2018年6月25日月曜日

すぐに「~デハ}と言う人

「デハの守」と揶揄される人がいる。出羽守のことではありません。
「どこそこの国“”では“こうなってる。だから日本もそうすべきだ。」という言い方をする人を指して、「出羽の守」と呼ぶのである。
とりわけ、知識人であると自称している人ないしは知ったかぶりをする人にそれが多く、「だから日本はだめなんだ」という上から目線のもの言いをするときの論拠にする。
他所の国の例をもってきて、日本人に別のあり方を示すことは、悪いことではないが、今の日本とは違った別の状況が世界にはあるということを示すだけのことであり、現実の状況を相対的に捉えることが可能になるというだけのことである。
他所でそうなっているのは、歴史や社会構造や文化的にみたときの全体バランスがあってのことであり、一事象を抜き出して捉えてみてもどうにもなるまい。
彼等は、その他国の例がなぜ日本の状況にも適応できると思うのか、どうすれば日本の現状を改善できるのかを具体的に示すことは決してしない。
例えば、ドイツは労働時間も短く、有給休暇の完全消化している。それに引き換え「日本は社畜の国で駄目だ。だから経済もうまくいかない。」と声高に主張する人がいるが、それをもって日本がドイツに全て劣っているという結論にはなるまい。
劣悪な労働環境が存在しているのを改善しなくてよいという心算はないが、具体的な実現のためのプランを示さなければ、説得力を持たない。
出羽守の多くは、得てして共産主義的発想でそれを主張することが多いように見受けられるが、共産主義をとっている国のどこが理想の国だと言えるのか?
「ではの守」の全てが悪いとは思わないが、中に首をかしげざるをえないものも多いのも事実であろう。

"ではの守"は、身近によくみかけますが、そういう人に限って、"それなら日本の良いところは?"と聞くと、途端に黙り込んでしまう。日本をくさすこと自体に喜びを見出しているような姿勢には、大きな疑問を覚えてしまうのです。


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