2018年9月18日火曜日

なるほどと思う苗字もある

最近キラキラネームというのを目にするが、先ずなんと読むのかわからない。親が付けたに決まっているが、子供が将来どう思うんだろうね。

名前は兎も角として、日本には24万種とも言われる苗字があるのだという。
珍しいということもあるが、これも初めて目にした時には読めないものが多い。

四月朔日(わたぬき、つぼみ)
日本海側各地に多いという。4月1日に袷の着物から綿を抜くことから

十二月三十一日(ひづめ、ひなし)
一年最後の日であり、年末で日が詰まっているから。日詰(ひづめ)

春夏秋冬(ひととせ)
ひととせ=1年間」という意味からこの読み方になったようです。

春夏冬(あきなし)
四季のうち「秋」がないから

一(にのまえ)
「一」  は「ニ」の前の数字であることから

小鳥遊(たかなし)
鷹が居ないので鳥が遊ぶ

月見里(やまなし)
山が無いので月が良く見える

二(したなが)
漢数字で下の横棒が長いから。

九(いちじく)
「九」一字で「く」と読むことから

七五三(しめ)
昔のしめ縄は3本、5本、7本の縄をぶら下げた
なので七五三縄=しめ縄→七五三=しめ、という読み方になったそう。

一口(いもあらい)
出口が一つだと混雑してイモ洗い状態になる

十七夜、十七夜月(かのう)
十五夜の二日後の月に願いをかけるとその願いが叶うという言い伝えがあるんだそうです

一尺八寸(かまつか、かまづか、かまのえ)
「鎌の柄」の長さは「一尺八寸」くらいということからきているようです。



2018年9月17日月曜日

エビという字

敬老の日である。
昔の年よりは、大抵の人は腰が曲がっていた。だから腰が曲がった海老は、長生きに繋がるとして縁起の良い食べ物とされた。
魚介類としていろんな料理になって食されるエビ。
文字にするとき、海に居て腰が曲がっているから、蝦というより「海老」というのの方が解かりやすい。
漢字発祥の国である中国では、エビのことを「カ」と呼んだのだというから、なんで虫偏なのかは別として「蝦」と言う字も解るが、現在の中国では虫偏に下という字に略されているのだという。言っても詮なきことながら、それは略しすぎなのではないのかと思えなくもない。

漢字というのは、調べてみると面白い。
年寄りは敬った方がよいのだが、敬老なんてことは意識外になっている人が多い。
老というのは、死に近い人ということであり、神様に近づくには死なないとわからないということもあって、老人が蓄えた意識のもろもろの事柄を(ことに自分のことを)神様に宜しく伝えてもらうためもあって敬った。


2018年9月16日日曜日

優れた性能を持つと言う新鋭艦

国防上の必要に迫られて、護衛艦や潜水艦が次々に造られているようだが、艦名の付け方には一定の方式があるらしい。それにつけても、日本の護衛艦や潜水艦は、その性能が優れているのだと聞くと心強い。
新造船ができるとその艦名が必要となるが、昔の艦名の付け方は、割と解りやすい。
那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依ったのだとされる。

艦船を建造しても、「那智」は「ナチ」に通ずるとして言葉狩りに会うだろうから、自衛艦が新造されても、この名前がつくことはなさそうである。

現代の自衛艦は、世界で較べると護衛艦や潜水艦は技術や性能が他国では真似ができないレベルにあるとされている。
防衛をしなくてはならないような事態は無くて済めばそれに越したことはないが、残念ながらそうはいかなさそうな動きもあるから、国防のためには蔑ろにできない。

この先は、空母や戦艦は建造されることはないだろうが、昔の艦名の付け方は、
戦艦には、旧国名 : 大和・武蔵・長門・陸奥etc.
巡洋艦には、山の名 : 天城・比叡・霧島・榛名・妙高・那智etc.
空母には、龍・鶴・鳳 : 翔鶴・瑞鶴・飛龍・蒼龍etc.
駆逐艦には、天象・気象 : 天霧・吹雪・夕霧etc.がある。

それにより、艦名を聞くだけで、何の役割を担った艦かが判った。


2018年9月15日土曜日

「我」が出ているうちは

名人・達人と言われる人は、決して無駄な動きをしないものなのだと感じる。
それでいて、その所作は美しい。
古典とか伝統とか何百年過ぎても生き残っているものには、それだけのわけがある。
その領域に携わり修行する人たちは、その神髄を究めようと日々研鑽努力しているうちに、いつの間にか名人・達人と言われる域にたっするのだと信じている。

ただ、一定の段階には到達したのであろうと思われる人たちが、勘違いしてしまっているのではないかと思えて仕方ないものがある。
例えば楽器を演奏している人たちがよくしがちな変な身振りや顔つきである。
その本人の解釈かどうかは知らないが、それは自己満足なのか或いは自分を見せようとしているかのどちらかとしか思えないことが多い。
なぜそう思うのかというと、それらの動きが美しいと感じられないからである。
違うだろう、と感じさせられてしまうのである。
「我」を押し付けられても、共感は得られないということである。


2018年9月14日金曜日

流れには理由がある

物事の流れで判らないことがあるときは、大抵の場合、金の流れを解明すると浮かびあげって来るのだといわれる。
金・名誉・地位・権力・女が絡んで歴史は動いてきたと言われるが、かなり的を射ていると思われる。
それは殆どの場合表面に出てくることなく、歴史の背後に隠され、誰が、どのように、何をしたかは、いつの間にか闇のかなたのものとして忘れ去られるように仕組まれている。
即ち、中心になっていた黒幕というのは、無傷で利を独占できるようになっている。
いうなれば、名前がわかってしまっているような人は、まだまだ小物ということになる。

謀略的なそれらが力を得るようになったのは、産業革命後に植民地主義が世界を席巻するようになってから以後に顕著なのかも知れないが、それ以前にその萌芽はあったのかも知れない。
何故そうだったのかが明らかにされないままで、何となく学んでしまったのを真実だと思い込んでいることは多い。

たとえば、明治維新で文明開化がなされたということについても、それが成功したことの経緯については、通り一遍の知識しか与えられていない。活躍した志士たちの美化された英雄伝としてしか伝わっていないが、綺麗ごとだけでうまくいった筈はあるまい。
アヘン戦争などというとんでもない無法が罷り通っていた時代、日本はそれらをどうして避けることができたのか?
高杉晋作や坂本龍馬の活躍は知られているが、いうなれば個人である。
いかに志が高かろうとも、先立つものが無くては大きなことは成し遂げられない。
坂本龍馬が大量の武器や軍船を仕入れることができたのは、誰かが金を出していたということになる。見返りもなくそんなことをする金主はいないから、その金主は誰で何を目論んでいたかということを考察しないと、その後の歴史の流れを理解することは難しい。
日本を内乱状態にして利を得ようとした勢力があったのかも知れない。
しかし、そういうことはスルーされて、そこに触れることは無いように感じる。
というのも、竜馬が手に入れた武器や軍船の提供を条件にしなくて薩長連合はできなかったのではなかろうか?と考えた方が自然だからである。悪い言い方をすれば、竜馬を手駒として使った者が居るということになる。
彼が暗殺された犯人はわからないとされるのも、背後に隠したいものがあったということになりそうである。

2018年9月13日木曜日

日本だけが悪者だった?

こういうことを言うとすぐに右翼だなんだと決めつけられるが、そんなことは決してない。
単純に不思議だと思うことを何故なのだろうと言っているに過ぎない。

大東亜戦争に敗れた結果、自分の国の歴史、特に近代史を「なんとなく」しかわからない状況になってしまった。歴史の授業時間は誰もが感じている通り、江戸時代までで終わり、後は時間切れというのが通り相場である。何故かそこから後は触れたくないとしているとしか思えない。
しかも「侵略戦争をした」とだけを徹底的に教え込まれ、後ろめたい気持ちだけを刷り込まれている。だから故ないことであっても外国から謝罪を要求され続けられても毅然とした対応が取れず、何度も何度も謝罪してしまう破目に陥っている。
日本人の中にもそれに加担しているのか、日本悪者説を唱える人が居て、疑問に思うことすら頭から封じ込めようとし、近代史はタブー化されているかのようだから闇は深まる。
日本政府や高官が戦後、公式に謝罪に触れたのは45回。非公式ならそれ以上であろう。
「あの太平洋戦争はなぜ起きたのか?」原因も理由もなく起こり得たことでは決してあるまい。
こんな重大事であるにも拘わらず、口にすることすら憚られるのは何故なのだろう?
先人たちがどうしてあんなに血を流したのか?何のために戦ったのか?どうしてあんな戦い方が国が滅びる寸前までできたのか?
それに対する答が出ないままにいる。
苦し紛れかどうか知らないが、一般的には軍部の一部が暴走して、侵略行動を激化させていったということになっているが、これはマッカーサーの影響下にあった東京裁判の考え方によるものではないのか?
その理由だけでは、誇り高かった国民の責任逃れのためのようにしか思えない。
戦争に勝った側のアコギさを覆い隠す必要がなかったとは言い切れまい。
軍部の一部の暴走だけで、そんな戦争を維持しつづけることなぞできまい。国民の合意があったと考えるのが普通の考え方であり、軍部のみに責任を押し付けるのは、戦争の継続が国民の苦しい選択であったのに何故それに耐えたのかというところから目を逸らせるための理由付けのようにさえ思える。
資源もない日本が、国力と国民の命を犠牲にしてまであれだけ大きな戦争をしたのは、ただの一部の人間の利己的な侵略のためだったのだろうか?そんな筈はあるまい。

明治維新の前はといえば、天下泰平の江戸時代が260年も続いていた。明治維新を経て、終戦に至るまで約70年、決して豊かな国ではないのに、多額の借金を背負いながら多くの犠牲者を出して、人が変わったように戦争に走ったのはなぜだったのか?
明治以降に日本人が作り上げた教育勅語や数々の書物をマッカーサーがあそこまで徹底的に葬り去ったのは、そこには何か日本を封じ込めたいとする知られたくない秘密でもあったのだろうか?
その結果、日本が数多くの戦争に走った起源である明治時代と、それまでに2600年に渡り営々と築いてきた日本の文化や精神的支柱を含む多くの歴史が破壊されてしまったやに見える。
戦後の僅かな期間ともいえるこの空白には、一体何があったのか。
何をどのようにすれば、このような短期間で歴史を継続して捉えられなくすることができるのだろう。失われた美徳が多すぎるように思えてならない。


2018年9月12日水曜日

寺にまつわる妖怪伝説

日本には妖怪伝説というのが数多く伝わっている。
神社仏閣に関連していることが多いが、物には全て仏性や神性があるとすることに結びついているようである。

その中に、蟹坊主(かにぼうず)というのがある。日本各地の寺院などに伝えられていると言う蟹の妖怪で、寺に住み着き問答を仕掛け住職を追い出してしまう。新たに招かれた僧も、現れた妖怪との問答に負けて追い出されたり行方不明になってしまったという伝説である。。
山梨県の長源寺のものが有名である。
住職が居なくなって荒れ果ててしまった長源寺の話を聞いた旅の僧が、村人たちが危険だからと止めるのを押し切って寺に泊った。
深夜になると身の丈3メートルもある僧が現れ、「両足八足、横行自在にして眼、天を差す時如何」と問うた。
たちどころに正体を見破った旅の僧が「お前はカニだろう」と言ったところ、4畳ほどもある大きな蟹が姿を現したので、独鈷を投げつけると、それは蟹の甲羅に深々と突き刺さった。
砕けた甲羅から血を流しながら逃げ去った蟹を夜が明けてから追ってみると、山奥の沢で息絶えていて、甲羅にあいた穴から煙が立ち上り、そこに千手観音が浮かんでいたのだという。
爾来、千手観音をご本尊として寺に祀った。