2019年6月30日日曜日

性懲りもなく何度でも繰り返すが


日韓併合は、韓国側が躍起になって主張しているように不法だったのか?
国際的な見方は全く違うようである。

以下は、東アジア「反日」トライアングル、古田博司著 文春新書より引用。

韓国側はいまでも日韓併合は不法だったといい、これを学会では「日韓併合合法不法論争」と評している。
そこでこの問題をめぐって岩波の『世界』誌上で日韓の学者がかつて争ったことがあったが決着がつかず、2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。
これは韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもとに、韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。
韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠にしたかったことは明白であった。
そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。
この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の記事ぐらいでしか公表されず、一般の目にはほとんど触れなかった。

韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。
ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ.クロフォード教授が強い合法の主張を行なったのである。
それは当時の『産経新聞』の記事によると、
「自分で生きていけない国について周辺の国が国際秩序の観点からその国を当時取り込むということは当時よくあったことであって、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」という主張であった。

当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたということを主張したわけだが、同教授は、「強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914~18年)以降のもので、当時としては問題になるものではない」と、一喝した。

その会議に参加した友人の学者によると、この結果、韓国側は悄然と肩を落として去っていったという。
韓国側の目論見は失敗に終わったのだが、日本では当時この様子はほとんど報道されることがなかった。
そして、この会議に出席した県立広島大学の原田環教授が、最近、この点に関して非常に新しい実証的な研究成果を上げられた。
それは、「青丘学術論集」という論文集の2004年の第24集に掲載されたもので、
「第二次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」という題の論文である。
この論文によれば、第二次協約の調印のときに高宗という王と、その周りに5人の大臣たちがいたが、その5人の大臣たちが、すべて終わった後に王に上奏文を提出した。
その史料はこれまで埋もれていて、研究されたことがあまりなかったのだが、原田教授はそれを初めて評価され、同協約の締結に関して韓国の高宗皇帝が、日本側の協約案を修正し調印する方向に、すなわち交渉妥結ということで一貫した行動をとったということを実証された。
したがって、第二次日韓協約は韓国の高宗皇帝の意図に沿って行なわれたものだったということが分かってしまったのである。
これは朝鮮史研究上の非常に大きな成果であって、これからこの線に沿って研究も行なわれていくと思われる。

1965年の日韓基本条約は、韓国政府が日韓基本条約の交渉の過程から一貫して無効論を提示しているが、条約上は「もはや無効である」との妥協的表現で決着している。
年数が過ぎてほとぼりが冷めたかと思ってか、性懲りもなく何度でも金になりそうだと思うことを掘り返して持ち出してくるが、いいかげんにして欲しい。
何がどう決着して条約上に限らず約束しても、何回だって蒸し返しているのでは、国交を正常に続けることができない。

2019年6月29日土曜日

蛍の光の歌を思い出して


自由であることは大事だと思うし、それに反対する気は無い。
しかし、自分勝手に振舞うことが多様性の表れだということだけで容認されてしまうのはいかがかと思う。
個々人の好き勝手な行動が許されたら社会は混乱を来すから、最小限の規制を法として定め、それを互いに守るということで互いの生活は成り立っている筈なのだが、バレなければいいのだとして無法な振る舞いをする者は多い。
人たるの意識を保って自らを律することができるのは、法による強制ばかりではなく、そういうことをやったら悲しむ人が周りにいるからだとして思いとどまる気持ちがあるからだとも思う。
思い浮かべるのは、親であったり先生であったり友人であったりする。
そういう絆を育む場というのが、何時の頃からか阻害されてきてしまっているように思う。
「仰げば尊し」というのは、先生たち自身が否定してしまったのだとさえいわれる。
曰く、そんな感謝をされるほど、生徒に対して立派ではないからだということらしいが、そうなのだろうか?
何か一つでも教えたら、お師匠様である。師匠は弟子の為によりよく薫陶せんと努力を重ねる道に就いた志の高い人たちである。それは放棄してしまったとでもいうのだろうか?
親も子供たちに先生を尊敬するようにと教えなくなったことにも原因はあろう。

政策とか方針上からとかイデオロギーからにより、教育現場からなくしてしまったものもある。
卒業式で歌われた「蛍の光」は、今は殆ど歌われなくなってしまっているという。
殊に3番4番は、我々の年代の者ですら歌った記憶がない。
良い歌詞だとおもえるのだが、これを歌わせたくなかった理由というのは一体何だったのだろう?

3番
つくしのきわみ、みちのおく、      筑紫の極み、陸の奥、
うみやまとほく、へだつとも、      海山遠く、隔つとも、
そのまごころは、へだてなく、      その眞心は、隔て無く、
ひとつにつくせ、くにのため       一つに尽くせ、國の為

4番
ちしまのおくも、おきなはも、      千島の奥も、沖繩も、
やしまのうちの、まもりなり       八洲の内の、護りなり、
いたらんくにに、いさをしく、       至らん國に、勲しく、
つとめよわがせ、つつがなく       努めよ我が背、恙無く

2019年6月28日金曜日

国扱いされていなかったのでは?


朝鮮の王というのは、いわゆる独立国の王というわけではなく、中国の県知事くらいの意味合いでしかなかった。
権知高麗国事(ごんちこうらいこくじ)というのが、宗主国である明が李氏朝鮮初代の国王に授けた称号である。高麗王代理、あるいは高麗国知事代理を意味する。
「権」というのは、別の言い方をすれば「仮の」ということである。
独立国の王として認めたわけではない。
李氏朝鮮の初代国王李成桂は反乱により、明が冊封した高麗王を廃位して高麗王位を簒奪した後、新たに王としての地位を認めさせようとしたが、国名すら勝手に名乗ることはできなかった。
2000年の長きにわたって、中国の属国以下の扱いであったから、主権だとか公共意識だとか国家としての意識が国民に育つことはなかった。
国を持てなかったということは哀しいことである。
属国であることの悲しさ、李成桂政権は「朝鮮」(朝の静けさの国)と「和寧」(平和の国)の二つの候補を準備して洪武帝に国名を選んでもらうしかなかった。
だが明では、明が冊封した高麗王を身勝手にも廃位して別の王を即位させたり、最後には勝手に自らが王に即位した李成桂を快く思わなかったらしく、李成桂を最後まで朝鮮王としては冊封しなかった。
明から朝鮮国王として正式に冊封されたのは、第3代国王である太宗になってからであった。
国王であればその称号は陛下ということになるが、独立国ではないからそれは許されず、朝鮮ドラマを見た人はご存知だと思うがチョナー(殿下)と呼ぶのが限度であった。
宮廷でマンセイ(万歳)を叫ぶ場面もドラマでよく目にするが、万歳すら許されておらず、そんなことをすれば中国から厳しく叱られた。「千歳」としか言えなかったのだという。
朝鮮王は、中国からの使臣より下の身分で会った。
独立国たらんとする気概を見せなかったのだから仕方がない。行政の一地方でしかなかったというのが、曲げようもない真の歴史ということになる。
歴史を学ばなくてはならないのは、自分たちである。

2019年6月27日木曜日

選ぶことができる能力があった


日本は諸外国から多くを学んだのは間違いない。
古くは中国からの文化を得たが、遣隋使・遣唐使・留学僧など、こちらから学びに行った。
韓国人が自慢気に日本に教えてやったというが、中国の物が半島経由で来たことがあったとしても、韓国から学んだものなど殆どあるまい。
半島経由のものが正しい状態であったとも思えない。

日本は、中国に限らず南方方面或いは西洋からのものも入ってきたが、取り敢えずは受け入れても取捨選択はしたし、取り入れたものであってもより優れたものに発展させた。
小中華を自称する朝鮮と違い、中国発祥の科挙の制度や宦官などの身分の者は受け付けなかった。
こんなものに捉われていた国は、制度が硬直化して発展できなかった。
キリスト教ですら、日本に合うようなものに替えてしまったのである。
いずれにしろ、我が国は工夫を加えることで独自のものに発展させた。
急速に押し寄せる西洋の文化に対応して近代化を図ることができた下地は、そんなところに培われていた。
だから極東の小さな島国でありながら植民地化を免れたのである。

2019年6月26日水曜日

どんな約束をしても意味がない


日韓の国交正常化を図って1965年に締結された最終的に解決したという条約に基づき、日韓関係はなりたってきていた。
法とか条約と言うのは、逐条的に書かれるものではないのが通常である。
そこに個人賠償が書かれていないからといっても、総括的に解釈されるべきである。
それなのに、隙間をついての徴用工判決は国と国との根幹をなす条約を実質的に破棄しようというに等しい。
条約破棄ということになれば、原状に戻るのであるから、韓国側が日本に返還しなければならないものは金額換算すれば膨大なものになる。そんな覚悟があるのか?第一その支払い能力があるのか?
大法院も韓国政府も、法治国家だと言い張ったところで、感情的な目先の損得しか考えられないというお粗末さを露呈しているのではないのか?

これまでも常に何かと難癖をつけられ、その都度大人の対応で、日本側が譲歩して来た。
金持ち喧嘩せずということだったのかも知れないが、目に余る。
際限もなく言いがかりをつけて、結局は金を出させようということばかりではなかったのかとしか思えないが、もはや我慢の限度を越えてしまった。
徴用工は、強制ではなく募集に応じた募集工であったし、慰安婦も新聞募集がされた事案である。
そんなことは、自分たちの新聞に募集広告を掲載した日本の新聞各社が知らない筈がないのに、異議を唱えることをしないのは何故だろう。
韓国側に協力しているフリをして、一見偏向報道をしているように見せて、事実関係が明白になったときの韓国の困窮を狙ってでもいるのだろうか?
日本国民が騙されるようなことはもう無い。

G20において、日韓首脳会談はされないのだという。当然であろう。
韓国が言えば日本はいつでも応じると思っているらしいが、何を話し合っても何を約束しても守らないのだから、貴重な時間を割いて会談するわけにはいかない。
第一、  首脳会談ということになれば、事前に会談内容の綿密な打ち合わせが必要になる。
韓国側は、日本との間の懸案事項について何一つ解決案を提示できないではないか。

このままいけば「経済制裁せよ」との日本国民の声を政府として無視するわけにはいかなくなる。
日本側はまだそれをしていないが、実行段階に入ったら、韓国経済はひとたまりもあるまい。
自分たちが信用を失墜するような行動をし過ぎて来たから、外交にしろ経済にしろ韓国を援助しようとする国はあるまい。
建国以来反日しかしてこなかったツケを、いよいよ精算しなくてはならない羽目に陥ったのだとしか思えない。

恨みごとが原点だから


観光地で、韓国人らしきグループを見かけた。
このところの日韓関係を知っているのか、かなり控えめに振舞っていた。
日本が好きでやってきたのであろうし、マナーを守っているのなら殊更に避けることもない。
アンニョンハセヨ(こんにちは)」と声をかけるとホッとしたような顔をした。
「他に韓国語を知っているか」と聞くから、「ケンチャナヨ」と答えたら、複雑な顔をした。
ケンチャナヨは大丈夫という意味であるが、ケンチャナヨ精神っていわれるように、韓国の国民性を表す言葉でもあり、いい意味でおおらか、悪い意味で適当ということである。

現在の日韓関係は、双方ともに相手国が嫌いだという人が7割以上を占めるという冷え切った状態に陥っている。
原因は全て韓国側に起因している。数年前までの日本人は、韓国に対して寛容であった。
やりたい放題で日本を敵視していても、困ると日本に擦り寄って来る。
そのときに言う言葉は決まっている。「韓国人は日本のことが好きなのだけれど、政府が悪いから、本音では好きでも建前上反日にならざるを得ない」というのである。
そんなわけがあるまい。そういう政府を選んだのは韓国人たちであり、現に政権の支持率が下がると反日政策をとることで何代もの大統領は凌いできたのである。
即ち、韓国民の根本にあるのは反日ということに外ならない。
70年にもわたる幼少期からの反日刷り込み教育の結果が、友好関係に戻れるわけがない。

日韓併合時代は、李氏朝鮮のヤンバンによる悪政から逃れることができて、多くの朝鮮人は喜んでいたのである。
そういう経験をした人たちが年代を経るにつれて、真実を伝えることをできる人が減ることにより、捏造教育を信じる人の方が増えてしまったのだからどうしようもない。
韓国が戦後に独立したときに、政権を手にした人たちの多くがヤンバン出身者だったのであろう。
彼らは、何百年も続いた属国としての境遇下で虐げられてきたが、自ら立ち上がることは一度もないまま、恨みごとだけが血に染みついてしまっていた。
それでも彼らは李氏朝鮮時代の権益を復活させるためには、反日を叫ぶしかなかったというのが不幸の出発である。
反日であるなら、どこかで理性に立ち返ることができたかもしれないが、感情的に「恨日」を煽ったのだから、精神まで病むことに繋がってしまった。
日本だって韓国どころではない焼け野原から出発したのだけれど、掲げた志の高さが違ったのだという以外ない。

2019年6月25日火曜日

植民地で何をしたか


日本のアジア「侵略」を、自分たちがやったことには頬被りして批判しまくってきた欧米諸国であるが、その日本が「侵略」する前のアジア諸国はどういう状況だったのか。
それをまともに反省できた国があるとは思えない。

米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わってフィリピンを植民地にした。
話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告されている。

インドは昔から木綿産業が盛んであったが、産業革命が起った後には、イギリスのマンチェスターから木綿が圧倒的に安い値段で入ってくるようになった。
インドで木綿を作って生活している何百万人という人たちが、これにより生活できなくなった。
通常の独立国だったら、国は農民を保護するために輸入制限をしたり、関税をかける。
しかし、輸入を拒否したくてもできないのが植民地なのである。その上、イギリス政府は木綿を作りにくくするために、木綿の作り手たちを何万人も集めて、残酷にもその手首を切り落としたのである。
インドの木綿工はそのまま仕事ができなくなって餓死してしまった。ベンガルからインド洋まで、何百万人という白骨が並んだと伝えられている。これを白骨街道と呼ぶ。

太平洋には2万にも及ぶ島々があったが、原住民は何の防備もせず平和に暮らしていたところに、海から白人海賊たちが鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していった。
無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。
「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。
現に先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気だった。 

帝国主義や植民地主義には、きちんとした論理が通っている。
「お前たちは劣等な民族である。劣等な民族は自ら自分の国を治められない。そのままにしておいたら、殺し合いや伝染病がはびこり、飢餓で死ぬ人も出てくるだろう。だから、劣等な民族のために優等な民族であるイギリス人が統治してやる」まことに身勝手な理屈で会った。

オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下したといわれる。
植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13,000 だった。そうやってオランダの隷属下に置かれていた。
オランダの植民地支配の残酷さもまた際立っている。
蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。
性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくなかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは完璧に衛生的な環境で生活していた)
そのため、日本軍が進軍してきたとき、地鳴りがするような歓迎のどよめきが沸き起こったのだという。
日本軍は、植民地支配をしていた白人国と戦ったのであって、敵軍に組み込まれてしまっていた場合は仕方ないけれど、原住民と戦うことは基本的になかった。

植民地の反乱を宗主国は武力で鎮圧した。
フランスは、サイゴンでの容疑者は裁判なしでギロチンにかけた。一方で阿片を売り、10歳以上の子供をホンゲイ炭鉱で働かせて人頭税を徴収した。
仏印では、税が払えないと政治犯として監獄に放り込んだ。鎖でつながれた囚人には、老人や子供が多かった。働きの悪い者は処分しちまえというフランス人の思いが覗き見える。獄死すれば葬式税も取れる、ということであった。
だから、フランスは都市の数ほど監獄をつくり、それでも足りないからとサイゴン南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎の檻」を建てた。
ここには屋根がなく、鉄格子越しに生石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太陽に焙られた。

他の西欧植民地支配国も、アジアや南米やアフリカにおいてやったことは同様である。

帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次大戦が終わってからのことに過ぎない。日本が戦ったことで、白人には敵わないと思っていた意識が変わり、独立を果たす原動力となった。
それでも往生際悪くイギリスやフランスやオランダは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと無駄な努力を重ねたが、もはやそれは叶わなかったというのが歴史である。

2019年6月24日月曜日

足元が見えていない?


国際半導体製造装置材料協会(SEMI)によると、昨年の世界の半導体素材市場の規模は5194000万ドルで、過去最高値(2011年の471億ドル)を更新した。
記事によると、半導体素材産業について「市場低迷期に強い上、好況期にも需要増加による高成長が見込まれるため狙い目の産業」と評価している。
半導体製品の不況が言われるようになっているが、半導体そのものには将来性があるのである。

現在、同産業の大部分は日本企業が占有している。
高純度フッ化水素は世界の需要の90%を日本企業が生産している。同産業で最も規模の大きいシリコンウエハーも、日本企業が約60%占めている。
日本企業が同産業を占有できている理由は、「長期間にわたる研究開発により多くの技術を有している上、地道な投資により新たな素材開発でも先を行っている」からであり、パクルことでは追いつけまい。
さらに言えば、半導体の製造には精密な機械設備やロボットが必要であるが、これも日本抜きでは成り立たない。足元を見てみればそういうことではないのか。
韓国では、半導体分野で日本を抜いたと勘違いして威張っているようだが、時間と費用がかかる基礎研究を疎かにしてきたのだから、日本に敵うわけがない。今から頑張ったって追いつけはしまい。

韓国は、半導体製造で日本なにするものぞとここ数年鼻息が荒かったが、日本を敵視していたら素材が手に入らなくなる恐れがあるばかりでなく、半導体製品の不況が囁かれる今、基礎研究や基幹技術が育っていない状態で、この先の目途を立てるのは難しかろう。
日本が協力することに金輪際嫌気が指してしまっているから自力でやるよりないだろうが、簡単にできるようなものではないから、大きく立ち遅れることになろう。

2019年6月23日日曜日

日韓首脳会談はなさそう


困っているのは自分なのに「我々にはいつでも会う用意がある」などと強大国の元首のような発言を習近平国家主席に対してしていたけれど、度々の訪韓要請は頭から完全に無視されて、習近平主席は北朝鮮を訪問した。
「どうか会って下さい」とお願いするのが分相応の立場なのではないのか?

近々G20会議がなされるが、首脳会談ができそうな相手国は1か国もなさそうである。
主催国である日本とさえ、それが無いという事だから異常である。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが、欧州を歴訪して演説した内容をみれば、諸国が韓国を相手にしない理由は明らかであろう。自分勝手な見当違いが過ぎるのである。
この期に及んでも、困った徳の日本頼みを目論んでいるらしいが、日本側が会おうものなら、言いたい放題を口にし、日本側をやりこめてやったと自国内で言って政治利用するだけに決まっているから、懸案事項の解決策も提示しないままの状態では、会っても時間の無駄であろう。
問題化解決に向かえるような案を考える能力は、どうも無さそうである。
日本憎しでやってきたことは、韓国内のみでは通用するだろうが、世界中から信用を失墜しているだけのことであり、それを理解できないでいるというのが何とも哀れである。

蝙蝠外交と告げ口外交のかぎりを尽くしてきた結果であるから仕方あるまい。
経済的にも技術的にも、日本のお陰が有って韓国は発展できたのだというのが、世界の共通認識であるのに、そんな根本的なことさえ認識できず、条約無視までして恩を仇で返すようなことを繰り返していたら、それを見ている世界諸国はどんどん韓国から手を引くようになる。
日韓首脳会議を拒否されて「我々は提案をしているのに日本が聞かない」などと臆面もなく言っているが、提案にもならない自分勝手な言い分を主張されても、通らないものは通らない。
孤立化を選んでいるのは自分たちなのだとどうして解らないのだろう?

2019年6月22日土曜日

こんな程度の防衛力なんだろうか


いくら何でもお粗末過ぎないか?軍部は言い訳に終始しているらしい。
韓国の海軍・空軍・陸軍のいずれもが、北朝鮮漁船の侵入を補足できていなかった。
今月15日、韓国と北朝鮮の海の境界線から130キロもの長距離南下した韓国北東部・江原(カンウォン)道の三陟(サムチョク)の港で発見された北朝鮮の漁船を、韓国軍が認知できていなかったというのである。
 この漁船は拿捕されたのではなく自力で港に入り接岸したというが、韓国軍は当初、発見場所について「港付近」として沖で発見したかのように発表していた。全くの嘘だという。
一連の事態を受け、文在寅大統領は20日午後、「漁船を捕捉できず、国民に正しく知らせることができなかった部分に問題がなかったか、徹底的に点検してほしい」と指示しているというが、日本がいかに優れていようとも、こんな程度の国と連携して敵の攻撃から防御する体制を構築するなど不可能である。

2019年6月21日金曜日

人は恩返しということをするが


基本的に言って、日本人は恩義に報いるという事を意識しない人は皆無に近い。
恩を恩として感じ取り、いずれは必ず恩返しする。
しかし、諸外国に「恩」という概念があるのかどうかということになると、極めて疑わしい。
恩という言葉すらないのではなかろうか?
因みに英語でそれを表現しようとすれば、
というくらいのことであろう。
基本的には、恩よりも損得勘定が優先し、それに自分たちの都合が良いように正義を主張できる表現で対処する。
親日的有色人種国には、恩を感じていてくれるような対応をしてくれるところもあるから、一概には言えないのかも知れないが・・・

恩を返すどころか、仇で返すことで一致している国すらある。
日本人の恩に対する考え方は、民度として誇りに思うが、世界中で通用するとは考えられないということは知っていた方が良いのかもしれない。

2019年6月20日木曜日

解決させる気さらさら無し


徴用工裁判の判決が後を引いたままで、解決の糸口が見えない。
ひとえに韓国側の責任である。
日本側にゆえない金を出させようと、受け入れがたい提案を新たにしているというが、一体何を考えている国なのだろうか。
徴用工は募集に応じたのであって、強制労働ではない。当時は韓国人も日本人と同じ扱いで採用されたのであり、一緒に働いて同じように給料を貰っていたのであることは明白である。
百歩譲って、戦後のドサクサで給料の支払いを受けていない事例があったとしても、日韓基本合意で決着済みなのである。
日本人と一緒の職場で働いていたのに、それが奴隷のような扱いだったとか嘘を言い立てて、本人は勿論、国として恥ずかしくないのか?

世界中で広く言われることに、「韓国人は息を吐くようにうそをつく」というのがある。
2013年に韓国国内で、起訴された人が、偽証罪で3420人、誣告罪で6244人、詐欺罪が29万1128人だったという。2000年と比較しても急増しているという。
異常に多すぎる数だと、彼らが恥ずかしく思うということはないのだろうか?
このままでは、益々世界からの信用を失う。

韓国自身の記事であるが、起訴された人の数がそれぞれ日本と比べ、偽証罪が66倍にのぼり、人口比では165倍にもなることを指摘。「韓国は世界一の詐欺大国」と紹介した。

こうした背景には韓国が世界でもまれな学歴社会で、プレッシャーからか自殺する若者が後を絶たないこと、評価基準が人より優秀か劣っているか、ということであるため、人を蹴落としてでも自分が上に行かねばならない社会であることがあると分析した。
そんなことが嘘をついてよい理由になるわけがない。本性を改めない限り未来はあるまい。

日本を韓国がバッシングする背景にも、世界の中で日本より韓国が上であると誇示するためであるとし、韓国自身が評価を高めるための努力をせず、日本を叩けば自らをおとしめることに気付いていないと、かなり辛辣に分析している。それで反省できるくらいなら、なんとかなるのだろうけれど、そんな気配はない。

 これに対し、「妄言だ」と激して抗議するのが韓国の常だが、案に相違してインターネットでは「悔しいがその通りだ」という声が大勢だという。まず塊から始めてみたらどうか。