2016年4月9日土曜日

周辺国は酷い名前で呼ばれていた

濊族(わいぞく)と昔の中国から名付けられた民族の国が、半島にあったのだという。
濊(ワイ)は、穢(ワイ)と同じだが、サンズイの方が禾編よりももっと汚いのだという。

昔、遣唐使を廃止した理由の一つに、この民族の住む土地を経由することが大変に危険で、成功率が25パーセントというリスクを侵してまで通過することは、派遣するほどに優秀な人材を失うことにもつながるので、得られる利益と引き換えにはできないと、菅原道真が判断したのだという。

中華思想というのは、周辺を南蛮・北荻・東夷・西戎(南の蛮人・北の虫けら・東の夷(えびす=人のようで人ではない)・西のけだもの)などと言って差別し、周辺国の国名や民族にも蔑称とも思える名前をつけたというが、半島が未開地であったことは違いないとしても、ワイというのはかなり酷い。

日本のことは、倭(わ)と呼んだ。小さい人ということらしい。
しかしながら、技術力は買っていた。なんといっても鉄より硬い翡翠に、鉄のない時代に穴をあけて磨き上げ、勾玉を作った。しかも、勾玉の穴の位置は吊るすためのバランスが取れている。流石の中国でもつくれなかった。


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