なにか偉大なものに護られているのだと実感できる機会は少ない。自分の力だと思っていることの方が多いのかもしれません。
だから謙虚にただただ感謝するということも少ないということになる。
確かに、神様は乗り越えられないような困難をお与えにはならないのだといわれる通り、自分が頑張ることで何とかなるものが殆どなのかもしれませんが・・・
しかし、本当に何か偉大なものに護られているからではないのか?という経験をした人も多いのではなかろうか。
農耕民族である日本人は、自分の意見がないとよくいわれるが、ないのではなくて、それぞれの信念、哲学、矜持を内に秘めながらなお、みんながよかれと思うところのものを言わず語らず理解し合い選んでいく智恵を、2700年の歴史のなかに育んだのであるのだと感じます。
外国を旅して思うのだが、日本がいかによい国であることか!
普段は素っ気なくても、大きな災害などが起こると、その力が自然に目を覚ます。諸外国の人が驚嘆する民度の高さは、誇りに思って良いと思う。
なぜか、進歩的知識人と呼ばれる人たちの中に、日本人を悪しざまに言う人が多いが、それによって何をしようとしているのかが解らない。唯物史観でははかれまいに・・・
それにしても、何か偉大なものに守られている、と実感できることは大事です。
それに感謝できることは、その後の運命を大きくわける。
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