2022年2月16日水曜日

伝えていきたい日本武道の神髄

 

日本の武術は、年齢差や体格差を超えたところにその神髄があった。

合戦においてそんなハンディキャップは通用しない。年を取ったら戦えないというのでは領国を維持できないから、武術を究めることには真剣であった。

昔は武道であったものがスポーツ化するにつれ、ルールが後付けされたが、それが公平であるかどうかは疑わしい。それだってしょっちゅう変更される。

甚だしきは、スポーツ大会開催国の都合によって日本側選手が不利になるようにルール変更された例は枚挙に暇がない。

 

八幡太郎義家(源義家)の弟である新羅三郎義光(源義光)を流祖とし、甲斐武田氏に伝えられ、甲斐武田氏の滅亡後は会津藩主・保科氏(会津松平氏)や甲斐武田氏の末裔を称する会津坂下の武田氏に引き継がれ、その後、御式内として会津藩の上級武士にのみ極秘裏に教授されたとされている。

明治30年(1897)、霊山神社にて宮司の保科頼母(西郷頼母)は、会津武田氏の武術家武田惣角に御式内(おしきうち)の技法を伝承し、また広く世に広めるようにしたという。武田惣角は大東流中興の祖とも呼ばれ、全国を放浪して大東流の技法を多数の人々に教授した。武田惣角が教授した人々については英名録、謝礼録という記録がある。

しかし近年の武術史研究において、武田惣角が主張していた『大東流の伝承史』を疑問視・否定する意見が多いともいう。

実際、保科頼母の養子である柔道家の崔剛四郎(姿三四郎のモデル)は、大東流を修行した形跡は見られず、頼母から伝わった、会津伝承武術であるという説は疑わしいと考えられているらしいが、武道の神髄は脈々として伝わっていることは、日本国にとって誇らしい。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私が書いた小説 「夏風越の(なつかざこしの)」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218

「鵯越え」・・・・「夏風越の)」の続編です

https://kakuyomu.jp/works/1177354054935239046/episodes/1177354054935239209

「くぬぎ越え」・・・夏風越の)」の続々編です

https://kakuyomu.jp/works/1177354054954452867/episodes/1177354054954453601

「遺された難所 疎にして越え難きもの」・・・時々書き足しています

https://kakuyomu.jp/works/16816452218414122553/episodes/16816452218414238883

「夜叉姫変化」

http://www.kng2321-cbs.com/yasyahime.html