防衛大臣が靖国神社に参拝したというので、またまたマスコミが大騒ぎしている。
かくいう私は、右翼でも何でもない普通の日本人だが、不思議でならないことである。
靖国を参拝すると、何故大騒ぎになるのだろう?
靖国はいつ通っても、静かな参拝客がいるだけで、戦争を煽るような雰囲気の場所ではない。
反対する国というのは、実際に神社の雰囲気を見たことがあるのだろうか。
「A級戦犯合祀の問題から首相や閣僚の公式参拝には問題があると一般的には言われているが、そうなのだろうか?
日本に沢山居る左巻きお花畑の批判に左右されているようにも感じる。
政府の要人が「靖国参拝する」と言えば、ここぞとばかり反日マスコミが叩きますが、何が問題なのか・・
何がそんなに悪いというのか、具体的に聞いたことは無いように思う。
マスコミに、日本の立場や主張に理解を求める論調があっても良さそうに思う。
参拝が悪いというなら、外国要人・外交官・駐在武官・軍隊関係者が靖国参拝してるのは、どう考えるのか?調べれば参拝者とその年度はすぐに出てくる。
S21年 1月 満州国 王充郷駐日大使
S21年 3月 アメリカ ロバート・G・ガード(GHQ関係者)
S31年 4月 中華民国 張道藩立法院院長
S34年 3月 トルコ エデム・メンデレス国防大臣・副首相
S35年 4月 ビルマ ウ・ヌー前首相
S36年12月 アルゼンチン フロンデシ大統領夫妻
S38年 6月 タイ プミポン国王夫妻
S40年 3月 西ドイツ ハーバード・デビットマン大使、練習艦隊仕官候補生
S40年 9月 ベトナム クエンドウイ・クワン大使
S41年 2月 ペルー ホセカルロス・フェイレイドス大使
S47年 8月 オーストラリア アルフ・サイモン第39大隊隊員一行
S48年 9月 トンガ ツポトア皇太子一行
S55年11月 チベット ダライ・ラマ14世
S57年11月 エジプト モハメッド・サミー・オーエイダ前世界イスラム審議会事務総長
S60年6月 エジプト モハメッド・サミー・サーベット公子
S63年8月 パキスタン ブリカディー・ムハマド.ネイブ・テナ大使館武官
H元年6月 アメリカ スティーブン・H・ハウエル横須賀基地司令官海軍大佐
H2年 1月 ソ連(ロシア) エリツィン人民代議員(社頭参拝)
H4年 3月 スリランカ C・マエンドラン大使
H4年 7月 フィンランド カリ・ベリホルム大使
H6年 6月 イギリス M・スミス大使館武官
H7年 6月 アメリカ ジェイムス・B・ケイン大東亜戦争参戦元パイロット
H8年 8月 イラン M・シャッケリ1等書記官
H8年 8月 スベロニア ダニ-ロ・チュルク国連大使
H8年11月 旧朝鮮 李玖旧朝鮮王朝王子(朝鮮王朝李垠皇太子と李方子皇太子妃との第2王子)
H9年 4月 トルコ、ルーマニア、インド、マレーシア、イスラエル、ロシア、タイほかの駐在武官
H10年4月 トルコ、ルーマニア、インド、イスラエル、ロシア、ブラジル、ポーランド、スイスほかの駐在武官
H11年4月 トルコ、ルーマニア、インド、タイ、イラン、、ロシア、ブラジル、マレーシアほかの駐在武官
H12年4月 台湾 高砂族元義勇兵・遺族
H14年3月 大韓民国 大使館付武官 柳海軍大佐、除陸軍大佐
H14年4月 ペルー アルベルト・フジモリ前ペルー大統領
H14年8月 アメリカ キャサリン・ビリングス前アリゾナ記念館館長
H15年2月 南アフリカ アッパ・オマール前広報庁次官
H15年4月 スイス ハンズ・R・マイヤ大使館武官
リトアニア共和国首相、在日米軍横田基地将校会‥各国指導者の参拝は、スリランカ・タイ・インド・ドイツ・スイス・フィンランド・ポーランド・ルーマニア・スロベニア・ロシア・エジプト・イスラエル・トルコ・アメリカ・チリ・ブラジル・オーストラリア・パラオ・ソロモン諸島‥
「問題がある」としたら、誰か抗議したとでもいうのだろうか?
問題にしているのは特ア3国だけであり、韓国・北朝鮮は何をもって抗議するというのだろう?
それも、戦後しばらくは、総理大臣が参拝しても何とも言っていなかったのに・・・
左翼活動に行き詰った朝日新聞のK記者がわざわざ記事にして中国にチクリ、それが外交カードとして使えそうだということから、揉めるようになったのではないのか?
日本国内で騒ぐ人がいるのなら、「批判した方が得らしい」ということになったのだと思えてならない。
やたらA級戦犯って言う議員やマスコミ、自称評論家が沢山いる。
A級戦犯⇒戦争の原因を作った犯罪者 のつもりのようであり、甚だしきは永久戦犯などと、未来永劫許されない犯罪者なのだと、勘違いしている人たちを放置したりする。
国内的には、既に法的に解決しているのではなかったのか?
決まったことを無視したり蒸し返すのは、法治国家としては如何なものなのだろう。
いつまで、特定国の言うことを聞き続けなくてはならないというのだろうか?
独立回復後、日本は国会の決議により、
A級戦犯を含むすべての戦犯の死を 「法務死」とし、遺族への年金や恩給を支払うことにした。
遺族の救済や名誉の回復を行なうことを決めたのである。*昭和27年4月
まだ服役しなければならない1224名の「戦犯」に対して国民の同情が集まり日本じゅうで戦犯の早期釈放を求める署名運動が起こり、約4000万人の国民署名が集まった。
当時の日本人口は、約8581万人。単純計算で、国民の2人に1人が署名したことになる。
*昭和28年8月
「戦犯釈放を求める国会決議」が決議された。
国会決議は共産党も含め【全員一致】だったと記憶する。
国家指導者の政治的責任や道義的責任という問題と慰霊とは別の問題です。
昭和53年、靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀された。
昭和60年に中国が批判するまで、問題だなんて誰も言わなかった。
日本人は、戦争中でも敵国兵士の墓を作った。 これは武士道の伝統である。
敵国の兵士をも弔うんだから、 自国の指導者に対しては死者に鞭打つことをしないのが日本人の伝統的文化。殺した後で死体を食べる中国人とは根本的に違う。
そして合祀は、厚生省が提出した名簿に基づくものである。
名簿は国会の決議や、諸外国の承認を踏まえて作成されたものであったはず。
つまり靖国神社がA級戦犯を「戦争による公務死亡者」として合祀したことは、法律に基づき、行政の通知に従って実行したものということになる。
であるから、靖国神社が批判を受けるって意味わからない。
日本は法治国家であり、法に基づくのであれば、国内法への内政干渉ということになろう。
サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、
東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになっていた。
日本はこれをまじめに取り組み、国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。
そして‥
*昭和31年3月 、「A級戦犯」全員赦免・釈放
*昭和33年5月、「BC級戦犯」全員赦免・釈放
これらを正式に勝ち取った。
すなわち、日本に「戦争犯罪人」はもはやいないということになる。
何国人だかわからない人が、何の目的か判らないことで騒ぐのは何故なのか?冷静になって判断しないとならないのだと思う。