2016年6月30日木曜日

尖閣の領空が危なくなってきているらしいが

東シナ海上空で中国軍の戦闘機が空自戦闘機に対し攻撃動作を仕掛け、空自機が自己防御装置を使用して離脱したとのだという。
領空侵犯に対するスクランブルで発進した自衛隊機に対してのものだといい、中国機の動きは少なくとも16日以降続いているらしいが、報道しない自由なのかどうか知らないが、メディアに対して不信感を抱かざるを得ない。
まかり間違えば偶発的ともいえない戦闘行為が起こり得る。

こんなときこそ、メディアは世界に向けて、このような危険行為の異常性を発信し、危険な挑発は重大な結果を招きかねないという世界の世論を高めることで、抑止を図るべきではないのか?

日本国民も、差し迫っている危険の認識をすべきだと思う。

中国軍艦が9日に沖縄県・尖閣諸島の接続水域に入ったり、15日に鹿児島県の口永良部島の領海に侵入したりしたことも、もっと大きく取り上げて、国民の注意を喚起すべきなのではないのか?

空自スクランブル(緊急発進)機に対し攻撃動作を仕掛けてきたのに対し、空自機は、いったんは防御機動でこれを回避したが、このままではドッグファイト(格闘戦)に巻き込まれ、不測の状態が生起しかねないと判断し、自己防御装置を使用しながら中国軍機によるミサイル攻撃を回避しつつ戦域から離脱したというから、日本が冷静であったからこれで済んだということになる。

譲ればそこに付け込んでくるというのが国際常識であることを考えると、放置していてよい事案とは思えない。
9条があれば大丈夫というわけにはいかない。

声の大きい方が勝つ?

何らかの紛争が起こったとき、どちらか一方が絶対的に正しいということは滅多にない。
双方に主張はあり、双方に落ち度があるというのが普通です。

日本では、あえて言わないことが大人の対応とか美徳と考えるところがあります。
なにか問題があっても「すみません」とさえ言えば、「謝っているから、この辺で許してあげよう」ということにもなるし、「いえいえ此方にも至らないことがありました。」ということになって丸く収まる。

しかし、国際社会においてはそうはいきません。
中国では「柔らかい土はもっと深く掘れ」韓国でいえば「水に落ちた犬は叩け」ということになり、弱みを見せたら最後だというところがあります。

国際社会では「謝罪すること」=「罪を認めること」
それは即ち、「償い(=賠償)をすること」にイコールに結びつきます。
だから諸外国人は、自分が悪いという認識があってもまず謝りません。

問題があったら騒ぎ立て、声の大きい方が勝つということになります。
だから、戦争は紛争を解決する最後の政治的手段ということになっていて、それを悪だとは思っていないところがあるように思えます。

我が国は、もめごとにしないで丸く治めようとしてきたあまり、主張すべきところを主張しないできたことで損ねた国益というのは大きい。
反論しないということは、それを認めたということになりかねないから、事実でもない言いがかりのようなものには、きちんと対応しないと、取り返しがつかない結果を招くというのが、世界の常識です。


2016年6月29日水曜日

本当にパスワードの変更をしなくてもよいのだろうか?

パソコンを使っていれば勿論のこと、その他にもパスワードの設定が重要な必要事項となるものが多い。
パスワードの管理は、かなり煩わしいものです。
時々は、パスワードの変更を求める通知がきたりして、その発信者が疑わしいものもあったりして猶更神経を使うことになります。

アメリカの科学研究機関NIST(米国国立標準技術研究所)のコンピューターセキュリティ担当部門、CSDComputer Security Division)が発行した文書「800-63B」が注目を集めています。
デジタル認証のガイドラインとして書かれたもので、パスワードに関する項目に、「パスワードの定期変更はすべきでない」と明記されているのだという。
セキュリティの常識を変える可能性がありそうですが、ホントのところはどうなのでしょう?

成功者同士の冗談

ある集まりがあって、酒食を楽しみました。
大長老であり、事業にも成功した80歳を過ぎた方二人の会話が面白かった。

一人が、後継者である息子(50歳はとうに過ぎている)のことについて不満を述べているのに対し、「あなたも財産を沢山のこしたけれど、幸福ではないね。これから幸せになるのには、俺を養子にするのが一番なんじゃないか?」と言ったので、みんなで大笑いになりました。
そう言った人も、事業で大成功したお金持ちだったからです。


2016年6月28日火曜日

日本語のままで学術研究ができるのは

先人たちの知恵と努力には、驚きと感謝の念を禁じ得ない。
日本人の文章読解力は、世界でも有数なのだという。国語がしっかりしているからだと思う。

古来からの日本語を漢字表記に馴染ませ、それを補うのに平仮名とカタカナを作ったということ。
更には、明治に入り諸外国の文化を取り入れるに際し、今までになかった概念を、漢字の意味を使ってキレイに翻訳してしまったことは、偉大なことであったと思う。

これらがなかったら、日本語そのものを変えてしまうことなしに科学の発展をさせ続けることは難しかったに違いない。言葉を理解することなしに学問・研究はできない。
数多くのノーベル賞を受賞するようなこともなかったかも知れない。

日本が翻訳したことでできた漢字熟語は、現在の中国でも使っているようだし、韓国でもそれを言葉として使っているものが多いのだと聞く。
ただ、韓国の場合は漢字を捨ててハングル文字による音だけになっているので、同音異語の区別が難しかったり、語源が解らないから言葉の意味を類推することはできないのだという。
当然のことながら、歴史などは調べられる語学力を有する人は限られるということになる。

言葉とそれを表す文字というものは、思考能力にとって重要だということになる。

住んでいれば国民と同一の扱いというわけではあるまい

「日本国民」とは 、 日本国の国籍を有する人だと思うのだけれど、違うのだろうか?

日本に在住するということで一定の保護を受けるということはあるにしても、反日教育を目的とする学校に補助金を出すということは、どんな根拠によるものなのだろうか。
日本の学校に通えば、無償であったり補助金があったりするのに、それを選ばないで外国人学校に通い、デモまでして当然のように補助金を要求されても、差別するわけではないが何か釈然としない。
同じことに、生活保護というのがあるように思える。これも日本の税金によってまかなわれているのではないのか?

国民としての権利を主張したいのであれば帰化すれば良いのにと思ってしまう。
勿論この場合は、日本国に忠誠を誓ってもらわねばならない。

日本国民としての国籍は、国籍法による。
第一条  日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。 (出生 による国籍の取得)
第二条   子は、次の場合には、日本国民とする。 一 出生の時に父 又は母が日本国民であるとき。 二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつた 。

2016年6月27日月曜日

この先、世界はどうなるのだろう?

世界経済の行方が、難しい局面を迎えているようです。

英国をはじめEU諸国や、また大きな影響を受けるであろう我が国はどうなるのだろうか?
ようやくデフレから脱却できそうに見えていたのに・・・

C国も不動産バブルがはじけたとか、在庫超過だとか、株式相場や外貨準備高が怪しいから危ないと言われているが、自国の経済を持たせるのが6000万人というから、人数でいえば大多数の国民を犠牲にしてでも共産党員だけででもそれをカバーするということになるだろうから、簡単には崩壊しないのではないだろうか。

共産主義の行きつく先は、歴史からみると、民主主義をうたっているとしても絶対君主制に等しいのが現実のようです。
絶対君主制が倒れるは、過去の例をみると武力であったから、それはそれで恐ろしい。

ただ、かの国の政権が変わるきっかけは、いつの時代も国民の暴動からであったようにも見えるから、そんなことがなくて平和裏に進んで欲しいが、外に敵を作るような動きをしているのを見ると、国内に不満が鬱積しているのかも知れない。

いずれの国も問題含みのようです。
他国に悪影響を及ぼさないで国を発展させるのは難しいということか?


2016年6月26日日曜日

水から離れて咲くのが蓮

ハスの根はレンコンと呼ばれ、食用にされることは誰もが知っている。
しかし、花が咲いた後にハチの巣のような形状の中にできる実が食べられるということを知っている人は少ないのではなかろうか。
ハスの実の甘納豆は、とても美味しい。

ハスの花といえば白と相場がきまっているが、ピンク色の花を咲かせるものもあります。





2016年6月25日土曜日

アナフィラキシーショックは恐いから

ブルーベリーの木にヤブカラシが覆いかぶさって茂っているので、夏に黒く熟れた実を採るときに備え、花が咲く前に駆除しました。
というのも、ヤブカラシの花にはスズメ蜂が寄ってくるからです。
聞くも恐ろしい大きな羽音を立てて飛び回ります。
これに刺されるのは猛烈な痛さもさることながら、命にかかわります。



一度刺された人は2度目には厳重な注意が必要です。
10%の人が蜂毒に対して抗体が出来てハチアレルギー(アナフィラキシー)になり、約2%の人は身体が過剰に反応して血圧が下がって生命にかかわるショックを起こす危険があるからです。

アナフィラキシーショックは蜂に刺されて数分以内に起きて、全身が赤くなる、呼吸が苦しくなる、血圧が下がる等の症状が起きる。
従って、もし刺されたら、10分から15分の間に病院で治療を受けることが重要です。
特に最初刺されたときに意識が朦朧としたような人は特に注意。

 ハチ毒に対するアレルギー反応はさまざまですが、共通するのは発汗・吐き気・頭痛・腹痛・蕁麻疹など刺された場所以外に全身的な症状がでることです。
顔面蒼白、冷汗、立ちくらみ等でも注意してください。見る聞くなしに医者です。

2016年6月24日金曜日

自分で調べてみるクセをつける

ネットでいろんな記事を読んでいると、先の大戦は一部指導者によって引き起こされたと教えられていたのとは違う側面があったのではないかと思えることが沢山ある。

ABCDラインで包囲され、野垂れ死にを待つしかない状況下にあって、大新聞も開戦を煽るようなことを書いたようだし、全員がとは言わないが、国民の多くもそれを支持したように思えなくもない。
今は、そんなことは億尾にも出さず、忘れ去っているようであるが・・・

理性ではなく情緒に訴えることで体制をリードしようとする動きが出てきたとき、自分がそれに引きずられることなく判断することは難しい。
自分の頭で考えることなく付和雷同してしまうことは、どうしてもあり得る。

声の大きい人の言うことや、キャッチフレーズ付きの意見は影響力が強いから、鵜呑みにせず冷静に一歩下がって考える癖をつけることは大切なように思う。

真意がどこにあるのだろうか?と、解らないまでも推し量ってみるということか・・・

割り引いて聞いた方がよい言葉

「国民が許さない。」という言い方をする人がいるが、たいそう違和感を覚える。
「そう思う国民がいる。」とか、「私は許せない。」というなら解ります。

さもさも大多数の意見がそうであるかのように言うのなら、根拠を示すべきだと思うのです。
大声で「国民が~」とやることで、ミスリードされる人だって出てくるから、さもさも国民の代表者のように言うのは控えて欲しいと思うのです。
「自分はこう思う」という主張に共感できれば、自分たちの頭で判断できるのです。

同じような表現に「世間が許さない。」というのがあります。
実際のところは、世間がではなく自分が許さないということであることが殆どのように感じます。

国民がとか世間がとか言う人の主張は、割り引いて考えないと判断を誤るのだと思います。

2016年6月23日木曜日

自分で決めつけなくても良いものはある

世の中には、あるかも知れないし無いかもしれないというものが沢山ある。
得てして、証明されないと信じないということになりがちであるが、可能性を否定してしまう結果になることを避ける方法というものはないのだろうか?
解らないことは解らないとしてとどめておくほうが良いように思える。

逆に、門外漢であることを考慮に入れないで、自分の理解を超えることについて、他者の意見にまるまる乗っかって解ったつもりになるのもしないようにするだけで、多くの可能性を残せるように思う。

そういう意味で、科学者とか識者とか評論家のいうことはどこまで信用するかということにもならから、鵜呑みにしないことも大切なことのように思われるのです。
彼らには、自分の知識や情報だけではなく、イデオロギーや既得権益や組織の方針や、その他諸々の制限がかかっていても不思議はないし、それが一概に悪いとはいえないが、「自分の意見としては現在こうであるが、可能性としてはこういうことがある。」と一言添えてくれると有り難いと思うのです。

例えば、よってたかって詐欺扱いにしてしまったスタップ細胞も、あの緑色に発光していたものは今までに発見されていなかったことは確かなことなのだから、それが何なのかを究明する必要があるだろうという余地を残すとか・・・

UFOとか神様とか超常現象とかも、荒唐無稽と頭から否定してしまうのだはなく、証明できないまでも疑問点に触れることくらいはできそうに思うのです。

2016年6月22日水曜日

対抗できないと見透かされている?

尖閣諸島の領海に、中国の軍船が侵入したのだというが、これを排除する適当な対策が講じられているとは思えない。
このあたりは漁業資源が豊富だというけれど、石垣島からの漁民がここで安全に漁ができないという現実が報じられることはまず無いし、問題がニュースとして提起されることも、まず見たことがない。

尖閣諸島が日本固有の領土であることは、国際的に疑いのない事実でありましょう。
尖閣諸島の海底に資源があるということがわかるまで、中国が領有権を主張することはなかったことは、中国の文献にもそこが日本領であるとしていた事実が厳然としてあるから、土台無理な話である。
だから、何とかするには、ここに領土問題があることにしたいというのが狙いであると解釈するのが適当なのだと思える。
即ち、ここに紛争を起こしたいということにほかならない。

日本は法治国家であり、憲法上、国ができることは限られていると見越して挑発を繰り返し、何とかきっかけを作ろうとしているのだとしか思えない。

竹島や北方領土に領土問題があるというのとは、根本的に違うのだということは知っておいた方が良い。
C国もK国も、法はあっても人治国家というに等しいから、そこらへんも留意しておく必要がある。

日本国憲法 第9
1.     日本国民は、正義と秩序を基調とする平和実に希し、権の発動たる戦争と、武による威嚇又は武の行使は、際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.     前項の的を達するため、陸軍その他の戦は、これを保持しない。の交戦権は、これを認めない。
日本は、憲法に縛られて何もできないだろうと、たかをくくられているということなのかも知れないのではなかろうか。
集団的自衛権も良いが、それよりも9条第2項の後段「の交戦権は、これを認めない。」を削除してしまった方が、よっぽど抑止力となるのではなかろうか?
彼らの方が、日本人より日本国憲法を研究しているようです。


2016年6月21日火曜日

最大の庇護者を暗殺したということなのか?

法治国家としての常識では、どうにもよく解らない。
日本でも、特に明治維新の前後に暗殺者はいたが、暗殺者が英雄となっていることは無いように思う。

ハルピン駅で伊藤博文を暗殺した安重根は、K国の英雄として崇められているというけれど、暗殺者が英雄とされていることが解らないというのではない。
国の事情もあるだろうから、そのことをとやかく言うつもりもない。
しかし、ネットで調べていると、伊藤博文は、日韓併合に一番反対していたというから、逆効果になったのではないかと思えてしまうのです。

少し調べてみると、安重根は反日思想の持ち主ではないことが分かる。
彼は平和を望んだクリスチャンであり、日本という国や明治天皇に敬意と感謝の念を持っていたという。
私もそうであったが、日韓問わず安重根を「反日の象徴」として捉えている人は、思い込みだけで判断して、史実を調べていないということになるのだろうか?

安重根は暗殺事件の裁判で、日本が、大韓帝国(=李氏朝鮮が1897年から1910年まで使っていた国号)の皇太子、李垠(イ・ウン)の教育に尽力したことに触れ、国民が感謝していると述べているのだという。
日清・日露戦争を通じて、日本が朝鮮半島を含む東洋の平和を守ったことも評価しているし、明治天皇が韓国の独立をはかり、平和の維持に努めたことも理解しているらしい。

伊藤博文を襲ったときの拳銃は7連発のブローニングで、6発の弾が込められていて、自決用の1発を残したというから5発発射したということになる。
しかし、その事件では伊藤だけが被弾したのではなく、全部で16発が発射されているのだというから、安重根一人の犯行ということではないのだということになる。
こういうことは、あまり知らされていないからわからない。

3発の銃弾を受けた後も、伊藤にはしばらく意識があり、犯人が朝鮮人であることを聞くと「バカな奴だ」とつぶやいたという。
日韓併合に反対ならば、伊藤暗殺は犯しうる最大の過ちだったと言えるのではなかろうか。

2016年6月20日月曜日

チロルの花々

Dianthus(ナデシコ)の花
植生は、日本とよく似ているように感じました。



帰国して成田に降り立つや、余りの暑さに体が順応しきれなかった。
なにせ、気温差が20度Cもあるのだから仕方がない。

3カ国廻ってそれぞれに親切にしてもらったし、良いところも沢山目にしたし、旅行者も含め何カ国かの人たちに会ったが、やっぱり日本人の人間性が一番優れていると思うのが実感です。
マナーにうるさい国の人は、それが自分らにないから逆にうるさく言うのではなかろうか。

皆が並んで順番待ちをしている乗り物の列に割り込むのは、決まってそんな国人の旅行者であったように思う。
注意すると、1時間も前から並んでいたなどと見え透いた嘘を平気でいう。
「ウソつき!恥を知れ!」と怒ってやった。
日本人として生まれて良かったと、しみじみ思う。

 ドイツ語では何とかnelke、日本語では何とか撫子と呼ぶんでしょうが、オーストリアから国境の尾根を越えてドイツ領に入り、尾根道を1時間ほど歩いたところに咲いていました。

 花の写真は1000枚をこえるから、整理しきれないし、ページにアップするとなるとサイズダウンもしなくてはならないから、とりあえず何枚かを下記に載せましたので、ご覧下さい。

2016年6月19日日曜日

見えないけれどきっとある「お蔭さま」

日本では、太古の昔から万物に霊性を感じ取り、神様がいるのだとして、それらを八百万(やおよろず)の神と敬ってきました。周りのすべてに感謝できたということになります。

神様が一神だけであるとすれば、それ以外の神様を信じることは許されないし、突き詰めれば他を認めることもできないということになる。
沢山の神様がいることを是とするということは、他の神々も争わずに認めるということだから、八百万の神様を敬う日本の考え方がひろびろしているのだと感じます。
森羅万象全てを神として、祈りとともに生をつないできたこれらの行きつく先は和。
和をもって尊しとしてきたのだと、思い当たることが多い。
だから私たちは、日頃ことあるごとに「お陰様で」と、誰もが心から口にできていたのだと思います。
「お蔭様」は、自分以外から望外に日々受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に、更に「様」をつけて、丁寧に感謝の心を表した言葉であります。
「陰」は神仏などの偉大なものの陰、陰は即ち光のことで、影とは違います。
光があたったことが庇護を 得たことと受けとめ、「お蔭」と言ったのだと思います。

「お陰様」という存在は、見えないけれどもきっとあって、時々私たちのところへ訪問して来てくれているのだけれど、それに気づいて「お陰様」と言えるかどうかが、幸せへの入口に立てるかどうかを分けているに違いないと思うのです。


2016年6月18日土曜日

神様に好かれる

神様だって、人から感謝されたらきっと嬉しいに違いありません。

次から次へと「ああしてくれこうしてくれ、あれが欲しいこれが欲しい」と言われ続けていたら、いいかげんうんざりしてしまうでしょうから、「大概にしなさい!」ということになるので、願い事が聞き届けられないのかも知れません。自分でも少しは努力と感謝をしなければ、物事は達成できないということなのでしょう。

僅かばかり聞き届けられた「ごりやく」に、「お陰様で」と感謝の言葉を申し上げたら、神様は「なんだ、こんな位のことでそんなに喜ぶのか。
ならばもっとよくしてやればもっと喜ぶに違いない。」こう思うのが人の心と同じように、神心というものだと思います。
人間世界においては、感謝の気持ちを表すことで人の心は動かされ、物事はうまく進展するようになるのが普通です。
文句ばかり言っている人が嫌われるのは、周りにいくらでもいるでしょうから、解りやすいと思います。
好かれなければ、何事もうまくいかないのですから、好かれるにはどうするか、ということであります。


2016年6月17日金曜日

易姓革命ということは違う国ということになるのでは?

中国4000年の歴史というけれど、かの国は易姓革命を繰り返してきた国なのではないのか?
易姓革命とは、 中国の政治思想です。
易姓とは、ある姓の天子が別の姓の天子にとって代わ られることで、革命とは、天命が改まり王朝が交替すること。つまり、中国には、天が命を下して徳のある者を天子となし人民を治めさせるのだが、徳が衰えたりなくなってしまうと新たに徳のある者が選ばれて王になる。
多くの場合、治安が乱れて動乱が各地に起こることがきっかけになっているように感じます。
4000年の間に、10数回の王朝交代があった。
王朝が変わると、まず前王朝の全否定をすることから始まる。
共産中国の毛沢東も、清や孔子の全否定をやったと聞く。
まあ、そうは言っても住んでいる人が全部入れ替わるわけではないから、今までの文化が全部変わるわけではない。引き継がれていくものは当然ある。
しかし、現政権に都合が悪いことは、歴史を曲げてでも国民に教え込むくらいのことは、やっても不思議はない。
けれども、事実と違うことを教え込むことをやりすぎれば、いずれどこかで破綻する。
K国でも、同じようなことをやっているように思えるのだが、真実を知る機会が多いネットの時代にどう対応していくというのだろうか?


2016年6月16日木曜日

抑止力としては強力だと思うけれど

そんなことは決してしないだろうけれど、極論を言えば、核の報復権を有しているのは日本だけなのではないだろうか。
相手国に対し核兵器を使用した場合、もう一方の国が先制核攻撃を受けても、温存させた核戦力により報復を行う。
これにより、「一方が核兵器を先制的に使えば、最終的に双方が必ず核兵器により完全に破壊し合うことを互いに確証する」ものである。
理論上、相互確証破壊が成立した2か国間で核戦争を含む戦争は発生しないことになる。
歴史上も、米国とソ連の間に相互確証破壊が成立した冷戦後期以降、この2カ国間で戦争は発生していない。

しかし、端的にいえば国家はいかなることもする権利があります。
その結果いわゆる国際社会の中であらゆる種類の不利益を被る可能性がありますが、そうした不利益を被ってでも何かをなしたいと思えば、それを究極的に規制する法的・制度的枠組みは確立されていません。
例えば、北朝鮮による日本人の拉致も、「国家としてやりました。」と言われて、完全に解決する対抗手段は戦争しかないということになってしまったことで、日本には解決策がない。
これが国家と国家の中に生きる個人や団体との違いだということになる。

そうなれば、日本はサンフランシスコ講和条約を結んでいようと、国連に加盟していようと、すべてを卓袱台返しして、核兵器を持ち、アメリカに原爆を2発お返しする権利がないということではない。
国際法がそうした国家の行為の究極的な歯止めにならないことは、現実に日本に落とされた原爆がまさに国際法違反としてとりたてて追及されていない現状を見ても明らかです。

まあ、核兵器は使っても使われても世界が終わりになることは確かです。
日本を核攻撃するなどと口にする国もあるようですが、そんなことをしたら日本に貯蔵されている核物質が世界中に飛び散り、自国にも甚大な被害が巡ってくることを考えないわけにはいくまいが・・・

2016年6月15日水曜日

植民地でなくなるキッカケとはなった

そもそもの大東亜共栄圏は、欧米諸国(特に大英帝国とアメリカ合衆国)からの長きにわたる植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序建設を目指した、太平洋戦争における日本の構想である。

天皇陛下の終戦詔書を知る人は多いが、開戦詔書を知る人は少ない。
それを読むと、そこには侵略のシの字も見い出せない。やむにやまれぬ苦渋の選択であった感の方が強い。
日本は敗戦したが、結果的にアジア諸国は長きにわたる軛から解き放たれて独立を果たした。
大東亜戦争を肯定するという意味ではない。結果がそうなったということである。
白人に対し、有色人種である日本が唯一、真っ向から戦ったということを多としている国も多いのは、独立時の指導者たちの言からうかがい知れる。

兎に角、キリスト教に改宗しなければ、有色人種は人扱いされていなかったことが、ヴァチカンの文書にも残っているのだとか。昔は国も切り取り勝手状態だった時代背景を知らないでは、判断できないことも多い。

2016年6月14日火曜日

自国のことより先にやったことだという

昔はそんなこともしたのかと思う歴史を知りました。
世界に類を見ない敵の弔魂碑の建立をしたということを知る日本人は少ないのではなかろうか。

乃木大将は旅順での戦闘が終わっ た後、「ロシア将兵の墓地が散在しているので、できれば 1 箇所に集めて標識をつけ、氏名などを明らか にして供養したい」と述べ、1908 年(明治 41. 年)3 月、旅順の案子山(あんしざん)にロシア風礼拝堂を建立した。
自国兵の慰霊は後回しにした。戦いが終われば敵をも敬う武士道精神は、ロシア国民をも感激させたという。
馬鹿扱いもされたらしいが・・・

2016年6月13日月曜日

議論もできないままで良い筈はないと思うが

ある意味で最も社会主義的な制度が成功した事例の国であるという言われ方をするわが国ではあるが、共産主義が良いと思っている国民は極めて少ないのではなかろうか?
現実問題として、共産主義が成功していると思える国はないといえることを理解しているということであろう。

我が国は、世界に例を持たない戦争を放棄した国ではあるが、土台憲法に無理があった。
「いかなる戦力もこれを保持しない」というのでは、国を守れない。
自衛権ということを放棄したかのように受け止められたのではなかったか?
ことの自然の流れとして、米軍の駐留に頼るしかなかったから、形は違うとはいえ、現在に至るも、占領時のままである現実を色濃く残した。
基地の弊害も、そんなところに起因する。

世の中に不変のものはありえない。
憲法といえども、その範から外れるわけではないのだが、それに触れるのはタブーとなっているかのようです。
国と国民を護るために、国および政府が守らねばならない根幹をなす法であり、ころころ変わるようでは安定性を欠くが、憲法を守ることで国が滅びてしまうのでは本末転倒といえよう。
時代時代の状況に合わせてよりよい対応ができる法に成長していくことは必要に思える。

憲法というと、すぐに9条に結び付けて目くじらを立てる人が多いが、憲法は9条だけで成り立っているわけではない。
タブー視してしまってまっとうに議論もできないのでは、閉塞的すぎるのではないだろうか?

憲法論議はいろいろあるが、日本国憲法を書いたのは日本ではないことは、アメリカの公文書上も明らかである。
だから日本が独自に憲法を制定する必要がある、ということを言いたいのではない。
世界と日本の実情に合致した機能する憲法というのを、改正するしないにかかわらず、タブー視することなく国民全員が真剣に考えてみる必要があるように思う。
より良いものにすることができる可能性を否定するかのような論議に集約されてしまっては、思考が停止してしまう。

軍隊を持てば必ず戦争をする、というわけでもあるまい。戦争を仕掛けられない体制づくりだってできなくはあるまい。

憲法の名宛人は国民である。すなわち政府が国民に対して守らねばならない法ということであることに変わりはない。


2016年6月12日日曜日

アジア諸国という紛らわしい言い方

アジア諸国がという主張をされたときは、アジアのどの国がと、明確に名前を挙げてもらったほうが良い。
そういう表現をするとき、大抵の場合は韓国と中国のことだけをを指していることが多い。
甚だしきは、日本のマスコミもそういう言い方をすることが多いが、アジアの国は他に沢山あるのであって、それらの国々は前記2国のような主張を日本に対してすることは滅多にない。
開かれた教育と情報を持っていて、刷り込みされた感情的なものではない、冷静で公平な判断ができる力をそれらの国々はもっている。