2018年6月7日木曜日

一筆啓上火の用心


日本一短い手紙として歴史上有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の文は、徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻女に向けて送った手紙です。
小学校の国語の時間に習いました。
子供心に「お仙」というのは女の子の名前だと思い込み、長ずるまでその間違いに気づかないでいました。
文中の「お仙」とは、当時、まだ幼少であった重次の嫡子、仙千代(成重、後の丸岡藩主)のことです。ちなみに、この手紙の故事を記念した碑が越前丸岡城にあります。
丸岡城は小さいながら天守閣を残している城です。



日本60余州に170はあったといわれる城も、天守閣が残っているのは僅かに12城のみだという。
その現存12天守は弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、 松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城。

別名「鬼作左」とも呼ばれ、勇猛果敢で謹厳実直な人物との評価が高い本多重次ですが、唯一の男子(他の4子は皆女児)である仙千代のことを心配しながら、留守を守る妻に御家をしっかりとみる様にと送った手紙では、大切な事柄を少ない言葉できっちりと語り掛けていることで文章の手本ともされ、国語の教科書にまで載って語り継がれています。


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