2016年4月20日水曜日

稲作地を作るのが目的だった可能性はないのだろうか?

古墳時代というのがあったと歴史で習った。
円墳・方墳・前方後円墳というふうに変遷し、王族の墓だったのだと聞いた。
何十年も経ってから今思い返してみると、疑問も覚える。
それがあるのは何故か平野部であり、田園が広がっているところに多いからです。

わざわざ稲が収穫できる土地を潰してそんなものを作っただろうか?
逆に、稲が作れるように開墾したときの残土を集積したのだということではないのか?
膨大な量の用土を、山を崩して遠くから運んできたのだとはとても思えない。それがどこからだったのかも明白にはなっていないのではなかろうか。

ましてやそれを奴隷を使ってということになると、シロス国であった日本に、そんな人たちがいたとも思えない。
エジプトのピラミッドもそうだったのではないかと言われるように、一種の公共事業だったから、皆が協力した結果できたのだ、ということだって考えられそうに思う。

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