2018年1月31日水曜日

嫌われるようなことばかり選んでしていないか?

日本で報道される韓国人の日本に対する意見というのは本当なのだろうか?
捏造教育で洗脳された一部の愚昧な人たちが、日本何するものぞと妄想に凝り固まって、日本を悪しざまに言っているのを拾い集めて記事にしているのだとしか思えない。
もし、大半の韓国人が根拠の薄い主張で悪口を言い連ねるのを許容しているというのであれば、今後の日韓関係は良くなるまい。
ネット先進国と自慢するのであれば、たった100年前の実情を調べてみるだけで十分なのではないのか?
自国の歴史はそれだけでも判る。首都の有様は未開人そのままであることがうかがえる。
写真が写しだしているのは、紛れもない事実だからである。
韓国が文明国であり、日本が未開国であったなどと本気で信じているとしたら、愚かとしか言いようがない。
弥生時代くらいまでなら兎も角、平安時代以降は圧倒的な文明差があった。
豊臣秀吉の時代の陶磁器くらいは自慢できるだろうが、それ以外に日本より優れているものが何かあるとでもいうのだろうか。
「歴史を認めない国に将来はない。」と口を開けば言い募るが、歴史を捏造し続ける国はどうなのか、ということを考えた方が良い。
日本は、歴史を事実として捉えたいのであって、事実でないことは事実ではないといっているに過ぎない。
日韓併合によることなしに、近代化など思いもよらなかったし、戦後の経済発展も日米の援助がなかったら自力だけではできなかったというのが事実ではないのか。
それなのにその恩義を忘れて反米反日に励むのでは、呆れるほかない。
認めたくはなくっても、世界の見る韓国の歴史と韓国人が信じ込んでいる自国の歴史とは明らかに差があり、それらは資料や証拠に基づいているから反論のしようはあるまい。

現代韓国の受験競争が熾烈なことはよく知られている。
受験で失敗し、ヘル韓国と嘆いて自殺する若者もいるというが、それで絶望してしまうとは、余りに社会構造が劣っている。
財閥トップと政権トップのごく限られた人たちで政策が決まってしまい、一般人は後回しにして放っておかれるからであろう。
長期に亘ってそれでやってきたから、その既得権は政権が変わっても簡単には改められない。

一流大学に入学し、「10大財閥」と呼ばれる一流企業に就職し、いわゆる「勝ち組」に入ることがただただ目標とされるというが、「勝ち組」に入れるかどうかで、年収などに大きな開きが生じ、人生の明暗がそれで決定付けられてしまうのだとなれば致し方ない。
10大財閥」とは日本でもよく知られている「三星(サムスン)」、「現代(ヒュンダイ)」、「ロッテ」等々の企業である。
10大財閥」でなければならず、それ以外の企業はダメなのだという。
なぜならば、韓国では「10大財閥」の売り上げがGDP4分の3を占め、事実上、韓国経済を取り仕切っているからである。国内市場というのは極端に小さく、異常ともいえる経済構造であろう。
10大財閥」以外の会社では、たとえ懸命に働いたとしても、報われることが殆ど無く、自営を志しても成功は覚束ない社会構造になってしまっているから、そこから漏れたら希望が持てない。
しかしその10大財閥の実態ということになると、韓国人が自慢することとは程遠い。なんとサムスンなどの主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるのだという。
韓国人がどんなに自慢しようとも、利益のほとんどが日本や欧米に吸い上げられる絶望的な構造が完成しているので、外貨は稼げても民需が育てられていないから、経済運営は厳しい。

【朝鮮日報】も言うように、韓国の大企業は、もはや「韓国企業」ではない。
 サムスン - 外資比率60%
 ポスコ - 58%      ←日本が筆頭株主
 現代自動車 - 49%
 LG - 50%
 SKテレコム - 55%
さらに韓国の主要銀行は韓国銀行以外はすべて外資。
韓国の銀行は最大規模でも300億ドル前後と、日米英に比べて資金力が欠如しているために、外資比率がドンドン高まっている。
日本と比較しても、銀行の資金力は510倍程度差がある(英米と比較すると20倍程度の開き)
ポスコは新日鉄との提携強化を進めた結果、ボスコの筆頭株主は新日鉄に。
第一銀行 外資比率: 0.1%→100.0% 主要株主:スタンダード・チャータード(100%)
韓美銀行 外資比率:29.4%→99.90% 主要株主:シティグループ(99.91%)
KB
金融 外資比率:41.2%→85.68% 主要株主:Bank of New York15.21%)
韓国外韓銀行 外資比率: 2.7%→74.16% 主要株主:ローンスター(50.53%)
ハナ銀行 外資比率:21.3%→72.27% 主要株主:ゴールドマンサックス(9.34%)
新韓銀行 外資比率:23.4%→57.05% 主要株主:新韓フィナンシャルグループ(100%)
ウリ銀行 外資比率: 8.6%→11.10% 主要株主:ウリィフィナンシャルグループ(韓国預金保険公社)77.97%)
こんなこと位は、韓国内の知識人でなくとも誰でも容易に知ることができる筈である。
一旦見切りをつけられたら、外資は一気に引き上げられてしまうであろう。
日本の協力なしで現在の経済危機を乗り越えられるとはとても思えない。
先ずは実力もないのに刷り込まれた教育で勘違いし、他国を馬鹿にする癖を直さないと、東南アジアどころか他の諸外国からますます相手にされなくなると知るべきであろう。
韓国人が思っている以上に世界から嫌われていることに、早く気づいた方が良い。


2018年1月30日火曜日

才能豊かな日本人

1月22日に降った大雪は交通機関に大混乱を巻き起こしたし、被害も大きかった。
その後に続いた寒さの所為もあって、まだ大量に消え残っている場所もある。
いろんな悪影響があったことは確かであるが、そんな中で楽しみを作り出してしまう日本の雪だるまというのが、世界から驚きをもってみられているという。
大災害にめげないで乗り越える力をもっているのだと言える。

もうすぐオリンピックが始まるが

いよいよ来月2月9日に「平昌オリンピック」が開幕を迎える。
世界各国から偉い人が沢山集まった方が、単純に昌オリンピックの評価があがるが、このところの韓国の外交は不評を買っているから、主要国の首脳が参加を表明していない実情がある。
日本も、慰安婦合意の実施などで国民からの反発が強く、併せて国会の開催中ということもあって、安倍総理は参加が難しいとしてきた。
但し、ここが安倍総理の凄い所で、今まで一度も参加しないとは決して言わなかった。
参加要請も、是非お越しくださいというのではなく、必ず来いというような言い方をしているように日本国民には聞こえていたから、反対も多かった。
競技会場の建物も柱不足など強度不足が指摘されているし、寒さ対策も不備が囁かれて安全性に不安が持たれている。何より韓国民からの嫌がらせや、警備に対する危惧もありそう。
しかも、呼びつけたらのこのこやってきたと、政治利用されるのではないかとの不信感が強い。
しかし、安倍総理は出席の意向をかためたのだというが、国民は未だにその出席には反対だという人が多い。
行けば必ず文大統領に、慰安婦合意の遵守を面と向かって釘をさすことになるのだから、韓国側の思惑通りには行くまいが、他国はともかく日本の総理には参加させたいらしい。
果たして結果はどうなるのでしょうか


2018年1月29日月曜日

幻のノーベル賞

ヨハネス・フィビゲル
鼠がゴキブリを食べて胃がんを発生したことで、癌は寄生虫が原因だとする説によりノーベル賞を受賞した。

山極勝三郎の「コールタールによる発ガン説」、即ち、人工的に発癌を起す実験に対しては、「寄生虫による発ガン説」のフィビガーがノーベル賞を受賞しています。
結果的には山極勝三郎が正しく、フィビガーが間違っていたということになっているが、当時としては致し方あるまい。人種差別からだったという人もいるらしいが、そういうふうには思いたくない。幻のノーベル賞と言われている。

ノーベル賞というのは取ろうと思ってとれる賞ではないが、地道な研究努力の結果であることは間違いない。
授賞当時に日本国籍ではなかった人も含め、日本由来の人は26人を数える。
授賞そのものではないが、ノーベル賞の対象となった研究に大きく関わって貢献した技術というのもある。

他にも、2017年にノーベル物理学賞を受賞した重力波の研究における観測技術にもまた、日本の技術が貢献している。
人類の発展に貢献している人が沢山、日本から出ていることは誇らしい。

2018年1月28日日曜日

のっと日の出る

梅が香に のっと日の出るあつさかな
種類によっては、梅の花がちらほら咲いているのを見かける季節になりましたが、お日様の暖かさを感じるには程遠い寒さが、続いています。


「うめがかに」というのを変換させると「梅が蟹」となってしまう。
混乱
 そうか、ムメ(梅の古い呼び名)が蟹だったっけか?最近いろいろ混じるんだよね~。
 「のっと」って何?と聞かれても昆惑するんだよね。「困惑」じゃないのかって?
気を付けて見直さないと、誤変換のままというのが多い。

「昆」ていうのは、仲間が多いとか群れるとかいうような意味合いがある。?
昆虫、昆布、混雑、婚前じゃなかった混然etc.etc.

で、歯なしをもとに戻して「のっと」なんだけど、これは「ぬっと」というのが正しい日本語です。(親切じゃなかった新説)。ぬっと顔を出す。


2018年1月27日土曜日

一旦攻撃を許せば終わってしまうのでは?

何をするか解らない北朝鮮が脅威であることは間違いないが、脅威はそればかりではない。
中国の核ミサイルが日本の人口30万人以上の重要都市を標的にしているというのは、かなり昔から知られていることであるが、一般人はそこから目を逸らされている。
今更取り立ててどうのこうの言っても始まらないが、相手国からの攻撃が最初になされれば、日本はそれだけで壊滅する。
自国の防衛を真剣に考えるなら、国際的常識である対抗手段を講じておく必要があるということになる。
理想的には同等の軍事力を持つということで抑止力となるのであろうが、少なくとも飛来するミサイルを迎撃できるように備えるくらいのことは、いかに専守防衛だという制限があったとしても、許容範囲であろう。
相手からの攻撃があってからでないと反撃できないと主張することは、壊滅的な被害を先に受けてしまうことを甘受せよということと同義であり、一旦攻撃を許してしまえば、反撃の機会なぞ望むべくもない。
少なくとも、飛来するミサイルを迎撃できる備えを、またそれを攻撃されても壊滅からは逃れられるように、山岳地帯の地中深くに構築しておくことに国民の合意を得るくらいのことはしておかないと、抑止力にもなるまい。
中国の核弾頭は水爆であるから、廣島長崎の比ではない。
数発打ち込まれただけで、日本は瀕死の重態になることは想像するまでもない。
アメリカが頼りになるとは思えない。というより間に合わないであろう。
これにきっちり対抗するのなら、反撃体制を温存できる体制をとる必要があるが、それには日本も核武装し、原潜を5~6隻造ってSLBMを装備するしかないのかも知れないが、そこまで日本側ができるかどうかということになると難しい。
しかし、現実がどうなっているかということから目を逸らしているばかりでは、実情に合わせた安全は保てないのではなかろうか。
尖閣諸島に原潜を派遣するなど、日本組みしやすしと見くびり挑発を繰り返してくるのを、安閑として見逃していてはなるまい。
うかつにはことを構えられないと躊躇させるのが抑止力である。

2018年1月26日金曜日

願いが叶いやすいかどうか

昨日は、気の合う社長仲間たちで作っている会の新年会ということで、日枝神社に昇殿参拝して参りました。特に願いの筋があってということではなく、家内安全という一般的な祝詞が奏上され御神楽も舞われただけでしたので、さほど時間はかかりませんでした。

願い事を叶えることのできる人というのは確かに居るようです。
何らかの願い事があって、神社仏閣に詣でるのはよくあることですが、なかなかその願いの筋が聞き届けられることはないようです。
 そんな人は、この世的な日常生活においてさえ、誰かにものを頼んでも聞いてもらえないことが多いようです。

 人は他人にものを頼まれても、親身になってそれをやってあげたいと思える相手と、そうではない相手がいます。
 その差は一体なんなのでしょう。
 明らかに言えるのは、その相手が好きかどうかということであり、好きでもない相手に助力しようとすることは殆どありません。
 好かれるということが大事なのですが、好かれる人というのは、相手が喜ぶことを必ずどこかでやっています。
 神様や仏様でも同じことです。お賽銭の多寡では決してないと思えるのです。それが多いから願い事を聞き届けるということではなく、叶えてやろうかという気になるかどうかは、その人の心構えによるように思えます。

ただ、神様も仏様も、先ず第一に清浄であることを望みます。墓石クリーニングをやるのは、喜ばれることの一つの方法です。
 水洗いくらいでは落ちない汚れは、人が衣類の洗濯を水洗いくらいでは満足できないのと同じことだと思うのです。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、12月20日、第10部まで書き終えました。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

2018年1月24日水曜日

雪かきが大変

東京の積雪は21センチだったとTVでは言っていたが、練馬のあたりではゆうに30センチは超えていたと思う。
雪かきが大変であった。
むかしのように近所の人が出てきて皆で雪かきをするということがなくなったようで、駐車場はまだ車を出せない状態の人もいる。




2018年1月23日火曜日

独自の文化を大切にした方が良い

お腹に掌を当て 脇を開く形の立ち礼 韓国のこのスタイルの お辞儀の作法をされると、日本では異様に感じる。丁寧な挨拶をされたとも思わない。

日本には古来より日本式の美しいお辞儀の所作というのがある。
「コンス」と呼ばれる挨拶だというが、何故かスーパーのイオンでレジ係にやらせているのだという。イオン独自のものだと強弁しているらしいが、それをされる客の側には反感を持つ人が多いらしいのは、不思議ではない。
そういうお辞儀の仕方をわけもわからず真似したお店があったらしいのだが、それをする店員に、客から「韓国出身の方ですか?」と聞かれるようになり、その途端に一気になくなったのだとか。

他国の作法にとやかく言う心算はないが、真似して取り入れ広めるほどのものではないと感じる。
立膝や、迎え舌や、人差し指をかける器の持ち方や、箸で器を引き寄せるなどの作法は、日本では品がないとされてきたが、他国の文化であれば、その国でやっているぶんには、文句をつけるほどのことではない。
ただ、日本では馴染まないので、日本国内でそれを見れば異様だと思うから、出身国がそうなのだと判るだけのことである。
国には国の作法というものがある。


2018年1月22日月曜日

口出しできることではあるまいに

どうにも理解できないことがある。
自国の政治家が、自国の政権を批判するのはわからなくはない。彼らが信じる主張を掲げて選挙で戦ったのだから、言い足りなかったと思っていることがあるのだろう。

ただ、彼らが政権をとれなかったのは、それらの主張が限られた範囲にとどまり、全般的な政策に信頼がおけないと判断されなかった結果であることは、いかに理屈をつけてみたところで否定しきれまい。
国というのは総合的に運営されるものであるから、全部が良いということも全部が悪いということもないのだから、国民がどこら辺にバランスをとったかということになる。
そこのところを抜きにしてものを言うのは、民主主義の否定につながる。
やっかみ半分で自説に固執しすぎると、国民を馬鹿にしていると思われることと同義のことをを言いかねない。
流石に、政治家が他国の政治家を貶めるようなことは言わないようだが、評論家あるいはコメンテーターと呼ばれる人の中には、他国の細かな実情なぞ判る筈もないのに、やめておいた方が良いと思われることを口走ることもあるから、聞いていて冷や冷やする。
一体何様であると思いあがっているのだろう。そんなに偉いわけでもなかろう。

他国の事情の何を知って何を根拠に放言できるのかが解らない。
他国には他国の事情があり、その中で選挙により首長は選ばれる。それを器ではないなどと、どの口をもって言えるのだろう。自分ならできるとでも思っているのだろうか?

責任感の重さは、そんなコメンテーターの判断力など軽く超えたところにあるのだという謙虚さがないと、他国民をも馬鹿にしていることと同じではないのか。
解らないことは解らないのである。口出しできることでもない。

2018年1月21日日曜日

来たら会わなくてはならないということでもなかろう

昨年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長(35)が12日、長崎市を訪れ、長崎原爆資料館で同日始まった受賞記念展のオープニングセレモニーに参加した。フィン事務局長は「ノーモア・ヒバクシャ」のフレーズを繰り返し「声を上げる人が増えれば、多くの指導者を私たちの側に引き込むことができる」と訴えた。
 フィン事務局長は長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の招きで初来日。記念展では、ICANの活動や授賞式の様子などを紹介するパネル20点や、昨年のノーベル文学賞を受賞した長崎市出身のカズオ・イシグロさんから田上(たうえ)富久・長崎市長に届いた手紙などが展示され、フィン事務局長は興味深そうに見入っていた。その後、「日本が核兵器禁止条約に署名することを望む」とのメッセージを館内に置かれた見学者用のカードに書いた。
 また、この日は館内で田上市長とも会談し「核兵器がある限り使用される危険が存在し、再びナガサキが繰り返されかねない。核兵器禁止条約は一筋の光だ。私たちはともに行動し、日本政府にプレッシャーをかけ、被爆者のストーリーを若い世代にも伝えていく必要がある」と語った。というニュースがあった。
主張はごもっともだが、活動内容を聞くに、これが初来日というのでは以外感の方が大きい。
核兵器廃絶運動をすることは結構なことで、反対する理由はないにしても、日本を重視しているようには受け取れなかった。
実際問題として、世界から核兵器をなくすことは簡単でないことは確かである。
しかも、安倍総理に面会を申し入れたが、総理は海外歴訪中であることは事前に判っていたことであり、仮に日本にいたとしても、日本に来たから会えるということにはつながらないことは当然なのではないのか。
唯一の被爆国である日本の総理が会わないのは怪しからんと、赤い小池氏と白い髪の毛のコメンテーターがむきになって言っていたが、この二人が言ったところでどうなる。
反安倍の論調にもっていきたいのであろうが、最初から会えないことを織り込み済みで来日したのではないのかとも思えることは、大概の人の知るところであろう。
平和賞を貰ったというが、何度も日本にきているのかと思ったら、広島にも長崎にも初めてきたのだと聞くと、何か釈然としない感情が拭えなく残った。


2018年1月20日土曜日

無理してまで行くことはないと思うが

相手がどんなことをやったとしても、大人の対応をすべきだなどと、恥ずかしげもなく緩いことをノーテンキに言う人が出てきている。そういう人たちは懲りていないのかも知れないが、大半はもういい加減にしたらどうなのかというのが、偽らざる感情なのではないだろうか。
ヒラマサのオリンピックに、安倍総理は出席せよというのである。
地続きである中国やロシアでさえも、或いは同盟国であるアメリカでさえも、首脳が開会式に出るとの表明はしていない。
現時点で参加を表明している国は、殆どないのではないのか?
このところの韓国外交のありように不信感を抱いているからだと思う。

大体が、大人の対応って何のことなのか?
自分勝手にやりたい放題のことをやっているのを見ぬ振りをして、こちらサイドだけがマナーを守ることを大人の対応だとでもいうのだろうか?

外交ルールは守らない、約束は反故にする、自分に都合の良いようにだけ動く、ということを繰り返したら、それに沿った対応しか諸外国からは返ってこないのだということを解らせるのが、本来の大人の対応というのであって、我慢してやることを大人の対応とは言わない。

今まで日本は我慢を重ね過ぎた。そのことによって韓国が正常に成長できたとは思えない。
大昔から変わることなく、自らを省みて本来の姿に立ち返るということができない国なのだと思えてならないのである。

例を挙げれば枚挙に暇がない。李 舜臣は、李 氏朝鮮の将軍で、文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本 軍と戦い活躍したとされるが、停戦協定により引き上げを図った薩摩軍を追撃しようとし、その余りのあくどさに同盟軍の明すら手を貸さなかったので、薩摩軍の反撃により惨めにも戦死 した。
こんな人がいつの間にか英雄扱いされているのである。
テロリスト以外の何者でもない安重根も同様である。
甚だしきは国家百年の大計を誤り、最後は国を追われ亡命せざるを得なかった李承晩というのも居る。竹島を不法占拠したこともさることながら、捏造歴史を刷り込むことで、後の正常な発展を阻害したことは、韓国が如何に糊塗しようとも、いずれは明確になることだと思うが、日本側が譲歩してきたことで彼の国の為になったことなど有るまい。勘違いを助長し、年を追えば追うほど反日に凝り固まらせただけのように思えてならない。
こんな状況下で有事を迎えたらどのようなことになるか?
そろそろ不法滞在者や犯罪歴の有る者の強制送還を含め、毅然とした対応を図った方が良い。
信頼関係を築いていける国だとは、もはや考えにくい。
当面軋轢は生じようが、将来にわたる禍根を考えたら、考えるべきときに来ていると思う。
正しい歴史を学ぶべきだということから始めない限り無理だと思う。


2018年1月18日木曜日

文句を並べ立てるのが識者?

TVをつけたら、識者に聞くとかいうのをやっていたことがある。

識者というのを辞書で引いてみると、物事に対して正しい判断を下す力のある人。学識・見識のある人。ということになっている。
だが、この「正しい」というのが、どうにも曲者に思えてなりません。何をもって正しいとするのか?ということです。

呼ばれて出演していた識者というのは、司会者或いは主催者の思惑に、いかようにでも合わせることができる能力は確かに持っているようであるし、自分が普段唱えている主義主張に合致させる為なら、論点をすり替えてでもそこに結論を持っていこうとする執念もまた、確かに合わせ持っているように思えます。
しかしながらそれらは、国民国家・社会の為にというよりは、捉われた自説に従ってということであって柔軟性には乏しく、あくまで自説を曲げないためのようにしているとしか思えてならない。
周りの状況が変わり新しい条件が加われば、考え方に変化があってしかるべきだと思うが、他人の主張を聞くよりも自説を押し付けたがっているようにしか見えない。
イデオロギーというのは、協調性を育むにはそぐわない考え方なのかも知れない。他の価値観を否定しないと、理論を構築できないということなのか、聞く耳というのがない。
与えられた諸条件のなかで、最も良いと思われる意見にまとめるということよりも、自分の主張を絶対正義と思い込んでいるらしいのが、不思議といえば不思議なのだが、どういうわけかそれを国民の代表する意見のように信じ込んで物をいうから、尚不思議になる。

まあ、それは個人個人の考えだから良いとして、司会者が自分の思惑通りに話を進めようとしているのが余りにあからさまなのには鼻白んでしまう。
司会者は、自分の意見を述べる場所ではないのだという認識が不可欠なのだと思うのです。

全員が同じことを言ったりするようになるのは、どこか胡散臭く感じられてしまうのだが、そんなのばかり集めてきて識者だといわれても、現状乖離の空論にしか聞こえない。


2018年1月17日水曜日

偏りだけでは無理

最近、TVを余り見なくなってしまっている。
一時幅を効かせていた「つ・と・た」3Tジャーナリストの偏った煽りも色褪せてきて、お一方は亡くなってしまったし、お一方は自滅したし、お一方は相変わらず凝り固まって変なことをいっているが、あまり相手にされなくなってしまっているように見える。
「インドやパキスタンの核はよくて、どうして北朝鮮の核は駄目なんだ?」などと三白眼を引きつらせて主張するに及んでは、もはや論外でしかあるまい。
その主張をするのなら、「日本だって核武装してよいではないか。」ということに直結するという誤謬に気づいてもいないということに哀れさすら覚える。
核を見境なく使いかねない国だと、世界各国が危惧しているからだということなのだが、自分の思想が絶対なのだという捉われから抜け出せないのだから仕方がない。

日本のことを悪く言うのが生き甲斐のような、SやOなどというのもまだ居るが、自分と違う意見を持つ人の中に入ると簡単に論破されて鼻白んだ姿を晒すのだから、国民が何を考えているのかを汲み取る勉強をしたほうが良い。浮きまくった少数意見だとしか思われていまい。
反日・護韓で統一していた番組も、このところ渋々ながら韓国批判をするようになった。
是は是、非は非として公平にとらえないと、もはや通用しなくなったということかも知れない。

反日で左翼的思想を主張するのがジャーナリストなのだと思っていたら、時代錯誤も甚だしいのではないのか?
彼らの言うことに従わない人を右翼だと決めつける手法も、もはや陳腐としかいいようがない。
もしそうだとしても、左翼よりよっぽど良いと国民の多くが思うようになってしまったのだと感じる。
右傾化などと言われて怯んでいては国の安全は保てないし、彼らのような自国を悪くいうだけの主張に辟易した国民の大半は、極めて正常な中道精神で物事を判断するようになったということであろう。
判断材料となるニュースは、マスコミの報道以外に手に入れられるのだから、見くびらない方がよい。
何でもかんでも政権批判に結びつけようとしたところで、底が割れて、報道への信頼を失うだけである。たまには成果を認めて褒めることも織り交ぜないと、偏りが際立つだけで終わってしまうように思うが・・・

2018年1月16日火曜日

自ら信用を阻害することばかりする感情国

慰安婦合意は再交渉すべきだと考える韓国人は63パーセントだというが、日本における反応は、そんな程度のものでは収まらず、慰安婦追加要求拒否、支持83%…(読売世論調査)だという。殆どの日本人がもはや拒否反応を示している。断交まで求める人も多い。
大統領が替わるたびに蒸し返されてきた問題は、そもそもが検証もされていない捏造によるものが多く、エビデンス無しということが次々に明らかになってしまった。日本側はずっとゆえない言いがかりに耐え、不当な貶めにも我慢して譲歩してきたが、これ以上は相手にできないという段階になったのだと思う。

交渉や約束というのは、相手が人であればこそできる。
人類は多様な人種や国が存在するから、当然のこと事前に国際間でルールを決める。
好き勝手をやってよいなどということはない。
人たるの最小限の取り決めである。それが根底になくては話し合いは不可能である。
国対国ということになれば、政権の体制が変わっても、その後を継いだ国は、前政権の約束を引き継ぐ。それも国際間でのルールとなっている。きわめて当たり前なことである。
ソビエト連邦が崩壊しても、後を継いだロシアは従前の約束を守るし、中華人民共和国だって同様である。
それが一人韓国だけは、大統領が替わると、前政権に不満だったことを恨みとして蒸し返し、前の親分の政策を必ず否定するところから始まる。即ち、人として育ち切っていない。

「嘘」というものを匡すということができないから、嘘がばれそうになると更なる嘘を重ねるしかなくなり、それはどうにもならなくなってしまう事態にまで行きつく。
今回の慰安婦合意は、区切りをつける最後の機会だったのではないのか。
合意内容は、韓国側の全面的な負けであることを秘密にせざるを得ないことを明らかにした以外のなにものでもあるまい。もう嘘はつき通せなくなっていたという他ない。

大自慢の表音文字ハングルに、約束という言葉はあるのだろうか?多分、日本語由来の言葉として軽視されているのではなかろうか。
同音の語で意味が違うものの区別が難しいという言語的弊害に気づいて、一部漢字表記も併用することを復活させようとしたらしいが、その改革は説明もなく立ち消えになったという。
中国では認めているが、中国内で使用している言葉の多くが、日本が近代化していく段階で造りあげた熟語に由来しており、それなくして現代社会が成り立たないとあの中国でさえ理解している。
韓国も改善を意識した途端、如何に日本の影響が色濃いかに気づいて愕然としたのであろう。
反日が行き過ぎて、取り返しがつかなくなってしまっていたということになる。

日本の製造業は、根幹技術となる基礎研究がそれらの地道な努力の積み重ねによりなされているから強い。基礎研究は応用が効くからである。
韓国のように、パクリによっておいしい所どりしてきたことの延長では、今後日本に太刀打ちできないことになるのは明白であろうが、嘘からでていることへの反省がないから、日本が手を引いたら自力では難しからう。
親切や誠意に対するに仇為すことばかりやってきたことを、世界は見てきて知っているから、味方となって助けてくれる国はこの先あるまい。

西欧列強が植民地支配するときに使った愚民化の手法は教育しないことであったが、その逆バージョンで、日本憎しの教育を続けてきたツケは余りに大きい。

2018年1月15日月曜日

血圧によい赤ビーツ

 赤ビーツは植物分類上はアカザ科に属し、カブの形をしているがカブの近縁種ではない。
この赤ビーツは名のごとく極端な赤色の色素を含有しています。この赤色は、アントシアニンではなくベータシアニンであるという。
 日本では馴染みの少ない野菜であり、栽培面積が少なくて店頭にはほとんど出回らない野菜であったが、最近目にすることが多くなった。瓶詰めなどの加工されたものも見られます。
糖分が17%前後含まれているシュガービートに比べると糖分はずっと少ないが、甘さは幾分かは感じられ、食べたときには若干の土臭さがあります。
 食べ方としては、皮ごとゆでてから調理する場合が多いが、ピクルスにしたりサラダに入れたりして食べられます。
また、世界的に有名なのはロシア料理の「ボルシチ」であり、ヨーロッパではスープとしても利用されています。
ジューサーで牛乳と一緒に回して飲むのもよいが、かなり濃いので多少飲み難い。
赤色の色素は細胞から出やすく、料理の色づけには良いが、逆に付きすぎるくらいで、生のビーツを切るとまな板や包丁が真っ赤になるので注意が必要です。
このビーツというのが、日本のキクイモと並び血圧降下に効くのだという。


2018年1月14日日曜日

インパクトガラス

1500万年前に落下した巨大隕石の落下によって生まれたクレーター。
その盆地の形状を利用したという、円い夢のようなネルトリンゲンと呼ばれる典型的な中世城塞都市がヨーロッパにある。
ロマンチック街道の一つの町としても名は知られているが、ドイツなのだろうかチェコなのだろうか?

チェコのモルダウ川流域から発見されたことで、モルダバイトと呼ばれる鉱石がある。
地球にそれまで存在しなかった成分が含まれているというモルダバイトは、テクタイトという隕石の落下の際に形成される天然ガラスの一種で、旧チェコスロバキアから発見される緑色・または、褐色がかった透明帯びた外観で、ガラス光沢を放っている。表面には隕石落下の際の超高熱による融解による独特の凹凸があり、内側には気泡や流動状の波が確認されるものもあります。
装身具などに加工して土産物としても売られているというが、そこそこ高額らしい。

隕石落下の衝突の際に発生する膨大な熱量が地表の鉱物・気体と混ざり合い、岩石などが融解・飛散し、冷やされ固まり、生成されたガラス質の鉱物がテクタイト呼ばれます。
モルダバイトのように隕石落下の衝突で飛ばされ形成させたテクタイトは"インパクトガラス"とも呼ばれます。
他のテクタイトの仲間では、エジプト西部で発見される"リビアングラス"なども有名です。

2018年1月13日土曜日

酒焼けした人を見かけなくなった

正月はお酒を飲む機会が多い。最近は見ることがなくなったけれど、昔は酒焼けといって、飲み過ぎが習慣化した結果、顔が赤黒くなってしまっている人がいたものです。
「サカヤケ」と「サカヤキ」赤と青。1字違いで随分異なるものです。

時代劇を観ると、男は前頭部から頭頂部にかけての頭髪を反り上げ、髷を結った姿をしている。この剃った部分を月代という。
さかやきを剃った髪型のことを半髪と表現するのだという。
月代を「サカヤキ」と読むのはどうしてなのだろう?
兜を被った際に頭が蒸れるのを抑えるために始まった風習とされが、平時は側頭部および後頭部の髪をまとめて髷を結ったのだというが、時代劇等で一般男性の髷としてなじみとなっているのは銀杏髷であり、髷が小さい丁髷とは異なる。
髷を解いた髪型を「童髪(わらわがみ)」といい、「大童(おおわらわ)」の語源となっているのだとか。
武士階級でなくても月代を剃っているのは、蒸れとは関係なさそうに思えるのだが・・・

「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説あるらしい。
一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められていると、ウィキペディアに出ていました。
文明開化により髷を落とし、現在では、髷を結っているのは相撲取り以外で見ることがない。


2018年1月12日金曜日

理屈にもならない理屈では

オリンピックがあることで、南北朝鮮の会話が持たれたようであるが、根本的問題にいきつくことはなく、時間稼ぎに利用されるだけであるのではないのかとの危惧が強い。
南も北も、約束を守るということに信頼性がおける民族であるとは思えないからである。

処女が子を産んでも言うべき言葉がある
処女が子を宿すはずはないが、それでも産んだのには理由がある。つまり「何にでも理屈はつけられる」ということ。
自分に分がないことでも、一点でもいうべきところがありさえすれば、それを大声で主張し、相手がひるんだ隙を見てさらにたたみかける。自己主張の強さが韓国人は尋常ではない。
『韓国朝鮮ことわざ辞典』(金容権・著)によれば、そうした諺は、朝鮮人のもつ特性の一端を実によく表しているというが、日本人の感性では理解できない。

「豆の一粒も分けて食べろ」という諺が韓国にはあるのだとむかし聞いたとき、僅かな物でも分け合う民族なのだと感心したのだったが、今はそう思わない。
彼らに博愛だとか平等だとか対等などという概念は育っていない。
自分が持っていないものであれば、たとえ豆一つという僅かな物でも取り上げてしまおうという自分勝手な考えから出ているのだということが、他の諺を見れば容易に推定できる。ググってみればいくらでも出てくる。

「いとこが田畑を買えばお腹が痛い自分より他人がよくなるのが妬ましい。というのでも判る通り、自分が努力するよりも近しい人の成功は我慢ならないという感性からきているのだと思う。
彼らはどういうわけか、自分に親切にしてくれたり優しくしてくれる人を、食い物にしようとするケがある。
日本などは格好の餌食であった。
何をどこまで譲歩し、援助を続けても飽くことがない。
国が悪いのか国民が悪いのか知らないが、ニワトリが先かタマゴが先かというのと同じで、彼らが気づくまで変わることはなさそうである。
国交断絶というほどの極端なものでなくても、もうそろそろ付かず離れずの距離をとった方がよさそうである。
慰安婦合意は、実質的破棄に等しい。蒸し返しの理由は上記の通りの感性からである。
世界有数の売〇婦輸出国であるとされているのが諸国の認識であろうが、それを改善するような動きは全く見せないまま、いまだに像の設置に勤しんでいる。

今後は、韓国がロビー活動しまくって米国などで教科書にまで捏造歴史を記載させたようなものを、訴訟などにより訂正していくしかない。
「天皇からの下し物として、日本軍兵士に14歳から20歳の少女が性奴隷として与えられた。」などという記述は常軌を逸していよう。
こんなことになった原因でもある朝日新聞の責任は重い。