2017年2月28日火曜日

回りくどいだけのように見えてしまう

韓国の新聞記事やら社説やらの日本語版を読むことがよくある。
日本との間で揉め事(先方の都合だと思うが)があるから、何を考えているのか知りたいと思うからである。
一言でいえば、回りくどすぎて何とも評価するに値しない記事になっているように感じる。
韓国側にさえ、自分たちに問題含みのことが多いと解ってはいても、何とかかんとか継ぎはぎやりくりして、日本が悪いという結論付けをしたいため、論理矛盾が至る所に出てしまうからだと思う。
自国語に語彙数が少ないからということではなさそうである。

同様に、民進党の国会質疑を聞いていると、レッテル貼りやら印象操作をしているばかりで、政策の問題点を突いて、より良い政治にもっていこうというのではなく、大臣の首を取るのが目的のような論調に終始するから、論理矛盾を起してしまい、時間を無駄に使っても本筋からズレル質問に終始することになり、結果的にはまわりくどいだけで、説得力に欠ける大ブーメランを投げているとしか思えないようなことになっているように見える。

例えば、南スーダンへの自衛隊派遣は、PKOをやめるか憲法の改正かを迫られる事案であろうが、それには決して触れない。それが上手くいきそうにないと、「森友学園」の問題に躍起になる。それも何が重要なのかわからないくらい、あれこれ問題点を列挙するだけ。大方の人は、新聞社への土地払下げだとか、外国人学校の土地使用へのトバッチリは大丈夫なのか?と逆に心配していよう。

国を良くしていくためには、本筋で何をしたいのかということでないと、万年野党であった55年体制の年長と大した違いはないから、どうやってみたところで品性を見られるだけであって、信頼を得るには至らないのではなかろうか?


2017年2月27日月曜日

謀略的な慰安婦像

宮古島に慰安婦の碑が建てられたのは2008年。
ソウルの日本大使館前に慰安婦の像を設置した反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」と、日本の市民団体などが中心となり、宮古島の共産党員の私有地に建てられた。
日本国も沖縄県も宮古島市もまったく関係はないという。

卑劣にも、日本にも慰安婦の碑があると喧伝し、グレンデール市に慰安婦碑が建てられるように画策したのだという。
こういう長期的な戦略を韓国が立てられるわけがない。裏に煽る勢力があると考える方が理解しやすい。資金の出所もどこだったのか疑わしい。

謀略というのは、そういうものなのであろう。
日本は、そういうことに対処してこなかった。
「嘘も百回言えば真実になる。」とか、「自分に都合が良いことだけが真実である。」とか、「約束を守るという概念が希薄だ。」とか言われている国だと知りながら放置してきたツケは大きい。
捏造されたことを教え込まれ、それに凝り固まった人が多くなってしまったのを、この先軌道修正することは、困難どころか不可能にさえ思えてならない。

日本に在住していて帰化しない韓国人は多いが、それはその方がメリットが有るからであって、米国に行くと進んで帰化を選ぶ人が多いという。
そうして教会などに潜り込み、純真なピューリタンたちにありもしなかったセックススレーブなどということを吹き込む。

韓流ドラマで李王朝の物語をみていれば判る通り、彼らは権謀術数を尽くすことには長けている。
そういう権謀術数が、有益なものを生み出すことがなかったことを、歴史に学んでいない。
国の発展を目指すより、反日だけが国策に近いくらい目的になってしまっている国の人は、或る意味で悲しい。
そういう悲しい人たちを増やしてしまったのも、我が国がその都度都度対処せずに放置してきた結果によるようにも思える。
親韓を標榜していた人たちが、それを助長したということでもあろう。
結果は、嫌韓意識が広がり、日韓関係を冷やしてしまっている。

2017年2月26日日曜日

福島とチェルノブイリが同レベル?

原発は事故が起きれば甚大な被害を及ぼすことは、紛れようもなく確かである。
であるからこそ、事故の結果については正確な事実の発表と報道が重要であることはいうまでもない。
危険であることだからからと言っても、事実を把握することなく拒否反応を起こす人がいるのを全て否定する気はない。
しかし、福島の事故がチャルノブイリと同レベルだと報道されるのには疑問を感じる。
ウィキペディアによれば、チェルノブイリの事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験を行っていた。
この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。
爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に、量にして推定10トン前後、14エクサベクレル放出された。これに関しては、広島に投下された原子爆弾による放出量の約400倍とする国際原子力機関(IAEA) による記録が残されている。
当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。
しかし、翌4月27日に、スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にて、この事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が検出され、近隣国からも同様の報告があったため、スウェーデン当局が調査を開始。この調査結果について事実確認を受けたソ連は4月28日に、その内容を認め、事故が世界中に発覚したのであった。
当初、フォルスマルク原発の技術者は、自原発所内からの漏洩も疑い、あるいは「核戦争」が起こったのではないかと考えた時期もあったという。
ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に、多数の死者が確認されている。
長期的な観点から見た場合の死者数は数百人とも数十万人ともいわれるが、事故の放射線被爆と癌や白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地がある。
事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が、急増しているという調査結果もある。ウィキペディアには、こう、記述されている。
これでどうして、福島が同レベルだということになるのだろう。

事故直後、時の首相が福島原発の上空をヘリコプターで視察したことで、ベントにより水素爆発の防ぐための絶好の機会を失ったとも聞く。
当事、風は海側に吹いていて、ベントすることで放射性物質がそちらに流れれば、被爆した人は少なかっただろうともいわれる。さらには、避難誘導も単純に原発からの距離だけで考えて、情報はあるのに、風向きを全く考慮しなかったのだとも聞く。
報道は、原発は地震により破壊されたということにしているが、地震により破壊されたのではなく、津波により冷却用の電源が供給されなかったためであったという証言が広まることはない。

原発は、もし事故が起これば甚大な被害を及ぼすことは確実だから、ないに越したことはないとおもっているが、それと科学的事実の検証や解明は別なのではないのか?
事実の解明から目を逸らして、ただただ反対を唱えるだけでは、後々の教訓とすることにならないと思う。
本気で将来を考えるなら、国民が事実をしっかり把握できるようにするべきだと思う。

何故かというならば、原発廃止を真剣に捉えるならば、原子力というものについて正しい知識を国民が共通して持たなければならないからである。
不安を煽り立てるだけでは、決して前に進まない。
廃炉をどのように進めるか。放射性廃棄物をどこにどのようにして処理するか。核技術を持つ技術者をどのようにして継続的に保持するか、等々が国民の合意なくしては叶うまいと思うからである。

それらをしないままで、核に替わって電力エネルギーを得るのにどのようにしていくのか、という本来の目標からズレた論議をしていても始まらない。
ものごとを判断するための根幹は、できる限り正確な情報に基づかなければならないと思うからである。

2017年2月25日土曜日

敵と味方の判断もつかないのでは

現在の日本人の大多数は、どこかの国を積極的に敵だと思っている人は少ないんじゃなかろうか?一昔前なら戦争になってもおかしくないことをされても、事なかれ主義かどうか知らないが、黙ってやりすごしているだけなのだと思う。

強いて言えば、相手国が敵だというから、それなりの備えをしておかねばならないとしているの現状なのではないだろうかと思う。
S党のF女史のように、侵略されて殺されても構わないと公言したが、本人がそう思うのは勝手だとして、そんなのはご免だというのが、他の全員の本音ではないかと思う。

戦力は現実にあり経済力もあるのだが、それが抑止力とならないのは、いざとなったらそれらを使うぞ、と言明しないからであろう。
米国が守ってくれると、反米を唱えているにも拘わらず恥知らずにも公言する人もいるが、そんなわけはなかろう。まず、当事者がその気概を示さなくて、どうして米国が動けるというのか?

過去に戦争は確かにしたし、戦争と言う異常事態下では、酷いこともあったに違いないが、どちらか一方が全て悪いということは、どんな場合にもあり得ないであろう。
悪かったことは反省し謝罪することは当然であろうから、今までそうしてきた。
しかし、一歩引けば2歩も3歩も踏み込んでくるのが、日本が敵だと言っている国々である。
極めて危険な考え方であるといえる。

我慢するにしても、事実でもないことまで謝れといわれるのは困るから、それは違うでしょというと、歴史修正主義だと言われるのが実情である。
戦争に負けたのだから、多少は我慢して譲歩するにしても、捏造が明らかなものにまで謝れと、いつまでもいわれるのはたまらない。
ましてや戦争をしたこともない国が戦勝国気取りでものを言うのは、いい加減にしてくれということになる。
それが過ぎれば、新たな諍いの種だって生まれかねない。

不思議なのは、南北が統一されれば日本に勝てるくらい強くなれると韓国は言っているが、韓国が朝鮮を統一できると何故思うのだろう?
逆に支配下におかれる可能性の方がよっぽど大きいように見える。

さらに言えば、経済も工業も半島とはけた違いに進んでいた東西ドイツだって、統一直後は大変だった。即ち半島の両国が一緒になっても、すぐに発展するとは考えにくく、むしろ後退するのではないのか?

感情的になって騒いでいるばかりでなく、状況判断を的確にし、国の将来を冷静に判断できれば、どうすれば良いのかわかるはず。
互いがというか、一方的に当方を敵対視しなければ、争いは避けられる。
こちらが本気になって対応しようと思う前に、考え方を変えたらどうなのか?

2017年2月24日金曜日

関係のない国に慰安婦像を建てる裏の含み

慰安婦問題。
どこの国にだって脛に傷を持っている。
槍玉にあがった日本を悪者にして、韓日で騒いでいる分には、高見の見物として放置していられたが、日本が本気になって反論し始めると、そうそう気楽に構えていられなくなった国がある。

日本側がいかなる資料を調べてみても、強制性をうかがわせるものは一つも出てこないし、米国が膨大な費用をかけて調べてみても、性奴隷などという事実は全く見つけられなかった。

唯一、韓国が証拠だと言い張っているのが、旧慰安婦の証言のみである。
その証言に出てくるのは、クリスマスの話であったり、ジープで移動したとかヘリコプターに乗ったとかであったり、軍服のファスナーであったりするのでは、日本軍とは結びつかない。年齢も整合性がつかないから、少女のときに拉致されたのだと辻褄合わせをするが、いずれにしても矛盾だらけで、証言証拠として採用できる代物ではない。

今まで日本は黙っていたが、本気になって反撃を始めたら、それは日本ではなく米軍のことだったのではないのかということも明らかになってしまう。
そもそも慰安婦問題を主導しているのは、反米が目的の北朝鮮の勢力であったり、中国の思惑であったりするのだと知られてきている。

米国内に慰安婦像が建てられたら、それは反米が根本目標にある運動であると気づかれないわけがない。
なんの関係もない米国に慰安婦像を建てる目的は何なのか?といえば像の、基盤に書かれている日本という文字を米国と書き換えれば、それは即座に対米非難に替えられるということ。

オバマ前大統領は、北朝鮮の動きが不穏であるとの理由で、日韓の合意を迫ったということになってはいるが、そろそろトバッチリが来そうだと考えたからではないのか?
人権運動なのだと主張を変えてきているが、旧慰安婦のお婆さんたちが、韓国でどのように遇されているかといえば、かなり可哀そうな状況であるとも聞こえてくる。

嫌がらせをして、それが愛国心だと勘違いしているうちはまだ大目に見てもらえるだろうが、行き過ぎて世界からも呆れられてしまうのでは、愛国などとは程遠いことと理解すべきであろう。もうそろそろ矛を降ろさないと、本当ににっちもさっちも行かなくなるのではないのか。

2017年2月23日木曜日

報じられたことがそのままではないことはありうる

フェイク報道呼ばわりされるCNN・BBC・朝日側にとっては格好の餌食として反撃材料となったように見えるが、反撃したいのは山々であったとしても、報道姿勢としては、トランプ大統領が何を根拠にして、何のことをいっているのかの裏付けをして報道すべきだと思う。

トランプ大統領が、テロが起きたドイツ(ベルリン)、ブリュッセル、ニース、パリと並べて「スウェーデンで起きていることを見ろ」と言ったから、スウェーデンでもテロが起こったかのようにとらえられたけれど、トランプ大統領はテロとは言っていなかったように思う。

FOXニュースで放送されていた「移民とスウェーデンの現状を懸念した話」に関連することだという。その内容が違うというのなら、それを指摘しないで自分の都合の良い報道をしたら、またフェイク報道と言われても仕方なくなる。
トランプ大統領が懸念しているのは、入国制限をしなかったら、アメリカもスウェーデンみたいになる、と心配しているのだと主張している内容だったのではないのか?
日本での報道も、それを検証することなく、スウェーデンにテロなぞ無くて嘘を言ったということになっていたように思う。
スウェーデンは難民を大勢受け入れ、手厚く補助をしているのだというが、問題がないわけではない。
人口が1,000万人に満たない比較的小さな国なのにもかかわらず、世界的に有名な企業が沢山あることで知られるが、人口に対する難民受け入れ数が、ヨーロッパで最も多い国としても知られている。スウェーデンは2016年だけで、16万人以上の難民申請を受け付けたという。
しかし、「難民たちは仕事に就けなくても、犯罪は起こせるだろう」という危惧はあり、ニュース画面には暴動を起こしている人や、破壊された建物の一部が映し出されたのだという。
スウェーデンは人道主義国家として、難民を大量に受け入れるだけではなく、仕事に就けなくても住居や教育など補助してもらえるので、難民たちは普通に生活できるそうである。
それにも拘わらず、実際には、難民受け入れを始めてから、銃犯罪やレイプ事件が激増しているともいう。

世の中には、ディープな流れがある。人種であったり宗教であったり思想信条であったり何らかの組織に基づいたものであったりする。
まことしやかに伝わるイルミナティーだとかフリーメーソンだとかの動きがあるのかも知れないし、テクノクラートの権益というのがあるのかも知れない。
それらに影響が出そうということになれば、躍起になることはあって普通であろう。
マスコミを抑えれば、自分たちに都合が良い考え方を浸透させやすいから、それをしているかも知れない側面は、否定しきれまい。
全体像でなく、部分を抜き取った報道であるときは、そこにある裏面の思惑も判断材料ににいれなくてはなるまい。
とにかく複雑で面倒なことは、簡単に評価できないということになる。

2017年2月22日水曜日

腹背に敵をもって大丈夫だというのだろうか

なんとも不思議な国だと、つくづく思ってしまう。

現在が戦闘状態にはないとはいえ、北とは休戦中の敵国同士なのではないのか?
それへの備えとして、米軍に駐留してもらっているというのが、意識の中からすっぽり抜け落ちてしまっているように見えてならない。

そういう状況にありながら、日本は敵国だと言って憚らない。
腹背に敵がいて、それに対抗できるほどの軍事力も経済力もあるまい。それがある強国だって、2方面に敵をつくることは避ける。
国内の感情的動きが、北と中国の思惑に染まり切ってしまい、レッドチームとして生きていくというなら別であるが・・・

勝手に敵国扱いしてくれているが、はっきり言わせてもらえば、日本が韓国に軍事侵攻することなぞない。
頼まれたって半島にかかわるのは御免だと、大多数の国民が思っている。

もし、いざ北との戦争が始まったとしても、自衛隊が救援に駆けつけるなどということは、仮令要請があったとしてもできない。安保法制が、がっちりそれに制約をかける。

親韓が多いといわれる野党だって、韓国を助けるべきだとは、今更言えまい。
反対することに躍起となった安保法制の、「自国の存立にかかわる」ということが持つ意味が大きく働く。憲法以上に戦争を制限している。

場合によれば、日本の基地から米軍が出動することに制限をかけるかもしれない。
米軍だって、朝鮮戦争のとき、実際に戦ったのは米兵だったということに懲りているから、駐韓地上部隊を引き揚げ、日本まで戦線を後退させてでも、米軍の安全を先に確保するくらいの選択はしかねない。
韓国ではなく米国を守るということなら、海と空からだけで十分であり、半島を本気で守るかどうかはわからない。
反米運動を野放しにするなど、米軍の信頼を得られるような対応を今までしてこなかったから、親身になって守る気が起こるかどうかということである。
徴兵制もある戦争中の国なのに、論理的バランスも考えられないのか?と、不思議に思ってしまうのである。
ミサイルの発射やら暗殺事件やら、安閑として反日ばかりしている場合ではあるまい。

2017年2月21日火曜日

築地問題

世論調査というのがある。
結果の発表はあるが、どの地区の・どういう人たちを対象に・どのくらいの人数に・どういう質問をして、ということは余りかかれていないように思う。
街頭インタビューでも、最初に持っていきたい結論があった、それに合わせた編集をしているのではないかと疑ってしまうようなものもある。

前の政権交代のとき、なんらかの思惑がらみと思われるミスリードによって、それに乗った人たちが後悔している。
自分で判断するのは、なかなか難しいから、マスコミの報道は、事実を公平にする責任が大きい。
それはキチンとやっていると反論するだろうが、実態はかなり疑わしい。

米国大統領の選挙のときも、クリントン圧勝のような報道が多かった。今も、トランプ大統領のセンセーショナルな言動を取り上げるが、かの国で49パーセントもの支持率を得ているのは何故なのか、ということに触れる報道は少ないように思う。
新聞やテレビの予想は、殆ど外れたのではなかったのか?
他国のことをとやかくいっても仕方ないのに、大統領を映す場面よりも、今になるも彼の反対者を映す場面の方が多いようにも感じる。
日本にも多大な影響を及ぼすから致し方ないとは思うが、大衆受けだけでなく、本質に迫る取材報道が増えても良いのではないのか、とも感じる。

ポピュリズムに流されるのは恐い。隣国がらみで、それを厭というほど見ている。

東京都の前副知事は魔渦 武生氏が、TV番組で淡々と豊洲市場の経緯について話しているのを少し前に観た。
その話が事実だとしたら、マスコミが石原前都知事を追い回しているのは如何なる根拠によるものなのだろう。浜渦氏が関わっていたころの石原氏を追求するのは無理筋に思える。
石原氏を庇おうという気持ちはさらさらないが、ハンコを押したのは彼であったにしても、都議会の賛成もあって決まったのではないのか。
浜渦氏の言っていることの裏付け取材をすることなぞ簡単にできそうに思うのだが・・・

物事を検証していくには、感情に流されず、事実を積み上げて判断せずばなるまい。
ハッキリさせなければならない問題であることは確かだが、最初から悪者を決めて追いかけまわすような報道は如何かと思う。
どうにも不思議なのは、市場の移転先をどうするのかが問題の本質であるのに、豊洲を購入した責任論ばかりを取り上げていること。
移転するのかしないのか、できるのかできないのか、できないとしたらこの先どうするのか、という論点は皆無に見える。それの方がよっぽど重要だと思うのだが、違うのだろうか?

責任を取らなければならない立場の人と、それをしないで追いかけまわすだけの人では、自ずから違うのだという認識は必要であろう。


2017年2月20日月曜日

同化吸収能力

兎に角何でも、物を比べてしか見られない人というのがいる。
より良いものを選びたいためであったり、優れたものに近づくためにそうするのなら解らなくはない。
しかし、大抵は優れたものを褒める為ではなく、過度の競争心から、比較対象を貶めるためのことが多い。
それしかできない国もある。

そういう人たちは、自分は正義の味方だとでもいうように、日本は駄目だ、日本は駄目だと口にし、それをまわりで、あたかも知識人であるかのように持て囃す人もいるから始末が悪い。
どこをどうすればバランスが取れて良くなる、などとは決して言わない。
根底にあるのは、思惑がらみの反日だから、本音を出したら最後、排除されるであろうとは肌感覚的に知っている。

根拠があって言うならまだしも、捏造に近いようなことを理由に挙げて、自分に都合の良い主張をすることすらあるが、間違いを指摘されると、相手の言葉を遮って一方的に喋りまくるか、論点を変えて言い逃れに走る。
それらのウソがバレて論破されるような場所からは、次からは逃げて出てこない人もいる。

戦後まもなくは、1億総懺悔の時代であったから、何を言われても日本が悪いということになっていたのだろうが、事実に基づかない誹謗や批難は、一体誰の為にしているのか?との素朴な疑問をもつようになるのは極めて自然ななりゆきであろう。

ことの善悪は別にして、、事実関係はどうだったのかと調べる人が増えてきたから、根拠なしに言うことには齟齬を来す場面も見られるようになった。
日本の国はある意味で平和なのだと思う。外国人ですら、日本で政治的な反日活動をしても、滅多に強制帰国させられることはない。安寧の為にいいかどうかは判らないが・・・

欧米知識人が日本についてとても敵わないとしている能力があるのだという。
それは、「同化吸収能力」なのだという。
新しい文物が齎されたときの反応というのは、洋の東西を問わず、一つは拒否反応を起こして全く受け入れない、もう一つは事大主義よろしくそれに染まり切る。
ところが日本の場合だと、如何に優れたものであっても、今まで日本に在ったものと自然に調和させてしまい、より優れたものへとしてしまう。
逆に、日本のものが海外に渡ったときはどうなるのかというと、最初は拒否反応を起こすのだというが、気がついてみると、無くてはならないものとして、いつのまにか浸透してしまうのだという。較べてみなくても、優れたものというのはそういうものだと思う。

2017年2月19日日曜日

言行不一致?

人は学習することによったり、環境や立場が違ってきたことで、意見が変わることは有り得る。
現状に則してよりよい判断と選択をしようとするのは当然なのではないだろうか?

国会における野党の質問を聞いていると、過去に何を言ったかを探し出してきて追求する場面をよく見るが、そんなことを言い立てたら、野党が過去に言い放ったことをどう説明するというのか?
確かに、言うことがコロコロ変わるのでは信頼がおけないであろうが、近々の説明責任を果たすこともなく質問にたっている議員だって多い。

戦没者の慰霊に訪れたことなぞ無さそうな議員が、8月15日に靖国を参拝しなかったことを言行不一致だと責め立てて時間を費やしていた人もいた。
立場上、無用に軋轢を生じさせないための苦渋の選択で参拝しなかったと判らない筈はあるまい。
そんなことで国会が揉めるとなれば、靖国は外交カードになるとして、いつまでも使われる。
挙句の果てには、隣国では、日本は靖国を参拝して世界征服を目論んでいるなどと妄言を吐く人まで出てくる始末である現状を惹起せしめた遠因とはなっているように思う。

靖国に、そんなわけがあるまい。それが解からないとしたら、国民の意識からズレすぎている。
批判・難癖の類で大事な審議時間を空費する前に、デフレを早く脱却して税収を増やすことに協力して臨むという姿勢はとれないのか?

今度は、通りはしないであろう大臣の不信任案を提出するのだという。
そんなことをしてばかりいるから、国民からの支持が離れていくのではないのか?

2017年2月18日土曜日

マスコミは権力の監視が役目だというけれど

マスコミが言っていることに不信感をもってしまうことが多い。
何故なのだろうと考えてみた。

殻らは、権力の監視に意義があるのだという。それはそれで結構なのだが、反権力 イコール 反政権ではあるまい。
権力の監視だというなら、政権にとどまらず、国民にとって重大な影響を及ぼす財務省であったり、もっと大きなものとしてはマスコミそのものの権力構造なのではないのか?
自分たちは、選挙による洗礼を受けることはない立場だし、法の名のもとに罰則を科せられることはまずない。それであれば自浄作用がなくては叶わぬ筈であるにもかかわらず、報道の自由を盾に、何を言ったところで責任をとることが少な過ぎるのではなかろうか?
報道をすることについてもそうだが、報道することを隠すことも問題なのではないのか?

反政権ということを主張するのであれば、民主党政権に対して、何らかの反対表明をしたことがあったのだろうか?主張に齟齬を来していないか?
国民の判断で、彼らがいかに躍起になって擁護しようとしても、前政権は否定されたのではないのか?

マスコミは、多少左寄りでなくてはならないとする主張は、一定の理解をしても良いと思うが、
コメンテーターやキャスター、或いは解説者が出てきて、余りに偏ったことばかりを言うのには、多くの視聴者が違和感を覚えているのだということに気づいた方が良いと思う。
如何に自分の思惑通りに世論を導こうとしても、常識的な人たちが惑わされることはあるまい。
返って反感をかう。

国民の多くが、反権力=反政権ではあるまいと判断するようになってきている。
変なレッテル貼りをしたりして本質から目を逸らそうとしても、肌感覚で彼らを信用できなくなっている国民がおおくなっているから、ますます躍起になって、反対意見や反対デモを重点的に取り上げて正当性を主張したいのだろうけれど、ニュースソースはテレビ・新聞ばかりではない。
都合に合わせて適当なところだけを摘まんで放送しても、全体像を掴んで判断する人たちからは見透かされる。賢明な国民は多いのである。

事実を事実の通り伝えて、国民を幸せに導くためには、政治ばかりでなく、マスコミが負っている責任はおおきいのである。

2017年2月17日金曜日

「ご託宣」ではなく「誤託宣」を述べるというので

逆神と呼ばれる人がいるのだという。
立てた予想がことごとく外れる人の事を指すのであるが、単に言ったことが外れるだけでは逆神とは言わない。
「逆神の言っていることの逆をいけば、ことごとく当たる。」ような、もうわざとやっているとしか思えない外しっぷりを、それも一度ならず何度もやり遂げることで神の如き境地に到らねば逆心とは言えないというのである。
逆神の共通項として、その分野の専門家であるはずが、実はその分野のことをよく理解していないということを露呈してしまっていることもあるのだという。
逆神とは、TVなどでそのような事例を度重ねる人を揶揄し「必ず言ったことと逆のことが起こる、神のような超越 的存在」という意味で使われているネット用語らしい。
逆神の予想は、経済問題にしても外交問題にしても、その予想はまず当たらないから、御託宣ならぬ「誤神託」として、かえって逆利用されるのだとも言われる。
三大逆神、というのもいるのだとか。


2017年2月16日木曜日

今のうちに収束をはかったほうが良いのでは

勝手な想像であり、事実かどうかは全く別の問題である。ただのヨタ話だとしてもらってよい。
ただ、どう考えても胸に落ちる答えがないから、単なる可能性の想像です。

北朝鮮が崩壊すると、難民が溢れて収拾がつかなくなるから、最低限、潰れないように隣国の中国が陰から支援しているのだと、ずっと言われてきた。
そうしてみると、韓国が日本に対し無茶な要求を重ねてきても、支援することをやめると、北からの侵犯に抗しきれなくなって、ここが潰えると、行き場がなくなった韓国の難民が日本に押し寄せると非常に困ったことになる。現在国内に居る人達への対応にでさえ困惑していることが多い。そういうことであるのなら、納得できる。
表立ってそれを理由にするわけにもいかないから、無理を承知で、何とか先方の要求を呑んできた、ということにならないか?
もしもそうであるなら、腹はたつけれど、何とかに追い銭というごとく、投げつけておいた方が、被害が少なくてすむのかも知れない。
しかし、まさかそんなことはあるまいと思うから、与太話と断っている。

日本人の殆どが、韓国に対しては資本や技術を含め、将来的に自立できるようにとの援助を、今までにしすぎる程し過ぎたと思っている。
どこの国にだって、誇りたい歴史もあれば、惨めだと思う歴史はある。
しかしながら、事実に基づかない捏造や歪曲されたことを出発点にしていると、確かなアイデンティティは育たないし、民度が高まるということはなかろう。
特亜三国を除くアジア諸国や他の世界各国のK国に対する認識もそうなのではないのか?
そんな認識を外国からされていることなどは、ネット国と自慢をしているのであるなら、すぐに調べられるのではないのか?わかったとしても、認めたくないのかもしれないが・・・

ことに最近は、自立できないままの焦りなのか、北からの脅威が増してきていることを肌で感じるからなのか、日本に対し見境がなくなったようにさえ感じる。
昔なら戦争を吹っかけてきているのに等しい言いがかりをつけてくる。
日本が本気になったら手も足も出まい。石油をとめるだけでもアウトだろうから、自衛隊を出すまでもない。
金持ち喧嘩せずというが、相手にするまでもないとして、日本は余裕で対応しているのである。

取り返しがつかないほど従北親中の勢力が強くなっているとも聞く。自分の足元くらいは見たほうがよい。日本の基地から米軍が出撃できるかどうかだって、日本の対応次第なのである。

韓国は、対日貿易が大幅な赤字で、それはとりもなおさず日本側の利益なのだから、日韓の関係が崩れたら日本が困るだろうと、愚かにも表層的な主張ばかりする。
日本は、なにを言っても飲んで譲ると、恥知らずにも思い込んでいるらしい。

しかし、普通に考えればすぐに解るように、対日輸入が超過するのは極めて当然なのだということにさえ気がつかないのだとしたら、勉強しなおした方がよい。
日本から輸入しているのは、日本以外では作れない生産財や製造機械、資本や精密部品であり、それなくして韓国の輸出品は組み立て製造できまい。
内需で国内経済をまわすことはできないから、輸出できる製品を作って成り立っている経済なのではないのか?

日本憎しで不買運動をしていて、もし日本が本気になって韓国にそれらを輸出しないとしてしまったら、たちどころに自分たちの首が閉まってしまうのだという冷静な判断ができないくらいの幼稚な民度なのだとでもいうのか?

何とも不思議な国である。
変な教育をし過ぎて、本質に目がいかなくなってしまっているとしたら、軌道修正は難しかろう。
恥ずかしいことを続けるのに励むのではなく、仲良くできる道を選んだ方がずっと良いと思うのだが・・・
そうすれば、また裏切られるかもしれないことを承知で、お人好しの日本はK国援助をするのだと思う。

2017年2月15日水曜日

良い意識で一つに纏まれば良いのに

まだ、日韓関係が今ほど険悪な状態ではなかった頃、韓国を訪れたことがある。
通訳してくれたガイドのお兄さんも親切であった。
彼が問わず語りに言ったことを覚えている。
我が国は、日本と比べたら経済的にも文化的にも大きな差があるが、国民一人一人の能力は、日本人に劣らず優秀なのだと思っている。
ただ、どうしても敵わないのが、技術にしても製品にしても、日本のように完璧を求めることがなくて、8~9割できるようになるとそれでいいとしてしまうところである。
ものごとの神髄は、残りの1割のところにあるのだということに気づける文化がない。
決定的に違うのが、日本人は何人か集まって物事に対処しようとするとき、協力して取り組み、個人ではできないことでも総合力で能力を発揮し、それを成し遂げてしまうところ。
我が国は、俺が俺がの意識が強すぎて、他人の足を引っ張ることはあっても、協調ということには弱い。と言っていた。
今にして思えば、かなり優秀なガイドさんだったのだと思える。

しかしである。良い方向に進むということでは協調できない性格をもっているのかも知れないが、
こと、悪口を言うということになれば、証拠があろうがなかろうがあることないことあげつらい、感情的に一つにまとまって騒ぐことができるのは他に例を見ないほどなのではないのか?
惜しいことは、要するに、方向付けを見定めることができないだけのことに思えるのだが・・・


もし日本がなかったら

もうちょっと、日本に誇りを持った方が良いのだと、最近感じることが多い。

戦後に植民地からの独立をなしとげたアジア・アフリカ諸国の指導者たちの心の奥底に「もし日本がなかったら」として述べた動画がありました。

武士道の血脈を彷彿させる動画もあって、頑張った日本に勇気も湧く。

日本は、遅れていることは素直に認め、それを諸外国から教えてもらった。
教えてもらったことには更に研究と努力を積み重ねて、よりよいものに発展させた。
だから、他国から教えてくれと学びに来れば、親切に教えている。
せっかく身に着けたものを教えたら損ではないか、という人もいるが、そんなことはない。
教えるということは不思議なもので、教えた後にできるスペースに、更に新しいものが入ってくるという働きがある。キャパシティーが増えるのである。
そのことに気づいている国や人は、さらなる発展をとげられる。

製品にしろ技術にしろ、それに至るまでの過程で積み重ねたものの意味は大きい。
パクルということは、結果だけを欲しがるだけだから、その後ろにどれほど膨大なものが裏打ちされているかが解らない。
パクッテも地道な努力がないものは、付け焼刃で終わる。

最後の盟主になるのは日本である、というアインシュタインの予言があるらしい。

2017年2月14日火曜日

文字が読めない国だったのではなかったのか?

日本人が韓国から言語を奪ったと喧伝されるが、事実は全く違うのではないのか?
資料はいくらでも残っている。
何を言われても、事実に基づいてキチンと反論してこなかったから、誤った認識が定着してしまっているのではないかと思う。

韓国がおお自慢すし、国の経済が杖とも柱ともたのむサムソンというのがある。
サムソンの創業者であるイ・ビョンチョルは、1910212日韓国の慶尚南道にて、地主の裕福な家庭の次男として生まれたという。
地元で初等教育を受けた後に、日本の早稲田大学へと入学したが、ビョンチョルは病気がちであったことに加え、父親が亡くなってしまったので早稲田大学を中退して韓国へと帰国した。ここで大地主だった父親の莫大な遺産を相続して、その資金を使って、ビョンチョルは友人とともに精米所の事業を始めた。
その父親は、日本が教えた農業改革により米の大増収が可能になり、それを日本に売ることで得た利益をため込んだのではなかったのか。それを悪いとは言わないが、韓国では日本相手で儲けた財産は、先祖まで遡って没収することになっているのではないのか?
日本のお陰で発展したことは全てないことにしたいらしいが、自国民の目を眩ますことはできても世界中がしっていることはいずれバレル。
自国の教科書に書かれていることだけを頭から信じ込み、矛盾点があっても疑問に思って自ら調べることもしないし、仮に真実を知るに至っても口にできない。
見たくないものは見ない、信じたくないものは信じない。感情が全てに優先するというのでは、論理的な思考は、この先いつまでたってもできるようになるまい。