2014年12月19日金曜日

土偶の形は宇宙服?


日本各地には、縄文時代の遺跡が沢山あります。

ことに甲府から信州にかけては多いようで、中央自動車道をつくったときには大量の土器がでました。

縄文時代といえば、大雑把に考えて2万年ほど前のことになりますが、かなりの人口であったと思わざるをえません。

世界の四大文明というのは知られていますが、それより遥かに前の時代に人の営みがあったということが判るのは、日本以外にないのではと思うのです。

原野に覆われていたこの時代に、離れている集落と交流があったとしか思えないほど、似たような土器や土偶が出土しています。

遮光土偶や、鱗があって三本指の土偶などをみると、太古の昔に他の宇宙からやってきた人というか神というかが居たのではないのかとの想像が膨らみます。

 

2014年12月18日木曜日

浄玻璃の鏡からは逃れられない


人間に生まれ変わるのは、大変なことなのです。その中でも、日本人に生まれ変われるというのは殊に大変なことなのです。

 

苦界(くがい)と言われる現世から死後の世界に行くと、生前の行いに従って六道輪廻の世界にいくことになります。

天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つの中のどれかに回されます。

 

地獄を守護する閻魔様が、亡者の裁判で亡者の善悪 の見極めに使用する水晶製の鏡は浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)と呼ばれ、この鏡には亡者の生前の一挙手一投足が 映し出されるため、いかなる隠し事もできないのだといわれます。

ですから、後生を願うなら、生きている間に善根を積みましょうネ。

 

2014年12月17日水曜日

飼われることに慣れてもう自然界では生きられない蚕


家畜である豚も山羊も、自然に放せばすぐに野生化するというが、絹糸を取る蚕は改良され過ぎていて、平らに置かれた餌は食べられるが、自然に生えている桑の葉に吸盤でとまることができず、地面に落ちて死んでしまうという。

蚕の成虫は蛾だが、蛾と蝶はどう違う?

羽を立ててとまるのが蝶で、羽を広げてとまるのが蛾だというが、例外もあるらしく何ともいえません。

昼に飛ぶのが蝶で、夜に飛ぶのが蛾であるともいいますが、夜の蝶っていうのもいるからネ。

何ですと?それは違う蝶だって?

 

 

2014年12月16日火曜日

悟りの一歩手前の世界が有頂天


仏教の宇宙観である円盤のまん中にある山を須弥山(しゅみせん)といいます。

三味線ではありません。

三蔵法師は妙高山と訳したのだといい、新潟県にある妙高山はこれからとられた名前なのだそうです。

お寺の本堂の正面にある壇を須弥壇(しゅみだん)と呼ぶのは、この山を型とったところからきているのだとか。

人間の世界はこの山の裾にある島のひとつで、頂上には帝釈天をはじめとしていろいろな神様の住む世界があります。

悟りの一寸手前の世界、ほんの少し煩悩が残る世界を有頂天といいますが、「うまくいった喜びで夢中になっていること」「得意の絶頂の意味に」有頂天という表現として転用されています。

天にもいろいろあります。

 

 

2014年12月15日月曜日

焼き上がりに祈りを込めて入れたクープの形


自分でパンを焼く人が増えたようです。

粉や酵母に拘っていろいろ研究したり工夫したりするのは楽しいらしい。

 

フランスパンやカンパーニュなどに、クープナイフやカミソリなどを使って入れる「クープ」と呼ばれる「切れ目」があります。

昔は本職のパン屋さんでもきれいに開かなくて、良いパンが焼けますようにとの願いを込めて、十字にクープをいれたのだといいます。

 

クープ入れが上手でなくても、生地がきちんと出来ていればクープはきれいに開きます。

開かない原因は、「クープ入れ」の問題ではなく、生地の扱いの問題の方が大きいのだといいます。

酵母の量が適量ではないとか、こねが不十分だとか発酵時間が長過ぎるとか、成形の仕方が違っているとかの原因が挙げられますが、それでも日によって仕上がりは違うといいましから、上手くできたときの喜びが大きいのだといいます。

 

2014年12月14日日曜日

大雑把に分ける小乗と大乗の違い


小乗仏教と大乗仏教があるのは、割と誰でも知っています。

仏教の目的とは、つまるところ現世煩悩の世界(此岸)から悟りの世界(彼岸)への渡り方を教えるものだと思います。

小乗・大乗の乗とは、彼岸へ渡る時の乗り物(教え)を意味します。

 

小乗は小さな乗り物、即ち出家した者だけ悟ることができるというものですが、そもそも多くの衆生を救うのが仏教であるということで、釈迦の入滅後数百年の後に生まれたのが大乗仏教。

 

出家・在家の如何にかかわらず、いかに修行しても現世で仏になることは叶わないのだから、ひたすら仏の慈悲に縋って彼岸に達する道を探そうということで生まれた。大雑把に言えば、そんなところかと思います。

 

2014年12月13日土曜日

死後の審判は七日ごとに違う大王によって行われる


死後の審判を下す王は、閻魔様だけではなくて沢山居ます。

死者の生前の善悪を記した「閻魔帳」をもとに、裁判を行う閻魔大王はよく知られています。

 

しかし死後の裁判は閻魔大王だけが行うのではなくて、初七日には秦広王(しんこうおう)が、二十七日(ふたなのか)には初江王(しょこうおう)が、三十七日(みなのか)には宋帝王(そうていおう)が、四十七日(よなのか)には五官王(ごかんおう)が、五十七日(いつなのか)には閻魔大王が、六十七日(むなのか)には変生王(へんじょうおう)が、七十七日(なななのか)には泰山王(たいせんおう)によって行われる。

四十九日で六道のどこに送られるかが決まるが、百箇日に平等王、一周忌に都市王(ずしおう)、三回忌の五道転輪王によって再審が行われる。

 

おちおち死んではいられません。裁判が続くから大変なのです。