2018年8月31日金曜日

酷似していたって一向に構わないと思うが


パスパ文字と呼ばれるものがある。 元朝の皇帝フビライの命により,チベット人の八思巴( パスパ)が作った音節文字で、1269年に公布され,1368年まで用いられた。方形文字ともいう。

少し古いかも知れないが、ネット上に以下のようなものが出ていた。
2016929日、韓国・ニュース1によると、ハングルは世宗大王が独創的に発明したものではなく、チベットで生まれ、モンゴル帝国の公式文字となった「パスパ文字」であるという主張が飛び出した。また、「ハングルは漢字の音を韓国語で表記するために作られた」という主張もあり、従来の教科書の内容を覆すものとなっている。

「ハングル」は、朝鮮王朝第4大王の世宗(セジョン)が民衆のために制定した文字と言われている。一方、「パスパ文字」は、モンゴル帝国の大元ウルスの国師であったチベット仏教の僧侶・パスパがクビライ・ハーンの命を受けて制定した文字で、自国の言語を漢字で記録することが困難なため、表音文字を別に作ったとされている。

韓国の代表的な書誌学者である高麗大学のチョン・グァン名誉教授(76)は30日、 嘉泉(カチョン)大学で開かれる「ユーラシア文明とアルタイ」国際学術大会において、同内容の論文を発表することになっている。チョン教授が発表する論文「アルタイ諸民族の文字制定と使用」によると、まず、ハングルとパスパ文字の文字数が同じであるという。ハングルは子音32文字と母音11文字の計43文字であり、これはパスパ文字の43字母と一致している。

また、チベットを統一したソンツェン・ガンポ王が古代インドで流行した音声・文法理論である毘伽羅論を応用して新たな表音文字を作り出した影響を受け、78世紀以降、中国の北方民族たちは新国家を建国し、それに伴い新たな文字を制定する伝統があったという。膠着的な文法構造を持ったアルタイ系統の言語を使用する民族にとって、漢字は自分たちの言語を表記するのに適していないからだ。このような伝統が朝鮮半島にも伝わり、朝鮮の建国とともにハングルの制定につながったというのが、チョン教授の主張だ。チョン教授は、「毘伽羅論は、仏教記録を通じて朝鮮にも伝わった」「麗末鮮初期の多くの学僧らが学んでいたため、これがハングル制定の基本的な枠組みになった」と明らかにした。

チョン教授は、朝鮮を開国した太祖・李成桂の家系とパスパ文字のつながりについても指摘している。彼の父親である李子春は元に帰属しており、一時期は千戸の官職も務めたとされている。このことから、李子春のひ孫である世宗が文字を制定するにあたり、パスパ文字の影響が大きかったことが推論できるとしている。

さらにチョン教授は、訓民正音がパスパ文字のように漢字音を自国語で表記するために制定された文字であると主張し、「初めは漢字音の表音のために記号を作ったが、パスパ文字のように韓国語と韓国の漢字音の表記にも使われ、急速に一般民衆の生活文字として広まった」と明らかにした。

日本人が言ったのではなく、韓国の学者の研究によるものである。
これを受け、韓国ネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。以下はその一部であるが、感情的でしかない。

「ハングルの語源がモンゴルのパスパ文字だったとは…考えたこともなかった」

「この世に100%独創的なものなんてない。みんな盗んでマネして肉付けして。だからハングルもそうだったんじゃない?」
「モンゴル文字を参照したのはみんな知ってること。それを開発して普及させて書くってことも創造の一環でしょ。世宗大王万歳!」

「面白い主張だね。確かに、世宗が訓民正音を作る時、世界各地から言語書籍を集めて学者たちと研究して作ったようだし、パスパ文字もその一つだったのだろう。でも、ハングル特有の独創性は誰も排除できない」
「ハングルの独創性は、イメージを発音器官の表象に連結させた体系的発想にある(※ハングルの子音は口や舌などの発音器官の形をかたどって作られたと言われている)」

「国文学者のくせに訓民正音の解例本も見てないの?原理と文字がどう創案されたか書かれてるよ?」
「訓民正音の序文に目的が、本文に文字ごとの詳細が説明されてるっていうのに、何が言いたいの?」

「高麗大学の名誉教授で76歳なら、日本の植民地時代の教育を受けたってことだね。よく分かりました」
「その主張は、韓国人が中国の少数民族だと言うのと同じようなもの。で、今そのパスパ文字は使われているの?そんなに立派な文字なら広く使われているんだろうね?」

「何も李成桂の家系のことまで言わなくても…日本の植民地時代を生き抜いた大人たちが日本語を自由に操るように、世宗の時代も知識人たちはモンゴル語を自由に操っていたのでは?」(翻訳・編集/松村:引用)

まあハッキリ言わせてもらえば、そんなことはどうでも良い。学術というものに理解が及ばないでの議論など聞いてもしかたないし、パクリだったとしてもとやかく言うつもりもない。

ただ、世宗マンセー、ハングルまんせーで凝り固まり、韓国人の多くが他国言語や漢字を未開言語だの未開文字だと言い放ち、クソだのなんだのと公言して憚らない民度的狭小さが一般的であるのには呆れるしかない。
ハングルを自慢したいのが解らなくもないが(誇れるものが殆ど無いから)、そんなにご大層な文字があるのに、日韓併合がされる頃の朝鮮人の識字率は4~5パーセントしかなかった。
諺文(卑しい文字)として朝鮮内ですら広まらなかったのがかの国の厳然たる歴史である。
朝鮮人の識字率をあげようと、日本が埋もれていたハングル文字を教科書に取り上げなかったら、そのまま埋もれ続けた可能性だってある。

日本では、彼らが難しくって覚えられなかった漢字を含め、江戸時代には大多数の国民が読み書きできたのである。平安の昔ですら、世界に冠たる文学作品が書かれた。韓国にそのようなものはあるまい。圧倒的な差ではないか。

中国では認められているが、韓国だって日本由来の言葉が無かったら、学術はおろか日々の会話だって成り立つまい。
彼らが上から目線でものを言うときの言葉を使うなら「これリアル」っていうことなのではないのか?

2018年8月30日木曜日

部品が同じ?

ミスコンテストがあるらしい。
西欧諸国の人から、どの顔も同じに見えると言われてしまっている国があるが、まあ美容整形をするのは個人の自由だから、こちらが文句を付ける筋合いはない。

儒教の国だと言い張る割には、なにごとも都合よく解釈して平気らしいが、流石に先日見せられたミスコンテスト候補者の写真はひどかった。
何人かのコンテスト応募者が並べられていたのだが、見分けがつかない。

もっと凄いのは、A女とB女の目や鼻を入れ替えて、ビフォアー&アフターで較べた写真も表示されていたが(暇な人が居て画像処理したらしい)、全く見分けができなかった。

どうしてそうなるの?ということなのだが、人様のことだからワケを聞いても始まらない。
本人たちが好きでやっているのだから、元の顔と似ても似つかないことになっているに違いないが、お好きにどうぞと言うしかない。

百年前の朝鮮人女性、という写真があった。
いじらなくても、十分綺麗だと思うのだが・・・


2018年8月29日水曜日

謎の多い神社参拝順序

日本の神社の大元は、伊勢神宮だとされていて、誰も疑いを差しはさむことはないと思う。
伊勢神宮は125社の関係社をすべて総称して「神宮(じんぐう)」というのは、ご存知の通りです。
ご高承の通り、伊勢神宮を参拝する順序は、なぜか豊受大神を祀る外宮が先で、天照大神を祀る内宮が次だとされている。
更に不思議なのが、その125社の中のうちの1社である「伊雑宮(いざわのみや)」です。

伊雑宮は、伊勢神宮の内宮の別宮の中の1つのお宮になります。
この伊雑宮は、もう1つ別宮である「瀧原宮」と同様に、なぜか、伊勢神宮から、離れた位置に建立されていますが、別格のものだという。
離れた位置とは、伊勢市内ではなく、伊勢市外(志摩市 磯部町 上之郷)に位置しています。
そんなことから、この伊雑宮は、「志摩一ノ宮」とも呼ばれ、さらには、古からの重大な秘密が隠されているなど、色んな説が囁かれています。
その説の1つとなるのが、伊勢神宮の本宮は「内宮」ではなく、実はこの「伊雑宮」だともいわれていること。
天皇家、物部氏、秦氏と古代に入り組んだ事情があるらしいのだが、一般人には詳らかにはされて来ていないように思います。
神話の成り立ちの造化三神と何か関係があるのだろうか?
三位三体ともいわれることとはどのようなことなのだろうか。


2018年8月28日火曜日

好き勝手にできると思っているらしいが

韓国の法定記念日だとやらいう「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」(8月14日)の演説で
(まあ普通に考えると国が讃えるようなものとは思えないが)、
慰安婦問題について「韓日間の外交交渉で解決するとは考えていない」と断言した文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、その同じ口で対日関係の改善を希求しているのだという。

2015年の日韓合意で「最終的かつ不可逆的な解決」が確認され、解決済みとなった筈の問題を蒸し返し、あたかも棚上げの案件のように言って恥じないのでは、国際的な約束が守れない国だということを世界に公言したに等しい。
それでも日本とは仲良くしたいというのは、よほど困っていて「助けてくれ」と言っているのと同じだと思えるのだが、な~にを言ってんだかね。とてものことそれにつきあう気にはなれない。
大方の日本人が同意見なのではなかろうか。

韓国の勝手な理屈と都合で日韓関係が動くと思っていることが驚きである。
朝日新聞の捏造記事が発端となって持ち上がった問題であり、事実関係に疑義が多いこともあって国内の反対が多い中、日本側は譲歩に譲歩を重ねてなんとかまとめる方向で我慢したのである。
呆れ果ててものが言えない。ないことないこと(有ること無い事ではない)並べ立て、世界中に悪口を言いまくって日本を貶めておいて、よくそんな破廉恥な演説ができるものだ。

仏の顔も三度というが、三度どころではなく、この先もことあるごとに日本の悪口を言い続けることは火を見るよりも明らかである。
何となれば、捏造教育によって国民を長期に渡って洗脳してしまっているからである。
人道がなんたらかんたら言うのであれば、ベトナムでのことはどうするのか?今もなお世界中に輸出している〇春婦はどうするのか?

少しはましな人がいるならば、自分でオカシイと気づきそうなものだが、そういう人が居ても寄ってたかって圧殺してしまうらしいから、血がのぼった頭は冷えることがなさそうである。
すなわち、永久に関係改善を図る気がないということであろう。

関係改善というのは、双方がマトモでなくてはできない。
こちらはマトモだったのだが、冷え切ってしまっている。


2018年8月27日月曜日

漢字は有り難く使わせてもらっている

聞いた話だから定かではないし、出典がどこかもわからない。
豪州かどこかの人が、「日本人は恥知らずだ。未だに中国由来の漢字をつかっている。」と言ったのだそうである。中国人に阿っていったのかどうなのかもわからない。
それに対して中国人が言った言葉が凄い。
「貴方は何を言っているのだ。現在の中国が使っている重要な言葉の7割は、日本が明治時代に作ったものだ。それなくして中国の会話は成り立たない。日本人は中国でさえ崩してしまった漢字を大事につかっていてくれる。残念なのは、日本が尊敬しているのは自由が通用した唐時代の文化であり、現在の中国ではないことだ。」と応えたのだという。

文字は確かに漢字を使っているが、言葉は日本語である。
ローマ字を使っている人にとやかくは言われたくない。
漢字は、字自体に意味をもっているから非常に便利効率的で、端的にものごとを表せるから、論理的思考にも適している。
漢字を捨てた国が文化的に後れを取った理由というのも、そのあたりに原因がありそうである。


2018年8月26日日曜日

技が上達するだけで終わりではない

我が国における稽古事というのには、後ろに「道」という字が付くことが多い。
武道であったり芸道ということであったりするが、技量の上達だけを求めるのではなく精神面の向上ということに結びつき、極めると、スピリチュアル的には宗教ともいえるところに到達する。
武道などは、そもそもが人を殺傷するための業である筈が、それに止まるだけの技は卑しいとさえいわれる。学ぶにはまず作法から始まり、人を活かすということにいつの間にやら目的が替わってしまうのである。

最初は師匠について学ぶのであるが、基本的には「何故ですかと聞かない。」「同じようにやりなさい。」ということを言われて始まる。
教えられるからできるようになるのではなく、自らが理解できなければならないこととして、細かなことはいちいち教えないというのが普通であり、「力を抜くこと」と「呼吸の仕方」、少し進むと意識しないで動くということを見につけさせられる。

意識しない・力を抜く、ということになると、それでは一体誰がその業を為していることになるかという疑問に突き当たる。
しかし、正しい体の使い方をしていると、「それ」というしか言いようのないものが降りてきて、自分ではなく「それ」が無意識の中で働くようになるのだという。
「それ」というものが体得できたとき免許皆伝ということになり、師は弟子に独立することを促すのだという。

西洋にも騎士道と呼ばれるものはあるが、それはマナーであって、日本における「道」とは根本的なものが違うのだという。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年7月2日、第12部まで書き終えました。一応の区切りとしたい。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html

2018年8月25日土曜日

まだ個人責任の段階なのでは?

Mという学者さんが、イレズミを認めないのは「国際的な恥だとの持論をのべているのだという。
曰く、偏見・差別なのだと。
何をもって偏見だとか差別だとしているのかが解らない。偏見・差別というのは、自分では如何とも為しがたいことをもって区別されることではないのか?
身体的特徴であったり、肌の色であったり、親の職業や出生地であったりと様々であるが、それらは自分では責任のとりようがないし変えることもできない。
日本では、親からもらった体に敢えて傷をつけないということは、恥どころか「美徳」である。
外国の風習を全て受け入れることが進歩的であるとは言えまい。
自分の好みや主張があるのは当然であるが、意見としてそれを述べ他をも同調させようというのであれば、少しは説得力のある説を呈した方がよい。

外国人旅行者で、イレズミのある人が日本で温泉に入れないといったところで、それは日本のルールなのであるから守ってもらうしかない。そんなことくらいは出発前に知っているはずである。
日本の家屋で部屋に上る時には、玄関で履物を脱ぐ。M先生は、それも土足であがれるようにしないと恥だというのであろうか?文化を否定するという論なのかと疑う。
When in Rome do as the Romans do.
どこに行っても、その国の文化を尊重して、その地のルールを守るということを否定することはできない。

イレズミは個人の自由化もしれないから、それを否定するつもりはないが、それをしたことで起こる不自由を自らが選択したということであるから、それが怪しからんといって正当化しようというのには無理がある。
歴史的に見て、それを入れた人たちは反社会的な行動をとることが多かったことは事実だし、それをちらつかせることで威嚇の手段としてきたから、一般人には許容し難い感情があるのは致し方あるまい。
社会から受け入れられるような正当化の理由付けができるとは思えないから、なかなか大っぴらに認められることにはなるまいと感じる。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年7月2日、第12部まで書き終えました。一応の区切りとしたい。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html

2018年8月24日金曜日

それがオシャレだということになった?

TVなどを見ているとイレズミをした人が度々映るようになった。殊に外国人のスポーツ選手や芸能人に多いように思う。
別段咎め立てする気はないが、違和感は覚える。個人の自由だといわれればそれまでなのだけれど、一体何を主張しようというのだろうか?
タトゥと呼んでいるが、C型肝炎やその他の病気に感染する危険性もあるというから、他人事ながら気になる。

日本においても古くから入れ墨が施されて来た歴史というのはある。その理由は、身体装飾・個体認識・社会的地位や身分の表示・威嚇・宗教上の理由など多種多様であるとは言え、あまり大っぴらにされることはなく、一部の人以外には自慢するようなものではなかったのではなかろうか。
呼び方としては、多様なものがある。
鯨身
紋身(もんもん)・紋々(もんもん)
彫り物(ほりもの)
刺青
など様々であるが、入れ墨を施す行為は、「墨を入れる」とか彫るなどと表現されるほか、イレズミには苦痛と金銭的な負担がかかることから「がまん」とも呼ばれた。
「入墨」は、江戸時代には刑罰として腕などに彫られ、前科があることを示したから、人目に触れることを避けようとするものもあった。
古代中国では、墨刑(ぼっけい)というのは一種の刑罰であり、額などに彫られたという。

日本の伝統的な入れ墨を和彫りと呼ぶのに対して、欧米における入れ墨の呼び名であるタトゥを洋彫りと呼び分けている場合もあるが、それに本質的な違いはなく、図案や描画の技法に違いがあるのみであるという。
綺麗な発色をさせたり模様をくっきりさせるための技法は様々あるらしい。

遠山の金さんの桜吹雪のように全身に彫る場合でも、筋者と呼ばれる稼業に入っている者と職人では、違う彫り方をしたという。
最近はオシャレのつもりかワンポイントで入れる人も居るようだが、これまでの風習や経緯もあって、日本人は一般人がイレズミを入れることはなかったから、それを見ると恐怖感や不快感を覚える人が多いのではなかろうか。少なくとも一目置かれたり、尊敬や親しみを感じさせるものとは違うように思う。
温泉やプールなどに入るのを拒否されるのは、そのような理由によるのであろう。


2018年8月23日木曜日

早く捕まえて欲しい


大阪で、拘置されていた犯罪者が脱走し、未だに捕まっていないという。
脱走を許してしまった経緯というのは確かにお粗末だとは思うが、そんなことを論っていないで早く逮捕されるよう協力体制をとってほしいものである。
失敗を責め立てるのは今ではあるまい。それは事件が解決してから反省材料の場でなされるべきものだと思う。
一旦取り逃がしてしまうと、発見逮捕までに時間がかかる。それまでに、新たな犯罪を重ねられる恐れだってある。

古い話だが、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件というのがあった。
2007年3月26日、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた千葉県船橋警察署の警察官が、被害者宅を捜索。市橋の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋宅の家宅捜査に急行した。
市橋は非常階段を駆け下りて逃走した。予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが[1]、取り逃がす結果となった。
逃走後の市橋はしばらく近隣の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦は羽交い絞めにされるが、ここでも逃走されてしまった。市橋が逮捕された2009年11月10日、その間に懸賞金もつくなどしたが、長かった。
日本での犯罪は、英国でかなり日本の名誉を傷つけるような悪しざまな報道がされたようだが、中には日本に住む在日韓国人であるとの報道もあったようである。
そのソースを張り付けるのは削除されていて不可能だというが、市橋達也がkorean Japaneseと英国で報道されたのは事実らしい。
彼の父親 が外科医で朝鮮民族、母親は、歯科医で日本民族(市橋姓は母親方)なのだとか。
つまり正式には、混血ハーフ 朝鮮民族の血が入っているのは確かだと言う。
例によって、日本ではそれらは伏せられた。

まあそんなことはどうでも良いのだが、長引けば「知られたくないこと」あるいは「知りたくもないこと」が軒並み明らかにされる。
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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年7月2日、第12部まで書き終えました。一応の区切りとしたい。

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2018年8月22日水曜日

餌場ではカブトムシの方が強いらしい


昆虫で最強なのはスズメバチだというが、1対1の戦いということになると、カマキリと良い勝負なのだという。
カマキリの鎌で捕えられると、流石の顎も毒針も届かなくて、食べられてしまうという。

スズメバチは、卵を産むのは女王蜂のみで、あとはひたすらエサ集めや巣の警護のために働くのだというが、極めて攻撃的だし獰猛であるから、見かけても近寄ったり挑発したりしない方がよい。刺されると激痛が走り、時には死に至ることもある。
彼らのエサは主に終齢幼虫の持つ巨大な唾液腺から出される分泌液だというが、これはかなり栄養価が高く、人間の母乳と同じ成分構成なのだという。
しかし、いつでもその高級なエサにありつけるわけではないので、そんな時は樹液を吸いに行くことになる。
強力な顎を持ったスズメバチは自分で木の皮に傷をつけ、そこから樹液を吸うことができる。
アベマキやコナラ、アカメヤナギの樹液を吸うのであるが、縄張り意識が強く、同じ木の樹液を吸っているのは同じ巣の仲間だけだという。他の巣のスズメバチが来たりすると、執拗に追い払う。
ところが、樹液が出る場所には他の昆虫もやってくる。
樹液をめぐる争いでは1位カブトムシ2位クワガタムシ3位カナブン・オオスズメバチの順なのだというが、どうしてカブトムシの方が強いのだろう?
カブトムシもカマキリと同様に、蟻酸をはじめとするスズメバチの毒に対するレセプターを持っていないのかもしれません。
レセプターがなければ毒も効きませんから。


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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年7月2日、第12部まで書き終えました。一応の区切りとしたい。

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

2018年8月21日火曜日

不貞とは言わなくなった?

最近は、婚外での肉体関係を表すのに不倫という言葉を使い、不貞とは言わなくなっているようである。
「倫」」とは、人の守るべき筋道。人であったら踏み外してはならない道。
「貞」とは、心が正しい(貞しい)ことを堅く守ること。誠意そのものとも言えよう。
家門と血筋を重大事ととらえる社会にあっては、貞操というのは守られればならない規範であり、それは女性により強く求められた。子を産むということから止むを得なかったのかも知れない。
それもあってつい最近まで、「婚姻中の子供は夫の子と推定する」ということになっていたから、仮令離婚後であっても、女性の側は6か月を過ぎるまで結婚できなかった。

自由というものが重きを置かれるようになるにつれ、良いか悪いかは別にして、貞操観念というものは薄れてきたように思う。道徳感というものも変わってきたようである。
自由というものにだって自ずから限度というものはある筈だが、その限度というものについての共通認識や取り決めが無いのだから仕方あるまい。
夫婦間の最終的な信頼関係というか誠意というべきものは、貞操観念だと思うが、それはもはや重きをおかれる観念からは離れてしまった。

法としてはまだ残っているから、夫婦関係が破壊され離婚という事態に進むことはある。
不貞行為とは、裁判所によって「配偶者のある者が、自由な意思に基づいて配偶者以外の異性と性的関係をもつこと」と定義されています。
この定義によると、おおよそ世間で不倫といわれているようなことは不貞行為に当たるようにみえますが、実際はどうなのであろう。

不貞行為は法律用語であり、不倫や浮気は一般的な言葉である。法律用語である不貞行為は前述の通り民法770条1項1号にいう不貞(肉体関係)を指すが、一般的な言葉である不倫や浮気にはそのような定義はない。未婚であれば無制限ともいえる。

国語辞典(大辞林 第3版)の定義をみると、不倫は「男女の関係が人の道にはずれること」とあり、浮気は「妻や夫など定まった人がいながら他の異性と情を通ずること」と曖昧な表現になっています。
であるからして、不貞行為と不倫や浮気が違うかどうかでいうと違うということになるのですが、どう違うかについては、そもそも定義が曖昧なのであるから、こう違うと断言しづらく、考えても有意義ではない。自らを律することができず、自らの品性を貶めても構わないと言うのなら、後生がどうならうと知ったことではない。自分の責任で好きにしてくれとしか言いようがない。


2018年8月20日月曜日

帝とは北極星のことなのだとか

天皇陛下は、ご譲位遊ばす前の最後の終戦記念日のお勤めを果たされた。
天皇のことを帝とお呼びするが、帝は御門のことだと辞書には出ている。直接名指すことは失礼だとして避けた、婉曲表現としての 天皇の別称なのだとの説明がなされている。
帝という文字ができた中国では、君主のことを天子と称する。天命により天下を治める「天帝の子」であるとの考え方からくるが、中国では天皇ではなく皇帝と称した。
皇帝という名の下、天の秩序を地上の施政に重ねて描こうとしたのも、その権威づけの為であったのだろう。
暦を作り、日月食などの天象をよく予測することは皇帝の専権事項であり、天の文を読み解くことは、徳高く天意に通じていなければならない天子にとって、世を導く上で疎かにはし得ない勤めであった。
徳を失ったと判断されれば国は滅ぼされ、次の王朝が興った。それは前王朝を根本から否定する易姓革命となった。
暦のためのこの重要な施設、霊台(天文台)は、天帝の都にも、現在のしし座の中に星座として置かれているのだという。
秦王が全中国を統一した後、王号に代え新たな称号を決めようとしたとき、初めて名乗った"皇帝"号は、帝という文字に拘ったのだという。
帝とは、天の中心にある北極星のことである。
自らの位が伝説上の帝達にも、また全ての上に君臨する皇天上帝の権威にも達することを宣言するものと言うことで、始皇帝と名乗った。
秦王朝の都は咸陽に置かれていた。帝国樹立後、咸陽宮から渭水という川を挟んで南岸に、より広壮な宮殿が造営される。この時、始皇帝は、天の秩序を写して新しい地上世界そのものを建設しようとした。

帝という漢字は、三本のたれた線をひとまとめに締めたさまを書いた漢字なのだという。
この意味から、宇宙の万物をまとめて総括するという意味を作り出した。
そして、帝という漢字に含まれる巾という漢字は、巾のように細くどこまでも続くという繁栄を表す意味が含まれているのだという。

日本国には易姓革命というのはない。天皇家は2600年以上一系で続いている世界最古の家系である。