2017年4月30日日曜日

応神天皇の時代に大挙渡来したのだという

弓月の君

日本・ユダヤ同祖説というのがある。伊勢神宮を参拝すると六芒星を見たりして、それを感じることがある。それはそれで面白い。
似た言語、風習や祭りに、そうかも知れないと思わせられることも多い。
国歌である「君が代」も、ヘブライ語で読むと意味が通じるのだという説もある。
日本人の先祖そのものとまでは言わなくても、渡来してきたことで混ったり同化したことはあるのだと思う。
契約のアークも、日本のどこかにあると唱える人もいる。
とにかく、日本の国は神話の昔から謎が多い。
神話自体が壮大であり、単なる絵空事ではないのかも知れない。

秦氏という渡来人が居たことは広く知られている。ユダヤ系であるという。
秦の始皇帝の「秦」という字を使うが、「しん」とは呼ばないで「はた」と呼ぶ。
関係はないのかも知れない。

「弓月の君」という方がいたのだという。
古代イスラエルの人々は、離散した後、流れてキルギスの北部のエニセイ川源流あたり(現在のカザフスタン北部)に弓月国を立てたとされている。
何の符合かわからないが、その近くには「ヤマトゥ」という地名があるらしい。

この弓月国周辺には、ユダヤ人コミュニティが点在しており、キリスト教徒とユダヤ人が絹貿易をしていたという。
キルギスの伝説によると、「キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。
日本人はキルギスのことを余り知らないが、かの国では日本の国に親愛感を持つ人が多いのだという。
応神天皇の283年の弓月君(融通王)の来日の前に応神天皇の父とされる仲哀天皇の199年に、 融通王の父である功満王(弓月の王)が日本を公式訪問したという。
この訪問のあった翌年、仲哀天皇は旅先で薨去した。
后のオキナガタラシヒメ(神功皇后)は身重の体で新羅に出兵、帰国の途で応神天皇を出産したというのが神話にある。
后の出兵は唐突であり、わからないことが多い。
帰国後は摂政として国の運営に当たるが、やがて応神天皇の治世になります。
応神天皇14年、弓月の君が再び来日し、日本への移住を求めた。
新羅が邪魔をするので兵を出して新羅を鎮め、応神天皇16年に弓月の人々を迎えた。
秦氏の来日は、日本書紀によれば、応神天皇の283年に弓月君が百済から127県の18670人を連れて 日本に来たという。大人数といえる。
弓月君の名前は、新撰姓氏録では融通王と呼んでいるそうで、 天山山脈の北にあるバルハシ湖に流れるイル川の上流にあった弓月国の「ヤマトゥ」から来たらしい。

歴史ではこういうことを教えないので、興味を持ったら自分で調べるしかないが、専門的にみたら違うかもしれない。

2017年4月29日土曜日

茗荷を食べると物忘れする?

 私は茗荷が大層好きです。親ミョウガも子ミョウガも両方です。
 昔からミョウガを食べると物忘れするようになるから、子供には食べさせるなと言われます。
ちかごろは、ミョウガなんぞ食わなくっても物忘れするようになったけれどど、これって“ボ”なんとかっていうんだったっけ?

 ミョウガは、釈迦の弟子であったシュリハンドクの墓から生えてきた植物だからだというが、ミョウガを漢字で書くと、茗荷。
文字通り名前を荷うということであります。
自分の名前すら覚えられなくて、背中に名前を書いてたということからきてるんだとか。

 シュリハンドクという人は、これが朝聞いたことを夕方には忘れているなんていう程度のもんじゃなくて、自分の名前すら覚えられなかったんだといいます。

 皆から馬鹿にされるし、そんな自分が情けなくてお釈迦様に相談したところ「大丈夫じゃ。」と言って1本の箒を渡され、「これで綺麗にしなさい。」と教えられたんだという。
 シュリハンドクは、それから何年にもわたり、来る日もくる日もただひたすらお掃除に励みました。

 ある日お釈迦様が、「随分綺麗になったね。だけどまだ1箇所綺麗ではないところがあるよ。」と言ったんだそうです。
それがどこなのかわからないまま、さらに数年掃除を続けていたあるとき、はたと気がつきました。「汚れていたのは自分の心だった。」と。悟りです。

 その現れ方や感じ取る側の捉え方で、神といったり、仏といったり、霊といったり、潜在意識といったりするのだと思うのですが、たしかに何か偉大なものがあるのだということは否定できないと思います。

 イモを洗って食べるようになった高崎山のサルが一定数を越えたとき、時空を越えて他の山にいる猿たちにも芋を洗って食べる智恵が伝播したとか、同じようにイギリスのツグミが牛乳瓶の蓋をとって中の牛乳を飲む智恵を身につけ、それが広く伝播したとかの話しもあります。

 心理学をやった人たちは、意識が共有されているのだということに疑いももたないようですから、科学というのは長大なもの微細なものをますます詳らかにしていくことでしょう。

 ところで、もう一つの「冥加」は自分で調べてね。


2017年4月28日金曜日

美味しい紅茶がつくれました

毎年この時季になると、伸びてきたお茶の新芽を摘んで緑茶を作るのを趣味にしています。
趣味ですから、沢山作るというわけではなく、2~3回淹れればお終いというくらいの量です。
それでもかなり手間がかかります。

今年は趣向を変えて紅茶風にしてみました。
これは緑茶をつくるより多少楽にできます。ただし、味は保障のかぎりではありません。
まず、お茶の葉を摘んだら、笊などに広げて風を通し、葉っぱが萎れるまでおいておきます。
しんなりしたら、両手で葉っぱが細くなるまで揉みこみます。
固めて揉んだあとは、ほぐしてばらばらにします。(この段階でこれをしておかないと、後からではほぐせなくなります。)
ボールなどに入れて濡れ布巾をかけ、発酵させます。発酵の度合いにより味と香りが変わってきますが、葉っぱの色が茶色に変色したら次の段階に移ります。
レンジを使って、100~120度で熱し、発酵を止めます。強くやり過ぎると焦げてしまいますので、様子を見ながらやります。
それが済んだら取り出して、湿気を飛ばし乾燥させます。

できあがりの写真です。
さて、味はどうでしょうか。






2017年4月27日木曜日

ミサイル防衛は充実させねば

北朝鮮による核実験かミサイルの発射は、危惧していた25日には行われなかった。
通常兵器による大演習でお茶を濁したということで納まればよいのだけれど、独裁者のやることだから安心はまだできない。
とりあえずは、米・中・韓・日の真剣な対応が抑止になったということなのだろうか?

軍事的な圧力が無かったとしたらどうなったのかわからない。
もしそうだとしたら、今後の問題としては、日本にミサイルを撃っても、それが日本に到達する前に全て破壊してしまうシステムを急いで構築しておいた方が良い。
国内に潜入しているスパイによるテロも、確実に封じ込めてしまう対策も必要だと思う。

こちらがいかに平和を望んだとしても、憲法9条が守ってくれるわけはあるまい。
それらの対策に反対する人たちというのは、日本国民が犠牲になっても構わないというのだろうか?
ミサイルや化学兵器は、反対している人たちが甘んじて死ぬ覚悟をしているとしても、その人だけを攻撃するわけではあるまい。
無辜の民が巻き添えで犠牲になる。
攻撃をしても効果がないから無駄だということになれば、状況は変わるのだと思うのだが・・・
金はかかるだろうが、相手が相手だから致し方あるまい。

2017年4月26日水曜日

i一般人を装わせてもすぐバレル

TV番組でヤラセをやっても、今はすぐにバレル。
報道は、中立公平であることが求められているが、一般人へのインタビューということにして、プロ活動家に近い人の意見を放映しても、顔が出ていればそれはすぐにバレル。

TVは、情報の公開を声高に求めているのではないのか?
だとしたら、一般人を装おわして、自分たちに都合の良いことを言わせたら、その場合は、この方は一般人ではありませんと公表すべきである。自分たちが隠したのではどうにもならない。

報道しない自由というのも酷い。
山手線内で、プラカードを掲げてテロ等防止法の反対デモをやったのだというが、公共交通機関の施設内で政治活動や宗教活動をするのは違法ではないのか?
トンカチがどうだのこうだのという一般人が笑ってしまう主張を得意げに述べたのだとも聞く。
こういう違法行為は良くない、とする報道はなかったように思う。
国会議員が国会外で違法行為をするのを見逃すのは、マスコミが好きな権力の監視機関だという主張に大きく背くのではないのか?

反対するのは結構だが、庶民の反感を買うような活動では、理解を得られまい。
それでなくても、テロによる脅威や組織犯罪に対する恐れは強くもっている。それらは事件が起こってからでは対処できないとしたら、大きな被害が及ぶ前に防ぎたいと思うのが普通である。
犯罪を計画することとは殆どの人が無縁であろうから、多少の監視は不都合とは思わないし、かえって安全を担保してくれるという効果の方が期待できる。
そういうインタビュー意見はまず聞かない。
今までは、報道による以外に情報は得られなかったが、それは最早昔の話。
事実を事実の通りに伝えないと、信頼が得られないということを、もっと真摯に捉えなくてはならないと思う。特異な例をあげての変なコメントをつけてもすぐに論破されるから、上から目線の物言いにも気を付けた方が良いと思う。

2017年4月25日火曜日

ワイドショウはどうなった

やむを得ないことだとは思うが、人は自分の価値判断だけででものを決めることがあります。
でも、決めつけてしまわない方が良いのだとは感じます。
少なくとも、他人の事情を認めることなく、大して知りもしないうちに自分の価値基準だけで決めつけてしまうのは、避けた方が良いと思うのです。

ものを判断するときの基準というのは、誰にでもあります。
関連する知識であったり、知りえた情報であったり、好きか嫌いかという好みであったり、その他沢山あると思うのですが、大抵の場合、大して考えることもなくマスコミ等から自分が知りえた情報というので決めていることが多い。
しかしそれは一面的であっったりフィルターがかかっていて、全体像を知ることはできないことが殆どのような気がします。
甚だしきは、自分が考えたのではなくて、誰かが言っていたことをそのまま丸ごと受け入れて、その通りだと思ってしまうことだってありそうなのです。

例えば、森友学園問題などもそうでした。
国民の7割が、まだ納得していないとのアンケート結果があるとのことですが、それはそうでしょう。
全てを報道するということはしていないように感じてしまうのです。

報道では、さも違法な介入があったかのようなことを取り上げはしますが、そもそもあの土地は、そんなに高く評価できる土地だったのでしょうか?
報道することは都合が悪かったのか、数少ない報道をつなぎ合わせて考えると、廃棄物の除去という瑕疵を抱え、実際問題として、森友学園の隣の豊中市が購入した野田中央公園の土地は、2000万円であったという。
それと比べたとき、バランス上やむを得ない判断だったように思えなくもない。

野田公園の土地売買の方にこそ政治家の介入があったのではないのか?とか、ことのついでかどうか知らないが、東日本大震災のときの義援金の使途が報告されていないとか、生コンがどうだとかの問題が出てきた途端、質問者もマスコミもトーンダウンしてしまったように感じてしまう。
どちらかと言えば、そちらの方が大問題だと思うが、これを追求するニュースというのは目にしない。

要するに、ある流れにそって報道されるものだけでは、判断できないということになる。
だから、少ない材料で決めつけないほうが良いということになる。
煽るだけ煽り、その間に無責任な発言をした人たちも口を拭ってしまったような尻すぼみ状態では、納得できるわけがない。
司法が必要なことがらは、ワイドショウでは済まされまい。


2017年4月24日月曜日

猿は馬の守り神だから

 割れた眼鏡は見えんから3円だという古道具屋の話しでもありませんし、三河遠江の三遠という地理歴史の話しでもありません。

 馬に因んだお話しです。
 日光東照宮の神馬をつなぐ神厩舎の長押(なげし)は、皆様ご存じのミザル・イワザル・キカザルの三猿が彫られてあることで有名でございます。
 で、馬小屋になんで猿なのかっていうと、馬の守り神は猿ということになっているからなんだそうです。
 午年の皆様、申年の人を大切にするときっとよいことがありますよ。

 ところで、日本では三エンということになっていますが、他国では四エンとなっているようです。水で薄めた酒で酔えんから4円なんてことではござりませぬ。

 論語に曰く、非礼勿視 勿聴 勿言 勿動(礼にあらざるものをみるなかれ きくなかれ いうなかれ おこなうなかれ)なんてのがあるから、それが影響しているのか結構多くの国に猿の彫り物や置物があるらしい。
 さるものは ひびにうとし・・・なに?意味が違うって?


和語では薄氷を「うすらひ」と読む

今、戦争を避けるために、綱渡りをするような外交努力がなされているのだと思うが、それらが表面にでてくることはない。ご苦労様と頭が下がります。
人は其の一を知るも、其の他を知ること莫し(なし)
戦戦兢兢、深き淵に臨むが如く、薄氷を履む(ふむ)が如し

話しは変わるが、薄氷は「はくひょう」と読んでも「うすごおり」と呼んでもよいのだが、
和語ふうに「うすらひ」と読むのが趣深い。
俳句では 普通そう読むという。 温かくなってきて、張ってもすぐ融けてしまう氷だから 季語としては春。
日本語には、美しい響きを持つ言葉が多い。


2017年4月23日日曜日

ミサイルは撃ち落とすなだと?

わけがわからん。
ミサイルが発射されても迎撃することには反対だと、日本のエライ学者さんたちが言っているのだという。
「ミサイルが飛んで来たら、一発残らず到達前に破壊してしまうべし。」というのなら、抑止力をもつことで平和を維持しようという主張になるからわかるが、全く逆の決議をしたのだという。
ミサイル攻撃を受けたら黙って死ね、というのだろうか?
自分たちだって死んじゃったら、学術研究もなにもできなくなるのではないのか?

拉致被害者の解決を約束したのに反故にしているから、やむなく独自制裁を課しているのに、それを解除しないと日本に一番被害が及ぶと、臆面もなく脅してくる国を相手にしているという緊張感は全く感じられない。

テロ防止法案を、「共謀罪」だということにして、監視される社会になるから反対だと、国会のエライ議員さんが真っ赤になっているのだという。
仮令共謀罪であったにしても、反対する理由にはなるまい。
犯罪に関わるようなことをしなければ良いだけのことなのではないのか?
花見にも行けなくなるなどと、見当違いなことを言って不安を煽るのはいただけない。

監視というなら、現に防犯カメラは諸方に多数設置されているが、一般人は一向に痛痒を感じないし、むしろ安心できると思っている。それによって犯罪者の逮捕に効果を上げているのではないのか?
密告制度まで駆使する監視社会がどんなものかは、近隣諸国を見ていてわかっている。
日本の現状は、放って置けばやりたい放題になり、危険は増大すると感じている人の方が多いと思う。
一体、何のために誰のために反対するのだろう。何でも反対ということではなさそうなことが恐ろしい。

2017年4月22日土曜日

結果を出した選手というのは凄い

フィギュアスケートの浅田真央選手が惜しまれながら引退しました。
各国の一流選手たちも、心からのコメントを寄せました。誰からも尊敬される選手であったということなのだと思います。
才能だけで努力をしない選手というのは一人もいないと思いますが、みんながその努力を認めていたということなのでしょう。

今は、記録画像というのがあって、細部にわたって後からでも比較評価できます。
オリンピックで銀メダルに終わったときの金メダル選手との対比がされているものも、ネット上にはあります。
評価点をつけるときの重要項目、エッジの使い方、重心の位置、ポーズの姿勢からの柔軟性評価、支持を続けなければならない秒数、などなど採点表も提示していろいろを比べてあります。
それを見ると、つけられた採点数には疑問を持ってしまいます。

こういうものが有ることを浅田選手が知らない筈はないと思いますが、結果について不平を言ったことは無く、受け入れていると思います。
どの分野のアスリートも同じですが、一流となった選手はみな結果に対して潔い。

極論を言えば、選手というのは結果を残せばそれでよい。
しかし、一流となる選手は、歳が若くても、人格までもがも成長しているのが常です。

TVなどで、自分が達してもいない域のことをあれこれ言って批判する人というのが必ずいますが、気を付けないと自分の浅はかさを露呈する結果を招くことが多いようです。
好き嫌いではなく、結果を正当に評価できるということは、仮令部外者であったとしても大事なことなのだと思います。
プレッシャーを乗り越えて実績を残すというのは凄いことです。

2017年4月21日金曜日

置き菓子は一つのアイデアだったと思うが

越中富山の万金丹というのがあった。
「どっけしゃいらんかね~(毒消しはいらないかね~)。」
むかし、時代劇映画を見ていると、人でにぎわう街中を、掛け声をかけながら薬を売り歩いている人が出てきたものである。

子供の頃には、どこの家にも置き薬というのがあった。
古くは大きな紙袋の中に、それがだんだん木の箱に変わっていったが、丸薬だの粉薬がいろいろ入っていて、常備薬として置かれていた。
富山の薬屋さんが家々を回って、使った分だけ新しい薬を補充し、代金を受け取るというシステムであった。
紙風船などを景品にくれるので、子供心に薬屋さんが訪ねてくるのは楽しみでした。

その置き薬っていうのなら驚きはしない。
しかし、置き菓子だっていうから驚いた。
飛び込みの営業マンがやってきた。1ヶ月でいいから試しに置いてみて欲しいとのこと。
底辺がA4版くらいの箱の中に菓子が入っていて、1個どれでも100円。
食べたい人が傍に置いた貯金箱みたいな料金箱に自己申告でコインをいれて取り出すという方式で、定期的に補充にくるという。
お札しかなくて、後で払おうと思っていて入れ忘れるケースは時にあるが、多少金額が不足していても、置いてもらえる会社に不足はいわないのでぜひ、とのことであった。
小腹がすいたとき、わざわざコンビニに行かなくてすむのなら便利だし、たいして場所をとるわけでもないので、置くことにしたのだが、「いろいろかんがえるもんだね。」と感心した。
しばらくは定期的にお菓子の入れ替えに来ていたのだが、いつの間にやらそれも来なくなってしまった。
営業的にうまく行かなかったのだろうか?


2017年4月20日木曜日

次の大統領だってどうなるのやら

大統領選挙の前に、朴槿恵氏が訴追されるのだという。
罪状というのが何なのか、証拠があるのかどうか知らないが、韓国の歴代大統領の末路はあわれである。
どうにも馴染めないが、隣国では至極当たり前のようで、どちらかと言えば国民が煽っているようにも見える。
クーデター・亡命・暗殺・投獄・死刑・自殺、それでも大統領になりたいらしい。

儒教の教えが根深く残っているのか、易姓革命にも似て、前政権は根絶やしにして全て否定せずにはおかない国なのだと思えてならない。
全否定しなければ、政権の正統性を主張できないということだとすれば、継承して積み重ねることで発展させられることも失う結果にならないのではないのか。

ご自慢の李成桂による李王朝の樹立だって、前王朝への反逆だったのだから、反対勢力への粛清は酷かったように思う。
そんなにしてでも、中国の属国としてしか生きられず、日本が日清戦争で勝利してようやく独立を得られたのに、長くは続かなかった。
疲弊した朝鮮を近代化に導いたのは紛れもなく日本であるが、戦後できた韓国は、前政権である日本を全否定しなくては、政権の正統性を主張できないほど脆弱であった。
日本の統治時代が良かったなどと口にすれば生きていかれなかった。

どうしていつまでも日本のことを悪く言い続けるのだろうと疑問に思っていたが、易姓革命を未だに繰り返すのだと考えれば、合点がいく。

しかし、北の脅威に韓国一国では抗しきれない現実があるとき、日本を敵に回すようなことばかりしていてどうするのか?
先のことを考えなくて過去にとらわれているのが国民感情に馴染むなのだとしたら、せめて真実がどうであったのかくらいは、自ら知るべきだと思うが・・・

2017年4月19日水曜日

日本スタンダードになれば

なにか偉大なもの
 神様は、乗り越えられないような困難をお与えにはならないのだとか。
 何事も、なんとかなるのであります。

 「お上が、ご苦痛であると思し召すほうを、この際はお選びになるべきであります。」と書かれた文書を読んで連想したのが、「その方等はよいのう。朕には辞職がない。」とおおせられた明治天皇のおことばでした。

 「みんながそうしているから」というのが、関連のいくつかの要因だという人がいるが、そうなのだろうか?

そもそも農耕民族は、種まきの時季にしろ何にしろ、経験豊富な長老を始めとする皆と合わせることが上手くいくというあたりが、狩猟民族と違うところであります。

確かに家畜を追って草を求めるには、人と同じ事をしていたのでは、既に食い荒らされた場所を辿るに等しいから、豊な草葉を見つけるのには、経験のある長老でなくても若い閃きのあるリーダーに従うことが多かったろう。
だから、過去の経験に従うだけでなく主張しあうということに馴染みはあったと思われる。

 農耕民族である日本人は、自分の意見がないといわれるが、ないのではなくて、それぞれの信念、哲学、矜持を内に秘めながらなお、皆がよかれと言わず語らず理解しあい選んでいく智恵を、2700年の歴史のなかに育んだのである。

 自己の権利主張を声高に叫びはしても義務をないがしろにして憚らず、はては自国をも自虐的に貶めるような論調を不思議とも思わず、我さえよければ他を省みなくても良いとなってしまった結果が、昨今随所にみかける破廉恥きわまりない所業となって現れているのではないだろうか。

 いつからのことなのかと嘆かわしく、何でもかんでも古くからのものを否定してしまったことで、失われた美徳の数多かったことが思われてならないのであります。

 愛国心は強制されるべきでないとの主張はその通りだろうけれど、国を愛さなくてもよいと教えるのもまた極めておかしなことであろう。
 外国を旅して思うのだが、彼等は、自分または店、或いは会社のミスに対し、「それ、自分の担当じゃない。」「知らない。」「関係ない。」と言うのが大半であり、最高によい状態と思われる謝りかたでもせいぜいが「それは貴方にとって大変不幸なことでした。」という何がなんだかわけのわからないコメントがあってお終いである。
それ以上のことは賠償に繋がるから頑として認めない。

 ソレに比べ、日本がいかによい国であることか!
グローバルスタンダードより日本スタンダードのほうがいい。

そうはいっても、最近の国会質疑を見ていると、国民目線というより犯罪を起こしかねない人の目線から、こまかなことをあげつらって全体を反対しようとしているように見える。

日本の国も、大分変ってしまったようです。


2017年4月18日火曜日

中国が何とかできるのだろうか?

北朝鮮の暴発を防ぐには、中国の影響力を行使することが不可欠であると良く言われる。
もっと単純に考えれば、中国が北朝鮮を支配してしまえばいいではないか、ということになるが、中国は決してそれをしない。
理由としていわれるのが、二つある。
体制の違う西側諸国と国境を接するのは避けたいので、緩衝地帯として残しておきたい。
難民(極端に貧しくて、それも半端ではない恨みの心が染み付いている)が大量に出ることを嫌っている。

しかし、2000年の昔から、陸続きであるのに、朝鮮半島を直接支配することはしてこなかった。風水上良くないのだとしたからだという説もある。

ではどうしていたかというと、中国の言うことを聞いて絶対に反抗しない王を据えて、それを支配することで徹底的に搾取した。反抗することは殆ど不可能だった。
だから未だに中国の言うことなら諾々として従う気風が残る。酷い目にあったことは、日本からどころではあるまい。

ところが、北朝鮮の3代目は言うことを聞かなくなった。
手を拱いている間に、手が付けられなくなった。
国際的に高まる経済制裁実施の圧力に押され、このほど中国でも北朝鮮からの石炭輸入をとりやめたのだという。
石炭の輸入をやめるより、石油の輸出をやめる方が効果的だと思うが、それはしない。
国対国のことであるから、全て明らかにできないという折衝や取り決めは当然あるだろう。
その対策をとることで国益に悪影響を及ぼすことがあれば、バランスも必要だということは解るが、効果的な対策をしていないように見えてしまうのも事実でしょう。

北朝鮮からの石炭の輸入を止めたというが、中国の基幹産業である鉄鋼の生産には、石炭が不可欠である。
むかし中国は、露天掘りができる瀝青炭がとれることで有名であったが、今はどうなのだろう。
それがないとなれば、どこかから輸入しなくてはなるまい。それはどこからになるのか?

一方、石炭を燃料とすることで発生するPM2.5は、中国国内で年間2000万人の死者を出していると言われるほど被害が甚大である。
PM2.5は、韓国のソウルにも影響を及ぼしていると聞くし、日本にも飛来する。
放射能の影響よりよっぽど重大だと思うが、それを問題視する報道はまず少ない。

厄介な国と厄介な問題が隣国にあるという認識が日本国内では低いから、大所高所から総合的に物を考えることが少ないように思える。

2017年4月17日月曜日

修行しないと人になれない人

「猫を被る」という言葉があります。
知っていながら知らない振りをする。
そこから転じて、本性を隠して大人しそうに振る舞う。
そもそもの語源は、藁(わら)で編んだ「ねこだ(筵のこと)」を被ることで知っているのに知らない振りをする意味で使われ、後に「猫」の字を当てたといわれる。
いずれにしても、本性を隠しているとの悪い意味で使われることが多い。

しかし、一枚二枚は猫の皮を被った方が、世の中うまくいくように思える。
本性剥き出しでギラギラしたやりとりをしたら、殺伐としたものになる。
少なくとも、人間の皮を被った獣より猫を被っているほうがず~っと良い。
ただ、被った以上はそれを脱がないようにしていてもらいたい。
本性を誤魔化すためではなく、人倫として必要な衣を纏うのだと考えれば、その皮は教養として必要なことも多々あるのではないだろうか?
被っている猫の皮を全部脱がなければ、人として理性的でいることはできるだろうと思う。
徳育を育むことは大切だし、形から入ってより人間らしくなることだって可能に思える。
精神上の話をすると、すぐに右翼だとか、更にそれを強く主張すれば極右だということにされてしまうが、果たしてそれでいいのか?
教育問題ということになると、出てきて声高に論じる人たちがいる。強制するなというが、最低限の道徳を守れるようにするのは必要に思える。
声高の彼らは、リベラルを標榜していても左翼か極左だとしか思えない時すらある。左翼の言動が咎められることは滅多にないように感じもする。中道は、今では右翼だと言われる。

権利主張を教える前に、人として守らねばならないことは何なのかということに、そろそろ真剣に向き合うべきなのではなかろうか。
千葉に、人とは思えない所業をして逮捕されたというニュースを聞いて思ったことです。
修行しないと人になれない人というのが居るのかも知れません。

2017年4月16日日曜日

油を撒かれるくらいでは済まなくなるのでは?

「〇〇政治を許さない」口を開くと、そう公言する議員というのが居る。
国民が言うのなら、国民主権だから解からなくはないが、議員が上から目線で偉そうにいうのはどうも馴染めない。
他の言い方っていうのがないのだろうか?

議員であるなら、国会の場でもっと優れた法案を提案するなり、どこがどういけないのか国民が納得できる意見を述べるなりするべきだと思うが、ただやみくも反対だとか、重箱の隅をつつくようなことしか言わないし、言ってる本人にブーメランとして返ってきてしまうようでは、何とも情けない。
本気で日本国民の為になるように働いているというより、他国の代弁者のようなことにばっかり力を注いでいるように思えてしまうことが多い。
そんなことだから、支持率なんか上がるわけがない。ましてや禁じ手ともいえるK党と共闘するなどというのでは、何を目指したいのか全くわからない。

朝鮮半島が危険性を増し、国民の生命財産を守ることを第一義にしなくてはならないのに、テロ防止法案を共謀罪だとのレッテル貼りをして、この緊急時に街頭演説に精を出しているのだとか。
有事に備えることより大事なことだとでもいうのだろうか。

テロに優しい所にテロが起こるのは国際常識となっている。
共謀罪が成立すると不都合なことでもあるのだろうか?
犯罪を共謀するなどということは、一般人には縁遠いことだと思うが・・・

スパイは沢山潜入していると聞くと、何か起こってからでなくては対応できない法のままで良いとは思えない。
神社に油を撒くテロなぞなら簡単に入出国できてしまうのだから、これがいつ毒ガスや爆発物になっても不思議ではないくらい危ういのである。

2017年4月15日土曜日

今でも放映されているというアニメ「アルプスの少女」

寝そびれたときなどに、TVで深夜放送を見ると、アニメの劇画映画を流していることがある。
映像が素晴らしくて感動してしまう。

十数年前、倅がザルツブルグに留学していた頃、友人となったハプスブルグ家の後裔である侯爵家のお宅に招かれたとき一緒にテレビを見ていたのだという。
アニメで「アルプスの少女ハイジ」が放映されていて「どうだ、オーストリアは凄いだろう。」と自慢されたので、「ちょっと待ってよ、この動画は日本で作られたものだよ。」と答えたのだという。
描写されている風景や道具や仕草、言葉もドイツ語に吹き替えされていることもあって、彼はオーストリアで作られたのだと言い張って譲らなかった。
そこで、番組が終わったときのクレジットで確認しようということになった。

時代は移り、その彼の子供世代になったが、いまでも再放送されているのだという。
そこで、それら子供たちに「これはどこで作られた動画だと思う?」と質問すると、今の子供たちは即座に「日本だよ。こういうものは、日本以外ではつくれないよ。」と答えるという。