2021年9月30日木曜日

実証されたロケットエンジン

 

JAXAが新型エンジンのロケット打ち上げ実験に成功した。 

デトネーションエンジンという爆轟を利用することで推力を得る全く新しい技術によるものだという。

 

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は7月27日、鹿児島県肝付町の内之浦宇宙空間観測所で、メタンと酸素の混合ガスの燃焼時に生まれる衝撃波を利用した新型エンジンを搭載した、観測ロケット「S-52031号機を打ち上げた。宇宙空間でのエンジン性能実証が目的で、JAXAによると実験は成功した。

打ち上げは同日午前5時半。ほとんど雲のない朝焼けの空をロケットがまばゆい光を放って突き進むと、立ち会ったJAXA職員から拍手が湧き上がった。

JAXAによると、ロケットは44秒後に高度235キロの宇宙空間に到達、756秒後に内之浦南東の海に着水した。実験データの入ったカプセルもその後、近くの海上で回収した。

実験主任の竹内伸介JAXA准教授は記者会見で「無事に打ち上げられて本当に良かった。これからの学術成果にも期待できる」と語った。

共同開発する笠原次郎名古屋大教授は、エンジンは宇宙空間でも予定通りの推進力を発揮できたと説明。「5年程度での実用化を目指したい」などとした。開発中の技術が実用化されればエンジンの大きさは10分の1程度になるという。JAXAは遠い宇宙を探査するための基幹技術として開発に取り組んでいる。〔共同〕

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE274S60X20C21A7000000/

2021年9月29日水曜日

安全性が増したリチューム電池

 

流石、技術大国日本。

安全性と容量に圧倒的な性能を持つという全樹脂電池の量産が可能になったという。

 

従来のLi(リチウム)イオン2次電池(LIB)よりも安全な「全樹脂電池」の量産が2021年秋に始まる。

全樹脂電池を開発するAPBは、既に量産拠点を設立済みである。

従来LIBと一線を画す全樹脂電池はどのような電池なのかというと、電極を含めてほぼすべてを樹脂で形成するLIBのことで、正極と負極の活物質の粒子を、ゲル状の高分子膜で覆い、粒子状の導電助剤や導電性繊維と混ぜて正極または負極の合材とする。

さらに、正極と負極の合材を、セパレーターを挟んで重ね合わせ、正負極の表面それぞれに集電体を配置してセルとする。

一般的なLIBでは、集電体の横からタブを出し、ここを電極とするが、全樹脂電池ではセルの表面が電極となる。この構造をAPBは「バイポーラ」と呼んでいる。

 

全樹脂電池は、従来のLIBと比べて異常時の信頼性が高い。

たとえば、負極に発生したデンドライト(樹状突起)が正極に達し、破損を招く短絡現象のようなリスクが低いとする。なぜなら樹脂は電気抵抗が大きく、大電流が流れないためである。

 短絡を起こした時、従来型LIBだと金属部材を通して大電流が流れ、急激な内部発熱が起き、最悪発火する。

全樹脂電池は、「中に金属のバルクのパーツがないのでデンドライトができず、またたとえ短絡があったとしても抵抗が大きい樹脂を使うので一箇所に大電流が流れない」

量産が本格化すれば価格競争力も増すが、これからバッテリーの重要性はあらゆる分野で求められる。形状も融通性が可能だというから、鬼に金棒である。

2021年9月27日月曜日

穏やかにものを言うのが普通

 

いつも怒っている人には近寄らない方がよい。

自分だけが正しいと思いこんでいるので、話し合いの余地はない。

次から次へと苦情の種が尽きないのも、彼らの特性である。

 

世の中に暮らして、自分に都合がよいことばかりを求めても、そんなものが全て通用するわけがないと理解できる能力があるなら、簡単に怒るなどということはしない。

思い通りにいかないと気に食わないというのでは、人格的に問題があるのだということになる。

 

声を荒げ、眉を顰めざるを得ない悪口雑言を並べ立てていたら、そんな人の言うことを聞けるわけがない。

腹を立てると、不用意に致命的な一言を口走ってしまう可能性は誰にでもある。

それですべてが終わるという経験が一つもないというなら別だが、怒る前に気を付けた方がよい。

 

最初に口に出した言葉が、言葉のやり取りの中で増幅し、それが怒りに結びつくことが多いとしたら、言葉選びだけでなく口調にも原因があるのだと思った方がよい。

悪い波動が益することは何もない。

争いになるようなことは、全て自分に跳ね返ってくるのが真理である。

2021年9月26日日曜日

日本人が知らないままでいること

 

オリンピックの開催については反対者が過半数であるというようなマスコミ報道がなされたが、そんなことはあるまい。

もしそうであれば、招致することなぞ最初からできなかった。

国際的な約束であるから、コロナ禍などの問題は多かったが、基本的には実施せざるをえなかったのではないかと思っている。

もしも辞退するということになったときに浴びる国際的批判は、国内で騒がれていたオリンピック反対論程度では済まなかったと思う。

いろいろ言う人はいるが、ゼロリスクを要求されても、それは誰がやっても無理だ。

なんだかんだ言っても、日本だから開催に漕ぎ着けられたと思っている。

オリンピックは問題が多いから廃止しようなどという提案が通用する状況ではなかった。

 

エンブレムの決定のころから、不明朗な問題が取り沙汰され、口害から会長が変わるなどして、オープニングの演目なども批判が多かった。それはそうだろう。人は100人いれば百様の注文を付ける。誰もが納得するようなものはできない。

日本を批判する報道は、日本国内と韓国の報道に多かったのではなかろうか。

韓国の報道内容は常軌を逸するほどであったと世界各国からの顰蹙をかっているが、日本ではそれに触れられることはない。

せめて、オリンピック開催に関して譲れないものはなんなのか、ということを最初から詰めておけばよかったとは思うが、全員が合意するということもなかったであろう。

 

企画に関わる人たちの人選には注意深くあらねばならなかったことは確かである。人種問題に関わることは、過去の問題として大目に見られることはない。必ずのように見つけ出してきて大騒ぎになる。

しかし、歴史的にみて人種差別撤廃を国際的な場で最初に主張したのは日本である。

国際連盟ができた頃にそれをしたことで、当時の世界の実情に合わず、日本は西欧列強により目の敵とされる遠因となった。

日本は宣伝下手である。普段から日本のやった優れたことを発信して理解を深めておかないから、悪者にされやすい。

例えば、樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れて脱出ルートを開き、それにより救出した人数は2万人とされている。

ドイツと防共協定を結び、反対が根強い中、樋口中将は捨て身でユダヤ人難民を救出し、上司だった関東軍の東条英機参謀長もこれを不問に付した。樋口中将は、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」に掲載されたが、軍人という理由から、杉原のようにホロコースト(大虐殺)の犠牲者を追悼するためのイスラエルの国立記念館「ヤド・ヴァシェム」から『諸国民の中の正義の人』(英雄)に列せられなかったが、彼らがそれを忘れているわけではない。

ルトワック氏は、「樋口は混乱して予測不能の困難な時代に率先して勇気ある大胆な行動を取った。彼に助けられ、戦後、大使や科学者になった者も少なくない。しかし、ヤド・ヴァシェムから英雄に処されていない。いつ、どこにも良い軍人はいた。樋口は広く顕彰されるべきだ」と話している。軍人だったから顕彰されないというのでは公正さを欠く。

 

この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命のビザを発効しユダヤ人を救った。

ソ連でも帝政ロシア時代から、ナチス・ドイツに勝るとも劣らず、反ユダヤ思想が強かった。ハルビンでは、ユダヤ人と白系ロシア人が互いに反目し合い、頻繁に抗争が起こっていた。こうした事情を熟知していた杉原は、カウナスでは「狭義にはむしろ『スターリンの脅威から守った』」(『諜報の天才 杉原千畝』)と評価。ポーランド陸軍の情報士官を使った杉原はインテリジェンスの天才だったと主張する。樋口中将も、人道主義とソ連諜報目的からユダヤ人を救済したとすれば、対露情報士官としての面目躍如だろう。

 

日独防共協定を結んでいたドイツはユダヤ人救済に抗議したが、上司だった関東軍の東条英機参謀長は、「当然なる人道上の配慮によって行った」と一蹴した。東条は「ヒトラーのお先棒を担いで弱いものいじめすることは正しいと思われますか」と主張した樋口を不問に付し、日本政府は、軍事同盟を結んだナチスの人種思想に同調しなかった。東条英機も悪人としての評価しか残っていない。

 

この樋口中将は45年の終戦時、北の守りを固める第5方面軍司令官として、千島列島のシュムシュ島(占守島)や樺太での旧ソ連軍との自衛戦闘を指揮し、「ソ連の北海道への侵攻を阻止した」との再評価が進み、北海道の石狩に記念館が開設された。

ソ連のスターリン首相は、日本が降伏文書に署名する前にヤルタで密約した樺太と千島列島、さらに北海道まで占領し既成事実にするつもりだった。実際、同16日、トルーマン米大統領に留萌―釧路以北の北海道占領を要求。拒否されるが、南樺太の第八十七歩兵軍団に北海道上陸の船舶の準備を指示している。

しかし、樋口の指示による抗戦で、占守島攻防は同日まで続き、ソ連は千島列島占領が遅れ、北海道侵攻に及ばなかった。北海道占領を断念したスターリンは同28日、北海道上陸予定だった南樺太の部隊を択捉島に向かわせ、国後島、色丹島、歯舞諸島を無血占領し、北方四島の不法占拠は現在に至る。樋口の反撃の決断がなければ、ソ連が北海道に侵攻し、日本が朝鮮半島のような分断国家となっていた可能性が高い。

野望をくじかれたスターリン首相はそれを恨み、樋口中将を極東国際軍事裁判に「戦犯」として身柄を引き渡すよう申し入れたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は拒否した。当然である。

世界ユダヤ協会が反対したためとされるが、『回想録』では、「終戦後に取り調べを受けた連合国軍の某中佐(キャッスル中佐)から『イギリスが大変あなたをご贔屓(ひいき)にしており、イギリスはソ連の貴殿逮捕要求を拒絶した』と聞いた」と記している。

そうではあるまい。全部ではないにしても、正当に評価されるべきことがそう評価されたのである。

2021年9月25日土曜日

日本人でも知らない

 

外国人は日本の神社の鳥居が何を意味するのか解らず、尋ねる人がいるが、日本人でありながら答えられない人が多い。

 

鳥居は、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」であるとされる。

特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代(よりしろ)としてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。

 

鳥居の起源については、天照大神が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏を止まらせた木を鳥居の起源であるとする説や、神様が来訪したときの止まり木説などがあります。

 

鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した。

古来日本では、屋根のない門という意味で「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」ともいった。

鳥居は一般的には神社を象徴するものとして捉えられているが、仏教寺院にも見られることがある(神仏習合)。一方で鳥居を持たず楼門(随神門)をもつ神社も存在する。戦後の区画整理により境内が縮小されたり移転したため、現在の神社境内とはかけはなれた場所に孤立している鳥居もしばしば見かけられる。御陵に建てられていることもある。

俗信においては、鳥居の上に石を投げて乗せると願いが叶うといわれることがある。

 

鳥居の数え方は、「1基、2基」と数える。一般に、ひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居」と呼ぶ。また、神社の前に形成された町のことを「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ぶことがある。

稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる。

 

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私が書いた小説 「夏風越の(なつかざこしの)」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218

「鵯越え」・・・・「夏風越の)」の続編です

https://kakuyomu.jp/works/1177354054935239046/episodes/1177354054935239209

「くぬぎ越え」・・・夏風越の)」の続々編です

https://kakuyomu.jp/works/1177354054954452867/episodes/1177354054954453601

「遺された難所 疎にして越え難きもの」・・・時々書き足しています

https://kakuyomu.jp/works/16816452218414122553/episodes/16816452218414238883

2021年9月24日金曜日

縄文人はどこからやってきたのだろう

 

日本人は一体どこからやってきたのだろうか?

大陸や半島から渡ってきたのだという説は、遺伝子を照合してみると全く合致しないのだとか。

 

そもそもはムー大陸の住人だった、とか、日ユ同祖論だとかいろいろ言われるが、定かではない。

しかし、日本に住んで縄文文化を築いたことは確かである。道具はいろいろ用いたが、戦いのための武器というのはないのだという。

ご先祖様たちは、平和裏に暮らせていたのだということになる。

 

各地に無数にある地場のエネルギーを肌で感じ取れたり、空間に流れている波動を疎かにはできないものと感じ取れる感性というのは、殆どの日本人にたくまずして備わっている。

それが八百万の神というのを信じられる所以でもあるのだと思う。

他民族の神が日本の地に入ってきても、それも一つの神として抵抗なく同化してしまえる。

山川草木、道端に転がる小石にまで、神性を見出せるというのは、身に染み付いていなくては叶わない。

2021年9月23日木曜日

分らなかったことが段々浮かび上がってはくるが

 

8月は大東亜戦争に関する番組が多かった。

そろそろ、真実はどうだったかの検証をしてみても良いのではなかろうか。

聞かされていることしか知らないのでは、教え込まれている今の判断を、そのまま受け入れることは難しい。

 

負けはしない戦争だった!

七十年前のあの戦争は、本当に無計画で非合理なものだったのか?

そんなはずはない。

ロシアの脅威を逸らすために、その矛先を日本に向かわせ、日露戦争を画策した謀略家ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世をして、この男一人で20万人の兵力に匹敵すると言わしめた明石元二郎に勝るとも劣らない戦略家が第二次世界大戦の開戦前にいた。

 

勝算のない戦いに、やみくもに突入する決意をした陸軍は無謀であり合理的でなかったとされてしまっているが、 そんなはずはないと 近代史を研究する著者は「陸軍戦争経済研究班」の報告書を詳細に調査し、少なくとも陸軍は、科学性と合理性に基づいて開戦に踏み切ったことを知るとの研究結果を述べている。

 

秋丸機関と呼ばれた研究班は、第一級の英才を動員し、英米の経済力を徹底研究。 

報告書に基づいて策定された戦争戦略は、大本営政府連絡会議に上げられたのだった。

報告書の真相は戦後、意図的に歪曲化され、闇に葬られた。

そこには何が書かれていたのか。報告書の真の意図を探り、戦後の常識に一石を投じる驚愕の研究書がある。林千勝によるものである。

 

緻密に練り上げられたその戦略は、後に敵国であった英国のチャーチルや米国のスティムソン他の専門家によってでさえ、この通りに進められていたら日本が負けることはなかっただろうと言わしめている。

米国を巻き込まないで東南アジアにおける局地戦にとどめ、それも短期間で停戦に持ち込むことを主眼にしており、陸海軍共通の認識がなされていたのだという。

 

何故に緒戦において真珠湾攻撃を強行してしまったのか。

戦後に定着してしまっている評価というものは、洗い直してみる必要がありそうである。

Y.IK.F、悪人とされてしまっている松岡洋介なども、不可解なことが多すぎる。

 

負けてよかったのか、勝った方がよかったのか、それは判らないけれど、あまりに不可解なことが多い。開戦には反対だった天皇陛下を押し切れた動きとは何なんだったのか。

2021年9月22日水曜日

白の枕詞だというが

 

次から次へと絡んできて、煩くて仕方がないが、大昔から性状がそうだった。

とにかくうるさい。

できもしないのに比べたがり、根拠は皆無なのに立場が日本より上だとしてものを言う。

 

和歌などに出てくる白の枕詞である たくぶすま【栲衾】。

 (こうぞ)などの繊維から作った絹以外の夜具だというが、「たく」を表す漢字は、拷問の拷という字と同じで、棒などで布団を叩くという意味もあるようだ。

これで布団を叩いたら、五月蠅いことこのうえない。

 

神功皇后の三韓征伐は、このうるさい国々を大人しくさせるためであった。

三韓は瞬く間に降参し、王家から人質をとり、朝貢をさせることで収まった。

以後、半島からは手出しのできない状態で明治維新にまで至る。

2021年9月21日火曜日

信用しあえる基礎

 

国の基本となるのは学問なのだと思う。

何を学ぶかと言えば、単なる知識ではなく、生活に役立つ実学と、互いが信頼しあえる関係の基礎となる約束を守るという理念。

教えられなくても昔からそれが身についている民度の国と違い、約束を破ることは恥なのだという常識が育っていない国であれば、猶更のこと学問が必要であることはいうまでもない。

 

鎖国中であった江戸時代であっても、日本人の識字率は世界有数であったとされる。

明治維新を経て外国の文化を急速に取り入れられたのも、学問の力により翻訳に力を注いでくれた先人たちの努力が大きい。

外国語によらず自国の言葉でものごとを理解することができたからである。

独自翻訳力

https://www.youtube.com/watch?v=kKkh3Wegu7U

 

これらがなかったら、近代的知識を学ぶには外国語によるしかなかった。

日本が翻訳した言葉がなかったら、現在の中国で使われている熟語も成り立っていないとさえ言われる。

漢字文明を捨ててしまったことで遠回りする道を選ぶことをした国々との差は大きい。

 

日本は現金決済を重視し、クレジットカードでの決済が普及していない遅れた国だとバカにしている国が有る。

な~にを言ってんのだかね。そんなことだから他国の通貨のデザインにまで文句をつけることになる。

「学問のすすめ」でも読んで勉強した方がよい。

 

クレジットカードでの支払いは一時的とはいえ借金である。

そんなことも解らず、返せる当てもないのにカードを使い、挙句の果ては支払い不能となって自己破産するのは、学問を正しく理解できずに、信用というものがいかなることなのかが判らない愚か者がすることではないのか。

信用が失墜してしまい、クレカが使えなくなるかも知れないといわれているのではないのか?

2021年9月20日月曜日

騒ぎ立てない方が良いのではないのか

 

マスコミが質問して答えを聞こうとすることで、いつも違和感を覚えてしまうことがある。

靖国神社の参拝である。

個人としての立場であれば、信ずる宗教が違うから参拝しないというなら解かる。

しかし、公人ということになったら、国の為に命を捧げてくれた方々に感謝と慰霊の誠を示すことは、個人の心情に優先するのではないのか?

国民の代表者たる総理大臣ということになったら猶更のことである。

靖国に参拝して戦争を起こそうなどと考える人はまずいない。不戦の覚悟を告げるのである。

反省が足りないという主張も、きりのないことを求められているようで、限度というものがないように思える。

 

記者だか識者だか知らないが、参拝すると中国が怒るからやめるべきだという論は、一体どこの国の人なのかと出自を疑ってしまう。

他国に阿るようなことで、如何に国独自の尊厳を保てるというのか。

 

日本人は死んだら誰でも弔われるのだというのが、長く培われてきた国民感情である。

A新聞が騒ぎ立てたことで中国が外交カードとして使えるとしてしまったが、本来政治問題としてしまってはならないものなのではないのか?

慰霊に訪れるのはどこの国であったも普通になされ、どこからも非難されることはない。

そういうものと何ら変わりないのだと、マスコミも識者も穏やかに訴え続ける努力をしないと、

いつまで経っても政治とイデオロギーの具として使われ続ける。

音頭をとっているA新聞が方針を変えることはないだろうが、国益というものをどのように考えているのかが気になる。

 

中国のみならず韓国に対してもそうである。

あれだけ旭日旗に反対する韓国が、旭日旗そのもののような社旗には一切文句を言わない。

彼の国擁護の姿勢が彼らに行きわたっているからだとしたら、ことは簡単ではない。

 

誰もが賛成するものはなくて当然だが、霊となった方々は堪ったものではあるまい。

2021年9月19日日曜日

学問は大事だとわかる

 

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。

大抵の人はこの部分しか知らない。

人は平等なのだということを説明するために、一部分だけを切り離して教える。

しかし、福沢先生はそんなことを言っているのではない。

実学を身につけよとおっしゃっていることは、続きを読めばわかる。

学問をしないと恥知らずな者となると言っているのではなかろうか。

部分だけを切り取ると、違った意味で使われかねない。

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資源(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

2021年9月18日土曜日

ミサイルに対処できない

 

北が連続して巡航ミサイルと大陸間弾道ミサイルを発射した。

韓国も潜水艦発射ミサイルSLBMの試射に成功した。

いろいろ言っているが日本を想定してのものであることは疑いようもない。

 

韓国は、日本と戦えば100回やっても100回勝つと豪語している。

それはそうだろう。地対地ミサイル玄武での飽和攻撃をすれば、日本は防御しきれない。日本国憲法が味方して、日本から先制攻撃される心配はないから簡単なことだといっている。

しかし、もしも戦争をしたら、韓国は半年ももたないだろうとするのが中国の分析である。

なにせ韓国は戦争で勝ったことがない。口先だけは威勢がよくても、指揮官を筆頭にしてすぐ逃げるのが伝統であるが、そんな認識は全くなくて、強いのだと思い込んでいるから始末が悪い。

 

北との統一を目指しているという大統領が頑張っているが、国民はどう思っているのだろう?

北の将軍様の王朝が国体を変えることなぞ考えられないから、統一となったら韓国は金王家の下につくよりないことになるが、それが望みなのだろうか?

 

なにをどこで判断するのか解らない国であるから、この先経済が崩壊すれば何をするか判らない。

破れかぶれになって後先考えず、ミサイルの発射ボタンを押しかねない。

全て日本が悪いとするに違いないことは、容易に推定できるのである。

 

日本は無策でいて良い筈はないが、これを問題視して議論することに向かうとなると大騒ぎになる。

総裁選をしている折でもあるから、このあたりのことも争点として取り上げて欲しい。

備えあれば憂いなし。抑止力は必要である。