2019年3月24日日曜日

先行きが不透明なのに消費税は上げても大丈夫なのか


景気はどうやら下向きなのではないのかとの危惧が囁かれ、米中貿易の問題もあれば、ブレグジットの決着もはっきりしない。韓国経済も全く見通しがつかない状態だとなれば、日本への悪影響がないとは言い切れない。
これで消費税の増税をしたら、せっかくデフレから脱却できそうになってきつつあった日本経済は一体どうなってしまうのだろう?

しかし、マスコミは一切それに触れない。
それはそうだろう。マスコミだけは消費税が8パーセントに据え置かれるということになっているから、痛くも痒くもないということなのだろう。
普段は正義の味方・弱者の味方よろしく、口を極めて政策の不備をを叩きまくるのに、消費税については、そんな気配は全く見せない。木鐸たらんとする気概を持ったマスコミ人はまず見なくなってしまった。
イデオロギーに毒され、偏向報道にまっしぐらになっているうちに、目が曇ってしまったのだろうか?本当に消費税をあげても大丈夫なのだろうか?

2019年3月23日土曜日

4千年の歴史というけれど


中国4千年の歴史というが、中国の王朝は度々変わっており、いずれも易姓革命であったから、
王朝が変わるたびに前王朝は否定された。
隣の根拠もなしに5000年の歴史を主張する国と違い、資料も遺物もしっかり残っているが、このように同じ歴史を繰り返す国土というのも珍しいと思える。
領土を広げ、近隣他民族を巻き込んでの支配に無理がありすぎるのかも知れない。

ざっと辿るだけでも、
 夏・商・周・ 秦・漢・(三国時代)・ 3 晋・(十六国・南北朝時代)・ 隋・唐・(五代十国時代)・  宋・遼・夏・金・ 元・ 明・ 後金・清・ 中華民国・ 中華人民共和国.となる。

いずれの国も最初の内は栄えたが、圧政に苦しむ農民の暴動により滅びた。
その殆どに宗教が絡んでいるという。苦しみを逃れるために宗教に縋ったのだろうけれど、それだけでは救いにならなかった。
秦・・・陳勝呉広の乱  新・・・赤眉の乱  後漢・・・黄巾の乱
唐・・・王仙芝の乱・黄巣の乱  宋・・・方臘の乱  元・・・紅巾の乱
明・・・李自成の乱  清・・・白蓮教徒の乱・太平天国の乱・義和団事件
現在の中国は、米中貿易戦争だけが大きく取り上げられているが、国内に目を向けてみると、
多民族への人権弾圧が酷いのだといわれているし、何よりも発展を遂げてくる間に生じた貧富の差が異常になってしまった。報道されないだけのことで、民衆の不満は鬱積しており、実は多くの暴動が各地で巻き起こっているのだという。
一党独裁の強権で抑え込むことができれば良いが、それが内乱や内戦にまでなったら大変なことになる。世界を見渡してみると、独裁国家はそれに苦慮している。
隣国でもあり、穏やかであってほしいと願うが、我々も、国際情勢という事に疎かであってはなるまい。

2019年3月22日金曜日

捏造歴史では通用しなくなってきた

ちょっと長いけれど、読んで頂けると、知らなかったことが判るようになるかも知れません。
学校で教えられた歴史とはかなり違う。

日本のように、遺跡や古文書が数多く残っていて、科学的にも学術的にも証拠立てた考古学的検証を基に確固たる歴史を持つ国に対し、韓国の学者が、日本は朝鮮が支配していたなどと、お花畑のような事実確認もままならない歴史を捏造し(資料がないので胡麻化し放題)主張しているのだという妄想に惑わされる必要は全くない。事実を検証できないで学者とは、笑止千万である。妄想は妄想でしかないということさえ分からないのでは、何ともなるまい。
彼らがその根拠としているのは、日本に朝鮮の地名が残っているからだとしているが、そんなのは当たり前である。朝鮮から日本に逃れて来た者たちが身を寄せ合って住んでいたからである。

面倒だとは思ったが、ざっと朝鮮の歴史を攫ってみた。捏造歴史を使って日本を貶めることに励んでいるより、事実を追求することが先ではないのか?
無知で、感情が納得すればそれで満足するような国民を増やしてどうするのか。
こんなくらいの歴史を調べることなら、韓国の学者にだって簡単にできそうなものだと思う。

朝鮮半島は、日本の縄文時代の頃は無人の地であったことは、地質学や気候学から見て明白なのだとされている。5000年の歴史なぞあるわけがない。
韓半島の南部には、日本に16000年前から住んでいた縄文人が渡って行って国を開いたのであり、中国の古文書にも、半島の南は倭の領土であったと明確に書かれている。
事実、日本特有の古墳が数多く起こされていることを見ても、彼らには反論できまい。

朝鮮が上から目線で、日本に文化を教えてやったのだなどと言い募っているが、日本に持ち込まれたそれらは、日本への「朝貢」関係上、献上されたものだと考えた方が説明がつく。
それ位、力関係に差があったとみる方が、説得力をもっているのである。

中国の『隋書』にも、「新羅・百済は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、ならびにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。」という記述があり、朝貢関係があったことをうかがわせる。

広開土王碑も倭については「百殘■■新羅を破り以って臣民と為すと記しており、この「百殘」を百済と見なし、辛卯年(391年)に倭に服属していたとする見解もある。
(wikiより抜粋)

当時の中国と日本の歴史書に
【百済は日本の属国】と有るのだから、日本の統治下にあったのだろう。
更にいえば、百済には、日本人自体も沢山住んでいたのだとされている。
建国前より一定数の倭人が居住(多民族国家)し、その後も日本列島や任那から倭人が百済に渡来・帰化している。後期に至るほど支配階級にも多くの倭人が登場する。

百済滅亡により、百済王と王族・貴族を含む一部の百済人が倭国に亡命し、一部が朝廷に仕えた。
(wikiより抜粋)

高麗は、918年に王建(太祖)が建国し、936年に朝鮮半島を統一して、1392年まで続いた統一王朝である。都は開城。その王建は、中国人である。
元来「高麗」は高句麗の後期における正式な国号であり、当時の日本や中国でも高句麗を「高麗」と称していたため、現代中国では区別のため王氏高麗と呼ぶ。
西洋諸国の言語において朝鮮を表す「Korea」、「Coree」などの語源ともなった。

古朝鮮とは、一般的に前漢武帝に侵攻を受ける以前の朝鮮をそう呼ぶ。

 まず、檀君朝鮮であるが、これは説話に出てくるだけのことで、ほとんど神話のようなお話であり、実在したかどうかはかなり怪しい。
檀君という神話上の人物が平壌城で建国したと韓国では教育され、この檀君が即位した年は、
BC2333年といわれていますが伝説の人物・国であるというとらえ方が、世界では一般的。。

 次に登場するのが箕子(きし)朝鮮。この王朝に関しても、まだ実在の確認はされていませんが「史記」や「漢書」によれば、中国の殷の移民が建国したということになっています。(?~紀元前194年)これもまた、中国人である。
当時の半島には野蛮人しかいなかったから、いとも簡単に建国できたのだといわれている。

 そして、いよいよお待ちかね、実在が確認されている
衛氏(えいし)朝鮮が登場します。(紀元前195年ごろ~紀元前108年)

 衛氏朝鮮は、中国の燕の出身、衛満(えいまん)によって建国された。しかし、この衛氏朝鮮も紀元前108年には、前漢の武帝(ぶてい)によって滅ぼされ、朝鮮半島の大部分は中国王朝の支配下に入ることになります。
紀元前108年に衛氏朝鮮が魏に滅ぼされると、朝鮮半島の大部分は長きに渡る中国勢力からの支配を受けることになります。前漢→後漢→魏→晋へと。

 そんな中、北から朝鮮半島へと勢力拡大を狙う国がありました。
 中国東北地方から出たツングース系貊族が建てた「
高句麗」です。
満州族(女真族)だということになると、これもまた他民族ということになる。

 この高句麗により313年、中国勢力の拠点であった楽浪郡が滅ぼされた。この頃は、中国の晋が滅亡する前後のことであった。さらに、帯方郡も滅ぼされ(高句麗によって滅ぼされたとする書と朝鮮の土着の勢力によって併合されたとする書がある)、これにより朝鮮半島から中国勢力が駆逐されることになった。

中国勢力を追い出した高句麗は、どんどん南へと勢力拡大を狙うに至った。この頃の朝鮮半島南部は小さな国々が集まり、馬韓(ばかん)、辰韓(しんかん)、弁韓(べんかん)といういわゆる三韓が小国国家郡をつくっていたが、高句麗の脅威もあり統一の機運が高まった。
 そして、馬韓が統一され建てられた国家が百済に、辰韓が統一されてできた国が新羅となった。ちなみに、弁韓の地は統合がうまく進まず、加羅諸国となったが、後に百済、新羅に統合された。

 これで、高句麗も簡単には朝鮮統一とはいかなくなった。朝鮮史上に残る「三国時代」の始まりである。漢江を境にして人種が異なる。北は満州人であり、南は韓人である。この漢江を越えて侵攻することは、双方にとって難しかった。
ちなみに、日本人と韓国人は違うのだという事は、DNAの解析により科学的に判っている。

三韓と呼ばれる地に住んでいたのは韓人。今の全羅南道と呼ばれている地域。韓国人は自分の思い通りにいかないとすぐに「差別ニダ」というが、その韓国人自身が、全羅南道出身者を差別していることは余りにも有名である。
それでも、4世紀後半、高句麗は中国の東北地方から朝鮮半島の北の大半を領土とし全盛期を迎えはした。
 しかし、これは中国にとってはやっかいであることに変わりはない。これ以上、高句麗には力をつけて欲しくはない。6世紀後半から7世紀前半に高句麗は、中国(隋・ずい)から再三に渡って攻撃を受けることになるのだが、この頃の高句麗は存外つよく、その攻撃を全て跳ね返した。

 その頃、南で着実に勢力を伸ばしている国があった。新羅である。新羅は、地図を見ればわかるように朝鮮半島の東側だから中国からは遠い。
ということは、中国にとって新羅は直接の脅威ではなかったわけである。新羅は、中国との良好な関係を保ちながら、百済、高句麗の領土を削っていった。
 この新羅の勢力拡大に脅威を抱いた高句麗は、百済と同盟を結ぶことになった。6世紀後半のことである。

 その頃、中国でも大きな動きが起こった。隋が滅び、かわり唐が中国を支配するようになった。この唐と新羅は同盟を結ぶことになる。660年のことである。
 唐と手を組んだ新羅は、さっそく連合軍を率いて百済を滅亡(6608月)させた。
この戦いは、日本も大きく関わっていた。白村江の戦いである。日本は百済を助ける為に大軍を送り込んだが、残念ながら敗退し、以後、半島からは手を引いた。日本は良い決断をした。この半島に関わっていると、ろくなことがない。

中国の後ろ盾を得て、
668年に新羅は高句麗も滅ぼした。
しかし、この新羅が今度は唐にとっては目障りになることは、最初からわかっていることなのに、そんな基礎的な読みもできなかったというのが愚かといえば愚かだった。
共に戦った新羅と唐が、670年には戦争状態になり6年続きますが、676年に平壌に設置されていた唐の安東都護府(あんとうとごふ)が遼陽(りょうよう)まで撤退すると、新羅による朝鮮半島の統一が達成された。当時の国王は文武王(ぶんぶほう)。
676年に新羅によって朝鮮半島初の統一がなされたが、8世紀末から9世紀まで王位継承の争いが起こり、地方でも農民が反乱を起したり、飢饉に見舞われたりと新羅は国力を失って、後三国時代といわれる時代になる。
この争いを制したのは高麗。高麗は935年に新羅を併合すると、936年には後百済を滅ぼし朝鮮半島を統一しました。

 高麗の建国者は
王建(わんごん)。首都は開城(かいじょう)。この王建も、クーデターによって国を建てたのである。
当時、高麗は青磁(せいじ)という陶磁器を輸出し世界に名を知られたが、この高麗王朝も、家臣であった武将・李成桂の裏切りにより滅びた。
 李成桂は、1392年に自ら高麗の王に即位し、国号を「朝鮮」としたのだというが、国号については中国にお伺いを立てた結果、与えられたものだともいわれている。意味は、朝=貢物・鮮=少ない、要するに貢物が少ない国だとして見くびられてのことであったという。
以後、数百年にわたり属国の時代が続いた。
日本が日清戦争に勝ったことで独立できたのだが、それを祝って作られた「独立門」を、いまの韓国人は日本からの独立を記念して建てられたものだと信じているという愚かさである。
もう一つ、彼らが目を背けて見ないようにしているものに恥辱碑というのがある。
中国が明から清に変わるとき、なにを思いあがったのか朝鮮は清に対し敵対的な行動をした。
怒った清が朝鮮に攻め入ったのであるが、朝鮮王は逃げ回るばかりで、ほんの数日で降伏しざるをえなかった。
宦官の掛け声に従って地面に這いつくばり、許しを乞うための三跪九叩等という屈辱的な礼をとらされた。
その屈辱を忘れないために朝鮮が記念碑を建てたというのなら解らなくもないが、「この恥辱を忘れるな」ということで、清に命令されて建てた碑なのである。
恨みを忘れないというのが韓民族だというなら、これを忘れて中国に擦り寄るような姿勢をとる今の韓国人をどう理解したらよいというのか?
恨みというのもご都合主義だということなのか?

ちなみに、朝鮮という呼び名は、以前にも「箕子朝鮮・きしちょうせん」や「衛氏朝鮮・えいしちょうせん」という呼び名があるため、日本では、これらと分けるために李朝朝鮮または李氏朝鮮と呼ぶ。
韓国は、自力で戦って独立しようとしたことはなく、日本が日清戦争を戦ったことで折角中国からの独立できたのに、その後も、ロシアからの南攻に立ち向かって国を守るという気概を持つことができなかった。
いつも強国の後ろについて戦うことしかしなかったから、自分たちが前面に立つ勇気が育っていなかったのが情けない。せめて日本と同盟を結んででも国を守ろうとする姿勢を見せていたら、併合なぞされなかったであろうに。
やむなく、日本は国防のために、日本の国力に数倍するロシアと、国の存亡をかけて戦わざるを得なかったのだが、韓国と同盟を結んでいたら、彼らは足手まといにしかならなかっただろうから、それでよかった。歴史が示す通りということになる。

2019年3月21日木曜日

思想信条は自由だが


個人の感想であるならば、それがその時々に出てくるものを否定するつもりは全くない。
しかし、いついかなる時であっても、口を開けば反日を生きがいのように主張する人を見ると、なんとも言えない違和感を覚えてしまう。
まず真っ先に口にするのが、国旗と国歌に反対することである。
なぜか?と聞いてみると、それの下で戦争したからだという。
馬鹿を言ってはいけません。世界中で戦争をしなかった国は無い。そんなことを理由にするのなら、世界中から国旗と国歌はなくなる。

日本人が日本の悪口を言いまくってどうなる。それによってどうしようとしているかも全く判らない。どっかの国のために働いているということなのか?
日本人に見えて日本人ではない人というなら解らなくもないが、どうも日本人であることは間違いなさそうなのであるから、不思議なのである。
日本以外にも、自国の悪口を言い募ってやまない人が居る国というのはあるのだろうか?

日本の場合では、どうも左寄りの考えに凝り固まった人たちに、それが多いように見える。
しかしながら共産主義が成功した例は、世界中を見渡してもどこにもあるまい。
思想・宗教・信条は自由であるから、それを咎めることはされないでいるが、本当に彼らは心底日本を非難しなければならない国だと信じているのだろうか?

太平洋戦争は、冷静になって判断してみると、侵略戦争というよりは国の安全保障上の戦いであったのだと日本人は口にできないでいるが、敵国であった米国の司令官までが議会で証言しているのは良く知られた事実である。同様なことを言っている外国人も多い。
断っておくが、だからと言って、戦争を肯定するという話にしようとするのでは全くない。

1940年代までの世界は、白人による有色人種国に対する植民化戦略が、世界を席巻していた時代である。
それが常態であり、誰もそれを制止することはできなかった。
植民地がいかようなものであったか知りもしないでものを言ってはならない。
植民地では、慰安婦どころの騒ぎでなく、原住民女性は犯しても全く問題にならなかった。
被植民地の子供は教育を受ける機会なぞ皆無に等しく、それどころか優秀な子が育ちそうになると、その子の手首を切り落とすのが躊躇いもなくなされていたのである。
ひとり日本だけが、有色人種でありながら独立を維持していたが、石油を止められ鉄を止められ、その他あらゆる資源の輸入ができなくなったら、独立を保てなくなり植民地化される。
その頃の日本人は、植民地がいかに悲惨なものであるかは嫌というほど知っていた。だから、国運を賭けて強国相手でも戦ったのである。

大東亜戦争はいざ戦ってみると、黄色い猿と見くびっていたにもかかわらず、日本軍は想像以上に強かった。アメリカには開戦時に予想した通り負けたが、その他の白人国相手には1敗もしていない。
戦後、日本の脅威を削ぐための政略は徹底的に敷かれたが、それでも、日本人の誇りと志の高さと勤勉さは、押さえつけることができなかったのである。

一国を支配するには軍事力もさることながら、教育現場とマスコミを支配してしまうのが手っ取り早い。当然彼らはそうした。
全て日本が悪うございましたということにして立ち上がる気概を失わせ、弱体化させることは、共産主義革命を狙う者たちにとっては都合が良い。
余り知らされていないだけのことで、日本にもいたが米国から進駐してきた官吏の中にもそういう人たちは居た。
米軍が残っていなかったら、日本が共産主義国になっていた可能性だってあった。

戦後数十年が経ったが、世界の情勢が平和裏に落ち着いているわけでないことは誰もが承知しているところである。それでも、日本が自衛上の抑止力を持とうとすると躍起になって反対する。
何処の国の代弁者化と思われる主張の根底にあるのは、これから泥棒に入ろうと狙っている家に鍵を付けるのは怪しからんというのとさして変わらない。
日本の為を思っての主張であれば、もっと説得力がある筈。戦争反対を旗印にすれば誰も表立って反論できないからそれを使うが、国防をどうするかについては一切触れないのでは無責任すぎる。
それでも憲法の改正に向かうのは、何としても阻止したい。

いまにして思えば、森友・加計学園の報道にも怪しい所が多すぎた。
報道というのは裏どりで事実確認が必要なのにそれをしなかったものが多いし、一部分だけを殊更抜き出して、都合の良い見出しとして使ったことも事実であろう。
国会の審議を何か月も滞らせたのにも、何らかの思惑に沿った報道姿勢に偏りがあったからだと思えてならない。
報道というのは本来、事実をそのまま伝えるのであって、そこに自分の思惑を差し挟むことがあってはなるまい。それが許されるのは、旗幟を鮮明にしている赤旗くらいのものであろう。

ネットの情報が全て正しいとまでは言わないが、昔と違って事実を歪曲して報道してもすぐバレル。それで国民の信頼を失い、かつては600万分以上の発行部数を誇ったA新聞が、今は400万部くらいまでに激減しているのだという。
もう、事実を曲げて報道しても、国民がミスリードされるような時代ではなくなった。

2019年3月20日水曜日

いつまでもパクラレルままではいられない


2018平昌オリンピックの時、日本の女子カーリング選手たちが「もぐもぐタイム」に韓国産の苺を美味しいと言って食べていた笑顔が忘れられない。
しかし、その苺というのが、日本からパクッタものなのだと聞いて厭な気分になった。
植物の改良には、長い地道な努力が必要なのである。
苺に限らず果物類の苗や種の多くが、易々と韓国に持ち込まれているのだという。
鉱工業技術も同様である。日本は古来より職人の国で、それに伴う技術を積み重ねて持つ国である。民族的特性として、努力と創意工夫に優れた国であるから、丁寧に技術を洗練させ革新的な製品を生み出すことに長じている。
しかし、その努力の結果である製造業も、中国や韓国にいとも簡単に抜き取られて、いつの間にか後塵を拝すような事態に陥っている分野まで出てきたとなると、そうそう黙ってばかりはいられない。
様々な分野があるが、日本の技術がありとあらゆる方法で「盗まれている」というのが段々に判ってきている。まさに、根こそぎ盗まれているのである。
中国や韓国は、独自技術を地道に研究をし、そこから開発してきたのではなく、日本の技術を「盗んで」のし上がってきた側面がある。基本的に、日本から重要技術を盗む技術を磨くことで、楽をして追いついてきたのである。

日本製品には、信頼されるブランドがある。こういった信頼はすぐに構築できるものではない。しかし、そのブランドを盗んだり、一部分だけを変えてあとは同じにして紛らわしいものを市場に出したりすることでブランドを横取りすれば、労せずして売れる商品が作れる。
中国や韓国は往々にして製品を丸ごと真似して、日本製かち勘違いしてしまうようなパクリ製品や、ブランドを偽装した偽商品を恥もなく流通させる国である。
中国では、不正な商標の無断登録も横行しているのはよく知られている。「有田焼」「無印良品」「讃岐うどん」等は、すべて中国にそのまま商標登録されて乗っ取られていた。
韓国のサムソンも、昔は「三星(みつぼし)」と称していたが、これは「三菱」のパクリだったことを知る人は多い。
かつては、ロゴまで三菱にそっくりだったというが、元々、このサムスンと言う企業はパクリで成り立っている。半導体の技術は日本からパクリ、スマートフォンはすべてアップルからのパクリだ。
次の汚い手口というのは、日本の技術力を持った企業のトップや、社員をそのままカネで釣って技術を吸収してしまうというのがある。
残念ながら日本では技術者が冷遇されており、給料も低く、肩書きも用意されていないことさえある。だから、技術者は中国や韓国の企業から狙い撃ちされやすい。
そこに付け込んでカネと女で彼らは買収され、そのまま技術を横流しする。罪悪感はあるのだろうが、罠が巧妙だから逃れきれない。
ハニートラップに引っかかっているのは、日本の政治家だけではない。技術を持った企業は、上から下までみんな狙われているのだと言われている。
ヘッドハンティングというのもある。
一時期安い労働力を目当てにして中国に進出しようとした会社が多かった。
しかし、いつのまにか合弁企業や企業提携という形に姿を変えてしまった会社も多い。
中国・韓国の企業は「技術を盗む」という国策的な意図の元で、合弁企業の設立や企業提携を持ちかけてくる。
そこに日本企業は、自国のノウハウをすべて工場に投入する。装置、工場のマネージング、時間管理、社員教育。すべて開示して工場を運営する。
そして、合弁企業はそれを吸収し、すべて吸収したと判断した時点で、労働争議を起こしたり、反日運動を起こしたりして、日本企業を追い出して、ノウハウを丸ごと奪う。
日本人は、最初から「奪われる」「盗まれる」とは思っていないので、追い出されることになっても、たまたま組合運動が激化したとか、たまたま反日運動が起きたと思い込ませるのだからタチが悪い。最初から仕組まれているのである。
最近米中貿易戦争で話題に上がる、ハッキングして盗む、という手口もある。
だからハーウェイなどが用心されることになる。
現在、アメリカ企業が次々と中国からハッキングを受けていることを報告している。
アメリカのセキュリティー企業であるマンディアント社は2013年2月19日、ここ数年来でアメリカの主要企業141社を攻撃してハッキング行為を行っている集団の背後には中国軍がいるというリポートを発表した。
「中国共産党が人民解放軍に世界中の機関に対してサイバー上で組織的なスパイ活動を行い、データを盗み出す任務を課していることを示唆している」
中国は、国ぐるみで企業のイントラ内に潜り込み、情報を盗もうとしているのである。もちろん、中国は大反論しており、中国こそがハッキングの被害者で、そのハッキングのほとんどはアメリカから来ていると主張している。
しかし、よくよく考えて見ると、日本が攻撃されていないわけがない。
日本は攻撃されてハッキングされて漏洩し続けているのである。三菱や、IHIのような国防に関わる企業がハッキングされて甚大な被害を出しているのは2011年に報告された。
アメリカの国防省でさえ狙われて防衛に必死になっているのだが、日本企業の多くには全くそのような危機感がない。日本政府でさえ、無防備のままなのではないのか?
日本にはスパイ防止法すらもなく、中韓に機密情報を垂れ流しにしている人間たちを処罰する法律もない。また、機密情報を守ると言う意識も日本人は非常に薄い。
私たちは、あまりにも「お人好し」すぎる。情報戦になったらとてものこと太刀打ちできない。今のうちに何とかしなければ手遅れになる。

2019年3月19日火曜日

感動的なお辞儀

日本には、お辞儀の作法というのがある。流派もいろいろあるが、少なくとも手を腹部前で交差し肘を張るのはないように思う。それをすると、隣国の人と間違われる。
挨拶の仕方で人を見られていることもあるから、気を付けるようにしている。
礼儀作法は「敬意を表す動作」としてなされるが、心だけでは伝わらないので、やはり美しい型が重要となる。威儀を正した姿の中から、相手をおもんばかる気持ちが溢れ出てこそ、周りの人の心を打つ。
たとえば立ってお辞儀をする作法(立礼)には、草礼(そうれい)、行礼(ぎょうれい)、真礼(しんれい)の3つの礼があります。
「草礼」は会釈など軽いご挨拶のときに、上体を15度くらいに傾け、手は自然に前側に下げて膝につける。視線は相手の顔を見る。
「行礼」は葬儀や神社の参拝でも見かける普通のお辞儀。上体を傾け、女性の場合は手を自然に前側に下げて膝上で静止させる。視線は1mほど先を見ます。
「真礼」は心を尽くしてのお礼や、お詫びをするときにされる。
上体を深く傾け、手は指先をきちんとそろえて膝上で静止させる。視線は真下へともっていきます。このとき視線が足に向かうと、首が曲がり不格好になってしまうので要注意。
どのお辞儀も共通して、肘をはることなく、指を離さず、背筋をのばすことを心がけたいものです。
日本のお辞儀も美しいが、ダイアナ妃が皇后陛下にした拝跪礼が見事であった記憶がある。

並び称されているのが、三笠宮彬子女王殿下がトルコでなされた敬礼。トルコが絶賛しているという。


いずれにしても、挨拶はその国の文化に根差し、美しい所作として凝縮したものであることに違いはない。
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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

小説は、ここからお読みください。


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。

八つ当たりに事欠いて


日帝残滓の排除だというのだが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、併合時に禿山の回復のために植樹した樹木まで伐り倒すのだという。
そんなことを言うのであれば、真っ先にソウル大学を何とかしたらどうなのか?

確かに、法的には、日本が創設した京城帝国大学との連続性はないということにしているが、
日本が韓国の教育を大事だとして開校した京城帝国大学が、ソウル大学の前身であることは紛れもない事実であろう。
1924年(大正13年)に日本が創設した京城帝国大学は、戦後の1945年10月17日に京城大学と改称されたが、米軍法令102号により1946年8月22日に閉鎖された。
1946年10月15日、当時のアメリカ軍政庁の指示・指導のもと、9つの専門学校(京城医学専門学校、京城法学専門学校、京城歯科医学専門学校、京城工業専門学校、京城鉱山専門学校、水原農林専門学校、京城経済専門学校、京城師範学校、京城女子師範学校)を統合して一つの国立大学を開設しようとする「国立ソウル大学校案」(国大案)によって開設された。
初代学長はアメリカ人のハリー・アンステッド。韓国人の学長は1947年に就任した李春昊が最初。1950年9月に京城薬学専門学校がソウル大学校へ移管され、ソウル大学校薬学大学となった。
朝鮮戦争のときは、一時釜山に避難していたことがある。
法的には旧京城帝大とソウル大学校との連続性はないため、ソウル大学校の公式見解では京城帝大を起源とはしていない。
しかし、理事会や一部の施設等は旧京城帝大関連のものを流用しており、学部によっては日本統治時代の学校を前身としているところもある。
同窓会組織においても、旧京城帝大卒業者は正会員として認められており、また日本の旧帝国大学の卒業生団体「学士会」は京城帝大の学士号および博士号、修士号の取得者に入会資格を与えている。
どう見たって、日帝残滓ではないか。その他にも、日本が造ったものは頑丈だから、いまだに有効利用している構造物は沢山残っていると思うが、それらはどうするのか?