2019年11月30日土曜日

何時まで経ってもケリがつけられない


日韓Gソミアの破棄は取り敢えず延期されはしたが、完全に決着したとは言い難い。
まだ韓国はグダグダ条件を付けて、いつでも終了できるなどとの「妄言」を吐いている。
冷静になって考えてみると、韓国には別の思惑があったのだとしか思えない。

韓国は、本気でGソミアの破棄をしたかった。中国への擦り寄りの道具としてである。
しかし、韓国だけの都合でそれを破棄することは、米国との関係上流石に難しいというくらいのことは判断できていたろう。
そこで、日本が輸出基準の強化を図った機会(いわゆるホワイト国から韓国を除外)をとらえ、日本が悪いのだということにすり替えようと考えたのだとすると、辻褄があってくる。

日本が規制強化の撤廃をすることは当然無理だということは承知していた。何故ならこれに関連している問題点は全て、韓国側に落ち度があることくらいは認識していただろうからである。
だから、交換条件にはならないことは最初から分かりきっていたカードを切ったのだということになる。
こじつけでも何でも、日本の所為にしてしまえば、破棄は上手くいくと踏んだのだと推量できる。

しかし、どっこいそうはいかなかった。目論見通りに行ける筈がない。
米国は韓国が中国に接近しようと試みていることは先刻承知であったから、強烈な圧力をかけた。
そもそも、歴史がどうだこうだとすぐ口にする韓国が、朝鮮戦争をした相手国である中国に、最大の庇護国である米国に逆らい、どう考えたら擦り寄ることができるというのか?
目先の損得に目が眩み、朝鮮半島が分断国家になってしまった直接原因を、都合よく忘れてしまうことにしたとでもいうのか?
内需が育っていない韓国が国内経済の都合上中国を頼みとするのは解からなくもないが、将来にわたって本当に信頼できる相手だとでも思っているのだろうか?
共産主義国であることを軽くみることはできまいに・・・

日本では報道されないが、中国との間に軍事協定まがいの合意を既にしているのだという。
二股膏薬というのは、恥ずべき行為とされているが、お構いなしということである。
いつも最悪の状況で最悪の判断をする癖から抜け出せないのだ、としか思えない。

2019年11月29日金曜日

万歳をする場になったら


祝い事などのときそれを祝って万歳三唱というのをする。
両手を高々と差し上げるのであるが、紛らわしいものに降参というのがある。
手の平を内側に向けるのが万歳で、手の平を前に向けるのが降参だというが、どうも決まったものではないらしい。

万歳は元々中国で使われていた言葉であり、「千秋万歳」の後半を取ったものだとされる。
万歳とは一万年のことで、皇帝の長寿を示す言葉であるとされることから、皇帝以外には使えなかったらしい。
それに対し、千歳(せんざい)は諸侯の長寿を臣下が願うときに使われる言葉であった。

韓国の宮廷ドラマを見ていると、宮廷で臣下が「マンセイ」と唱える場面が出てくるが、マンセイとは万歳のこと。
ホントかウソか知らないが、韓国で万歳をすると宗主国の中国から怒られてしまうので、千歳しか唱えられなかったのだというが・・・

2019年11月28日木曜日

民の平和が根本にあった


皇位の継承に関連して、3種の神器というのが度々でてくる。
天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊(やさかりのまがたま)のことであるが、天皇家に伝わる神宝だというくらいの認識だけで、それが何を象徴するものなのかについては余り知られていない。
」は「知」、「勾玉」は「仁」、「は「勇」というように、三種の神器は三徳表すという解釈もあるようだが、平和という概念抜きには考えられない。
鏡は、ありのままを映し出すということから「真」を象徴する。嘘・偽りのないことが、日本人の心情にマッチした。
勾玉の「玉」というのは、丸いということから、円満・真心・愛情を表す。
剣は、言わずもがな、正義をつくす力。これらが千数百年の昔から、国の根幹をなすのだと考えられていた。
加えて、日本には聖徳太子の時代の昔から、17条の憲法というのがあった。
第1条 輪を以って貴しと為し忤ふことなきを宗と為す
「わをもってたうとしとなしさがふことなきをむねとなす……。」
というのは余りにも有名で、日本国民の誰もが知っている。
訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」

第11条 明らかに功過を察して賞罰必ず当てよ
「あきらかにこうかをさっしてしょうばつかならずあてよ……。」
訳文「官人の功績や過失をはっきりとみて、それにかなった賞罰を行うようにせよ。近ごろは、功績によらず賞を与えたり、罪がないのに罰を加えたりしていることがある。政務にたずさわる群卿は、賞罰を正しくはっきりと行うようにすべきである。」
これは、民を人として認識し人として扱っていたのだということを意味している。
どっかの国のように、貴族階級以外は人を人とも思わず、家畜同然に扱っていたのと全く違う。
彼らが民を人として扱わなかった証拠としては、凌遅刑(りょうちけい)というのがあることで判る。
これは清の時代までの中国や、李氏朝鮮の時代までの朝鮮半島で処された処刑の方法のひとつである。生きている人間の肉体を少しずつ剥ぎ取り、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である。宮廷ドラマでよく目にする縛り上げた体に棒を差し込んで手足の骨を砕くという拷問も恒常的になされた。愚かな民への見せしめのためであったとされるが、楽しみでもあったようにさえ感じられる。
定かではないが、第二次世界大戦の終了により半島経由で帰国しようとしたが逃げ遅れて捕らえられ、残虐な仕打ちにより死に至る災禍を被った日本人がかなりいたという噂も聞く。
日本統治時代には厳禁されていたこれらの行為は、タガが外れれば一気に元に戻ってしまったということなのだろうか?血に染みついた慣習というものは恐ろしい。
それに比べ、日本人の根幹に受け継がれてきたものは素晴らしい。日本人に生まれて良かった。

2019年11月27日水曜日

中毒性が高くてやめられない


日本の女優さんが合成麻薬MDMAを所持したとして麻薬取締法違反容疑で逮捕されたというが、これは覚せい剤であるといわれる。
麻薬と言えば、まず思い浮かぶのが阿片である。体を損ねる違法薬物であることが解っていてもその使用者が絶えることがない。中毒性が高いということである。
英国の阿片貿易は、清国人の肉体を蝕んだ。勿論、清国政府はこれを取り締まったが、常習性を伴うことからその薬物中毒者は隠れてでも吸引することを止められなかった。
違法業者がそれらを提供した場所を阿片窟と呼ぶ。隠微な響きを持っている。
阿片は中国内にとどまらず、世界中に広がった。北アメリカへのアヘンの吸飲習慣は、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアへの中国人労働者の流入とともに到達した。
始まったのはサンフランシスコであり、そこはバーバリアンコーストとも呼ばれる酒・女・博打・暴力、何でもありの無法地帯となっていた。
1850年前後の中国人の到着からほとんど間を置かず、中国人街は地下に潜った無数のアヘン窟を有するようになった。1870年代までには、サンフランシスコのアヘン窟は非中国人にも利用されるようになり、1875年に議会は反ドラッグ法を制定した。
20世紀の初頭にはアヘンや関連用品の没収・焼却がなされ、またアヘンの使用に関する公的な議論の場が設けられるようになった。
こういったアヘン撲滅運動によってアヘンの吸飲はアンダーグラウンドのものとはなったが、サンフランシスコや北アメリカの各都市においては第二次世界大戦あたりまではかなり一般的なものであり続けた。 サンフランシスコの典型的なアヘン窟は、中国人スタイルの洗濯屋のような形式で、メインルーム(basement)、バックルーム、または上階を有し、アヘンランプが消えたり、アヘンの煙が漏れたりしないように密閉されていた。
違法薬物はマフィア組織の資金源となってもいたようである。

2019年11月26日火曜日

半導体製造争い


半導体の製造販売シェアが高いということで韓国の鼻息は荒かったが、それも翳りを見せてきている。そればかりに頼っていると、行き詰ることはあり得る。
思い起こせば1980年代半ば、日本の半導体は世界を席巻し全盛期にあった。技術力だけでなく、売上高においてもアメリカを抜いてトップに躍り出て、世界シェアの50%を超えたこともある。特にDRAMDynamic Random Access Memory)(ディーラム)は日本の得意分野で、廉価でもあったから、競争力は世界的にも手が付けられないほど圧倒的であった。
それに対してアメリカは通商法301条に基づく提訴や反ダンピング訴訟などを起こして、70年代末から日本の半導体産業政策を抑え込もうとして批判し続けた。
「日本半導体のアメリカ進出は、アメリカのハイテク産業あるいは防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」というのが、アメリカの対日批判の論拠の一つであった。
日米安保条約で結ばれた「同盟国」であるはずの日本に対してさえ、「アメリカにとっての防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題がある」として、激しい批判を繰り広げたのである。
こうして19867月に結ばれたのが「日米半導体協定」(第一次協定)だった。
「日本政府は日本国内のユーザーに対して外国製(実際上は米国製)半導体の活用を奨励すること」など、アメリカに有利になる内容が盛り込まれ、日本を徹底して監視した。
19874月になると、当時のレーガン大統領は「日本の第三国向け輸出のダンピング」および「日本市場でのアメリカ製半導体のシェアが拡大していない」ことを理由として、日本のパソコンやカラーテレビなどのハイテク製品に高関税(100%)をかけて圧力を強めた。
19917月に第一次協定が満期になると、アメリカは同年8月に第二次「日米半導体協定」を強要して、日本国内で生産する半導体規格をアメリカの規格に合わせることや日本市場でのアメリカ半導体のシェアを20%まで引き上げることを要求した。
19977月に第二次協定が満期になる頃には、日本の半導体の勢いが完全に失われたのを確認すると、ようやく日米半導体協定の失効を認めたのである。
現在における米国によるファーウエイ排除戦略は、それを彷彿させる。
米国の戦略的政策によって日本の半導体生産は後退せざるを得なかったのであり、韓国が日本の間隙を縫って半導体シェアを伸ばしたのだという側面がある。それを理解することもなくいい気になっていると足元を掬われる結果になるのは容易に推測される。
そうはいうものの、半導体の供給は過剰気味となり、価格の下落や在庫余りが指摘されるようになって、それが韓国経済の下落傾向の一因でもあろうから、韓国も安閑としてはいられない。
それに加え、半導体生産は台湾・米国・中国に脅かされる状況になっているから、熾烈な価格競争に巻き込まれることは必至であろうから、ますます先行きは厳しいだろう。
他人事ながら、それが国の経済に占める割合が大きい韓国は、一体どうなってしまうのだろう?
日本に擦り寄って泣き言を言ってきても、日本の対応は従前のように甘くはなさそうである。

2019年11月25日月曜日

信用を傷つけただけで終わった


ご承知の通り、韓国政府が22日、日本政府に対して、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了の通告を停止すると伝えた。23日午前0時失効の危機は回避され、1年間の自動延長となった。産経新聞の記事であるが、その続きはこうなっている。
 また、日本政府が安全保障上の懸念から実施した対韓輸出管理の厳格化についても、韓国は世界貿易機関(WTO)への提訴の手続きを停止し、日韓両政府が政策対話を行うことになった。
 安倍晋三首相は22日、「北朝鮮への対応のために日韓、日米韓の連携、協力は極めて重要だ。韓国も戦略的観点から判断したのだろう」と述べ、韓国政府の方針変更に一定の評価をした。
 文在寅政権が、GSOMIA破棄という愚かな選択を寸前で取りやめたことは妥当である。
 だが、文政権による破棄の動きが、日米韓3カ国の安全保障協力関係や米韓同盟を大きく傷つけたのは確かだ。
 北朝鮮は非核化に応じず、弾道ミサイルの発射を続けている。中国は傍若無人な海洋進出をやめていない。ロシアは極東で軍事活動を活発化させている。日米韓による実効的な安保協力と米韓同盟の立て直しが急務である。
記事にはなかったが、ギリギリの期限となった韓国からのGソミア関連の打診に対し、貿易管理の強化については一切妥協しないとして返答したらしい。
しかし、貿易協定の審議をしたいということであれば、それには応じるとしただけであるから、その部分については振り出しに戻っただけである。
取り敢えずの決着を見て、韓国内では外交的勝利だと言っているようだが、な~んかね~。
韓国はこの3か月何を騒いでいたということになるのか?信用を著しく失墜しただけであって、得たものは一つもあるまい。
揉まさなくてもよいことを次々あげつらって、国を挙げて騒ぐことに何の利益もあるまい。
今回取り下げたというWTOへの提訴というのも、駆け引きの材料に使っただけなのではないのか?
日本側は当然受けて立つし、その裁判が行われればセドリの問題は当然浮かび上がるであろう。
それを抜きにしても、韓国に勝ち目が望める提訴とは言い難かったのだと思える。
Gソミア協定は、民主党政権時になされたのである。このような外交問題があるなか、日本の野党は桜鑑賞に関しての議論しかしていないように見えてならない。そんなことでは支持率の伸びようがあるまい。
日本は一国だけでの国防は不可能であるが、それが韓国ともなればもっと難しかろうに、変なカードを切ったために、中国にも北朝鮮にも隙を与えてしまった。右顧左眄することの弊害としか言いようがない。
日本も変な判断に導かれるようなことはなくて欲しいと願う。

2019年11月24日日曜日

心に鎮めるしかない想い


知覧特攻平和会館を訪ねたときのことを思い出します。
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されていた。その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長板津忠正(元特攻隊員)が集めたものであるという。展示されていた遺書の数々は、勇気を振り絞っても読み続けることがどうやってもできなくなった。心に迫って来るからである。
命をかけても盛ろうとしたものに殉じたこれらの方を犬死だと言い放つ人は、どんな精神構造をしているのだろうか?

同様に、姫百合の塔・健児の塔を訪ねても呆然とするばかりで、立ち尽くすほかなかった。

氷雪の門。遥かに霞むんで見える島で、乙女たちがあたら命を落としたことを、行って見も知らないで帰ってしまう人が多い。

ひとの気持ちというのは、簡単には表現できない。
名山に登って大自然に包まれる。名画や名曲に触れるなどなど。間髪を入れずその場で感想を述べるのは、軽きに過ぎるのではないかと思える。
如何に言葉を重ねても、適当な表現方法はないのだと思い知らされる。

言葉というのはあれど、口に出せる思いというのは、どう紡いでみても意を尽くすことができないものがあるのだということなのだとして、身内に深く鎮めるほかない。

2019年11月23日土曜日

土壇場までもつれて


文大統領はGソミアの終了通告を条件付きで停止したのだという。どんな条件化は判らないが、日本側が譲歩しなければならないようなところは一つもあるまい。
先延ばしを計っただけで、解決したとは言い難い。
ここまで揉ました後で延長されたからといって、崩れてしまったGソミア協定や韓国への信頼度が回復できるものではないだろう。
要するに、後先見ずに終了通告をしてしまったことへの国際的影響力と経済に与えられる圧力への収拾に困り果て、へたったのだとしか思えない。
相手も解らず独り相撲をやって、自分で土俵を割ったに等しいのではなかろうか、というのが個人的感想である。
「日本側が態度を変えれば」と散々っパラ言い続けていたが、勝手に終了を通告してきたのは韓国の側である。
「態度」という文言も、余りに思い上がった表現ではなかったのか?
どう頑張ったところで「対応」という文言くらいが限度であったろうに・・・

日本へのイヤガラセをすれば日本はこれまでと同様に屈服すると読み間違えたのだろうけれど、日本は一向に困らない。軍事衛星ひとつ持っていない韓国側が困るだけである。
アメリカが日米韓で結んでいる協定の戦略的重要性を理解できないから、日本だけが相手だと思っていたらしいが、まだまだ自国の思惑だけでレッドチーム入りできるほどの実力はあるまい。

そもそも日本が韓国をホワイト国から除外したのは、戦略物資の使用状態を、度々の要請に対して協議にも応じず明確にしなかったからであり、それに報復するかのようにGソミア破棄をカードとして使ったのが青瓦台の戦略判断ミスであったことは明確である。
貿易と安全保障の区別さえできず、国民を煽りすぎてしまって、振り上げたこぶしの降ろしようがなくなり、右往左往しただけということになる。

条約無視の裁判結果なぞ関係ないのに無理やり結び付けて、自らの政策判断ミスを日本側にこじつけようとしても、ノッケから無理であることすら理解できなかったのか?
韓国を敵視したとか言い張っていたが、韓国が一方的に日本を敵視し軽んじたのが発端である。
自衛隊機へのレーダー照射はその顕著な表れであった。
更には、ついに説明することはなかったが、フッ化水素等の戦略物資については、テロが疑われる国に横流しにされたとまで言われているのに、弁明さえできなかった。
問題はひとつひとつ誠実に解決しないと、信頼は得られない。

2019年11月22日金曜日

故事を読むと面白い


「顰に倣う」というのは、優れた他人に倣って同じ行動をする際などに、謙遜して言う言葉としても用いる。
語源は、中国4大美女のひとりである「西施」が、持病の痛みで顔をしかめる姿が美しいので、それを見た醜女(しこめ)が、自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い真似をしたという「荘子」天運の故事から出ている。善し悪しも考えずに、人の真似をして物笑いになることの喩でもある。

「西施」は越王「勾践(こうせん)」が范蠡 (はんれい) の策を採用し、呉王夫差(ふさ)に贈った美女である。目的は呉王夫差を「西施」の色香をもって骨抜きにし、呉の国力を傾けることにあった。
越王勾践は越に国を滅ぼされた恨みを忘れず、復讐を果たすまで嘗胆(しょうたん)してその苦みに耐えた。
臥薪嘗胆の臥薪(がしん)は、呉が越に対する恨みを忘れないためにした故事である。

呉の国が亡びると、范蠡 (はんれい)「狡兎死して良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵され、敵国敗れて謀臣亡ぶ。」という有名な言を残して野に下った。

日本の武将である児島高徳もこの故事を使ったことで知られる。中学生の頃は平家物語だの太平記だのをよく読んだが、そこに出ていた。
児島高徳は南北朝時代の武将で、備前の人。元弘の変で隠岐 (おき) へ流される途中の後醍醐天皇の行在所に忍び込み、桜の幹を削って「天莫勾践、時非范蠡」と墨書し天皇を励ましたといわれるが、その事跡は「太平記」に述べられるのみで、実在が疑問視されている。
島流しにする側の警護の武士たちが、その故事を知るまいとして、読んでも意味がわからないだろうということで書いたのだと言われる。

2019年11月21日木曜日

80近くなると


80に近いこの年になるといろんな感慨に浸ることが多い。
人生望んだ通りの結果が得られたのか?といっても、何が望みだったのかということすら定かではないから、判断のしようがないのだけれど・・・
そこそこ幸せでそこそこ不幸で、まあそんなところだと思う。
恨み辛み・不平不満を抱いたことがなかったとは言えないが、それを表立って口外することは、お陰様で殆どなかったようにも思うが、裏返せば我慢をしていたということにもつながるから、それもそれでありかというところである。

世間様に自慢できるような実績は残せなかったが、大迷惑をかけることもなくて来れたということで、その他大勢の一人として何らかの役目は果たしているのだと思うことにしている。
悲憤慷慨したことも多々あったと思うが、そもそも公平などを主張してみたところで、何が公平なのかは解らない。
公平を主張する前に、自分の努力の多寡を抜きにすることはできない。その時々に頑張ったとは思うが、血の滲むような努力をしたことがあったとの記憶もないから、それを強い意志で継続することで成功を収めた方々に対しては、祝福することはあってもやっかむなどということは一切ない心境でいられることは救いでもある。
生きてくる上で困難なことや理不尽な仕打ちを受けたことがなかったとは言わないが、それをハラスメントだなんだと言って、他に改善を求められるほど天に恥じない行動をしてきたかいえば、そうでもない。何事も自らがなさねばならなかったことだということの方が多かったのだと素直に思える。
この世に生まれて来たのは、様々な困難を乗り越えられるようにする修行の場であり、それなくしては精神を磨くことができないとする宗教観を否定できない。
生まれ変わり死に変わってあらゆる経験をさせられるのだとしたら、今生はまあこんなもんなのかも知れない。
お陰様でまだまだ健康だから、この先でどんな「気づき」が得られるかと楽しみであるが、それらを伝えることができるかどうかがこれからの役目だと思っている。

2019年11月20日水曜日

歴史への取り組み姿勢


歴史学というのは、歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものである、というのが学問の出発点である筈だが、韓国にそれは通用しない。
日本の歴史学者が彼らの主張する「正しい歴史」とやらに疑問を呈すると、歴史的証拠を提示できないことで返答に困り、「おまえたちは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ。そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か。」と言って激高し、その先の議論には進めないのだという。
完全に論点ずらしであって、学問をする姿勢であるとは言い難い。

最初から彼らに都合よく書かれた結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料?を恣意的に出すだけであるから、それは歴史学とは程遠いものとなる
韓国人にとっての歴史とは、自分を正当化するために捏造するものに外ならない
ですから会議の場で日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、事実を胡麻化すことのできない韓国側は苛立って立ち上がり、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴ったのだという。
さらに、ならば韓国側の「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのだという
研究者としての良心というのは、自分にとって都合が良いか悪いかを越えて、事実がどうであったかを究明することではないのか?
歴史の解釈に「愛」を持ち出すのは論外であろう。もしもそれが通用するなら、犯罪事件の裁判を考えたとき、証拠ではなく「愛」が争点となる異常事態を引き起こす。

教科書問題から始まろうとした合同会議だったと思うが、合意点は見いだせなかった。
大韓民国の建国時に、政権の正統性を持たせることができず、何よりも「日本の統治時代の方が良かった」と言われることを韓国建国政府が一番恐れた結果、国を纏めるのに反日を掲げたことが、そもそも誤りの始まりである。
日本側もお人好しで、韓国内で纏まるためにそれがなされるのなら、として放置してしまったことも問題である。
反日捏造教育が徹底しすぎてしまった結果、今は韓国内ばかりでなく、よりにもよって日本に対して難癖をつける動きにまで拡大してしまった。歴史の真実をもはや理解する能力はない。日韓関係の悪化は、そこに原因があるのではないのか。

「反日種族主義」という書物が韓国の学者によって出版された。
韓国民の多くは、事実がどうであったのかを資料に基ずづいて本の内容のどこがどう違うか反論することはできず、感情的に火病を起こして著者を攻撃するだけらしいが、中には、書かれていることが事実であると認識し、教わって来た歴史の矛盾点が氷解したとの感想を述べる人もいるらしい。
気づくのが遅すぎる。