2017年9月30日土曜日

解党するということではないらしいが

何でもすると言っても、ものには限度というものがある。
凋落に歯止めがかからないからといっても、何でもありが過ぎないか?
民進党は、党名の変更をしても中身が変わらないから、支持率が下がり続けたのではなかったのか?とてものことに選挙の洗礼には耐えられないとの認識があったのだろうか。
今度は究極の党名変更ということで乗り切ろうということかも知れないが、無理がありすぎよう。

「希望の党」とやらに大挙して押しかけたら、そこの中身は民進党とのものではないのか。
安全保障・教育・経済についての政策がきちんと打ち出せず、対案も作れないから重要審議をさけて森友・加計問題ばかりを追求して騒いでいただけの党というイメージが定着してしまった党なのであるから、選挙が有れば必敗の状況下にあった。
落選すれば只の人というのが嫌で、自党名での公認をしないで済む方法を考え出したということなのか。
ずっと見てきたが、政権交代を訴えるほどの政権担当能力があるとは思えない。

希望の党の側も、超過激反日左派の議員を含む民進党員を受け入れ、実態が民進党というようなことになりかねないことをして、一体どうしようというのか解らない。
多少の篩い分けはするようだが、元居た党で染み付いた考え方が変わるとは思えない。
党代表は組みしやすそうな政敵をつくり、虐められているとのイメージで敵を叩くことには長けているように見える。判官びいきが染み付いている日本国民はいとも簡単に味方に引き込める。
そうして都では勝利をおさめたが、国政ということになったらどうなのだろう。
志高く日本の将来を考えた政策を打ち出すことができれば、大勢は大きく変わり得る。

しかし、しがらみのない政治というのは結構だけれど、この一年でどんな実績を残したのだろう。
韓国人学校への土地提供をストップした以外になにかあるのだろうか?
築地移転問題は壊しただけで、その後の進展はない。
移転の延期も、民主主義における通常の手続きを経て決定したのではなさそうだし、独断専行するのであれば、確かにしがらみのない政治はできる。

これから出てくるのかも知れないが、何をどのようにやろうとしているのかが全く判からないのでは、判断のしようがない。
ムードに乗る選挙は懲り懲りしている。

いつ米朝戦争が起こっても不思議ない状況下にあることを考えないわけにはいかない。

2017年9月29日金曜日

暴君を演じ続けるよりないということなのか

金正恩氏が暴君で、誰の言うことも聞かず暴走しているように見える。
だが、本当にそうなのだろうか?
それだけではないような気がしてきている。
朝鮮王朝の歴史ドラマというのを見ることが多いから、それからの類推である。

ドラマが史実に基づいているとは思わないが、ほぼその通りではなかろうかと思う流れというのが多々出てくる。
血腥い争いをして王朝を樹立した時に、功績のあった者を功臣として政権の重要ポストにつけるというのが常である。その子孫は既得権としてその地位を世襲した。
これらの重臣というのが揃いも揃って皆極端に悪い。王を取り込む権力闘争に明け暮れ、如何に王が暴君と呼ばれるほど強く見えても、これらの重臣が抵抗すれば、王は地位どころか命すら守れない。
たまにはやり過ぎた重臣が粛清されることはあるが、それは重臣同士の権力争いの結果であって、王が強いわけではない。
王位につけるのにも、出自(嫡出子であるかどうか)が問題視されるから、重臣たちの都合で担がれた非嫡出子の王であれば、立場は非常に弱い。いつも怯えている。
北朝鮮といえども、そういう朝鮮の考え方が根強く残っている国なのだと感じてしまう。
だから、そういう意味でも金正男は王朝を継ぐ正当性を主張するには邪魔な存在であった。
王位にとって目障りになりそうな王族は排除されてしまうのは、いくらでも出てくる。

金正恩氏がどこかで矛を収めようとしても、それを許さない勢力があるのかも知れない。
まあ、表面上は本人それ自体が異常なのだとは思うけれど・・・

北朝鮮が欲しいものはアメリカにしかない。
ロシアは信用できないと思っているから言うことを聞かない。コメコンに属していた国が、ソ連の崩壊したときにどんなことになったか。そういうことに対する嗅覚は鋭い。
中国は何千年にも渡って半島を苦しめてきた憎い敵であり、恨みというのを決して忘れない民族であるから、中国の言うことを聞くわけがない。

体制の維持のためにはアメリカを相手に譲歩を引き出す他ないと信じ込んでいる。
そのための核兵器保持でありミサイル開発なのであろうが、経済がいつまで持ちこたえられるというのだろう。
アメリカは核を使わない通常兵器による攻撃ででも、15分あれば北朝鮮を壊滅状態にできる圧倒的な戦力があるとされている。
周りから見ていれば、チキンレースなぞやってられないだろうにと思う。

民族に染み付いてしまった考え方というのは変えようがないということなのか。

2017年9月28日木曜日

公正な報道はされるのだろうか?

教育というのには、知育・体育・徳育というのがある。
その中でも徳育というのが最も大事なことなのではないのかと思う。
何故なら、教育の大義は、個人の素養を高めることもさることながら、地域社会・国・世界、もっと広くは人類の為に役立つことを目的とする筈だからである。

人間には、小さい自分と大きい自分という捉え方がある。
小さな自分の権利主張ばかりを唱えていたら、社会というものは構成できない。
多様性ということは尊重されて然るべしとは思うが、時と場所と場合というものは自ずから有るのであり、ルールを守らなくても良いということにはならない。
自分は大事だと言うのは勿論だが、自己犠牲というのも人間の持つ崇高な考え方だと思うのである。
公立学校の先生が、公式行事での国歌斉唱を拒むというのも、それに反する行動の顕れにあたるのだと感じてしまう。
個人の信念信条は持って自由だろうけれど、教育の場でそれを持ち出したのでは、生徒にルールを教える資質さえ疑わせてしまう。
徳というのは、ルールを越えたところにある人倫という根幹のところから出てくるものなのである。人であることは、自分だけのことではなく、自我を抑制するところから始まる。
徳目ということが教育現場からなくなってしまったのは何故なのだろう?

徳目ということから敢えて目を逸らせるような動きというのも残念ながらあったように思う。
徳目の最たるものは正直ということ。
嘘を言っても平気だという考え方は、日本にはなかった。
ましてや自分だけのことならまだしも、自分の持って行きたい方向に真実を捏造してまで組織的にそれを広め、大衆を惑わしても恬として恥じないなどということになるに及んでは、行く末が思いやられる。

解散総選挙がある。
国政ということになれば、軍事・外交・経済に重要な判断が求められる。
以前、変な報道に乗って、流行り病に浮かされたように政権交代に至った時代があった。
政権担当能力がなかったことによる結果は惨憺たるものであり、多くの国民が選挙結果を後悔した。その轍を踏むようなことは避けたいと思っている。
選挙は、人気投票ではないのだと思っているからである。

2017年9月27日水曜日

選挙のタイミングは今しかあるまいに

解散総選挙について、大義がどうだのこうだのと文句をつけている人がいる。
では大義とは何だと尋ねてみたい。それに対して志の高い返事ができるとはとても思えない。
大義を口にしている人は、自分にとって都合が悪いということだけのように見える。

見当外れも甚だしく、いまだに森友・加計学園問題隠しだなどと臆面もなく口にしている人もいるが、あれだけ大騒ぎし無駄な時間を費やしても不正は明らかにできなかったではないか。もともと無いものは無い。
マスコミが全部報道しなかったから助かっているだけで、やればやるほど問題はなかったことが明らかになっていったのではなかったのか?
今更引っ込みがつかなくなっている野党にとっては、選挙を機会に収拾できるもっけの幸いの機会なのではないのか?
そんなことしか問題視できない見識の人たちに信を置くことなぞできない。

気になるのは「国難突破」という言葉。
おおっぴらにはできないけれど、米朝が戦端を開くことが近いのではないのか、というふうに読んだ方がよさそうである。
普通に考えれば、あれほど頻繁にトランプ大統領と電話会談などをしているのだから、何らかの情報を掴んでいて、緊迫感を持っているのではないかということになる。
そうなれば安定政権を早い目に確立しておいた方が良いに決まっている。
そうであればこそ、解散のタイミングは今しかないではないか。
いざとなったときに対応できずあたふたするのでは愚かすぎる。
まさに大義そのものではないか。

2017年9月26日火曜日

日本は日本が守らなければ

どうにもよく解らない。

戦争が嫌なのは、保守も革新も区別はあるまい。
なのに、どうして左翼系が平和主義者で、保守系は戦争をしたがって「戦争法案」をつくり憲法改正をしようとしている好戦主義者だと決めつけているのだろう?
マスコミはそういう方向に持って行きたいみたいだが、そううまくはいくまい。
共産主義者の方がよっぽど好戦的ではないか。
暴力革命を放棄したなどとは聞いていないし、仮にそれを放棄したとしても、共産主義下の世の中はどう見ても悍ましすぎる。

半島が緊張している。韓国は昔から強者に対しては滅法弱いし、何かと理由を付けてすぐ逃げる。悪いのは全て他人の所為にする。
北朝鮮が侵攻してきても戦わずに恭順すれば、確かに戦争にはならない。
しかし、それをもって平和だと言えるのだろうか?
そうして強い為政者にいつまでも恨みを残し続けるということを選んだとしても、その後はローソクデモなどできなくなることは確かであろう。

中国は韓国のそうした特性を見極めているのか、中国の外交当局者が今月、韓国との協議の席で「まるで 米国に戦争をさせたがっているようだ」と、韓国に伝達したという記事を読んだ。
な~にを言ってるんだかね。
北朝鮮に強い影響力を持っていると自負していたが、何を言っても言うことは聞かないし、庇護下においていた金正男氏も易々暗殺されてしまった。
ミサイルも中国に向けられているものがあるとも言われているし、舐められ放題ではないか。

まあ、日米韓の間に楔を打って分断が図れればもっけの幸いということなのであろうが・・・
韓国が腰砕けになる可能性は否定しきれない。

日本はそんなのは御免蒙りたい。むざむざとやられっ放しでいるわけにはいかない。
完全な防御力と反撃能力を備えることは、強い抑止力として働き、結果的には戦争を避けられる。
現実的に平和を願うならそうなる。

2017年9月25日月曜日

ソーラー発電にも問題点が多い

菅直人内閣の時に、自らの原発事故対応の初動処理の誤りが指摘されもする中で、太陽光発電の政策があわただしくも採用された。
原発から他の発電設備に変えることについては、原発事故被害の甚大さということもあって、世の趨勢は大方が賛成の方向にあった。
しかし急ぐあまり、十分な検討がなされたかどうかについては、疑問が残る。
代替発電による電力の買取価格が異常に高いことや、設備の構築に外国資本の参入が制限されなかったこともあって、現在の電気料金に上乗せされている金額に問題点を指摘する声も多い。
目立たないように徴収されているそれらの金額は実質的増税であり、デフレ脱却を阻害する一因であるとまで言う人もいる。
太陽光発電は、再生可能エネルギー電力の柱として、政府が積極的に導入を支援してきた。そのテコになったのが、20127月からスタートした再エネ固定価格買取制度(FIT制度)である。FIT制度は、太陽光発電をはじめとして、風力発電、地熱発電、小水力発電、バイオマス発電の5種類の再エネ電力を、電力会社に一定の価格で買い取ることを義務付けた制度である。
この制度は、固定価格買取制度と呼ばれるように、年度ごとに決められた価格によって、その後、10年~20年間にわたって、電力会社が買い取らなければならない。
太陽光発電などの再エネ事業者にとっては、極めてうま味のあるビジネスである。具体的にいえば、住宅用太陽光発電(10kW未満)に関しては、FIT制度が始まった2012年には、買取価格はkWh当たり42円とされた。この価格は、家庭用電気料金単価が1kWh24円なので、その2倍近い価格である。
電力会社から買う電気を、家庭で使わずそのまま太陽光発電の電気として売れば、黙っていても儲かるということになってしまう。
ただそんな儲けは許されるはずもなく、家庭の場合は、家庭で消費する以上に発電された太陽光発電を電力会社が買い取る場合に限るという条件つきである。つまり、住宅用太陽光発電の場合は、「余剰電力」の売電が対象である。
太陽光発電を買い取る電力会社にしてみれば、電力料金よりはるかに高い価格で買い取るわけだから、大きな負担となる。
そこで、FIT制度の目的(電気を利用する国民すべての負担で再エネ電力の導入拡大を図る)ということから、電力会社が買い取る費用は、「再エネ賦課金」の形で、電気料金に上乗せされることになっている。そのため、太陽光発電の導入を拡大すればするほど、買取費用が増え、再エネ賦課金の増大によって、国民負担が増えることになる。
FIT制度が始まった2012年度で電力会社の買取費用は、約2500億円だったのが、2016年度では約23000億円と、実に10倍近い急増ぶりとなった。
標準家庭の月額負担額に換算すると、2012年度の66円から2016年度では675円と、ほぼ10倍の増加だ。買取費用は今後も増え続け、2030年には3.7兆円~4.0兆円に達すると想定されている。
国はそうした国民負担の増大に危機感を抱き、FIT制度を見直し、20174月から新たな改正FIT法として施行した。
改正点はいくつかあるが、発電単価に関しては、買取価格の引き下げと、数年先の買取価格の目標を設定した点が大きなポイントである。それによると、住宅用太陽光発電に関しては、2017年度の買取価格はkWh28円に、さらに2018年度には26円、2019年度には24円と順次引き下げる方向を示した。
そして2020年度以降、早期に売電価格が電力市場価格並みとする目標を示した。つまり、電力会社の買電価格は今後とも引き下げられ、2020年以降は市場価格(卸電力市場での取引価格)での取引が原則になるというわけである。
FIT制度は2012年から始まったが、実は、住宅用の余剰電力買取制度は、200911月からスタートした。この時の買取価格は、何と、kWh当たり48円だった。太陽光発電がそれほど普及していなかった時期で、国としても高い買取価格設定によって、住宅用太陽光発電の普及を急ぐ必要があるとの判断から。

日照時間に左右される太陽光発電が、安定的な電力を供給できるかどうかということも問題だが、パネルが老朽化したときの処理をどうするかということも大問題となる。
電気料金の公平性ということについては、代替電力を供給する設備会社に電力税を課すなどの検討も必要となるのではなかろうか。


2017年9月24日日曜日

変な帽子と髭面

ドレスコードというのがある。
それが良い悪いの問題ではなく、その場にその服装が適しているとしての共通認識として通用している。
正式な場所であれば、モーニング・テール・タキシード・ドレッス・民族衣装などということになる。
民族衣装は正装だということになってはいるが、和服の場合は紋付の袴羽織りであったり留袖であったりして、浴衣姿で人前に出るなどということはしない。

公式の場であれば、男性は最低限スーツを着てネクタイを締める。
などなど、顰蹙をかわないですむマナーというものに従う。
会社勤めをしていれば、夏の熱い盛りでもそうする。
ましてや国会においては、最新のファッションだなどと言って柄のついたシャツなどを着て質問をしたら、如何にまともな内容であっても割引されかねない。

服装はそうであっても、なんらかの自己主張をしてそれを敢えて守らない人というのは居るが、結果的には素養の程が疑われて、何かの折に信頼を損ねてしまっていることに気が付くのではなかろうか。

大多数の人が、他人に不快感を持たれないで済むようにということで守っているマナーというのは他にもある。
例えば、髭面で人前には出ない。きちんと手入れされた髭であれば別であろうが、不精髭というのでは不潔感しか与えない。
室内では帽子を脱ぐというのもある。女性は室内でも帽子が許されるというが、それは鍔のない帽子であるとされている。

ファッションだから自由だということであっても、TVなどで目にする髭面や帽子を脱がない男性は、何を主張したいのかわからない。別段咎め立てをする気はないが、個人的には変人なのかなという感想を抱く。こういう感想を持つこともヘイトなのだろうか?
そういう格好をしている人には、他人に文句ばかりつけている人に多い。


2017年9月23日土曜日

どこで終止符を打つか

外交の知識も全くないままに、素人が普通に見ての捉え方ですから、的外れかもしれませんが、あながち全部違うとして否定しきれないのではないかと思っています。

北朝鮮は韓国を制圧して半島を統一したいと思っている。
その場合、唯一障害となる目の上のたん瘤は、米軍が駐留しているということ。
これが撤退してくれれば、ことは容易に運ぶ。
米国の核兵器に対する抑えとして、中国もロシアも不可欠であったが、自前の核をもてば、中ロはかえって邪魔になる。
韓国は何を勘違いしているのか、韓国主導で半島を統一するなどと言っているが、それは殆ど不可能に近い。
軍事的にもそうだが、民族の特性として、圧倒的な強権をもって押さえつけなければ民衆はまとまりがつかず、好き勝手な行動に走ることからも、そうなる。
早い話が、この期に及んでも親北が政権をとり、庇護者である米国にあからさまな反米を叫ぶ者も多くて、国論をまとめられない。
国民の誰もが根底に抱えているのが憎悪の意識であり、そこから脱却できない。
憎悪の原因は全て、不都合なことは他人の所為であり自分の努力不足自分の至らなさの所為だと認識できないところから始まっている。
彼らがいつも口にするのは、自分は悪くない。悪いのは自分に悪事を働かせた人だとする驚くべき主張。平気でこれができるこの精神構造は、もう治りはしなさそうである。
昔からよく言われる通り、最悪の時に最悪の選択をするという民度のなせる業であろう。

「対話を」と未だに言う人がいるが、あいては対話の場には決して出てこないではないか。
「自分の言うことを聞け。」というばかりで、手のつけようはあるまい。
最悪の核戦争を避けるために、米国は戦線を下げて韓国から撤退する可能性だってあり得る。
なんとなれば、命がけで守ってやっても感謝されるどころか恨まれるということを、嫌というほど学んでいるに違いないからである。

半島に収まりがつけば、そこから先に紛争を拡大することは可能性として極端に低くなる。
とりあえず、そこで終わりということになる。
何となれば、そこまでいったら平和ボケした日本も流石に覚悟を決めるし、そうなったら簡単にはいかない。
覇権主義では、その先の世界の情勢を変えられない。
米国も多少面子は潰れるかもしれないが、東西冷戦時のようなこととは違う。実益を考えれば、そういうことだってあると思う。

2017年9月22日金曜日

前文通りでこの先も行けるのだろうか?

本当にこれで行けるのだろうか?

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法の前文はまことに結構なことであり、全世界がこれを守るというなら戦争は起こり得ないから、日本に軍隊というのは不要となるし、自衛権の為の備えもなくて済む。
しかし、そんなことを信じることができる人が世界に一人でもいるだろうか?唯の一人もいまい。
戦争というのは、相手国があるから起こる。
まことに遺憾ながら、日本にその脅威を与えている国は、日本が防御力を持つことに対し躍起になって反対する左翼系の人たちが好きな共産主義国なのではないのか?
それらの国に侵略されることに障害になりそうなことは反対だと言っているように聞こえる。
戦争反対を旗印にして大声を上げて煽るが、公平冷静に考えて、好戦的なのは共産主義国の方なのではないのか?
それらの国とは、いくら努力しても話が噛み合わない。話し合いで何とかなるとはとても思えない。
自衛力を強化するための装備と法体制の整備は必須条件なのだと思う。
それが強烈な抑止効果を齎し、戦争を防ぐことに繋がるのではないだろうか。

2017年9月21日木曜日

いざ総選挙となると

衆議院の解散総選挙があるらしい。

今までさんざんに内閣不信任だの解散総選挙を迫っていた野党が、いざとなると「大義」がだの「森友・加計学園問題の疑惑隠し」だの言って慌てふためいているようだが、大義というなら解散は総理大臣の専権事項であるし、「疑惑隠し」などと言っているのも笑止に思える。
今まで重要法案の審議をストップしてまで散々それをやってきた結果が、野党の支持率を失墜させた原因なのではないのか?
それを争点にして選挙戦をやってみればわかる。呆れ果てた国民から愛憎盡かしされて、議席は今以上に極端に激減するのではないかと思われる。

選挙ということになれば、公約を掲げ争点を明確にするということになるのであろうが、それを消費税増税とするのはやめてもらいたい。
デフレから脱却できないのは、消費税を上げたからではないのか?
「消費税減税」か「憲法改正」を争点にして、真剣に国民が議論をする機会をそろそろやってもいいのではないのかと感じる。

国を守ることもできなくて何が政治だ、というのを実感している人が多いのではなかろうか。
なにしろ窮迫の脅威が現実化しているのである。
自分の意に染まなければ、叔父であれ兄であれ主要官僚であれ簡単に粛清してしまう狂気の独裁者が核兵器をもって脅してきている。彼ならそれを使いかねない。

防御を万全なものにするには待ったなしであろう。
お花畑のようなことしか言えないしできない人たちに、国を任せるわけにはいかないではないか。

2017年9月20日水曜日

高級コーヒー ブラックアイボリーとコピルアク

コーヒーといえば、世界中の人々を虜にしている飲み物ですが、産地や種類も多くて、人それぞれの好みが違う為、淹れ方にもこだわりを持っている人が多い。

ちょっと変わったコーヒーというのもあるが、いずれも飛び切り高い。
例えば、タイには象の糞から消化されずに排出されたコーヒー豆を選別してできる世界最高級コーヒー「ブラック・アイボリー」があります

他には麝香猫のフンから作ったコーヒー「コピルアク」が世界的に人気です。
これも、コーヒー豆をジャコウネコに食べさせ、未消化のままフンとして出てきたコーヒー豆を使用したコーヒーです。インドネシアやインドなど各地で作られていますが、特にフィリピン産の「コピルアク」は高級品で、多くのコーヒー好きが注目しています。
糞の中から出てきたと聞くと、抵抗感を持つ人もいますが、まさか糞が付いているわけではなく、味がまろやかになっていて美味しい。
一杯何千円かしますが、コーヒー好きであれば飲んでみるのもよいかと思います。
タイミングがあえば、ネットで安く手に入れることも可能性としてはあります。

2017年9月19日火曜日

インドで9㎞にも及ぶ大パレードがあった

安倍総理がインドを訪問して大歓迎を受けているニュースは、マスコミでは報道されなかった。
市民が9キロメートルにも及び日の丸の旗を振っての歓迎パレードは、外国首脳の訪問に対して破格のもてなし方と言える。
インドが英国から独立することに功績のあったチャンドラ・ボースとの縁もあって、もともとが親日国ではあるが、ずっと友好的な関係を続けてきたことにもよる。

今回の訪問は、日本の技術とインドの人材を結びつける高速鉄道開発に対する日本への期待と、中国が近隣諸国への脅威となっていることへの連携した対応を図ることを含めて、インドが如何に日本を大切に思っているかが判る大変な外交成果をあげたのだと思う。
マスコミ各社は、安倍総理が実績をあげ、国民の指示が復活することを何としても防ぎたいらしいから、報道されなかった。

しかし、外国が日本をどのように遇しているかということを伝えないというのは、問題が残る。
報道しない自由というのでは、日本国民が諸外国に対しての認識を誤る元になりかねない。

反日的な物であれば探し出してきてでも報道している姿勢と比べ、偏りが過ぎる。
そんなことだから、北朝鮮がミサイルを発射したのはアベ(本当にこのように呼び捨てで書いたらしい)の所為だなどという頓珍漢なことを平気で言う大学教授まで出てくる。
おろかにも、そういうのは残らず取り上げて報道する。

ニュースでは詳らかに報道しないが、金正恩氏が言っているとされるのは、「核兵器で列島を海に沈めろ、と国民が言っている。」というのが翻訳した時の全文なのだという。
必ずと言っていいほど「国民が言っている」というくだりを付けているのだという。
相手は、言い方が実に狡猾巧妙で強かなのだということを知っていた方が良い。

平和ボケしたのか、日本のことはどうでもよいとしているのか判らない党や一部マスコミに、日本を任すわけにはいかないではないか。


2017年9月18日月曜日

ピアノコンサートへの誘い

ピアノが好きな方にコンサートのお奨めです。竹内英仁ピアノリサイタルが11月17日(金)に、王子ホールで催されます。演奏が良いしトークがまた楽しい。
本人の手づくりのホームページは、http://hitoworld.web.fc2.com/

音楽への取り組み方は、http://hitoworld.web.fc2.com/piano-recital-nituite.htmlに詳しい。


感受性ということを意識しないと

日本国には開闢以来2600年余にわたって培われてきた共通認識というのがある。
道徳観であったり倫理観であったり文化というものに対するものであったり多岐にわたる。
畏れ畏まるものというのは、感性の中にまで染み付いていて、それらを敬い大切にする。
例えば、天皇陛下というのも、理屈ではないのだと思う。

和ということも人様に迷惑をかけないように自らを律するということも、規範の根底にあって行動する。荒い言葉は極力使わないし、他を敬い自分が遜って相手を立てる謙譲の美徳というのも意識することもなく日常の中にある。

最近、自分の考え方を主張するのあまり、他を省みないで、権利だと言って自説を押し付けようとする人が増えた。
困ったことに、自分が正義の代弁者だと勘違いしている政治家というのもいる。
唯物史観とでもいうのだろうか、古来からの物に否定的である。

日本国民の感性というものを蔑ろにするというのでは、誰もその意見に賛同しない。
人間としての感受性が乏しい人に信頼を寄せることはあるまい。人間として信じ切れないと芯のところで感じているように見える。
感受性が豊かであることで、皆の幸せを考えることができるのだと思っている。

偏った考えから過激な発言をして得意顔をしてみても、浮き上がるばかりで、いつまでたっても
大勢がその方向には動かない。
民心からは遠く離れているということに気づけるのも感受性の内なのだから、それすらもないとしたら議員たりえないということになる。

2017年9月17日日曜日

外国人によるデモ

なるべく穏やかにつきあいたいと思っているが、余りに反日的なことをやられると気分が良いものではない。
日本に長く在住していてそれをやるのはなぜなのだろう?
言い分はあるんだろうけれど、それは確かな根拠に基づいたものなのだろうか?
どうも誤って思い込まされていることから発しているように思えてならない。

外国人が日本において過激な政治活動をしたり、デモをしたりしても、大した取り締まりを受けているようには見えない。日本は緩やかなもんだと感じる。
朝鮮学校の補助金への過激な要求も、何が根拠なのか理解し難い。それは、差別ではあるまい。

有名なマクリーン事件の判例にある通り、外国人による政治活動は、厳密に言えば違法である。
「外国人に政治活動の自由はあるか」という争点に対して出た判決は、「外国人の政治活動の自由はわが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等を除き保障される」とあるが、国政に影響を与えるような政治活動は認められてはいないということに変わりはない。

沖縄などで過激な反基地運動をしている外国人がいることは知られているが、報道の自由だかなんだか知らないが、メディアがとりあげることは滅多にないし、場合によればそれを擁護しているようにさえ見える。実際には地元住民が辟易する例もあるやに聞く。
国内でさえ微妙な問題に、反日外国人が集まって過激な騒動を起こすのはやめてもらいたい。

外国人は、それぞれ自分の祖国を持っている。自分の本当の居場所がある。
不満があれば、自国の政府に対して言うべきであって、わざわざ日本に来てまで他国である日本の国内問題に対し抗議活動するのは、明らかに迷惑である。
日本に来て自国政府への批判活動をするならまだわからなくはないが、もしもそんなことを自国内でやったら即座に逮捕拘禁されて、重い刑を課せられるに決まっている。
それが自国のことではなくて反日に血道を上げるというのでは堪らない。
でも、日本はお気楽でいいらしい。反日行動をする外国人を擁護する反日日本人もいるから、野放し状態である。治安上は問題だと思う。
考えてもみてほしい。外国人や外国政府による内政干渉を排除するのは、どこの国でも同じであり、仮に、日本人が韓国中国でその国に対する反政府政治活動などしようものなら、スパイとして即時に捕まり、何年も拘禁される。場合によれば生きて帰れないことは容易に想像できる。
そういうことをしているということである。
郷に入っては郷に従え。お世話になっている国に居る間は、その国の人達と仲良くする努力をするのが文明人なのではないのか。
どの国に行ったって、自国の文化や習慣がそのまま通用するわけはない。何世代も続けて住んでいたら猶更日本に馴染むべきではないか。
帰国しないというなら、そうする以外有るまいに・・・