2018年7月30日月曜日

聞く側の姿勢も必要

TVをみていたら、自分の手掛けた事業が成功した人たちが出てきて、いろんな意見を述べていた番組があった。
それぞれに今までと違った観点や手法を見つけ出して成功したことは間違いない。
なるほど、そうすることがうまく行く要因であったのかと理解できることが多かった。
しかし、常識を否定するような表現があったことには違和感を覚えた。
いわく「常識というのは個人個人で違うのだ。」というのである。
今まで常識とされていて、そこから違う見方をしてみたら、別の工夫ができるというのならその通りであろうが、それが常識を否定することに結びつくようなことではあるまい。
常識というのは、社会生活をしていくためのベーシックとしての共通認識として、多くの人が争わずにすむように培ってきたものではないのか?
意見・主張が人それぞれだということと、常識と一括りにしたものと較べるのは、論理的ではない。言葉の定義をしないでものを言うと紛れが出る。
それを混同すると、ドキュンと言われる人たちをも認めざるを得なくなるではないか。
常識というのは、その殆どが「法」としての制限は受けないまでも、それに次ぐ規範となっているものが多いのである。

思い込みというのが強くないと成功を収めることは難しいということはその通りであろうが、それが強すぎれば、受け入れられないことが多くなることも事実であろう。
会場にいた聴衆が、常識というのを否定することに賛成するような反応をみせていたことに、
人前でものを言う人の責任の大きさを感じさせられた。


2018年7月29日日曜日

ご無沙汰している場所だが

こうも暑い日が続くと、涼を求めて涼しい山にでも行きたくなるが、登山とまでなると、昔と違って体力的に難しい。
せいぜいがトレッキング程度ということだろうけれど、それも出かけるとなると勇気が要る。

さして苦労もなく涼と風景を楽しめる西沢渓谷なんかが良さそうだと思っている。
昔は山登りをする前の足慣らしに度々行ったものだった。
コースに入るところにある駐車場近くの店で、ヨモギ餅を食べるのも楽しみであった。
沢沿いに登るから涼しいし、流れている渓流はコバルト色で、特に滝つぼなどは緑色が濃くて、目を楽しませてくれる。
水が深いから緑色に見えるということではなく、川底にある花崗閃緑岩という石からの反射がそう見せるのだとか。


春は花が、夏は緑が、秋は紅葉が美しいから、お奨めの場所です。


2018年7月28日土曜日

何を知らせたかったのだろう

先日TVを見ていて仰天するニュースを目にしたのだが、未だに気になっている。

交差点を渡っている救急車の側面に乗用車が衝突して救急車は横転。はずみで搬送されていた老女と救急隊員が路上に投げ出され、老女は死亡した。
動画画像が放映されていたのだが、その後のコメントがなんともやりきれなかった。
事故に遭った救急車の運転手は処罰対象になるのだという。
なんとなれば、救急車が信号無視で進むことはできるが、それは事故が起こらなければ問題ないけれど、事故が起こった場合の法は整備されていないので、一般的な交通法規が適用されるというのである。
衝突した側の運転手がどういうことになるのかの説明はなかった。いつもの例で、自分は悪くないと言い張って終わりになるのだろうか?

まあ日本ではなくてK国の話だからとやかく言っても仕方がないが、動画付きで放映した意図は何なんだったのだろう?
他所の国のことだとはいえ、後味が悪いこと夥しい。


2018年7月27日金曜日

素麺と冷や麦は太さの違いなのだとか

夏の暑い時季には冷たいものを食べることで、落ちてきている食欲を補う。
その時に食べるのが、ソーメンであったりヒヤムギであったりする。
解かっているようで以外に知らないでいるのが、「素麺(そうめん)」と「冷麦(ひやむぎ)」の違い。
それは、太さによって区別されているのだという。
JAS(日本農林規格)では、乾麺の分類分け(機械製麺)を次のようにしています。
 そうめん:直径1.3mm未満
 
ひやむぎ:直径1.3mm以上、1.7mm未満

ただし、手延べの場合は、1.7mm未満であれば、「そうめん」でも「ひやむぎ」でも、どちらで名乗ってよいことになっているそうです。

ついでに付け加えると、直径1.7mm以上の麺は「うどん」。幅4.5mm以上(厚さ2mm未満)で「きしめん」となります。

そうめんは、奈良時代に中国から伝わったものが元とされているそうです。
その後鎌倉時代~室町時代頃に、中国から麺を手延べする方法が伝わり「索麺(そうめん)」が誕生し、その後「素麺(そうめん)」になったと言われているのだという。

ひやむぎの起源は室町時代に登場した「切麦(きりむぎ)」。うどんを細く切って作られていたことから、「切麦」と呼ばれていた。
その切麦を冷やして食べるのを「冷麦」、温めて食べるのを「熱麦」と呼び、今の「冷麦」は、そこからきているのだとか。
麺の中に、ピンクや緑など色の付いた麺が入っているのを見かけることがあるが、これは違いがわかりづらい「そうめんと冷麦」を区別するために、「冷麦」の方だけに色付き麺を入れたのだという。

冷たく冷やし、薬味を入れたツユで、ツルツルと吸い込んで食べるのは、夏の醍醐味です。


2018年7月26日木曜日

「おにぎり」と言うか「おむすび」と言うか

英語ではライスボールというらしいが、なんとも味気ない訳語のように感じる。
ところで、それを「おむすび」というか「おにぎり」というかということになると、どう区別するか明確な説明というのはなさそうである。
広辞苑では、どちらも同じだとしているようだが、これも味気ない。
おにぎりというのは、弥生時代に既にたべられていたのだという。

区別については諸説ある。
「おにぎり」というのは、飯を強く握り固めた「握り飯」がその原型だとされる。
「おむすび」は、平安貴族の女性が握ったものを「おむすび」と呼んでいたのが始まりとされる。
形から区別されているのだともいえそうである。
日本人は山を神格化していて、その山の神の力を授かるために、山形すなわち三角形にむすんだものを「おむすび」と呼んだ。
三角形のものには、ピラミッドをはじめ、宇宙のパワーが降りてくるようであると感じていたのではなかろうか。
盛り塩も、三角形になるようにするのが正しいのだという。
「おにぎり」は、丸でも俵型でも三角形でも、飯を握ったものをそう呼ぶというのだが・・・

工夫をこらした「おむすび」には、食べる楽しみがある。


2018年7月25日水曜日

両手に沢山荷物を持っていると

数字を使った表現というのがいろいろあって面白い。
数字ではないが、最近、名前の後ろに△をつけるというのがある。〇ではないのに誉め言葉なのだという。
三角形というのを、~さんカッケイ(格好イイ)ということなのだという。

腹に一物両手に二(荷)物というのがある。
腹黒い人が荷物を沢山持っているのを揶揄してのことか?

酒と女は2ゴウ(合・号)まで、というのは、かなり年取っている人たちが、酒を進められたときの断り文句で昔は使った。

2升5合というのも昔は使われた。升升半升(益々繁盛)という語呂合わせであった。

この手のものは、探せば沢山出てきそうである。


2018年7月24日火曜日

調べてみたら大師と呼ばれる僧は多かった

弘法大師と伝教大師は有名であるが、それ以外の大師ということになると馴染みが薄いけれど、他にも大師と呼ばれる僧は居た。
大師(だいし)は、高徳な僧に朝廷から勅賜の形で贈られる尊称の一種で、多くは諡号である。ざっと調べてみたら、下記のような名が連ねられていた。聞き覚えのある名もあれば、初めて目にする名もありました。
天台宗
傳敎大師最澄・慈覚大師円仁・慈慧大師良源・智証大師円珍・慈摂大師真盛・慈眼大師天海

真言宗
弘法大師空海・道興大師実慧・法光大師真雅・本覚大師益信・理源大師聖宝・興教大師覚鑁・月輪大師俊芿

融通念仏宗
聖応大師良忍

浄土宗
円光大師法然房源空
加諡された正確な大師号は、 円光(東山天皇1697)・東漸(中御門天皇1711500回忌)・慧成(桃園天皇1761550回忌)・弘覚(光格天皇1811600回忌)・慈教(孝明天皇1861650回忌)・明照(明治天皇1911700回忌)・和順(昭和天皇1961750回忌)・法爾(今上天皇2011800回忌)大師(8つ)。

浄土真宗
見真大師親鸞・慧燈大師蓮如

時宗
証誠大師一遍

臨済宗
無相大師関山慧玄・微妙大師授翁宗弼・円明大師無文元選

曹洞宗
承陽大師道元・常済大師瑩山

黄檗宗
真空大師隠元

日蓮宗
立正大師日蓮19221013日に下賜される。


2018年7月23日月曜日

目赤不動や目黄不動というのもある

歌舞伎の市川團十郎といえば、「成田屋」が屋号。市川家は、成田山新勝寺近くの出なのだという。成田山の不動明王の「睨み」がお家芸とされている。

明王とは、仏像を分ける時に使う言葉で、如来、菩薩、の次の分類名になります。
如来が通常の姿でいたのではいうことを聞かない衆生がいたら、屈伏させることを目的に、忿怒の姿に変身したものが明王で、密教の尊像とされる。
大日如来の命を奉じ、非常に強い力を持ち、悪を打ち挫き仏法を守る存在との意味付けがされている。

火生三昧という炎の世界に住んでいて、人間界の煩悩や欲望が仏の世界に波及しないよう、聖なる炎で焼き尽くすと言われています。

不動には、五大明王と呼ばれる「不動明王」・「愛染明王」・「孔雀明王」・「烏枢沙摩明王」・「降三世明王」などがいて、おのおのその働きがわかれている。

目黒や目白は有名であるが、東京には、五色不動というのがある。
目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の五つである。

2018年7月22日日曜日

まだまだ秋は先だというのに

この暑さが続いているというのに、夜にはコオロギが鳴いている。どうなっているんだろう?
日本語で「泣く」という語に関連するものには、鳴く・啼く・哭くなどの文字が思い浮かぶ。

漢字で書けばそうだが、言葉の音だけで言えば「なく」という一語だけである。
動物や虫が鳴くのもそうであるが、大抵は副詞がついて、どんな泣き方なのかが説明される。
わんわん(人間)・ワンワン(犬)・ニャアニャア・チュンチュン・カァーカァー・リンリン等々。

英語で泣くを表現するものには、 cry / weep / sob / wail / whimper / shed tears などの表現があり、それぞれ意味が違う。すなわち「泣く」を表す動詞の数は多いように感じる。

動物の名前なども、日本語では子牛・雄牛・雌牛・野牛などのように、本体が牛であるなら一語つけるだけで整理できるが、英語cow, beef, cattle, bull, ox, calfなど様々な表現があります。
名詞も数が多いということになる。
どちらが良いのかは判らないが、論理的に考えるときには本体が何であるのかが解っていたほうがよさそうに思える。
では、語彙数はどちらが多いのかというと、日本語の数が少ないということではなさそうだから、言葉というのは単純には比べられない。


2018年7月21日土曜日

大昔から学問を大事にした

世界の陸地面積は、およそ1億4千7百24万4千平方キロメートル。人口は70億人と言われている。
その中にあって日本の国土面積は37万平方キロメートル(0.25パーセント)、人口は1億2千300万人(1.75パーセント)に過ぎない。資源も決して豊富ではない。
それでいて西欧列強は、諸外国との交易を断っていた極東の島国である日本を、支配して植民地化することはできなかった。
しかも鎖国を解いてほんの数十年で、世界の3大強国である米・中・露と戦争をしたのである。そんな国は日本以外にはない。
アメリカには負けたが、その他の国と戦って敗れたことはない。
敗戦により壊滅的な打撃を受けて焼け野原と化した国が、半世紀も経たないうちに、戦勝国をしり目にまたまた世界の経済大国として躍り出てしまったのである。
その原動力となったのは一体何なのだろうか。

一つには教育というものがありそうである。学校での勉強というもののことではない。
万葉集というのがあるが、それに収録されている和歌は、貴族など上流階級のものばかりではない。他国でなら下層階級の扱いしか受けないであろう身分の者の歌も多数含まれているのである。即ち、身分は低くても文字が読み書きでき、その携わっている仕事も認められていたということになる。体を使い額に汗する仕事をする人も、手足を使い物を造り出す技術をもつ職人も、決して軽んぜられるようなことはなかった。
上に立つ者が、民と共に汗をかくことを厭うようなこともなかった。

こういう土壌がないと、技能が伝統として継続進化する文化は育たない。家業として受け継がれることなく廃れてしまうものが出なかったことで培われた底力というのも大きいに違いない。
何をするにも継続されていることで育った基礎力というものがあった。

それでも及ばないものがあれば素直に学び、それをより良いものに改善する努力を惜しまなかった。
しかもそれらは、自分さえ良ければという発想には結びつかず、人々の役に立つことをするのが喜びであった。
そればかりではなく、他人の技術をパクッて、それで得をした気分になるようなことを潔しとしない民度があった。自分が研鑽することで感じるものが、他人の努力を認め敬うことができたからであろう。
恥になることや他人に迷惑をかけることなく、公のために尽くすということが自然にできるのが、誰に言われなくとも身に染みついていた民族であったからだと思えてならない。

目先の損得ばかりを教える親が増えてきていないだろうか?地道な努力で基礎力をつけておかなければ、その場凌ぎはできても長持ちはしない。

2018年7月20日金曜日

通じないとは思えない和製英語

和製英語というのがある。日本では通用するが、外国では通じないのだとされている。
ガソリンスタンド gas station
ベビーカー baby carriage
キーホルダー key ring
イメージガール promotional model
チェンジレバー gearshift
Etc.etc.沢山あるが、英語圏では本当に通じないのだろうか。

しかしながら、これは意外に便利だということで研究している外国人学者が居るのだとか。
雄鶏をcock 又はrooster、牝鶏をhen 、雄牛をbull、雌牛をcow、子牛をcalf と言う風に名付けるより、日本語風に分類する方が便利だし解りやすいともいうようである。
言語というのは文化に根差しているからそれぞれに違いがあって当然であろうが、グローバル化していく世界では変わっていくのかもしれない。

双方に、どうしても適当な訳語がなくて、そのまま使う例も増えているという。


2018年7月19日木曜日

授業ではわからなかったこと

推古天皇の摂政であった聖徳太子が、隋の皇帝である「煬帝」に宛て、遣隋使である小野妹子に持たせた国書、「日出る処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」というのが、煬帝を怒らせたという歴史を、学校で習ったことがある。
「日没する処の」という文言が怒りを買ったという説明だったように思うが、煬帝が単なる地理的なことからくる太陽の動きを解からないはずがないから、そんなことで怒ったのではあるまい。

いずれにしても、中国の文化を学ぼうとしている時に、相手を怒らせてどうする、ということが力点であった。
しかし、遣隋使はその後も続いたことから見ても、怒りはしたが日本の立場を容認するしかなかったということになる。
聖徳太子の狙いは、中国の王しか使えないとしていた「皇」の字を、日本も「天皇」と使うことで、対等の国であると認めさせることにあった。
中国近辺の国は、中国の冊封政策に組み入れられ、朝貢することで王として封ぜられる属国扱いの時代であったから、かなり思い切った国書であった。
しかし、当時の隋は朝鮮半島の国との軋轢を抱えていたから、日本まで敵にすることはできないであろうとする、聖徳太子の的確な読みがあったのだという。

豊臣秀吉の朝鮮出兵は愚かなことであったとも習った。
本当にそうだったのだろうか?
当時はポルトガルが世界に覇を唱え、東南アジア諸国を植民地化していた時代である。
宣教師を先兵として送り込み、人心を攪乱して後に乗り込んで征服するという手法は秀吉に見破られていた。
手つかずでいた中国と朝鮮半島がもしも植民地化されたら日本が危うくなる。
先手を打ってここに強大な軍事力で楔を打ち込めば、敵の狙いは潰える。
そこで見せた軍事力は、ポルトガルを畏怖させるに十分であった。
これが彼らの拠点であるルソンに向けられたらひとたまりもない。
侵略を諦めさせる結果は確実に得られたのだと思う。

それにしても、そんな昔にどうやって国際情勢を読むことができたのだろう?
我々が思っている以上に、情報収集能力を持っていたのだと思えるのである。

2018年7月18日水曜日

自分達も敗戦国だと理解できないのだろうか

論理的思考の原点が欠如していると、変な言葉を創り出しても、それが変だと感じることができなくなる。当然のことながら論理矛盾に気づけないから、治ることには期待できない。
例えば、サッカーの試合で、未だに「戦犯国」だとか「戦犯旗」などと韓国人が口にする言葉。
敗戦国という言葉はあるし、確かに日本は敗戦国といえるであろう。しかし、戦犯国などではない。戦争は、極端な方をすれば、国際法上は違法とされていない。
敗戦国と呼ぶなら正しいとしても、それを言うなら韓国もそうなのだと理解することすらできないくらい、彼らの脳内回路は痛んでしまっているらしい。
日本軍と実際に戦火を交えた旧連合国の中で、日本国を指して「戦犯国」とか「戦犯国民」などと呼んでいる国はない。唯一、旧連合国とは無関係な韓国人だけがそう呼んで、日本を嘲笑して憚らない。しかし、哀れなことに韓国は戦勝国ではない。気の毒だが、如何に偉そうなことをいったとしても韓国は戦争で勝ったということが一度もない国である。
そもそも、まず「戦争犯罪」とは何なのだろうかということを考えられなくては、論理が組み立てられまい。
戦争犯罪とは、具体例をあげれば、戦場における市民の虐殺、毒ガスの使用、捕虜の虐待などを意味する。戦争にはハーグ条約やジュネーヴ条約などで予め定められた国際的なルールがあって、それに違反する行為が戦争犯罪に該当する。
日本が日中戦争や太平洋戦争等で戦争犯罪を行った事実はあり得たであろうが、同様な犯罪は戦勝国側にもあったのであり、同じように当時の連合国もまた「戦犯」の責を免れないことは当然である。しかし、この点で相互主義や平等性の原則が適応されなかった極東軍事裁判のアンフェアさは指摘しておく必要がある。
ただ、敗けた側が一方的に責めを負わされるのは致し方ない。それが戦争というものである。
そういう意味でも、当時の朝鮮人(韓国人)は、日本軍の戦争犯罪側にいたのである。
将校クラスも少なからずいて、兵士に命令する立場だったから、「当事者」だったといえる。次に、捕虜収容所の監視員として、多数の連合軍捕虜を虐待したともいわれる。韓国人のBC項戦犯148名のうち、大半はこの監視員である。彼らは強制徴用されたわけではなく、すべて志願だ。つまり、連合国史観によれば彼ら自身が戦犯と認定された身である。
終戦後、韓国は必死になって連合国側の一員であったとしてくれと泣きついたが、にべもなく拒否されたというのが歴史事実である。韓国も紛れもない敗戦国なのである。
それにも増して、戦争犯罪というなら韓国がベトナムで行った戦争犯罪は、20世紀後半では最悪の一つに数えられる。
地上戦での虐殺、無差別爆撃、化学兵器の使用などで、一説には200万人くらいのベトナム人市民や農民が虐殺されたと言われている。そのうち、のべ32万を派兵した韓国が犯したのが地上戦での虐殺である。韓国軍は次々と農村を殲滅していったが、その特徴は女性や子供などを嬲り殺すという異常なほど残虐なものだったという。
そういうことには口を拭って、日本を「戦犯国」などと呼んで恥じない思考回路というのは、どこからきているのであろう。

旭日旗についてもそうである。韓国以外の諸外国は、旭日旗に敬意を払っているし、その使用について廃止を求めたりしていない。だとしたら韓国の考え方がおかしいのだとの疑問をなぜ持たないのだろうか?
慰安婦についても同様であろう。当時の韓国の人口は約2300万人であり、そこから20万人も強制連行したら大暴動が起こっても不思議ではない。韓国の男が全て腰抜けであったと認めるならまだしも、そんなわけはあるまい。
1件も連行を阻止しようとする暴動がなかったとしたら、強制連行などというものはなかったのだと考えるのが論理的思考というものである。
論理矛盾を越えてしまう感情的暴走を優先させてしまう国情では、事実を解明するような学問は無理ということになる。即ち孤立する道を選ぶしかないということになる。


2018年7月17日火曜日

職人と客

着物一枚帯三本といわれる。着物が一枚しかなくても、違った雰囲気の帯が3本あれば、3枚着物を持っているのと同じくらい、着こなしの幅があるという意味で使われるようだが、そればかりではあるまい。
日本の職人というのは、自らの技量を高め、使う人のことを考えて仕事をした結果なのだと思う。
職人が成してきた仕事に関連して、一・二・三のように数字を振るものが多い。

昔から茶道を嗜む人たちが「一楽二萩三唐津」と呼んで、茶碗の中で特に好まれたのが、楽焼・萩焼・唐津焼であると言われています。

楽、萩、唐津とも400年以上の歴史を持ち、その時代時代の要望に応えた変化をしながらも、伝統の技術を守る職人の努力によって、実用品としてばかりではなく、芸術品としての域にまで、その価値を高めてきた。

楽茶碗は、ご存知の通り、わび茶の世界を完成させた千利休が創案し、楽家の初祖の長次郎に茶碗を作らせたのが始まりであるとされる。
ろくろを使わず、手で捏ねて成形し、ヘラで削って形を整えます。
釉薬の色は黒(黒楽)と赤(赤楽)があります。

萩焼は、山口県萩市を産地とする焼き物で、初代は坂高麗左衛門。
朝鮮の役に参加した毛利輝元が朝鮮から連れて帰り、その後帰化した人である。
そのため萩焼は、土味、素地の景色、釉薬など、古い朝鮮茶碗と大変に似ているのだとされる。
一般に口が開き、高台に向けてすぼまるすり鉢のような井戸形の茶碗が多く、絵も付けないため、非常にシンプルな形状の茶碗である。
萩役の釉薬は土よりも縮み方が大きいため、貫入とよばれるひびが入っているのが特徴。
使いこむと、そのヒビに茶が染み込んで独特の景色を生み出し、味わい深く変化していくことから、これを、『萩の七化け』と呼び、茶人は珍重した。

唐津焼は佐賀県唐津市界隈で生産される焼物です。
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世紀後半にはこの地域に窯が築かれ、朝鮮半島への出兵後に、朝鮮半島から同行してきた陶工たちが、祖国の技術を伝えたと言われている。
花鳥、草木などの絵付けされたものを絵唐津と呼びますが、土色の器肌と素朴で伸びやかな絵柄の茶碗は独特の雰囲気を生み出し、古くから茶人に好まれた。