2017年12月31日日曜日

日本以外の国は我慢しない

日本と違い、諸外国は韓国の特許侵害に容赦しない。
20171225 - 清涼飲料水「レッドブル」の商標を管理するスイスの法人が、雄牛をモチーフにした マークが類似して混同の恐れがあるとして、自動車用品を扱う韓国の会社を相手に商標 の登録無効を求めた訴訟の判決で、知財高裁は25日、レッドブル側の請求を認め、 登録を有効とした特許庁の審決を取り消した。

日本相手だと何でもできるとして、技術だろうがデザインだろうが漫画文化だろうが朴李(パクリ)放題で通ってきたから、丁(ちょう)しに乗って、日本以外でも通用すると勘違いしたらしいが、そうはいかなかった。
今後は、このようなものは軒並み槍玉に上がって、手酷い制裁を受けることになるに違いない。
日本が基礎から教えた鉄鋼生産も、ダンピング輸出をして外国市場を荒らしまわるので、高額関税をかけられるようになったという。

日本も、もうそろそろ適正な対応をしていくようにした方が良い。
「まあまあ」と大目に見て許してきたことが、何の感謝もされることなく、気が付いたら厚顔にも韓国起源説などを唱えて、日本に対し「真似するな」などとホザク物がいかに多くなっていることか。
日本を悪く言わない友好的な国なら兎も角、仇なすことを次々にやってのける国なのである。
隣国だから仲良くしていこうと此方が思っても、全く通用しないのだから、必要以上に肩入れしてきたこれまでのやり方では、お互いの為にならなくなってきている。
まずは約束を守るということから始まらないことには、この先が望めない。

2017年12月30日土曜日

揉め事をエネルギーにしているのか?

何十年か前、一度だけ韓国に旅行に行ったことがある。
現地で案内してくれたバスの添乗員は熱心だったし、向上心も持っていて真面目だった。
彼は、まだこの国では給料というのは月額で日本円の1万円に届かない人が殆どだが、日本のように発展しようと皆頑張っているのだと話した。
ただ、この国の人は何かを作る時、9割くらいできるようになるとそれで良いとして、その先を学ばない人が多いから、日本のように優れた製品を作れないのだと、鋭い感想を述べてもいた。
物というのは、最後の数パーセントに完成品としての精度が込められているのだと思うが、それを理解できない人が多いことが限界だとも嘆いていた。
更には、「韓国人は、そこそこ優秀だと思うけれど、何人かが集まって共同してものごとに当たる時、決して日本人のように協調して取り組むことができず、俺が俺がという人ばかりで纏まらず、総合力を発揮できない国民性であることも、この先難しい局面を迎えるかもしれない。」と言い、冷静な見方もできていて、好印象が残った。
街中で出会う年配者は日本語も話すことができて、友好的であった。

それが何十年か経ち、韓国が経済的にも発展してくるにつれ、国家ぐるみで反日に凝り固まってしまったのは何故なのだろう。
世に言われている通り、反日教育の結果なのだと思えてならない。
友好を阻害するようなことばかり教え込んで、幸せになどなれないのに・・・
捏造によるかどうかは別にして、恨みつらみは韓国人の国民感情に馴染んだのであろう。

聞くところによると、それでも日本がしてくれた良いことを評価し、韓国側が多くの嘘を言っているのだと知っている人も多数いるが、そんなことを口に出すことができないのだという。
日本の統治時代が良かったと言ったご老人が、若者に殴り殺されてしまったという痛ましい事件もあった。その若者が反日無罪ということで英雄視されてしまうというような国情となっていたのでは、この先も日韓の関係修復は難しい。
少なくとも、支持率を上げるために反日行動を考える大統領が出るうちは変わるまい。

元日本軍にいた韓国人がアップしたという動画があった。


2017年12月29日金曜日

いつまで騒ぎ続けられるものやら

何ともならないことに凝り固まって、真実に近づくことを決してしようとしない恐るべき大統領であり、国であり、国民であるというほかない。
かほどの後進性を残しているのかと、再認識せざるを得ない。
それとも、敢えて火中に栗を投げ入れるような炎上行為をするのは、経済状況が逼迫して政策に行き詰り、その場凌ぎで国民の目をそこから反らせたいからなのか?

儒教の国だと僭称しているが、儒教を古くから知ったというだけで、それを学問として昇華し、国を建てることに役立てることができなかったことの末が、今なのだとしか思えない。
日清・日露の戦争で日本が勝利を得なかったら、国として残っていなかっただろうという認識は全くできない。
感謝とか約束とか恩に報いるなどという、人として必須の概念というのは皆無らしい。謝罪などということを日本に求めるが、韓国にそんな言葉があるのだとは信じられない。
何をしでかしても「自分は悪くない。」と言い張るのが、彼らの特性ではないか。
日本が併合するまでの朝鮮人は、識字率は僅かに4パーセント、独立国の体をなさないくらい手の付けられないほどの後進国であった。事実だから、否定することは、どうやってみたところでできまい。

妄想により捏造された歴史を徹底して刷り込まれ、ちょっと考えれば疑問をもっても不思議でないことからも目を逸らし、日本を貶めることだけに専念した愚かさが戦後それに続いた。

2015年12月の慰安婦問題に関する日韓両政府合意を検証していた韓国外相直属の作業部会報告書の発表から一夜明けた28日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は声明で、日韓合意は「重大な欠陥があったことが確認された」と遺憾の意を表し、「この合意では慰安婦問題が解決されないという点を改めてはっきり明らかにする」と合意への批判的な立場を明確化した。

だからどうだと言うのだ。己の国の愚かさを諸外国に対し明確にしてどうしようというのだ。
はっきり言えば、日本に対しどうするというのか?話にもならない。

慰安婦問題は、朝日新聞が捏造報道したことに始まり、旧慰安婦を探し出してきて政治利用しようとしたことが騒ぎの発端ではないのか。
証拠というのは、今は騙しきれなくなって自らそれを否定した朝日新聞の記事と、口を開くたびにころころ言うことが違う旧慰安婦の証言だけではないのか?
証言が証拠として効力を持つには、裏付け検証が必須であろうに、それはできていないであろう。

慰安婦がいたことは最初から認めているが、そこに強制性はなかったとしてきたのである。
韓国も困り果てて、人道上の問題だと論点をすり替えて騒ぎまくったのだというのが事実ではないのか。
そもそもが言いがかりというほかない。日本国民の大多数は、言いがかりをつけてたかる〇―様と同じ行為ではないかと、本音の部分では思っている。
しつっこいしケリがつかないから日本側が譲歩し、これまでに何回も交渉に応じ、謝罪も賠償も繰り返してきた。一般日本国民の認識は、際限のない示談金詐欺に等しいというのが大方の思いで、それでも我慢してきた。
それなのに、また繰り返すとは。

条約の破棄をしようというのなら一種の戦争行為だと思うが、そんな覚悟が韓国にあるのか?
嘘から出たことは、大ごとになる前に引き時を考えた方が良い。
全てが明らかになったとき、韓国民のアイデンティティが崩壊しかねない恐れだってあろうに。


2017年12月28日木曜日

国内事情を発表してもらったところで何ともなるまい

嘘八百という語がある。
多くの嘘、何もかもが嘘だらけであることを意味する語である。
嘘八百の「 八百」は、江戸市中に町数が多いことをいった「八百八丁」や、大坂市中に橋が多いこと をいった「八百八橋」などの「八百」と同じく、数が多いことを意味することにも使われている。
8」が「数多く」を表すのは、 仏教の考えからきたものと思われる。

朝日新聞の嘘報道に端を発して収拾がつかなくなっていた慰安婦問題は、最終的・不可逆的に合意されたということになっていたが、当初から合意事項を守る気などさらさらなく、嘘をつき通して、結局は蒸し返す気満々ということであった。
慰安婦の7割が補償金を受け取ったという報道もあるというのに、国民の7割が感情的に納得していないと言い張り、国内の不備を調整もできないのを恥も外聞もなく曝け出して、国際間の約束を破るということがどんな結果になるか考えることもできないお粗末さという他ない。

20151228日に妥結された慰安婦合意が、被害者ではなく政府の立場で妥結された合意という結論が出たという。国と国の約束は政府間でするのは当然ではないのか?
しかも、そもそもその被害者というのは誰のことなのか?
強制連行があったなどという証拠はどこにもなく、探せば探すほど、高給を得ていた戦時売春婦であったと言う証拠ばかり出てくるのではないのか。
いつまでやってもきりがないから、日本側が大幅に譲歩して、米国の立会いのもと決着したのである。
強制性があったのは、朝鮮戦争のとき韓国自身が第5補給品と名付けていた洋行主や、ヴェトナム戦争時のそれであって、日本ではそういうことはなかった。

わけのわからないタスクフォース(TF)なるものを作り、27日に発表した最終報告書を出したところで、日本側が応じなければならないことではない。強制連行というのは、初めから嘘なのであるとしか思えない問題なのだという認識の方が強い。
国内問題は国内で対処してくれと放置する以外あるまい。

主要事項を含む外交長官の共同記者会見発表内容以外に、非公開の部分があったということだというが、外交であればそんなことは山ほどあることであり、驚くにもあたらない。
自分たちに都合が悪い事の方が多いのではないのか?
国際外交の掟を破り、相手国の承諾を得ることなく一方的にその秘密交渉の部分を公開するというのならしてみれば良い。世界各国からの韓国への国際的信用は一気に失墜し、韓国との交渉事はどこの国もしなくなる。
今後は日本側も韓国の国内事情に一切配慮することなく、全てを全世界に向けて明らかにすることになろう。
捏造して騒いでいただけであるということが、白日の下に曝されるだけのことで、日本側としてはいい厄介払いができるということになろう。
思いやりなどと言うことは一切通用しない相手なのだと再認識すべきである。

今までに何度も正気に立ち戻る機会はあった筈だが、いつも最悪の選択をするといわれる国民性は治る病気ではなかったというこということかも知れない。
仏の顔も三度というが、最後の頼みの綱である日本が見限れば、それに続いて国際的な制裁を受ける可能性が高まったということになる。


2017年12月27日水曜日

行き過ぎた遠慮をしていると

もういい加減に韓国がらみのニュースは報道しないようにした方が良いのではなかろうか。
どうせ大したニュースはないし、日本に対する悪口を言っているのをいちいち知らせてくれても、益々嫌韓感情が膨らむだけで、関係改善など程遠いものになっていってしまう。

おまけに、日本に古来からある言葉まで不適切であるとして自主規制までして、局内で自分たちが使わないというのならまだしも、出演者が発言した言葉まで取り上げて謝罪するとは何事か。

例えば、「チョン」である。漢字では「、」で表した。意味するところは取るに足りないということだから、馬鹿でもチョンでもという言葉は昔からあった。だから、誰でも簡単に写すことができるバカチョンカメラというのがあったし、大阪弁では「このバカチョン」とか「バカチン」というのは普通に使われてきた。
それをわざわざ、チョンは「朝」「丁」であると結び付け、差別用語だとしてとりあげるようになったといういかがわしさがある。

外国語に似た響きの言葉があったら、日本語を遠慮してN〇〇では使わなくするというのか?
そんなことを言ったら「勝男(かつお)」という名前をイタリアでは名乗れないことになる。
名詞というのは、もともと物を区別するためにできているのであり、差別とは違う。

この頃、何時の間にやら差別用語というのが増え、使えなくて不便な言葉や漢字変換しない熟語がやたら多くなった。
使い方に問題があるのならその使い方を正すべきで、言葉自体を否定してしまうのでは、文化の否定となんら変わらなくなってしまう。
そんなことを指導するのが識者だとしたら、間違った方向付けだと思う。

かかわりを持つことでゆえない不自由さを強いられるのだとしたら、本末転倒ではないのか。
何にでも難癖をつけようとしている人たちを相手にして、それではどうにもならなくなる。
セウオル号沈没の時もそうであったが、今度はほんとかどうか知らないが堤川の火災事故も日本の所為だといっているという。
少なくとも、日本の報道のしかたには難癖をつけているらしい。
事故から学んで改善するより他人の所為にして終わりにするから事故が絶えないのであり、日本製の部品が使われているからではあるまい。
セウオル号はパククネ大統領の、堤川火災はムンジェイン大統領の責任だということらしいが、なんかね~。見当違いなんじゃなかろうか。

見当違いといえば、トランプ大統領を国賓として招いた前後の行動も変だったし、中国に鳴り物入りで出かけて行ったのに相手にされず、外交成果をあげるどころか厳しい状況を現実化させてしまったというのも、見当違いのそれではなかったか。
韓国内では、大統領も外相も外交の天才だと持て囃されているらしいが、外からみているとサイの字が災と間違われてないかと思ってしまう。
友好関係を築くどころか、破壊してまわっているように見える。

中国で南京事件の行事をしている日をわざわざ選んで、ここぞとばかり一緒に日本叩きをしようと目論んだのだろうけれど、中国はこの先は日本との関係を改善していきたいと思っている。
だから式典にも微妙な配慮をして、悪影響が極力でないようにしていた。
そんなところにのこのこ出かけてきて、ぶち壊しになりかねないようなことを言われたら、「余計なことを言うな」と、能力を見限られるに決まっている。

中国は国論をまとめることができるが、韓国はそうではあるまい。捏造だろうが嘘だろうが感情的にどこまでも突っ込んで行ってしまい収拾がつかない国なのだと思われている。
中国と同じで、まだ専制政治下で統治された方が国は安定しよう。その上で捏造ではなく正しい歴史を学びなおし、恨みつらみでは幸せな未来を構築できないのだと気づき、近隣といかに仲良く発展していくかという考え方に向かわないと、ヘルはいつまでも続く。

アメリカには愛想をつかされそうだし、縋りつこうとした中国からは軽くあしらわれ、これはこの先も同様であろう。信ずるに足りないとされてしまうことを、いつになっても繰り返すからである。
困り果てて、日本に外相を派遣して泣きつこうとしたのだろうけれど、自分たちに都合が良いように対応してくれる筈はないではないか。
北朝鮮の脅威は強烈だし、経済状況も芳しくないとしたら、自らがなすべき行動はどのようなものになるのか、と考えた方が良い。
無理やり来日しても、案の定身勝手な望みは叶わず、結局は韓国に帰るなり、日本の悪口をいうことになっただけである。

自分が提供することなく、相手から虫の良い利だけをえようとし、それが得られないと自分のことは棚に上げて相手の悪口をいう悪弊が思考の根底に染みついて、もはや本能となってしまったのではなかろうかとさえ思える。
本能に従っての行動だとすれば、理性で対応することは難しい。
かかわらないのが良いのだということに結びつきかねない。

2017年12月26日火曜日

日本が無償で架けた橋

紛争を乗り越えて、隣国同士が友好関係を結ぶに至ったことに、日本が大きく関わっている。
嬉しい記事を読みました。
(ジャイカの記事からです。)

エルサルバドルとホンジュラスの国境に架かる「日本・中米友好橋(エル・アマティージョ橋)」というのがある。橋の入口には「日本と中南米の友好橋」と書かれている

これは、日本の無償資金協力により建設されたもので、長さは約170メートル。両国間の国境にかかるこの橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されているだけでなく、今後2ヵ国が友好的な関係を築く願いが込められています。
1960年代、両国間には国境問題に加え、エルサルバドル政府が工業化の推進と大土地所有制を維持するため、貧しい農民をホンジュラスへ移民させたことから関係が悪化していきました。
そうした中、1969年のFIFAワールドカップメキシコ大会出場をかけたプレーオフが発端で、エルサルバドル・ホンジュラス戦争(100時間戦争、またはサッカー戦争とも呼ばれる)が起こりました。この戦争は米州機構の調停により停戦しましたが、ホンジュラスから農民たちが追い返されてきたり、ゲリラ連合組織「ファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN)」が台頭したりと、エルサルバドルの情勢は不安定になりました。やがて、エルサルバドルは貧困と内戦に苦しむ時代を迎えます。

停戦となってから両国間で平和条約が締結されるまで、10年の歳月を必要としたうえに、懸案となっていた国境線が確定、合意されたのは2006年のことでした。

現在、エルサルバドルのラ・ウニオン港からホンジュラスのコルテス港まで、太平洋と大西洋を陸路で結ぶルートである「ドライ・カナル」が整備され、国境にかかる橋は、パナマ運河に代わる物流の新たなルートとして注目されています。
橋の竣工式には、エルサルバドルのサカ大統領、ホンジュラスのセラヤ大統領および外務大臣、事業に関わった両国の公共事業大臣、中米統合機構事務局長、地元市長、在エルサルバドル、ホンジュラス両国の日本大使が参加。さらには近隣国のグアテマラ外務大臣も参加し、40度近い猛暑にもかかわらず、報道関係者を含めた数百人もの観客が集まりました。

スピーチでは、ホンジュラス、エルサルバドル両国の大統領、グアテマラ外務大臣の3者が、日本の協力への厚い謝辞を述べるとともに、他の中米諸国が今日の世界経済危機に対応していくためには、政治、経済、社会とさまざまな面での連携が必要であると強調しました。

戦争勃発から40年、日本の協力でできた「日本・中米友好橋」が、中米地域の安定や発展、平和の架け橋となるよう、JICAは今後も支援していきます。

ホンジュラス事務所


良い提案だと思う

1220日に自由民主党推進本部で開かれた憲法改正推進本部の席上、青山繁晴 参議院議員がつぎのような新提案を行ったという。
-----第九条の末尾にこう付け加え ます。「第三項 本九条は自衛権の発動を妨げない」
これだけです。--青山さん は、この短い一文だけで第二項の戦力の完全不保持と交戦権の否定という主権国家の 存在を危うくする問題を一挙に解決できるのではないかと言うのです。

憲法改正について画期的な視点からの提案である。
自衛権の発動に反対する人は居ないと思うから、誰の主張をも妨げない意見であると思う。

憲法学者というのは、条文の解釈に汲々として留まるのではなく、固有の歴史に培われた文化や国の実情に照らし合わせ、将来のあるべき姿に対しての研究・提案をすることも、学者としての使命なのではないのか。
国は他国が守ってくれる筈のものではなく、自らで守っていくべきものであることは自明の理である。それを蔑ろにはできない。
浮世離れした左がかったことを言っていれば通用する時代では最早なかろう。
現実世界は、70年前と同じではなく様変わりして、厳しいのである。

衆知を集めれば、よりスムーズに議論が進み、より良い憲法を制定することができるのではなかろうか。
憲法改正ということは、選挙結果からみても、大多数がそれを議論することを可とする判断を下しているのだと認識すべきである。
議論すらのっけから反対して受け付けないのではどうにもならない。

2017年12月25日月曜日

余分に修行させて貰っているとは中々思えない

人はこの世に命を持って生まれてくる。
誰もそんなことを意識してはいないだろうけれど、この世には精神の磨きをするために生まれてくるのであるから、今生での目的というのを選んでのこととなる。

そうであれば、乗り越えられないほどの試練を抱えて生まれてくる筈はないのに、実際には苦しい思いを山ほど経験する。
楽しいことも織り交ぜて経験するように望んで生まれてくる筈なのに、それはどこかへ行ってしまいさえする。

命という字を分解すると、人は一度は叩かれるという組み立てになっている。
一度どころか、何十回も何百回も叩かれるのが普通だから、よほど気を確かに持っていないと精神的に折れてしまう。
その分余計に修行させてもらえたのだと思えれば良いのだが、なかなかそうは行きにくい。

全部の場面で真剣に対応して乗り越えるのが厳しいと思ったら「まあ何とかなる。」と、ちょっと気を緩めてみることも必要なのかもしれません。
そうすることで生を全うできる。
さもないと、精神を傷つけたり命を縮めることになりかねない。
今生でできなかったことは、来世で生まれ変わったときでの宿題ということで、神様にご勘弁頂き、猶予を与えてもらわないと無理なこともある。

できる限り他人様に迷惑をかけないようにしたいとは思うが、幸せになるために生まれるのだということが第一義なのだから、楽しいこともあって良いのだと思う。

2017年12月24日日曜日

騒いでいることの本質は何なのだろう

不倫問題だの日馬富士の暴行問題だのと、事情を詳らかには知らない人たちが騒ぎ立てることというのが多い。
連日、時間を費やしてああだこうだ言っている人たちが、後になって言ったことに責任をもつわけではあるまい。
疑惑?があると感じるとき、大声で叫んだ者勝ちというのが多すぎないか?

本筋から外れていても、誰かが尤もらしいことを言い、それに追随する人が出ると、事情がわからなくても、みんながそう言っているからということで、流れができてしまう。
普段から味方が沢山居る人とそうでもない人では、扱いが違ってもこよう。

詳しいわけではないから表面的な見方かも知れないが、貴乃花親方が損害賠償の訴訟まで考えに入れているのだとすれば、これまで口を噤んでいたのは当然だし、協会に報告することで揉み消されてしまうことを危惧したと思えるような内部事情があったのかも知れない。
批判する人たちが、利害関係もなさそうなのに、自分の価値観に合わせ感情的に述べることが公平であるわけがない。
傍目では判らないのに、部外者が正義ぶってものをいうのは控えた方がよいのだと思う。
全体像を捉えてものをいっているわけではあるまい。
多分、自分の感情が先走っての好き嫌いからのことで、真相とは遠いところでものを言っている可能性は十分あり得る。

最近、人が悪くなってきたのか、国家の重大事でもないことをマスコミが騒ぎ立てると、何か隠したいものが他にあるからではないかと勘繰ってしまう。
それどころではない、国民が一致して対処しなければならない難問が山積していると思えてならないからである。

2017年12月23日土曜日

苦肉と狗肉

正義だの人道だのと言い立てる人の多くは、自分の価値観から一歩も出ないで他を責めることが多いが、それが度を過ぎることがまた多いようにも感じる。
人類不偏の価値観というものが有るのだとしたら、世界に争いは起こらないのだと思うが、政治にしろ宗教にしろ食料にしろ、そんなものはあるまい。

食料ひとつを取り上げてみても、主張は感情的にまでなってもつれるし、決して自分の主張を譲らない。
例えば、欧米諸国では、韓国が年間200万頭もの犬肉を食べるのが怪しからんといって批難する。羊頭狗肉という熟語が有るくらいだから、中国でもそれを食べるのであろう。
それを饗されたら食べるのか?と訊かれたら、確かにご勘弁願いたいとは思うが、他人がそれを食べるのを非難したり蔑んだりすることはできない。トンスルも同様である。
牛や豚や鳥は食べても良いのだと抗弁できないからでもある。

狩猟で斃すことだけの動物殺戮は眉を顰めることもなく平気でできる人たちが、鯨や海豚は可哀想だとする根拠だって、かなりいかがわしい。
正義というものはあるのかも知れないが、一方的に主張できる絶対的なものでもあるまい。
どこまでを認め合い、どこまでで折り合うかということになろうが、長い歴史の中で文化として定着してしまっているものを否定し排除することが果たしてできるのだろうか?
それによって人間同士がいつまでも争うとしたら、本末転倒だと思う。

犬肉食は兎も角として、今度は加藤清正が苦しんでいる姿の像を作って、日本人観光客の誘致を目論んでいるのだという。
捏造慰安婦問題で騒ぐことには行き詰り、今度は400年以上も前のことを引っ張り出して嫌がらせを継続しようとしての苦肉の策とすら思える。
発想の原点が根本から狂っているとしか思えないが、それが異常だと思えないところに異常性があるのであろう。つける薬はない。

2017年12月22日金曜日

自己主張を控える言語

英語では自分のこと(一人称)を表すのに、多分 I my me で済んでしまうのに、日本語でのそれは私・儂・俺・みども・拙者・おいら・おれっち・わい・うち・などなど数え上げればいくつも出てくる。

日本語は、主語に自分を表す語を使わなくとも通じるということもあるが、自分を表す言葉を使うのは自己主張が含まれるとして避けられた側面というのがあるらしい。
だからそれを使うときには、時と場所と場合を瞬時に判断して、使い分けた。

最近は西洋化したのか、俺が俺がと他を押しのけてでも自己主張する人が多くなった。
いいのか悪いのか判らないが、程度を越えるとうるさいだけで、顰蹙を買ってしまっている芸人さんなども見受けられるから、ほどほどにした方が良いかも知れません。

それにしても、譲り合いの精神とか謙譲というような日本的美徳だけでは国際社会においては通用しないことが多く、どうしても力と力の鬩ぎ合いということを考えなくてはならなくなっている。黙っていてはどんな良いことをしても伝わらないし、評価もされ難い。

そうかといって、大声を出して言ったもん勝ち、捏造してでも宣伝した者勝ちで終わらせるようなことをするのは、日本人の誇りが許さない。
そういうことをする国に貶められても、いずれはわかってもらえるととしては来たけれど・・・
あまりにリスクが大きすぎた。

2017年12月21日木曜日

お手玉遊び

戦後に幼少期を過ごしたが、当時はまだ女子供のお手玉遊びはまだ残っている頃で、意味は判らなくても数を追う歌を歌いながら遊ぶことが珍しくもなく見られた。
今、こんなのを歌ったら、目くじらを立てる人がいそうだが・・・

一列談判破裂して
日露戦争はじまった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
五万の兵を引き連れて、
六人残して皆殺し
七月八日の闘いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロパトキンの首を取り
東郷大将 万々歳
大人が口遊むような歌ではなかったし、意味の解らない子供が遊ぶときに歌ったものだったから、自然に消滅してしまって、今に至るも覚えている人は殆どいまい。
ロシアの国土面積は1,710万k㎡で、日本の 約 45倍。世界一であり、資源も豊富である。
日露不可侵条約を一方的に破棄し、日本に襲い掛かった。北方4島には日本が戦争をやめた後に侵略し占拠した。明らかに不法占拠だと思うが、返還はされていない。
ロシア人口は1億4千万人余で日本と大差ないが、その彼らが言っているのだという。
「我が国は戦争で日本に勝ったというのに、負けた日本より発展が遅れているのは何故だろう?」と。
体制やイデオロギーの差だともいえようが、歴史の培ってきた民度、ことに戦争には負けたがそれでも残った精神性の違いがあるように感じる。


わけがわからない来日だったとしか思えない

韓国の外相が日本にやってきた。
韓国内では、日本が要請するから渋々行くのだと言っていたらしいが、日本が来て欲しいなどと言うわけがない。はっきり言わせてもらえば、自分たちの都合があって押しかけて来たというのに等しいのではないのか?
どうしても日本に来たかった本音は、何とかスワップ協定を結んで欲しいということと、慰安婦合意を再交渉に持ち込みたいということであり、腹の底はみえみえで、そのいずれも日本が相手にできるようなものではない。
嫌がらせばかりしている人の頼みを、どこの誰が聞いてくれると思っているのだろうか。
困ったときだけ泣きついてきても、日本国民の感情はもはや親身になれる段階ではあるまい。

韓国の国家予算は凡そ35兆8000億円。数年前までは東京都の予算(凡そ13兆円)並みであったのが急激に増加したのであるから、どこかに無理が来ていても不思議はない。
内需で経済圏を確立するには、人口が6000万人を越さないと難しいと言われているが、その人口も5145万人であり、内需を育てるような経済政策はとって来なかったようだし、ウォン安を誘導したり、価格競争に勝つための手段を構うじてまで輸出に頼ってきたときの不都合な政策がEUにバレて、制裁を受けそうな雲行きになってもいる。
貿易の最大相手国である中国からも厳しい扱いを受けるようになってしまい、国内経済が行き詰まりを見せているともいうし、日本の協力は得られそうもないし、この期に及んでどうする心算やら。

日本の国家予算は凡そ97兆4500億円、人口は1億2700万人ということになっている。
バブル崩壊以後、失われた〇〇年といわれる不景気下で苦しんだが、円は已然として基軸通貨であり、底堅い信頼度を世界各国から受けている。結論でいえば、スワップを必要とはしない。
技術であれ基礎研究であれ鉱工業製品であれ、世界のトップレベルにあるから底堅い。
偏に、長く地道な努力を重ねてきた結果である。

過去何年かで経済が発展し、日本なにするものぞと勘違いしたのかも知れないが、それで敵意を醸成してきたのは誤りであったというほかあるまい。民度と底力を侮ってもらっては困る。
仲良くすることを根底におかない外交関係は、いざというときに援助が受けられないと言う典型事例なのだと知るべきであろう。


2017年12月20日水曜日

同じ釜の飯を食うと

「同じ釜の飯を食う」は、仲間であることと同義で使われる。
同じものを、集まって一緒に食べれば同じ血ができる。
仲良くしたいと考える相手とは、酒食を伴にすることから始めることが多い。

国同士が仲良くしようとするときは、晩餐会が催される。
それこそ走り回って山海の珍味を集め、ご馳走する。
古い書物などには、穀物を常食としないのを蛮族扱いしていることもあるが、食は文化であり、精一杯もてなそうとするところに意味がある。

穀物の代表格である米麦には、種子に「ノギ」と呼ばれる突起がある。
ノギとは禾のことなんだけど、これがなんだか知っている人って案外少ない。カホンカ植物の「カ」すなわち禾は、稲や麦の種子の頭についている肌に触れるとチクチクするハシカッぽい、ちょんと出ているトゲみたいなのをさして言います。
皆で禾編の植物を口にして食べるのが「和」の始まりです。
和を以って尊しとなす。


2017年12月19日火曜日

用語の使い方が違い過ぎないか?

多くの日本人は「戦前の日本政府は朝鮮人を日本に強制連行して強制労働に従事させた」「だから日本には在日韓国人が多いのだ」という話を聞いたことがあると思うし、私もそうである。
強制連行や強制労働と聞いて思い浮かべるのは、官憲が大挙して押しかけ、有無を言わさず連行され、劣悪な環境下で監視されている中で、現場監督に鞭を打たれながら重労働を強いられているという状況である。
そう思わされて来たから、「なんと昔の日本人は酷いことをしたのだ。」「だとすれば、今は韓国人が多少無茶苦茶しても仕方がない」としてきたのではないのか。
果たして本当にそうなのだろうか?
実際のところ、日本の官憲が組織的にそのような行為を行ったという記録はない。
そういうところには日本人は几帳面だから、あったとすれば必ずどこかに記録は残る。
逆に言えば、この強制連行や強制労働に対する日韓両国の認識の違いが、真の日韓友好の大きな妨げになっていると言える。そのような重大な問題であるにもかかわらず、強制連行を行ったという証拠は、慰安婦問題と同じで、本人の証言しかない。
感情論が先行し、確たる証拠もなしに何となく日本が悪いことをしたという結論で押し切られたまま、或いはそう喧伝されたまま在日は存在し続け、その結論に少しでも異論を挟もうものなら、国内外で人種差別の大合唱が起こり袋叩きにあうことから、議論すら許されなかったのが実情であろう。
記録がないと言うと、「日本が都合の悪いものを破棄したからだ」と反論する人がいるが、役所が仕事を指示する際には必ず指示するところから実際に仕事をする部署に命令書のような書類が作成通達され、実際に仕事を行った際には、その部署が日報などの記録を残す。
もし本当に彼らが主張するように、日本の国家が何百万人もの人間を強制的に日本に連れてきたのであれば、連れ出した部署、輸送した部署、受け入れた部署などなど、いたるところに命令書や日報などの膨大な数の書類が作成された筈であり、それらを完璧に全て処分できるなどということは到底考えられない。
第二次世界大戦終了後、ソ連が行った国際法違反の非人道的行為であるシベリア抑留と比較してみれば容易にわかることである。

「強制連行」と記述する場合、殆どの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の政府が、朝鮮半島で行った労務動員を指して、それと混同して使われる言葉となっているのではないのか?
朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎているのであって、当時の朝鮮人は、大日本帝国の同じ国民であったし、むしろ日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとされている。

  戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。

国民徴用令は日本内地では昭和147月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和199月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

終戦後、昭和208月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、 北朝鮮へは昭和213月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。

現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
(昭和34713日 朝日新聞)

つまり、朝日新聞によれば、現在日本在住の特別永住権を与えられてる在日朝鮮人は強制連行によるものではなく、仕事を求めての密航・自由渡航と、それらの自然増加によるものである。
ちなみに①から⑤までは、「在日朝鮮人は徴用( 強制連行 )の被害者である」と長年主張してきた反日マスコミ・朝日新聞によるものであるのが皮肉である。

1944年において徴用は日本人はほぼ全員が対象であり、朝鮮人が同じ日本国籍を与えられていたことから考えれば、格段に恵まれていたことが分かる。
同じ日本人でありながら、むしろ優遇されていたのである。欧米の植民地政策であれば国籍も与えず教育も与えず、真っ先に徴用されていたに違いない。日本は彼等から「七奪」などと言われる筋合いなど無いのである。

それなのに、敗戦後、彼等は同じ敗戦国民であった(日韓併合は国際法に照らしても合法であったため)にも関わらず、終戦と同時に武装して戦勝国民を名乗り、弱り切った日本人に対して略奪・殺戮・強姦等、悪事の限りを尽くし、日本は一時、内戦のような状態に陥ったのである。
戦後を知っている老人たちは、それら暴虐の限りを尽くす者たちを「第3国人」と呼んで憎んだが、警察も手を出せず、自衛的に立ち上がってそれに対抗したのがヤクザであったので、その時点ではヤクザの行動は日本国民に受け入れられていたようである。
皮肉なことにそのヤクザも、今の構成員は第3国人の末である在日が多いのだという。

日韓併合以降、朝鮮人労働者は賃金水準や雇用機会の高い日本に流入。日本政府は日本内地への渡航制限などにより朝鮮人の移入抑制策を取ったが、移入を止めることは出来ず、終戦時には200万人に達していた。
敗戦により朝鮮籍日本人はサンフランシスコ平和条約の発効と共に日本国籍を離脱、その後の済州島四・三事件や朝鮮戦争から逃れて密入国者が多数流入し、現在の在日韓国・朝鮮人となった。彼らの主張する「強制連行」とは、密入国による強制送還から逃れるための方便に過ぎない。
居座る口実として、日本人に贖罪意識を植え付け、さらに「差別」を盾に日本国内での権利の拡大を図ってきた。それに加担してきた人権派を名乗る日本人が多いことも厄介である。

つまり彼等の内情は、太平洋戦争開始以前から既に日本に移住して成功を得た者は敗戦後も帰国せずに日本残留を希望したし、戦後の密入国者であったり犯罪者で帰国できなかった者が残ったということになる。
事実、韓国人は戦中・戦前日本へ渡った人々に対して同情することはなく、「パンチョッパリ」と呼んで激しい民族内差別を行っている。
帰るに帰れないということは不幸と言うほかないが、だとしたら今いる場所で信頼を得られるように頑張ったらどうなのか?
違法に生活保護を得ようと悪知恵を働かせているようでは何ともなるまい。犯罪を犯せば、同朋の脚を引っ張ることにもなるのである。それなのに、彼らの犯罪率は高いのだといわれている。

そろそろ在日韓国・朝鮮人は自ら日本に来た事実を明確にして捏造キャンペーンを止め、自ら在日特権の悪習をきっぱり返上せねばならない。そうでなければ彼等は日本人でなく、朝鮮・韓国人でもない、「無国籍民族」として永遠に生きる事になるしかない。
共に近代化を果たし発展しようとしたことは、仇となったとしか思えない。恨みとするものの根拠も、極めて疑わしいものが多い。

他民族が融合するには、それこそ何百年もかかるのだということになる。