2016年4月12日火曜日

こうあるべきだったとするのでは歴史研究にならない

1世紀から5世紀にかけて、朝鮮半島南部に居住していた種族を韓と言い、言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる馬韓・弁韓・辰韓の3つに分かれていたことから「三韓」と呼ばれた。

百済・新羅・任那の有った頃、半島の南部は、倭国のものであってと中国の古書にあるらしいが、日本の支配下にあったなどというと、「そんなことはない。」と、何故か政治や外交上エライ騒ぎになりかねない。

その地域には、日本固有の墳墓である前方後円墳や、日本の土器が出土されるというが、それは何故なのでしょう?学校では、その時代のことは習わなかった。
事実は事実として捉えるのが歴史だと思うが、前方後円墳があるのは都合が悪いらしく、重機で突き崩してしまうという。なんかね~。

古い時代のことは、良いか悪いかではなく、事実のみを研究しないと、歴史は進むまい。
いろいろあったことは間違いないし、戦えば勝ちもしたし負けもした。
文化の交流も互いにあったとする方がよい。

何でも一番でなくては気にいらないとか、優位でなくてはならないとして、嫌がらせをすることで何かを引き出そうとするよりは、相手が気持ちよく協力してくれる方法を考えた方が、何事もうまく行くのだと思う。


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