2015年10月31日土曜日

開演日がいよいよ1週間後と迫りました

開演日までに、いよいよ1週間と迫りました。

いつ世に出ても不思議ではない実力を有していても、まだ世に埋もれているピアニストというのはいます。
今回はVOL5という記念すべき回数ともなり、聴くことが将来の語り草になると思いますので、是非にと、お奨めします。

彼は、幼い頃師事したイヨルク デームス氏に気に入られ、「君は、ショパンを弾きたいのか?だったら、良い先生を紹介する。」ということで、ついたのが今はなきハリーナ先生でした。

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ: Halina Czerny-Stefańska)師は、
1992年第4回ショパン国際ピアノコンクールで第1位および最優秀マズルカ演奏賞を受賞された教授ですが、指導をうけるには誰でもというわけにはいかない先生でした。

ポーランドのご自宅まで度々レッスンに呼ばれ、音楽のつくりかたにつき薫陶をうけました。
音の粒を揃え、フレームを大きくとる技法もさることながら、クラシックピアノ音楽の芯にあるものを伝授されたことが大きいといっています。
彼のリサイタルにも、ご存命中はよく来ていたので、顔を見られた方も多いと思います。

彼は留学生活も長くて、ザルツブルグからプラハと10年をはるかに超します。
ピアノの名器であるスタインウエイの持つ、澄んで伸びのある音を引き出す演奏は、聴いていて思わず惹きこまれます。ピアノとは、そもそもがこういう音なのだと・・・

彼はライフワークとして、小中学生のための学校コンサートを毎年していますが、その数はもう延べ2万人を超してています。
子供たちが相手でも、決して手を抜くことがないので、素直な子供たちの心に響くのか、演奏が終わっても周りに集まってきて、なかなか帰らないのが常です。
音楽の中にどれくらいのものを入れこんで表現しているかは、音楽に志した人たちは聴くとわかるみたいです。

11月6日()に、銀座の王子ホールで催される秋の定期リサイタルまで、後1週間をきりました。
「ちょっと物知りになれるコンサート」と銘うっての演奏は今回でVOL5。
ピアニストというと、難しい顔をして出てきて、ただ弾いて舞台から下がるだけというのが多いけれど、このコンサートはお話つきでいつも楽しいので、是非お奨めしたいと思います。
演奏の才能と、お話しの才能を併せ持つ人は少ないから、その双方を堪能できます。

このページをご覧になった方は、何かのご縁かと思います。
遠くは北海道から毎回来られる方もいらっしゃいます。
是非お誘いあわせてご来場されますよう、心からお奨めします。

結婚しないという理由がそんなことなのかと思うと

地球上の生物は、動物であれ植物であれ、子孫を残すという役目を帯びて生れ出るものだと思うが、こと人間ということになると、いろんな考えがあるから難しい。

周りに独身者が増えているが、一生独身でも構わないと考える男性が多いのだという。
その理由として、

1位 お金を自分のためだけに使えるから
2位 妻子を養っていく自信がないから
3位 1人のほうが(妻に文句を言われたりせず)何かと気楽だから
4位 結婚相手を見つけるのが面倒だから
5位 自分の希望にあう女性は滅多にいないから
6位 自分を好きになってくれる女性なんていないから
6位 家庭に縛られたくないから
8位 誰かと一緒に暮らすのは苦手だから
9位 結婚しなくても困ることは何もないから
10位 一人の女性を愛し続ける自信がないから

※番外
11位 周囲で「うまくいかない夫婦」を見てきたから

なんとも世知辛い。自分サイドの意見ばかりのようにも感じるが、新たな喜びを見出すことに不得手のようにも思える。
この状態が進んで、人類は滅び去るのだろうか?

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ。」という諺はもう無いらしい。
お互いが無一文から出発しても、一緒に生計を立てて行こうという気概をもった男女は居ない時代になったということなのか?
自分の損得が先に立った考え方ということから抜け出せないことが遠因にあるとしたら、由々しきことと言わざるを得ない。

2015年10月28日水曜日

真面目に勉強しても成績があがらないとしたら

真面目に勉強しているのに成績に結果が出せない。子供でも持っていたら他人事ではなく心配になる。
試験で点数がとれれば良いというものではないにしても、点数は一つの目安です。
努力の割に結果が出にくい勉強法というのはある。
「暗記する勉強法は身にならない」「暗記では応用力が身につかない」と、よく言われますが、そうでしょうか?暗記は勉強の基本です。
丸暗記をするのならそうかも知れませんが、記憶すると言う風に置き換えて考えたらどうでしょう?
人からいわれるままに、暗記否定型がやりがちな結果の出にくい勉強法というのはある。
教科書や参考書を読み込み、何となく「流れ」のみをつかんで満足する(歴史)
長文読解/会話/リスニング問題に極端に偏るため、単語力・構文が弱い(英語)
多数の問題集に手を出し、主に応用問題に取り組む(数学)
まとめノートを作り、それをしたことで満足してしまう(全教科)
反復練習をせず、次々に新しい課題に取り組む(全教科)
これらが決して全て間違いではないのですが、覚えようとしないところが問題なのです。
勉強をしたことで、覚えた気になっているのと、本当に覚えたのとは別です。
英語においては、単語力が弱いのは致命的です。数学は反復学習でパターンを覚えてしまうのが一番得点につながります。暗記なくしてテストで点数をとることはできない。
理解したら記憶するということに意識を持っていかないと、実力はつかない。
声に出しながら覚える
何かと関連させて覚える
覚えられなくても全体を何度も反復する
寝る前に、覚えたことを反復する
一度覚えたと思ったことでも、何度も反復することで記憶に定着するのです。手間がかかって大変そうですが、一定の量の記憶がたまると、それから先は関連付けが容易になって、効率よく身に付くようです。


2015年10月27日火曜日

成り立ちが恐ろしい民という漢字

「国民」というのはまだしも、「人民」という時の言葉の響きは、何故か不安感を伴う。

「民」という字の成り立ちを辞書で調べてみると、オドロオドロシイ。
辞書によると、「民」とは、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。
とか、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる。 という説明がでている。

「国民」、「市民」、「民衆」、「庶民」など、普段は気にもしないで当たり前のように使ってる漢字ですから、どんな意味があるのかなんて考えもしなかった事です。

知ってみると、かなり恐ろしげではあります。

2015年10月26日月曜日

睡眠中に口呼吸していないか?

これから寒くなっていくにつれ、増える悩みがあります。
「朝起きたら、口が乾いて舌がくっついてる」「喉がカラカラになる」「夜中に口が乾いて水を飲むたびに目が覚めてしまう」などの悩みです。
これは睡眠中に口を開けて呼吸をしているせいで、口の中の水分が乾燥して起きるもの。
水を飲めばおさまるから大したことはないような気がするが、口呼吸は健康を損ねる原因になることが多いから注意したほうが良い。
口呼吸が体に悪いという理由は以下のようなものです。

1.鼻の中は粘膜で覆われている。
粘膜には吸った空気を温め、加湿する加湿器の機能がある。口呼吸をすると加湿機能が使われず、冷たく乾燥した空気が直接、気管支に入ることになる。
冷たい空気の刺激を受けた気管支は痙攣し、喘息発作のような咳(せき)が出たり、息が苦しくなったりする。気管支を傷め、風邪をひきやすなる。

2.鼻の中には鼻毛があり、空気を吸うときにフィルターのようにホコリや花粉などを絡め取ることで、異物が気管支に入るのを防いでいる。口呼吸では、この空気清浄機機能も使われないため、人は花粉を吸い込んでアレルギーを起こしやすくなる。

3.口呼吸に頼りすぎると、いつも口を開けているため、口や舌の筋肉が緩んで、睡眠時無呼吸症候群にもなりやすい。
これは寝ているときに弛緩(しかん)した舌が喉に落ち込み、喉が狭くなって呼吸ができなくなるからだ。
睡眠時無呼吸症候群は、大きないびきをかくのが特徴で、いびきが突然止まったときは、呼吸も止まっている。日中の眠気だけでなく、それによる交通事故などの原因にもなるほか、生活習慣病にもなりやすい。

その他、口呼吸ばかりしていると、前歯が乾燥してしまい、唾液によって供給されるミネラル分がなくなってもろくなり、唾液の殺菌作用もないことから、歯周病や虫歯になりやすい。細菌の繁殖によって口臭も強くなる。
 また、口の中に空気が通る空間を作るために出っ歯になる可能性があるほか、歯の汚れも取れにくく茶色くなって、見た目も良くない。

病院に行って医者にそうだんするのが良いのだけれど、自分で訓練して治す方法があるのだという。
それぞれ1秒間10回ずつ声を出しながらやるのだという。
*口を楕円(だえん)形にして、喉の奥が見えるくらいに大きく開いて「あー」と声を出す。
*頬の筋肉を両方の耳の前に寄せるつもりで口角を上げ「いー」と声を出す。
*唇を思いきり前に突き出すようにして「うー」と声を出す。
*舌の先を顎の先まで伸ばすようなつもりで舌を突き出し「べー」と声を出す。
この体操をすると、口と舌の筋肉が締まるだけでなく、唾液が出て口の渇きも予防できるのだというから、心当たりのある人はやってみるとよい。


2015年10月25日日曜日

妻が喜ばない男の家事

昔は、「男は厨房に入らず」と言ったものでした。だから、余程のことがないと台所に入るなどということはしなかった。
男が偉ぶって、「女の仕事なんかできるか!」という意味にとられていたように思いますが、実のところは、女性が分担している仕事に敬意を払って「濫りにその職域を侵すものではない。男は男の本分を尽くすべし。」と戒めのためにできていた言葉なのではないだろうか?
それぞれ分担する仕事を一所懸命にやることに意を払えということです。
最近は、料理を趣味にする男性が増えて、それはそれで良いと思うのだが、こと家事の手伝いということになると、男の思惑がそのまま通じるとは限らない。

妻の負担を少しでも軽くしようと奮起している夫も少なくありません。調査によると、夫がせっかく家事を手伝っても、「かえって自分の手間が増える」と、ありがた迷惑のように捉えている妻が半数を超えるようです。
具体的には、イラッとする家事1位が「食器洗い」、2位は「洗濯」、3位が「風呂掃除」、4位は「部屋の掃除」と続いたそうです。
夫婦間で家事の分担意識に大きなギャップがあるのが実態のようです。
妻の約6割が、「夫に家事を任せてしまうと、結局自分の手間が増える事がある」と答えているのだといいます。

仕事の手順や仕上がりに拘りがあるということでしょうから、息を合わせることがないとすれ違う結果になるということなのでしょうが、「男は黙って~する」という特性があるから難しい。


2015年10月24日土曜日

トイレが綺麗な家の方が年収が多いというデータ

トイレをきれいにしておくと、どれだけいいことがあるのかということについて、こんなデータがあるのだとか。

ライオン株式会社が行った調査によれば、トイレを清潔に保っている人たちの世帯年収(平均542万円)は、トイレが汚い人たちの世帯年収(平均454万円)より約90万円も高かったそうです。
トイレ掃除と金運はよく関連づけられますが、こういった形で数字としてあらわれているのでは、無視することはできません。

そのほか、トイレを使った後は、蓋をしておかないと運が逃げるとか、トイレはその家の福の神が居る場所なのだとか、トイレに関する話しというのは多い。

少なくとも商売をしていたら、トイレが汚かったら致命的なことは確かです。
この場合、臭いについても対処しておくことが大切なようです。

2015年10月23日金曜日

どこまでやると歴史修正種となるのか?

歴史問題というのは、立場が違うと共通認識をもつのは難しい。
日本人だから、どうしても日本サイドに立った考え方の方が勝る。悪かったことは謙虚に反省するにしても、故ないことにまでを一方的に責められても、事実と違うことは納得しがたい。

歴史修正主義(Historical revisionism)とは、単に修正主義とも言うが、使われ方としては、
従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである」として批判する場合に用いられる言葉としての側面が大きい。
かなり政治的ニュアンスが含まれている言葉のように感じます。
しかし、歴史というのは巷間言われていることが全て正しいとは限らないし、後世の研究によって評価が変わることがありえたとしても不思議ではない。
今更、先の大戦についてどうこうしたいと思っているわけではないし、正当化しようとも思わないし、結果が変るわけでもないが、少なくとも時代背景や国際情勢、現実に起こった事態への経緯とその後の経過というものについては検証してみる必要はあると思う。
それらの詳らかな資料の収集や研究は、後の時代に残し、後の時代の評価に資する。
そういうことを調べたりして判ったことを発表する人に対して、歴史修正主義者として否定したり糾弾するのは、少し違うような気がしてならない。

歴史研究のそれが、金科玉条のように全て駄目だということになれば、観点は違うかも知れないが、考古学は成り立たない。
新しく発見された史料や既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことは、有り得て然るべきなのではないだろうか?
戦後教育によって刷り込まれた知識によりコメントをする識者たちは、日清日露戦争に勝利したことに味をしめ、指導者たちが無謀な戦争を愚かにも起こしたと言うのが常だが、独立国として生き残る為に、国の存亡をかけて叶わぬまでも戦おうとしたのだということは、日露戦争の開戦前の苦渋の選択からも類推できる。
指導者たちが馬鹿ばかりだったとは思えない。同様の事態に立ち至ったとき、どのような選択をするだろうか。
戦後、今に至るまで「では、日本はどのようにすればよかったのだ。」ということに明確に意見を述べている人はいないように思う。


ABCDラインによる経済封鎖、宣戦布告に近いハルノートを受けての太平洋戦争は、後にマッカーサー元帥がアメリカ議会で証言したという「日本の戦争は、侵略戦争ではなく安全保障によるものであった。」という記事を読んで、意外な感慨を覚えたのです。

2015年10月19日月曜日

国と国民と参政権

国家(State) とは、諸説はあろうが、一定の域(領土)があり、そこに国民(Peopleが住み、排他的な統治権を有する政治的共同体のことであると言えると思います。

国境という境界線をもって他国と区別することから、領土問題というのはあるにしても、
領土ということについてはまあ解り易い。

では、国民ということになるとどうなるのだろうか?

帰化したら別であるが、他国籍を有したままそこに住んでいるという人も含めて国民と呼べるであろうか?
主権国家として排他的な統治権を有する政治的共同体であるとしたら、そこに住んでいるというだけで、他国の利益を優先する外国人が反国家的活動を自由にできる状態では、彼らも国民であるとするのは国としての安定性を欠くのではないか?

これは(国民とは違うとすること)、差別とは違うと思うのだが、外国人に参政権を与えるということとの間にどのような整合性をもっているのかが解らない。
永住してこの地で税金も納めて暮らしているからというのであれば、いっそのこと帰化して、住んでいる国を愛し守るという選択をすることにすれば良いと思うのだが、それは難しいのであろうか?

2015年10月18日日曜日

ちょっと物知りになれるコンサート

開演日までに1ヵ月をきりました。

いつ世に出ても不思議ではない実力を有していても、まだ世に埋もれているピアニストというのはいます。
今回はVOL5という記念すべき回数ともなり、聴くことが将来の語り草になると思います。

彼は、幼い頃師事したイヨルク デームス氏に気に入られ、「君は、ショパンを弾きたいのか?だったら、良い先生を紹介する。」ということで、ついたのが今はなきハリーナ先生でした。

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ: Halina Czerny-Stefańska)師は、
1992年第4回ショパン国際ピアノコンクールで第1位および最優秀マズルカ演奏賞を受賞された教授ですが、指導をうけるには誰でもというわけにはいかない先生でした。

ポーランドのご自宅まで度々レッスンに呼ばれ、音楽のつくりかたにつき薫陶をうけました。
音の粒を揃え、フレームを大きくとる技法もさることながら、クラシックピアノ音楽の芯にあるものを伝授されたことが大きい。
彼のリサイタルにも、ご存命中はよく来ていたので、顔を見られた方も多いと思います。

彼は留学生活もも長くて、ザルツブルグからプラハと10年をはるかに超します。
ピアノの名器であるスタインウエイの持つ、澄んで伸びのある音を引き出す演奏は、聴いていて思わず惹きこまれます。ピアノとは、こういう音なのだと・・・

彼はライフワークとして、小中学生のための学校コンサートを毎年していますが、その数はもう延べ2万人を超してています。
子供たちが相手でも、決して手を抜くことがないので、素直な子供たちの心に響くのか、演奏が終わっても周りに集まってきて、なかなか帰らないのが常です。
音楽の中にどれくらいのものを入れこんで表現しているかは、音楽に志した人たちは聴くとわかるみたいです。

11月6日()に、銀座の王子ホールで催される秋の定期リサイタルまで、後1ヵ月をきりました。
「ちょっと物知りになれるコンサート」と銘うっての演奏は今回でVOL5。
ピアニストというと、難しい顔をして出てきてただ弾くだけというのが多いけれど、このコンサートはお話つきでいつも楽しいので、是非お奨めしたいと思います。
演奏の才能と、お話しの才能を併せ持つ人は少ないから、その双方を堪能できます。

このページをご覧になった方は、何かのご縁かと思います。
遠くは北海道から毎回来られる方もいらっしゃいます。
是非お誘いあわせてご来場されますよう、心からお奨めします。



2015年10月17日土曜日

歴史事実の評価が違い過ぎていないだろうか

日本は、植民地政策によりK国から簒奪したものが多いから、何を要求しても良いのだと彼の国では信じ込んでいるらしい書き込みがあるのを目にする。
本当にそうなのだろうか?

K国の王朝文化ドラマをTVで見ていて、煌びやかな文化があったのだと思わされていたけれど、日本が統治する前の写真などはネット上にいくらでもあるから気づいたのだが、染料などは高くて買えないから、首都の住民といえど、白い粗末な汚れた衣服をまとい、粗末な藁ぶきの今にも壊れそうな家に住み、狭くて不潔な道路にたむろしているのを目にすると、時代考証が誤っている画面をみていれば、誤った認識が定着する。この国の何が豊かだったと言い張るのか不思議でならない。

陸続きで、その気になれば征服できたであろう朝鮮を、中国の歴代王朝は、属国として朝貢をさせはしたが占領はしなかった。
風水的にみて、それが良くないからだったとか、貧しい国にそれ程の価値を認めていなかったからだとか言われる。
ロシアが朝鮮半島に南下しようとしたのは、海に出ることが目的であったという。
そのことが日露戦争の原因となった。
搾取することができないのに併合して、その地を豊かにしようと励んだのは安全保障の側面が強かったのだと思える。

口を開けば、私の先祖は両班だったというが、両班はたったの7.6パーセント、奴隷階級の奴婢41.2パーセント、識字率は3パーセントくらいの国であったのが事実。
歴史を正しくにんしきするのならそうなる。
(その頃の日本の識字率は70パーセントを超えていた)

がんじがらめだった身分制度を廃し、教育に力を入れ、農業の生産性を上げ(そのことで人口は倍に増えた)、社会資本を整備し、本国の北海道に優先して開発のために資本を投下したのが事実であろう。簒奪どころか投入したものの方が多い。(資料は、これもネットで探せばいくらでも出てくる。漢字文化を捨てたから調べようもないし、知りようもないということなのか?)

その当時の東南アジア諸国が西欧列強の植民地として如何に悲惨であったか、現在でもウクライナやチベットがどのような状況下にあるか、冷静に比較衡量したら悪口ばかりを言っていられないのが、現実的な正しい歴史認識ではないのか?
歴史にifということはないが、もし日韓併合ということがなかったとしたら、彼の国はかなり高い確率で共産主義国となっていたあろうし、現在に至るも独立国になり得ていたかどうかはかなり疑わしい。日本憎しばかりを言っていたら、将来を誤ることになるとは、誰一人考えないのだろうか?

戦後のK国建国時に、反日政策をとることで国を纏めなくてはならなかったことについては理解できなくもないが、いつまでもそれを続けていたのでは友好国として共に発展する方向付けはできないであろうと危惧する。感情的対立を煽るのは双方にとって不幸だと思う。

日本人は、私もつい最近までそうであったように、大方の人は仲良くしようと思っていた。それなのに反日ばかり煽るから、日本の若者たちがいろいろ事実関係を調べて、実情を知るようになったのではないだろうか。殆どの人は知らないでいることが多いが、知っていた方が良いことは多い。


自国民が自国民のことをヘル朝鮮と卑下して嘆く原因はどこにあるのか?本心ではそろそろ解ってきているのではないだろうか?

2015年10月16日金曜日

間違って読んでしまいそうな漢字「鰍」

秋たけて、サンマが美味しい季節となりましたが、今年は不漁らしく値段が高い。
七輪で焼いて、大根おろしで食べると旨いのだが、七輪なんてものは最近とんとみかけなくなりました。

で、「鰍」という字を何と読むか?というのが本日の問題です。
秋だからサンマだ等と、安易に読んではいけませぬ。「カジカ」と読みます。

因みに、ウオ偏の漢字は沢山ありますが、いくつか挙げてみると
鯏(あさり)鯵(あじ)鯇(あめのうお)鮎(あゆ)鮑(あわび)鰒(ふぐ)魷(いか)
魦(いさぎ)鰯(いわし)鯎(うぐい)鰻(うなぎ)鱏(えい)鰕(えび)鰍(かじか)
鯑(かずのこ)鰹(かつお)魳(かます)鰈(かれい)鮍(かわはぎ)鱚(きす)
鯨(くじら)鯉(こい)鯒(こち)鮗(このしろ)鰶(このしろ)鮭(さけ)鯖(さば)
鮫(さめ)鰆(さわら)鯱(しゃち)鱸(すずき)鯛(たい)鮹(たこ)鱆(たこ)
魛(たちうお)鱈(たら)鰌(どじょう)鯰(なまず)鰊(にしん)

きりがないので、これ位にするが、寿司屋のあがりの大きな茶碗でお馴染みのものです。

2015年10月15日木曜日

血圧を下げるのに良いと言う柿酢を自宅で作っている最中です

今年は柿酢を作ることにしました。

カリウムを豊富に含むお酢は、毎日大さじ一杯で血圧を下げる効果があります。カリウムは、体内の余分な塩分を排出し、血圧の改善や疲労回復、脂肪の分解を促進し、血液をサラサラにする効果があります。 柿酢には、このカリウムが米酢や黒酢以上に豊富に含まれています。その量は、黒酢の3倍、米酢の10倍以上含まれていると言われており、疫学調査でも、柿酢の血圧低下の効果が明らかになっています。

作り方はびっくりするぐらい簡単で、基本的には柿を置いておくだけ。しかも柿は、渋柿でも甘い柿でもどちらでもOKです。
洗うのは厳禁です。、なぜかというと、柿の皮に自然と付着している酢酸菌がお酢を作ってくれるため、この皮に白っぽく粉のように付着している菌を洗ってしまうと発酵がうまくいかないからなのです。
瓶やポリペールなどに無造作に詰め込み、しっかり布巾などで蓋をします。匂いにつられてコバエ(ビネガーフライ)沢山よってきます。(通気性が必要なので布巾やさらしでカバー)
無農薬で、木で熟したものが良いのですが、落下したものでもまだ固いものでも構わず詰め込みます。
時々様子をみてあげて、数日後に熟してきたようなら一度麺棒などで柔らかくなった柿をつぶしておきます。この時、カビがついていれば取り除きます。白カビならあまり気にしなくても大丈夫だが、黒や緑なら真剣に取り除く。
(小さじ1杯位の酢を混ぜておくと、柿酢を作る呼び水ともなり、カビの発生を防ぐことができるようです。)
出来上がりは、酢の匂いがするから判るし、舐めてみてもわかります。
後は、晒し木綿などで濾して、液体だけを保存します。沢山欲しければ沢山の柿を使うだけのことです。


2015年10月14日水曜日

「国の交戦権はこれを認めない」とする国だから

何も知らないで、周りの言うことに流されている人というのは多い。知った上での判断であれば、民主的に決めるのが良いと思うが・・・
憲法違反だと声高に叫ぶ人は、条文を知ってか知らずか判らないが、日本国憲法の第9条を知っている人というのは少ないのではないだろうか?多分読んですらいない。
憲法9条
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第一項は良いとして、第二項に遵うということを、本当に国民全員が肯っているのだろうか?殊に第二項の後段「国の交戦権は、これを認めない」ということは、平たく言えば他国が国として攻めてきたら、日本は国として戦ってはならない、ということである。
前段の戦力ということになると、殆どの国民が自衛隊を容認している。条文通りなら違憲ということになってしまわないのか?

お断りしておきますが、交戦権があって、戦争できるようにするのが良いと言いたいのではありません。戦争になったらお終いだと思うから、いかにそれを防ぐかは、真剣に考えねばならないと思う。

世界に類を見ないこの条文を良しとするか悪しとするか、真剣に考えたことのある人は殆ど居ないに等しいのではなかろうか。
現憲法下で、国を守るということになったら、選択肢は限られる。亡びても良いと言うなら別であるが、やられっぱなしでおめおめとは死ねないという人だってかなり居ると思う。。

次に、平和の象徴にして頼みに似ている国際連合: United Nationsについてであるが、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織であり、主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である、ということになってはいる。
しかしながらその根幹をなしているのは、英語表記の「United Nations」の通り連合国という意味であり、第二次世界大戦中の枢軸国に対峙していた連合国が、自陣営を指す言葉として使用していたもの。それが継続して使用されているものである。
国連の敵国条項(日本はその対象国となっている)は、死文化しているとはいえ、削除されてはいない。
日本語においては戦時中の連合国と区別して「国際連合」と呼ばれるので芯にあるものを見落としてしまいがちだが、戦勝国側の権益を守るための側面が未だに強い。

その結果として、C国もK国も戦勝国であるという主張に拘る。
全世界が知っているように、C国は日本と戦って勝ったという事実はないし、終戦時に国ですらなかった。後に内戦を経て建国された。
K国も終戦時に戦勝国側に入れてくれと頼み込んだが、にべもなく断られ、建国がなったのはずっと後のことである。敗戦で武装解除した日本の反撃がない次期のどさくさまぎれに竹島に侵略し奪取したことをもって戦ったということにしないと、反日を国是とすることと合わせ、国の根幹が揺らいでしまうから、日本に竹島を返還することなど不可能ということになる。

日本が「国の交戦権」をもつことは最大の脅威となるから、有ること無いこといろんなカードを切って揺さぶりをかけるのは、そういう背景があることを理解していないと、判断を誤りかねないということも知っているべきだと思う。

2015年10月13日火曜日

学校コンサート

竹内英仁は、ザルツブルグからプラハでの留学以後のヨーロッパ生活が長かった。
ピアニストである彼は、小中学校を訪問してピアノの生演奏に直に触れることで後進が育ってくれることを願って、大人に対するコンサートと同じプログラムを演奏することをライフワークにしている。
中学校時代に、現役の狂言師が学校訪問して狂言というものを生で観たときの感動が影響していての活動だという。
先日も、世田谷区の小学校の開港記念日の行事に合わせての演奏がありました。

「キラキラ星変奏曲」を弾いた後に、曲に因んだ話しとして、生徒たちに「おうちでお手伝いをしている人っていますか?」と語りかけたところ、何人かが手を挙げたという。
「おうちの手伝いをすることは、社会に出てからとても役にたつのです。何をしたら喜ばれ、どういうことに気を付け、どんな手順で仕事を進めるかが自然に身に付くからです。」
親や先生がそんなお説教じみたことを言っても、素直に聞くものではないけれど、演奏を通じて信頼関係ができているからか、殆どの生徒から「これからは手伝う!」という返事があったのだとか。

「英雄ポロネーズ」を弾いた後、「ポロネーズのステップとはどのようなものか舞台に上がってやってみたい人?」と声をかけたが、なかなか手を上げないので、「では、先生のお手伝いをしてみたいと思う人?」と言い換えたところ、数人が手をあげたのだと聞きました。

演奏が終了した後、父兄たちがなかなか帰らなくて、周りに集まって話をしたがるので、時間が大幅に延長し、更には予定になかった曲も聴いて、名残惜しそうに散会したという。

定期演奏会もしています。


2015年10月12日月曜日

南京大虐殺って本当なのだろうか?

「南京大虐殺文書」がユネスコの記憶遺産に登録されるのだという。
事実関係や、その人数について以前から疑義が多い。真実のみが語られているとはとても思えない。
A新聞がここでも過去に大きな影響を与えてしまっているようです。

戦争が嫌いだと言いながら、戦時法というものについても、あらかたの日本人は知らないでいるから、そのあたりもややこしい。
そもそも攻撃を通告してから後にその地に止まる人は、攻撃されてもやむを得ない。
基本的には、攻撃対象は軍人ということになるが、シナには軍服を脱いで市民の服装をした便衣兵というのがいた。戦争においては、明らかなルール違反である。

便衣兵(べんいへい)とは、一般市民と同じ私服・民族服などを着用した中国兵士。
戦争のルールを定めた「ハーグ陸戦条規」等では、本来軍人・兵士は階級章などの標章を付けた軍服や戦闘服などを着用し、一般市民と見分けのつく服装をしなければならないとなっている。
便衣兵を一般市民とすることはできないだろうし、20万都市の全員が死んだということではなく、南京落城後歓迎されて入城したという写真もあるようです。
30万人という数字がどこから出てきたのだろうか?白髪3千丈では困る。

戦争をしたのは、理由の如何を問わず正当化されることがないにしても、歴史というからには、資料や証拠に基づいて良いも悪いも事実を伝えるべきであろう。
政治目的化したものは、歴史とはいえまい。

彼の国も、K国と同じ儒教の国であるから、易姓革命(前政権を根絶やしにする)によって勝利した側が、自分たちに都合がよいように歴史を書くというのだろうか?
歴史といえども事実そのものではなく、本来こうあるべきだ・こうあって欲しかったということを残す。そうでなかったことを恨(はん)というらしいが・・・

2015年10月11日日曜日

何を言っても自由な国とはいえ不思議に思うこと

諸外国においては、自国のことを悪しざまに述べる人は少ないように感じます。
それをしたら命がけになる国もあるでもあろうし、少なくとも拘束くらいはされるのだと想像します。

それが自由にできる日本が良いのか悪いのかは判りませんが、どうにも不思議なのが、反日的な発言をするのを文化的知識人だとでも思っているらしい人がかなりいて、声高に日本を貶めるようなことをいう。どうしてもそういう方向にもっていきたいらしい。
それで議論になっても、他人の意見は頑なに聞こうとしないし、言動がかなり偏っているように思えてならない。

別に右翼でも国粋主義者でもないけれど、異様に感じられる。多少なりとも身内のことを贔屓目に言うのが普通のように思うからです。
本当に日本が悪いと信じ込んでいるのだろうか?そしてそれは何が根拠なのだろう?

戦後教育を受けた口だから、日本がやったことは全て悪いことだったのだと思い込まされていたが、明治以降の歴史背景や、戦争に至った歴史や国際的諸情勢をいろいろ読んでみると、どうも違った側面が見えてくる。
特にアジア諸国は白人の植民地であったこと、唯一日本のみがそれらに対抗できる独立国家たりえていたことなどがわかってくる。

侵略戦争であったと教わった大東亜戦争も、特亜3国を除く東南アジア諸国が日本に対して言っていることは、かなり好意的に聞こえてならない。
白人支配をのがれ、独立できた遠因たりえたこともあるのかもしれないが、われわれが知らない日本人の本質を知っているからのようにも思える。

敗戦時、東南アジアで拘束された日本軍の幹部であった人が、現地人の嘆願で無事帰国した人が、多くを語ることはなかったようだが、近所に住んでいた。
そういうこともあって、普通に考えてみたとき、大多数の日本人は、悪の限りを尽くすことからはほど遠かったのではないだろうか?と思えるのです。
日本人の本質が戦後に突然変わったのだとは思えない。気質などはそうそう簡単に変わらない。

こんな動画がネット上にありました。いろんな背景を知ることができました。


2015年10月10日土曜日

信頼されなくなる言葉の類

普段さして意識もしないまま口にしていることで、自分に対する信頼を損ねてしまっている言葉というのがあるかも知れません。言葉を口にするときには注意深くあらねばならないのです。
11 Things Smart People Won't SayInc.
Travis Bradberry(訳:コニャック)
Photo by Shutterstock
の、このような記事があるのを見つけました。以下のようなものです。

それは小さな発言なのです。たとえば、自分が無能で自信がないような印象を与えてしまうようなもので、これは本当に良くありません。
どんなに才能にあふれ、大きなことを達成していても、一気に周囲の見る目を変えてしまい、長期にわたってネガティブな印象を与えてしまう「言葉」があります。それは、せっかくのキャリアを台無しにしてしまいます。
最近、オフィスで、次のようなフレーズを聞いたことがありますか?
1. 「フェアじゃない」
人生が公平でないことは誰もがわかっています。「フェアじゃない」と言うことは、人生は公平であるべきだと思っていることになり、未熟で考えの甘い人だと思われてしまいます。
そう思われたくないなら、事実を見つめ、建設的に考えて、自身の気持ちはひとまず置いておく必要があります。たとえば、「私がやりたかったプロジェクトを別の人に任せましたね。何が理由でそのような判断になったか教えてもらえますか? 私が適任でないと考えた理由を知りたいのです。足りないスキルを磨きたいのです」などという発言がこれにあたるので注意しましょう。
2. 「いつもこのやり方なのですが」
技術に後押しされて急速に変化が進んだために、半年前のプロセスすらもう時代遅れになっているかもしれません。「いつもこのやり方をしているのですが」と言ってしまうと、怠け者で変化に対応できていないという印象を与えるだけでなく、上司に、なぜ自ら物事を改善していく努力をしないのかと思われてしまうかもしれません。いつもと同じやり方で仕事を進めていても、もっと良い方法はあるはずです。
3. 「問題ありません」
誰かに仕事を依頼されたり、仕事をしたりしたことに対してお礼を言われた場合、「問題ありませんよ」と言ってしまうと、相手の要求に問題があったかのようなニュアンスになります。要するに、相手は、自分が無理なことを言ってしまったように感じてしまうのです。
それよりも、仕事に満足していると相手にわかってもらったほうが良いでしょう。「喜んで」または「関われてうれしいです」というようなことを言ってください。ちょっとした言葉の違いですが、大きな効果があります。
4. 「と思います/あまり良いアイデアではないかもしれませんが/くだらないことを質問しますが」
これらの消極的なフレーズを使うと、皆さんの信用が失われてしまいかねません。すばらしいアイデアでもこれらのフレーズに続けて言うと、自信がないと思われてしまい、相手は皆さんを信用してくれなくなります。
自信がなくても、それはあなただけではありません。皆がそうなのです。わからないことがあれば「今その情報は手元にありませんが、すぐに調べてお伝えします」と答えれば良いのです。
5. 「これならほんの数分で終わります」
「ほんの数分で終わります」と言うと、皆さんの技能が低く見られ、仕事を急いで終わらせようとしているような印象を与えてしまいます。文字通り数分で仕事を終わらせるつもりでないのなら、長くはかかりませんと言えば良いのです。実際にかかる時間よりも早くできるような言い方は避けましょう。
6. 「やってみます」
「思う」という言葉と同様、「やってみる」という言葉は不確かに聞こえますし、仕事を完成させる自信がない印象を与えます。自分の能力をしっかり管理してください。何か仕事を頼まれたとき、それを遂行したり、代替案を提案したりするでしょう。いずれにしても「やってみます」とは言わないでください。一生懸命努力していない印象すら与えてしまいます。
7, 「彼は怠け者/無能/間抜けだ」
同僚の陰口をたたいて良いことはありません。内容が間違っていなくても、それならすでに皆が知っているはずなので、わざわざ指摘する必要はありません。しかも、発言が間違っていた場合、間抜けなのは言っている本人だと思われてしまいます。
どんな職場でも無礼な人や無能な人はいるものです。そして、おそらく周りの人々は誰がそうであるかを知っています。彼らの能力を向上させる、または解雇する権限がないのであれば、彼らの愚かさを知らしめても何も得られるものはありません。同僚の無能さを言いふらすということは、自分を良く見せようとしているだけだと受け取られます。無神経なことをすれば、かならず否定的な意見という形で戻ってきて、悩まされることになるでしょう。
8. 「職務内容に載っていません」
さすがにこれを言うケースは少ないと思いますが、最低限の仕事しかしない人間だと受け取られるだけでなく、会社員生活も危ぶまれるので、このようなことは言わないほうが良いでしょう。
自分の立場では不適切だと感じる仕事を上司に頼まれた場合(道徳的または倫理的に不適切というものではない場合)でも、とりあえず熱心に仕事をするのがベストです。後ほど、上司と話をして、会社における自分の役割や職務内容を更新する必要があるかどうかを話し合ってください。こうすると、見くびられることはなくなるでしょう。また、そうすることで、皆さんが何をすべきで何をすべきでないかということに関して、長期的な理解の共有ができるでしょう。
9. 「私のせいではありません」
責任転嫁するのは決して得策ではありません。やったことには責任を持ちましょう。たとえば、担当の案件が悪い状況になった場合、たとえどんなに小さな役割であれ、責任を取ってください。そうでなくても、起こったことに客観的で公平な説明をするようにしてください。事実に基づいて誰に責任があるのか、上司や同僚による結論を導き出してください。
人を名指しで批判すると、ほかの人は皆さんが自分の行動に対する責任を取らない人だと見なします。誰もが神経質になり、皆さんと仕事をすることを避けようとする人も出てくるでしょうし、何か悪い状態に陥ったときに、皆さんを1番に名指しして責任を取らせようとする人も出てくるでしょう。
10. 「できません」
「できません」と言うのは「私のせいではありません」という言葉の、ねじれた姉妹のような言葉です。人は、「できない」という言葉は聞きたくありません。「できない」というのは「したくない」という意味に聞こえるからです。「できません」と言うと、仕事を終わらせるのに必要なことを「やりたくない」と言っていることを示唆するのです。
能力が本当にないために仕事をできないという場合、代替策を提供する必要があります。「できない」ことを言わずに、「できる」ことを言ってください。たとえば、「今日は遅くまで残業できません」と言うのではなく、「明日の朝は早く来られます。それでも大丈夫でしょうか?」と言ってください。「これらの数値の管理はできません」と言うのではなく、「この種類の分析数値を管理する方法はまだ知らないのですが、次回この仕事を私1人でできるように、教えてくださる人はいますか?」と言ってください。
11. 「この仕事は嫌です」
仕事場でもっともタブーな発言は、自分の仕事への不平不満です。不満を言っていると、ネガティブな人と見なされますし、グループの士気も低下させてしまいます。上司は、士気を引き下げるネガティブな人にはすぐ気付きます。そして、あなたの代わりに熱心に働いてくれる人がいることもわかっているのです。

すべてが繋がっている
上記のフレーズを皆さんの単語リストから除去しましょう。これらのフレーズは、いつでも皆さんに忍び寄ってきます。しっかり自分をコントロールして、決して言わないように気をつけましょう。そうすれば、物事は良い方向に向かうはずです。