2018年6月8日金曜日

長く続けられるものがあったらそれがその人の才能

言葉には残念ながら毒があるのだということは、理解しておいたほうがよい。
普段から何気なく自分も使い他からも聞かせられていて意識もしないで過ごしているが、解っているのと解らないままでいるのとでは、大きな違いが出てくる。

「君には無理だと思うよ。」こんな言われ方をしたら、その指導者からは躊躇わずに早く離れ、他の指導者を探したほうが良い。自分には合わないのである。
彼は、自分の能力では君の能力を伸ばすことができないと言っているのだから仕方あるまい。
確かに、持って生まれた才能というのはあるだろうし、他の者より少ない努力で成功を収めることができる人という者は居るが、彼が何も努力しなくて成功しているわけではない。

そのための才能が足りなくても、並外れた工夫と努力をすることで成功した人は数多く居る。
長く続けられることこそが才能であり、本当にやりたいことであれば、努力し続けられる。
途中で諦めた人は、それが本当にやりたいことではなかったということである。

簡単に慰めの言葉をかける人というのもいる。
「君は精一杯度量した。」だとか、「君が悪いんじゃない。世間が・学校が・環境が・政治が悪いからだ。」などなど。
本当にそうなのだろうか?
最後まで諦めず、血の滲むような努力をして成功を収めた人たちが居ることをどうやって説明するというのだろう。

弱者が集まって傷をなめ合うことで、仲間を増やしたところでどうなるわけではあるまい。
苦境を跳ねのけた人たちは、他の悪口を言うどころか周りに感謝することが多いという事実を無視できないではないか。
力及ばず成功を収めることができなかったとしても、成長はしているということは確かであろう。

成功者は、言葉を選んでいるように感じる。本来のエネルギーを持つ言葉を、努力の中で見つけ、身に着けているのだと思う。

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