2015年1月14日水曜日

後世まで残っていくものは


久し振りに、子供の頃よく歌った唱歌を聴きました。

メロディーが難しいわけでもなく、歌詞も至って淡々としているのにも拘わらず、浮かんでくる情景はとても豊かです。

和歌も俳句もそうですが、奇を衒ったような言葉や、思いついただけのけばけばしい表現をしたものが名句として長く残っているわけではない。

 

心に感じた神髄のものを残し、削ぎ落とし削ぎ落とししたものに集約されているから、割愛されたであろう情景や心情が、その裏から溢れんばかりに伝わってくるのだと思います。

 

踊ったり叫んだりというのも一つの表現方法ではありますが、昇華されたものとは程遠いものに私には思えるのです。

 

優れた職人が作ったものは、焼き物にしても工芸品にしても、簡素化された形の中に、厳しい修行と研鑽に裏打ちされた深い精神性を自ずから醸し出しているように感じます。

 

誰が見ていなくても、誰からも認められなくても、そうした努力に裏打ちされたものは、圧倒的に力強い。

そういうものが、後世まで残るのだと思うのです。

 

2015年1月13日火曜日

捨てられてしまったらしい子猫


庭先を、痩せこけた子猫が時折通り抜けていきます。器量はあまり良くない。

飼い猫だったのが捨てられてしまったらしい。

飼い猫だった証拠に、人影を見ても慌てて逃げ去ることはしないし、「にゃあ」と声をかけると「にゃあ」と応える愛嬌を残しています。

今日は腹が減っていたのか、にゃあにゃあ庭先で鳴き続け、なかなか立ち去らないので、昼に食べた魚の残りをやったところ、かぶりついて食べていました。

可哀そうだが、それ以上のことはできない。

この寒空にどうしているのか心配ではあるのだが・・・

 

 

2015年1月12日月曜日

愛嬌がでてきた狸


昨晩、久しぶりに狸が庭先に現れました。

外れとはいえ一応は都内なのに、どこに巣くっているのか、大分人慣れしたのか、以前のように慌てて逃げ去ることなく、こちらの顔を見てからゆっくりと私の鼻先を歩いていきました。

 

丸々と太っていたその2匹は、親子なのか兄弟なのかわかりませんが、どこかで餌を得て、まずは生き延びていることに安心しました。

 

鳥といい、このような小動物といい、逞しいものです。

 

2015年1月11日日曜日

お気楽な平和主義では


戦争の悲惨さは誰もが口にするし、戦争がない世界を誰もが望むが、未だにそれは実現できないでいる。

自分の側からの主張がお互いに強すぎれば、折り合いがつく道理がない。

 

戦後まもなくの小学生時代を過ごしたから、先生方の体験というのを聞く機会というのが沢山ありました。

船が沈められ海に投げ出された人を救うために救助艇を出すのだが、一定数を拾い上げると、後は船べりに縋りつく人を振り払って見殺しにしたということもあったという。

 

子供心に、それは酷過ぎる。みんな助けてあげれば良いのに、と思ったものでした。

長ずるに及んで、考え方というのは少しづつ変わりました。

 

全てに良いというものは無い。それが極限状態にあるときであれば、どこかで最悪だけは避けるための選択を決断しなければならない。

全滅しないために涙でそうせざるをえなかったことを、経験もないのにお気楽な平和主義で非難することはできないのだと・・・

 

無い方が良いものがまだ有るとしたら、最悪を避けるためにどうするかということを、上っ面ではなくて考えなければならない。

ヨーロッパがきな臭い。

 

2015年1月10日土曜日

職人が大事にされた文化が


儒教というのは学問だと思っている人が多いが、これは宗教なのではないかと思う。

教と言う限りは、そこに思惑が絡む。

 

儒教には、朱子学と陽明学があります。

朱子学は、形式や名分を重んじる支配者にとって都合が良い学問であり、陽明学は、実戦や行動を重んじる平民の思想とおおまかにはいえそうです。

白馬は馬に非ず、などということを論ずることに血道を上げるなんてことはしません。

 

幕末の頃は、陽明学が強かったし、支配者層も学問のみに捉われず、汗をかくことを躊躇わなかったし、伝統技術を継続発展させてきた国柄というのも大きい。

能や歌舞伎、寺子屋などを通じ、平民の識字率、教育水準も高かったことも、明治以降の発展に寄与して近代化を果たしたのだと思う。

 

学問も大事にするが、額に汗することも疎かにしない。

古くより、実用に供することに努力する人を大事にしてきたことが、いかに大きかったか。

 

 

2015年1月9日金曜日

不用意に口にしない方がよい言葉


あの人はいい人だ、と言われる人というのは、大抵が聞き上手です。

私は、自分で自分のことをいい人だとは思わないし、どちらかと言えばかなり人が悪いとの自覚があります。

でも、重病に罹って明日をも知れないという状態になったり、手に余る悩み事を抱えてどうしようもなくなった友人から、そんなときに何故か相談を受けることが多い。

 

そんなとき、どんなに時間がかかろうとも、黙って相手の話を終わりまでじっと聞く。

我知らず相手の話に口を挟み、自分の考えを言いたくなるものだが、そんな言葉は大抵相手に通じない。悪くすれば、おためごかしのような空虚なものになってしまいます。

 

相手は、自分の中に既に、はっきりと纏まっていなくても言ってほしい言葉というのをもっています。結論というのはもっているのが普通です。

解ってほしいし、認められたい思いが一杯あって苦しんでいるのです。

話しの中でそこのところを汲み取って言葉をかけないと、励ましにはならない。

生きていたいに違いないし、穏やかに覚悟するまでには葛藤があるのですから。

 

最後にかけるのは「絶対約束してくれ、ああ俺はもう駄目だということを口にしないように。」という言葉です。

人間は、自分が思った通りのものになる。そして、この「ああ、俺はもう駄目だ。」という言葉ほど、口に出したらその通りになる言葉はない。

 

2015年1月8日木曜日

三拍子揃ったオバチャンが


チビ・デブ・ブスは、差別用語というか侮蔑用語であるから、他人に対しては使わない方が良いに決まっている。

 

でも、息せき切って電車に乗り込んできた二人ずれのご婦人の会話に、思わず心が和みました。

「ほら、私なんて3拍子揃ったブスでしょ。いきなりブスっと刺されたら逃げられないわよ。」

何かの事件のことを話していたらしいのだが、明るく達観した話しぶりに、「大丈夫です。貴方のように良い人を刺すひとなんていません。」

声はかけませんでしたが、心の中でそう思いました。

幸せでありますように!