2012年12月11日火曜日

気が利かないと、周りをいつも怒っている人がいますが


世間には、「気がきかない」と言って、周りの他人をいつも怒っている人がいます。

そう口に出していう位ですから、その人にはそれができる能力があります。

 

でも、誰にでも得手不得手というのはあります。

自分にどんなに能力があっても、自分だけでできることには限度があります。

大きな成功を収めるには、周りの助力や援助は不可欠です。

 

何をやってもうまく行く人や成功する人は、ものの頼み方が上手です。

その他人にあった出し方、その他人をその気にさせてしまう頼み方をしています。

自分の感情や都合が前面にでるのではなく、結果として望む動きをしてもらえるように穏やかな言い回しをしています。

 

「気が利かない」と怒りを内に秘めていると、自分も相手も精神が傷みます。

傷んだ心から出る言葉は、誰も幸せにはしません。

自分が変らなくては他人も変わりません。離れていくだけならまだしも、敵に回すようなことは極力避けねばなりません。

敵は、通常の8倍のエネルギーを持つと言われていますから、重なればそのマイナス効果は計り知れないものになるのですから。

この先が20年あると考えると


風邪を引いたらしく咳が止まらないのを放置していたら、声が全く出なくなってしまった。

仕方がないから医者にいくことにしたのだが、待合室が混雑していて大分待たされた。

 

よんどころなくラックにあった漢詩の本を開いて読むともなく読んでいたら、嘆駒隙(クゲキをなげく)なんて文が出ていた。

駒隙とは、月日が早く流れ過ぎること。

 

先日の古希の会に集まった面々は、生きてくるのに一所懸命で、クゲキなんてこととは程遠い

経験をしてきたらしい様子が諸処に見て取れた。

 

70年を生き延びた人は、90歳以上まで生きるらしいから、この先20年をどうするかということになる。

20年あれば、かなりなことを成し遂げられる筈だから疎かにはできない。

気持ちはあっても体力とは相談しなくてはならないが、真剣に考えてみる必要がありそうです。

冷や水にならないように、知恵を使ってネ。

2012年12月10日月曜日

音叉のように幸せと共鳴する


 離れているのに音の振動が空間を伝わって共鳴することは、よく知られています。

 この世のことは、物質も含め全て振動数の違いによって現れているという人もいます。

 

「類は類を呼ぶ。」とか「類は友を呼ぶ。」とかいいますが、善は善を引き寄せ、悪はアクをひきよせる。

 その人の心のありようによって同じものを引き寄せ、対立するものを撥ね返すらしい。

 

 ツキとかヒラメキとか、何か偉大なものからの精妙な知らせは、澄んで清らかでいるところに齎されることが多いようにみうけられます。

 

 他人との関わり合いだって、だらしなくて汚ならしい人は避けたいと思うのが普通の人情でしょう。

 

 身を清め、こざっぱりした服装で過ごした方が、本人だって気持ちよいに決まっている。その方が、回りに良い人たちが寄ってもきやすい。

 

 お掃除もきちんとしないと、人だって良い運だってやってこないのは自明の理だと思うのですが・・・

2012年12月9日日曜日

学びは何処ででも


 中学校の同級会を、「古希の会」となる節目でもあり、今年は同級会を郷里の飯田ではなくて東京でやることになった。

 

 卒業以来半世紀余となるが、初めての参加者も加え総勢で21人集まった。

 こういう会は、いくつかの条件が整わないと参加できない。

 自分も家族も健康であり、経済的にも余裕があり、殊に女性は家を留守にすることに家族の理解があり、などなど。ありがたいことである。

 

 禿たり白くなったり太ったりと外見は凄まじく変わったが、面差しは残っていて、すぐに打ち解け和やかになった。

 

 この年になるまで、お互いの積んだ経験は豊富だから、話題は楽しいものばかりであった。

 住所録の中に、読めない漢字があった。偏がサンズイで旁が秋。これを長久手と読むのだという。長久手の戦いがあった近くの地名である。

 

 何歳になっても、学ぶことは多い。

 次は、喜寿の会で集まろう!という中で、楽しいから「来年もやろうじゃないか。」という声が多かったから、多分来年もどっかでやることになる。

 

 人が集まれば、必ずそこに学びや気づきがある。

 誰にも等しく提供されているのに、気づくことができる人、更にはそれを発展させて役立てることができる人。

 この違いはどこからでてくる感性なのだろうか。無駄なことは一つもないといわれて育ってきたが、そういうものかも知れない。

プラス思考というのはできるものなのか


 プラス思考ということがよく言われます。

 人間は、放っておくと考えの75パーセントはマイナス面のものになるのだとか。

 そこで、ものごとをポジティブに捉えなさい、ということになるのだが・・・

 

 やってみればわかりますが、得てして空元気というか上っ滑りというかになってしまってプラス思考というのが精神の内側にまで入っていかないことが多い。

 

 それはそうでしょう。世の中のことは、プラスマイナス・正負・陰陽・美醜、対語となるもの全てセットなのですから。

 それでも、善は悪に勝つとか、どちらかに優位性を持たせることはできそうです。

 

 潜在意識の世界は、思考するものは正負善悪構わず実現してしまうというから、思い方というのは重大です。

 まず、信じられるものを作り、信じられるように動き、そして信じきるということにしなくてはならないと気づかねばならないようです。

2012年12月8日土曜日

ものぬぐの池


武具脱池(ものぬぐのいけ)

 草津の湯釜から少し下ったところに「ものぬぐのいけ」と呼ばれる池があります。池というよりは湿地と言った方が相応しいのかも知れませんが、木道があって歩きやすくなっています。

 

 草津白根山は、修験者が霊場として修行していたところであると言われるが、その頭巾、法衣も武士の甲冑と同じと見做され、白根山に登るには、これを脱いで白装束に着替えた場所といわれる。

 今年は、標高2000メートルを超えても紅葉が遅かった。
武具脱池の周りは色づいていたが、それでもまだ、リンドウの群生の紫が残っていました。

気づきというツキ


 心に不安や恐れ、悲しみや悩みが生じたり、実際に病気や事故などのトラブルが起ったとき、「これでよかったんだ。これで原因を消すことができるんだ。」と、宗教をやる人がよく言います。


 そう言っていながら、そういう本人がとらわれたままの姿を変えることができずにいるので、それを見ている人は、宗教というももを胡散臭く思ってしまいます。


 「それでよかった。」なんて思うことはなかなかできませんが、プラス方向に受け取ることができるようになることが必要だというのもよく言われます。
 なぜなら、それらは成功やツキのための宝庫である潜在意識が、その人に気づきを与えるための試練としてそういう事象を現しているのであるから、顕れれば必ず消すことができるのであるということに他ならず、有難うと感謝すればツキが巡ってくるというのです。

そうはいっても、凡人はなかなかそうはいきません。


 そう思えるようになるための入り口というのがどこにあるのか、ということになるのですが、身の回りを綺麗にしていないと見つけられないのだと昔の人はいいます。


 ご先祖様が教えてくれているのだという人もいますが、実際にどうやって教わるのかと聞くと、「感謝の気持ちを現そうと思ったときどうするのか。」と考えて見れば、誰だって良くわかっていることなのだと言われます。


 それは、社会生活のどんな場所にいても同じだということなのですが、なかなか難しい。
できることから一つずつでも、先ずやってみると早いらしい。