2016年12月31日土曜日

「清」から独立できたのは日本のお陰だったのに

韓国に独立門というのがあるという。自力で独立したから建てたわけではない。
ウィキペディアによると、日清戦争のおかげにより(韓国は1兵も出さなかった)清からの独立ができたことを記念したものであるが、韓国では独立門建設の歴史背景が正しく教えられておらず、そのために独立門はいまだに「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多いという。
骨の髄まで中国文化に染まって(その割には貧しかった)いた朝鮮人は、漢人の「明」が滅ぼされ、女真族が「清」を建国したとき、「野蛮人には従えない」と清への服属を拒否した。
そんなに偉そうにできる程の実力はなかった。
激怒した清は朝鮮に軍を派遣して壊滅的な打撃を与えたのであるが、朝鮮王「仁祖」に対し、清皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と三跪九叩頭の礼(頭を地面にこすりつけ三拝九拝する)を強制して服属させた。屈辱以外のなにものでもあるまい。
日本が日清戦争に勝利したことにより、下関条約で朝鮮の独立が認められ、屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人は、欣喜雀躍して朝鮮王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって三跪九叩頭の礼をさせられていた漢城に独立門を建てたのであり、中国からの独立を記念して建てられたことを朝鮮人も意識していたことが分かる。
しかし、殆どが属国の歴史であったにも拘わらず、「有史以来、朝鮮の国は独立国家であった」とデタラメが学校で教えられている韓国の若い世代は、そんなことすら知らず、「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、韓国の若者は「日本からに決まっているだろう!」と答えるという。
しかし、「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。韓国併合は1919年だし、光復は1945年であるから、それ以前の話なんだよ。」と言うと、韓国の若者は絶句して思考停止するという。
哀れというも愚かなり。
ちょっと説明書きを読めば判りそうなものなのに、それができない。
そもそもは「迎恩門」といって、清国から使わされる使者を出迎えて三跪九叩頭の礼をしていた場所を取り壊して建てたのではないのか。

もうひとつある。
韓国は韓国主導で南北の統一をはかるといっているが、いまの世界情勢を眺めると、北に統一される可能性だってありそうである。
中国・米国は、感情的にしか動かない韓国を見限っている様子があるから、ロシアが一枚噛めば、韓半島は北が統一することだってありそう。
そのとき多分、日本は援助しない。
情勢を冷静に判断しなくて、いつも最悪の選択をする国だと世界から言われていることに耳を傾けた方が良いように思う。
政治も経済も行き詰っているとニュースにもよく上るのに、一致できるのは大統領の弾劾と慰安婦問題というのでは、他人事ながら気になる。
日本と仲良くしていく道を選べないというのでは、仕方がないということか・・・


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