2016年12月26日月曜日

世界が認める武士道

「武士道とは死ぬこととみつけたり」50年以上前に読んだきり、その後は読み返していない。
行水して身を浄め、爪を綺麗に磨き、髪を整え衣紋を正し香を焚きこめて外出するのはオシャレのためではなく、いつ死んでも良いようにとの覚悟の現れであったと記憶する。
「死ぬこと」というのは「いかに生きるか」ということでもある。
人間の持つ闘争本能を、如何にコントロールするかということにもつながる。
名誉と責任その他、人間の善たるものを常に追求していた。

武士に限らず職人も、完全なるものを追求する求道者のような生き方をしたのが日本人である。
現在も、道を究めようと努めている人たちの言は、まるで哲学者のような趣を醸し出す。

野放図になっているかのように見えて、いざとなるとそれら血に浸みこんだ精神が現出することは、広く世界が認めるところである。
武士は、約束をするとき金打(きんちょう)といって、刀の鍔を鳴らしたというが、約束をした以上、決してそれを違えなかった。自分の命に代えてでもそうした。
最近は、約束を簡単に反故にする国があるようだが・・・

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