2018年9月30日日曜日

誤認されていることが多い「なし崩し」の意味

TVかなんかで聞きかじったのか「こういうなし崩しにするような態度は良くない。」と、口角泡を飛ばすような勢いでものを言っていた人が居ました。
どうやら彼は「なし崩し」を「曖昧にする」「適当にする」「うやむやにする」「なかったことにする」というニュアンスで理解しているようだが、用語そのものの使い方が間違っている。
まあそんなくらいだから、彼の言っていることはよく知りもしないで、誰かの意見の受け売りであると底が割れる。

「なしくずし」というのを漢字で書くと「済し崩し」。
であるから、そもそもの意味は、少しずつ片づけていくこと。特に、借金を少しずつ返すことである。
「借入金をなし崩しに返済する」というような使い方が正しい。

同じように、勘違いして使われている言葉に「檄を飛ばす」というのがある。
「檄を飛ばす」を「激を飛ばす」だと思っているのかも知れないが、字が違う。
「檄」と「激」は字も似ていますし、どちらも読みは同じですから、「発破をかけられた」とか「励まされた」という意味で使っているようだが、そういう意味では全くない。

「檄を飛ばす」は「主張を知らせて、同意を得る」という意味である。多くの場合、複数名に向けて自身の主張をし、その主張に同意を促す行為である。
「お知らせ」よりも主張する気持ちが強く、賛同をしてほしい気持ちが強い言葉です。
「檄を飛ばす」という言葉の由来は中国にあると言われています。
古代中国では、人々に伝えたいことや賛同を得たいことがあった場合に木札に文章を書いて人々へ回覧した。この木札を檄といい、それに書かれた内容を「檄文(げきぶん)」という。檄文を遠くに住む人にまで届くように発することを「飛檄」即ち檄を飛ばすと言いました。


2018年9月29日土曜日

煙草税は割と簡単に増税されるが

たばこ税が上がるのだという。
煙草を吸う人が目の敵にされ、肩身の狭い立場に追い込まれている実情がある。受動喫煙・将来の医療、福祉費用といった社会保障問題・東京五輪における日本国家全体のイメージ等が理由としてあげられ、結果、「たばこ税の大幅な増税を!」という意見が強くなって、ペナルティーを課そうといった側面もあるように感じられる。
しかしながら、たばこ税による税収は2兆円を越している。煙草を吸う人が修めている税金が、吸わない人たちの税負担を軽くしてくれているのだということを無視してものを言うのは、一方的だとも思える。
この多大な税金は国・地方共にどのような使われ方をしているのかというと、
結論から言ってしまえば、「どの部分にどのような使われ方をしているのか、ハッキリした事は分からない」ということになる。
たばこ税はそれぞれ国・地方(都道府県・市町村)と税金が掛けられており、現在は、一般会計・一般財源に入る為に、どれか特定の使い道が決まっている訳ではない。国や地方自治体もたばこ税を何に使ったかまでは一般的に公表していない。
ただ、一般的な使い道を挙げると、地方では高齢者や障害者・児童が安全に暮らす為の費用・道路、公園整備・小中学校の運営費・災害対策・農林水産業に関わる費用が代表的な所です。
国では、広い範囲での公共サービス・医療福祉等が挙げられる。
そもそもがたばこ特別税は、日本国有鉄道(国鉄)が当時、処理しきれなかった負債を長期的に返済していく手段の一つとして用いられていた。
即ち、タバコを吸わない人たちの分も、吸う人たちが負担した。
現在は日本国有鉄道清算事業団が、国の一般会計の中のたばこ特別税を用いて国鉄の負債返済を行っている。
煙草を吸う人が一人も居なくなったら、それにより得ていた税収はゼロということになるから、それを補うための増税は避けられまい。
今度は、国民一人一人が公平にそれを負担することになるのは当然の帰結であろう。


2018年9月28日金曜日

アレキサンダーとイスカンダル

外国人の名前は、同じ名前でも国によって呼び方に違いがある。
例えばスポーツ用品のブランドである「ナイキ」は、サモトラケのニケで有名なように、ギリシャでは「ニケ」となる。
マイケル・ミカエル・ミヒャエルも同様である。

それなのに、恥ずかしながらつい最近まで、イスカンダルとアレキサンダーが結びつかないままで居た。
宇宙戦艦ヤマトという漫画に、イスカンダルというのが出てきた。
西暦2199年、ガミラスの攻撃により滅亡の淵に立たされた地球人類に、イスカンダルのスターシャは波動エンジンの技術を提供し、放射能除去装置コスモクリーナーを取りに来るようにメッセージを伝える。このメッセージを受け、沖田十三率いる宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルへと旅立つ。

さらば地球よ 旅立つ船は
宇宙戦艦ヤマト
宇宙の彼方 イスカンダル
運命を背負い 今とび立つ
必ずここへ 帰って来ると
手をふる人に 笑顔で答え
銀河をはなれ
イスカンダルへ
はるばるのぞむ
宇宙戦艦ヤマト

なんか、この歌を聴いているだけで涙が出たものでした。

「放射能除去装置が本当に有ったらいいな。」と思います。

イスカンダルは、アレクサンドロス3世のペルシャ語・アラビア語における呼称である。


2018年9月27日木曜日

農作物と工作物

秋は実りの季節。農産物の採り入れの季節でもある。
一般人が混同して使うのは致し方ないとしても、プロであるアナウンサーが読みわけをしないのは、かなり気になる。
農作物と工作物。農作物は、「のうさくもつ」と読み、工作物は「こうさくぶつ」と読む。

その他では、区別をしない読み方。
「蔓・釣る・吊る」と「鶴」は、イントネーションが違う。
「杖を突く」というときの「つく」を、「着く・付く・就く・憑く」と同じイントネーションで読むのも、同様で気になる。
陰陽(おんみょう)を扱うのが陰陽道で、それをを司るのが陰陽師である。それを隠明寺と紛らわしい言い方をする人が多い。
殊に多いのが、「暑い・熱い」と「厚い・篤い」を区別しない読み方である。


2018年9月26日水曜日

議論するありさまを表す熟語だが

ものごとに意見を述べて論ずる様子を表すのに、喧々諤々(けんけんがくがく)っていう言い方がされるようになったが、本来は違う。
侃侃諤諤と喧々囂々という熟語から派生したのだとされている。

「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」「やかましい」「さわがしい」という意味があります。
この文字を重ねた[ケンケンゴーゴー]は、「口やかましく騒ぎたてるさま」「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表すことばです。

一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の「侃」には「性格などが強いさま、のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠慮せずにいう。ごつごつと直言する」という意味があります。
この文字を使った[カンカンガクガク]は、「正論を吐いて屈しないさま」「みんなが率直に意見を述べて議論している様子」を表すことばです。


喧々諤々という言い方は、4文字で構成され語形と語感や響きも似ている「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」という語が混同して用いられた混交表現です。

国内の主な新聞社や通信社では、「用語ハンドブック」や「用字用語集」の中の「誤りやすい用字用語・慣用語句」の1つに「けんけんがくがく」をあげているという。
放送にあたっては[ケンケンガクガク]という言い方は混交表現であり、正しい使い方とは言えないこと「喧喧囂囂[ケンケンゴーゴー]」と「侃侃諤諤[カンカンガクガク]」は、それぞれ意味が違うことを留意しておく必要があります。


2018年9月25日火曜日

中国はもちこたえられるだろうか?

米国が中国に対し関税の追加制裁をしたという。
中国はもはや報復関税だけでは対応できないところまで追い込まれたのではなかろうか?
そもそも、米国は不公平な貿易による貿易収支の赤字だけを問題視しているのではなさそうである。

中国が不公正な貿易や為替レートにより米国で得た利益を使って、米国に投資(企業買収)することで、先進技術を抜き取ると言ういわゆる知的財産の侵害に対して、いつまでも見過ごしているわけにいかず、我慢の限界を越えたという側面を見ないで済ませられることではない。
米国が中国に資本参加できないという五峰的な中国の体制では、解決が難しかろう。

資本の自由化をしたら、単純に考えても共産主義は崩壊するであろうから、簡単にはいかないであろうが、このまま続けば、中国に生産工場を持つ世界各国は、中国経由での貿易にメリットはなくなる。米国で中国で生産した製品の関税を上げられたら、生産拠点を置く意味がなくなることは、説明するまでもない。

その結果はこれから徐々にではあろうが顕在化し、中国に進出している世界各国の企業は、中国から撤退することになる。即ち、中国の経済がもたなくなるということになる。

その他にも、人権問題というのがある。
ウイグル問題である。ウイグルへの弾圧はすさまじく、強制収容所に入れられた一説には百万人を超えるといわれる人々から臓器を抜き取っているのではないかとの疑いを持たれている。
中国側は否定しているが、調査することも取材することも拒否しているから、闇は深い。

覇権主義は相変わらずで、外洋に進出したり、他国の領海を侵犯することも際立つ。
日本にも変な人が居て、北朝鮮や中国の代理人か回し者のようなことを言う人がいるが、トランプ大統領がどうだのこうだのといったところで、問題の本質そらしになるだけのことで、解決にはなるまい。


2018年9月24日月曜日

死んでからの方が長い

神も畏れぬ所業というのを平気でなしたと思われるニュースを目にすることが多い。
法で禁じているのは最小限のものであり、人として侵してはならないことは沢山あるが、それらを親も学校も社会も教えてこなかったのではなかろうか?
悪行を繰り返していると、死後は地獄に落ちると長きに亘って言い伝えられてきました。
「そんな世界は無い。あると言うなら証拠を見せろ!」と嘯いて、人様の迷惑になる行いを改めもしない人が多いが、少しは自分でも考えを巡らしてみた方が良い。
原因の結果の責めを負うのは、間違いなく自分なのだから・・・
確かに、「在る」という証拠は示されていないにしても、「無い」という証拠もないのである。
臨死体験者や昔の超能力者が言ったことを否定しきれまい。
在るにしても無いにしても、人として自らを律することで、気持ちが救われることというのはある。他人がどうであれ、自分は守れるということは尊い。
今更間に合わないかも知れないが「蜘蛛の糸」ということもあろうから、善根の一つも積んだおいてみたらどうだろうか。
死者は、その犯してきた罪に合わせた地獄にて、一定期間の罰を受けることになります。その責め苦は過酷を極め、死んだ方がましだと思っても、罪人がこれ以上死ぬことがない魂であることから逃げ場所はどこにもない。
慈悲のある閻魔王は処罰期間の過ぎた者を開放し、再び転生の機会を与えるといわれていますが、後述するようにその期間は気が遠くなるほど長きにわたります。
どんなくらい長いかというと、地獄の刑期はもっとも短いものでも1兆年を超えています。
最大では宇宙が終わる時間までの半分とも言われています。
生きている時のあっという間の時間とは比べものにならない。

人は死後、三途の川を渡り地獄を支配する10人の王によって裁きを受けるとされています。
その中で最も有名なのが「閻魔大王」です。
その大王は照魔鏡に映る画像を見ているから、死者が大王の前で嘘を言ったところで全て見破られてしまう。何故なら、死者の記憶はその本人が忘れようもなく貯め込んできているのだから、自らを欺くことができないのは当然だからです。
閻魔大王は死者の罪を裁く神であり、無限の慈悲を持つ「地蔵菩薩」と同一視されていますが、
それでも「こんなくらいはいいじゃないか」というようなお目こぼしはしない。死者を極悪人と判断すると躊躇なく地獄へ突き落とします。
地獄という言葉には「地下の獄」という意味があります。即ち、地下の監獄です。
「獄」という言葉には「処罰する」「閉じ込める」という意味があります。つまり地獄とは悪人を処罰し閉じ込める地下世界を表しているということです。
地獄はとても恐ろしい場所であるとされ、死ぬことのなくなった魂魄が生前では耐えられないような厳しい罰を与えられるといわれています。ウィキペディアで調べれば、詳しくでてきますが、八大地獄と呼ばれる恐ろしいところです。
1.等活地獄
2.
黒縄地獄
3.
衆合地獄
4.
叫喚地獄
5.
大叫喚地獄
6.
灼熱地獄・炎熱地獄
7.
大焦熱地獄・大炎熱地獄
8.
阿鼻地獄・無間地獄
それがどんな地獄であり、何を侵せばそこに行くことになるかは決まっているようですが、人もなげな行いというのは全部に絡んでいるようです。

2018年9月23日日曜日

卒業して60年の経験は伊達ではない

喜寿を迎えたことを機に、中学校時代の同級生が郷里に集まって同級会を催しました。
ふるさとを遠く離れている者たちが20人ほど参加しました。
こういう会に来られる人たちは皆それなりに幸せなのだと感じる。

近況報告をかねて一人一人が短いスピーチをしたのだけれど、共通していたことは、それぞれが経験してきた幾多の困難を、得難い経験をさせて貰ったと感謝していると語った事。
恨みがましいことを言った人は一人として居なかった。
綺麗ごとで言っているのではないことは、この年になれば誰にでも即座に判る。顔や口調が穏やかで明るいし、乗り越えて昇華していることが心底信じられた。

あとに続いた宴会で、傍らに来た女性が朗らかに語ってくれた。
昔のことだから、結婚は見合いが普通だった。あるとき何かの会合で一緒になった紳士が、「私は貴女と結婚することになっていたのだけれど、縁がそうなっていなかった。今なら結婚できる。」との話しがなされたという。
「貰ってくれるとわかっていたら、もうちょっと綺麗に磨いておいたんだけど、3人ほど紹介するんで、私は4号か5号ということでないと・・・」と応えて、お互いが大笑いしたのだと。
伊達に年を重ねていない。会話が相手に心地よいものを残すことができる域に届いているようである。とにかく一人一人の話は笑い話になってしまうのであった。

次は80歳になったら、一人も欠けることなくまた集まろうと約束してお開きとなりました。
80歳どころか100歳まで大丈夫なんじゃないかと思えるほどに盛り上がった楽しい会でした。

2018年9月22日土曜日

折句は無いわあ?

唐衣着つつなれにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
伊勢物語の9段『東下り』そして『古今和歌集』に収録されている在原業平歌は
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ
の頭文字を読むと「かきつばた」となり、折句の技法だとされる。
枕詞や掛詞も駆使されたくとして有名である。

同じく業平の句、名にしおはば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと、は
なにしおはば
いざこととわむみやこどり
わがおもふひとは
ありやなしやと

と並べると、「無いわあ」となるのだが・・・


2018年9月21日金曜日

そう見られるのだと気づいたら足なぞ引っ張れない

足を引っ張る。
それは何かをなそうとして前に立つ人の邪魔をする、ということであるから、自分は大したことができないということを認めてしまった人のやることであると言えよう。
揚げ足をとる。
相手より低い位置にいないと、それはできない。それをすると、最初から敵わないと思っているということをあからさまに他に知らしめる結果にしかならない。

一時期政権交代を果たすことができたのに、国民の期待を大きく裏切って、外交も経済も有効な政策を構ずることができず、次の選挙で壊滅的な大敗を喫して野党に転落した党がある。
そればかりでなく、バラバラに分党してしまった。
彼等のその後の国会活動は、「足を引っ張る」「揚げ足を取る」ことばかりに終始し、対案を出したり、国民が支持できる議員立法を成立させることはできなかったのではないのか?
国民はそれを嫌というほど見せつけられてきたから、何の反省も改善もしようとしていない現状をずっと見てきていて、結果として何をやっても、それらの行いが支持率を下げている大原因だとは感じないのだろうか?
次の選挙では野党が共闘すると言っているが、益々信頼を損なう結果になることは疑いようもない。
何故なら、表面的な戦略のみで、イデオロギーがまるで違っている政党と組んだら、それこそ混乱しか生まれないと思うからである。
何をどのようにしたいのか。それはどのようにすれば可能になるのか。それは国民が望んでいるものなのか。
それを明確に政策として掲げ、真っ向から議論できる姿勢を見せない限り、流れは変わるまい。
説明責任を果たさねばならない問題をうやむやにしている議員を何人も抱えたままでは難しかろう。

mirarerunodato 

2018年9月19日水曜日

欲が有るから富はできるが

「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」という格言?があります。

人間が立っているには半畳あれば十分であり、寝るときには一畳あれば事足りる。天下を取っても一日に食べることができる米の量は二合半が限界である。
だから、必要以上の欲をかかず慎ましくあるべきだという意味でつかわれる。

しかし、それ以上のものを求めるのを悪いとはいえまい。努力してより多くの結果を手にしたいと思うのは普通の感情であるし、それによって向上することはある。
ただ、沢山の物を手にした後に何をしようというのかということになると、人それぞれであるが、手にできない人がやっかみ半分に文句を言っても始まらない。
必要以上のものを求めるのを貪り(むさぼり)というが、それを役立てたら貪りというには当たらないということになる。
残念ながら使い切れないほど貯め込むだけでそれを活用しないとか、優位性を示すだけで終わってしまっている人が多いから、いろいろ言われることにはなる。
だからといって、当人たちにとっては痛くも痒くもあるまい。
しかしできることなら、世の為人の為に使ってくれると良いと願うばかりである。


2018年9月18日火曜日

なるほどと思う苗字もある

最近キラキラネームというのを目にするが、先ずなんと読むのかわからない。親が付けたに決まっているが、子供が将来どう思うんだろうね。

名前は兎も角として、日本には24万種とも言われる苗字があるのだという。
珍しいということもあるが、これも初めて目にした時には読めないものが多い。

四月朔日(わたぬき、つぼみ)
日本海側各地に多いという。4月1日に袷の着物から綿を抜くことから

十二月三十一日(ひづめ、ひなし)
一年最後の日であり、年末で日が詰まっているから。日詰(ひづめ)

春夏秋冬(ひととせ)
ひととせ=1年間」という意味からこの読み方になったようです。

春夏冬(あきなし)
四季のうち「秋」がないから

一(にのまえ)
「一」  は「ニ」の前の数字であることから

小鳥遊(たかなし)
鷹が居ないので鳥が遊ぶ

月見里(やまなし)
山が無いので月が良く見える

二(したなが)
漢数字で下の横棒が長いから。

九(いちじく)
「九」一字で「く」と読むことから

七五三(しめ)
昔のしめ縄は3本、5本、7本の縄をぶら下げた
なので七五三縄=しめ縄→七五三=しめ、という読み方になったそう。

一口(いもあらい)
出口が一つだと混雑してイモ洗い状態になる

十七夜、十七夜月(かのう)
十五夜の二日後の月に願いをかけるとその願いが叶うという言い伝えがあるんだそうです

一尺八寸(かまつか、かまづか、かまのえ)
「鎌の柄」の長さは「一尺八寸」くらいということからきているようです。



2018年9月17日月曜日

エビという字

敬老の日である。
昔の年よりは、大抵の人は腰が曲がっていた。だから腰が曲がった海老は、長生きに繋がるとして縁起の良い食べ物とされた。
魚介類としていろんな料理になって食されるエビ。
文字にするとき、海に居て腰が曲がっているから、蝦というより「海老」というのの方が解かりやすい。
漢字発祥の国である中国では、エビのことを「カ」と呼んだのだというから、なんで虫偏なのかは別として「蝦」と言う字も解るが、現在の中国では虫偏に下という字に略されているのだという。言っても詮なきことながら、それは略しすぎなのではないのかと思えなくもない。

漢字というのは、調べてみると面白い。
年寄りは敬った方がよいのだが、敬老なんてことは意識外になっている人が多い。
老というのは、死に近い人ということであり、神様に近づくには死なないとわからないということもあって、老人が蓄えた意識のもろもろの事柄を(ことに自分のことを)神様に宜しく伝えてもらうためもあって敬った。


2018年9月16日日曜日

優れた性能を持つと言う新鋭艦

国防上の必要に迫られて、護衛艦や潜水艦が次々に造られているようだが、艦名の付け方には一定の方式があるらしい。それにつけても、日本の護衛艦や潜水艦は、その性能が優れているのだと聞くと心強い。
新造船ができるとその艦名が必要となるが、昔の艦名の付け方は、割と解りやすい。
那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依ったのだとされる。

艦船を建造しても、「那智」は「ナチ」に通ずるとして言葉狩りに会うだろうから、自衛艦が新造されても、この名前がつくことはなさそうである。

現代の自衛艦は、世界で較べると護衛艦や潜水艦は技術や性能が他国では真似ができないレベルにあるとされている。
防衛をしなくてはならないような事態は無くて済めばそれに越したことはないが、残念ながらそうはいかなさそうな動きもあるから、国防のためには蔑ろにできない。

この先は、空母や戦艦は建造されることはないだろうが、昔の艦名の付け方は、
戦艦には、旧国名 : 大和・武蔵・長門・陸奥etc.
巡洋艦には、山の名 : 天城・比叡・霧島・榛名・妙高・那智etc.
空母には、龍・鶴・鳳 : 翔鶴・瑞鶴・飛龍・蒼龍etc.
駆逐艦には、天象・気象 : 天霧・吹雪・夕霧etc.がある。

それにより、艦名を聞くだけで、何の役割を担った艦かが判った。


2018年9月15日土曜日

「我」が出ているうちは

名人・達人と言われる人は、決して無駄な動きをしないものなのだと感じる。
それでいて、その所作は美しい。
古典とか伝統とか何百年過ぎても生き残っているものには、それだけのわけがある。
その領域に携わり修行する人たちは、その神髄を究めようと日々研鑽努力しているうちに、いつの間にか名人・達人と言われる域にたっするのだと信じている。

ただ、一定の段階には到達したのであろうと思われる人たちが、勘違いしてしまっているのではないかと思えて仕方ないものがある。
例えば楽器を演奏している人たちがよくしがちな変な身振りや顔つきである。
その本人の解釈かどうかは知らないが、それは自己満足なのか或いは自分を見せようとしているかのどちらかとしか思えないことが多い。
なぜそう思うのかというと、それらの動きが美しいと感じられないからである。
違うだろう、と感じさせられてしまうのである。
「我」を押し付けられても、共感は得られないということである。


2018年9月14日金曜日

流れには理由がある

物事の流れで判らないことがあるときは、大抵の場合、金の流れを解明すると浮かびあげって来るのだといわれる。
金・名誉・地位・権力・女が絡んで歴史は動いてきたと言われるが、かなり的を射ていると思われる。
それは殆どの場合表面に出てくることなく、歴史の背後に隠され、誰が、どのように、何をしたかは、いつの間にか闇のかなたのものとして忘れ去られるように仕組まれている。
即ち、中心になっていた黒幕というのは、無傷で利を独占できるようになっている。
いうなれば、名前がわかってしまっているような人は、まだまだ小物ということになる。

謀略的なそれらが力を得るようになったのは、産業革命後に植民地主義が世界を席巻するようになってから以後に顕著なのかも知れないが、それ以前にその萌芽はあったのかも知れない。
何故そうだったのかが明らかにされないままで、何となく学んでしまったのを真実だと思い込んでいることは多い。

たとえば、明治維新で文明開化がなされたということについても、それが成功したことの経緯については、通り一遍の知識しか与えられていない。活躍した志士たちの美化された英雄伝としてしか伝わっていないが、綺麗ごとだけでうまくいった筈はあるまい。
アヘン戦争などというとんでもない無法が罷り通っていた時代、日本はそれらをどうして避けることができたのか?
高杉晋作や坂本龍馬の活躍は知られているが、いうなれば個人である。
いかに志が高かろうとも、先立つものが無くては大きなことは成し遂げられない。
坂本龍馬が大量の武器や軍船を仕入れることができたのは、誰かが金を出していたということになる。見返りもなくそんなことをする金主はいないから、その金主は誰で何を目論んでいたかということを考察しないと、その後の歴史の流れを理解することは難しい。
日本を内乱状態にして利を得ようとした勢力があったのかも知れない。
しかし、そういうことはスルーされて、そこに触れることは無いように感じる。
というのも、竜馬が手に入れた武器や軍船の提供を条件にしなくて薩長連合はできなかったのではなかろうか?と考えた方が自然だからである。悪い言い方をすれば、竜馬を手駒として使った者が居るということになる。
彼が暗殺された犯人はわからないとされるのも、背後に隠したいものがあったということになりそうである。