FreedomとLivertyの区別さえ曖昧なままで権利は論じえないのではなかろうか。
権利というのは、自分以外の誰かがそれを認めてくれ使えるようにしてくれるから発生するものであって、天与のものではない。
例えば無人島で一人しかいないような場合には、権利なぞ存在しえない。
権利を主張するには、その属する社会で取り決めた法に従うことが前提であることは言うまでもない。
その法を誰が決めるのかということになるが、それこそが主権がどこにあるかという問題なのである。
人が集まれば政治ということが始まるが、そこに政権というものができる。
政権というものは認められることで正当性を持つが、それがなければ国民を統治し続けることは難しい。
武力を基礎に打ち立てた王権というのもあれば、豪族による合議制というのもあるが、政権には正統性というものが必ず求められる。
徳が高いから王になれたのだとする理屈付けも、正当性を主張するためである。
しかし、権利というものはそもそも法という紐付きなものである。
その権利を担保する法を決める主権がどこにあるかということになる。
日本では主権在民ということになっている。選挙で選ばれた議員が議会で決める。
政権の正統性はそれによって決まる。
日本では権威と権力の住みわけが長い歴史の知恵として、かなり昔からできあがってきている。
直接、政治を執る権力者のほかに、それを権威づける権威者ができあがった。
権威者の正統性を担保するのは万世一系という血脈であり、侵しがたいものとして万民が受け入れてきた。
権威の正統性は血脈であるとした知恵は、それが一番良いとして培われ定着したものであって、表面的に表れてくる現代の事象や理屈で解釈しきれるものではない。
一系たらしめるのは男系である。
多くの人がこれに納得したから続いた。
女性天皇と女系天皇の区別さえ定義できないで、女性蔑視だなどと軽々に口にするのは浅薄に過ぎないか?
どちらかといえば男性差別の側面だってある。
日本の国体を論じるには、歴史を知ることなくては不可能であろう。
諸外国での王家の権力闘争が如何なるものであったかは、簡単に知れていることである。国同士の戦いに結びついたことも多く、平和とは程遠かった。
日本では、国の安寧を祈る神官として尊崇されることで権威の象徴となり何代も続く皇室と、現実の政治を司る政権が別に存在するようになったのは、かなり昔からのことになる。
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