2018年6月17日日曜日

無辜の民だって死ぬのだとわかっていても

日本人が大東亜戦争に関連したことを調べるのは、禁忌のような雰囲気というのがあった。
でも、ちょっと調べてみるだけで、いろんなことが判ってくる。

第二次世界大戦による死者は、30万人にも及ぶと言われる原爆による一般人被害者を含め、日本人が300万人だった。
アメリカは、約40万人で、国内戦争であった南北戦争による死者61万人に比べれば少ない。それに比べ、ロシアの死者は2700万人と、圧倒的に多い。
猜疑心の強かったスターリンが、自国の優秀な将軍等を粛清してしまった結果、いざ戦争となったとき、軍隊としては非常に弱くて、ドイツ軍の侵攻に耐えきれなかったことにもよる。
しかし、ナポレオンの時と同じで、ドイツも冬将軍には勝てなかった。

中国は、国民党軍と共産八路軍による内戦の死者の方が多かったというから何とも言えないが、一説に毛沢東は7000万人殺したといわれてもいる。
一番自国民を殺したのは毛沢東であり、次がスターリンということになっているのだという。

そういう歴史が明らかになることはこの先もないかも知れないが、戦勝国といえども未来に渡って隠しおおせるものではなかろう。
戦争というのは愚かなことであるが、主義主張や宗教の違いで起こる戦争で死ぬのは、もっと愚かしい。
世界大戦が終わって70年以上が経つが、世界が平和になっているとは思えない。

戦争を誘引してしまうことというのもある。
戦争にまではならなくとも、緊張関係を引き起こす無作為というのもある。
中東に興味を失ったアメリカが手を引いたことで、冷戦終結後なりをひそめていたロシアは、好機到来とばかりにウクライナのクリミヤ半島を手中にし、併せて地中海に軍事的大拠点を構築すべくシリアと組んだ。この地で続いている戦争は、簡単には収まるまい。
ロシアが生き残ろうとしての戦略だたら、簡単にはいかない。
南沙諸島を実効支配してしまった中国の動きなども、アメリカの政策の隙を突かれたものだと思える。重しがとれたり箍が緩めば、隙を突いて進出してしまうのが国際関係というものであろう。
北朝鮮の脅威というのも、大事に至る前に出さねばならなかった勇気というのがあった筈。
先延ばししたことで、互いがのっぴきならない所まで行きつく。

恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・
などと言っていられるほど、世界の共通認識が熟成しているわけではないということを理解しないでものをいっていても始まらないのではないのか?

0 件のコメント:

コメントを投稿