2017年11月30日木曜日

脳内にオキシトシンが出ることで愛が

人間の脳内から分泌される神経伝達物質は、20種類を超えるという。
アドレナリンとかセロトニンなどの働きはかなり以前から言われているので、知る人が多いし、実生活で活用してもいるらしい。

人間が潜在能力を発揮して想像される以上の力を示すことができるのは、これらの脳内物質が関係しているのかも知れない。

人間がこの世に生まれてくるのは、幸せになるためであるといわれる。
その幸せに大きく関与しているのは、愛をつかさどる神経伝達物質として注目されているオキシトシンであるという。
オキシトシンはもともと、子宮を収縮させるホルモンとして産婦人科でも使われていたが、最近の研究では、絆を強める作用があることも分かってきという。
オキシトシンは別名、愛情ホルモンとも呼ばれており、共感と信頼を促進するといわれています。
人とのふれあい、仲間との絆を感じたときや、母親が赤ちゃんを抱くときにも分泌される優しいホルモンであるが、愛は全てを許すことができることから、敵というものをつくらず、幸せを齎す物質ではないかと思う。

これをコントロールして、誰もが大量に脳内に出すことができれば、幸せな環境を作り出すことができるのではなかろうか。
自分を許し他人を許し、愛を惜しみなく出すことを心がけていれば、オキシトシンが出しやすい体質ができるのではなかろうか。

愛は蓄積できるものなのだという。いうなれば「貯愛」
それは巡り巡って自分を幸せにせずにはおかない。
昔の人が「情けは他人のためならず」と言ったのは、そういうことが実感として理解できていたからではなかろうか。
目先の自分の損得ばかり考えていたのでは幸せはやって来ないということになる。

2017年11月29日水曜日

徹底してやった後はノーサイド

ノーサイド(No-Side)。試合が終われば敵味方の隔てはなくなる。力を尽くして戦い合ったからこそ、健闘を称え合い尊敬しあえる。

勝ち負けに拘泥したりズルをしていたりしたのでは、こういう関係は築けない。
死力を振り絞ったあとは気持ちがサッパリするし、互いの努力を認めることができる。
日本には武士道に代表されるように、稽古事の究極に位置するのは「道」。技の熟練の先にあるのは、精神的な高みなのであると思う。
徹底的にやるだけやったら、結果の如何を問わず潔い。

自らやらなければならないことをしなくて、他人の所為ばかりにしていると、残るのは恨みだけであり、その負のエネルギーは過去にいつまでも捉われるから、先に開ける幸せからは遠のく。
そんな恨みを子々孫々にまで伝えていくというに及んでは、愚かと言うほかない。
勝てない敵ばかりを増やし続け、鬱屈した不満ばかりがいつまでも付いて回る。
正々堂々、卑怯未練のない振る舞いをした経験が無いと、理解が及ばない世界なのだと思う。

2017年11月28日火曜日

古くからあるパワースポット

「上色見熊野座神社」の写真を見る機会があったが、写真だけでも神秘的過ぎます。


何と読んだら良いのか判らなかったけれど、「かみしきくまみのいますじんじゃ」と読むのだということです。
悪しき者は入れない。まるで、何かの結界 が張ってあるような神々しさです。華美ではなくて幽玄そのものです。
ここだけではなく、日本の神社はどこもそうですが、日本人は神霊の世界を感じ取る感性が備わっているから、残し続けてこられた世界なのだと感じます。
これだけ地震や颱風の被害が大きい国なのに、何故か神社の多くはその被害から免れていることも不思議です。
日本の各地には人に知られずとも、ひっそりと地域を護っている神域というのが数多存在している。それを感じ取る能力は、神に自分勝手なご利益ばかり望むことで失われてきたのではなかろうか。
チベット民族が、荒廃した道を辿り長距離の巡礼をして、雪を頂く6000メートルを超す霊山カイラス山の麓に至り、そこで両手を合わせてただ単に拝んでいる姿を映し出しているドキュメンタリーを見たことがある。
身形ははっきり言って貧しい。その彼等彼女等が、富貴を願って祈っているのではなさそうなことは確かである。
生かされてあることに感謝しているのだと思わされる清々しさしか感じられなかった。

2017年11月27日月曜日

トルコの人には親日派が多いという

アゼルバイジャンはカスピ海に接している国で、石油の埋蔵量が多いことで知られている。
ソ連の崩壊で独立を果たしたが、トルコ系の民族の国でありトルコと共に親日国である。
エルトゥールル号の遭難を救助して以来、トルコ系の人は今に至るも日本には恩義を感じていて、日露戦争で日本が勝利したことでは我が事のように喜んでくれた民族である。

トルコには、イラク戦争の時、日本では法の制限があって自衛隊が出動できず邦人の救出ができなかったとき、危険を侵して救出機を飛ばしてくれた恩義がある。
時の日本駐在大使は脱出後、我々を救ってくれたのは、戦前の日本であったとのコメントを残してもいる。

東南アジア諸国にも親日派が多い。
むかしアセアンの会合があったとき韓国の代表が「我が国の自国防衛力が弱いのは、日本が統治していた30数年があったからだ。」と日本を責める意見を述べたとき、インドネシアの将軍であった要人が、「何を言っているんだ。アジアで国の存亡をかけて戦ったのは、日本だけだったのではなかったのか。朝鮮はロシアが南下してくる脅威に対して自ら戦ったことがない。やむなく日本が日露戦争を戦ったのであって、それがなければ朝鮮は今もロシア領だったのではないのか。」と遮って黙らせたのだという。
東南アジア諸国は自ら戦って植民地支配から脱却し独立を果たしたから、言う言葉に重みがある。

中国はアヘン戦争によるように、不当なイギリスと大して戦いもせず易々と降伏して領土を割譲した。内陸部に引き込んで戦ったら、英国といえども勝てたかどうかわからない。
大国であったのに、西欧諸国の植民地と大して変わらなかったし、太平洋戦争は独立戦争というより西洋諸国の側について戦ったのである。共産党軍は逃げ回っていただけで、後に内戦で国民党軍を台湾に押しやっただけであり、戦勝国というには内容が伴わない。

歴史に自信が持てないと、特亜3国のように、捏造してでも大声を出し続けねばならないことになるのだと思えてならない。先にある友好の道を考えたほうが良いと思う。

2017年11月26日日曜日

求めるところは高い方がよい

最近、ハイドンのピアノソナタ第49番第二楽章が好きになってしまっている。

息子のところに年配のご夫人がその曲のレッスンに来るようになって半年ほどになるが、この曲を先生のような音色、先生のような演奏で弾きたいと熱心である。
来れば途中で息抜きにお茶を飲むくらいで、4~5時間はいつも打ち込んでいく。
親子以上の年齢差はあると思うが、素直に言うことを聞いて取り組んでいるのを隣の部屋で聴いていて頭が下がる。

ピアニッシモと言えども、鍵盤は当然のことながら下まできちんと沈める。
だから息子のピアノは鍵盤を弾くスピードに反応するように調律されている。そういうピアノに仕上がっていないと、微妙な表現はできないのだと彼は言っている。

それにしても教える方も教わる側も、よく集中力が持続できるものだと感心する。
ここにきて、粒の揃った澄んで伸びのある音が出てくるようになってきたと感じる。
求めるものがあるとそれができるものなのだと、改めて感じさせられる。
自分のこれまでに、そこまで打ち込めるものが果たしてあっただろうかと振り返ってみると、甚だ心もとない。そこそこ頑張ってきた人生だったと自分では思うのだけれど・・・

2017年11月25日土曜日

感謝できるという徳目

試食品のコーナーなどでは、少し大き目なものを提供した方が売り上げが伸びるのだという。
食べさせてもらったという恩に報いるという心理が自然に働くということらしい。

お互いが気遣いをしあったり、それを形に表すのに贈り物をしたりというのはよくある。
そう感じ取ることができるということは素晴らしいことだと思う。
もしお返しということができなくとも、感謝の言葉を述べて気持ちを表すことはできるし、忘れずにいて何かの折に返礼をするというのもある。
それもできなければ、譲歩することでそれに替えることだってある。
お互い様というのは、美しい気持ちの交流となる。

もののやりとりということではなくても、人様に親切にしたり、別段恩に着せることもなく面倒を見るということはあるが、そういう善意を受けたとき「それは自分にそれをされるだけの価値があるからあたりまえなことなのだ。」と考える国柄というのがあるらしい。
何をやっても行き届かなかったことを「もっとやってくれてもよかったのに」という恨みごとしか残さず、悪い事は全部他人の所為だとする生き方は、いずれ誰からも相手にされなくなるのは当然である。
感謝ができるということは、またそれをどこかで返そうと思えることは、人としての素晴らしい徳目なのだと思う。

2017年11月24日金曜日

223000余とは多すぎないか?

自国が最高だと自慢しているその裏でヘル朝鮮を叫び、国籍すら捨てる人が急増しているという。
韓国の移民政策研究院が7日に発表した資料によると、過去10年間で韓国国籍を離脱した人の数は223611人に上る。異常に多すぎないか?

2007年に23528人だった韓国の国籍離脱者は減少傾向をたどり、15年には17529人を記録していた。
しかし昨年は36404人を記録し、前年より約2倍も増加した。
韓国の国籍を離脱した人が最も多く取得した国籍は米国で、その数は94908人に達する。
次いで日本(58870人)、カナダ(32732人)が続いた。
嫌いだと常々公言している日本に何故来るのだろう?
一方、韓国国籍を回復した人の数は22974人に過ぎなかった。
今も機会さえ得られれば韓国から出たいと思っている人の割合は、かなり高いのだという。
自国に不満を覚え、誇りさえ持てなくて、改善する気概さえ放棄するというかとなのか?

米国籍を得るには、米国への忠誠を誓わなくてはならないが、日本でそれをさせようとしたら猛烈な反対をする人がいるから、日本では変なことになる。
祖国に愛着をもつのは解からなくもないが(それなら国に残れば良いのにとは思うが)、日本に来てまで反日活動をするのでは堪らない。生活保護まで狙っているとしたら猶更である。

外国に出れば、自国では判らなかった歴史事情や世界の社会通念というものにも触れるから、真実というものに気づき、自らの誤りを匡すことができそうに思うが、そういう風にはならず、反日行動を繰り返す。いうなれば獅子身中の虫が増える結果となる。
揉め事が増えるのに対することへの策というのはない。

日本がその昔、ブラジルやアメリカに移民として出た人々は、その国に骨を埋めその国の為になろうと覚悟して努力を重ねることで信頼を勝ち得たのだと思うが、どうやらそういう方向には向かない状況が現実的にはあるように感じる。
残念ながら犯罪率も高いようで、通名ではなく本名が後に判る事件も多い。
せめて安全が脅かされない社会構造をと願ってやまない。

2017年11月23日木曜日

日帝残滓のお世話になっているのではないのか?

どうでも好きにしてくれというニュースだが、韓国の地下鉄用語は日本語だから韓国語風に書き換えるのだという。
漢字表記のどこをどう変えるのかと思ったら、韓国風に違う漢字に変えてそれをハングル表示でということらしい。
日帝残滓は排除することで、たとえ混乱や不便が生じたとしても、全てなくしたいということらしいが、その地下鉄は運航システムまで含め、日本が作ったものなのに、地下鉄はそのまま利用するらしいから、なんとも身勝手なことである。
日本を敵視してばかりいては、技術的にも経済的にも発展できないということが理解できないらしい。
日本の側は、仲良くしようとする相手を拒むことは滅多にないのに、自らそれに反することばかり選んでいてどうするのだろう?

戦勝国側だから何をやっても良いと勘違いしているようだが、そもそも戦勝国を名乗ること自体からして狂っている。どこで誰と戦って勝ったと思ってるんだろう?
韓国(そんな国はまだなかったから)というより朝鮮が、いつ日本との独立戦争をやったというのか?朝鮮には、戦えば必ず負けるという軍の歴史しか残っていないのではないのか?
最近では、ベトナムにも負けた敗戦国である。女子供相手には残虐だったというが・・・

終戦時に連合国側にすり寄って、「何とか連合国側に入れてくれ。」と泣きついたが、そんな事実はひとつとしてないと、にべもなく厳しく断られている。竹島も日本領だと断言されているではないか。
日本のお陰が無ければ、国としての体面さえ持てない後進性を残したままだったであろうことは、
世界諸国、殊に東南アジア諸国が指摘している通りであろうに、残念ながら歴史認識をすることができる民度ではないということか。

まあ、他人が嫌がることを次々に考えて実行することにかけては天才的である。その才能だけは世界に冠たるものとして自慢できよう。
これを他人が喜ぶことを考えることにしたら、幸せなことだとは考えない。他人が幸せであることを最も嫌う民族だから仕方ない。
恩になったことは一つも記憶に残ることなく、全てが自分に都合よく回らなかったことだけを探し出しては恨みとして残す。

ハングル文字様々で、漢字は全て無くすことにした結果、韓国人は自国の古文書まで自分たちで読めなくなってしまった。
儒教に毒されて、前王朝のものは全部否定するという国柄だから、漢字で蓄積されていた文化が仮に多少あったとしても、継続されない国だからどうにもならない。別段驚くにも当たらない。

ただ、歴史を冷静に判断できるのなら、普段使っている用語の中の殆どは、日本語由来のものであるとわかる筈である。それでなくとも語彙数が少ないのだといわれる。
日本は、漢字に造語能力が有ることを駆使して、これまでにも新造漢字熟語を大量につくってきた。表現の自由度は、英語以上だといわれている。
文化・科学・社会・思想・学術は、それがあるからこそ他国の進んだものを齟齬なく受け入れ理解することができた。
そのことは、漢字文化の中国でさえ正しく理解している所であり、日本が作った新造語がなかったら、中国では会話が成り立たないのだと言って認めている。
中国の鉄鋼生産技術は日本が手取り足取り教えてくれたものであり、新幹線もそうである。経済的発展も日本のおかげであり、日本の部品がなかったら製造業も成り立たない。日本製品の不買運動のような恩を仇で返すようなことはすべきではないと、中国内の大新聞でも言っている。
判る人は解っているのである。

通貨スワップもそうである。「必要ない。」と言って韓国側が断ったのにも拘わらず、今頃になってなんだかんだ言って上から目線で再締結をしようと画策しているようである。
日本との通貨スワップが締結されていたことで得られていた信用が、韓国経済にどれほど寄与していたかということが未だに理解できていないらしいが、目先に迫ったドル決済が厳しいらしい。
日本円は基軸通貨である。何を勘違いしているのか、日本側を助けることになるから、困っているのは韓国の側なのに、日韓の通貨スワップは結ばない方が良いと思っている韓国人が多いのだという。
しかも、さんざん恩義に与かっていながら「日本は韓国を一度も助けてくれたことがない。」と平気で嘯く。
そんなことを言ったら、韓国が日本のためになるようなことをしたことは皆無なのではないのか。
恩を仇で返すことにばかり国を挙げて血道をあげる反日行動を繰り返すから、諸外国から嫌われもし、信用されないのだと気づく能力すらない。
日本側も何のメリットもない韓国との通貨スワップは反対だという人が多い。
もしもそれを結んだら、内閣支持率は急落するであろうといわれるくらいの国民感情となっているらしい。

結果として、いつもいつも悪い方を選んでしまうというのは民族性なのだろうか?
自慢してやまないハングル文字も、最近の研究によると独自の発明ではなく、パスパ文字のパクリなのではないのかと言われるが、常に自分たちが努力して作ったものでないものに浸りきって、他からの文化や技術を有り難く使わせてもらっているのだという感謝がないから、何にでも文句をつけるようになるのであろう。一番嫌われるパターンである。

他を貶めて自分が優位になるものなぞ一つもない。相対的にも絶対的にもそれが真理なのだが、そういうことが全く持って理解できない。
対等という概念はいつまでたっても育たないから、全てに上下関係をつくろうとする。勿論、自分が上だと根拠もなく思い込む。
実力がともなっていればまだしも、妄想が思い込みを作るのだからどうにも始末が悪い。
なぜそうなるかと言えば、下の者は上の者の言うことを、無理なことでも絶対的に聞かなければならないとする、長きにわたる朝鮮王朝の身分制度によって身に染みついてしまった民度意識だからである。

近代的な契約概念は根本的に理解できず、約束は反故にしても恥ではないらしいのも困ったものである。
それでも、まだまだ未開なのだと、暖かく見てあげるしかないのか?

いつまでもつきまとってシツコク絡む、粗探しをする、ということを英語では nagging というが、これは病的なものだから治らない。
相手が嫌がることに快感を覚えるという根治不可能な病に罹患しているのだから、根拠のないことで悪口を言われても無視して反応しない方が良いということになる。
完全に無視して放置するしか治療法がない。
今まで、日本側の我慢で成り立っているのだと思うが、堪忍袋の緒は、それほど丈夫ではない。
無視されることで、彼らのエネルギーは衰える。
しかしそれをしているのには困ったことが一つある。
嘘を言い続けているうちに、それが真実だと思い込む精神構造があるからである。関わりをもつのが難しい。

2017年11月22日水曜日

報道の姿勢は大事だと思うが

吉村大阪市長が、慰安婦像の設置に関連しての対応に対し申し入れをした。
サンフランシスコ市側が対応を見直さなければ、年内にも姉妹都市提携を解消する意向だというが、これを朝日新聞が社説で「ちょっと待ってほしい」と批判した。
吉村氏は、過去の朝日新聞の慰安婦をめぐる報道を引き合いに「『ちょっと待て』はこっちのセリフだよ」とツイッターで朝日新聞にやり返しているという。
それはそうだろう。朝日新聞の捏造報道により、日本国は大きく棄損された。
国内的には申し訳程度の訂正記事を掲載したとはいえ、全世界に広まってしまった悪評を鎮めるための動きは殆どしていない。
朝日が齎した悪害を、場面場面で一つ一つ根気よく糺していかなければならなくなっているのに、自分のしたことに頬かむりして批判記事を社説に揚げるとは、どういう心算で居るのかと真底を疑ってしまう。真っ先に、反省とともに応援記事を書いて然るべしなのではないのか?

モリカケ問題に興味を持った人たちの多くが、国会の質疑を全部見ている。
だから、新聞が隠して報道しなかった事実も知るに至っている。偏向報道であったと思っている。
新聞以外の情報も見ている人たちの多くも、何も問題ないではないかとの判断をしているように感じる。
言論の自由を主張している新聞社側が、自説に対する批判を封じ込めようとするのでは、何ともならない論理矛盾となるのではないのか?
社会の木鐸とならんとするなら、衿を正す姿勢がなくてはならない仕事に携わっているのである。

昔は新聞に書かれてしまったら終わりで、仮令誤報であってもそれを回復する手段はなかった。
書かれっ放し言われっ放しで泣き寝入りするしかなかったのである。
近頃は、新聞テレビばかりではなく、自分の側からの意見を述べることができる手段が多数できた。疑問に思う記事だってあるから、それに異論を立てることだってある。
それによってなされることの全てが正当性を持つとは限らないが、言論に対しては言論で応じるのが筋であろう。
圧殺するがごとき動きに出るのは厳に慎まなければならないのだと思う。


2017年11月21日火曜日

タイトル通りちょっと物知りになれたコンサートで

ヨハン・カスパール・フェルディナンド・フィッシャーは、まだチェンバロの時代の作曲家だというが、バッハ以降の作曲家に多大な影響を与えた。
日本チェコ国交復活60周年を記念して11月17日催された竹内英仁ピアノコンサートの最初は、この作曲家のチェンバロが原曲である作品から始まった。

プラハ音大へはピアノで留学していたのだが、学内演奏会で倅が弾く曲をいたく気に入り、チェンバロの教授が誘ってくれてチェンバロも学んだのだという。
教授はかなり年を召していたが「この年になってこの曲を託せる若者に出会えたことは幸せだ。」と言って楽譜を渡してくれ、親身になって指導してくれた想い出の曲だとの説明があった。

彼の地では何人ものお年寄りたちから可愛がられたが、尊敬できる彼らが共通して口にしたのは、「この年になってみると、自分がしてきたことよりも人が自分にしてくれたことの方が圧倒的に多かったということに気が付き、日々それに感謝して過ごしている。」と言うことであったという。

2017年11月20日月曜日

台湾で有名だと言われる日本人「八田與一」

台湾南部の古都・台南市から東北にバスで1時間20分ほど行ったところに、台湾第2の烏山頭ダムというのがあるという。湖畔にはホテルが建ち、満々と水をたたえた湖水にはボートも浮かぶ観光地になっているという。
日本人が作ったこのダムは今も健在で、台湾の人々から感謝されている。
台湾には何回か訪れたことがあるが、ここには行ったことが無い。
このダムを見下ろす北岸に、「八田與一、外代樹之墓」と刻まれている日本式の墓があり、墓の前には作業着姿で腰を下ろし、片膝を立てた八田の銅像が建っているという。
墓も銅像も、このダムを造った八田與一を敬愛する地元農民が作ったものである。
大正時代、八田技師はここに住みついて10年もかけ命がけでダムを完成させた。
ということで、彼は今も尊敬されているのだという。
日本人でこれを知っている人は殆どいない。かくいう私も知らなかった。
八田が計画したダムは、満水時の貯水量1億5,000万トン。これは世界有数のアーチ式ダム、黒部ダムの75%に相当する。ダムの堰堤部の断面は台形で、頂部幅9メートル、底部幅33.3メートル、高さ51メートル。これを長さ1.35キロメートルにわたって、盛り土で作り上げる。土石を水圧で固めながら築造するという当時世界最新のセミ・ハイドロリック・フィル工法をわが国で初めて採用したものだとか。
烏山嶺を超えて、ダム湖に曽文渓の水を引くために、直径8メートル55センチ、長さ4キロメートルのトンネルを掘る。これで毎秒50トンの水を流し込む。当時のトンネルで最大のものは東海道線の熱海の丹那トンネルだったが、それよりも15センチ大きい規模だった。



2017年11月19日日曜日

良いものを求めるには良い道具を

息子のスタンウェイのピアノが、少し間をあけて2台並んでいる。
その2台とも鍛え上げられていて、素晴らしい音色を出す。
初めてレッスンに来てそのピアノに向かう人は、最初の内は音が出せない。
音階が出ないと言うのではない。その楽器の持つ本来の音色が引き出せないという意味である。
だから、しばらくは少し自分で好きなように弾くのに任せている。
なぜそうなっているのかというと、触ればすぐに音が出てしまう鍵盤では、微妙なニュアンスを出すことができないし、弾くときに必要以上にピッチが上がってしまうから、バランスが崩れてしまうからだと言っている。
コンサートなど、客前で最善のものをと常に考えれば、そうなるのかも知れない。

ザルツブルグに居たときは、ベーゼンドルファも並べて弾いていた。
このピアノも、弾き手の技量をピアノが判断するといわれるくらいで、リハーサルなしで弾くことが難しい。
音楽に限らず、道具と言うのは最初から良いものを使う方が良い。初心者だからといって適当なものを使うと、後の伸びがない。本物というのは、そういう力を秘めているようである。
名人と言われている人たちは道具を選ぶ。
良く切れる刃物は危ないと言われるが、それは全く逆で、切れない刃物を使う方が怪我をすることが多いということにも通じている。

ピアノには素人であるが、練習しているのを聴いていると、欲しい音を求めて限りない努力を飽くことなく続けているように感じる。
粒の揃った伸びのある美しい音楽を聴くのは楽しいが、そこに至る過程を垣間見ることができることも幸せなことだと思っている。
拍の数え方をきちんと身に浸みこませていないと音楽が崩れるということで、未だに時々はメトロノームも出してきてチェックしている。
舞踏が基本となっている音楽は、体にあるリズム感が共感するかどうかなのだと思う。

音楽でも絵画美術でも伝統工芸品でもそうだが、周りへの配慮がなされているものが伝わってくるものは、快い感動が後まで残るのだと感じさせられている。

2017年11月18日土曜日

とにかく素晴らしかったピアノコンサート

11月17日の王子ホールでのコンサートは、日本・チェコ国交回復60周年を記念してというテーマで組まれたプログラムで、構成もよかった。
曲の合間にされた解説や関連したトークも、楽しいものであった。

ベートーヴェンの「月光」を久しぶりに聴いた。
この演奏のように、第2楽章と第三楽章は間を開けず連続して演奏するのが良い。圧巻であった。

最初にホールでこの曲を聴いた時のことを思い出す。
茨城県の鹿嶋市に人間爆弾兵器であった「桜花」が防空壕の中で今も保存されている。
戦時中、ピアノが好きで音楽学校に進んだ若者がいたというが、志し半ばにして繰り上げ卒業とされ、特攻兵として養成所へ入所することになった。
どちらかといえば、武より芸術系の人間であった彼が、出撃前夜、最後にもう一度だけピアノが弾きたいと願い、某小学校のグランドピアノで最後に『月光』を弾いたのだという。
如何なる想いであっただろうか。
激情が迸るような第3楽章は、聞く人とて居ない中での弾き納めとして、悔いないものであっただろうか。

「月光の夏」にゆかりがある鹿嶋市でのリサイタルで、主催者に乞われて、彼がベートーヴェンの月光の全楽章を弾いたのは、もう12年前のことになる。
その後のコンサートでも度々プログラムに入ったが、その時の感情で多少弾き方を変えているように感じる。曲をどのように表現するかということで、月光は弾くことが難しい曲とされている。
生の演奏を経験してもらうため、小中学生のためのレクチャーコンサートをライフワークにしている彼が、演奏後に届けられる感想文のなかで、ベートーヴェンの「月光」とショパンの「英雄ポロネーズ」についてのものが圧倒的に多いのだという。
難解な曲だと思うが、子供にも感動される名曲なのだと思う。

2017年11月17日金曜日

年を取ると人間が丸くなるというが

人は歳を食ってくると、人が丸くなると言われる。
酸いも甘いも噛み分けられる度量が備わってくるからだということもあるが、気力が衰えたのだと言う側面だってなくはない。
そもそも人は、自分が思っているほど以上に頑固なのである。

急流にある石は、河口に行くに従って丸くなる。
互いに傷つけ合い傷つけられ合っての結果であるが、それは切磋琢磨であったのだと思いたい。

珠磨かざれば光なしという。
丸くなっただけで終わりではなく、それを磨き上げて光を放つというところまで持って行くには、まだまだ数段の修行が必要だと言うことになるが、そこまでの自覚と覚悟を持てる人は少ないのだと思う。
かくいう私も、その域にはない。

2017年11月16日木曜日

熟れたザクロ

鬼子母神には108人もの子供がいたのだという。
仏教の伝説によると,釈尊在世の頃,この鬼女が王舎城に出現して,民衆の子供を浚っては食っていた。お釈迦様がそれを見かねて、ある日この鬼女が留守のときに、子供の一人を隠してしまった。帰って来た鬼女が子供が居ないことに気づき、半狂乱になってそこらじゅう探し回った。
お釈迦様が現れ「それ見よ。沢山いる中のたった一人がいなくなっても、親と言うのは心配し悲しがるのだ。人間の親の悲しみを考えて見よ。」
釈尊に教導され,五戒を受け,以後王舎城の守護神となったといわれる。日本では主として、安産・保育の神として信仰されている。
このとき、お釈迦様から人間の子供の代わりにこれを食べよと言って渡されたのが、ザクロだったのだという。
その味が似ているのかどうかは判らない。

そんなオドロオドロシイ話ではなく、ザクロの実は甘酸っぱくて美味しい。
ザクロは「女性の果実」とも言われ、イラン・エジプト・インドでは薬用/食用として、ヨーロッパでは調味料として、日本やアメリカでは健康維持食品・美容食品として広く親しまれています。



2017年11月15日水曜日

知らない人ばかりではあるまいに

最早友好的な外交を続けて共に発展していくのは無理なのではなかろうかと暗澹たる気持ちが湧いてくるのを拭いきれない。
いずれ事実は分ることだからと、放置していた日本も悪い。無いことない事(有ること無いことではない)図に乗って世界中に悪口を言いまくられた結果しか残していない。
あろうことか、韓国の子供たちが主張しているのだという。
「悪い日本人の子供たちが韓国のアニメ、ドラエモンやガンダムを見るのを禁止させよう!」と。

どういう教育をしたらそうなるのか、事実を知ろうともしない民度でこのまま大人になっていく。
中には、それは日本で作られたものであると知っている人もいるであろうが、もしそんなことを口にしたら、親日のレッテルを貼られて、命さえ危なくなる国らしい。
政権が何度交代しても、よほど決定的なことでも起こらない限り、修復は不可能であろう。

歴史の真実も、知ろうとする人はいないらしい。
独力で戦って勝ちえた国でないことを知ることは、耐えられないのであろう。事実、他国と戦って勝ったことは、朝鮮の歴史上一度もない。ベトナムでも敗戦した。悪名だけを残した。
竹島を、歴史事実や国際法を無視して、日本から掠め取ったくらいしかない。
日本が武力で奪還することはあるまいとたかをくくっているが、そんな無法が何時まで続くやら・・・

日清戦争・・・・・日本人が血を流して戦ったことで、志那から独立できた。他人任せ。
日露戦争・・・・・日本が国の存亡をかけて全力で戦って辛勝できたことで朝鮮も守られたが、それがなかったら、朝鮮半島の現在はロシア領となっている。
第2次大戦・・・・アメリカのお陰で、棚ぼた式に独立できた。
朝鮮戦争・・・・・アメリカの支援というより、アメリカが戦わなかったら、今の韓国はない。

独力で近代化を成し遂げる能力がなかったところに、日本やアメリカが資本や技術をつぎ込み現
在の繁栄はある。度重なる経済危機を乗り越えられたのは、だれのお陰だったのか。
それなのに、恩義ある日米に感謝するどころか反対運動を平気でしている。
そういうところを世界諸国は見ているから、世界で一番嫌われる国となっている。

日本人が、これまでに何度腹立たしい思いをさせられても我慢してきたのは、「同じ国民として
共に発展していこう」と考えて働いた大東亜時代の人たちが日本側に多数生きていたからである。
それらの理想を尊重したからの他あるまい。
そういう方々が段々に亡くなり若い世代になってくると、ゆえない言いがかりや論理的でない身
勝手な主張は嫌悪感を覚えこそすれ受け付けない。
韓国人は世界一優秀な民族であるとの思い上がりは笑止でしかない。日本を凌駕できるものなど
一つもあるまいと思っている。
謙虚さを身につけないと、先にあるのは彼らがいうところのヘルしかないということになろう。

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私が書いた小説 
ある日突然のように、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進めて、4月7日、第八部までを書き上げました。現在は第10部が進行中です。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。