2016年12月6日火曜日

関わりを持ちたくなくなる程の民度の低さ

地震が多いこともあって、東日本大震災に関連したことを調べてみることが多くなった。
日本の報道では殆ど目にすることがなかったが、諸外国人の見た日本人の姿というのを見ることが多い。
壊滅的な被害に会った後でも、暴動や略奪など一切起こさず、互いに助け合い自発的にルールを守りながら対応することを、他国に例をみない感動的だとさえ表現していることが多い。
援助にきてくれた人たちに対する感謝の気持ちの表し方も、外国からの救援隊に逆に感謝されていることも書かれている。

困難な時に救援に駆けつけてくれた人々の活動に感謝する住民の姿の報道は殆どなかったのではないのか?
殆どというより皆無だったのが、K国関連のニュース。
そんなのは見るだけで吐き気を催すから、なくて良かったとは思うが・・・

「震災お祝い申し上げます。」というのはネットで見た記憶があるが、外国に留学しているK国学生たちが、狂喜して喜ぶ姿を目撃した外国人たちが、余りの酷さに酷評しているものもいくつか見かけた。
どんな教育を施せば、他人の不幸を躍り上がって喜べる民度に育て上げられるのだろう?
歴史の真実を知ったら、アイデンティティの壊滅を起こす危惧さえありそうである。
自分の都合上かどうか解らないが、悪いのは全部他人、他人の不幸は蜜の味という精神構造が、人としての幸せにはつながらないであろうに・・・

経済的にも国際的にも重大な危機にあるのに、国難を乗り越える現実的な対応を図ることより、小学生まで狩りだしてデモに励んでいるのは、なんともやりきれない。
「怪しからん罪」というのがあるらしいが、感情的に流され過ぎていないだろうか?

まあ、そんなのもこんなのもどうでもよい。「心が美しい民族」と世界から評価される国としては、反面教師として学べばよいのかも知れない。

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