2016年4月21日木曜日

儒教一辺倒だったからでもなさそう

李氏朝鮮1392年〜1910年)は、日本で言うと室町時代から明治時代まで朝鮮半島を統治した王朝であるが、高麗王朝の将軍であった李成桂が謀反によって全王朝を斃し建国した。
その後も親族間で争った血腥い歴史を持つ。
建国後、中国の明王朝の属国として「朝鮮」の国号をもって封ぜられた。
李氏朝鮮は建国理念に「崇儒排仏」を置き、その名の通り「儒教を重んじ、仏教を排除する」ことにしたが、そうしたのは、前王朝である高麗の建国理念が仏教であったので前王朝の権威を否定する狙いがあったのだと思われる。それができたのは、ごく一部に限られる。
支配階級としての両班は人口の1割程度で、残りの殆どは文盲に等しい被支配階級であった。
それでは文明文化が発展するわけがない。
今の韓国人に尋ねると「私の先祖は両班(貴族階級)です。」と殆どの人がそう答える。
奴婢と呼ばれた最下層の人たちを含め、9割の被支配階層の子孫は、一体どこに行ってしまったのでしょう。
日本人に先祖を尋ねれば「先祖は百姓でした。」とか「商人でした。」とか「職人でした。」とか平気で答えられるのとは大きな差に思えます。
日本人は百姓町人といえど、殆どの人が文字を読めた。明治維新ができた遠因は、そういうところにもあった。

彼の国では、文盲だった人たちの識字率が上がり、発展ができたのは、いつどこで誰に教育を受けたおかげなのか、ということには意識が向かないらしい。


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