2017年2月12日日曜日

日本と仲良くする政策をとった方が良いと思うが

かつて米国とソヴィエト連邦が対峙していたとき、米国がしかけた軍拡競争に資金的に敗れ、ソヴィエト連邦はなくなったのだという。核戦争にはならなかった。

中国は、為替操作を突かれると、元を買い支えなくてはならなくなり、外貨準備のドルが激減するばかりでなく、その影響で自国経済がもたなくなる。
世界の下請け工場として、人件費が安かったころは発展できたが、それにも陰りがでているのだという。

実体経済が強くなれないのは、技術革新をして付加価値の高い製品をつくるように脱皮できなかったことや、労働者のモラルが向上しなかったせいだとも言われるが、共産党支配下では民間資本が育つわけがないから難しかろう。
文化大革命により、優秀であったとされる人材を4千万人とも言われるほど殺してしまったことだって影響しているに違いない。
社会主義にあるまじき貧富の格差を、これから解消する方策に転換するのは、政権にとっては恐怖そのものであろう。

共産主義王朝の利権にどっぷり浸かった指導層が、その権益を手放すことは想像しにくい。
まず絶対と言っていいほどあるまい。
さりとて、国内的に行き詰って外に敵を作り、軍事衝突を引き起こすのは壊滅的な結果を招くことは明らかだから、そんなことには踏み切れまい。
南シナ海に人工島を作ろうが、遼寧を出して威嚇しようとしても、機動部隊ともいえない脆弱さを露呈しているのでは、どうやってみても期待通りにはならない。

何とかメンツを保ちながら、拡大路線から退かねばなるまい。
日本がそうであったように、拡大路線ではうまくいかない。
破れかぶれになって核を使うなどということがありうるのは、北朝鮮くらいのもの。
そんな愚かな選択はできまい。

覇権などを考えず、近隣と仲良くすることを考えれば、共に発展していくことが可能になるのではないのか?
今の日本は、挑発を繰り返しさえしなければ、敵国ではあるまい。仲良くしていきたいと思っている人はまだ多い。

2017年2月11日土曜日

不法入国を防げない?

過去に、日本人の海外への移民は多かったと思う。
彼らは、後に続く人たちがいるであろうことを考え、誠実に働き信用を得ることに努めた。
移住先の国への忠誠を誓うことも当然と考えた。

最初から、差別を受けることもなく受け入れられたわけでは決してあるまい。
普段の努力があったことは想像に難くない。そうして長い努力の末に信頼を確保し、成功を修めていったのだと思う。
これは、華僑と呼ばれた人たちも同様だったのではなかろうか。
信用というのは一朝一夕では得られないのだから、ごく一部の人が犯罪を犯すだけで全体責任となるであろうことを弁えていたから、自らを厳しく律した。

不幸なことに、最近は、同朋に対する慮りを考えることなく、凶悪な犯罪を犯す不法入国者が増えたということであろう。
そういう意味でいえば、トランプ大統領の主張は理解できなくもない。
押しなべて全部を対象として一括りにするから、反発を受けやすいのだと思う。
テロリストに理解を示す人が多いところではテロが起こりやすく、犯罪者に対する対応が甘いところでは、犯罪が増えるとも言われる。
そうはいっても、一人一人を認定するのは難しかろう。結果が出るまで分からないとは言えるにしても、出てしまった後では遅いということへの備えは、更に難しい。

犯罪を侵したら強制送還するのだ、ということはどこの国でもそうしているのだろうが、実態がどうなのかといえば、こと日本に限ってであっても、できてはいないだろうと感じる。
日本における不法滞在者を含む外国人の中で、犯罪率が高いと巷間言われる国籍の人がいるが、彼らが犯罪を犯しても、強制送還されたということはまず聞いたことがない。

テロ対策に神経を尖らせざるをえない国であれば、何も対策を講じないままというわけにはいくまい。方法が過激だといって人道的な見地から批難するのは簡単だが、人権はどちらのサイドにだってある。
お世話になる国に入国できた人たちが、その国に迷惑をかけることがなくなれば、ものごとは丸く収まっていくのであろうに、相互に自重しあうことはできないものなのだろうか。

2017年2月10日金曜日

矛盾だらけだとさえきづけないのでは

駐韓大使・公使が帰国して1か月が過ぎた。
日本との関係が冷え込むことがもたらす経済的悪影響と、安全保障上の脅威は、計り知れないのだと、理解できないわけはあるまい。
日本側はさして困らないが、異常な状況が続くことは、余計なお世話かも知れないが、決してよいことではあるまい。

頭に血が上った民衆と、それに乗っかる野党はますます騒ぎ立てるだけで、一向に解決の方向には向かわない。
あろうことか、国際的な約束は政権が変わっても引き継がれるべきだと日本が言ったことに対して、次期政権にまで強要するのか、とマスコミも絡んで騒いでいるのだとか。
な~にを言ってんだかね。70年前のありもしないことを、日本の政権が変わっても強要しているどの口が言うのか。
要するに、約束事はできない国だということを公言しているということになる。

米国が膨大な費用を使って調べたことを、資料を基にして意見を述べている動画がありました。
米国の、この報告書を読みもしないで慰安婦のことを語るべきではない、と彼は言う。
もっともである。

K国民は、矛盾点を矛盾点ととらえて考察する能力が欠如しているということについて、更に加言するなら、日本兵が250万人のときの慰安婦20万人というのは、兵12.5人に対し慰安婦1人ということになる。どう考えたってありえない。

まあ、かの国に論理的思考を求めても無理な話であろうが、真実を知っている政府要人は必ずいる筈だから、今更ながら、引っ込みがつかないまでに煽り立ててしまったことに、頭を抱えているに違いない。
騒ぎ立てた結果、世界中で真実を追求することになったとしたら、「な~んだ。韓国は何を言ってたんだ。」ということになるのは避けられまい。
感情にかられてしまうことはあるにしても、どこかで変だなと疑問をもって立ち止まることができなければ、行きつくところまで行くよりない。

ファシズム?軍国主義?

よく野党議員が、ファシズムだの軍国主義だのと軽く口にするが、定義と意味を理解して言っているのだろうか?
悪のイメージを一般受けするように、殊更貶めるためにしようしているように感じる。
甚だしきはヒトラーだのと言い放つが、不見識すぎると感じる。

まあ、そんなことしか言えない党は、じり貧を続け、もう少しでなくなりそうではあるが・・・
対案をきちんと提示しないで批判して時間を費やすのでは、国益を損なうだけではないのか?

ファシズム(結束主義))とは、イタリアのムッソリーニと彼が率いた国家ファシスト党が提唱した思想や政治運動、および政権時に行った実践や体制の総称である。ドイツのナチズムもそう呼ばれるが、要するに国家の上に思想があることをいうのではないかと思う。

軍国主義とは、 戦争を外交の主たる手段と考え,軍事力を最優先する考え方ないしイデオロギーということであろう。

日本でそんなものが今更復活するわけがなかろう。
一般人としても、意味位は理解していないと惑わされる。
センセーショナルな言葉遣いやレッテル貼りに走る前に、説得力があり納得できる論で主張してほしい。

2017年2月9日木曜日

額に汗することを蔑むような文化では

韓国が、「日本に文化を教えてやったのだ」というから、何のことかと思ったら、朝鮮通信使が行って、日本にいろいろ教えたのだと信じ込んでいるらしい。
ばか言っちゃあいけません。それが来た頃は、日本の方が桁違いに文化は進んでいた。それにとどまらず、日々工夫を重ね、さらなる発展をさせていく民度が培われていた。
事実、明治時代に近代国家として脱皮できたのは、アジアでは日本だけであったということからもそれと知れる。
日本だって遣隋使や遣唐使を中国に派遣したが、使節というのは、教えに行くのではなく教わりに行くもの。そして、教わったものは改善してより発展させたのが日本である。

朝鮮通信使のそもそもの趣旨は、室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗王朝の返礼であった。足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりであるとされる。
しばらく途絶えていたが、李氏朝鮮から豊臣秀吉が朝鮮に出兵するか否かを確認するため、秀吉に向けても派遣されている。その後の文禄慶長の役によって日朝間が国交断絶となったために中断され、江戸時代に再開された。

江戸幕府は、朝鮮通信使の来日については琉球施設と同様に「貢物を献上する」という意味を含む「来聘」という表現をもっぱら用いており、使節についても「朝鮮来聘使」・「来聘使」・「朝鮮聘礼使」・「聘礼使」と称し、一般にもそのように呼ばれていた。
通信使来日の目的は、日本が朝鮮を攻める気配があるかどうかを探ることだったという。
貢物として持参したのは、毛皮や朝鮮人参などであったらしいが、要するに一次産品。
使節が往来する際の宿泊地での振る舞いは、日本側から顰蹙をかうようなことが多かったのだという。
往来の最中に目にしたり聞いたりした日本の優れた文化・文物にも、差を感じていた。
例えば、朝鮮は物々交換だから、旅をするとき重い荷物を持って移動するが、日本は貨幣経済が発達しているので、どこに行くのにも身軽である。
水田の感慨に、水車で川から水を汲み上げていて便利だ。

自国に返ってそれらの報告はしたらしいが、それらはついに取り入れられることなく、後進性を保ったまま、併合時まで至った。水車などは、木を曲げる技術すら工夫できなかった。
根拠のない気位ばかりが高く、額に汗して働くことを蔑んだ文化では、工夫する喜びなぞ生まれないということか。

2017年2月8日水曜日

忘れられない酷い話はあっても

日露平和条約というと、北方4島の返還だけが取り上げられる。
安倍総理は、難しい交渉に頑張ってくれていると思う。
確かに、国後・エトロフは、違法占領を受ける前にソビエト領だったことはない。
ただ、問題はそれだけではあるまい。

1945年(昭和20年)8月15日の終戦を稚内港で迎えた小笠原丸は、樺太所在の逓信局長から逓信省関係者の引揚げを要請され、8月17日に稚内を出航し大泊港へ向った。
樺太では8月15日以降も、日露不可侵条約を一方的に破ったソ連軍の侵攻が続いており、混乱状態にあった。
翌18日、殺到する引揚者のうち、残った若者(多くは凌辱されることを厭い、自決したという。)を除く老人・子供・女性約1500人を大泊から稚内に運んだ。
8月21日、稚内からの移動手段が限られていて、キップが確保できないこともあって、稚内で下船しなかった引揚者約600人、乗組員86名、警備隊員13名、の合計約700人を乗せ小樽港へ向けて出航したが、1945年8月22日午前4時20分頃、増毛沖5海里にて国籍不明の潜水艦(ソ連側は認めていないが、ソビエト連邦のL-12またはL-19説が有力)に雷撃されて沈没した。のみならず、更に浮上した潜水艦の銃撃を受け、ほとんどの乗船者が船と共に海中に没し合計638名(乗組員57名、引揚者581名)が犠牲となった。生存者はわずか62名であった。
全て、民間人であり非戦闘員である。
かくも非道なことをしたのは、ソヴィエトのスターリンが、怒った日本が反撃するであろうことを狙い、反撃されたら、日本はまだ戦闘を続けているという理由付けをして、北海道を占領しようと目論んだのだとされる。

他にも、60万人にも及ぶ日本人を極寒のシベリアに強制連行して、強制労働に従事させ、この地で敢無く死んだ人も多い。
上記2件だけでも、明らかな国際法違反であり、これに全く触れないまま平和条約というのはありえない。
日本はK国のようにそれらを騒ぎ立て、この先の友好関係を阻害するようなことはしないだろうが、歴史の事実を明確に知らしめておくことは必要であろう。

2017年2月7日火曜日

秀吉以前にも朝鮮と戦ったことがある

朝鮮は、日本と戦って独立を勝ち得たといっているようだが、そんな歴史事実はあるまい。
朝鮮戦争では、南下する北朝鮮軍に怯えて、戦いもせず部下を捨てて逃げた李承晩の話は、米軍少尉の話でも知られている。
韓米は共に戦った血の同盟だと韓国は自慢するが、米国の言うことは全く違う。気が付いてみたら韓国兵は皆逃げ去ってしまい、戦っていたのは米・中の兵だけであったという。だから、米国は韓国のことを信用していない。
では、同じ民族である北朝鮮がどうだったのかというと、米軍が参戦した途端に逃げ帰った金日成が、中国の将軍に怒られ「おまえはハンコだけ押していろ。」といわれたという話も、中国経由で聞く。偉そうなことを言うが、相手が強いとなるとすぐ逃げるのだと言われている。
何と言ってごまかそうが、日本軍がいなくなったから、竹島を占領できた。戦争もしないで戦利品ってあるのか?

朝鮮(実際には唐の軍だったらしいが)と戦ったのは、秀吉だと思っていたが、それ以前にもあったのだという。

永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は、日本側の主力が不在である隙を狙って対馬侵攻を謀り、李従茂率いる227隻、17,285名の軍勢を対馬に侵攻させた。
日本側の留守を預かる武士の数は600人程度であり、常識的に見れば、朝鮮軍の圧勝のはずであった。
朝鮮軍は、20日昼頃に対馬の尾崎浦附近へ上陸した。一帯の一般船舶129隻を焼き払い、20隻を奪い、民家1939戸を焼き、114人の島民を殺害したとされる。
しかし26日頃には、対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受けて尾崎浦まで退却。戦局は膠着状態に陥った。

それにも拘わらず何をトチくるってか、朝鮮側は29日に対馬の宗氏に対して対馬の属州化などを要求する使者を送ったが、にべもなく宗氏にはねつけられた。
損害が甚大となった李氏朝鮮側は、対馬側の和平提案を受け入れ、7月3日に全面撤退した。

李氏朝鮮側の被害は日本の資料では、朝鮮側の死傷者2500以上。
朝鮮側の資料である『世宗実録』では、6月26日の襲撃で死者百数十人、7月10日の記録では180人とされているというが、これでは6月26日及び7月10日の損失を合計しても総数の2%程度であり、これ位の損害で和平を受け入れるとは考えにくい。
敗戦と自ら明記し、将官も戦死していることから推測して、実際の被害は相当数にのぼると思われる。
8月5日の記録では日本の戦死者20人に対し朝鮮側が100余名とされている、
朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった事からも窺えるように、朝鮮軍が尋常ではない負け方をしたことが推測される。