは、「悪事を企む」ということから来ているのだから、「わるだくみ」ではなくて「わるだくらみ」という言い方の方が正しいのではないのか?
「悪企み」が本来のことばの筈だが、PCで変換すると、「悪巧み」は出てきても「悪企み」は変換されない。
日本語が変わってしまったのかもしれないが、上手に悪事をするとか、工夫して悪事をするというのは一体なんなのだろう?

2016年12月23日金曜日

憎むことを教え続けるって何なのだろう

呆れ果ててものも言えない。一致して反日に明け暮れるようである。
それでも、日本人が韓国を否定的に捉えているのは、28パーセントだというから日本側は穏やかなものである。
韓国が一番好きだと言っているドイツが韓国に否定的な見解を持っている割合は、65パーセントだという。総じてヨーロッパ諸国は4割以上が嫌っているというのが、BBCの調査結果。
我欲が強く、自らの非を決して改めようとしない国民性であるとしているからだという。

韓国では、国際的な約束を反故にするのは平気らしく、先の慰安婦問題の合意も無効化すると息巻いているのだというが、どうしてそうなるのか困ったものである。
しかも日本が敵国だと次の大統領候補の一人が公言して憚らないとは・・・
言っちゃあ何だが、日本はK国と戦争なぞしていないし、今後も相手にする気は更々ない。

第二次大戦後、独立運動をすることもなく棚ぼた式にできた政権は、正当性を主張するのに苦慮したに違いない。
日本の統治時代の方が良かったと言われることは、極端に警戒せざるを得なかっただろう。
苦し紛れの弾圧や反日教育であっただろうが、嘘・捏造が多すぎたし、何よりも長期に渡ってやり過ぎた。
何が奴隷のように扱ったと言い張れる根拠なのか?
李氏朝鮮時代の国民の大半が、奴婢(奴は男の奴隷、婢は女の奴隷)であったのを開放し、女性にも名前がつけられるようにしたし、文字も読めるように教育もしたのは日本である。
全く逆ではないか。
李王朝時代の悪弊は殆ど取り除き、発展できる基盤を与えたというのが悔しいというのでは、話にならない。
日本への嫌がらせにこぞって血道を上げているようでは、世界中が愛想をつかすことになろう。
教育によって刷り込めば、影響は長く残る。
困ったときだけ縋りついてきても、快く援助しがたい道を選び続けてきたのではないのか?

2016年12月20日火曜日

小中学生のためのレクチャーコンサート

ピアニストである息子はライフワークとして、小中学校の生徒にピアノの生演奏を聴く機会をもってもらうため、毎年何校かを訪問してコンサートホールで弾くのとほぼ同じ演奏をしています。
子供たちは、夕刻に催されるコンサートに行くことが殆どありません。
本物に直に触れることが大事だと思ったきっかけは、倅が子供の頃、学校に狂言師が来て公演をしてくれたときの感動があったからだといいます。
将来、自分がそういうことができるようになったら、是非そうしたいと思ったようです。

学校での演奏が終わって返ろうとすると、何人かの生徒がレッスンして欲しいといって残っていることが多いらしく、それを見てあげていたと言って帰宅が遅くなることが殆ど毎回のことになります。
熱心に学ぼうとする生徒には、心底教えてあげたいと思うようです。

練習中の曲を聞かせてもらって感じるのは、基礎的なことなのに教わったことがないと言う生徒さんが多いということ。
ついている先生の側に、その理解と教えるための整理ができていないのかも知れない。
何を話したのかを聞いてみると、その生徒さんたちに合わせて次のようなことを教えているらしい。

指で弾かないと粒の揃った音が出ない。
音質というのをどのように考えるか。
テンポはどこで合わせるか。
拍の取り方。
音はどのタイミングで出すか。
鍵盤をどのピンポイントで弾くか。
ピアニッシモとフォルテ。
ソナタとかポロネーズとかマズルカの組み立てがどうなっていて、その約束事は?どうしてそのように弾くのかの理解。

その他、音楽性を高めるために、その生徒さんごとに丁寧に教えると、見る間に演奏が変わってしまって喜ばれるのだという。好きになれなくては上手くなれない。
効果的な練習方法は、コンサートで演奏できるようになるための実体験に基づかないと教えられない。
この手のことは、良い師に恵まれたということもあるが、長いヨーロッパ生活で自分が研鑽して身に着けたことが多いから、どこをどうすれば良いのかがすぐわかるのだという。
因みに師事した先生は、幼かったころから可愛がってくれたショパンコン優勝者ハリーナ・ステファンスカ教授(イヨルク・デームズ師が紹介してつないでくれた)
エリザベート・ドォヴォラーク・ワイスハール教授
マルタ・ソシンスカ教授
セルゲイ・ドレンスキー教授(君はもう学生弾きではなくコンサート弾きをした方が良いと言って下さった)

2016年12月19日月曜日

身体に有益な菌もある筈なのだが

常在菌というのがある。

身体についている有用菌というのもあるのだと思うが、清潔の為だということで神経質になって滅菌・殺菌をしてしまうことによる弊害というのは無いのだろうか?
何もかも根こそぎにするのが良いのだとは、とても思えない。
人間がひ弱になってきたげんいんとはなっていないのだろうか?

医学のことに詳しいわけではないので判らないが、そういうことを解説している医者は余りいないようである。
手足や口は、雑菌が付いていない方が良かろうということで、一応の対応はしているが・・・

昔は聞いたことがなかったが、小麦アレルギーというのがあるらしい。
古代種であるスペルト小麦では、それが起こらないのだとも聞く。
小麦に限らず、アレルギーのために食べられない食材があるということは、命に関わることだけに大変なことである。
収穫量を上げるために薬剤を使ったり、品種改良をしていくうえで何かの無理をしていることが影響してはいないのだろうか?

毒物ならいざ知らず、自然界の物に拒否反応を起こしてしまう体というのが理解しにくい。
人間の体は、微妙な変化を起こしてきているのだろうか?
何の心配もせず美味しいものを美味しく食べて健康でいられることは有り難いことです。

2016年12月18日日曜日

新聞の発行部数が激減しているらしい

休日になると、ゆっくり過ごしている静けさを破って、K党の街宣車がやってくる。
大抵はM党と同じく、「~反対」「~を許さない」の連呼で、選挙期間中でもないのに多少紛らわしいと思える「次の選挙では宜しく」などということを挟むこともある。
機関誌の購読宣伝も忘れずにやっていく。
聞くところによると、この機関誌の発行部数が激減しているという。

選挙のたびに多少議員数を増やしているから、支持されているのだと勘違いしているようだが、普通に考えてそんなことはあるまい。
共産主義を是とする人が多いとはとても思えない。
自民党に少しはお灸を据えた方がよいと思うへそ曲がりが、全く信頼がおけそうもないM党に投票するわけにもいかないから、たいして大勢に影響がなさそうなK党の候補者に投票した結果のように思える。

同じく、勧誘電話で迷惑に感じるのが、A新聞である。
捏造記事を世界中に撒き散らし、大きく国益を損ねたばかりでなく、若者たちの心に深い傷を残した。嫌韓が増えたのはその所為も与かって大きいだろう。

有効な訂正の発信を世界に向かって為した様子は見えない。頬黴リしていると言われても仕方あるまい。
記事を書いた記者をどこかに飛ばして終わりでは、体質が変わるわけもない。

この新聞も、壊滅的な発行部数減に晒されているらしい。
勧誘電話も、昔と違ってしつこくはない。「A新聞はお嫌いですか?」と聞くから「はっきり言えば、まあそうです。」というと切れる。自覚はあるようだ。

いずれにしても受け入れられて発行部数を伸ばすのは、信頼されることがまず先のように思う。


人が恋しい野良猫たち

訪ねた家の庭先に野良猫がやってくる。その総数8匹は、いずれもれっきとしたノラであるが、どこかで飼われていたのが可哀そうにも捨てられたのか、どれも人懐こい。
人恋しいのか、窓を開けると集まってきて顔をのぞかせる。
飼えるものなら飼ってあげたいが、諸般の事情が許さない。



勝手に名前をつけた。性格が良くおっとりしていて、貰い手がつくなら一番だろうと思える猫は、ナンバーワン。隣の奥さんはマロと呼んでいるという。



外に出ると、やたらに体を摺り寄せてくる茶虎は、モカ。


額だけ三毛なのは、額三毛。ユキヒョウ柄のは、ユキヒョウ。

車の下に潜ったり、陽だまりで日向ぼっこをする姿も可愛い。







2016年12月17日土曜日

北方四島はなかなか返ってこない

北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)

択捉島の霧の ヒトカップ湾(単冠湾)から、真珠湾攻撃のための機動部隊が出撃したことは、歴史としての記憶にあるし、日本人がそこで生活をしていたのだということも知っている。

終戦ということで矛を納めたあとに、日露不可侵条約を一方的に破ったロシアによって占拠された諸島であるとの認識でいる。
しかし、戦後70年も経過してしまうと、返還を要求しても困難なことになっている。
旧島民にとっては堪らないことだと思うが、ロシア側は領土問題は存在しないと主張する。
実効支配されてしまうと、竹島だって簡単には返ってこないことになる。
まさか戦争をして実力で奪い返すわけにもいかないから、面倒なことこの上ない。
まだまだ時間がかかるのかも知れないが、諦めるわけにはいかない問題である。

2016年12月16日金曜日

援助物資だけではなかった援蒋ルート

米・英・ソ連などが蒋介石の率いる国民党政府に軍需品や石油などの支援物資を送り込んだ「援蒋ルート」というのがある。
米国は当初、中立の立場をとっていたが、蒋介石の要請を受けて借款を実施した。
日本軍が仏領インドシナに戦線を広げるにつれて、中国への軍事支援を拡大した。

日米開戦の前のことである。義勇軍をよそおって、フライングタイガースという部隊が参戦していた。
アメリカ陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェンノートがルーズベルト大統領の後ろ盾を受け100機の戦闘機と100名のパイロット、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集めた航空部隊でアメリカの中立という立場から「義勇兵」という形で、中華民国軍の兵籍に入った。
ほとんどは米軍人で退役の形をとってはいたが、米軍復帰は約束されており、真珠湾攻撃前の狡猾な方法によるアメリカの参戦であり、中立違反であった。

日本の対米英開戦の後、欧米列強の植民地は日本軍に占領されていく。
フランスやオランダはすでに欧州戦線でドイツに降伏しており、アメリカとイギリスにとっては、中国の抗戦力の維持が極めて重要となった。
このため、物資の提供と、作戦協力の両面から中国を支えた。
援蒋ルートは、中国の生命線を握っていたので、アメリカとイギリスはこの輸送路を守るために中国軍と共同して戦った。その最大の攻防は雲南省、ビルマで展開した。
42年には、蒋介石はアメリカのルーズベルト大統領の提案で連合軍の中国戦区司令官に選ばれ、戦区参謀長としてスティルウェル将軍がアメリカから派遣された。
日本と中国の戦争は、実際にはこのようにして、日本対中国・アメリカ・イギリスという構図に広がっていった。
ソ連もまた、日ソ不可侵条約が締結されるまで、独自に新疆方面などから中国に支援物資を送っていた。
欧州でのドイツ戦に専念するために、日本軍を中国に釘付けにしておく必要があったのだとされるが、昔の人たちしか知らない。