2018年6月30日土曜日

口を出すななどと言っていられるのか?

ジュネーブ軍縮会議の全体会合が26日、国連欧州本部で開かれた。日本の軍縮代表部が演説で、北朝鮮に米朝首脳会談の合意に基づいて非核化に向けた行動を取るよう求めたのに対し、北朝鮮の代表は「当事国でない日本が口をはさむべきではない」などと反論した。
北朝鮮の代表は、4月の南北首脳会談での板門店宣言や米朝首脳会談の共同声明に「日本は署名していない」と強調し、日本は両会談の合意に基づく非核化に言及する立場にないと主張したが、会合では米韓も北朝鮮に非核化を促す発言をしたが、両国には厳しい態度を取らなかった。
結構なことである。口を出すなということであれば、金も出すな、ということである。
やる気があるのか疑わしい核兵器の廃棄は、莫大な費用がかかると言われているが、米国はそれを日本と韓国が負担させようとしていて、米国にはその気がない。
韓国がそれを一手に引き受けてできるわけがなかろう。
ましてやその後の経済援助ということになれば、日本抜きでできるわけがなかろう。

米国は過去に5回も騙されているから、首脳会談で署名することで言質を取った。米国は最小限の合意で良かった筈であるが、北朝鮮がそれを逃れる方法はあるまい。
逃れれば、後に残っているのは極めて厳しい制裁ということになる。
米国は、米国本土に直接的被害が及ばなければ多少の猶予は置くかもしれないが、核廃棄が終わらなければ、経済制裁を緩めることはしないということで一貫している。

緩い条約だったと批判されているが、トランプ大統領の狙いは、多分ほかのところにある。
北朝鮮に対しての対応に今一信用のできない中国への戦略ではないのかと思えるのである。
中国が制裁を緩めたら、それを口実に実施する政策を用意しているということである。
貿易がらみでの政策にそれが見て取れる。
南シナ海の問題もある。第7艦隊の使命は、太平洋とインド洋から中東に至る海。そこに制限を及ぼすような人工島なぞ我慢できるはずがない。
前政権下の政策で弱まってしまった米国の力を復活させようということであろうから、米国の軍事費を7兆円も増加させた。日本の軍事予算5兆円をはるかに超える。

いろいろいわれているが、これにより米国の軍関係者はトランプ側についたということであり、トランプ氏の支持基盤が強くなる。
米国は、防御ラインを日本にまで下げても大して困らない。
ただ、オーストラリアとインドを抜きにしての戦略はないのだけれど、この2国との関係が現段階で良好だとまでは見えない。
この2国と日本は、友好関係にあるから、日本が接着剤として動くことでうまく運ぶ。
それを織り込んだ戦略を重要視しているということではないのか。

日本が蚊帳の外などという人は、朝鮮や中国に阿るの余り、世界戦略を読み誤っているとしか思えない。世界情勢は、表面に現れているだけのものではあるまい。
北朝鮮が日本抜きでなにかできるのならやってみるがよい。日本がもっと本気になって、パチンコその他からの資金を完全に止めたら、どんなことになるか解かっていない。
北朝鮮はいつもの例で、強気の発言をすれば日本側にそれに従うべきだとする人が現れるのをよく知っている。
そんな狙いが今後も通用することは先ず無いと思った方がよかろう。


2018年6月29日金曜日

薬物中毒?

度を越した愛国者のことを、かの国では「クッポン」と呼ぶのだそうです。

「クッポン」とは、「国家(韓国語でクッカ)」と「ヒロポン(覚せい剤)」を合成した言葉で、自国への愛国心にまるで薬物中毒のようにのめりこんでしまった状態を指す。
「愛国中毒」とでも意訳すべきだろうか。
元々はネットで、いわゆる「韓国起源説」を信じ込み、「韓国人がメソポタミア文明を築いた!」などと発言する人々を嘲笑する言葉だった。
これが転じて、韓国への愛国心をやたらに表に出すような行為全般を指すようになったという。

日本に対する対抗心が強すぎて、韓国は日本に併合される前に既に、日本を越える近代化を成し遂げていたのだという無い事ない事(有ること無い事ではない)書き連ねて記事にしたものがあるのだという。
流石に韓国人までもが呆れて、ツッコミをする程の酷さなのだという。

併合前の韓国の惨状は、西洋人が残した写真が多数ネット上にもアップされているから、誤魔化しようがない。
小話となっているようだが、ソウルを訪れた西洋人が、立ち並ぶ藁ぶきの小屋を見て「この国はこんなにたくさん家畜を飼うほど豊かな国なんだ。」と感心したのだが、その小屋から不潔な身形の人たちが次々出てくるのを見るに及んで絶句した。

そういう時代があったってよいではないか。どこの国だって最初から発展したわけではない。
他国の文化文明を獲り入れて進歩してきたのである。

日本だって、中国から儒学を学んだ。
しかし、実情に合わないものは段々に取り払われ、形式化しない実学としての学問として進化したところが、韓国とは全く違うところであろう。
陽明学もそうである。明の王陽明が唱えた儒学説であり、形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。
心即理(しんそくり)・知行合一(ちこうごういつ)・致良知(ちりょうち)の説を主要な思想とした。
西欧の合理主義も取り入れ、古来の文化と融合させて独自の文化に育て上げた。
日韓併合の頃には、圧倒的な差がついてしまっていて不思議でも何でもない。体制も国民性も差がありすぎた。

中国も韓国も、政治的都合で日本を仮想敵国とするのは仕方がないが、捏造したことはいずれバレルのであり、虚から有は組み立てられない。
それに引き換え、実というのは強い。戦後日本を貶めるために捏造したことやプロパガンダによるものであったものは、次々に真相が明らかになって来ている。

過度な競争心を掻き立てる前に、地道な努力の積み重ねを先にしなければなるまい。



2018年6月28日木曜日

iいつまでやっても益がないと思えるのだが

先日、何の気なしにTVを点けたら、各党の代表者らしき人を招いての討論番組をやっていたらしい。
途中から見たのだが、丁度、視聴者からのメールによる質問ということで、司会者が野党の各位に順番にそれに対する意見を聞いていた。
「モリカケ問題」ということで1年もやってきたけれど何の進展もないようだが、どうする心算なのか?という内容だったと思う。
それに対する返答というのが奮っていた。
「証人喚問の要求に応えて、質問に対しての答弁も正直にしてもらえれば簡単に終わる。」というのが、掻い摘んで言えば彼らの答であった。
もりかけ問題といわれているものは、どう突いてみても違法性の立証なぞできないではないか。
事実関係が明らかになったとして、そこに政治責任を追及できるようなものが出てくるとは思えないものに、徒に時間をかけるのは如何なものか、というのが趣旨であると推察できる質問だったと思うが、見事に的外れな返答であった。
彼らが重大視していつまでも長引かせていることが、他の法案に優先するものなのか?他が全く見えなくなってしまっているのか?
国民が望んでいることと余りに乖離しているのだとの判断はないのだろうか。
これでは野党の支持率が下がっても仕方がない、と思えてならなかった。
証人喚問を言い立てるのなら、この問題に関連しての献金疑惑が囁かれた野党議員の方が問題ではないのか?
彼等は、それには口を拭って国会の場で質問に立っていると見えてしまっては、応援のしようがない。


2018年6月27日水曜日

ネーデルランドと呼ぶのが正しい

阿蘭陀、又は和蘭(オランダ)と呼んでいるのは、日本だけかも知れません。
ネーデルランド(Nederland)というのが正しい。これは「低地の国」「低地地方」を意味する普通名詞に由来するためできた名前だという。

日本で何故オランダというようになったかというと、幕府の役人がオランダ人を尋問した際「どこから来たのか?」という問いに対し、船員がホランド州出身だったので、「ホランド」と答えたことによるのだという。
因みに、ニュージーランドの国名も、オランダのジーランド(seeland)州の名前からついたらしい。
西洋でポルトガルの次に強さで名を成したのはオランダで、イギリスより先んじた。
海を渡り、オーストラリアを見つけたのもオランダなのだという。

鎖国中の日本が中国以外で唯一受け入れていたのはオランダであり、外国の優れた文物や情報は、オランダにお世話になったから、日本人はオランダに親近感を持っているが、オランダ人が日本のことを好きかというと、それはなんとも判らない。
オランダが東洋に持っていた植民地は、日本のせいで全て失ったのだから。

オランダの次に世界で覇を唱えたのは、産業革命を早くに成し遂げたイギリス。地図で目にする英国の面積は、たぶん日本より狭い。
しかし英国は一時期日の沈まない国と呼ばれるくらいの強国であった。
なんのことはない。世界中に植民地を持っていたから、そのどこかは必ず昼間の時間であったからである。江戸時代末期の頃の世界の情勢を較べて理解しないと、明治以降も解りにくい。


2018年6月26日火曜日

他人の言うことを聞くだけでは

その昔、今の言い方で60年安保闘争というのがあった。

日米間で結ばれていた安全保障条約は、サンフランシスコ講和条約とともに結ばれたものであり、戦勝国米軍の日本国内およびその付近への駐留・配備を認め、条約の失効は日米双方の認定を必要とするが、米駐留軍は日本防衛の義務を負わないという形式で、その内容は、駐留米軍は極東における平和と安全の維持、日本政府の要請に応じて国内の騒擾や内乱の鎮圧、日本に対する外部からの武力攻撃の阻止に使用することができるというものだったが、敗戦国に押し付けられた著しく片務的な条約であった。

この安全保障条約の内容を改定しなければ、日本は完全に独立することはできない、と考えるのは普通のことであったろう。
1957
年の総理大臣に就任した岸信介はこのように考え、対等なものにするために動き出した。
ここで、在日米軍の配置に関して
・日米が事前に協議すること
・安保条約と国連憲章との関係を明確にすること
・条約の期限を明確にして条文に盛り込むこと
この3点を求めた。

特に気を使ったのは日本国内で米軍が勝手に行動を取らないようにすることであった。
そのために、部隊の配置などの変更があれば日本に事前に知らせるだけでなく、協議することを
要求したのである。
また、アメリカに守ってもらうだけではなく、日本に駐留する米軍は日本も防衛の責めを負うということを明確にしようとした。「守ってもらう」ではなく「お互いに守り合う」ことで力関係の均衡化を目指し、日本の独立性を強めようとしたのである。

196019日、新しい安保条約が結ばれた。
その時の正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との相互協力及び安全保障条約」ということになった。
<新安保条約の内容>
・日本が侵略された場合にはアメリカ軍は支援義務があることを規定
・しかし、日本のアメリカ軍への協力義務ははっきり書かれていない
・日本と日本国内にある米軍基地に対する武力攻撃に対しては日米両国で共同で対処
これによって旧安保条約とは違い、アメリカ軍の防衛義務については明確にすることが出来たのである。

しかし、この時の反対闘争というのは激烈で、全学連などの左翼過激集団をある意味で煽ったのは、今と同じく新聞各社であった。
テレビの司会者として有名であるT氏もその時騒いだ口であるが、その彼がいみじくも後に言っているように、法案の条文なぞ読んだこともなく、騒いだ人たちの殆どが同様であったという。

内容的にまともであり、反対するようなことではなかったから、次の1970年改定時には何の騒ぎも起こらなかった。
岸信介氏がA級戦犯であったことを挙げて、条約の内容ではなく、情緒的に反対運動を過激化させた側面もあったように思われる。

昨年9月に成立した安全保障関連法についても同様であろう。
憲法が禁じる武力行使に当たるとして、これまで認めていなかった集団的自衛権の行使が可能になるということに反対だというが、国の法としては極めてまともだと思える。
しかし、これもマスコミと左翼系の人たちが大反対した。ありえようもない徴兵制が復活すると言い立てて、感情的に煽った。

今彼らがやっているとことといえば、森友・加計問題である。どうつついてみても違法性が立証できないことを、疑わしい疑わしいとして、他に重要な問題があるにも拘わらず、政局にしたいがためだけでいつまでも騒いでいるようにしか思えない。

歴史に学ばなければならないのは、我々国民なのではないのか。
いつまでも他人の言うことに引きずられたままで、自分で考えることをしないでよい筈がない。


2018年6月25日月曜日

すぐに「~デハ}と言う人

「デハの守」と揶揄される人がいる。出羽守のことではありません。
「どこそこの国“”では“こうなってる。だから日本もそうすべきだ。」という言い方をする人を指して、「出羽の守」と呼ぶのである。
とりわけ、知識人であると自称している人ないしは知ったかぶりをする人にそれが多く、「だから日本はだめなんだ」という上から目線のもの言いをするときの論拠にする。
他所の国の例をもってきて、日本人に別のあり方を示すことは、悪いことではないが、今の日本とは違った別の状況が世界にはあるということを示すだけのことであり、現実の状況を相対的に捉えることが可能になるというだけのことである。
他所でそうなっているのは、歴史や社会構造や文化的にみたときの全体バランスがあってのことであり、一事象を抜き出して捉えてみてもどうにもなるまい。
彼等は、その他国の例がなぜ日本の状況にも適応できると思うのか、どうすれば日本の現状を改善できるのかを具体的に示すことは決してしない。
例えば、ドイツは労働時間も短く、有給休暇の完全消化している。それに引き換え「日本は社畜の国で駄目だ。だから経済もうまくいかない。」と声高に主張する人がいるが、それをもって日本がドイツに全て劣っているという結論にはなるまい。
劣悪な労働環境が存在しているのを改善しなくてよいという心算はないが、具体的な実現のためのプランを示さなければ、説得力を持たない。
出羽守の多くは、得てして共産主義的発想でそれを主張することが多いように見受けられるが、共産主義をとっている国のどこが理想の国だと言えるのか?
「ではの守」の全てが悪いとは思わないが、中に首をかしげざるをえないものも多いのも事実であろう。

"ではの守"は、身近によくみかけますが、そういう人に限って、"それなら日本の良いところは?"と聞くと、途端に黙り込んでしまう。日本をくさすこと自体に喜びを見出しているような姿勢には、大きな疑問を覚えてしまうのです。


2018年6月24日日曜日

クルミも桃?

「さくらんぼ」が美味しい季節となりました。
さくらんぼは、漢字で書くと「桜桃(おうとう)」 「黄桃(おうとう)」。
だけど、さくらんぼって桃だっけ?

つばいもも(油桃・光桃・椿桃)はともかく、蒲桃(ふともも)、梅桃(ゆすらうめ)ましてや胡桃(くるみ)などということになると、桃とは思えない。
しかし、桃という字はそもそもが果実を表すものだったのだと聞くと、納得がいく。

は、古くから仙木・仙果とされ、邪気を祓い不老長寿を与える植物として視されている。


2018年6月23日土曜日

思惑が合致すれば敵同士だって組む?

国益が合致すれば、旧敵同士だった国々であっても共同して動くというのが国際関係である。
紛糾しているシリア問題を解決できるのは、アメリカではなく、ロシア・トルコ・イランなのだという。
この3国は、シリアの戦争に大きく関わっているが、政治的、軍事的、宗教的なものであるから、決して簡単ではないけれど、話し合いの場を持ったのだという。

ロシアはオスマン帝国と241年間で12回の戦争を戦っている。平均して19年ごとに露土戦争が起きている計算になるが、トルコはロシアと12回戦って10回負けた。
その都度、トルコは領土を大きく失ったから、いわば不倶戴天の敵ということになる。
トルコが親日的なのは、その憎い強敵ロシアに、日露戦争に勝ったということも、大きく影響しているのだという。
その他にも、日本ではあまり知られていないが、「エルトゥールル号事件」というのがある。
トルコの軍艦が日本訪問しての帰路、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は、機関部に浸水して沈没した。
樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。颱風により出漁できず、食料の蓄えも僅かだったにも拘わらず、住民は衣類、卵やサツマイモ、非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果69名が救出され、生還することが出来た。
遭難事故の20日後、日本の軍艦「比叡」と金剛」により神戸港で生存乗員を分乗させ、オスマン帝国の首都・イスタンブールに送り届けた
これを多として忘れていなかったトルコは、イラン・イラク戦争勃発時、日本ができずにいた邦人の救出を、危険を省みずやってくれた。有り難いことであった。

イランも親日国として知られている。
しかし、遠く離れた国とは仲良くできるが、近隣諸国ということになると、歴史上も良好関係を築くことは難しく、上記3国が同一歩調を組むことなぞ考えも及ばなかった。

シリアに問題があることは確かだし、ロシアは現政権と結んだ軍事基地の権益を、強かな国であるから決して手放しはしないだろうが、中東がいつまでも戦争していることは良くないことだというのも確かである。

2018年6月22日金曜日

いつもの通り怪しい動きを繰り返しているが

韓国が統一旗(竹島を自国領として表示した旗)を掲げて、竹島周辺で軍事訓練をするというニュースが流れ、日本がそれに抗議したというが、その後どうなったかの報道は聞かない。
康 京和(カンギョンファ)韓国外相が、慰安婦合意を反故にするかのように、合意内容を無視するかのような動きを見せているという。
経済に陰りが見え、日本の協力なしにそこからの脱却が難しいと言われている時期であり、何よりも北朝鮮問題を解決しなくてはならない時に、これらの強気な動きをみせるとなると、裏合意ができているのかも知れないという最悪の事態を想定せざるを得なくなるのではないのか。

どういうことかというと、韓国は北朝鮮と戦争になることはないということに決まった。仮に北朝鮮の支配下に置かれることになったとしても、それを受け入れる。
アメリカも、アメリカ本土に届くミサイルを北朝鮮が持つことを止めれば、核の保有を容認する。それで米国は居たくも痒くもない。という意味である。
非核三原則を後生大事に唱えている日本だけが、核の脅威に曝されることになるから、米国の核の傘に縋らざるを得ない。ということは、米国の言うことに従わなければならないということになる。

そういう読みをする人は一人もいないのだろうか?それとも解ってはいても、口外できないということなのだろうか。
国が滅びても構わないと誰もが思うのなら致し方ないが、手を拱いていてそれに甘んじても良いと思っている人は少ないのではなかろうか。
ここは日本にとっては頑張りどころである。
もしも北朝鮮の核保有を認めるということなら、日本国も自衛上核の保有をしなくてはならなくなるが、それで宜しいのか?くらいのことは、世界にアピールしなくてはなるまい。
スパイ防止法も制定し、できるかぎりの策を構じなくては間に合わなくなる。
最悪の事態を想定し、それを最小の被害で留めるようにするのが政治というものである。

野党も、モリだカケだのと益もないことを騒いでいる場合ではあるまい。
まさに国難そのものではないか。



2018年6月21日木曜日

どのようにして長距離を移動したのだろう

伊勢神宮のまわりには、六芒星の模様が散見される。
六芒星といえば、ユダヤの用いるダビデの星そのものである。何故に日本の地にそれがあるのだろうか?

日ユ同祖論というのが根強くあるようです。四国の石鎚山には、失われたアークが埋葬されていると信じている人もいるらしい。
ユダヤ人とは、有色人種としてのユダヤ人(セファルディム)を想定したもので、当時の古代イスラエル人は有色人種であったとされ、白人ユダヤ人ヘブライ語ドイツを意味するアシュケナジム)は8世紀頃、ハザール人ユダヤ教への改宗によって、ユダヤ人を名乗ったのではないかという説もあるとのウィキペディア記事もある。
ユダヤ人に多いY染色体ハプログループJ系遺伝子は、白人にも有色人種にもみられるため、イスラエルの氏族に白人系と有色人系があったのではないかという説もある。

イスラエルの失われた10支族ということも言われていて、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族( ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、セブルン族、マナセ族、エフライム族)を指すのだという。

日本には、言葉や風習、祭りなどに、ユダヤの文化に似通ったものが多いのだと言われているし、
日本がその本流なのだという人さえ居るようです。
父系の遺伝子YAPにも、日ユに独特なそれが認められるのだというがどうなんだろう?

人類は交通手段もさしてなかった時代に、世界中移動して歩いたということは確かである。

2018年6月20日水曜日

イスラエルの歴史を知らなかったが


エルサレムとは、アラビア語で平和を表す語から来ている名前だというが、流血の歴史がある地としてのイメージの方が強い。遠く離れた地にあるから、その地域の紛争が身近には感じられないが、知らないでいてよいとはならない。

米国務省が在イスラエル大使館を5月に現在のテルアビブからエルサレムに移転すると発表したことで、「トランプ大統領はいったい何を考えているんだ。そんなことをしたら、アラブ諸国が騒ぐに決まっているではないか。」という報道ばかりがされているが、本当にそうなのだろうか?
トランプ大統領は、かなり冷徹に状況を見極めて決断しているようである。

そもそも外交を担当する大使というのは、派遣先の国の元首に信任状を渡して仕事を始める。
その国の元首が居るところは、その国の国会議事堂がある首都であるから、大使はそこで活動するに決まっているし、大使を派遣している諸国もそうしている。
アラブ諸国が騒ぐというが、アラブの両雄ともいえるエジプトとサウジアラビアは、どうみても静観の構えである。
なぜなら、イランの脅威の方がそれどころではなく重大な問題で、揉めている場合ではないからだという。

以下は、イスラエルの歴史をネット上で拾ったものです。
調べてみると、どうも巷間いわれているような、ユダヤ人がパレスチナ人を武力により追い出して国を作った国であるということとは違うようです。

イスラエルは、紀元前586年には新バビロニア(現イラク)によって征服され、その後、勢力を伸ばしてきたローマ帝国によって征服された。そうなるともう、ユダヤ教のユダヤ人たちはここに住んでいられなくなって、世界各地に散らばっていくしかなかった。

614年にはペルシャによる侵攻。636年にはイスラム帝国がこの地を占拠、7世紀ごろからはアラブ人もこの地に入ってくるようになり彼らはイスラム教徒になっていった。

 このようにして、この地はいろいろな国、民族、宗教が移り変わっていったから、エルサレムという場所はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3宗教の聖地ともなった。

キリスト教徒は11世紀の後半から十字軍を遠征させ聖地奪還を目指したが一時的なことに終わり、、16世紀にはイスラム教のオスマン帝国という強い国がこの地域を支配することによって長い戦いの歴史にも終止符が打たれることになった。
このオスマン帝国の時代がどれくらい続いたかというと、なんと400年あまりとなる。そしてオスマン帝国では、この地域をパレスチナと呼ぶようになった。

 一方で世界各地に散らばっていったユダヤ人たちであるが、彼らは、勤勉で超優秀だったから、大成する人も多くいたが、国を持たない悲しさ、やっかみ、迫害を受けてパレスチナの地域に戻ってくる人も出てきます。殊にロシアから遠い先祖の地を目指した。
しかし、パレスチナにはアラブ人がすでに住んでいた。そこでどうしたかというと、地主から土地を買い取り、双方が納得してそこに共存するようになった。
パレスチナの地に戻ったユダヤ人たちとアラブ人の間には多少のいざこざはあったにせよ、彼らの関係性は比較的穏やかに暮らしていた時代だったといわれる。

 そんな中、第一次世界大戦が始まった。オスマン帝国はイギリス、フランス、ロシアと対立することになったのだが、この時にイギリスがとんでもない約束をしてしまう。

 まず、イギリスはアラブ人に対して「イギリス軍に協力するなら君たちの国家をつくるのに強力する。」と持ちかけます(
フセイン・マクマホン協定、1915)。
一方ではユダヤ人の金融資本家から資金提供を受けるために「お金だしてくれるならユダヤ人の国家を作るのに協力します。」と明らかに矛盾した約束をしてしまうようなことをした(バルフォア宣言、1917年)
これが、現在に至るまでユダヤ人とアラブ人との関係がこじれてしまう原因である。

 結局、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領としてしまった。
ユダヤ人を優遇はしていたので1920年代には少しづつユダヤ人が増えていくことになる。
1930年代になると、そのユダヤ人の移住が急増します。年間20万人というものすごい数となった。これはドイツのナチスが力をつけユダヤ人を迫害したことなどが原因である。

パレスチナという土地は狭く、日本の四国と同じくらいの面積である。そこにユダヤ人がどんどん入ってくる。アラブ人がそれに怒り、対立が深まっていくことになった。

 1947年。第二次世界大戦後にはイギリスがパレスチナにおける治安維持能力を失い、この地を放り出して撤退することにし、国連の決定に委ねることになった。
ユダヤ人とアラブ人の対立が激化しすぎて、それに手を焼いたイギリスも嫌になったということである。

イギリスに丸投げされた国連が出した決断は、「パレスチナ分割案」。
しかし、この国連の分割案にはユダヤ人にかなり有利な分割案となり、水利が整っている地域はユダヤ人に荒地はアラブ人に・・・。これにはアメリカの強い後押があったといわれています。

 こうして、この国連分割案にそって1948年にはイスラエル国が独立宣言されることになったが、アラブ人が黙っているわけがない。イギリスが撤退した後を狙い、近隣のアラブ諸国に力を借りイスラエルへと侵攻することななった。これが第一次中東戦争である。
この時にエジプトが攻め込んだのが今の「ガザ地区」。そして、ヨルダンが攻め込んだのが「ヨルダン西岸地区」で、現在のパレスチナ自治区とされている場所である。

 この戦争はアメリカの支援もあり、イスラエルが勝利した。
結果として、国連の分割案ではパレスチナ人の領土となるはずだった場所もイスラエルが領土拡大で持っていき、ガザ地区はエジプトがちゃっかり支配。ヨルダン川西岸地区はヨルダンが占領することとなって、パレスチナは踏んだり蹴ったりの状態になってしまって、それがそのまま続いているのではないのか?。
現時点では力の左派歴然としており、互いが憎み合ってしまった結果を引きずっていては、うまくいくはずがないように思える。

2018年6月19日火曜日

一部分だけ読んだとしても

ご存知、約4500首詠まれていると言われる日本最古の和歌集「万葉集」を、「まんようしゅう」と読むか「「まんにょうしゅう」と読むかであるが、今では「まんようしゅう」と読んでいることの方が多いが、かつては「マンニョウシュウ」であったのだという。つまり、室町時代以降の連声という読み癖で読んでいたからだそうです。

その当時の音がどうして判るのかは解りませんが、『万葉集』の読み方の変遷を辿ると、次のようになるのだといいます。

一、A マニエフシフ(奈良から平安初期)
  B マンエフシフ(奈良から平安初期)
二、マンエフシウ(平安から鎌倉
三、A マンヨウシュウ(室町以降・現在の通行の訓み)
  B マンニョウシュウ(室町以降・連声の作用)

どう読むのがよいのかについては、学者により諸説あるが、もし、マンニョウシュウその他当時の音で読むとしたら、収録されている和歌の全てをその当時の音声で読まなければ統一がとれないことになる。
専門家でもないのにそれをする意味というのがあるかどうかということになる。



2018年6月18日月曜日

本当に傾いているのだろうか


米朝首脳会談の前夜、金正恩氏が観に行ったという有名なマリーナベイサンズ・ホテルは、嘘かホントか知れないが、崩れるのではないかと噂されている建物でもある。
設計はカナダの建築家モシェ・シャフディ氏で、そもそも最初から傾いた設計なのだという。
建設は核となるホテル部分は韓国の双竜(サンヨン)建設が最終的に受注・完工したが、実は日本の建築会社(清水建設)や世界有数な建築会社も名乗りをあげていました。
しかし、この完成図を見た瞬間「安全上の保証ができない」とした清水建設やその他の日本の建築会社は入札拒否し、競争相手のいないままに韓国の双竜(サンヨン)建設が受注したという逸話があります。
普通の常識を持つ会社が撤退するのは懸命な判断だったのだと思われる。
ただ、シンガポールは震度1の地震すらない国だし、台風やハリケーンもないので「まぁ心配ないだろう」ということで結局、韓国の建築会社はリスクを取って完成させたのだというが、手抜き工事があったのではないかと一部ではささやかれている。

ペトロナスツインタワービルというのもある。日本の建設会社ハザマと韓国のサムスン物産建設部門で1棟づつ建てたのだが、韓国が建てた棟は傾いていて危険だということでテナントがなかなか入らず、空室率が多いのだとか。
そんなことを案内してくれたタクシーのドライバーが説明してくれた。
彼が決して渡りたくないと言っていた橋というのもあった。
金正恩氏が、シンガポールの発展状況を見習いたいと言っていたのだというが、表面上だけのことではないことも理解したのだろうか。
まあ、よそ事ながら少し気になった。

2018年6月17日日曜日

無辜の民だって死ぬのだとわかっていても

日本人が大東亜戦争に関連したことを調べるのは、禁忌のような雰囲気というのがあった。
でも、ちょっと調べてみるだけで、いろんなことが判ってくる。

第二次世界大戦による死者は、30万人にも及ぶと言われる原爆による一般人被害者を含め、日本人が300万人だった。
アメリカは、約40万人で、国内戦争であった南北戦争による死者61万人に比べれば少ない。それに比べ、ロシアの死者は2700万人と、圧倒的に多い。
猜疑心の強かったスターリンが、自国の優秀な将軍等を粛清してしまった結果、いざ戦争となったとき、軍隊としては非常に弱くて、ドイツ軍の侵攻に耐えきれなかったことにもよる。
しかし、ナポレオンの時と同じで、ドイツも冬将軍には勝てなかった。

中国は、国民党軍と共産八路軍による内戦の死者の方が多かったというから何とも言えないが、一説に毛沢東は7000万人殺したといわれてもいる。
一番自国民を殺したのは毛沢東であり、次がスターリンということになっているのだという。

そういう歴史が明らかになることはこの先もないかも知れないが、戦勝国といえども未来に渡って隠しおおせるものではなかろう。
戦争というのは愚かなことであるが、主義主張や宗教の違いで起こる戦争で死ぬのは、もっと愚かしい。
世界大戦が終わって70年以上が経つが、世界が平和になっているとは思えない。

戦争を誘引してしまうことというのもある。
戦争にまではならなくとも、緊張関係を引き起こす無作為というのもある。
中東に興味を失ったアメリカが手を引いたことで、冷戦終結後なりをひそめていたロシアは、好機到来とばかりにウクライナのクリミヤ半島を手中にし、併せて地中海に軍事的大拠点を構築すべくシリアと組んだ。この地で続いている戦争は、簡単には収まるまい。
ロシアが生き残ろうとしての戦略だたら、簡単にはいかない。
南沙諸島を実効支配してしまった中国の動きなども、アメリカの政策の隙を突かれたものだと思える。重しがとれたり箍が緩めば、隙を突いて進出してしまうのが国際関係というものであろう。
北朝鮮の脅威というのも、大事に至る前に出さねばならなかった勇気というのがあった筈。
先延ばししたことで、互いがのっぴきならない所まで行きつく。

恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・
などと言っていられるほど、世界の共通認識が熟成しているわけではないということを理解しないでものをいっていても始まらないのではないのか?