2016年5月31日火曜日

消費税アップ延期はやむを得ないと思うのは素人考え?

リーマンショック並みの状況というのに対し反対を唱える人の気がしれないのですが・・・

透明性の担保されていない統計のみ発表して隠蔽しようとしても、隠し切れない不動産バブル、株式市場の破綻、過剰投資による鉄鋼の在庫、外貨準部高への危惧、民需へのシフトの遅れetc.etc.枚挙に暇がない。
そんなことを表立って言うわけにはいかないということは理解できる。
本格化したら、リーマンショックどころの騒ぎではあるまい。
その危惧が差し迫っている世界情勢を、見て見ないふりをするというわけにはいかない。

消費税の料率アップが経済活動を冷やし税収を押し下げることは、今まで数度の消費税アップの経験から明白だと思える。デフレ状態からの脱却が先なのだというのは、あながち素人考えとは言えまい。
増税を公約したのだから、それを延期するのは怪しからんと言っている政党もあるようだが、彼らが掲げた公約を守れなくて国民が酷い目にあったのと比べれば、時宜を得た判断に思える。
国民の大多数もそれを可としているのではないのか?
公約を守ることで景気を冷やしてしまったら、本末転倒ではないのかと思うのだが・・・


2016年5月30日月曜日

レイアウトに、客の反応は余り考えない?

スーパーマーケットというのは、店内のレイアウトを変えるのが好きみたいです。
何らかの戦略があって、商品の展示を目新しくするのでしょうが、大方の客は不便を感じていることのほうが多い。
何がどこにならべられているかを覚えていて、買い物に来るときはその場所に行くのが普通です。
ですから、商品の陳列場所が違ってしまうと、それを探すのに時間がかかるから、面倒なことだと思ってしまう。
W10が、強制的に変わってしまうのを顧客へのサービスだと思って逆に反感を買ってしまうのと似ているように思うのだが・・・

2016年5月29日日曜日

弟切草(おとぎりそう)の花が咲いていました

花屋さんで、赤い小さな実をつけたヒペリカムというのを見かけると思います。
和名は、オトギリソウ(弟切草)。




この草を原料にした秘薬の秘密を漏らした弟を兄が切り殺したという平安時代の伝説によるものであるといわれます。
基本的には薬草であり、タカノキズグスリ(鷹の傷薬)、チドメグサ(血止め草)などとも呼ばれますが、民間療法で傷薬として使われるチドメグサという丸い小さな葉の草は別にあります。


山でではなく庭木のヤマボウシの花が咲いていました

庭木としてヤマボウシの花が咲いているお宅がありました。
花の時期が少しすぎてしまったのか、花びらは少し傷んでいました。



ヤマボウシは、山地に普通に生え、花の時期には遠くからでも白い花が見えます。
材は器具材として用いられます。
皆さまご存知のハナミズキ(アメリカヤマボウシ)の仲間で、果実は集合果にならず、個々の果実が分離しています。


2016年5月28日土曜日

潜水艦救助訓練は大事だと思うが

25日から鎮海(チンヘ)と済州(チェジュ)一帯で行われる「西太平洋潜水艦脱出および救助訓練」(Pacific Reach 2016)に参加する日本の艦艇が24日、旭日昇天旗をつけて鎮海海軍基地に入港し、論議を呼んでいるらしい。
戦争などしたわけでもない韓国から、旭日旗が戦犯旗などといいがかりをつけられても、こちらとしては迷惑な話である。
旭日旗をドイツのハーケンクロイツと並べて、どうしても貶めたいようではあるが、難癖といえよう。

故のない「戦犯旗」なんていう表現をして騒ぐから、つい昔からこのようなクレームが韓国からつけられているように勘違いするが、実際にはほんの2年前から始まった反日プロパガンダだということを知っておいたほうがよい。

ある一人の嘘つきサッカー選手の苦し紛れの嘘に、韓国国民が乗っかっただけ。これが「旭日旗問題」の始まりです。

それ以降、世界中の太陽から光が出ているデザインを探し出してはクレームをつけてまわるという常軌を逸した行動が目立つようになった。
そんなことをして何になるというのだろう?日本への嫌がらせになるなら何でもありだとでも思っているのだろうか?

結果的に自分たちが嫌われる、ということを世界中でしまくっているのだと気づく能力がないということか?
悪口をいいまわると、全部自分に返ってくるというのは真理です。


2016年5月27日金曜日

こじんまりした資料館に寄ってみました

会社が上野にあるのに、不忍池の傍らにある「下町風俗資料館」に入場したことはありませんでした。
待ち合わせ時間に少し余裕があったので、見学することにしました。

展示物は、子供のころによく目にしたものがあって、「そうだそうだ、こういう風景があり、こういう物があったっけ。」と思い出すことしきりでした。

空襲で壊滅的状況になった上野・浅草を映した映像を流している処では、座り込んでしばらく見入ってしまいました。
今の上野・浅草しか意識になかったけれど、よくぞここまで復興したものだと感慨ひとしおでした。










2016年5月26日木曜日

春の七草で「おぎょう」と呼ばれる母子草

母子草の黄色い花が咲いています。
ハハコグサは春の田圃や土手でお馴染みの植物でありますが、雑草扱いにされて、目に止める人は少ない越年性の1年草です。
春の七草の1つであり、御形(おぎょう)の名でも呼ばれています。



春先の柔らかい新芽を摘んで、お浸しなどにしても食べられますが、一般的には刻んで七草粥としての使い方が多い。



2016年5月25日水曜日

新たな像を設置し続けるつもりらしいが

いったいいつになったら友好の道に進むのだろうか。
不可逆的合意を得た条件の一つであった大使館前の慰安婦像を撤去しないばかりか、今度はオーストラリアに慰安婦像を設置するのだとか。
そうすれば日本が困るだろうという思惑なのだと言っているというが・・・
関係のない国にとってはさぞ迷惑な話であろうが、そんなことはお構いないらしい。

結果的に、いつの時代にも最悪の選択をするということを歴史の中で繰り返してきたことにいつまでたっても気づけないということなのだが、そんなことでは国の将来がないのでは?と危惧されてならない。
国際的な約束が守れないで、感情が先走って収拾がつかないのは、反日のために捏造した歴史を刷り込み過ぎたからではないのか?もはや国民をコントロールできないのだろうか。

悪口を言って回る人が心底嫌われ、信頼されないというのは、世界の共通認識である。
他を貶めることで、自分が評価されるなどということは金輪際ない。
諸外国でも「今の韓国があるのは、ひとえに日本のお陰ではないのか」というのが共通認識となっていることを認めることがどうしてもできないということらしい。

教育というのは恐ろしい。また、自分で調べるという努力もできないということは、もっと恐ろしい。感情的に煽ることは、引っ込みのつかないところまで行ってしまう。
困ってから縋っても後の祭りということになる。

2016年5月24日火曜日

他国のことにまで口をだされても

オバマ大統領が広島を訪れるということに対し、韓国で反対を唱えることが話題になっているようです。
日本憎しのあまりの例のパターンのようにしか感じない。

韓国メディアの日本に関する報道にありがちの「~に違いない」「~であるべきだ」「~しなければならない」といったお馴染みの感情的な“決めつけ報道”のようです。
日本が何らかの改善の道に進むのが好ましくないらしい。
反対しているのは、いつもの通り中韓だけではないのか?

日米間のことにまで、口を出さないほうが良いと思うのだけれど・・・

2016年5月23日月曜日

バジルの葉にカタツムリ

寒い時季にはどこに潜んでいたのか、暖かくなってきて雨等が降ると、どこからか現れて、野菜の葉っぱなどを食べているのを見かけます。
増えすぎるのは困るが、何匹かだけなら、見ていて腹は立たない。



紫陽花の葉っぱに居ることもありますが、アジサイの葉っぱは毒があるので食べません。
子供が幼稚園に通っていたころ、水槽で飼ったことがあるが、人参のように硬いものでも食べた。
ニンジン色の糞をするので面白かった。

蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)何事をか争ふ 石火(せきか)光中(こうちゅう)此(こ)の身を寄す・・・
白居易の漢詩を思い出します。
カタツムリの角の上のような狭いところで、何を争っているのか?火花のように短い間のことではないか。


2016年5月22日日曜日

自分勝手なのを個性だと勘違いしていないだろうか

個性を大事にするというのを自分勝手と勘違いしている人は多い。
社会人としての基本的マナーを教えることすらも躊躇ってしまっていないだろうか?
常識的な基本を抜きにしたものは、個性ではなくて単なる我欲による癖を助長しているに過ぎないなのではなかろうかとも思える。
偏った自分勝手な癖が、そのまま認められ評価されることはまずない。
個性というのは、普通のことが全部できて、そのうえで自然に表れてくるものだと思う。
良い個性であれば、自然に伸びていく。自分が主張しなくても、評価もされる。

2016年5月21日土曜日

どの国も考え方が同じというわけではない

日本人は、自分が相手を好きになれば相手も自分を好きになってくれ、優しくすれば優しくされると基本的に思っています。
しかし、どこの国もそうとは限らないようです。接し方にも考えが必要に思えます。
優しさと弱さの区別がつかない。対等という概念が理解できずに上下関係しかないと思っている国もあるようです。

朝鮮戦争のときの米軍マニュアルは、そこらへんをよく捉えているようです。
・韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
・命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
・同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。
こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
・理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
・身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。
・但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
・相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。
重要な仕事は任せるな。

アメリカ人は徹底して容赦ないです。中国が宗主国としてやっていたことも同じなんだとか。
優しくすれば、返って収まりがつかないらしいのです。
北朝鮮の絶対君主が国民を統べる方法は、それを実行しているように見えます。

2016年5月20日金曜日

何かに護られていることを実感できることは大切

なにか偉大なものに護られているのだと実感できる機会は少ない。自分の力だと思っていることの方が多いのかもしれません。
だから謙虚にただただ感謝するということも少ないということになる。

確かに、神様は乗り越えられないような困難をお与えにはならないのだといわれる通り、自分が頑張ることで何とかなるものが殆どなのかもしれませんが・・・
しかし、本当に何か偉大なものに護られているからではないのか?という経験をした人も多いのではなかろうか。

 農耕民族である日本人は、自分の意見がないとよくいわれるが、ないのではなくて、それぞれの信念、哲学、矜持を内に秘めながらなお、みんながよかれと思うところのものを言わず語らず理解し合い選んでいく智恵を、2700年の歴史のなかに育んだのであるのだと感じます。

 外国を旅して思うのだが、日本がいかによい国であることか!
 普段は素っ気なくても、大きな災害などが起こると、その力が自然に目を覚ます。諸外国の人が驚嘆する民度の高さは、誇りに思って良いと思う。
なぜか、進歩的知識人と呼ばれる人たちの中に、日本人を悪しざまに言う人が多いが、それによって何をしようとしているのかが解らない。唯物史観でははかれまいに・・・

 それにしても、何か偉大なものに守られている、と実感できることは大事です。
 それに感謝できることは、その後の運命を大きくわける。


2016年5月19日木曜日

雑草扱いされるヒルガオだけれど

駅に行く途中の道沿いにあるニセジャスミンの垣根に絡まって、ヒルガオが咲いていました。
アサガオは昼には萎んでしまうが、日中も花が開いていることから、この名があるのだとか。
つる性の多年草で、枯れてしまうと普段は判らないが、春になると蔓が伸び始め、夏にかけて繁茂する。夏に薄いピンク色で直径56cmの花を咲かせる。



なかなか風情のある花なのに、わざわざ育てる人はいないようです。
地下茎で増え、一度増えると駆除が難しく、大半は雑草扱いされる。
黄色のヒルガオは無いのだそうです。


2016年5月18日水曜日

いろんな効果があるカモミールティー

カモミールが花盛りです。


カモミールは、ハーブとしての効用がいろいろありますが、花を摘んで陰干しにし、ハーブティーとして飲むのが手軽です。爽やかな香りがあります。


カモミールに1番期待されている効能と言えば、リラックス感を高めることです。
カモミールが緊張イライラヒステリー不安感などを緩和し、神経をリラックスさせてくれると言われています。
仕事の後や就寝前などにカモミールティーを飲むと、リラックスして寝つきもよくなるので、おすすめです。
ジャーマンカモミールには、炎症を引き起こす体内のヒスタミンの働きを抑える働きがあり、花粉症鼻づまりによいと言われています。ニキビや皮膚炎などの炎症を抑える働きが期待できるので、スキンケア・コスメ用品などにもよく用いられています。
その他、口臭予防などにも使われます。

2016年5月17日火曜日

リンゴの花の咲く頃

郷里である信州は、リンゴ農園が多い。
その頃の風景が懐かしいだろうと、友人がリンゴの花の写真を添えた手紙を送ってくれた。
花の咲き始めはピンク色で、花が開くと辺り一面白で覆われる。



何十年も前の青春時代は、藤村の「初恋」などを口遊む人もいたが、今はどうなんだろう?

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛
(はなぐし)
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり・・・・・

ドラマで史実を勘違い?

目に触れているものが真実とは限らないということを、最近まで知らずにいました。
知らずにいることが良いかどうかは別にして、知っていて判断しないとならないこともあります。

たとえば、TVで韓国の王朝ドラマを見ていたら、煌びやかな文化があったのだと、日韓双方の人達がそう思い込んでしまっていても不思議はない。物語としてならかまわない。
しかしながら、ドラマはドラマであって事実とは余りにかけ離れている。

日韓併合前がどんな様子だったのかについては、ネット上にいくらでも写真がある。
それを見ると、どう見ても、その当時の朝鮮は、日本の平安時代以前の貧民窟にしか見えない。
宗主国である中国への朝貢のため、見るも哀れな状況下に喘いでいたということかも知れません。

衣服なども、染料などは高くて買えないからということで、布地は白いまま。とてものこと李王朝の宮廷の色鮮やかな韓服などのようなものが溢れていたとは思えない。
写真がそれらを如実に語っている。

ロシアは海への出口を求めていたから、朝鮮半島を占領したかったかも知れないが、身近の宗主国である中国は、奪うべき価値もない国と知っていたのではなかろうか?
とてものこと、植民地にしたいと思うような国ではなかったのが実情だったのでは?

そういう歴史的事実を知らないで、発展した今の韓国の状態を基準にしてものをいうのは、土台無理なのだと、日本も韓国もお互いに知っていた方が良いと思う。
捏造教科書による教育をしても、世界の人達は自由に真実を知ることが出来てしまうのだから、日本人以上にそれを知っているように感じます。
事実、これらは、韓国が余りに大騒ぎするのでちょっと調べてみただけで解ったことです。
だからどうだ、ということではありません。事実からしか先の発展は見込めないということです。

併合で朝鮮はどう変わったか
併合以前の写真


2016年5月16日月曜日

群生する小判草

路傍の草むらなどに自生していますが、殆どの人は気にもとめないで通り過ぎてしまいます。
名前が「小判草」とついていて、聞くだけでも縁起がよさそうです。



今はまだ青い実ですが、金色に変わると、これもまた美しい。




2016年5月15日日曜日

稗(ひえ)のお粥が美味しかった

ゴトウムシが好きで時々口にします。(菓子の空洞の様子が似ていることからそう呼ばれます)
ゴトウムシと言ってもカミキリムシの幼虫(これは好きだといっても簡単には手に入らない)のことではなくてカリントウのことですが・・・
カミキリムシの幼虫は、秋に枯れ木の幹を割ると中から出てくるのですが、乾煎りにして食べると香ばしくて美味しい。ただ、見た目が余りよくないので、信州人の悪食の一つにかぞえられています。

それならこれも好きだろうということで、サイが「麦こがし」をかってきました。
むかし熟柿にかけて食べた粉のものではなくて、固めてお菓子にしたものです。
これが何十年ぶりかでたべたのに、ああこの味この味とまことにもって懐かしく思い出したのでありました。

その様子を見ていて、「これならどうずら」、ということで買ってきてくれたのが、今度は稗。
稗を食べた記憶はなかったのですが、これを御粥にしてくれたのを食したら滅法美味かった。

稗は体を温めて、基礎体温をあげる食品ということになっている。
冷えは万病の元ということは周知のことですが、体温を上げれば大抵の病は治るのだということも知られている通りだから、体調の宜しくない人は稗を食べるようにすると良いと思います。
ホント、意外に旨い。


2016年5月14日土曜日

赤ビーツは血圧降下に良いという

 赤ビーツは植物分類上はアカザ科に属し、カブの形をしているがカブの近縁種ではない。
この赤ビーツは名のごとく極端な赤色の色素を含有しています。この赤色は、アントシアニンではなくベータシアニンであるという。
 日本では馴染みの少ない野菜であり、栽培面積が少なくて店頭にはほとんど出回らないが、瓶詰めなどの加工されたものが見られます。
糖分が17%前後含まれているシュガービートに比べると糖分はずっと少ないが、甘さは幾分かは感じられ、食べたときには若干の土臭さがあります。
 食べ方としては、皮ごとゆでてから調理する場合が多いが、ピクルスにしたりサラダに入れたりして食べられます。
また、世界的に有名なのはロシア料理の「ボルシチ」であり、ヨーロッパではスープとしても利用されています。
ジューサーで牛乳と一緒に回して飲むのもよいが、かなり濃いので多少飲み難い。
赤色の色素は細胞から出やすく、料理の色づけには良いが、逆に付きすぎるくらいで、生のビーツを切るとまな板や包丁が真っ赤になるので注意が必要です。
このビーツというのが、日本のキクイモと並び血圧降下に効くのだという。


2016年5月13日金曜日

勘違いしてしまう人は多い

どのような世界にも、その道を極めようとするなら基本というものがある。
長い歴史の中で、先人たちが修行の過程で身につけてきたものの集大成であり、後進がそれを辿ることで過たず成果を上げて行くための糧になる。

志した道が、あくまで自分の為に極めようとするのであって、他人には一切関係がないとするならば、変人扱いされようとされまいと好きなようにすればよいが、少しでも他人の為に役立つものであろうとするならば、初心を忘れてはならないのだと思う。

例えば料理の道であったとする。
人様に美味しいものを食べさせたいとしてその道に入ったのに、何時の間にやら勘違いして「この味が解らない奴は客になってくれなくとも良い。」と平気で言うようになる職人がいる。
その味を出せるようになるまでに、数多の努力があったことは確かでも、味は個人の好みもあるから、料理人が期待するような反応が得られないことだってある。
そんなとき、まだまだ修行が足りないと謙虚さを保ち続けることができるかどうか・・・

例えば楽器の演奏であったとする。
難曲といわれるものをミスタッチすることなく弾きこなす技量を持っていても、その演奏を聴いた人が感動するかどうかは別である。
聴き手が素人だからというのは当たらない。素人中の素人である子供は、それがどんなに有名な演奏家であるかなどということはしらなくても、聴いてよかったかどうかは会場から出てきたときの顔の輝きに表れる。
「どうだ、凄いテクニックだろう。」と業前をひけらかしたところで、そんなものに左右されない。魂が揺さぶられるような音楽であったかどうかである。
他人と音楽の感動を共有したいと志した気持ちを持ち続けているかどうかということであろう。

良いお師匠さんに恵まれることも大事なことになる。そういうお師匠さんは得てして厳しい。
「こんな初歩の段階のことがきちんとできないでどうする。まだまだこの先に身に着けなければならないことが山ほどあるのだ。」という想いが強いからでもある。
一定のレベルに達しないと、いわれていることが理解できないが、それが自分の事として理解できるようになると、謙虚に極める先のことに意識がむくようになる。
それをしないで、顔つきや身振り等のパフォーマンスに行ってしまう人というのは多い。

良いものというものに共通して言えることは、それが苦もなく簡単にできてしまっているように周りには見える。決して難しそうには見えない。
域に達して簡略化されたものは、美しいということであると思う。


2016年5月12日木曜日

学問は大事は違いないが

自分はそれをよく知っているわけでもないのに、他人がそう言うから、その尻馬に乗っているということが多くないだろうか?
騒ぐ人というのは、得てして声が大きいし、もっともらしいレッテルを貼る。

集団的自衛権というのは、国際連合憲章の第51条に記載された権利であり、国際連合加盟国において認められた権利であります。
自衛権というのは、個別的・集団的を問わず基本的な権利なのに、知らないでいる人が多い。
侵略或いは攻撃を受けた時、国連の議決を待っていたのでは間に合わないから、迅速に対応する必要があるが、相手が一国ではなく集団的自衛権が働いて共同して戦く国があるとなれば、攻撃側への強力な抑止力となることは想像に難くないし、理解できる。

これまで、日本では日本国憲法第9条により行使できないとの政府解釈がなされてきたが、2014年7月1日、第2次安倍内閣において、集団的自衛権を限定的に行使することができるという、憲法解釈を変更する閣議決定がなされた。かなり切実な状況になっているのだと考えた方がよさそうに思う。
日本を取り巻く安全保障環境が近年目まぐるしく変化したという事実認識から、危険が想定できろとして必要性が説明されているが、もっと差し迫っていそうに感じる。
閣議決定によると、日本における集団的自衛権の行使に関しては、これを自衛の措置としての武力行使の「新三要件」という制限がある。
1.我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
2.これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
3.必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
さらには、あくまで集団的自衛権行使の趣旨は、日本国民を守るものであるため密接な関係にあったとしても、他国民の保護のための行使はできない。
戦争法案等とレッテル貼りをするような、フリーハンドで戦争ができるなどということからは程遠い。
また、専守防衛は堅持していくとしていて、先制攻撃は許されていない。海外派兵についても許されていない。
学者がこの時とばかりに意見を述べるが、憲法学者が国を守ってくれるというなら結構なことである。しかし、学者にそんな力はあるまい。
ひたすら憲法を守り、やられてもやりかえすことなしに、じっと我慢しろというのでは、正当防衛すら否定することにならないか?極端なことを言えば、泥棒が入っても盗むに任せ、危害を加えられてもそれを受け入れろということなのか?
学者であれば、現日本国憲法が、たったの1週間でできたのだと知っていよう。明治憲法だって1年以上の検討がなされているのに・・・
憲法改正を口にすると「戦争をするのか?」というのが定番の口癖だが、「戦争をしかけられない」ための憲法を作るという発想は、頭からないというのだろうか?
国民の代表を僭称して、参院選に立候補する学者がいるのだとか。国政は、多岐にわたる。
それが悪いとはおもわないが、学者の言うことを信じていれば間違いないとどうして言えるのだろう?学問としては良いにしても、現実の危機をどう総合的に判断しろと訴えるのか。
法は実情に合っていることも大事だと思うので、じっくり聞いてみたい。


2016年5月11日水曜日

岩がゴロゴロしているフォッサマグナの現場

石空川は、鳳凰三山の地蔵岳に源を発する大武河の支流で、上流には「精進ケ滝」があります。
精進ケ滝橋近くの駐車場に車を停めて、川沿いの道を40分ほど登ると、滝に行きつきます。
川を遡る途中の左側に、フォッサマグナの剥き出しになった崖が見られ、崩れた岩石がエネルギーの凄さを感じさせます。



山梨県北杜市白州には、「フォッサマグナの湯」と名付けられた日帰り温泉がいくつかあります。


2016年5月10日火曜日

犬を叩く棒はすぐに見つかるから

自分の事は棚に上げて、正義の味方よろしく他人を真っ向から非難する人というのは多い。
しばらくするとそれが自分に返ってくる巨大ブーメランとなっていることも数多見聞きします。
天に唾するということではないにしても、他人を石もて打てる人など滅多にいないのではなかろうか。
許容範囲かどうかは別にして、叩けば多少は埃がでるというのは、誰にでもありがちなことです。
少なくとも、事実関係を詳らかに知らないで、迂闊に人を悪しざまに言うのは避けた方が良いと思うのですが、何にでも尤もらしいコメントをする人たちを見ていると、老婆心ながら心配になります。
「そんなこと言っていて大丈夫なんかいな。」ということであります。

Those who live in glass houses should never throw stones.
「ガラスの家に住む者は石を投げてはいけない」
 A stick is quickly found to beat a dog with.(犬をたたく棒はすぐに見つかる)

 それだけに、人は他人を非難することを慎まなければならないと思うのです。いつなんどき、明日は我が身ということになるかもしれないのですから。
断っておきますが、不正義をみのがせ、ということではありません。我が身に照らして公平であるかどうかということです。