2017年8月31日木曜日

このままで国は守れるのか

北朝鮮のミサイルが脅威であることは、誰が何と言って誤魔化そうとしても、紛れもない事実であることを否定できまい。
更に危険なことには、それに核を搭載する恐れがあることである。

日本は大丈夫だなどとお花畑のようなことを言う人たちは論外として、「アメリカが何とかしてくれる。」と言う人が多い。それも、普段反米的な言辞を弄している人たちに多いのは何故だろう?ご都合主義が過ぎるのではないか。
自分のことはじぶんでする。人様に迷惑をかけない。というのは人としての基本なのに、人任せにして平気な二面性を見せるのには呆れるほかない。

ヤクザ者が脅しをかけてきたら、言うことを聞いていれば何事も起こらないとでも言っているに等しいことを主張する人たちを肯定するわけには行くまい。
自衛ということを真剣に考え、対処方法を講じることが右傾化だと非難されるのは、極めて不思議なことに思える。
それが右傾化だというならそれでも良いから、攻撃に対する防御を固めるなり、攻撃そのものをさせないこちらサイドの攻撃力を保持すべきなのではなかろうか。

死んでも滅びても構わないという人はそれでもいいが、大多数の人の本音はそれとは逆なのだと思う。
政局にして争うような問題ではないのだから、一致協力して最善を目指して欲しい。
その備えをすることは、争いを避けることに結びつく。

2017年8月30日水曜日

言わなくても伝わる土壌

「ゆかし」は、「行く」の未然形である「ゆか」に、形容詞化の「し」を加えた言葉です。
意味するところは、心が行きたい状態になるということになります。
奥床しいというのは、日本人の精神状態の究極の誉め言葉の一つとも言えそうです。

能力があっても決してそれをひけらかすことなく、それでいて周りの人がそこはかとなくとも、その人のありようを感じ取ることができるという点で、双方の心の高さを認め合い信じあえる共通の基盤があるということになる。

以心伝心などということが成り立つのは、並大抵の人間関係ではない。

2017年8月29日火曜日

ちょっと考えるだけで解りそうなものだが

どこをどう教育すれば、そういう愚かなことを信じ込める人間が育つのだろうか?

「日本が韓国を経済制裁したら日本の方が困る。何となれば日韓の貿易収支は日本側が黒字であり、それが無くなったら損をするのは日本だからだ。」と本気で思っているのだという。
日韓の貿易収支にしめる日本側の経済規模に占める割合くらいは、こちらはその気になればいつだって、代替先を求めることが可能なのである。

2016年の日本のサウジアラビアに対する貿易収支の赤字は前年比28.4%減の▲15,809億円。赤字は1988から一貫して連続している。
しかし、日本がサウジアラビアに「石油を買わなかったら困るだろう?」などということは口が裂けても言わないし、そもそもそんな考えすら起こさない。なぜならば、日本の根幹に関わることであると国民全てが理解しているからである。友好関係を損なうような行動はしない。
そういうのが普通の考え方なのだとは理解できないらしい。

内需による経済規模が小さく、製造業の製品輸出によって経済が成り立っている韓国の製品の殆どは、日本から輸入する精密部品や工作製造機械およびノウハウは必要不可欠で、代替先はあるまい。それなしでは、企業が継続することすら難しい組み立て製品が大部分なのである。
更に言えば、日本の金融機関が手を引いたらたちどころに潰える。

まるで中世だった国を併合により近代化させたのに、それを認めて感謝することもできず、捏造教育によって毒され、日本憎しのあまり、正常な判断すらできないとは哀れでならない。

米国が撤退し日本も手を引いたら、北朝鮮に飲み込まれる他あるまい。
韓国が主導して朝鮮半島が統一されることなどどう考えても無理な相談であろう。
専制君主の下で、李氏朝鮮の時代の苦しみを再び味わおうという覚悟もないのに、根拠もなく刷り込まれた感情に従うというのでは愚かすぎる。
そう思う人が少ないということなのだろうか?
日本側が望んだわけではないが、彼らがそれを選択するというのであれば、致し方ない。


2017年8月28日月曜日

装飾の擬宝珠と食用の擬宝珠

伝統的な神社や橋の欄干には、装飾として擬宝珠が設置されている。
日本武道館の屋根にあるのも、擬宝珠です。
擬宝珠は中国から伝来したと言われているが、古くは朝廷に関わる建造物にのみ使われた尊い存在とされていたようです。
仏教の宝寿(地蔵菩薩などの仏像が手に乗せている珠)に由来すると言われる。
宝珠は願いのままに望むものを出す珠で、病苦を除き、災いを断つ力があるとされる。
この宝珠に擬したことで、擬宝珠と名付けられた。



植物としての擬宝珠(ギボシ)は、山菜でウルイと呼ばれ、本州北部・中部の山地や丘陵・草原などの湿りけのあるところに自生している多年生草本で、ユリ科ギボウシ属である。
古くから山菜として食べられてきたが、丈夫で株がふえやすいし、葉や花も美しいので、古くから日本でも栽培されており、変わった型や種間雑種が栽培され、園芸用として、庭先などに植えられていることが多い。
春先の若葉をお浸しにして食べると旨い。少しぬるっとした食感です。






2017年8月27日日曜日

妄言でなければ良いが

韓国5000年の歴史と言って、世界の失笑をかっているが、考古学的歴史事実をどのように認証しているのだろう?
石器時代の遺跡ですら日本には5000以上あるというのに、朝鮮50と少なくて、それに続く縄文文化遺跡というのも殆ど無いのではないのか?
狩猟採取人が移動していたとは思うが、定住していたことを伺わせるものはないらしい。
起源説というのも次々に唱えるが、それが完成して有効利用されるようになったものが綯いのは、空しい主張だと思わないのだろうか?

太古の昔から、人が定住すれば、建物や貝塚のようなゴミ捨て場や墓地の痕跡が残る。
日本における1万年以上前の縄文遺跡、三内丸山古墳などが示すように、定住すれば文化が発達する。
考古学者ではないから、韓国のそれを否定するつもりはないが、5000年物歴史があるのに、さしたる文化遺産もなく、その後の発展が遅れたのは何故なのか不思議に思う。

よく彼らが口にする「日本に文化を教えてやったのだ。」というのも、かなり疑わしく感じる。
朝鮮を経由して伝来したものがあったことを否定はしないが、儒教も仏教も、中国からの通り道として朝鮮半島があったのであって、ルートはそれだけではなかった。
儒教などは、朝鮮半島では形骸化して、逆に文化の発展を阻害した面の方が強く、実用的に役立ったとは思えない。
その後も、江戸時代における日本人の識字率70パーセント(武士・貴族階級100パーセント)、当時のイギリス25パーセント、フランス10パーセント、朝鮮は両班階級のみ。
日本では実学として発展させたし、日本固有の制度と融合させ生活に適応させた。その基盤があるから、西洋の進んだ文化も急速に取り入れ、近代化にも成功することができた。

5千年前というのがどんな時代だったのかざっと調べてみると、
紀元前3000年頃(5000年前)には、エジプト第一王朝(メナス王・エジプト最初のファラオ)成立した。ガラスが作製されるようになる
2600 インダス文明が始まる。(インダス川中流 現在のパキスタン北部辺り) 、モヘンジョ・ダロでは、当時の人口4万人程度で、レンガ造りの家には、浴室と井戸があり、今でいう水洗トイレまであった。
紀元前2589(4500年前) エジプトでクフ王が誕生。クフ王のピラミッドの建造。
この頃、日本は縄文時代(平均寿命15歳)。古代エジプトでは、この頃、ハサミ、カミソリ、鏡がすでに存在し 、クフ王のピラミッドは43階建てのビルと同等の高さを有す。
2000年辺り 弥生式土器が作られる。トルコあたりで鉄器が作られはじめる。
1600年辺り 中国で磁器が発明される。中国は青銅器時代(紀元前1600-200年辺り)
1600 バビロニア(現在のイラクあたり)で60進法(例1時間は60分)が発明される
1200年頃 ギリシャ トロイ戦争
563年(2500年前) ネパールでシャカ族のガウタマ=シッダールタ誕生
552 孔子誕生
400 中国 万里の長城の原型が作られはじめる。(2400年前)
196年頃 日本が縄文から弥生時代になる
27 ローマ帝国の成立
紀元前4 イエスの誕生
紀元1(2000年前)----地球の人口  約3億人(1億人との説もある)

長い歴史を持つことそれのみが良いとは思わない。如何に発展させ続けたかということに価値がある。


2017年8月26日土曜日

世界の三大悪女に比べたら

日本三大悪女といいますと、北条政子、日野富子、淀殿、の三人だということになっているらしい。他国と比べたら可愛いもんだと思えてしまう。
北条政子・・・・過激な性格でもあるが、鎌倉幕府を守ろうとした気概と、その能力の高さは大変なものだったらしい。ご家人相手の演説も有名です。
しかしながら、息子達が不審な死を遂げてはいます。

日野富子・・・・応仁の乱を引き起こした人物であるとされている。乱を利用して私腹を肥やそうとしていたといわれているようですが、これは幕府の財政の為だったという話もあります。

淀殿・・・・・・・・徳川幕府の再三の臣従要求を無視し続け、幕府の和議の提案も拒絶し、結果的に豊臣家を滅ぼした。もう少し時流も読めていればと思いはするが、プライドの高さが仇となったと言われている。お姫様育ちというのは、周りに余程しっかりした人がついていないと難しいが、秀頼は家康がどうしても排除したいと思う程の器量があったという。


日本の歴史でも探せば、或いは観点を変えれば、この三人以上の悪女はいそうです。
この3人の中からということになれば、一番は確実に日野富子だという人が多い。
彼女は京の7ヶ所に関所を設けて私腹を肥やした。それが幕府の財政のためという意見もありますが、彼女は応仁の乱の要因を作っただけでなく長期化させた要因も担っていた。
応仁の乱の要因は将軍の後継者問題で、夫であった足利義政の弟、足利義視 と 富子の息子、足利義尚の対立に、守護大名の相続問題が絡んで日本史史上稀に見る大乱になったのであるが、その長期化の要因に日野富子の節操のない金貸しがあったのだとされる。
富子は対立しているはずの足利義視派の武将、畠山義就にも軍資金を貸し付けていた。
いうなれば死の商人。
息子のためを思うならば、また幕府の財政を考えるならば戦争の長期化は避けなければならなかった。
だが、富子には自分の私腹を肥やすことしか頭になかったのだという。

最近新聞などを賑わす悪女というのは、これらとは違ったおぞましさを感じさせられる。

2017年8月25日金曜日

将来のエネルギー源となるもの?

人が安心して平和に暮らすことができるようになる為には、何が必要であろうか?
人々が争うことなくすむのには、まず最小限の条件として、衣・食・住・エネルギーの四つが整えば可能になりそうに思える。
それにより、次の段階である人間らしく文化的な世界を作っていく精神的活動に移ることができるのではないかとも思う。

国際的な紛争になりそうなものとしては、まず真っ先にエネルギー問題がある。
これを巡って戦争もしてきた。
石油然り、原子力然りである。
原子力の利用については、その危険を十分に認識しつつも、必要悪として利用されている。
考えてみれば、石油も原子力も使わなくて済みそうな技術を、今の科学力をもってすればできなくはないような気がする。

それを目指すことは、既存の利権構造を根底から揺さぶることになるだろうから簡単にはいくまいが、例えばマグネシウムを利用するというのは有望なのではなかろうか?
燃やすことによる火力としての利用、或いはマグネシウム電池などというのが考えられよう。
マグネシウムは、海水中から殆ど無尽蔵に確保できそうだし、再生も可能な物質だといわれている。安定的に確保できる資源だと感じる。
その利用方法を開発するのに莫大な費用がかかったとしても、それらは後から十分回収できるからモトはとれるのではないだろうか?
しかし、これが議論されることは何ゆえか積極的ではない。

大前提として、新たに開発される技術を、一国のみの利益として享受するようなことを真っ先に考えるようでは、人類の繁栄は到底望めまいから、それをリードできるのは、精神的に安定して他人を尊重することができる人間性が優れた国民が多く住む日本のような国が始めることが適しているのだと思う。
海洋国である日本は、その資源たるマグネシウムを確保しやすいし、公ということを大事にする民度・精神性も高いから、人類の為ということになれば、共感も得やすい。

それらの展望を現実化していくためには国が纏まるということがどうしても必要となる。
世界は開闢以来争いの連続であった。
それでも、中心に据えた理想が高い国であれば、紆余曲折はあろうとも、連綿として長く続く歴史を繋ぎ続けていく。
日本はそもそも国の成り立ちが「シラス国」ということであった。
それを信じたから、どのような動乱を経験しても、国民は根底にある理念に立ち返り、纏まることができてきたのではなかろうか。
中心に据える旗印というのを守り続けてきたことも、与って力となった。

過去の時々に、人種差別撤廃を主張したし、五族協和も唱えたし、大東亜共栄圏というのも唱えた。
一国のみのことを考えたのではないことが、結果的には世界から植民地支配をなくした。
それを理解でき、多として感謝する国々が東洋にあったからこそ、日本が敗戦後に分割統治されることを免れ得た。
今にして考えてみれば、世界平和というもっと大きな理想を掲げて戦っていたら、違った展開になっていたのかも知れない。

日本が一つに纏まることを何とか阻止しようとする根深い動きが、日本に食い込んでいるように思える。一致協力した日本は恐ろしいらしい。
日本が理想を掲げて中心的に動くと、困ることがあるのか、近頃は露骨な動きを見せてきていて、批難を浴びてでも、国論の分断を図っているかのような人が国内にもいる。

しかしそれでも、2600年余も続いている国には、我々が今こそ意識しなおすことが必要な深い意味があることを、どこかで解っている人の方が多いように思えてならない。
「公」ということになれば自分の主張を抑えてでも尽くせるのが日本人である。
世界の救世主は日本に顕れるという預言は本当かもしれない。

2017年8月24日木曜日

ゴールポストが無い?

属国としてでも生き延びるため為政者はプライドを抑え、或いは、国内的には民は苛斂誅求どころか命までも支配層に恣にされても抵抗できず、ただただ生き延びるためだけに汲々としなければならなかった人々が、嘘を言ってでも窮地を脱しなければならなかった長い歴史からくる精神構造は、哀れという以外にいう言葉がない。
常識的に考えて、論理性など微塵も感じられないその場凌ぎの言辞を弄するのは、致し方のない性となって身についてしまったのであろう。
彼らが何の疑問も持たず作成して世界に広めているドラマの数々を見ていると、そう理解せざるを得ない。多分、彼らにとっては当たり前のことで、自国特有な歴史であるとは思わないのか、恥ずかしいこととして他国に隠さねばならないことではないらしいから、ドラマをどんどん輸出してもいる。

他人を蹴落とすためには結託して罪を捏造するし、そういうことで組んだ仲間は互いを信頼し合うことなぞできないから、すぐに裏切ることになる筋書きというのもドラマに共通している。
悪事がバレルと「一度だけ許して下さい。」と手をすり合わせて拝むが、一度どころか何度でも懲りずに悪事を続けるというのも、同じく共通している。

虐げられても救済されることが少ないから、恨みを長く心に刻み込むようになってしまった文化から脱却するのは、気の毒ではあるが難しそうに思えてならない。
そういうアイデンティティというかスタンダードを理解することなく、綺麗ごとでつきあおうとするから腹が立つ。
一歩譲れば組みしやすしとたかをくくり、どこまでもまとわりつくのは、他国に対してのみではない。政治家が失脚するのは、身内の不始末からだというのも毎度のことに見える。

内政に行き詰ると外に敵をつくることで国をまとめようとするのも、毎度のこと。
捏造してでも次々に問題を起し、感情を煽り立てて目を逸らさせてみても、根本対策ではないから、得るべきものはあるまい。世界から顰蹙を買う結果を招く損害の方が大きかろうに・・・
感情を如何にコントロールして、行く先を見つめるか、ということは簡単ではない。

そういうバックグランドを許容してでも、根気よくつきあっていく工夫が必要となる。
難民が出たらもっと大変なのである。

2017年8月23日水曜日

昔は不審尋問というのがあった

昔、大学を卒業したばかりの頃は、よく交通機関を全部止めてしまうようなストがあった。
事業を立ち上げたばかりのころで、仕事を休むわけにはいかないときであったから、夕刻、汚れた作業着のままで翌日の出勤のために会社の自転車を借りて、2時間はたっぷりかかるであろう道を、自宅に向かって帰ることにした。
途中でお巡りさんに呼び止められた。今でいうところの職務質問、当時は不審尋問と言った。

「それは君の自転車か?」今では考えられないような高飛車な聞き方であった。
その言い方に多少は腹もたったので、聞かれたことについてだけキッパリと答えた。
「いいえ、違います。」事実に相違はなく正直な返答であったが、途端にそのお巡りさんが血相を変え、「ちょっとそこの交番まで来い。」といった。
交番に着くと「どこからその自転車に乗ってきた?」とまるで盗んできたと決めつけたような聞き方であった。
「どこからって、会社から会社の自転車に乗ってきたのですが。」
「それを証明できるか?」
「多分まだ社長が会社に居ると思うから、電話すればわかります。」と言って、そばにあった電話を(当時は携帯電話などというものはなかった)取ろうとしたところ、邪険にそれを遮り「電話番号を言え。」という。
電話が繋がり状況説明をした結果、事実は事実でしかないから、かなりバツの悪そうな顔をして「もう行っても良い。」と言われた。

こちらも若かったから「呼び止めたのは不審尋問ということですよね。どこが不審だと思ったんですか?」と尋ねたのだが、要領のよい返答はなかった。
いまであれば、日々仕事に励んでいる警察官に手間を取らせるようなことは決してしないし、警察官も対応が丁寧だから、そんなやりとりにはならない。若気の至りということであった。
聞き方によって、物事は平らかにいく。

翌日会社に行くと、社長が苦笑いしながら「君も法学部出だからといって、ほどほどにした方がいいよ。」と窘められた。

何十年ぶりかでその近くを車で通ったとき、そんなことをふと思い出した。
今であれば、警察官を尊敬しているから、協力的に対応すると思うし、労いの言葉も口に出せる。


2017年8月22日火曜日

擬き(もどき)とは

漢字で書く「擬、抵牾、牴牾」は、“もどき”と読む。
「もどき」というのは、批判や非難などを意味する動詞「もどく」の名詞形である。
似ている物の事を指す言葉として「もどき」という言葉が使われていることが多い。
もどきを、非難する意味を含んだ表現にする場合は似非という。似非あるいはもどきの漢字表記の擬きは、読みづらいこともあってあまり使われてはいないが、ニセ・あるいはエセと頭につくと、モドキどころではない否定の意味が強くなる。
偶然かどうか、他の有名な生物に似ていることで、「~モドキ」と名前がついてしまっている生物というのはある。カマキリモドキやヒョウモントカゲモドキ、ウメモドキなどがあるが、
別段それが非難の対象とはならない。ニセアカシアやニセジャスミンも同様であろう。たまたま似ていたというに過ぎない。
ただ一つ、「ヒトモドキ」と呼ばれたら、それは蔑称とまでなる。人としては受け入れられない言動をしたり、考え方を持っていたりすると、世界中から相手にされなくなる。
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私が書いた小説 
ある日突然のように、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進めて、4月7日、第八部までを書き上げました。この続きがあるのかどうか、今のところわかりません。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

2017年8月21日月曜日

数字には東西で見方と意味の違いがある

日本で使われていた度量衡の長さの単位、一間(いっけん)は、176センチメートル。
ユダヤの長さの単位であるキュビト(1キュビト=4センチメートル)で表示すると、44キュビトということになるのだという。
日本・ユダヤ同祖説を唱える人が、その関連性を指摘する。
キュビットというのは、そもそもが肘から中指の先までの間の長さに由来する身体尺であるのだとか。

仏教伝来以来なのだと思うが、四は死と同じ音韻であることから、日本では余り好まれないようであるが、西洋にはエンジェルナンバーというのがあって、4はどちらかというと好まれているようでもあります。
中でも444は最強の数字となっているらしい。
沢山の天使がいて、その彼等の愛とサポートが保証されていることを気づかせる数字、それが、エンジェルナンバー444なのだという。
天使たちの助けが、あなたの手の届くところにあるのだから、何も恐れることなく心配しないで、その愛と援助を静かに受け止めて感じて下さい、という数字なのだとか。
日本で縁起が良いとされる数字は、末広がりだとして喜ばれる八。
三種の神器のひとつである八咫の鏡(やたのかがみ)というのも良く知られている。
咫(あた)は円周の単位ともされ、約0.8尺である。径1尺の円の円周を4咫としていた。
したがって「八咫鏡は直径2尺(46cm 前後)の円鏡を意味する」

自分が好きな数字嫌いな数字は誰にでもあるだろうから、拘る必要はないかも知れないが、
数字にはいろんな見方があるし、いろんな意味を持っていることが多い。

2017年8月20日日曜日

マグネシウムの利用は有望だと思えるのだが

原発が危険なものであることは誰もが認識していることであり、できればそれなくして電力エネルギーが確保できたらよいと願っている。
ただ、原発を全て即座に廃止してしまうというのは、現時点では現実的ではないとも思う。
廃炉を進めるにしても、原子力利用の技術を持ち続けなければ、それは不可能であろう。
いったん始めてしまった原子力発電は、廃棄物の処理だって、もはや簡単な問題ではあるまい。

事故被害の当事者である東京電力のみに責任を負わせ、処理費用の負担は御免蒙るというのは、今までその恩恵に浴してきた者の一人として忸怩たるものがある。
わたしゃそんなのしりません、ということで解決できる規模の問題ではなかろう。
意に染まなくても、国として対応することは、やむを得ないことかも知れない。

エネルギー確保のための代替設備として挙げられる太陽光発電も、風力発電も、一長一短あり、必要エネルギーを確保できるようにするまでには、どれくらいの期間とどれくらいの費用がかかるのだろう?

石油やガス、石炭などの化石燃料を使う火力発電だって、確保し続けるのに問題はあり、公害も無視できない。
現在、なんとかやりくりして電力が供給されているから、このままで良いとするわけにはいかない。将来への体制を整えていかなくてはならない。

メタンハイドレートもそうであるし、我が国においては無尽蔵に確保できそうなマグネシウムを利用するというのであれば、火力発電所の設備が使えそうに思うのだが、素人考えすぎるのだろうか?
マグネシウムを使う電池というのも有望そうであるが、これも簡単にはいかないということなのだろうか?

これから投入しなければならない膨大な資金と、将来的にペイされる効果との比較も考えて、日本独自の技術が確立できたら良いのにと心底から願う。
この分野であれば、日本は資源大国であるし、システムが構築できた後に安価なエネルギーを世界に供給することで人類に対して貢献できる度合いは計り知れない。

2017年8月19日土曜日

戦闘のない戦時下にあるという危険

キチガイ(差別用語?)に刃物、という。危ないことを端的に表す言葉である。
刃物どころか、これが核兵器だということになれば、危険さの度合いは桁外れとなる。
他国の指導者をまさかそう呼ぶことはできないが、自国が崩壊しそうな状態を迎えて切羽詰まれば、最後っ屁ではないが、共倒れを狙う恐れは十分に予測できる。

核を搭載したミサイルを迎撃して破壊することは、国民の生命財産を守るためには絶対必要なことになる。
この攻撃を無力化できるとなれば、その備えは抑止力としても働く。
防御態勢が十分でない弱点を補うために、イージス・アショアを購入装備することを、さもさもアメリカから高額の兵器を押し付けられているのではないかとして、反対を唱える人がいるが、では、どうしたら良いのかということは言わない。
金が掛かる位なら死んでもいいんだというならそれでもいいが、そんな人は少ない。
攻撃されたら黙って滅びろ!といいたいのなら、自分だけにして、他を巻き込むなというのが本音に違いない。

攻撃兵器より防御兵器が高くなるのは当然である。自国でそれを開発するということになれば、更に高くなることは考えるまでもない。
安く済ませる方法はある。それは攻撃兵器を作ることである。

日本のロケット技術をもってすれば、それは可能であろう。
武器の購入が高いというのであれば、独自の攻撃兵器を整備して抑止力としてか使うようにしたらどうだ?という意見を言う人はいない。
更に言えば、核兵器を保持すれば、それはもっと有効であるに違いないが、さすがにそこまでは踏み込めまい。
核兵器を持ったとして、世界で唯一それを使うことができる権利を有しているのは日本だけだということもある。(核攻撃は、された側にのみ報復権がある。)

北朝鮮対アメリカを中心とする連合国側は、休戦協定を結んでいた。(韓国は、協定署名の当事者にすらなっていない。)
しかし、北朝鮮はこれを無効であると、既に宣言してしまっている。いうなれば戦闘行為がない状態での戦時下にあるということになる。
宣戦布告なしでいつでも戦争状態に入れるのだというのが、国際法での立て付け上の解釈になる。極めて危険な状況だと理解しなくてはなるまい。戦時下にあるのである。


2017年8月18日金曜日

事八日という日がある

現代ではあまり馴染みがないかもしれませんが、「事八日(ことようか)」といわれる伝統行事があります。
これは、月の満ち欠けを指標にした旧暦の名残をとどめる大切な習わしだとされている。
半月となる八日の月は、満月から晦日への中間を知らせ、古来、物事のけじめに用いられたのだという。
そんなところから、128日と28日を合わせて「事八日(ことようか)」と呼び、事を始めたり納めたりする大事な日とされています。

1年の農作業を終える日として、「事納め」の128日。農作業を始める日として、「事始め」の28日。前者は主に関西地方で、後者は主に関東地方で、様々な行事が行われてきたのだという。

両日とも、豆腐に針を刺す針供養の日でもある。

2017年8月17日木曜日

靖国参拝は責められることなのだろうか

今年の終戦記念日には、閣僚が一人も靖国神社への参拝をしなかったのだという。
個人の判断なのだか政治的な判断なのだか知らないが、参拝することにまで気を使わなくてはならないとしたら、不自由なことだと思う。

靖国神社に参拝することがどうして右傾化なのか、戦争賛美なのか、軍国主義化なのか、さっぱり解らない。
「行け」とも言わないし「行くな」とも言う立場を取るわけではないが、日本人の普通の感覚とすれば、人は死ねばみな仏。参拝して手を合わせ弔うことが戦争につながるなどということを微塵も考えてはいまい。
仮令どんな悪党であっても、葬られ祀られているのを参拝することに異を唱えることがない文化だと思っている。
思い返してみると、朝日新聞のK記者が靖国参拝反対記事を書くまで、中国も韓国も(韓国が反対する理由は全く理解できない)も、さして騒いではいなかった。
日本で大騒ぎする記事が書かれたことで、中韓も反応せざるをえなくなったのだと思っている。

終戦後には、紛れもなくWGIP(war guilty information program)というのがあって、何が何でも日本だけが悪かったとせざるを得ない事情があった。
そのお先棒を担いで日本叩きしたのが朝日新聞であった。
数年前までは戦争を煽った側の新聞だったと思う。
まあそんなこともこんなことも、いずれは歴史が明らかにしていくだろうから、今頃いきりたってみても始まらないことだと思ってはいる。

もう一つしっくりこないのが、右翼と左翼。
保守と革新というくらいの区分けだとか、自由主義と共産主義の差だとかなら解らなくはないが、右翼は戦争肯定で、左翼は平和主義だとか、マスコミの言うことに従わないのが右翼だとか言われると、それは全く合意できない。
共産主義国の方が戦争に近いことをしていると思える。

今の若い人は、愛国的であるか反日的であるかということも、分け方の基準にしているようにみえる。
反日に血道をあげるK国を、ネトウヨと呼ばれる人たちが嫌っていた時期は通り過ぎて、「好きなだけ反日をやっていれば・・・」と突き放すようになってきていることが、最早相手にもしないと考えるに至った恐い現象なのだと思うが・・・

いずれにしても、自分の都合を言い立てて、他者の意見や立場にただただ反対しているとそうなりかねない。

2017年8月16日水曜日

談話を出してかえって関係が悪くなった?

「正しい歴史観」などと、わけのわからないことを言う国があるので、歴史観ということを調べていて感じたことが有ります。
それは、中国・韓国との関係が顕著に悪化したのは、村山談話以来のように思えるということです。
それまでに問題がなかったとは思わないけれど、一気に加速したキッカケとなっているように思えるのです。
歴史家でもないし専門家でもないから、あくまで感想であります。

談話では『植民地支配と侵略によって・・・
とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』
とあり、韓国と中国だけではを指している訳ではありません。
しかしそもそもこの談話は
1.韓国と中国が謝罪しろとしつこい
といっいても韓国と中国に謝ることはないので謝りようがない
2.なので談話に特定の国をつけずに、とりあえず謝った
というのが経緯であろう。

日本人的に考えれば、談話中に用いられている文言は不適切なものがあるにしても、これで一件落着ということになるのが普通であろうが、国際間の常識では通用しない。
諸外国では、謝ったら終わりとはならず、賠償しろということになる続きがある。
だから彼らはまず謝罪はしない。
そういう場合、一番最高だとして用いられる常套句は「それは貴方にとって大変不幸なことでした。」という解ったような解らない、曖昧な表現。これで終わりにする。

で、この問題は
本当に迷惑を受けた国家 例:中華民国(現:台湾)などは最初から謝罪を要求してないし、戦争の相手国でもなかった国に謝る必要もないと思っていたが、
韓国と中国が、反応した。「それみろ、日本は迷惑をかけたと謝罪した。」
談話ではなく、国として正式に謝罪と賠償をしろと言い出してきたというわけである。

一般的に、歴史というのは非常に多岐にわたるものであり、当然のこと功罪の評価はつけがたいというのが常識化している。
戦争を謝罪するなどということをしたのは、世界中で日本国のみである。
ドイツもそれをしたという人がいるが、ドイツはナチスの犯罪は謝罪したが、戦争そのものを謝罪したことは一度もない。

歴史を語るのは、世界観と全体を把握できる哲学なくしては叶わぬことであるから、膨大な時間の経過を必要とする。
勝てば官軍、負ければ賊軍ということはあるにしても、戦争ということになると、どちらか一方だけが悪いなどということは基本的にはない。
ハッキリ言わせてもらえば、いい子になりたくて綺麗ごとをいうと、より一層の混乱を招くけっかとなる。

談話を出した当時は、日本も中国も韓国も国内政治が不安定な時期であったとは思うが、世界の安定を目指すのであれば、善人面をして通せるほど簡単ではないということになる。
河野談話も、禍根のみを残した。