2016年4月30日土曜日

精神活動の進化レベルで縁が切れることがあるが

人との縁は、いつまでも続くとは限らない。縁が切れてしまうということは、往々にして起こる。
それが自分の落ち度や至らなさによるものであるなら、大いに反省しなければならないが、誠心誠意のつきあいをしていたのに、ある日突然のように相手が去って行ってしまうことがある。
がっかりしてしまうこともあるが、そんなときは、努力による自分の進化に相手のレベルがついてこらなかったのだと思って、気にしないでそのままにするのが良い。

場合によれば、何に嫉妬したのか知れないが、恩を仇で返されるようなことだってある。
そんなときは「恩知らず!」などと言って腹を立てず、そうされたことで此方の精神レベルが数倍跳ね上がったのだと思うのが良い。事実その通りであることはしばらくすれば判る。

やっかみや妬みは、それをした人に驚くほどのマイナス影響があり、それをされた側には数倍のプラス影響が出るのが普通です。
精神活動というものを軽く見てはならない、ということになります。


2016年4月29日金曜日

信州飯田 座光寺地区の縄文遺跡

仲間内でやっているHPに、郷里である信州飯田の友人が、美女遺跡(びじょういせき)の写真を載せていました。
懐かしい地名を思い起こさせてくれました。


育った家から徒歩で5分くらいの所で、元善光寺もそこからほど近い場所に位置します。
今は果樹園の広がる中にあるが、幼年期には美女(びじょう)の堤と呼んだ大きな用水池があり、夏にはそこで泳いだり鯉を釣ったりし、冬にはスケートをしたりしたが、その頃には遺跡があるとは言われていなかった。
中央高速道が通ったり、リニア新幹線の開発が進むにつれ、いろんな遺跡が次々に発見されています。
古くから開けていた地であったらしい。




2016年4月28日木曜日

文句ばかり言っていると嫌なことに会うことが多くなる

会えば必ず、不平不満や文句ばかり言っている人というのがいます。よくもまあというほど、文句を言える種を次々拾っている。
どういうわけか(実は判り切ったことなのですが)、こういう人たちは、行く先々で本人としては不本意な目にあっていることが常です。

しかしながら、自分の側に何か原因があるのではないかと考えが及ぶことは先ずないらしい。
こういう人たちは、大抵もっともらしい意見を主張するし、それに表立って反論されることは少ないので、賛同者が多いと勘違いし、ますます気づきからは遠のく。
結果的に、いつまでたっても嫌われる道を選んでいることになる。

一見、理屈が通っているようでも、他の可能性を考えず、狭い範囲の捉え方や自分の都合が優先していて、他の人の立場や考え方を理解しようとしていないことからきているから、類は類を呼び、周りが嫌な人ばかりになる。うまく行くわけがない。

どんなに小さなグループでも良いから、トップとして皆をまとめる経験をしてみるのがよい。
そうすれば、文句ばかり言う人というのは、自分では何もしない人が多いということが解る。

自分でも何かをする人というのは、やる人の気持ちが解るから、自分ができることは可能な限り協力しようとするし、やっている人の仕事も評価できるし、感謝ができる。
だから、人から好かれる。

好かれる人の周りには、良い人ばかり集まるし、快い環境が生まれる。
自分が選んでいる結果だということは多い。


2016年4月27日水曜日

学びを発展に結びつけてきた

我が国は、古くは中国から、近くは西欧諸国から文化や技術を学んだ。
学んで終わりということでもなく、より発展させてきた。
しかも感心してしまうことは、何でもかんでも取り入れたのではなくて、良いものは選んでもよくないものは振るい(篩)落としたということである。

例えば、宦官や奴婢のような奴隷制度。
そういうものは、人間の精神構造を歪める。

一方、良いと思われるものはそれを改善して磨き上げ、元のものより発展させた。
そういう智慧がどこから生まれ身に付いたのか解らないが、それがあるから2000年を越す歴史が続いてきたのだと思う。
気が付けば自然にそうしているということが素晴らしいことだし、誇らしいことでもある。

2016年4月25日月曜日

70年も経てば実情と合わなくなっても不思議はないが

政治向きの話題は、ブログに適当だとは思わないけれど、疑問に思うことはある。
以下は、素朴に感じていることなのですが・・・

古くはユダヤ民族、最近では中近東の例でわかるように、国を失って難民になることがどんなに悲惨なことかということが考えの中にないという人は少ないことなのだろうか?

「憲法を守れ」というのは、憲法がある以上その通りには違いない。
憲法を守るのは、国(政府)なのであり国民ではないから、政府が憲法を守ることを優先して、国民の財産生命・国の安全保障ということを考えなくてよいとしたなら、国を失ったときの責任は誰が負うのだろうか?

領土問題というのもある。
竹島は違法占拠されたままだし、北方領土もそうである。
尖閣諸島もきな臭いし、南沙諸島も首根っこを押さえられる状態になる可能性を持つ。
北朝鮮は核ミサイルの標的を日本を据えているらしい。

70年も経てば、国際環境は変わってしまっても不思議ではないが、実情に合致する法体系というものには、全く触れてはならないものなのだろうか。
こんなときにも、無防備でいろというのだろうか?

安保法案に「戦争法」などというレッテルを貼り、戦争にならないように備えた筈の法の廃案を、野党が国会に提出するのだという。それで国は安泰になると本当に保障してくれるのか?
廃案が国防の為の対案だというけれど、説得力を全く感じない。

国会の議員数も、党名を変えただけのことで、勢力分布が変ってもいないのに、手順を尽くして成立した法律を、どうやって覆そうというのか。
審議時間を浪費しかねないことをしようとする正当性がどうみてもなさそうに思えてならない。
誰だって戦争は嫌であるが、国を失うのはもっと嫌なのである。

ただただ反対を唱えるのではなく、安全保障上の問題には、野党も国民が納得できるきちんとした対案を出し、双方が国の将来のために真剣に審議を尽くす姿勢をもって、場合によっては野党からでも憲法の条文を改定する提案がなされても良さそうに思う。

法というのは、法を守ることが目的ではなく、守らねばならないものがあるから法ができるのではないのか?素朴にそう思う。
誰もが100パーセント賛成するものはないが、安保法案については、安全保障上やむなしと考えている人の方が、周りには反対する人よりも多いように感じます。
感情論で済まして流されると、前大戦のようになるのではないのか?
戦争反対と叫べば平和でいられるというなら、それに越したことはないが・・・


2016年4月24日日曜日

食事作法は国ごとの文化なのに

日本の食器は、茶碗にしてもお椀にしても、美術工芸品としての評価に耐える程に美しい。
それらの器に盛った料理を手に持って、背筋を正して食事をする文化を持っている。
「食器を手に持って食べるのは乞食だけだ」と他文化をクサス国があるやに聞くが、相手にして怒る人はまずいない。
礼儀作法として高まった美しい所作に、誇りをもっているからでもある。
「ごくまれに、食器に頭を近づけてものを食べるのは犬だけだ」などとブーメラン返しすることはあるらしいが、冗談だとくらいにしか思っていない。

ナイフ・フォーク・スプーンを使ってものを食べる文化に対しても、フォークは手の形状でありスプーンは掌の形状を表したものであって、箸に比べて進化していない等ということもない。
手づかみで食事する文化だって、そのまま尊重して、郷に入れば郷に従う。

自国が一番すぐれているのだとして他文化を受け入れない等ということは、恥ずかしいことだとおもっている。
犬を食おうが猫を食おうが虫を食おうが、それを馬鹿にするなどということもなく、それも文化なのだと受け入れている人が殆どだと思う。

ただ、日本人であるなら、箸の使い方は子供たちにきちんと教えて欲しいと願う。
最近、変な箸の持ち方をして食事をしている子供を目にすることが多い。
返って外人さんのほうが、きちんと箸を使っている。

日本人の器用さは、長きにわたって箸を使ってきた積み重ねに拠るところが大きいとも聞くと、なおさらそう思うのです。

2016年4月23日土曜日

弊害があっても報道は保護されているのだから

熊本地震の報道の仕方に、行き過ぎや配慮なしなど、何かと問題があるらしいが、それは殆ど報道されない。

報道の自由というのは、かなりの広範囲にわたり許されているのだろうが、必要以上の取材で見世物扱いにしていたり、地域住民の邪魔になるような振る舞いをしていることが、反発を招いているようです。

それに限らず、報道の自由ということで、例えば事実誤認のまま報道されても、後に修正記事が出されればまだ良い方で、謝罪がなされたり、それによって引き起こされた損害について賠償するなどということは殆どないように感じます。
名誉を著しく毀損されたとしても、泣き寝入りになってしまう人のケースの方が多いのではなかろうか?
犯罪者であっても、刑が確定するまでは推定無罪ということで人権が保護されるというのに、およそ犯罪とまではいかないことでも、メディアに取り上げられ面白おかしく扱われることで、社会生活上の死刑判決に等しい結果を負わされている事案も目にする。
狙われたら最後、生贄状態となってしまうのでは恐ろしすぎる。

世の中には、正義の味方を自認する人が多いが、自信をもって人を裁けるほどの人が、そんなに多いとも思えない。

報道の自由というのは、弊害が仮令あっても、手厚く保護されている。
それであればこそ尚、自らを厳しく省みて、他からの批判に耐えられる姿勢を貫かねばならないのではないだろうか。
自浄作用というのが働かなければ、組織は無責任の塊になりかねない。全ての責任が免除されている筈のものではないと思う。

表現の自由の理論を提唱したアメリカの研究者にメイケルジョン(Meiklejohn)がいます。
メイケルジョンは表現の自由の価値を自己統治(self-governance)の必要性から求め、人間社会は自己統治共同体であり自己統治のためには情報、世論にアクセスすることができねばならないことはもちろん、相互間に討論することができなければならないと述べています。
主権者としての国民は、自分自身が政治過程に参与し、自身の手により自己を統治する憲法上の権限をもつために、自己の決定を通じて社会的利益を創出するために問題になる争点の判断に適合する資料、つまり情報、意見、疑問、曖昧な点、反対論など一切のものに自由に接近することができるようになり、その過程で表現の自由は必須的な要素であることを明らかにしています。

この理論はいまだに表現の自由の保障を合理化する最も有力な理論として主張されており、特に政治的言論の重要性を強調しています。また、この理論は政府からの保障を重要視するものとして消極的自由の性格も有します。しかし、この理論は表現の自由を正当化させるには有益かつ充分な説明を提示できないままでいます。

したがって、この自己統治の機能は狭く解釈され、国家権力に対する牽制手段と看做され、牽制価値という表現の自由が保護される根拠として公権力の乱用を牽制するとき寄与する点に価値をおくものになってしまっています。民主主義の観点からは、一般市民の役割は公共政策の維持が基本になるのではなく、公共決定での拒否権が重要になります。


糸の乱れの苦しさに

「やあやあ遠からん者は音にも聞け 近くば寄って目にも見よ!」
講談本で合戦の場面になると、必ず目にした表現です。
雑兵(ぞうひょう)ならばいざしらず、ひとかどの武士は大音声で名乗りを上げ、正々堂々と戦ったのだということが解る。

前九年の役の戦の最中、北へ落ち行く安倍貞任を追撃する源義家が、貞任の鎧が傷んでいるのを見て、強弓に矢をつがえ狙いをつけながらもすぐには射ず、「衣の館(たて)はほころびにけり」と、和歌の下の句を投げかけた。
義家といえば海道一の弓取りとして知られ、射放した矢は鎧3枚重ねたものを突き抜けたという弓の名手。
貞任は、逃げながら馬上で振り返り 「年を経し糸の乱れのくるしさに」と、すかさず上の句を返した。

文字面の意味でいえば、「お主の鎧はボロボロではないか」と呼びかけたのに対し「長い戦いの結果だ」と詠んだということになる。
命のやりとりの最中であるのに、雅な教養のやりとりをしたことが素晴らしいとだけ習った。

しかし、和歌というものには含んでいる意味がある。
貞任は、律令制度が綻びたことで民が苦しんでいるから戦っているのだ、と返したことになる。
義家も瞬時にその意味を悟ったから、弓を下し、逃げるにまかせたという意味があると理解した方が良い。
昔の武将は、立場は違っても、民の為に戦っているのだという大義と信念が互いにあったのだということである。
そこに美学もある。

2016年4月22日金曜日

真実を知らないと人間性にも影響が出る?

証拠は山ほど有ると、何かにつけ大騒ぎするが、それが提示されたのをみたことがない。

自国の教科書と、他国のA新聞と、捏造小説と、ころころ変わる証言が根拠では、お寒い限り。
それは竹島も同じで、国際司法裁判所の採決を受けたら負けるに決まっているような根拠しかないから、国民を巻き込んで騒ぐくらいしか対抗手段がない。

韓国ドラマを見ていると、証拠は後から捏造するという場面がいつも出てくるが、そうしようとしても、現代科学ではすぐに露見してしまう。
何故か、証拠に基ずく真実よりも、反日を強烈にすることが感情的に馴染んでしまう教育による風潮というのが、徹底して底流にあるように思えてならない。

日頃溜まっている悔しさのあまりか、今回の熊本地震についての韓国人のコメントは、「東日本大震災おめでとうございます」と言った時にさらに輪をかけ、その酷さたるや人として終わっているようなものが多い。
恨みつらみからでているのだろうが、真実を知ったらそんなことは一言だっていえまいに・・・

どんな教育を受ければそんな人間モドキになれるのか理解不能だが、吐き気さえ催す。
捏造による教育を長きにわたって受けてきた結果であろうが、自国の教科書だけでなく、世界中の公開されている資料をちょっと調べてみるだけで、真実は明白になる。
日本人は、疑問があれば誰でもそうしているから、公平に理解できている。

事実を認めるというのは、今からでは遅きに失した感は否めないが、早く正気に戻るためには、それをしないと、いつまでたっても治まりはつくまい。感情的でいるのは不幸である。
真実が何であるのかを調べてみれば、世界中で一番きらわれているのは何故か、ということもわかるであろう。

竹島は、今度大々的に宣伝活動に入るということだが、ラスク書簡・ダレス書簡など見たこともないのだろうか?無理筋を押しても益はなかろうに・・・

終戦時、竹島を自国領土だと主張したがあっけなく拒否され、しからば戦勝国なら占領できるかと、連合国の一員だったとしてくれと要請したが、そんな事実はないとにべもなく拒絶された。
やむなく、講和条約が発効する直前の間隙を狙い、不法にも李承晩ラインなるものを勝手に引いて取り込んだということは、国際的にも明白な事実である。
海図を作ったのだって、日本でいえば昭和に入って、それも戦後のことであって、それまで正確な地図さえなかったのではないのか?
知らないのは、韓国民だけのように思える。

ネットが普及していると自慢のお国柄なのだから、調べればすぐに解ることなのだが、自分たちに都合の悪いことは見ない振りをして恥じないというのでは困る。
日本が悪いといって、何でも済まそうとしているのでは、国際的にも孤立するだろうに・・・。

「無理が通れば道理が引っ込む」というが、「道理」を二言目には口にする国なのに、ご都合主義の方が優先しているということなのだろうか。
敢えて言うが、韓国の今があることは、日本のお蔭だという事実は変えようがあるまい。

2016年4月21日木曜日

ポンポコ山のタヌ子

庭先を子狸が夕闇の小雨の中、トボトボ通り過ぎて行きました。
むかし聞いていた童謡を思い出してしまいました。
童謡にしては、歌詞が悲しすぎて、心に残っています。

ポンポコ山に月が出た 私はかわいいタヌキの女の子
お腹がちょっぴり出いるけれど かえってそれが魅力なの
山の祭りで出会った男の子 好きになっても所詮私はタヌキ
叶わぬ恋を抱いたままで タヌキ寝入りで眠りましょう
この歌は斉藤こず恵さんが歌った「ポンポコ山のタヌ子」(作詞作曲みなみらんぼう)です。
昭和51年に発売されたヒット曲「山口さんちのツトム君」のB面でした。


儒教一辺倒だったからでもなさそう

李氏朝鮮1392年〜1910年)は、日本で言うと室町時代から明治時代まで朝鮮半島を統治した王朝であるが、高麗王朝の将軍であった李成桂が謀反によって全王朝を斃し建国した。
その後も親族間で争った血腥い歴史を持つ。
建国後、中国の明王朝の属国として「朝鮮」の国号をもって封ぜられた。
李氏朝鮮は建国理念に「崇儒排仏」を置き、その名の通り「儒教を重んじ、仏教を排除する」ことにしたが、そうしたのは、前王朝である高麗の建国理念が仏教であったので前王朝の権威を否定する狙いがあったのだと思われる。それができたのは、ごく一部に限られる。
支配階級としての両班は人口の1割程度で、残りの殆どは文盲に等しい被支配階級であった。
それでは文明文化が発展するわけがない。
今の韓国人に尋ねると「私の先祖は両班(貴族階級)です。」と殆どの人がそう答える。
奴婢と呼ばれた最下層の人たちを含め、9割の被支配階層の子孫は、一体どこに行ってしまったのでしょう。
日本人に先祖を尋ねれば「先祖は百姓でした。」とか「商人でした。」とか「職人でした。」とか平気で答えられるのとは大きな差に思えます。
日本人は百姓町人といえど、殆どの人が文字を読めた。明治維新ができた遠因は、そういうところにもあった。

彼の国では、文盲だった人たちの識字率が上がり、発展ができたのは、いつどこで誰に教育を受けたおかげなのか、ということには意識が向かないらしい。


2016年4月20日水曜日

稲作地を作るのが目的だった可能性はないのだろうか?

古墳時代というのがあったと歴史で習った。
円墳・方墳・前方後円墳というふうに変遷し、王族の墓だったのだと聞いた。
何十年も経ってから今思い返してみると、疑問も覚える。
それがあるのは何故か平野部であり、田園が広がっているところに多いからです。

わざわざ稲が収穫できる土地を潰してそんなものを作っただろうか?
逆に、稲が作れるように開墾したときの残土を集積したのだということではないのか?
膨大な量の用土を、山を崩して遠くから運んできたのだとはとても思えない。それがどこからだったのかも明白にはなっていないのではなかろうか。

ましてやそれを奴隷を使ってということになると、シロス国であった日本に、そんな人たちがいたとも思えない。
エジプトのピラミッドもそうだったのではないかと言われるように、一種の公共事業だったから、皆が協力した結果できたのだ、ということだって考えられそうに思う。

2016年4月19日火曜日

ウシハク国ではなかった

世界には、龍を神と考える国と、逆に悪魔と考える国があります。
我が国では、おおむね神と考えているのではないだろうか。
出雲の国は、龍神信仰の地であったと思われるが、古事記や日本書紀に語られる国譲りというのが、それはそれで不思議に思える。
大規模な戦闘によってそれがなされたのではなく、主としては話し合いによってなされたように思えるからです。

「古事記」国譲りの条には、
「汝(大国主神-おおくにぬしのかみ)がウシハケル葦原中国(あしはらのなかつくに)は、
我が御子(皇孫命-すめみまのみこと)のシラス国ぞ」とあって、
「ウシハク」と「シラス」を明確に区別している。
この「シラス国」という宣告に、対抗できなかった。

本居宣長は、ウシハクとは、「主(うし)として其の処を我が物と領居(はく)すること」と解釈している。
即ちウシハクとは土着の神々が、クニや山海などの「ある一定の場所を具体的に領有すること」をいう。
したがって、「天(あめ)の下」を統べるために正当性を持つものを、ウシハクとはいわない。
天皇がウシハケルとはいわず、シロシメスというのはそのためである。
天照大御神や歴代天皇にかかわるところでは しらす という言葉が使われ、大国主神をはじめとする一般の豪族たちのところでは うしはく という言葉が使われている。

こうなると、国を公平に治めようとする理念の正統性はどちらにあるのか?ということになる。
実際問題としてそんな綺麗ごとではなかったにしても、掲げる理念に対抗しきれなかった。

この しらす の理念に着目する限り、これこそが我が国の国体の本質であり、憲法制定時、これに基づかずして日本の憲法はつくることはできないと考えられた。

しらす 知る を語源としている言葉で、天皇は、まず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみ、願い、あるいは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すように我が心に写し取って、それと自己を同一化させ、自らを無にして治めようとされるという意味である。

「うしはく」というのは、西洋で「支配する」という意味で使われている言葉と同じである。
つまり、日本では豪族が占領し私物化した土地を、権力を持って支配するようなとき、「うしはく」が使われている。
「しらす」の理念こそが日本国の根本であるとされるのは、歴史的にそうであったことによる。
にごりのない心で、常に神の心、民の心を知るということが天皇にとって最も大切なことであり、従って三種の神器の中で一番大切なものとして鏡があるということになる。

外国では国家成立、憲法成立は、君民の約束といった形、国家契約といった形で成立したが、日本では何よりも神々の心、民の心を知ろうとされ、それに自らを合わせようとされる天皇の『徳』により国家は始まったということになる。


2016年4月18日月曜日

大抵の家庭は女の方が強い?

逆鱗(げきりん)というのは、伝説上の神獣である竜(龍)にあるという81枚の鱗(うろこ)のうち、あごの 下に1枚だけ逆さに生えている鱗のことで、これに触ると、龍が烈火のごとく怒る。皆様ご存知の通りです。

龍のように、どこに怒りの源があるか知っていれば、対処のしようというのはあります。
それがどこにあるのかわからないのが女性で、鱗の枚数も何枚あるのかも判らない。
甲羅に苔が生えそうなほどに年を経ると、もうそれは見当もつきません。
さわらぬ神に祟りなしとは、蓋し名言です。
何をどう言うのかだって、男は気をつけねばなりません。運まかせ風任せということに、いずれはなっていきます。家庭では大抵、女の方が強い。

巷間、我慢しているのは女性であるという意見が多い。
果たしてそうなのだろうか?
ちょっと考えてみれば明らかなように、自分だって自分の事が気に入らないことが多い。ましてや相手のことになれば、もっと気に入らないことがあって当然ということになる。
周りを見ていると、男だって相当我慢している。
近頃は昔と違って、恐ろしさの順番は、地震・雷・火事・カミさん、ということになっている。
更にやっかいなのは、時機と規模が予知不能なのだと嘆く人がおおくなった。

話しを聞いていて一番可哀そうに思うのが「稼ぎが悪い」と文句をいわれること。
男は自分が不甲斐ないからだと思い込み、より一層仕事に励むことになる。
そうなると今度は、「家庭のことをみむきもしない」と不満を言われる。
人前で愚痴を言わないで自分の責任だと思ってしまっている男というのは多い。

近年結婚しない男性が増えたのは、そういうものを身近で見聞きしてしまったことが原因の一つのように思える。
お互いが相手のことを理解しあって、ともに作り上げていく生活というのは何なのだろうかということになりそうです。


2016年4月17日日曜日

人口が多すぎて難しい?

このところいろんな情報を読んでいて、素人考えながら、漠然と感じていることがあります。

中国は、共産党の一党独裁国家であると誰もがいう。
確かに、政治的には共産主義の国なのであろう。
しかし、現状を見ると財閥国家なのではないかと思えてしまう側面があるように思えるのです。
国有企業とか国営企業とか言われるものの殆どは、国ではなく、党幹部の支配下にあるとしか考えられないからです。
不動産バブルがはじけたとか、外貨が不足しているのではなかろうかとか、為替レートを安定的に維持できないだろうとか、経済成長率はマイナスになっているのではなかろうかとか、世界の下請け工場として発展はしたが、体勢上イノベーションをする能力がないから限界が来ているとか、いろいろいわれています。

世界を見渡して見ると、自国民が6000万人以上いる国は、どうやら発展の基礎力を持っているから、それを思えば侮れない。
中国の富裕層が1億人いるらしいが、残りの4億人くらいは極貧層で、これをカバーするには金がいくらあっても足りないから、今後の中国は難しいという説もあるが、あの国の恐ろしさは、それらを切り捨てるくらいのことは平気でしそうに思えるところ。
ただそうはいっても、彼の国の過去の政権が激変したのは、いずれの時代も、最下層にいた人民の不満が爆発し暴動に至ったことが原因だった歴史を持つ国だから、相当な覚悟はいるだろうけれど。

そこで、自国ではイノベーションによる経済発展ができないとしたら、金のあるうちに、それらの技術をを持つ外国企業を買収してしまおうと考えるだろうし、海外の主要地点の土地を取得しようともする。
他には、南沙諸島で軍事的緊張を煽ることで、軍需産業からの利益を目論む。世界の軍需産業も水面下ではそれに協力するとの読みは勿論織り込み済みでのことになる。

万一それらに失敗した時の備えとして、自分たちだけでも助かるために、莫大な個人資産を海外にシフトし、身内には海外の市民権を得させておく。
そういうことで動いているように思えてならない。

必要な金は、足りなければ華僑から引っ張る。そのためには反共である彼ら華僑と手を組むために反日を叫んで気を引き、国共合作を考える。そんな戦略的流れが底流としてありそうなのだが・・・
勿論、根拠があってそういっているのではなく、個人的な憶測ではあります。

2016年4月16日土曜日

聖徳太子はいなかったって?

何を根拠にするのか、孔子も聖徳太子も実在しないのだという説を唱える人がいる。
何か政治的な思惑でもあるのだろうか?

聖徳太子についていえば、太子像として描かれた絵の人物の大きさが違うからだという。
これを日本人が言うとしたら、何か回し者として取り込まれているとしか思えない。
法隆寺の釈迦三尊像の光背に刻まれた歴然たる事実、聖徳太子に似せてこの仏像を造ったという銘文をどう説明するというのか?それは、無視するらしい。
当時の中国に起こった軍事大国「隋」に、一歩も譲らず対抗したのは誰だったというのかといえば、それは聖徳太子だったというほかあるまい。
「日いずるところの天子・・・云々」は、あまりにも有名である。中国皇帝は怒りはしたが、手はだせなかった。
日本は、宋書に書かれていることによれば、半島の半分くらいまでをも納めていた超大国であった。流石の隋も手を出せなかった。

白村江の戦いで唐軍30万人に敗れて半島から撤退するまで、少なくとも南部は統治下にあった。
百済は大和朝廷に人質をさしだしていたし、その人質は日本で学んでいた。
欽明天皇の時代に経文と仏像を献上したと書かれているのはその通りだとして、日本に仏教を教えたなどというのは烏滸の沙汰。
自国に誇れる献上品などないから、伝来の仏教経典を代替したのだと考えた方が理に叶う。
538年に仏教が伝来したことになっているが、2世紀にはもう仏教は日本にきていたとも言われる。

日本に教えたのだとしないと面子が立たないのかも知れないが、日本も唯々諾々それを認めることはあるまい。史実はどうも違うように思える。
中国の文献によれば、そうとしか思えない。中国は、半島に配慮する必要はなかった。
こんなあたりのことを、時間が有ったら調べてみるのも面白そうである。
国家としても、文化としても、わが国の方が、少なくとも半島よりは進んでいたように思う。

桜を美しいと感じたから日本全国に増えた

八重桜が満開ではありますが、桜の花が、そろそろ終わりを告げそうです。
この季節になると、毎年、さくら起源説を唱える国があるが、今年はさほどではなかったらしい。
腹なんぞ立てないで、ほっときましょう。

桜の種類というのは、おおまかに言って200種類もあるらしいが、そもそもの桜は、チベットが原産地であるというのは、遺伝子的に確定しているという。

今ある殆どの桜は、改良種ということになる。
中でも、ソメイヨシノは、エドヒガンザクラと、日本固有のオオシマザクラの交配によってできた桜で、種から増やすことができないから、挿し木や接ぎ木によって増やすしかない。
即ち、自生地などというものは存在しない。
にもかかわらず、原産地が彼の国であるとの主張を無理を承知でなぜか繰り返す。

日本人は、実はそんなことを言われても痛くもかゆくもない。事実は曲げようもない。
起源説などに、さして重要な意味を感じていないからかも知れない。

文化というものは、何か新しいものができたとき、それをいかにして生活に取り入れ発展させ、定着させていくか、ということである。
心に余裕がなければできません。
桜の花に美しさを感じた日本人は、全国津々浦々にそれを植えて増やした。
花の時季には花見を楽しみ、活花にもし、和歌にも詠み、絵を描き、着物の模様にも取り入れた。
美しいと感じることのできる感性が、桜文化を発展させ、それが世界にも広まった。

起源説など唱えたところで、それを役立てることが出来なければ、文明文化は発展しない。
そういう能力があるかないかということが、その後を分ける。

2016年4月15日金曜日

9割近くが親しみを感じないという結果は知らなかった

どちらが本当なのでしょう?

普段見聞きする報道により、沖縄県民といえば日本より中国が好きで、知事を筆頭に親中の人の方が多いように感じていました。

ところが、昨年11月から12月にかけて沖縄県知事公室地域安全政策課が実施した県民の意識調査という記事によれば、どうも違うのではないかと思える。
(同調査についての資料は沖縄県のHPにあるという。)

行われた調査というのは、2015年11月19日~12月10日にかけて、沖縄県内に居住する満15歳以上75歳未満の男女に、抽出方法として層化二段無作為抽出法を採用し、3000人に対して郵送法で実施した。
有効回答が得られたのは、1265人。(42.2%の有効回答率)
資料にある問10の「中国に対する親近感」について、

『親しみを感じる』・・・2.7%
『どちらかというと親しみを感じる』・・・7.6%
合わせて、親しみを感じている県民は約10.3%

『親しみを感じない』・・・54.9%
『どちらかというと親しみを感じない』・・・33.2%
合わせて親しみを感じていない県民は約88.1%
約9割の県民が中国に親しみを感じていないようです。
この数字は全国平均よりも高いのではないのか?

八重山諸島の漁民はもっと深刻で、自国領の海での漁業において中国漁船に追い掛け回されて、危険を感じているというから、酷い話である。

伝え聞いていることと全然違うと思うのだが、報道はどうなっているのだろう?


2016年4月14日木曜日

成人でも実名報道されないものがあるように思うが

殺人事件を初め、重大事件の加害者についての実名報道の是非が議論されることがある。
犯人が未成年者だということであれば、少年法というものに抵触するだろうから、名前が伏せられるのは、法が改正されるまでは難しいのは理解できます。
ところが、明らかに成人の犯罪と分っていても、実名や顔写真が出ないケースもあるように思うのです。
例えば、その罪を侵したのが外国人であったりすると、伏せられるようです。
重大犯罪であっても、いつのまにか扱いが沈静化してしまうのもある。
そんな中、何故か被害者については、昔から一貫して実名報道が貫かれております。
身内縁者ひっくるめて、洗い浚い報道されることも多い。
加害者ないし加害容疑者の実名報道については、社会的なメリットが存在し得ることは理解出来るのに、それには配慮されることが多いのに比べ、被害者についてはお構いなしなことに異様さを感じてしまいます。これらについては、議論の余地が色々とあると思うんですが・・・
被害者の実名やら個人情報やら遺族の情報やらがガンガン報道される件については、もう本当に、社会的にはどんなメリットがあるのかさっぱり分かりません。実際のところ、「興味を引いてメディアが視聴率を稼げる」以外のメリットってあるんでしょうか。
報道の自由ってなんなのでしょう?

2016年4月13日水曜日

写真が写し出していた現実

前大統領と現大統領があからさまな反日政策をとらなければ、こうまで関係が悪化することはなかったのではなかろうか。
大方の日本人は、ある程度のところまでは我慢していた。
しかし、黙っていればどんどん要求がエスカレートするところから、事実はどうだったのだろうと関心を向ける人が増加することに結びつき、実態を知るに至った人が多くなってしまったということだと思う。

日本が韓国を植民地支配して簒奪の限りを尽くしたと言われていることに、違和感を覚えていました。そんなはずはあるまいと、内心思っている人が多かったが、黙っていたというに過ぎない。
戦前の人たちからいろいろ聞いて育ったから、どうも違うのではないか?
それで、そのあたりのことを少し調べてみようと思っていたところ、youtube にその前後の写真が沢山出ているのを見る機会を得ました。

写真は、事実を映し出す。
これらの写真を見る限り、奪うような何があったのだ、というのが新たな実感です。
陸続きの中国でさえ「朝鮮半島は風水的によくない」ということを理由にして占領しなかったのだと聞いていたが、むべなるかなということでもあります。。

写真を見ると、日本で言えば戦国時代以前を想像させる風景が殆どです。遅れている。
日本の江戸から明治にかけての写真と比べて余りに歴然とした差に愕然とします。
これでよく「日本にものを教えてやったのだ」などと言えたもの。

日本だってまだ裕福ではなかった時代に、北海道の開発を後回しにして国費をつぎ込み、インフラの整備を急ぎ、学校を建てて、殆どが文盲だったという人々を教育して、近代化を図ったというのが事実ではないのか?
同じ日本人としてこの先を生きて行くために、簒奪どころか与えたものの方が膨大だったに違いない。
その教育を受けた人たちが、戦後建国された韓国の発展を担ったのではないのか?

歴史を歪めてまでプライドを高めようと思っても、いずれ真実には気づいてしまうもの。
国を挙げてそれをやりすぎると、後で説明しにくいだろうし、引っ込みもつくまいに・・・

ちょっと調べれば、今の時代は簡単に資料は出てくる。かく言う私だって、日本のことを余りに悪しざまに言われることに端を発して、調べてみることになった。
そうしてみたら、学校や先生たちの言っていることと随分違うことが浮き彫りにされてきたのだから・・・


2016年4月12日火曜日

こうあるべきだったとするのでは歴史研究にならない

1世紀から5世紀にかけて、朝鮮半島南部に居住していた種族を韓と言い、言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の3つに分かれていたことから「三韓」と呼ばれた。

百済・新羅・任那の有った頃、半島の南部は、倭国のものであってと中国の古書にあるらしいが、日本の支配下にあったなどというと、「そんなことはない。」と、何故か政治や外交上エライ騒ぎになりかねない。

その地域には、日本固有の墳墓である前方後円墳や、日本の土器が出土されるというが、それは何故なのでしょう?学校では、その時代のことは習わなかった。
事実は事実として捉えるのが歴史だと思うが、前方後円墳があるのは都合が悪いらしく、重機で突き崩してしまうという。なんかね~。

古い時代のことは、良いか悪いかではなく、事実のみを研究しないと、歴史は進むまい。
いろいろあったことは間違いないし、戦えば勝ちもしたし負けもした。
文化の交流も互いにあったとする方がよい。

何でも一番でなくては気にいらないとか、優位でなくてはならないとして、嫌がらせをすることで何かを引き出そうとするよりは、相手が気持ちよく協力してくれる方法を考えた方が、何事もうまく行くのだと思う。