2018年6月26日火曜日

他人の言うことを聞くだけでは

その昔、今の言い方で60年安保闘争というのがあった。

日米間で結ばれていた安全保障条約は、サンフランシスコ講和条約とともに結ばれたものであり、戦勝国米軍の日本国内およびその付近への駐留・配備を認め、条約の失効は日米双方の認定を必要とするが、米駐留軍は日本防衛の義務を負わないという形式で、その内容は、駐留米軍は極東における平和と安全の維持、日本政府の要請に応じて国内の騒擾や内乱の鎮圧、日本に対する外部からの武力攻撃の阻止に使用することができるというものだったが、敗戦国に押し付けられた著しく片務的な条約であった。

この安全保障条約の内容を改定しなければ、日本は完全に独立することはできない、と考えるのは普通のことであったろう。
1957
年の総理大臣に就任した岸信介はこのように考え、対等なものにするために動き出した。
ここで、在日米軍の配置に関して
・日米が事前に協議すること
・安保条約と国連憲章との関係を明確にすること
・条約の期限を明確にして条文に盛り込むこと
この3点を求めた。

特に気を使ったのは日本国内で米軍が勝手に行動を取らないようにすることであった。
そのために、部隊の配置などの変更があれば日本に事前に知らせるだけでなく、協議することを
要求したのである。
また、アメリカに守ってもらうだけではなく、日本に駐留する米軍は日本も防衛の責めを負うということを明確にしようとした。「守ってもらう」ではなく「お互いに守り合う」ことで力関係の均衡化を目指し、日本の独立性を強めようとしたのである。

196019日、新しい安保条約が結ばれた。
その時の正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との相互協力及び安全保障条約」ということになった。
<新安保条約の内容>
・日本が侵略された場合にはアメリカ軍は支援義務があることを規定
・しかし、日本のアメリカ軍への協力義務ははっきり書かれていない
・日本と日本国内にある米軍基地に対する武力攻撃に対しては日米両国で共同で対処
これによって旧安保条約とは違い、アメリカ軍の防衛義務については明確にすることが出来たのである。

しかし、この時の反対闘争というのは激烈で、全学連などの左翼過激集団をある意味で煽ったのは、今と同じく新聞各社であった。
テレビの司会者として有名であるT氏もその時騒いだ口であるが、その彼がいみじくも後に言っているように、法案の条文なぞ読んだこともなく、騒いだ人たちの殆どが同様であったという。

内容的にまともであり、反対するようなことではなかったから、次の1970年改定時には何の騒ぎも起こらなかった。
岸信介氏がA級戦犯であったことを挙げて、条約の内容ではなく、情緒的に反対運動を過激化させた側面もあったように思われる。

昨年9月に成立した安全保障関連法についても同様であろう。
憲法が禁じる武力行使に当たるとして、これまで認めていなかった集団的自衛権の行使が可能になるということに反対だというが、国の法としては極めてまともだと思える。
しかし、これもマスコミと左翼系の人たちが大反対した。ありえようもない徴兵制が復活すると言い立てて、感情的に煽った。

今彼らがやっているとことといえば、森友・加計問題である。どうつついてみても違法性が立証できないことを、疑わしい疑わしいとして、他に重要な問題があるにも拘わらず、政局にしたいがためだけでいつまでも騒いでいるようにしか思えない。

歴史に学ばなければならないのは、我々国民なのではないのか。
いつまでも他人の言うことに引きずられたままで、自分で考えることをしないでよい筈がない。


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